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はてなキーワード: うずくとは

2009-09-14

これはフィクションです。

中学時代の話。うちのクラスに、ドラえもんに登場する「出来杉君」をある程度マイルドにしたような人がいた。成績は中の上で短距離走が異常に早く、帰宅部なのに県大会とかに出てたりして、性格や「穏健」を体現したような感じ。なので男女問わず彼を悪く言う人はいなかった。

それとは別に、担任もさじを投げるようなどうしようもない奴もいた。いわゆるDQNってやつか。出席率は3割以下。たまに来る日も、昼前に、明らかに暴走族とおぼしき輩がバイクで送迎してくる。舌打ちしながら授業を途中で「自主的に切り上げる」など日常茶飯事。

そんな二人が一度だけ激突した事があった。

年に一度行われる文化祭的なイベントにむけて、うちの学級は学校ジオラマを造っていた。二畳ほどの広さのもので、校舎の窓ガラスも一枚ずつプラスチックの板をはめ込む気合いの入れよう。途中経過を見た校長はその出来映えに感心し、文化祭イベント終了後は学校の来客用のエントランスホールに展示するとまで言い出したのだから級友達のテンションが上がらないはずがない。クラスのみんなが自主的に連日放課後居残って制作に勤しんでいた。

そこにDQNの登場である。

ジオラマの作業場所は余った机や椅子置き場になっている、今は使われていない教室なのだが、何故かDQN放課後そこにふらっと現れた。

教室に入るなり「おっしゃ!俺も手伝ってやるぜ!」とがなりたてるが、当然みんなは白け顔。そんな空気を読み取ったか、DQNはつかつかとジオラマに近づき、「お、殆ど出来てんじゃん!」と言うやいなや、「はいどーん!」と、あろうことかジオラマグラウンドの部分を思い切り踏みつけやがった。

ジオラマの土台は発泡スチロールなため、ジオラマの真ん中に巨大な足跡があっけなくできあがり、白い破片が周囲に飛び散った。あっけにとられる周囲を尻目にDQNは「よっしゃこれで完成www」とついでに東校舎を蹴っ飛ばした。

すすり泣く女子達。「何やってんだお前!」とDQNににじり寄る男子達。へらへらと笑うだけのDQN。そのうちの何人かが職員室へ事態を報告しに行こうとした時、教室の隅で作業中だった彼(穏健な方)が突然投げつけたパイプ椅子が、DQNの顔面に直撃した。折りたたまれた状態で縦回転しながら飛んできたので、かなりの衝撃だったように思う。

予想外の事態で後頭部をしたたかに床に打ち付けたDQNは、鼻と口からダラダラと血を流し(上あごに当たったのだろう)、DQN達特有の威嚇の雄叫びをあげた。しかし彼は意にも介さずDQNの頭をサッカーボールのように蹴り上げた。

「お前何してんだこら。」

彼はそう言いながら、今度はDQNの腹を蹴りつけた。

「なあおい!お前何してんだよ!なあ!」

次はDQNの顔面を思い切り踏みつけた。

まるで外国映画で、悪徳刑事が取調室で無実の被疑者をいたぶっているような光景だった。もしくは、命令をしくじった下っ端のチンピラを制裁するマフィアの姿にも見えた。生まれて初めて目撃する純然たる「暴行」に俺は背筋が冷たくなった。いつも威勢のいいDQNの顔には、血と涎と涙と恐怖しか残っていなかった。

職員室から担任が急行した数分後には既に終わっていた。半壊したジオラマの横で土下座をするようにうずくまり、背中にいくつもの足形をつけ(彼が蹴りつけた時についたものだ)、「うーっうーっうーっ」と、泣いてるのかうなっているのか判別しかねる声を上げ続けるDQN。散らばったジオラマ部品を黙々と拾い集める彼。

「何があった?」と尋ねる担任に、彼は無表情のまま答えた。「そいつに聞いてください」。

その日以後、DQN学校に現れなくなった。DQN暴行を加えた彼はとりあえず反省文を提出させられたようだが、教師側も(普段の彼とDQNの行状から)事情を察したようで、後からその件に触れる事はなかったようだった。そして我々も何事もなく卒業を迎える事になった。

およそ二十年弱が経過した。そんな彼をmixi発見した。結婚し、子供も居るらしい。俺は彼にメッセージを送って連絡を取り合い、あの「暴行事件」を懐かしんで見せると、彼は翌日少し長いメッセージを送り返してきた。あの日の自分の行いをとても後悔しているらしい。自分クラスになじむチャンスを奪ったのではないかと、今でも思い出す事があるそうだ。なので私は、DQNが16か17歳の時に無免許バイクを乗り回し、交通事故を起こして死んだ事は言わなかった。多分彼も知っていただろうが、これ以上は私が切り出すべき話ではないような気がしたからだ。少なくとも私にはあの事件は「武勇伝」ではあったが、彼自身にとっては、それは「忘れがたき若き日の過ち」だったのだろう。

なんとか修復・完成した校舎のジオラマは、ガラスケースに入れられて今でも母校のエントランスホールに飾られている。

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ダブルバインド - Wikipedia

統合失調症を作りやすいダブルバインド -あるがままの自分を取り戻す

ダブル・バインドの罪。子供を怒るということ : あぱかば・ブログ篇

 

ヒキコモリの作り方




赤ちゃんが泣いてるのを無視しちゃ駄目です

赤ちゃんが入所すると最初の数時間は泣きます

でも欲求が満たされないとわかると 泣かなくなるのです

赤ちゃんは数日で 無気力 無関心で宙を眺めるだけになりますの子も同じです

TED日本語 - ジョルジェット・ムルヘア: 孤児院の悲劇 | デジタルキャスト

はてなブックマーク - 乳幼児が施設養育で損なわれる危険性-EUにおける乳幼児の脱施設養育施策の理論と方策-(PDF)

強い電気ショックを受けるとその場でうずくまり動かなくなってしまったのである。右にも左にも進まない、無気力なマウスになってしまったのである。しかも、この実験のマウスはすべてストレス性胃潰瘍を発症していたのだ。

はてなブックマーク - 『躾』の恐怖 - ootuka’

[体罰][共謀][対人関係][警戒]パシンとたたく音。許してください。 

[児童虐待が脳に残す傷] 

母に死んで欲しい


なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな

コピペ 学習された無力感

無力と放棄態度を、スカタン上司に調教され、そして再び以下ループ、か。

http://anond.hatelabo.jp/20140630004702

2009-08-03

新しいAA考えた

orzよりもうちょっと絶望感の強いのが欲しいと思って考えた。

ovz (頭を抱えてうずくまってる所のつもり)

どうかな。

ふたば二○裏 和田スレより

綾波コスプレをした和田アキ子画像

おいシンジ

いつまで寝とんねん

… 09/07/11(土)06:25:30 No.64545827 del

(腹パンされてうずくまってるシンジ)

… 09/07/11(土)06:26:14 No.64545851 del

(サイズ比較で横に置かれるスケールの小さいタバコ

… 09/07/11(土)06:26:48 No.64545867 del

和田波さんならゼルエルATフィールドも簡単にぶち抜くな

… 09/07/11(土)06:27:20 No.64545881 del

(生身で使徒をドツキまくる綾波)

… 09/07/11(土)06:27:57 No.64545900 del

ATフィールドなんてあの鐘を鳴らすのは貴方だよ

… 09/07/11(土)06:28:31 No.64545908 del

和田波さんはEoEのほうに合わせよう

… 09/07/11(土)06:29:13 No.64545927 del

(本気で逃げ惑う使徒

… 09/07/11(土)06:29:16 No.64545930 del

あの頃は 破

… 09/07/11(土)06:29:22 No.64545932 del

おいポカポカせぇへんか?

酒に決まっとるやろ

… 09/07/11(土)06:29:30 No.64545935 del

あの鐘を鳴らせ

でなければ帰れ

… 09/07/11(土)06:29:38 No.64545938 del

>あの頃は 破

腹筋にきた

… 09/07/11(土)06:30:12 No.64545950 del

酒代がかさみすぎて改修費用が無い

… 09/07/11(土)06:30:15 No.64545952 del

恐そうに見えて実は脆そうに見えて

やっぱり本当に恐い人だ

… 09/07/11(土)06:30:33 No.64545960 del

ぽかぽか通り越してボコボコじゃないっすかそれ…

… 09/07/11(土)06:31:18 No.64545978 del

かっちゃん見たいな動きをするトウジ

… 09/07/11(土)06:31:43 No.64545984 del

プラグスーツではなく赤いジャージ姿にグラサン和田波さん)

… 09/07/11(土)06:32:35 No.64545996 del

>田波さんはEoEのほうに合わせよう

しかし和田波は和田波だ!でびっくりする和田波さん(小)を見たいという人も多かろう

… 09/07/11(土)06:32:44 No.64545998 del

ドラクエこうてきてやシンジ

… 09/07/11(土)06:33:13 No.64546012 del

だから生身で出撃しないでくださいよ和田波さん

… 09/07/11(土)06:33:26 No.64546016 del

和田波さんのおっぱいきた!

… 09/07/11(土)06:33:27 No.64546018 del

ニンニクラーメンチャーシュー大盛

あとビール

… 09/07/11(土)06:34:44 No.64546046 del

ギョーザ追加しそう…

… 09/07/11(土)06:34:56 No.64546050 del

>あの頃は 破

ちくしょう

… 09/07/11(土)06:35:31 No.64546066 del

シンジ

酒買うてこいや

… 09/07/11(土)06:36:20 No.64546086 del

ワシ…こんなときどんな顔すればええかわからへんねん…

… 09/07/11(土)06:36:35 No.64546092 del

和田波さんのおっぱいきた!

「逃げちゃダメだ… 逃げちゃダメだ…逃げちゃ…」

… 09/07/11(土)06:37:59 No.64546127 del

和田波さんのおっぱいきた!

>「逃げちゃダメだ… 逃げちゃダメだ…逃げちゃ…」

お前が死ぬぞ(宴会不参加的な意味で)

… 09/07/11(土)06:38:07 No.64546130 del

>(サイズ比較で横に置かれるスケールの小さいタバコ

足りないだろ

地球からはみだすサイズだし

… 09/07/11(土)06:38:20 No.64546133 del

再起動する松村

… 09/07/11(土)06:38:27 No.64546136 del

>ワシ…こんなときどんな顔すればええかわからへんねん…

「笑えばいいと思うよ」

「何様やねん」

… 09/07/11(土)06:38:46 No.64546143 del

通学中の曲がり角で衝突して10m吹っ飛ばされるシンジ

… 09/07/11(土)06:39:02 No.64546149 del

武器は一升瓶

… 09/07/11(土)06:40:00 No.64546175 del

エヴァとか乗らないで生身で戦う

… 09/07/11(土)06:40:32 No.64546184 del

あんたは死なへんで

うちが守るさかい

… 09/07/11(土)06:40:42 No.64546190 del

使徒を…つまみに食べながらお酒飲んでる…

… 09/07/11(土)06:40:54 No.64546198 del

実は料理上手でエプロンが似合う和田波さんだ

ツマミ作るの早くて上手いらしい

… 09/07/11(土)06:41:02 No.64546206 del

再起動する松村

「ッハ」

傍らにいる和田波さん

… 09/07/11(土)06:41:41 No.64546215 del

強すぎて改修の必要ないな

… 09/07/11(土)06:41:59 No.64546220 del

ガギエルとか旨そう

… 09/07/11(土)06:42:16 No.64546227 del

おいゲンドウ~

コックピット内に安酒入れたアホは誰や

… 09/07/11(土)06:42:28 No.64546232 del

地下で量産されてるんだろうか和田波さん

… 09/07/11(土)06:43:26 No.64546253 del

見せ場の翼を下さい熱唱で不覚にも本気で感動する観客

… 09/07/11(土)06:43:27 No.64546254 del

全長が173cm~173km位に変化しそう

… 09/07/11(土)06:43:29 No.64546255 del

武器は一升瓶

でもコップ一杯でべろんべろんに泥酔

… 09/07/11(土)06:44:30 No.64546276 del

歌はいいね…(リズム暴力されながら)

… 09/07/11(土)06:46:17 No.64546302 del

第八使徒のコアを捕まえてそのまま握りつぶす和田波さん

… 09/07/11(土)06:46:24 No.64546303 del

カヲル君とか生身で握りつぶしそう

… 09/07/11(土)06:46:54 No.64546317 del

武器ハリセン

… 09/07/11(土)06:47:04 No.64546322 del

時折テロップピックアップされる和田波さんの台詞

… 09/07/11(土)06:47:08 No.64546323 del

おうシンジ!あの魚みたいなの生け捕りにしてこい!

ウチがさばいたる!

… 09/07/11(土)06:48:08 No.64546339 del

逃げんな!2号機のヤツ!(ガッシリ捕まえて)

… 09/07/11(土)06:48:12 No.64546341 del

ゲンドウの三倍量の肉を食べる和田波さん

… 09/07/11(土)06:48:25 No.64546344 del

シンジ峰竜太過ぎる

… 09/07/11(土)06:49:05 No.64546355 del

あのなーシンジよぉ

親父さんもお前のために色々頑張ってんねんで?

気持ちはわからんでもないけどもうちょっとわかったげてもええんちゃうの?

… 09/07/11(土)06:49:47 No.64546372 del

この日って・・・

アッコの宴会の日じゃないの

… 09/07/11(土)06:49:58 No.64546378 del

マダオとの食事シーンで酒だけ置いてある和田波さんの席

… 09/07/11(土)06:50:09 No.64546383 del

峰さんのポジションはゲンドウじゃね

… 09/07/11(土)06:50:20 No.64546388 del

>この日って・・・

>アッコの宴会の日じゃないの

アスカ…逃げたの?

… 09/07/11(土)06:51:24 No.64546410 del

ニンニクラーメンチャーシュー増し増しや

… 09/07/11(土)06:51:39 No.64546421 del

>この日って・・・

>アッコの宴会の日じゃないの

アスカ…逃げたの?

留守電に入ってる恐喝

… 09/07/11(土)06:53:29 No.64546453 del

和田波さんを飲みに連れて行って

彼女二日酔いになるレベルの酒を一緒に飲んでたはずなのに

普通に翌日ピンピンしてて、仕事普通にこなすみのもんたポジションは誰だ

… 09/07/11(土)06:54:21 No.64546477 del

エレベーター内でアスカ和田波さんにビンタを食らわそうとするシーンでNG連発

内訳はビンタの勢いが足りないが八割、止められた手を握られた際にうめき声を上げてしまったが二割

… 09/07/11(土)06:54:34 No.64546482 del

精神世界タモリにレッツファックされる和田波さん

… 09/07/11(土)07:36:43 No.64547398 del

こいつがサードインパクト起こしそうじゃないか

… 09/07/11(土)07:38:27 No.64547448 del

三次会サードインパクト

… 09/07/11(土)07:41:13 No.64547506 del

ネルフご意見番

… 09/07/11(土)07:41:21 No.64547508 del

誰も止められぬままフィフスインパクトぐらいまで起こりそうだな

… 09/07/11(土)07:41:53 No.64547516 del

これが⑨か

… 09/07/11(土)07:43:25 No.64547555 del

ネルフご意見番

背後に用意されるパネル

… 09/07/11(土)07:45:56 No.64547614 del

和田さんのデビュー映画アニメにすればいいんだな?

… 09/07/11(土)07:48:10 No.64547684 del

 電 話

… 09/07/11(土)07:50:14 No.64547731 del

ネルフご意見番

へし折られるゼーレのモノリス

つかあの方法でしか接触してこないのは

こいつが居たからか

… 09/07/11(土)07:52:32 No.64547783 del

クライマックスで流れる「あの鐘を鳴らすのはあなた」

… 09/07/11(土)07:52:52 No.64547793 del

和田波という男

… 09/07/11(土)07:56:21 No.64547891 del

(狂ったように増刷される同人誌

… 09/07/11(土)07:57:13 No.64547914 del

夜な夜なスイカ畑を蹂躙する

… 09/07/11(土)07:57:58 No.64547937 del

>あのなーシンジよぉ

>親父さんもお前のために色々頑張ってんねんで?

>気持ちはわからんでもないけどもうちょっとわかったげてもええんちゃうの?

じられるわけ無いよ。あんなおy(バチィッッッ!!!!!!)

… 09/07/11(土)08:21:31 No.64548563 del

舐めた態度で挨拶に行ったアスカが泣きながら帰ってきたでござる

… 09/07/11(土)08:53:12 No.64549434 del

ではこの和田波さんを参号機に乗せてみましょう

… 09/07/11(土)08:56:44 No.64549558 del

嘘、使途が…酔いつぶされた

… 09/07/11(土)08:58:24 No.64549609 del

最近本職全然やってないから

思い切ってエヴァ宣伝に廻ればいいかもね…

2009-07-31

静止摩擦力

うずくまればうずくまるほど、心の負担は増えていくようだ。

2009-07-24

夏休みが嫌いだった

わたしは夏休みが嫌いだった。

わたしにとって家は心休まる場所ではなかったからだ。

学校に行けばいじめられた。でも、家のように痛い思いはしない。だから家より学校のほうがマシだった。放課後には解放されるんだし。

夏休みになればずっと家にいることになる。休みが明ける前に死ぬかもしれないと思っていた。

夏休みタイムテーブルはこうだ。

朝6時におきて、自分トーストを焼いて牛乳を飲む。母は夜の勤めをしていて、この時間は起きてこない。

ゴミ出しをして宿題をする。

10時を過ぎたころ、8歳下のきょうだいが起き出す。

昼ごはんは母の内縁の夫が用意する。そして母と内縁の夫はパチンコに行く。わたしは幼児と二人きり。

昼ごはんを食べ、オムツがなかなか外れなかった幼児オムツを替えて、遊び相手になりつつ夕方になる。

母と内縁の夫が帰ってくる。母はわたしと話す間もなく用意をして仕事へ。

内縁の夫は夜ご飯を作る。そしてまた出て行くときもあれば、家に居てわたしを些細なことで怒鳴り、殴り、踏みつけにしては実子(幼児)を可愛がった。

内縁の夫が野球中継を見る。あるいは、幼児が何かビデオを見る。そのどちらもないときだけ、わたしは好きな番組が見られる。

そんななので、学校クラスメイトが話すテレビの話題がまったくわからなくて悔しかったっけ。

風呂に入り、9時には就寝。

でも、気が抜けない。内縁の夫は何か理由を見つけてはわたしを布団から引きずり出してボコボコにする。

いつも頭が腫れて痛かった。髪を洗うのが苦痛で仕方なかったけど、学校で「くさい」と言われたくない一心で必死に洗った。

寝る前に、毎日「明日は殴られなくて済みますように」と祈っていた。聞き届けられることはなかった。神なんていなかった。

ちょっと気を抜いた瞬間、よくわからない理由で拳が振るわれる。生まれてこなければ良かったと思った。

その生活が高校入試直前まで続いた。

内縁の夫がいなくなって、しかし8つ下のきょうだいは残った。

わたしは志望校合格し、もう家の中で怯えなくて良くなった。

友達は出来たけど、みんな家族と仲が良かった。思春期特有の衝突はあるものの、根底にはしっかりと愛情が根付いているのが見てとれた。

みんなの「家族が嫌い」とわたしの「家族が嫌い」は違うんだと気づいたら、もうおしまいだった。

母はわたしを助けてくれなかった。姉は家に寄り付かなかった。8つ下は、幼児特有の残酷さで嘘の報告をし、わたしが殴られるのを見て喜んでいた。何より、成長するにつれてあの男に似てきた。

どうしてわたしだけがこんな理不尽な目にあわなきゃいけないんだ、とはっきりとは言葉にできなかったけど、そんなかんじ。

わたしは病んだ。

精神病院を出たり入ったりを繰り返し、いつの間にか精神科に通うことも薬を飲むこともなくなった。

信頼できる男性結婚できて子供に恵まれた。

幸せ家族を作るんだ、と思った。

でも子供を産んだとたん、忘れていた記憶がよみがえった。

わたしがされたのは、あれだけじゃなかったんだ。

誰も助けてくれなかった。先生に訴えたこともあったけど、しつけの一環だと言われた。

おじいちゃん、おばあちゃん? わたしをしつけの悪い子だと思っていたようだ。

ご飯は、朝は自分で用意しなきゃいけなかったけど、昼と夜は食べさせてもらっていたと思っていた。

実際にはパチンコに負けたからという理由でご飯抜きにされていた。

高熱が出て早退するとき、学校から迎えに来てくださいという電話を受けて、あの男は「歩いて帰って来い」と言った。

片道45分を自力で帰ることはできず、途中で道端にうずくまっていたところを親切な女性に車で送り届けてもらった。あれが変質者だったらと思うとぞっとする。

運動部に入れといわれたから入った部活では「ユニフォームや道具が高い、陸上部だったら体操着で行けたのに」とか文句を言われて、大会のとき以外で道具を使うことは許されなかった。顧問の先生にはちゃんとしたシューズを履けと言われた。

水分補給をしっかりしろと顧問の先生は言っていたけど、わたしが家から持ち出せるのは500ミリペットボトルくらいのサイズしかない水筒一個分のみだった。

幼児のほうは家にある一番大きな水筒を持って幼稚園に行っていた。

それと、あの男が家を出ることになった事件。

8つ下は父親がいなくなって泣いていたけど、わたしはちっともかわいそうに思えなかった。「○○はお父さんがいなくなってかわいそうなんだから」「あの子は私生児なんだから」だから何? どうしてわたしより優先されるんだ?

わが子はかわいい。

でも、時折ひどく嫌になる。

「わたしは愛されなかったのに、どうしてこの子は両親にも祖父母にもちやほやされちゃうんだろう」

つまりただの嫉妬だ。

それはわかっている。そんな思いに支配されてしまえば、わが子にも暗い子供時代を送らせることになるということも。

だから必死で踏ん張っているけど、でも、我が儘を言って泣き喚く子供を見ていると、不意に黒い衝動が湧き上がる。

子供夏休み長くていいなー」なんて言える夫も憎い。

虐待ニュースを見て、「なんでこんなひどい事できるんだろうねえ」なんていう義父母さえも憎い。

この憎しみを家族に向けてしまう前にわたしが死ぬことが、わたしが家族にできる唯一の貢献ではないかと思えるようになってきた。

この記憶が消えない限り、わたしは家族に笑えない。

2009-06-29

サラリーマンにだけはなりたくねぇだけなのに「中二病」って言われるのきもちわるいんだけど

因数分解が何の役に立つのか問題とか昔からあった話なのに、最近それを中二病とか変な概念化してしまってものすごく気持ち悪い。別に新しい言葉<註:「ワード(word)」とルビを振ってください>ができるのは良いのだけれど、学年名を入れると学校でただ左手うずくだけなのに、その学年の人の行為を真似ているみたいな感じになって嫌な感じ。しかもそんなはやし立てるものでもないだろうに。プライバシーを尊重してくれ。

一番嫌なのは、シャカイ(原文ママ)の文句を学校で言いづらいこと。なんか昼休みとかいうのがあって、そこに人気者になってるヤツ等(原文ママ)が「中二病邪気眼!ヘイヘイ!」みたいな感じでアホみたく盛り上がっているので、言いづらい。昼休みっていうのは閉鎖的で階層的なスクールカーストの最下層を水上に晒し上げるような場所であり、結局はこの時間学校内と学校外の友達つくりの窓口になっている面もあるので、昼休みで盛り上がる連中部活とかに顔をだしたりすることで、よく遊んでくれる人を従えている連中)と喧嘩しづらい。

とにかく周りが騒いでるだけならまだしも、自分で「お前wwwwそれwwww黒歴史ノートwwwww」とか言い出さない方が良いと思うんだよね。僕は僕で誰かじゃないし、ゲームプログラマーを目指してるだけだし。

http://anond.hatelabo.jp/20090629002347

2009-06-23

何もしたくないときってあるよね

何もしたくない。

今何もしてないくせに何もしたくない。

もう何にもしたくない。

掃除したくない。

洗濯したくない。

料理したくない。

仕事したくない。

もう全てがいやだ。

ひきこもっていたい。

人生を終わりにしたい。

いつになったら人生終わるんだ。

鬱なのか俺は。

病院行ってるのに一向に治らない。

駄目でも人生はまだまだ続くんだ。

もう怖い。

怖くて怖くてしょうがない。

もっともっと人生が怖くなれば死ぬことはできるのだろうか。

中途半端なんだ、今は。

とにかくじっとしていよう。

うずくまって人生に怯えながら横になろう。

2009-05-24

男と女

私、高校3年。17歳。

最近思ってることがある。

ダイアリーに書いてもいいけど、ちょっと気が引けるからここに。

あ、下ネタ注意。


最近セックスがしたくてたまらない。

今まで彼氏がいたことはない。

つまり処女

私の見た目は中の中(だと思う)。

身長156cm、体重47kg

で、超貧乳AAギリギリ

そんな私、そういうのに目覚めたのは小学生の頃。

学校性教育を受けてから、人形遊びをしているときにセックスさせてた。

今考えれば笑えるが、当時は楽しくてしかたなかった。

中学では自宅のパソコンを使って情報収集。

この頃から自慰を覚えた。

そして最近、人恋しいのかなんなのか。わかんないけど。

誰かに抱きしめててもらいたい。

洋服なんて脱ぎ捨てて、人間の肌を感じたい。

素肌で、抱きしめてほしい。

夜はさみしいし、体うずくし。

どーしたらいいかなあ。

大人のおもちゃを買おうか迷うぐらい。

だって自分だけじゃ満足できないんだもん。

男の人なんて、結局最後は見た目と体だと私は思ってる。

だって私がそうだから。

いくら優しくったって、なんだって、付き合ったら結局最後に行き着くのはセックス

そう考えたときキスできる顔じゃなきゃ、ダメでしょ?

この人になら抱かれてもいい、そういう人じゃなきゃ。

でも今なら誰でもいいかなー。

処女だけど。

貧乳だけど。

男の人は貧乳、ってどうなんだろう。

感度も低いってなんのかなあ。

あーあ、どうしよ。

中学の時からサイズ変わってないし。


でも、それでも、セックスしたいんだよね。

愛に飢えてるから?愛されたいから?

どうしてかわかんないけど。


どーしたらいーの?

自分自分を慰めるのには限界があると知った、このごろ。

つづき?>http://anond.hatelabo.jp/20090525011351

2009-03-17

沖縄戦の時、洞窟で泣く赤子を殺した兵士の話」

僕が兵士ならどうしただろう。別に沖縄戦じゃなくてもいい。

例えばナチから隠れるユダヤ人家族でも共産圏でスパイ容疑にかけられた一家でも

気付かれたら死ぬ、という状況で赤ん坊が泣きだしたら

僕はどうするべきなんだろう。

兵士なら、楽だ。責任は、上官に帰される。

私人として、赤ん坊の死の責任を全部負うことが僕にできるだろうか。


ああでも僕は弱いからきっと、楽な方にいってしまう。

赤ん坊を殺すという責任が耐えられないなら、他の人に任せてうずくまってしまう

もしくは

もしくは自分の死が近づくことに堪えられないなら、恐怖と衝動赤ん坊の首をしめてしまう


結果は反対だけど

弱いことには変わりはないのだ


そしてきっと弱かろうが強かろうが

結果に変わりはないのだ

2009-02-09

同性の知人(三十路過ぎ専業主婦子なし)の様子がおかしい。

そんなに深い付き合いの人じゃないんだ。友達の友達で、集団で何度かお茶したくらい。

個人的な付き合いとかはしてなかったんだけど、だんだん向こうから近づいてきた感じ。

最初は、連絡をとりたいからと携帯メールがたくさん来た。

平日の昼間に、5分おきくらいでずっと来ていたのだが、仕事中は携帯を持ち歩かないので、

仕事が終わってから気がついて、メールの数にびっくりしてあわてて電話したら、

急ぎじゃなければ私じゃなくてもいいことだったので、とりあえず対応して終了した。

次は留守電

携帯メール数十通のあと、メールに反応しなかったのに業を煮やしたのか、今度は電話をかけてきた。

携帯は持ち歩かないので当然留守番電話

留守電がいっぱいになるほど伝言を残して、最後のほうは涙交じりで「どうして出てくれないのぉ!」

何かあったのかとあわてて電話したら、なんてことはない、いつでもいいような内容で。

とどめに直接訪問。

昨日は用事があって出かけていたのだけど、帰ってきたらドアの前でうずくまる彼女

オートロックは住民のあとをついて抜けてきたらしい。

がちがち震えているのでとりあえず家に上げてあったまらせて、どうしたのか聞いてみたら、

「お天気よかったから遊びに来たかったの」


正直、ちょっとどこかおかしいんじゃないかと思えてきたですよ。

ふつうにおしゃべりしている分にはなんてことないんだけど。気味が悪い。

友達にも相談してるんだけど、友達にはいたって普通の対応をするらしくて。

それともこれってそんなにおかしくないことなのかな? 私の受け取り方がおかしいのかな?

2009-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20090205083848

スルースルーでいいと思う。

たぶん、愛想よくしちゃうのは増田の性分なのかな

そのつどそのつど、きっぱりしていくのがいいよ。

「飲みに行かない?」「いえ、結構です~」

「今度食事でも・・」「いえ、結構です~」

って。罪悪感はうずくだろうけど

私も中学生時代から変な人に好かれる性質で

向こうがそういう雰囲気だしてきたら、いっきに壁を作るようにしてる。

まず目を合わさない!

早めに察知することが大事だよ~

でも、これがもし変な人じゃなくまあ普通の営業の人だったら

気がまったくなくても「飲みにいくくらいいっか」ってなるよね

それが不思議(?)

2009-01-16

こういうところ

http://anond.hatelabo.jp/20090115214927

皆さんは恋人・思い人のどういうところを好きになりましたか?

最初のカレシはセックスアピールがあった。体は鍛えてるし、やることなすことなんだかセクシーで。会うとドキドキした。顔はいまいち性格は「他人なんざ性格を読めば好きなように操れる」とかいうひでー奴だったけど、こっちも15歳だったから、そういう人、格好良かったんだよね。何年か付き合ったけど、相手はいつも他にも女がいて、結局、ワタシのことなんかまともに相手してないんだということがわかったので別れた。

次のカレシは従順だった。どんなわがままも聞いてくれた。顔は可愛いし一緒にいて楽だった。でも、従いやすいMっぽいところって、ちょっとシチュエーションが変わると、たちまち支配的なSっぽくなるんだ。そのギャップに混乱しちゃったんで別れた。

次のカレシは、亭主関白で有名な九州男子で。黙って俺に付いてこい。って言うんで、尻尾振って付いていったよ。手をつなごうとすると「公衆の面前で何をする」とか言うし、こっちが具合が悪くなってうずくまってるのに「みっともないから立て」とか言うんだ。そういう緊張感の高いところが好きだった。

うーん。ごめん。私は大衆に埋もれない個性的な男が大好きだから、あんまり参考にならないかも。

小学校のころ同級だった男の子スキーに行った。

http://anond.hatelabo.jp/20080913153317

http://anond.hatelabo.jp/20081201015818

http://anond.hatelabo.jp/20081226042010

の続き。

知らないうちに、彼らはスキーに行ったりしていたらしい。

小学校同窓会にて地元組で話が盛り上がり、近場に泊まりがけでスキーに行ったことがあるらしい。

なぜわたしがそれを知ったのかというと件のやつから「せっかくだから今年は一緒に」と誘われたからなのだが、転勤族の悲哀というか、卒業と同じタイミング学校を変わってしまうとこういうふうに図らずも仲間はずれになってしまうことがままあるのだ。

これまでは特に気にしたこともなかったけれど、今回ばかりはちょっとさびしくなった。

いいな、と思った。

わたしには「幼馴染」という関係に対する幻想のようなものがある。

子どものころからずっと一緒にいると、互いが少しずつ異性になってゆくようすを間近で見る機会が多くなる。

声が変わったり、胸が膨らんだり、背の高さが逆転したり、ちょっと重いものを運ぶときに軽々と担いでいる姿とか、ふとした瞬間の大人びた表情とか。

そういうのが、とても魅力的で刺激的なことのように思うのだ。

実際は特に意識することなんてないよ、と経験者が語るのを聞いたこともあるのだけど。

例の、本当の意味クラスの「注目の的」だった女の子は、彼と同じ私立中学校に進学していた。

そこは中高一貫校だったので、きっと高校も同じだったんだろう。

幼馴染コンプレックスうずく

いいな。いいな。

そしてほらまた。

スキーも一緒だったんだって。

彼女は、お父さんが開業医だった。

絵に描いたような優等生だった。

なんでもできる子だった。

わたしが彼女に勝っていたものといえば、英会話ぐらいだ。

わたしと彼女はたまたま同じ英会話教室に通っていたのだけど、わたしの気持ちと先生の教え方が上手に噛み合っていたようで、わたしは一人でやたらと順調に力を伸ばしていた。

海外の人が何かの交流で学校に来たときに代表でスピーチをしたりとか。

彼女と唯一張り合えるであろう技能はそのぐらいのものだった。

なんていうか、格が違う感じがする人なのだ。

ということで、スキーツアーに参加することになった。

かなり緊張していた。

彼らは定期的に会っているらしいのである程度気心の知れた仲を保っているのだろうが、わたしは卒業以来初めてなのだ。

知らない人たちの輪の中にひとりで入ってゆくことにほぼ等しい。

当時特に仲の良かった子を見つけてくっついていよう、でもきっとある程度関係ができあがってるだろうし、今更加わっても迷惑がられないかなあ、とかネガティブ思考全開で集合場所へ行った。

総勢7人。男性4人、女性3人。

意外と集まるものなんだ、とびっくりした。

なんか全体的にキャッキャキャッキャした浮わついた感じで、早くも不安でいっぱいになる。

なんだろう、この広瀬香美な雰囲気は、と思っていたら実際「(合コンあいのり)÷2」な、そんな趣旨の集まりに近いのだということをわたしは後になって知ったのだが、まあとにかく緊張していた。

久しぶりだから、一応

「きゃー!!ミッチョン!?久しぶりー!!!」

「今どこに住んでるのー!?」

みたいな盛り上がりはあった。よかった。

やっぱりみんな卒業して十数年も経つとだいぶ変わるんだなあ、というのが実感だった。

顔立ちそのものもだけど、化粧をしたり太ったり痩せたりハゲたり茶髪になったりしていて、確かな年月の重みを感じさせられた。

それからバスに乗り込んだのだけど、わたしは当時の仲良しグループの子ではなく「注目の的」の女の子、さとし(仮名女の子です)と隣どうしで座ることになった。

仲が良かったほうの子がすでに結婚していて、ご主人と一緒に来ていたからだ。ちなみにご主人は同級生ではない。

さとしは医学部に進学したそうだ。

浪人して入ったこともあってまだ学生で、本当はこんな風に遊んでる暇はないけど、と笑っていた。

彼氏もいて、まだわからないけど同じ医学部の人なので将来を考えることができたらうれしい、と言っていた。

「さとし、きれいになったね」

と、誰かさんではないけれど、わたしはさとしに言った。

本当にそうだった。

もともと色が白くて線の細い子だったけど、そのままの雰囲気で大人になっていた。

薄化粧をして髪をゆるく巻いたさとしは、小学生のころの何倍も美しかった。

さとしは少し肩をすくめて、小さく照れ笑いをした。

感じのいい笑顔だった。

さとしについてはいろいろな記憶がある。

5年と6年で同じクラスだったのだけど、5年のころ、さとしは取り巻きの子たちを引き連れていじめをしていた。

先生たちから全幅の信頼を置かれる優等生でありながら、陰で特定の子の持ち物を隠したり、寄ってたかってバイキン呼ばわりしたりしていた。

別に怖かったわけでもないのだけど、なぜかだれもさとしを告発するものはいなかった。

6年生になってその子とクラスが分かれると、さとしのいじめ自然となくなった。

週一回の英会話教室の帰り道は、さとしと帰っていた。

野良子猫を見つけて、近くのスーパー惣菜を買ってきて一緒にえさをあげたりした。

さとしは「けろけろけろっぴ」が大好きで、サンリオのお店に一緒に立ち寄ったこともあった。

そこで見るさとしは、本当に普通女の子だった。

何となく別世界の人のように見えるさとしにも親しみを感じるひとときだった。

卒業式が近くなり、毎日のように練習が続いていた日、わたしはヘアゴムを失くした。

当時はものを失くすたびに親からこっぴどく叱られていたので、また怒られる、と思っておろおろと周囲のクラスメイトに尋ねて回った。

ちょうど体育館への移動時間が迫っていて、誰もが

「ごめん、知らない」

としか言わない中、さとしだけが探すのを手伝ってくれた。

結局見つからなかったのだけど、わたしが

ありがとう、もう大丈夫だよ」

と捜索打ち切りを宣言しても

「いや、あそこにあるかもしれない

とか言って机の下をのぞきこんだりしていた。

今思うに、この生真面目さが、さとしの美点だったのかもしれない。

すごく責任感の強い子で、委員会活動などで任せられた仕事はいつでも完璧にこなそうとしていた。

いじめをしていた時期も、さとしはこういう一面を失うことはなかった。

むしろそういう子だから知らないうちにストレスがたまってしまって、子どもゆえの残酷さでその捌け口を「いじめ」に求めてしまっていたのかもしれない、と今は思ったりする。

さておきスキー場に着き、まずは滑ることに。

一通り体を動かし、食事がてら休憩所のストーブの前でさとしと話をしていたら、やつが来た。

いたって気軽に今日の天候がどうとか雪の積もり具合が、とか話し込むふたり。

かたや、ものすごい置いてきぼり感の漂うわたし。

相槌はかろうじて打つものの、いまひとつ会話に乗れてない。

ほどなくしてさとしが早々とゲレンデに戻ってしまったので、ふたりになった。

「今まで何回ぐらい集まったの?」

「うーん、もう5、6回になるんじゃないかな」

「そうなんだ」

「俺はスノボだけどね。ミッチョンは?」

「もうだいぶやってないよ…。大学生のとき以来」

「俺も毎回来るわけじゃないからなあw」

「それにしてもみんな、変わったね」

「あー、ミッチョンは久しぶりだもんな」

同窓会も出たことなかったし」

「そうだな。いなかったな」

「でも、いいものだね」

と言うと、こっちを見てにやっとした。

「そう?」

「うん」

するとどこかあさっての方向を向いて

「それならよかった。」

と低くつぶやくように言った。

自分が誘ったのだから、ということで気を遣って尋ねたことのようだった。

それから、同行している元クラスメイトたちの話をしていた。

夫婦で来ている彼らは婿養子なのだと聞いた。

なるほど、確かにあの女の子は古くからの金物屋さんの娘なのだ。

2年前にご主人がお店を継いで、モダンな感じの雑貨屋に改装して、小さなカフェまで併設したらしい。

それが当たって、地元でもちょっとした有名店になったのだとか。

「すごいよね。

 婿養子って肩身が狭そうなイメージがあるけど、そんなふうにお店を変えるのも大変だっただろうね」

「最初は反対されたらしいけど、最近はやってるじゃん。古い家屋の味を活かして今風の店にするの。

 それで、お父さんたちが今まで卸してきた品物をメインで売るのは変わらないってことも話して、

 プランナーと一緒になって説得して、お父さんも折れてくれたらしいよ」

「お店、今日休みじゃないんだよね?」

連休は書き入れ時だろうに、夫婦で来て大丈夫なのだろうか、とふと思った。

「俺も聞いたんだけどね。お父さんとお母さんが、自分たちで何とかやるからたまにはいいよ、って

 送り出してくれたんだって。」

わたしは、彼女の家に遊びに行ったときにお母さんがよく出してくれていた手作りケーキのことを

思い出した。

高級店のケーキとは違うけれど、素朴でシンプルで、ついたくさん食べたくなる味わいだったと思う。

行くたびに違うメニューのケーキが出て来ていたのだけど、いつも手作りだと言っていた。

カフェで、もしかしてあのお母さんの手作りケーキを出しているのだろうか、もしそうだったら、なんて素敵だろう、と思った。

彼は、この金物屋の若夫婦とも

商工会の集まりでときどき会う」

と言っていた。

自分はまだメインじゃないんだけど、あいつらはもう店主として堂々としたもんだ、と言っていた。

その縁でスキーにも一緒に行くようになったらしい。

つながってるなあ。

同じところに住み続けるとは、こういうことなのだろうか。

わたしには、わからない世界だと思った。

幼いころからずっと顔を知っている人と今でもこうして交流を保っているということが、とても幸せなことのように思える。

わたしはたまたまこいつが夢に出てくることから始まって今こうしてスキーに混ぜてもらっているだけで、彼らと同じ地域には住んでいない。同じ世界を知らない。

妻夫木仮名・そいつのこと)はさ」

「うん」

幸せ者だね」

「何、突然w」

「同じ土地で生まれ育つのって、幸せなことだよ」

「そうかな?」

「そうだよ」

「じゃミッチョンは幸せじゃないの?」

「え?」

「なんか、そういう話の流れじゃない?」

「ああ、いやそうじゃないけどw

 でもうらやましいよ、何となく」

「うん、まあその寂しさはわかる。ミッチョン卒業式のときめっちゃ泣いてたしな」

「そうだっけ?」

「覚えてないのかよw」

「あんまり」

「ミッチョンって普段はあまり自分の感情を表に出すほうじゃなかったじゃん。

 それがいきなり号泣だからな。

 小栗っち(仮名・担任の先生)も反応に困ってたよw」

「やめてよ、恥ずかしいじゃん!」

「わははw」

「でも、その割にあんまり皆のこと覚えてないんだよなあ…。

 なんでだろう。」

「あー。実は俺も。」

「薄情者w」

「お前もだろw」

軽い突っ込みにしても「お前」と呼ばれたのが、すごくうれしかった。

距離が一気に縮まった気がした。

わたしも、一応まだ仲間なんだよね?

そうだよ。だから心配すんな。

みたいな変な脳内会話が繰り広げられてしまい、ひとりでにやにやしてしまった。

「ていうか、小栗っちw懐かしいねー」

「元気にしてるんだろうか?」

「相変わらず熱血なのかな」

「ハゲてそうだよな」

「それ当時から言ってたよねw」

「言うとムキになるから面白くてw」

「剛毛はハゲやすいらしいよ」

「それじゃ、やばいじゃん、小栗っちw」

小栗っちは若い男の先生で、かなりの熱血教師だった。

当時から妙に冷めたところのあったわたしは、一度小栗っちから涙交じりで怒鳴られたことがある。

クラスの子達から学級委員に推薦されて、それを辞退しようとしたときのことだった。

もう3学期のことで、めぼしい人はすでに委員をしてしまった後で(学級委員は学期ごとに改選するのがうちの学校の決まりだった)先述のさとしはそのころ生徒会をやっていたし、他にこれと言って人がいないからまあミッチョンぐらい推薦しとくか、みたいな空気を感じ取って「なんだかめんどくさそうだなあ…」と思ってしまったのだ。

「やればできるやつなのに、俺はお前のそんなところが悲しい!」

というようなことを言われた。

子供心に「そんなこと言われても」とか生意気なことを思っていたが、でも小栗っちはいい先生だった。

今のわたしとそう変わらないぐらいの年だったはずだけど、難しい年頃の子どもたちをよくまとめていたと思う。

芋づる式に、いろいろな人の記憶が蘇る。

過去記憶はいつだって甘美で優しい。

なんだか、せつなくなる。

ところでわたしは妻夫木聡のファンではないのだけど、最近、やつの顔に少し妻夫木聡の面影があることに気がついたのだ。

長めのまつ毛と潤いのある目元が特によく似ている。

にこっと笑ったときの口元も似ている。

このところ、妻夫木聡テレビで見ると「どきっ」とするようになった。

「あー寒いマジでやばい!」

とか言いながら、他の元クラスメイトが来た。

平野仮名男の子)と大田(仮名男の子)だった。

当時にぎやかし担当の人たちだったが、わたしは彼らとほとんど接点がなかった。

今日は同行者だからこうしてとりあえず話しかけてきたのだろうけど、正直に言うと話題がない。

妻夫木ここにいたんだ」

「久しぶり。ミッチョン俺のこと覚えてる?」

「覚えてる、久しぶりだね」

「やーミッチョンきれいになったなー」

「え、いや。ありがとう。大田も…大人っぽくなったね」

「ハゲてきてるって正直に言っていいよ、ミッチョン」

「うるせぇよ平野メタボ平野

「まだメタボじゃねぇw」

笑いながら、同じ褒め言葉でも言う人によってこんなに心に響かないものなのか、と思った。

もちろんまだ20代だし、ハゲもメタボも言うほど目立ってはおらず、顔立ちも整っている人たちなのだ。

茶髪日焼けして華やかな格好をしている彼らは多分人目を惹くだろう。

実際、さっきだってゲレンデでよその女の人に声をかけて何だか楽しそうに盛り上がっていたのを見た。

子どものころは大田も平野運動がよくできた子だったし、女の子にも人気があったと思う。

あの

「誰か好きな人いる?」

に、よく出て来ていた二人だった。

でもわたしは彼らと会話のテンポが合わず、話していて何かと気後れしてしまうことが多かった。

彼らが当時「ミッチョンって何となくしゃべりづらい」と言っていたのも知っている。

その流れで、苦い記憶を思い出してしまった。

平野たちのふとした発言がきっかけで一部の女子に陰口を叩かれ、あからさまに仲間はずれにされていた時期があったのだ。

その中に、さっきの金物屋の娘の子もいた。

しばらくして和解できたので、忘れてしまっていたのだ。

なんという芋づる。

「だいぶあったまったし、俺そろそろ行くわ」

妻夫木が言い、立ち上がりながら

「ミッチョンも行く?」

とわたしに声をかけてくれた。

「あ、うん」

と返事をしたときにはもう妻夫木は歩き始めていた。

「じゃ、またあとでな」

「おー」

「またね!」

すたすたと立ち去る妻夫木に、わたしはあわてて着いていった。

妻夫木といっしょにいるほうが、どう考えても居心地がよかった。

背後では平野たちの明るい話し声が続いていた。

大田は知らないが、平野は当時、妻夫木とかなり仲が良かった。

妻夫木やさとしが進学したところとは志望先が違っていたが、受験組の一員だった。

このスキー旅行を毎年企画しているのは平野だ、と妻夫木から聞いた。

「ああ、平野こういうの好きそうだね」

とわたしが言うと

「半分は女目的らしいけどw」

と笑いながら言っていた。

「さっきもナンパしてたね」

「今夜あたり、何か仕掛けるんじゃないの」

「仕掛けるってw」

「あいつそういうの得意だもんw」

と、気がつけばふたりで並んでリフトに乗っていた。

わたしは「高いところに宙ぶらりん」のシチュエーションが大変苦手だ。

だからバンジージャンプは死んでもできない。するとしたら死ぬときだと思う。

加えて、隣が妻夫木だ。

楽しそうに話を続ける彼の横で、わたしは硬直していた。

よほど返事が上の空だったのだろう、

「どうした?」

と少し覗き込むようにわたしの顔を見た。

「なんでもないよ」

笑顔を作って答えたが、その笑顔がこわばっているのが自分でもわかった。

「…いや、なんでもなくないだろ。トイレ?」

「ちがうってw大丈夫大丈夫

「いや、本当にどうした…あっ!」

妻夫木が、何か思い当たる節があるかのように声をあげた。

「ミッチョン、高所恐怖症だったなw」

「いや、あの…はい…」

「わははははw」

「ちょっと笑わないで!揺れる!」

「ほーらほーら」

「いやああああ!揺らさないで!!やめてえええ!!!」

「わはははは…」

もう本当に恐ろしくて、リフトを吊り下げているワイヤーにひしとしがみついてしまった。

すると妻夫木が、さすがにばつが悪そうに

「もしかして、本気でいやだった?」

と聞いてきた。

「怖いです…やめてください…」

と言うと、妻夫木はしょんぼりした。

「ごめん」

「ううん、わたしもごめんね」

「いや、ほんとにごめん」

気まずい。

でもやっぱりリフトは怖い。

なるべく自分がいる場所を認識しないように、上のほうを見るように心がけていた。

「…なんで上向いてるの」

「下見ると怖いもん」

「…ククッ」

「笑わないで!」

「いや、だってお前の格好、おかしいってw」

「おかしくない!」

「おかしいよwなんか怖がり方がすごいもんw」

「あんたに言われたくないよ!」


あとで気がついたが、このときが「お前」「あんた」が復活した瞬間だった。




夕食およびお風呂の後、男子部屋に集まって皆で飲むことになった。

女子部屋からの移動中に

りょうちゃん(仮名・金物屋の子)ち、お店きれいになったんだね」

とわたしが話しかけると、りょうちゃんは気さくに答えてくれた。

「そうそう、旦那がなんかがんばっちゃってさー」

するとさとしが

「すっごいかわいいお店だよ。わたしもたまに行くもん」

と話に入ってきた。

「さとし、いつも抹茶ロール頼むよねw」

「あのロールケーキはすばらしい。○×屋(地元デパート)で売ってほしい」

「何言ってんのw無理でしょw」

さとしがわたしのほうを見て

「ミッチョン、もしこっち来ることがあるなら連絡してよ。いっしょにりょうちゃんのお店行こう」

と言った。

「ありがとう」

とわたしが笑顔を返すと、さとしはにっこりと笑った。

ケーキりょうちゃんのお母さんのお手製なんだよ」

「ああ、やっぱり!」

「なんでわかるの?ミッチョン」

「いつもご馳走になってたじゃん。さっき妻夫木から『カフェもできた』って話聞いて、りょうちゃんのお母さんってお菓子作るの上手だから、もしかしたらそうなのかな、って思ってた」

「ああ」

りょうちゃんは、何かしたり顔でにやっとした。

何だろう、とそのときは思っただけだったけど、後でその意味がわかった。

りょうちゃんは、わたしが妻夫木を「狙っている」と思っていたみたいだった。

「狙っている」というか、まあ確かに大はずれでもないのだけど、なんというか、そういうニュアンスじゃないのだ。

ちょっと違うのだ。

積極的に関係を進展させたいとは思っていないのだけど、でも、縁を途切れさせることなく続けていくことができればどんなにいいかと思っている。

まあ、それが「狙っている」ということになるのならば、りょうちゃんの読みも正しいということになるのか。

男子部屋ではすでに小宴会が始まっていて、りょうちゃんの旦那さんが

「おー!来た来た!女性陣はこっちにどうぞ!」

と、いそいそと座布団を準備しながら場所を空けてくれた。

あとでりょうちゃんに年を聞いてみたら、わたしたちより7歳上の人だった。

部屋は10畳ぐらいの和室で、エアコンストーブでぽかぽかと暖かかった。

「いやー美人揃いだなあwおふたりともまだ独身ですか?」

と旦那さんが早くも鼻の下を伸ばしているのが印象的だ。

「はいはい始まったw」

と、りょうちゃんがすかさず釘を刺した。

さとしは面識はあったらしいが、ちゃんと話すのはこれが初めてだった、と後で言っていた。

「ほら、この子がさとし。ときどきお店に来てくれてるじゃん。」

「ああ!あの医学部の!」

「よろしくお願いしますw」

「いやー!すごいね!才色兼備ってやつだね!」

「ひろし、うるさいよ」

旦那さんの名前は「ひろし」らしい、ということがこのへんでわかった。

「で、こちらは…」

「ミッチョン。小さいころ、家が近所でよく遊んでたんだよ」

「ああ、あの英語が上手だったっていう」

「いえwよろしくお願いします」

「ふたりとも頭がいいお友達なんだな。お前バカなのにな」

「ひろしには負けるけどね」

りょうちゃんwとりあえず乾杯しようよw」

「あ、ごめんね、こいつがバカなもんで」

「もういいからw」

というふうな感じで、せわしなく繰り広げられる夫婦漫才を残りの5人が遠巻きに鑑賞しつついじる、という流れが出来上がった。

さとしを平野に取られてしまい、ひとりで所在なくぼんやりしていると

「楽しんでますか?」

と、妻夫木が横に座ってきた。

「うん、りょうちゃん夫婦おもしろいねw」

「ひろしさんがムードメーカーだから」

「でもこの集まりって不思議だよね。皆もともとバラバラのグループだったのに」

「ああ。さとしは俺が呼んだんだよ」

「そうなんだ」

平野がね」

と、妻夫木はちらりと、平野とさとしのほうを見やった。

「さとしと会いたがってて」

「どうして?」

「さあ…。いろいろあるんじゃない?」

「男同士でそういう話したりしないの?」

「しない」

「そういうもんかなあ」

「うん」

大田が乱入してきた。

「ちょっとミッチョン!飲もうぜ!」

「大田お前大丈夫?w」

大丈夫大丈夫!はいミッチョン!」

と、大田に紙コップを渡されて並々と清酒を注がれた。

「あ、ちょっと!大田!」

妻夫木がふいに焦ったように声を上げて、瓶を取り上げてしまった。

わたしはなぜかわからないけど、とっさに「妻夫木を安心させなきゃ」という気持ちが働き、あえて

ありがとう。いただきまーす」

と明るく宣言して口をつけてみた。

あーあー、という顔をして、妻夫木がわたしを見ている。

そんなに焦らなくても、わたしは実はお酒には強いのだ。

妻夫木はそれを知らないから「清酒をいきなり女に飲ませるのは危ない」ぐらい思って焦ってるんだろう、とそのときは思った。

それにしても清酒は普段あまり飲まないものだけど、ひとくち含んでみるとなんだかとてもおいしく感じて、一気に飲み干してしまった。

「あー。これすごくおいしいねー。どこの銘柄なのかな?」

本心からしみじみとつぶやくと、妻夫木と大田が驚いた顔をしてこちらを見ていた。

「ミッチョンって、お酒強いの?」

と大田がおそるおそるといった様子で尋ねてきた。

「まあ、それなりにw」

と答えると、ふたりは顔を見合わせて

「それなりに、どころじゃないよなあ…」

「ミッチョン、なんかイメージ変わったわ」

と大田が半笑いでつぶやいた。

どんな可憐な(しかし誤った)イメージをわたしに持ってくれていたんだろう、と思った。

一通り話をして大田が立ち去った後、妻夫木に聞いてみた。

「女の人がお酒好きなのは、よくないのかな」

「え?なんで?」

「大田、引いてたし」

「ああ、気にするな。あいつ未だに異性に変な幻想持ってるやつだから」

「でも妻夫木もびっくりしてたじゃん」

「ああ、俺?」

「うん」

「いや、俺は…」

「何?やっぱりよくない!?」

「いやいや、そうじゃなくてw」

「何?」

やや酔っていて、しつこく絡むように聞いてしまった。

「いや、だからね」

「なんだよー」

「いや、うれしいな、って」



あっ、と思った。

このお酒妻夫木が持ってきたもので、妻夫木のおうちはもともと醸造所から発展した会社だ。

「ほら、ほんとにうまそうに飲んでくれたじゃん。

 やっぱり、作り手としてはね、うれしいじゃない」

さっき飲んだのは、妻夫木のおうちが作ったお酒だったんだ。

そして

「あー。失敗した…」

とかぶつぶつ言っているのでよく話を聞いてみて、もっとすごいことを知った。

妻夫木は今、若い人向けの新商品を開発する部署で働いていて(これは前から知っていたんだけど)、実は今日、販売直前まで来ている試作品のような販促品のような、まあそんな扱いのものを持ってきていたそうだ。

それを黙って周りの人間に飲ませてみて、反応を見てみたかったらしい。

「俺んちの酒ってわかってたら、みんな多分気を遣ってよく言ってくれるだろ。

 でもそんなの、おもしろくないじゃない。

 黙って飲ませて『うまい!これどこの酒?』って言わせてみたかったんだよなw」

そのために隅っこに隠しておいたお酒を、酔いどれの大田が見つけ出して勝手に飲み始めてしまったのだった。

でも最後のほうは、もう抑えきれない笑みがこぼれていた。

妻夫木はうれしかったのだ。

事情を知らないわたしが、図らずも思い通りのセリフをつぶやいてくれたことが。

わたしは、なんだか胸がわくわくして、たまらなくうれしくて満ち足りた気持ちになった。

妻夫木にぎゅーっと抱きつきたくなった。

妻夫木は、すごい。

妻夫木、かっこいいよ」

と、背中をばしばしと叩いた。

「は?」

妻夫木は、本当に立派な社会人だね」

「なにそれw」

「うん、かっこいいよ」

「わけわかんねぇw」

「こんなにおいしいお酒を作ってる妻夫木は、すごいやつだよ。

 自慢の友達だよ。

 もうたまんないよ。すごいよ」

と、ほろ酔いの頭で語彙がうまく出てこないもどかしさを感じながらも、一生懸命わたしは感動を伝えた。

妻夫木は目を細めて

「おう。サンキュ」

と、わたしの頭をがしがしと撫でてくれた。

それが今回の旅行で一番思い出に残っている出来事だ。

妻夫木はすごいやつだ、と思った。

そして、わたしみたいな平凡な人間と仲良くしている理由が、よくわからなくなったりもした。

妻夫木は、わたしの何がよくて友達でいてくれてるんだろう。

我ながら卑屈だなあ、と思ったけれど、こんなことを考えていると、妻夫木に誘われたというさとしの笑顔が、小学校のころの羨望の念とごちゃごちゃに混ざって、頭の中に霧がかかっているような、すっきりしない重たい気持ちになってくる。

さとしを誘いたかったのは、平野だけなのかな?

さとしみたいな子だったら、きっと妻夫木とも釣り合うんだ、とか意味のわからないことを思った。

こういうことをうじうじと考え込んでいる自分がとてもいやだ。

さとしだって、こんなふうに思われるのはきっと迷惑だ。

そういうことを考えたくなくて、今は仕事をとにかく頑張ることにした。

妻夫木みたいにすごいことはできなくても、自分なりにやるべきことをきちんとこなし続けていたら、いつかはこのもやもやも晴れるかもしれない、と思ったりしている。

次はいつ会えるのかな。

休日はひとりで過ごすことが多く、あまり人を誘うことがないので実は誘い方がよくわからない。

自分から誘ってみれば、何か変わるのかな。

2009-01-08

助けない

大阪の方だっけ、列車内で女性レイプされて、「この人痴漢です」と訴えても誰も助けてくれなかったってことがあったな。

もう誰も助けてくれないって思っておいたほうがいいかもね。

こないだ夜中、歩いていると、若い女が道端でうずくまって(傍には若い男がいて)、「すいません、すいません、助けてください」と言ってきた。

少し考えて、無視。

美人局にでもあったら大変だからね。

むしろ若い男だけだったら助けるんだけど。

女性男性の間にどれだけ女性への不信が蔓延しているのか、知っておいたほうがいいと思うよ。

2008-12-21

友人とぼく

彼と出会ったのは中学生の時。共通の友人の紹介だった。

バスケットボールという共通の趣味もあり彼とはすんなり打ち解けた。

どちらもあんまり上手ではなかったけど、ただただ楽しかった。

特に示し合わせはしなかったけど同じ高校に入った。

願書提出する時にたまたま居合わせて「あれ、おまえも?」みたいな感じだった。

うれしかった。

幸い二人とも合格して同じ高校に入学した。

部活は二人してバスケ部に入った。

彼は3年間通い通し、ぼくは3ヶ月で辞めた。

運動神経がなくてついていけなかったからだ。後は先輩とかとなんか打ち解けられなかった。

今思えば、今後の展開の元が此処にあった。

クラスは3年通して隣のクラス。特に示し合わせがなく同じ理系の道を進んだ。

共通の友人もいたが、お互い別々のコミュニティに入り、少し疎遠になった。

でも通学とかは一緒だったので特に寂しくなかった。

大学。学科は別だったけど同じ大学を目指した。

でも、過程は違う。

彼は元からその大学を選び、私は推薦で別の大学に落ち、失意の中担任に言われるがままに選んだ。

彼は合格、ぼくは補欠合格だった。

同じ年、同じ大学に入学した。

学科が違うので授業とかでも殆ど一緒になれなかった。

でも、通学は一緒だった。

彼はバスケ部に入り、その後ほかの部活に移った。

ぼくは文化系部活学園祭の運営に回った。

高校の頃より疎遠になったけど、それでも一緒にいることは多かった。

バスケもたまに一緒にやった。

一時期一緒のアルバイトをした。彼はそこの創業メンバーで私は途中から参加した。

仕事に関しては特に違いはない。社員の指示で動くというもの。

ちょっと違ったのは彼はマネージャーっぽい感じでぼくはヒラだったこと。

そして、彼は精力的にそこで仕事をし、ぼくは空いた時間にそこで仕事をしていたこと。

これはスタイルの違い。仕方ない。

特に不満はなかったけど1年くらいでぼくはそこを辞め別の場所でアルバイトした。

他意はなかった…と思いたいけど今となってはわからない。

此処でぼくは非コミュをこじらせ鬱に近い状態になる。

2年の頃からだんだん大学に行かなくなった。行っても図書館に閉じこもる日々。

成績はどんどん落ち、挙げ句の果てに留年した。

彼は4年で卒業し、小さな会社就職した。

ぼくは2度目の留年が決まった時、大学を辞めた。

彼は入った会社で持ち前の勤勉さと努力でどんどん信頼を得ていった。

ぼくはハロワで何とか滑り込んだ会社契約社員として入った。

大学で学んだ分野が少し特殊な上、求人も殆どなかったのでそこで仕事をできたのは幸運だった。

しかし、半年して会社に行けなくなった。正確には通勤途中のバスから降りられなくなった。

理由はわからない。降りるバス停付近で頭が真っ白になってパニック状態になり降りられなくなったのだ。

初めて精神科に通い、鬱っぽいのが鬱病になった。

それから3ヶ月くらいして、ぼくは会社をクビになった。

彼は二度目のボーナスを受け取っていた。

彼が勤続数年目を数えていた時、ぼくは両手で数えるくらいの会社をクビになった。

正社員になったこともあるけど殆どは派遣アルバイトだった。

理由は同じ。あるときを境に会社に行けなくなってしまう。

2つめの病院で「適応障害」という診断を貰った。適応に関する障害。社会適応できない…よく言ったものだ。

大学の頃からあったっぽいけど彼には恋愛経験があった。彼女がいた。出会いアルバイトだったらしい。

対してぼくにはれ恋愛経験がない。今でも童貞である。

去年、彼が彼女を紹介してきた。何でかよくわからなかったけど、ある日いきなり「そっち行く」電話かかってきて、車でやってきたと思ったら助手席に彼女がいて訳もわからないまま車に乗せられてそのまま3人でチャーハンを食べた。

二人はつきあって数年していたのに何で今更…という疑問はあった。でもすぐにそれは解消する。

それから程なくして彼と彼女結婚したのだ。

自分のことのように嬉しく、おめでとう、と素直に言った。

ぼくは年その秋、派遣会社をクビになり人生絶望して自殺を図った。未遂だった。

自殺方法がちょっとアレだったので記憶が全くなく連絡したかどうかも記憶にないのだけど、そのとき一人暮らしだったぼくの元へ彼は車で飛んできて色々大変な思いをさせたらしい。

本当に迷惑をかけた…と今でも罪悪感を感じる。

そして今年。

彼は同じ会社で働き続け、上司の信頼厚く先輩同僚にも恵まれている。

ぼくは今年4回仕事を変えた。通算何十社目だろう。覚えていない。履歴書にも全部書いていないし。

そろそろ職歴や年齢の問題で就職も厳しきなってきた。何十社も落とされてやっとアルバイトで、なんて事もあった。でもそこは一日で行けなくなってしまった。

社会適応できない病は自殺未遂後酷くなった。昔は通勤はできたのに今は外に出ることすらできなくなり、部屋に閉じこもってうずくまるだけ。

周囲からは休養も薦められたけど、金銭的な事もありすぐに働かざるえない状況だった。

今年は本当に金銭的に苦しかった。ゲームソフトゲーム機から自殺する時一緒に連れて行こうとすら思った車も手放した。

車が使えない兄ちゃんに引き取られていくのを見て血の涙が出るほどに悔しく思った。

この冬、私は30社近い企業からお祈りの言葉を貰った後、運良く派遣会社に引っかかり就職した。ただし、業種は望んだものではなく「誰にでもできる」「簡単」なもの。

色々と思うことはあるけどこのご時世、仕事に就けただけでもありがたく思う。

とは言え、就業後一週間でまだ一日しか行っていない。風邪を引いたのもあるけど、適応できない病が発動し家から出られないのもあった。

穿った見方をすれば風邪隠れ蓑仕事に行けないでいる、と言うのだろうか。

派遣元派遣先ともに風邪である欠勤ということで理解は得ており、今度の週明けからの復帰で良いと言われている。

社会適応できない病のことはどちらにも言っていない。言えるわけがない。言ったところでいつぞやの派遣会社の若い支店長のように「精神障害者は使えないんだよ!」と言われるのがオチだ。

唯一真実を知る友人からは「そんな事言うのはそのバカだけだ」とお説教を受けているけど、会社の人事とかそういうの人はどこの誰も同じことを言うと思っている。わざわざリスクを背負った人間雇用するわけがないし、援護するわけがない。

精神障害者ゴミのように捨てられる。多分それがこの時代、この国の真実

休職とかあるじゃんって?

そんなのは大学卒業したり、スキルのある優秀な人間にだけ。私のような大学中退スキル中途半端人間には出るわけがない。

精神病んでいてもそれを隠して働かないといけない。そうしないとぼくは二度目の死を選ばなくちゃいけないから。

話は彼のことに戻る。

数日前、彼から衝撃的な話を受けた。

なんと「彼二世」ができたらしい。

そりゃ驚いたし、喜んだ。大切な友人に子供ができたのだから。

だけど…

ここからがこの文章書き殴って言いたかったこと。

私にとって彼は遠くの存在になってしまったと感じて仕方ない。比べてしまう。コンプレックスを感じる。

スタートラインは同じだった。同じ中学、同じ高校、同じ大学。路は微妙に違うけど、共に進んだ。

だけど!

いま!

こんなに状況は違う!

方や大学卒業新卒で入社し順風満帆の仕事生活。プライベートでも恋人がいてそのまま結婚子供ができた。

一方ぼくは精神病んで大学中退し、職を転々とし、今も仕事は安定してできない。

恋人?いないし童貞だよ!

収入の差とか考えたくもない。まさに勝ち組負け組

どうしてこうなってしまったのだろう。

どうしてこんなに差ができてしまったのだろう。

彼は努力家であり、ぼくは怠け者だった。多分それが答えなんだろう。

世間もそう云うと思う。そして彼を称え、ぼくを笑い罵るだろう。

実家の玄関にバスケットボールが転がっている。ドンキで買ったちょっと良いモルテンボール

いつもぼくの車に入っていたボール。最後に使ったのは数年前、6月にしてはとんでもなく暑い日に彼とクーラーが壊れたこの車で「暑い暑い」と笑いながら隣街のコートに行って小一時間1on1やったきりだと思う。

また、彼と、バスケがしたい。

2008-12-17

母ちゃんがいなくなったら・・・と考えてしまった日の事。

大学生です。思うところあって、増田に。

汚い表現?まああるから気をつけてね。

今日昼部屋でゴロゴロしてたら階下から、動物のうなり声みたいなのが聞こえてきた。

めちゃくちゃびっくりして駆け下りたら、母ちゃんがうずくまって一人で吐いてんの。もうゲェゲェと。

一瞬固まったね。

なぜなら、なんか「母ちゃんは無敵」って無意識に決め込んでたから。

今の今まで。母ちゃんが病気になるとは思わなかったなんて、自分でも笑える。いやぶっとばしたいね。

慌てて、バケツビニール袋とペーパー入れてなかにいれて、背中をさすって吐かせてあげた。

飲み会の介抱の知識が役に立つなんて・・・)

食欲なくて朝から何も食べてなかったらしく、でるのは胃液だけ。でも吐き気は止まらないらしい。

どうしようどうしようってパニックだった。20歳でも情けないものだな、現代っ子って。

けど、「母ちゃんならどうしてくれるだろうか?」って考えてようやく頭が冷えてきた。

症状にあわせて、家で看病してくれたり病院に連れてってくれたよな、うん。

50過ぎた母ちゃんが急な頭痛吐き気をもよおしてるんだから、やっぱり病院にいっとくべきだよな。

脳腫瘍とか出血だったらヤバイ!!!

こっちは全身冷や汗。

それなのに、母ちゃんびっくり発言。

「お母さん、病院なんて行かなくても大丈夫だよ。もったいないよ。寝てれば治るよ。」

なんで母親って言う人種自分のこと後回しにするんだろうな。

どう見たって、大人が吐き気を我慢できなくて吐いちゃってるのが「もったいない」ですむはずないのに。

もう強制連行してでも連れて行こうと思ったね。

「今までそんな重い風邪にかかったことないんだから行くよ」っていったらシュンとしてうなだれてた。

強気で言ったけれど、

母ちゃんに厚着とマスクさせて、

床の掃除して、

保険証ミネラルウォーターもって車に乗るのにまた時間かかった。

今まで保険証の場所とか、予備の雑巾の場所とか、母ちゃんの上着の場所知らなかったなんて、本当に笑える。

そんなこんなしてるときでも、

「お父さん(自営業)のお昼ごはんどうしよう・・・」なんていってる。

My オヤツBOXからジャムパンだして、「父ちゃんこれ好物だから」って言って聞かせて、やっと外に連れ出すことができた。

ほっといたら、ふらふらでもご飯の支度してるだろうな。

昭和の女TSUEEEE!

病院先生は懇意にしてるひとで、優先的に見てくれた。

脳の断面図撮ったり、血圧はかったリ、いたれりつくせり。

待ってる間、ふと病院内(個人病院)みてると、母ちゃんくらいの年齢の人が結構来ていた。

でも、すごく具合が悪そうな人でも付き添いがいる人はいなかった。

自分もたまたま家にいただけだから、えらそうなこといえないけど。でもちょっと寂しく感じる。

検査の結果、脳とか内臓とかに異常は見られなかった。

おそらく、血圧の薬(母は高血圧)を飲み忘れたときに、インフルエンザ予防接種をしたり、

孫(姉の子ね。念のため)の世話をして疲れをためてしまったりといろいろ重なってのことのようだ。

点滴して、家に帰って簡単だけどご飯食べさせて、血圧戻す薬飲んだらぐっすり寝れたようだ。

なんともなくてよかった。

情けないけど、本当に嬉しかった。涙でそう。

でも、なんだか心配で、さっきも母ちゃんの部屋に様子を伺いに行ってしまった。

いびきが聞こえて一安心。

親が健康であること。親が長生きすること。

それがどんなに尊いのか。

それが当たり前であることがどんなに幸せなのか。

今回改めて実感した。

親の大切さって、当たり前すぎて感じることができなくなってるんだな。

掃除洗濯・茶碗洗いを進んでやったのは久しぶりだったし、親不孝にもほどがある。

姉ちゃんが子供を産んだとき、「この子のためなら何でもできる。この子が幸せなら私も幸せだろう。」って言ってた。

母ちゃんもうなづいてた。

母ちゃんも自分に対して「何でもできる」って思ってくれてたのかな。

そうだとしたら、自分は母ちゃんに何ができるのかな?

何かしてあげたいな。

できるだけ長生きしてね。

はてなーも母ちゃんと父ちゃん大事にしてくれよな。自分なんかより大事にしている人はたくさんいるんだろうけど。

2008-12-09

風呂掃除

風呂掃除をしてたら、三歳になる息子のタケシが風呂場へやって来た。

浴槽に入って風呂掃除してるオレを、風呂場のドアのところから見つめている。

「濡れるからあっち行っとけよ」

浴槽を磨いた後、浴槽についた泡をシャワーで流す。

浴槽に当たって飛び散るしぶきが冷たい。

もう少しで泡が流れて掃除は終了というところで、急に腹が痛くなった。

どうも浴槽を洗っている時に、無理な体勢をしすぎたらしい。

日ごろの運動不足も祟って腹筋が、つったようだ。

「あいててて・・・・腹が痛い」

その場にうずくまり、痛みに耐えてしばらくじっとしてたら、ようやく腹筋の硬直は落ち着いてきた。

風呂掃除を終えてドアを出ようとする。

いつの間にか、タケシはいなかった。

と、思ったら代わりに嫁がドタドタと走ってやって来た。

「なーんだ、大丈夫じゃない。ビックリした」

「なーんだって、なんなんだよ」

「タケシが台所に走って来て、『お父さんがお腹痛い』って言って泣いてたから、ビックリして走ってきたのよ。」

嫁の言葉に、今度はオレがビックリして嫁の後ろを見る。

嫁のスカートをぎゅっと握って、タケシはボロボロと涙をこぼしていた。

腹筋がつって痛がっているオレを見て、タケシは心配して嫁を呼びに行ってくれたらしい。

オレはタケシの頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめた。

大丈夫、もうお腹痛くなくなったよ。ありがとう、タケシ」

それでもタケシは、泣きじゃっくりで体をひくひくさせながらしばらく涙を流していた。

「私が腰が痛いとか言っても何もしてくれないのに、ほーんとにお父さんは愛されていますねえ」

嫁が捨てセリフを残して台所へ去って行く。

オレはタケシの頭をもう一回くしゃくしゃと撫でた。

いつまでオレを好きでいてくれるかはわからない。

空気の読めない、コミュニケーションもロクに出来ない、使えない会社員

いつの日か、そんな本当のオレを知ったら、子供はオレの事を嫌いになるのかもしれない。

だけど、もうしばらくは、コイツのために頑張らないといけないなと思った。

2008-10-27

帰還者の手記

(ここからは吉良吉影の最後の独白調でお楽しみください)

今日……朝方…夢を見まして…ね…朝起きると家に…アーチャー遠坂凛がいっきに押しかけてきて…わたしが頭を抱えてうずくまってしまう…というものでした………わたし…じぶんがそういう状況になったら…てっきり…喜ぶものとおもっていたんですが…下品な表現でもうしわけないんですが…「失禁」…しそうになりましてね…そこで感じたのは…純然たる…恐怖…でした…自分の受け入れられる…限界を超える状況への…恐慌を…

そういう夢を…連続で…4回…みましてね…手を変え品を変えいろんなキャラクターがいろんなパターンで登場してきましてね…それもこんどこそ現実にもどってきたと思って布団からでる→下に降りる→出くわすというパターンを…”君が望む永遠”の一番めんどくさいことになっている状態のメイン女の子二人がいっきに押しかけてきたりもしました…

完全に…夢から覚めて…したに降りて…うちの親父とおふくろが普通にメシ食ってるのを見たとき…そのときほど…「現実」…というものに感謝したことはありませんでした…ええ…

追記

このあと二度寝したんですが、今度はアイドルマスターキャラが総出ででてきましてね…それも…温泉混浴(しかも全裸)…という全くイミのわからない状況で……ええ…伊織はきっちりツンデレのツンでした…はい…薬の種類を昨日から一種類変えたので…おそらくそういうことだろうとおもわれます…

2008-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20081021183029

ごめん。頭悪いのがここにも居てよく分からないんだけど、

↑で俺の彼女がどうの、って書いているのと、身体がうずく、的発言してるのが同じ人だとは限らないよね。

ちょっと色物話になってるから俺の彼女自慢をしたくなった、

ちょっと頭が可哀想な子がチャチャ入れに来たのかと思ってた。

どっちにしても上の方で女全般うずきます論してる奴は、世界が狭くて頭も弱いっていうのには同意。

http://anond.hatelabo.jp/20081021175329

発情してるからそれでいいんだよ。寧ろ彼女可愛いじゃないか。大事にしてあげなさいよ。

原子だって基底状態と励起状態があるように、発情する相手がいて発情してる時はソレでいいよ。

ただ上の方の増田で、基底状態の女捕まえて、体のほうがうずくとか悪趣味としか言いようがない言い方だよなあと思う。

2008-10-19

物に当たる癖がある

ここ1年、2、3ヶ月に1回あるかないかの頻度で、私は物に当たる。

苛立ちがピークに達し、それが長時間に渡ると、耐え切れずに物に当たり散らしてしまう。

5年以上前が一番酷かった。

そして最近、あの頃に匹敵するくらい荒れている。

今回壊したのは、掃除機ヘッドと、床。壁。

掃除機をかけている最中に突然頭の中が苛立ちで満たされて、

何なのか分からず混乱したまま、握っていた掃除機ヘッドを床に打ちつけた。

ヘッドプラスチックがぱきんと壊れて、パーツが床にいくつか転がって、そこでやっと手が止まった。

その場でうずくまって泣いた。

後から確認すると、床は数ヶ所減り込んで、ささくれだっていた。

壁はカッターで刻んだ。5年以上前にも傷つけた所を、また刻みつけた。

範囲が少し広がって、傷も深くなった。

勢いに任せて壁紙もむしった。

人は呼べない部屋だ。

2008-08-21

セックス

エロ動画に出てくる女に嫉妬する今日この頃。なめらかで柔らかい。画面の中の喘ぎ声に焦燥感。女として消費されることがうらやましくてしょうがない。性行為に耽る男女をただ眺めている。ディスプレイにうっすら映る自分が見えてしまう。ちっ。見たくないものを見てしまった。

ああ、セックスがしたい、と呟く。

と同時にそれが叶わないことにも気付いてゴミ箱を軽く蹴る。

自嘲。女になりきれない女がいるんだ、ここに一匹。

床に散らばった本を踏んづけてしまう。ちっ。薄暗い部屋に気が滅入る。ちっ。買ったけど使ってないドラムセットが恨めしい。ちっ。ぐちゃぐちゃになったベッド、開けっ放しのクローゼット、ほこりが被っているミラー・・・ここで朽ちていくのか。

爆音ベンジーをかける。泣けるわけでも笑えるわけでもない。忘れたいだけだ。小説音楽には肉体がない。醜い肉体を一時「ない」ことにしてしまえるから、だから、・・・床にうずくまってギターの音にそっと寄り添う。

幻想を、くれよ。でなければハンマーで嬲ってくれ。

2008-08-13

家の前で盛大にうんこ漏らした

誰にも言いたくないけど、誰かに言いたいから増田に書く。

先日、飲み会で朝までコースだった俺は、ふらふらと帰路を急いでいた。

前日の内に飲んでおいたウコンのおかげか、気持ち悪さはそれほどでもなかったが、ただ酒はまだ残っており世界は若干歪んでいた。

その歪んだ視界にふと入ってきたのは一件の松屋だった。普段、俺は飲み会帰りの牛丼とかラーメンとかはついぞ食ったことがない。

というか、飲んだ後の胃袋にそんなもん入れたら確実にリバースする。

ところが、その時の俺はどうかしていたのだろう。

そんなに腹も空いてないというに、松屋へと入った。店内は浮浪者風の人や、朝まで働いたのか疲れた顔のガテン系が数人いる程度だった。

そして、目の前に届く牛めし並と味噌汁。一口目で無理だと悟った。ここで諦めればよかったのだ。しかし、その時の俺はどこかおかしかった。結局、完食はならずも、八割は食べ、松屋を後にした。

腹もふくれ、俺は意気揚々と家目指す。そのために愛機のYF??20(チャリ)を停めた、パチンコ屋に向かった。

しかし、ここで痛恨のミス。そのパチンコ屋は営業時間が終わると店舗前に駐輪してある自転車を全て地下の駐車場に入れ、その上で駐車場シャッターを閉めるのだ。恐らくは、俺のような店を利用しないくせにチャリだけとめるような奴対策だろう。おれはこのシステムを完全に失念していた。

シャッターの前で五分ほど、orzとなっていた俺はその後の対策を練った。

ここから家まで歩くのはめんどい。しかし、パチンコ開店まではゆうに二時間はある。

悩んだ俺は、結局近くの公園で仮眠を取ることにした。7月も下旬、とりあえず死ぬことはないだろう。

近くの公園でいい感じのベンチを見つけた俺は、ウホッいい男、と声を掛けられやしまいかとドキドキしながら眠りに着いた。

今思えば、おとなしくタクシーで帰ればよかったと切に思う。どれ程、時間が経ったのか正確には分からないが、一時間くらいだったと思う。俺は突然、声を掛けられた。

阿部さんキターーーーーーーーとかは思わず、ただ驚いて目を開けるとガテン系のあんちゃんがそこにいた。

どうやら彼の話によると、俺の寝ていたベンチは前日のイベントで使われたものだったらしい。よく見ると寝る前は設営されていたテントとかもきれいに片付けられている。そう、このあんちゃんはイベントの片付けの業者だったのだ。事情をはあkした俺はサーセンwwwフヒヒwwwとか呟きながらその場から逃走。今度は公園備え付けのウホなベンチを再び見つけ、そこで睡眠を再開しようとした。

ところが、

さっきまでの爆酔っぷりはどこへやら、全然眠れない。それどころか、ここへ来て気持ち悪さもMAXで、こみ上げてきたものを横になりながら俺は嘔吐した。なんというサルトル。いや、本当にやばかった。それに加え夏の朝の爽やかな風が腹に当たったのか、急に腹も痛くなってきた。おそらくは飲んだ後、弱った胃腸牛めしとか押し込んだのもあるだろう。こりゃ、やべぇ、、無理だと判断した俺はYF??20(チャリ)の回収を断念、タクシーでの帰宅を決意した。

交差点で拾ったタクシー、運転手は初老の物腰やわらかな男性だった。家の住所を告げると、車はすべりだした。

ところがここで試練が訪れる。夏の朝から蒸す日、おそらくは運転手の気配りであろうが、車内の冷房はかなり強めである。

腹部へと直撃する冷風。もはや我慢の限界だった。結局すこし、でた。

あぁ、と思いながら被害を最小便に留めるため俺は括約筋をフル稼働させた。程なく家に到着、1130円を投げるように払った俺は自宅であるマンションへとダッシュした。


今思えば。

この間違い続きの朝で、あのダッシュが一番の間違いだったように思う。

なぜ、あの時冷静になれなかったのか。腹部に刺激を与えず、ゆっくりと歩けば助かった命だった。

あるいは最悪、人目に付かぬ場所でことを済ますことだって出来たろうに。

なぜ、それらができなかったか。悔やんでも悔やみきれない。

その後、高校の時の体力測定以来のダッシュでマンションエレベーターまでは辿り着いた俺は、もう限界だった。

すべてが終わり、始まろうとしていた。しかし、それでも俺はそのエレベーターに乗るしかなかった。それしか出来なかった。

自分の階のボタン押し、上昇を待つ間、とうとうそれは来た。上がっているのに、下がってきた。

ニュルンベルク

そして、一度堰を切ったそれらは留まることを知らず、まさに濁流のように押し寄せてきた。

エレベーターから自宅前、そして自宅トイレへと続くその道はシャイニングロードと呼ぶにふさわしく、金色に輝いていた。

湧き上がってくる香りは、完全に牛めしのそれだった。

絶望孤独。全てを出し切った俺にはこの2つだけがのこった。

その後、20分ほどトイレうずくまった俺は、さすがにエレベーターから廊下から家の中まできれいに掃除した。

泣きたくなった。早朝だったので人に見られてない(多分)ことだけが救いだった。

まさに人生最大の汚点。しばらく牛丼は食えない。


まぁいろいろあったけど、それでも元気に生きてます。

2008-08-04

中学生の頃、父が大嫌いだった。

おしゃべりでお調子者で背が低く威厳のない父を軽蔑していた。

まぁ、これぐらいの年頃の娘にはよくあることなんだけどさ…

母が若くて綺麗(父と母は20歳差)な分、余計に父が疎ましかった。


中3の夏休み、夏期講習のあと、

友人とマックで喋っていて帰りが少し遅くなった(22時ぐらい)。

電車の中は席は全て埋まっており、酔っぱらいが多くてイヤな感じ。

あと4駅ぐらいで地元の駅に着く頃、ドアの付近で女の人の叫び声があがった。

「や、やめてください!」

「なんだぁ? 俺が痴漢だってのか!」

バシン!

「え?」と思って見ると、背が高く、ガッシリしたチーマーっぽい男が女の人を殴っていた。

「や、やめろよ」と他の男性の声がしたが、それもドンとかバンという音がして消えた。

「ふざけんな、てめぇら! おら、文句があんなら来いやぁ!」

と、チーマー風の男は怒鳴り、

殴られた女の人はその場にうずくまって泣いている。

(うわーヤダなぁ、関わりたくないなぁ、誰か止めてくれないかなぁ)

と、私はうつむいて気配を殺していた。

他の乗客も私と同様に関わりたくないオーラを出しながら見て見ぬふり。


「おいおいおーい、ダメだよー女の人殴っちゃー」

…父の声だった。父が同じ車両に乗っていたのだった。

父はいつもの調子の良い感じでチーマー風の男に近づいていく。

(っ!? 馬鹿親父! 余計なことして怪我したらどうすんの?)

「あ? なんだ、おっさん? やっちまうぞ、おい?」

「まぁまぁまぁまぁまぁ、とりあえず静かにしよう。な? な? な?」

「なめんな、ごらぁ!」

(やられる!)と思った瞬間、動きが止まったのはチーマー風の男だった。

ゆっくりと倒れ込んでいく男の片腕を取った父はニコニコ笑顔のままで

「はーい、もう大丈夫ですよー。

 次の駅で降ろしますので、証言ご協力お願いしまーす」


殴られた女性、チーマー風男が痴漢していたという証言者2人、

殴られた男の人、その駅で降りるから証言するという人3人ぐらい、

そして、私が次の駅で降りた。

「お父さん!」

「ええーっ!? ○美、おまえ、乗ってたのぉ??? あっちゃーまいったなぁー」

その後、取り調べなどで2時間ぐらいして、

結局、私は父といっしょにタクシーで帰った。

タクシーの中、父は大まじめな顔をして

「お母さんにはお父さんが暴れたこと、絶対に内緒な、な?」

「…あの人になにしたの?」

「ん? いや、パンチなんて10cmからの至近距離でもいけるもんなんだよ。あははは」


その後、私は母に聞いた。

「お父さん、昔は怖かったのよぉー。

 でもね、お付き合いする時、お母さんが条件出したの。

 『下品な言葉遣いしないこと、怖い顔しないこと、暴力をふるわないこと』

 お父さんがずっと約束守ってくれたから、お母さん結婚したのよ」


この事件以来、私は父が大好きになり、

父のような人と結婚しようと思うようになりました。


お父さん(;´Д`)ハァハァ


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