2009-07-24

夏休みが嫌いだった

わたしは夏休みが嫌いだった。

わたしにとって家は心休まる場所ではなかったからだ。

学校に行けばいじめられた。でも、家のように痛い思いはしない。だから家より学校のほうがマシだった。放課後には解放されるんだし。

夏休みになればずっと家にいることになる。休みが明ける前に死ぬかもしれないと思っていた。

夏休みタイムテーブルはこうだ。

朝6時におきて、自分トーストを焼いて牛乳を飲む。母は夜の勤めをしていて、この時間は起きてこない。

ゴミ出しをして宿題をする。

10時を過ぎたころ、8歳下のきょうだいが起き出す。

昼ごはんは母の内縁の夫が用意する。そして母と内縁の夫はパチンコに行く。わたしは幼児と二人きり。

昼ごはんを食べ、オムツがなかなか外れなかった幼児オムツを替えて、遊び相手になりつつ夕方になる。

母と内縁の夫が帰ってくる。母はわたしと話す間もなく用意をして仕事へ。

内縁の夫は夜ご飯を作る。そしてまた出て行くときもあれば、家に居てわたしを些細なことで怒鳴り、殴り、踏みつけにしては実子(幼児)を可愛がった。

内縁の夫が野球中継を見る。あるいは、幼児が何かビデオを見る。そのどちらもないときだけ、わたしは好きな番組が見られる。

そんななので、学校クラスメイトが話すテレビの話題がまったくわからなくて悔しかったっけ。

風呂に入り、9時には就寝。

でも、気が抜けない。内縁の夫は何か理由を見つけてはわたしを布団から引きずり出してボコボコにする。

いつも頭が腫れて痛かった。髪を洗うのが苦痛で仕方なかったけど、学校で「くさい」と言われたくない一心で必死に洗った。

寝る前に、毎日「明日は殴られなくて済みますように」と祈っていた。聞き届けられることはなかった。神なんていなかった。

ちょっと気を抜いた瞬間、よくわからない理由で拳が振るわれる。生まれてこなければ良かったと思った。

その生活が高校入試直前まで続いた。

内縁の夫がいなくなって、しかし8つ下のきょうだいは残った。

わたしは志望校合格し、もう家の中で怯えなくて良くなった。

友達は出来たけど、みんな家族と仲が良かった。思春期特有の衝突はあるものの、根底にはしっかりと愛情が根付いているのが見てとれた。

みんなの「家族が嫌い」とわたしの「家族が嫌い」は違うんだと気づいたら、もうおしまいだった。

母はわたしを助けてくれなかった。姉は家に寄り付かなかった。8つ下は、幼児特有の残酷さで嘘の報告をし、わたしが殴られるのを見て喜んでいた。何より、成長するにつれてあの男に似てきた。

どうしてわたしだけがこんな理不尽な目にあわなきゃいけないんだ、とはっきりとは言葉にできなかったけど、そんなかんじ。

わたしは病んだ。

精神病院を出たり入ったりを繰り返し、いつの間にか精神科に通うことも薬を飲むこともなくなった。

信頼できる男性結婚できて子供に恵まれた。

幸せ家族を作るんだ、と思った。

でも子供を産んだとたん、忘れていた記憶がよみがえった。

わたしがされたのは、あれだけじゃなかったんだ。

誰も助けてくれなかった。先生に訴えたこともあったけど、しつけの一環だと言われた。

おじいちゃん、おばあちゃん? わたしをしつけの悪い子だと思っていたようだ。

ご飯は、朝は自分で用意しなきゃいけなかったけど、昼と夜は食べさせてもらっていたと思っていた。

実際にはパチンコに負けたからという理由でご飯抜きにされていた。

高熱が出て早退するとき、学校から迎えに来てくださいという電話を受けて、あの男は「歩いて帰って来い」と言った。

片道45分を自力で帰ることはできず、途中で道端にうずくまっていたところを親切な女性に車で送り届けてもらった。あれが変質者だったらと思うとぞっとする。

運動部に入れといわれたから入った部活では「ユニフォームや道具が高い、陸上部だったら体操着で行けたのに」とか文句を言われて、大会のとき以外で道具を使うことは許されなかった。顧問の先生にはちゃんとしたシューズを履けと言われた。

水分補給をしっかりしろと顧問の先生は言っていたけど、わたしが家から持ち出せるのは500ミリペットボトルくらいのサイズしかない水筒一個分のみだった。

幼児のほうは家にある一番大きな水筒を持って幼稚園に行っていた。

それと、あの男が家を出ることになった事件。

8つ下は父親がいなくなって泣いていたけど、わたしはちっともかわいそうに思えなかった。「○○はお父さんがいなくなってかわいそうなんだから」「あの子は私生児なんだから」だから何? どうしてわたしより優先されるんだ?

わが子はかわいい。

でも、時折ひどく嫌になる。

「わたしは愛されなかったのに、どうしてこの子は両親にも祖父母にもちやほやされちゃうんだろう」

つまりただの嫉妬だ。

それはわかっている。そんな思いに支配されてしまえば、わが子にも暗い子供時代を送らせることになるということも。

だから必死で踏ん張っているけど、でも、我が儘を言って泣き喚く子供を見ていると、不意に黒い衝動が湧き上がる。

子供夏休み長くていいなー」なんて言える夫も憎い。

虐待ニュースを見て、「なんでこんなひどい事できるんだろうねえ」なんていう義父母さえも憎い。

この憎しみを家族に向けてしまう前にわたしが死ぬことが、わたしが家族にできる唯一の貢献ではないかと思えるようになってきた。

この記憶が消えない限り、わたしは家族に笑えない。

  • http://anond.hatelabo.jp/20090724183703 よくがんばって生き延びたよ。大変だったね。虐待は連鎖する。なぜなら虐待されて育った人は「子供の愛し方なんて知らない」から。でも、元増田は大丈...

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