はてなキーワード: dvdとは
これには乗客が顔を判別可能な状態で映っている。
乗客すべてに許可を取ったということはないだろうから、無許可で掲載しているのだろう。
こういったケースはプライバシー権の侵害に当たらないのだろうか。
これが問題にならないとしたら恐ろしいことだと思う。
勝手に写真に撮られてネット上に載せられると思ったら、不用意に外に出れないじゃないか。
d:id:jkondoや同様の行為をしている人は速やかにモザイクなど顔を判別不可能に加工したものに差し替えるべき。
*追記*
勝手に写真をネット上で公開されて、多くの人に宣伝される恐怖。
の指摘でたしかに元ページにリンクをしたのは問題だったかもしれないと思ったのでリンクを削除した。
名前が紐づけしてない写真とされている写真は別という認識。ストリートスナップはされてないからなあ。ただ、最近のマスコミはぼかしているのが多い
名前が紐づけされているかどうかで違うというのは同意。
ただ、されてなければ問題ないと思わないのは、その人を知ってる人には見ればわかるから。
じゃあアイドルのライブDVDの観客席は全部モザイクかけなきゃ。あとテレビのニュースで街の風景を流すときもモザイクかけなきゃ。
これも同様に問題。発売/放送前に編集するべき。
指名手配とかそういうんならともかく、んなもん恐怖か?
どうでもいいって人も多いだろうけど、知らない所で自分の写真が公開されているのは気持ち悪い。
私だけじゃなくて、そういう人は少なくないだろう。
isiko_ym's bookmarks on del.icio.us
私もこういうふうにアップされたら嫌だし、知合いが私の写ったショットをネット上に置いてるのも本当は嫌。「何か問題ある」と聞かれても特別理由ないから言わないけど
気持ち悪いとか、個人的に嫌だってだけでいいと思う。
プライバシーの問題だから自分で制御できていいはず。
平成9年から営業していた川崎ルフロン9Fの紀伊國屋書店が1月31日をもって閉店していた。
オレが生涯でもっとも多くの本に親しんだ場所。オレの貴重な「思考する場」の一つだった。
*はてな「思考する場」とは 時に壮大な妄想にふけったり、記憶のあれこれを整理したりするところ。
主にお風呂場やトイレなどで、作家にとってなくてはならない場所。
だがオレは一昨日(2月18日)まで紀伊國屋が閉店していたことに気づかなかった。
今でも信じられない。
*はてな「一昨日のオレ」 4日ぶりに外に出た
なんでイエローサブマリン(9Fにあるディープな玩具屋)に行ったときに気づかなかった?
そこに紀伊國屋の閉店を告知するかんばんが立っていたはずだ
だがオレは読まなかった
まさかあそこにあんな重要なことが書いてあったなんて・・・。
オレの大好きなライトノベル、「キノの旅」や「しにがみのバラッド」、「とらドラ!」「狼と香辛料」と出会ったのもここだった。
最後に買った本は「狼と香辛料 VI」と「GLITTER」かな?
立ち読みだけじゃなくて買っとけばよかった
約10年か、もっと昔からあった気がするよ
最近、忙しくて、そして嫌なことばかり続いて、部屋にひきこもってばかりだったのがいけなかった・・・。
ひきこもってなかったら、もっと早く閉店に気づいていたのに
もっとながく紀伊國屋にいれたのに・・・
紀伊國屋がなくなったなんて信じられない
そうやって買ってもらった本の数々が本棚からこちらを見ている
川崎駅前もずいぶん変わった。ラゾーナ川崎が駅前を大きく変えた
現在「あなたのウェアハウス」がたっている場所にあった、いつ潰れてもおかしくなかったコジマがあっただけだ
*はてな「川崎のあなたのウェアハウス」とは コジマの跡地に建てられた廃墟ふうの大型ゲームセンター。
子どもは入れない。かんばんの女の子が何気に可愛い。店内は中国!
*はてな 「オレの記憶力」 川崎駅前の錆びてボロボロになったナショナルの乾電池の自販機はいまどこにあるの?
わすれがちだが、ラオックスだってあったんだぜ
現在のウェアハウスの前にある大通りの坂道をまっすぐ行くとそこには桃源郷がある。
そして親子は道をまっすぐ進み川崎温泉(そんなような名前の銭湯)を目指す
オレの記憶の中には陸橋をくだってまっすぐいった先には銭湯がある。
細かい道は忘れたが、とにかくあの坂の先をまっすぐいった先には銭湯がある!
一昨日、親父とケンカした。
ケンカといってもオレが一方的に殴っただけだが…。
オレはおもむろに近くにあった椅子を持ち上げた、そのとき親父は自分に椅子が投げつけられるんだと思ったみたいで
その時の恐怖に歪む親父の表情が頭から離れない・・・。
そんなオレも今月20歳になった
飲んだくれになった親父とはもう全てが合わない
<< 川崎温泉にもいつの間にかたどり着けなくなっていた >>
昔はあんなすごいのじゃなくて
モザイク式のかんばんだった。
モザイクでピンとくるかなぁ?
サイコロみたいのが壁に埋まっていて
まるでルービックキューブの面をそろえるように四角いドットがカクカク動いてかんばんが変化する
「カッ!カッ!カッ!カッ!」
「・・・」
「カッ!カッ!カッ!カッ!」
一定のリズムで、お決まりの音とともに、今日の天気とか競馬情報とかを表示するんだ。
ドットがいくつか欠けててね。そこだけ動かないんだ
エスカレータを下っていくうちにかんばんが角度的に見えにくくなって、緑色とかオレンジ色が目立つんだ
「カッカッカッカッ」というかんばんが変わるときに発する音
いまでも鮮明に思い出せる
<<< 昔の川崎駅前といえば西武百貨店とさいか屋のツートップ >>>
ドリキャスもってなかったけど、買いそうになった。あれ、限定版のパッケージめっちゃでかいんだよなぁ
たぶん今でも売れ残ってると思うわ
紀伊國屋がなくなったおかげで、ますますあのビルに行く理由もなくなった
1Fから4Fのヨドバシにはこれからも行くだろうが、それより上の階はFrancfrancに行くぐらいか・・・
紀伊國屋がなくなったおかげで、ますますあのビルに行く理由もなくなった
オレにとっての今のさいか屋のようにあのビルにも行かなくなっていくだろう
エスカレーターのところにあるキティちゃんのポップコーン製造機で何回つくったことか
オレは塩だが、弟はバターなんだよな
最後にさいか屋におとずれたときにはまだあったキティちゃんのポップコーン製造機ははたしてまだあるのか...
もっとローカルネタになるとヌマヤの屋上のゲームセンターでオレは常連だった
じいちゃんと週に2回以上、遊びにいったよ
アフターバーナーをやりまくった(一回50円)
あれは、なぜか最後までクリアするとコンテニュー用に投入しておいた50円がどっかいっちゃうん・・・だ。
*はてな 「ヌマヤ」とは 今では普通の服屋。当時は玩具屋もあった。じいちゃんと出かけたときの昼飯はいつもヌマヤのラーメンである。
現在のCDショップは、少し前までは大人向けホビーショップで、その昔は普通の玩具屋だった。
子どもだったオレには、そのディープ感がある品揃えには満足できず
もう一つの玩具屋によく行っていたよ
一時期、その玩具屋の前にプラモ屋までできた。すぐになくなって服屋にかわった。
スカイパークという屋外の遊び場もいつの間にかなくなってたなぁ
滑り台付きジャングルジムを何個もひっぱってきてつなげて
よく要塞とかつくったなぁ(はた迷惑なこどもだ!)
はてな 「スカイパーク」とは 正しくはスカイコートであり、現在もしっかりと川崎Be、5Fに存在する遊具施設である。
駅ビルに買い物に来たママさんたちはここに子どもたちをあずけ、買い物や社交にはげむ
今では駅ビルの5Fは文房具屋によるだけ
6Fの有隣堂に寄るためのただの通過点になってしまった。
P.S. 楽器屋はいつまでもそこにあってください。友だちがこの前ハーモニカを買いました。
それほど、川崎駅前周辺はオレの生活の一部、テリトリーだったってわけよ
神さまもしっかりと見ているようだ。東口が廃れる番がやってきたのだ。
オレは記憶を文章にすると、忘れる癖がある。昔の駅前の雰囲気や思い出も、そう遠くない未来に忘れてしまうことだろう
<<<で、昨日、スーパー「しりげや」というのが気になって>>>
「かんなぎ」というマンガが読みたくなったんですね。そいで川崎中の本屋をまわったんですよ(ラゾーナを除く)
*はてな 「しりげや」とは スーパー「しりげや」のテーマも歌えます!
どこにも売ってないっす
そもそもコミックREXのコーナーが見つからない
4巻は売ってるのに!!
これが紀伊國屋だったら話は違った
オレは紀伊國屋書店でのREXの位置は把握している
明日、おとなしく川崎のアニメイトで「かんなぎ」を一巻から買いに行こう。
友だちがバイトしてて行きにくいんだ。
え?ラゾーナには行かないのか?って
オレの親父はラゾーナで働いてるん だ。
ヒモといっても単に生活費を同棲している彼女に賄ってもらっています。
僕は寄生目当てに彼女に近づいたわけじゃありませんし、四ヶ月前まで僕も働いていて折半でした。
休日は他とあまり変わらないと思うので、平日のことを書いてみます。
・朝
一週間に二回は五時半に起きて洗濯機を回してまた寝ます。干すのは彼女。
七時ぐらいになると目覚ましか彼女が起こしてくれて一緒にトーストを食べます。
その間、僕は夕食の時に使った食器を洗ったり、テレビを見ながら歯磨きします。
・昼
月のお小遣いを貰っていて、その中に昼食代も含まれているのですが
本やゲームを買ったり映画を見たりしたいので、滅多に食べません。
彼女には昼は小説家になるための創作活動をしてることになってて
そもそもそれが理由で仕事やめたのですがネットが常時接続だったりで
週にニ、三回は掃除をします。汚れてると、彼女の機嫌が悪くなります。
・夜
夕食代はお小遣いとは別途に貰ってますが、ほとんどお小遣いみたいなもんです(笑)
冷凍食品だったりします。美味しければ良いのだ!
平均八時ぐらいまでに彼女が帰ってきてご飯を食べて、
どーして世間の非オタク(というよりも打ち込む趣味のない人)は、
会社から帰った後の時間=ヒマをもてあましている時間と思うのか。
こっちはツタヤ100円レンタルで山ほどDVD借り優先順位をうきうきつけつつ
夕食を作り、食事を摂り、片付けをして、楽しくテレビで映画を堪能して
パソコン立ち上げたら「5時間メールの返信が無い」という文句。
うざい。世間の女子高生はこんなのをやりとりしてるのか。たいしたもんだ。
いい年して「期待してないけどやっぱり返信無いと悲しいです、迷惑ならやめるよ」
ってもうあんたそのセリフ何度目だよ。
「返信期待しないなら、送ってもいい」っていってるじゃんか。期待すんな。
つか週五日間×八時間顔合わせて仕事してるのにそのうえプライベートでもあんたの面倒ですか。
……後輩のお守りって疲れる。
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
====================
「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
====================
カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
====================
例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
=========================
今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
=======================
こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
============================
この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
====================
「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
====================
ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
=====================
しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
====================
何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
====================
「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
====================
「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
====================
人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
====================
―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
====================
彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
====================
□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
==================================
問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
======================
「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
====================
アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
====================
億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
====================
ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
=========================
成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
====================
この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
=====================
格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
=====================
カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
====================
アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
====================
冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
====================
今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。
さて、この時期になると年間ベストテンみたいな企画を個人的に楽しみにしているサイトやブログ主がいると思う。私も自分で選出するのが楽しみだし、人のベスト作品を見て回るのも大好きだ。
ところが、そうしたワクワク感を記事の中で損なっているのがアフィリエイトである。一つの作品を紹介する度に広告然と文章を分断するアフィリエイトが、テレビの山場CMみたいで不愉快極まりない。紹介してたくさんの人に読んで観て聴いてほしいのはわかるが、ひどいところになるとちょっと引用した本や言及した映画等のアフィリエイトまで出てくる。こういうのはいっそサイドバーかなんかにまとめて欲しいなと思うんだが。その後の記事に目を通す気が失せる。お前一人ごときが読まなくても構わないって言われても、そこまでして広告を貼るブログ主には浅ましさしか感じない。アフィリエイトに肯定的な人でも、記事の途中の広告を読みにくいと思う人はいるだろうし。
けど表立っては言えないよね。今はほとんどの人がアフィリエイトをやっているわけだから。だからこそ私もここで書いているわけだしね。
別にそれでいくら稼ごうが気にしない。どんな大手でも月々の収入なんて数百円とかくらいでしょ。でも、それがたくさん集まれば、そこそこの金額にはなるかもしれない。10の大手サイトがある本を紹介してアフィリエイトによる収入がそれぞれ1000円あったとすれば、全部で1万円。これがそっくりそのまま作者に還元されるってんなら私はよろこんでアフィリエイトを利用し、積極的にアフィリエイトで本を買うだろう。でも作者に入るのは原稿料と印税だよね。もし作者のサイトがあって、そこで自分の作品を紹介してたら、そこを経由して買いたい。レビューサイトの広告なんて誰が利用するもんか。でも私はアフィリエイトをしているという矛盾。はっきり言おうぜ、小銭が欲しいと。あわよくばそれで読書代を賄いたいと。
あれほど多くのサイトが面白いと持ち上げてそこそこ売れた本があるとしよう。実際、大手のレビューサイトが某マンガを取り上げて、結構売れているって話も耳にした。ニュースサイト系を中心としたマーケティングが存在してるんじゃね? と訝る声もある。もちろんそんなもんはないだろう。そうして売れた本があったけれども、続刊についてはほとんど言及しないってところも多い。1巻、2巻あたりは周囲を巻き込んで、あたかも多くの人が注目しているって錯覚を起こしたかもしれない。いろんなサイトを見て回っていれば、それがごく一部の盛り上がりでしかないことも察しがつくが、多くの人が毎朝見るテレビはこの局と決まっているように、毎日見るニュースサイト・レビューサイトはここ、という人にとって、その盛り上がりが全てだろう。
でも、いつの間にかその作品の言及は減り、なくなっていく。残ったのはアフィリエイトによる収入と、なんでこんなのに入れあげてたんだろうかという黒歴史。黒歴史は言いすぎか。アフィリエイトでその本を購入した人たちには、何が残るか。楽しんだからいいのかって? もし作者にアフィリエイトの金が入っていれば……とその時私は思うのである。
アニメ製作者の低賃金を嘆く傍らで、アフィリエイトでアニメのDVDを勧める。紹介料で潤うのはレビュー・紹介文を書いたサイト・ブログ主でしかない。1本のDVDを買って入る紹介料なんてたかがしれているとはいえ、なんとも言えん不快感が伴う。まるで製作資金を中間搾取している広告主みたい。いや、繰り返すけどアフィリエイトで稼ぎたい人はそうすればいい。ただやり方をもう少し控えめにしてほしいという話である。記事の最後にまとめるとか。それだと効果がない、というのならば、そもそもなんのためにアフィリエイトをやっているか自問すべきだろう。本音を言えよ、本音を。
レビューサイトなんてたかが素人の戯言だ。数が集まれば、そこそこの効果はあるとは思う、でも結局それはアンケートのひとつでしかない。あまたある作品の読者アンケートのひとつでしかない、ほとんど埋もれるし問題にされない、重要なのはレビューの内容ではなく、レビューした人の数である。俺のレビューが作者や関係者に届いたら……、なんて妄想に過ぎない、そんな夢は見ないほうがいい(現に届いてしまった経験を持つ人もいるけど、だからといって作品の方向にけちをつけるような野暮なことはしないだろう)。
対価なんて求めるな。ネットでレビュー書いてアクセスが集まってニュースサイトで紹介され、はてブがたくさん付いて、コメントがたくさん集まって感想のメールまで来て、それ以上何を求めるの? 多くの人に読んでもらって心を動かした、十分な報酬じゃないか。対価が欲しいなら、雑誌社とかにアドレス売り込んで書評とか依頼されるようになればいい。アフィリエイトをやるならもっと慎ましくしてくれ。お前のレビューなんてクズも同然なんだ。そんなもんに商品価値なんてあるわけない。
読むほうも読むほうだ。素晴らしいレビューは確かにある。それで買った本も私はある。けれども、敬意を表すべきは作者であってレビューの書き手じゃない。アフィリエイト収入が対価というなら、それこそ作者に寄付しろ、アフィリエイト収入を得ている時点で、作者に対する敬意なんてないんだよ。
あなたのそのレビュー、批判に評論にしろ、作者への敬意が感じられるものですか?
私も人だ、気が向けばそれなりに世話を焼いたりすることがある。
しかしそうすると、あれこれあれこれと頼られるようになり面倒だ。
人生相談ならまだしも図書館がどこにあるかぐらいは自分で調べなさい。
コスプレの写真は撮るけれども、私の持ってるDVDをコピーしてとか言うんじゃない。
私には頼るな頼るなと口を酸っぱくして言うのだが。
毎回のように世話を焼けない人が気まぐれで世話を焼いたりするのは無駄な期待をさせて尚たちが悪いのかもしれん。
多くの場合は頼まれて断ることを繰り返すならば、そもそも頼まれないように面倒を全く見ない方が良心的か。
いやはやしかし如何としたものか。
面倒だ面倒だ、人付き合いなど一日に二三人に会えればよいと言うのに。
ああ、面倒だ。円滑な人間関係が七面倒だ。
http://anond.hatelabo.jp/20071127112923
その割にはクリエイターの皆さんが法外な暮らしをしてるようには見えない。豪邸とかプライベートジェットとかボディガードとかってまず聞かない。せいぜい靴を沢山買ってるとか、正月にハワイ、程度かな。
これってごく普通の一般庶民の認識だと思うけど、だとしたら「どこかで誰かが搾取してる!」とか、「不必要に長い流通が末端価格を・・・」って思うのは当たりまえじゃないかな。
やっぱ再販制度が・・・放送法の規制が・・・とか詳しく知らずに、そういう既得権を持ってるヤツラが得してるに違いないって思うよ。レコード会社の利益率はあんまり高くないだろうな。薄く儲ける業者が何十層もあって、監督官庁から天下りするための団体もごっそり・・・というイメージですな。いや、全然知らないけどね。
時機を逸した感がありますが内閣府による「有害情報に関する特別世論調査」について。例の「子供ポルノコミック『規制対象とすべき』が86.4%」の件です。とりあえず、二次元を規制対象とするべきかという質問に的をしぼって。
調査資料を見てみたんですが、「規制することのデメリットが説明されていないからダメなんじゃないの?」という疑念がモクモクと湧き上がります。つまり、回答者(の一部)にとっては「世界に良いことが起こるかもしれないボタンがあります。これを押しますか?」という程度の質問と同値だったのでは。
更に、元から「有害情報」と題している点で、回答者に予断を与えるんじゃないのかという突っ込みどころも。
アンケート調査のこととかよく知らないけど、世間的にはこういうやり方って詐欺・ペテンって言うんじゃないかな、という感想。
以下、有害情報に関する特別世論調査(平成19年 9月) 公表資料(http://www8.cao.go.jp/survey/tokubetu/h19/h19-yugai.pdf)から引用
【資料7】
現行の法令では、実在しない子どもに対する性行為等を描いた漫画(コミック)や絵(イラスト)な
どは、規制の対象となっていません。
これに関して、実在しない子どもを描くのであれば、他に害を及ぼさないため、現行のままで問題な
いとの意見があります。一方、これらコミック等が児童を性の対象とする風潮や児童に対する性的犯罪
を助長するとの意見もあり、実在する子どもの写真やDVDなどと同様に規制の対象とすべきとの意見
があります。
〔回答票22〕このような漫画(コミック)や絵(イラスト)を規制の対象とすることについて
どう思いますか。この中から1つだけお答えください。
「対象とすべきである」58.9%
「どちらかといえば対象とすべきである」27.6%
「わからない」4.5%
「どちらかといえば対象とすべきではない」6.6%
「対象とすべきではない」は2.5%
http://www.nicovideo.jp/static/festival/
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3ヶ月ぶりの実家だったが、80手前の祖母がなにやらおかしい。
老いとはそういうものなのかもしれないけど、全く空気が読めなくなっているし、
昔の祖母なら発言したことに後悔したであろうようなことも平気でいうようになっている。
例えば、他の親戚方に対して自分が不条理な取立てに払ってしまったお金について話して涙ぐんでいる。
昔の祖母ならみっともないだとか恥や外聞を考えて自分のうちに留めておくようなことだったと思う。
しかも一番忌み嫌っているはずの親戚の前に自分のプライドで黙っていたことを話している。
他にも私が絶対に話さないで置いて欲しかったことを一番伝えてはいけない人に早々に話してしまう。
それに関して問い詰めるとどうしようもない言い訳を始める。仕舞いには話しておいてよかっただのといい始める。
そのドラマは祖母がみたがっているからと思い私がDVDを買って渡したものだ。
そのことをいってみると、祖母は私にドラマの説明を始めた。
「いっしょにみたでしょ?」というと「・・・そうだったねぇ・・・」というような反応。
それから私はずっと違和感の中にいます。
空気を読めていないのは私の方になりつつあります。
ドラマのことも指摘しなければよかったし、絶対に話して欲しくないことは祖母に話すべきではなかったのでしょう。
いままでたくさん話してきた祖母がボケではないと思うけど変わってきている。
とても悲しいし自分もいずれそうやって自分の間違いに気づくことができないように脳が鈍化していくのかもしれません。
なんとなく話す人もいなかったのでここに書いてみました。
原作のシナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。
また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。
やたらと自然が多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。
代わりに「売地」が写される。
【女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」
………。
【女の子】「わたしは…」
【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」
【女の子】「………」
そう。
何も知らなかった無垢な頃。
誰にでもある。
【朋也】「ほら、いこうぜ」
最後の地の文が抜けている。
何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子。
自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子。
ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論。
ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。
ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。
母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。
アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。
少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。
けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。
俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。
その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。
そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。
それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。
まるで殻に閉じこもっていくように。
今と過去との接点を断ち切るように。
突き放すならまだ、よかったのに。
傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。
怪我についての描写はアニメではまだ無かった。
うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。
関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」
【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」
【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」
【春原】「よし、じゃ、いこう」
やることもなかったから、ついていくことにする。
【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」
春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。
【春原】「百円じゃなくて、二百円」
【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」
【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」
【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」
他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。
…鬱陶しいこと、この上ない。
あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。
暇つぶしには最適。
一日の授業を終え、放課後に。
春原の奴は最後までこなかった。
結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。
【朋也】「好きにしてくれ」
見捨てて、ひとり坂を登り始める。
ただ…
そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。
それだけだ。
【女の子】「あっ、待ってください」
どうしたものだろうか…。
遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。
気にならないといったら、嘘になるが…
気にしないよう、務めよう。
これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。
三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)
【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」
【女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」
【朋也】「三年生だったか…」
三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…
それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。
新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。
ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。
アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。
【女生徒】「見て、あの子」
【女生徒】「ほら、あそこ」
窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。
【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」
【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」
【女の子】「頭の手は…なんですか?」
【朋也】「いや、別に」
【女の子】「そうですか…」
【朋也】「ああ」
しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。
端から見れば、おかしなふたりだっただろう。
【朋也】「俺はD組の岡崎朋也」
【朋也】「あんたは?」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
遅すぎる自己紹介。
ふたりだけは、出会いの日の中にあった。
【古河】「………」
【古河】「それで…」
【朋也】「よろしく」
【古河】「………」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【古河】「………」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【朋也】「よろしく」
【朋也】「ひとりで帰れるか?」
【古河】「はい、もちろんです」
【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」
【古河】「え?」
この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。
ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、
といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。
一面、白い世界…
………
雪…
そう、雪だ。
今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。
ああ…
僕はこんなところで何をしているのだろう…。
いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。
………。
雪に埋もれた…僕の手。
それが、何かを掴んでいた。
引き上げる。
真っ白な手。
女の子の手だった。
ああ、そうだった…。
僕はひとりきりじゃなかった。
彼女の顔を覆う雪を払う。
穏やかに眠る横顔が、現れた。
そう…
この子とふたりで…ずっと居たのだ。
この世界で。
この、誰もいない、もの悲しい世界で。
完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリーは続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)
ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。
(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)
麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。
- ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
- AIRのゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
- 智代アフターが回想なのは自明なので省略。
アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。
(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は
朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)
しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。
(書きかけ)
メモ: CLANNADがMAD的である理由 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽のシンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモのMADムービーに関する記述(トレンド:パロディ→原作の感動の再現) 音楽とキャラクターが、世界の連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する 麻枝准の執筆方(音楽のイメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲームの音楽は1/3」という麻枝の発言 「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド) ADV形式ゲームの記号性(動ポモ) CLANNADのシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督:石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家:志茂文彦) ハルヒの成功がもたらしたもの: キャラクターのメタ物語性の確認:SFもミステリーもギャグもロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグとリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖) 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワーク。 キャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも? EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族の映像がNHKっぽいのは、当然だんご三兄弟のパロディだから シーンのトランジションがワイプなのはゲームのADVのパロディ? 猫。幽霊。 智代登場シーン。不良サングラスにギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器がフライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて
何が悪いのかわからない。
本編がぶち壊し?まともにしろ?
アニメオタク(笑) に受けたので最後までその路線を貫いただけ。
怒るのならまず供給より需要元を叩けよ と小一時間
どうせおまいら最終回だけまともにしても
「肩透かしを喰らった」とかなんとか言うくせに。
2chで「ニコニコでは後期になると批判も大きくなっていっていた」とか何とか見たが
そんな違法(「見るだけは正義!」pgr)視聴者のことなど知るか。
ネタにしたとしてもなんでそんなやつ等の批評なんか汲み取らなきゃいけないんだ?
どうせ買わないのだから。
(「ニコニコ市場で買っている香具師もいる。これは宣伝だ。」なんてお笑い事を書いていた奴がいたが
どう考えても買う奴は元々買う前提の奴ばかりがほとんど(影響されて買った人間も少なからずいるとは思う)で大部分は見て満足だろ。(なら見た奴全員が買っていない証拠を見せろと言われたこともあったがそれは悪魔の証明なので無理。)
どこかの動画で見たが「買ってみましょう」のタグ。もうね爆笑したよ。アフォかと。
と決め付け話で論点がずれたところでお開き。
角川GHDが急騰、アニメ「らき☆すた」DVDが業績のけん引役に
http://www.kabushiki.co.jp/single/kshp041-02.jspx?id=000114DE41CAF23FD541EC0E2DB7AA3F