「逆襲のミソジニー」を書いたものです。該当記事について、若干の補足をします。
男子の「ダチ」グループの中で虐げられていた層が何故同じ男性への憎しみを抱かないのかというと、無自覚のうちに男子的なホモソーシャルを当然のものとして内面化してしまっていて、社会人になってもそうした考えが根底から抜けないからではないかと思う。前回記事で書いたような事例ではむしろ、女子よりも同性である男子の方から受ける圧力の方が大きそうなものなのだが、それを「圧力」と解釈しない(できない)心性が男性のうちにあるのではないか。
社会人になる過程で、何らかの形で独立した個人としての自立性がエンカレッジされる機会が持てればいいのだが、ムラ的な同調圧力が強いといわれる日本社会では、むしろ男性が「男子」だった時代のホモソーシャル的社会観を、そのまま大人の社会に持ち込んでいる面があるのではと思う。
はてなブックマークのコメントに「高校からは別学にいけばいい」というご意見があったのだが、男子校でも共学と同等かそれ以上のホモソーシャル的空間が男子の間に存在するとなると、どちらにしろ大学進学後にミソジニーに走る可能性は払拭しきれないものがあるような。周囲に「女子」のいない空間で、個人の女性観がどう変容していくかは一つのポイントになるかもしれないけれど、どちらにしろ小学・中学まで共学だったのなら、一緒じゃないか?という気もする。
最近、私が家庭教師のアルバイトを勤めている中学生の男の子が、同級生からからかわれて悩んでいるという相談を私に持ちかけてきた。君は気が弱くて体も丈夫でないから、あまりマッ...
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■開催の詳細■ 日時:4月15日(日曜日)13:50集合/15:00集合場所出発(予定) 待ち合わせ:JR高田馬場駅 早稲田口降りてすぐのファーストキッチン(BIGBOX一階)前→7時45分くらいから...