はてなキーワード: 実弾とは
オタクは二次元・三次元ってカテゴライズをするけど、一般の人って、そんなのあんまり気にしないんだよね。
よくロリコンを公言してて「俺は二次元にしか興味ないから」っていう奴いるけど、
一般人からすれば、リアルの代償として二次元にハマってるようにしか考えられないのを、理解できてない。
ロリ・ショタは比較的人数が多いようだけど、一般人からすれば基本的に共感が得がたい性癖であるということをまず認識した方がいい。
もちろんそれは「偏見」だろうが、偏見を持たれざるを得ない趣味であるというのは、自覚すべきだ。
平均、普通が大好きな日本人は、「マニア」には冷たい。いつか何かやらかすと思っている。
銃マニアが、改造して実弾を撃てるようになった銃で人を撃ったら「やっぱり」となる。
まして同人なんて、集めるだけでなく自分で作っているわけだから、
「現実の欲求をマンガという形で昇華している」と誤解を受けても仕方がない。
その背景には、おそらく「言霊」に近い「嗜好・思考は現実化する(現実を支配する)」という考え方があるのかもしれない。
はてなハイクをやってるけど、ロリショタネタで盛り上がってるのを見ると、複雑な気分になる。
子持ちの方も少なからずいて、今日の子どもというキーワードもあるくらいなのだが、
そのキーワードにエントリしている親たちは、ロリショタネタをどう見ているんだろう。
ハイク内では、ある程度オタク文化に理解のある人が多いように見受けられるので、
「二次元と三次元は違う(三次元には興味がない)」という「オタクの論理」も理解しているかもしれないが、
横から見ていて居心地の悪さを感じ得ない。
元増田の例のように、ロリショタを公言してる奴が児童関係の仕事についたら、
それが例え誤解とはいえ、絶交されるくらいは覚悟をしておけよ。
いやぁ、http://anond.hatelabo.jp/20090706095857「IT土方に未来は無い」に思いの外ブックマークがついていて少々ビビリました元増田です。
なぜそうなんだろうか?
「好きな事やってるんだから待遇は問わないよね?」
多分、プログラマーの1/4~1/2は「自分のプログラム通りにコンピュータが動くのが好き」だと思う。けっして「仕事内容が楽しい」のではないんだと思う。充実してるプログラマーは、たまたま、仕事の内容がそれに合致しているに過ぎないんだと思う。
「好きな事やってるんだから待遇は問わないよね?」
だから、上司や管理者、経営者の言うこれは全くのお門違いだ。上司や管理者・経営者はその「習性」を利用して甘い汁を吸っているに過ぎない。現代の蟹工船。だから、プログラマーが潰れようが自殺しようが、痛くも痒くもない。そんな感覚すらない。それどころか「部下が自殺しちゃったよ、ワハハ」と自慢話になるだけだ。IT業界なんて、人を殺した分、昇進すると言われているくらいだ。
プログラムなんて、今や何処にでもあるわけですよ。それこそ炊飯器の中、携帯電話、車、飛行機、人工衛星など。プログラムの入っていないものを探す方が大変だと思う。
さて、そんな中、例えば、医療器具とか、電車など、これらもプログラムで動いているわけだけど、プログラマーがちょっとミスまたは故意の仕掛をすれば、簡単に人を殺せますよね。インフラを麻痺させて困らせる事だって可能だ。
私の今までやった仕事だって、その気になれば簡単に東京中の電車を止めて大損害を与える事だって出来るし、脱線事故起こさせる事も可能。どっかの地方のセキュリティシステムなんか、火事になったら通報もせず、人を部屋に閉じこめておく事すら可能。
※実際には最終的に「連動装置」が働いて、電車の脱線・衝突は無理。でも「継電連動装置」ならプログラムの入る余地は無いけれど、昨今導入されている「電子連動装置」なら可能かもしれない。
プログラマーがその気になれば、りっぱなテロリストになれるんですよ。プログラマーなら自分が出来る事に簡単に気が付くと思うんだけどな。ちょっとバックドアやタイマー仕掛けておくだけで、自分の好きな時に、好きな場所でテロを起こす事が可能なんだから。しかも、テロと思わせない方法で。
それほど、厳しい動作条件を求められるのに、期間も金額も雀の涙。
ブレーキの効かない車や、3日で壊れる車になん百万円も出しますか?ブレーキを踏めば止まるし、アクセルを踏めば動き出す、10年以上も耐久性があるからこそ、車には何百万円も値段が付いていても買うんじゃないですか?(税金・維持費は除く)
ちまたにあふれている「フリーソフト」「無料コンテンツ」これらも、いかん。これらのおかげで「ソフトはただ」「ソフトは安い」というイメージが出来上がってしまっている。ソフトにかかるコストを麻痺させている。
私個人としては、フリーソフトや無料コンテンツというのは極力出して欲しくない、と思っている。確かに私自身だってフリーソフトや無料コンテンツは利用させてもらってる。中には金を出しても良いと言うくらいのソフトすらある。ネット風に言えば「振り込めない詐欺」っていうんですか?
優秀なフリーソフトを提供すれば、それは、提供した本人は優越感・満足感に浸れるかも知れないけれど、それがソフト業界の価値を落としめている事に気が付いて欲しい。
もっとも、無料コンテンツである、ここ「はてな匿名ダイアリー」に投稿してる時点でそんな事言う資格は無いのかもしれないな。
あるシステムを作っていたら、1回の入力操作に対して、4回くらいの入力が生じて困った事がある。何の事はない、スイッチ部分のチャタリングだったのだが、上司とハード屋に「スイッチ部分にコンデンサとダイオードくらいつけませんか?」と提案。答えはNoだった。「だって、たかが10円程度じゃないですか」と言ってもNo。何で?と聞いたら、「ソフトはただでコピー出来るだろ?それに比べてすべてのスイッチにダイオードとコンデンサをつけるのは費用がかかる」と。
私のチャタリング除けのデジタルフィルタの作成値段は10円程度のコンデンサやダイオードにも負けるんですか、そうですか。ちなみに、単品であって、量産品じゃないんですけどねorz。
プログラムとは直接関係ないが、日本の国産ロケットH-2も開発費は2000億円を予定していた。アメリカにその事を伝えたら「クレイジー」という答えが返ってきたそうな。2000億円ぽっちで出来るわけがない、と。
日本のプログラマーも同じ状況にある。期間も費用も教育も与えられないのに、完動品を求められる。
「実弾を使用する訓練は可能な限りこれを避け、必要とあらば一撃必中。日本の兵隊と警察はそういうことになっとんの。」
と、言われるように、日本は昔からそうだったのかもしれないな。
あとIT土方の敵といえば、「人月」の神話ですな。効率を上げれば上げるほど、速度を上げれば上げるほど安くなるんだから得体が知れない。逆に、効率を下げ、ずるずるを引き延ばした方が金になる。するとなんですか、電車は各駅停車が高くて、特急列車が安いんですか?と問いたくなる。
仮に「人月」しか素人にも分かる表現方法が無いとしよう。1人でやれば10ヶ月かかるところを10人でやれば1ヶ月で出来ると本気で思ってるんですか?
かといって、「人月」に変わる指標があるのかというと……。頭の悪い自分には思いつかないな。FPとか???
ま、上司が無能だと困るよ。誰も止められないんだから。無茶な案件受注してきて、ごり押しされても、誰も止められない。
こんな業界に誰が好きこのんで入ってきますか?
でも、不思議な事に、ターゲットはいくらでもいるんだよねぇ。ゴキブリよりすごい繁殖力。なんでこんな現代の蟹工船に入ってくるんだろ?いい加減、目を覚ませ。
前述したように人命や巨大インフラにかかわるんだから、プログラマーは免許制であるといいと思うんだけどな。
あ?俺?免許制になったら職を失うだろうね、糞プログラマーだから。
623 名前: 名無しさん@引く手あまた [sage] 投稿日: 2008/11/15(土) 02:56:26
向上心を見せた途端、それをベッキベキに破壊する物量の仕事がなだれ込むのもポイント
やる気をみせたら、どいつもこいつも喜んで押し付けてくる
そうして身を守るためにやる気のないIT奴隷が出来上がる
真理だね。
http://anond.hatelabo.jp/20090615232800
核は拡散し、ブレトンウッド体制は崩壊し、世界の危機は深化する
▲目を覆いたくなる米国の衰退、核拡散防止条約体制は風前の灯火
ブレトンウッド体制は世銀・IMFを主柱として米ドル基軸の通貨体制である。
詳しくは拙著を参照いただくとして、1971年にニクソンが金兌換停止を宣言して以来、ドルは徐々に紙屑化し、08年のウォール街の大不況入り以後は、米ドル基軸への根底的疑惑が、とりわけ新興工業国家群を中心に拡がった。
真っ正面からブレトンウッド体制に中国が挑み始め、BRICSs(ブラジル、露西亜、印度、中国)サミットでは、ドルに変わる新通貨体制を模索し始める。
当面、中国とロシアはSDR債を購入することによって、ドル代替通貨の位置を目指す。この動きに米国債の金利が跳ね上あり、猛烈なインフレ懸念が拡がる。
日本はこれほどのドル危機にあっても感受性が鈍いのか、一貫した揺るがぬ姿勢でドルを守る側になる。日米同盟が絶対不変の原則と幻覚症状にあるのと同様に柔軟な思考能力が奪われている。
もちろん戦略的発想は苦手である。
米国の力の衰退は顕著になった。
世界の危機は深化し、おそらく「イラクの西」は、今後イランを背景とするシーア派の統治区域となり、アフガニスタンは「タリバニスタン」となり、パキスタンは無政府状態に陥るだろう。
中東全域は混乱のちまたとなるだろう。
もっとも危険な状況は目の前、パキスタンが開発しストックする核兵器は60発から100発。開発資金の胴元はサウジアラビアであり、当然だが、核兵器の一部はサウジアラビアへ移転するだろう。もしイランが核武装をしたら間違いなくそうなる。
ザルダリ大統領と軍部との調整が円滑にいっておらず、パキスタン軍の独走に歯止めをかけられるほどの政治力はない。この点で陸軍参謀総長出身だったムシャラフ前大統領とは違う。
軍のトップ以外、パキスタンは核兵器の隠匿場所を知らないという説が有力で、米国としては、ここでパキスタンの保護国ともいえる中国と胴元のサウジアラビアとの協力が必要となる。
突拍子もない考えかもしれないが、パキスタンが無政府状態に陥った場合、米中の軍事共同作戦が展開され、核兵器保護隔離作戦を展開するというシナリオも考えられるのではないのか。
▲日本の核の選択は?
北朝鮮の核保有は米中露をやきもきさせたが韓国は平気な態度である。
なぜなら韓国人の感覚では北の「同胞」が保有する核兵器は韓国が保有したと同義であり、いずれ日本攻撃用につかえると踏んでいるからだ。
数百億円を投じて国家をあげたシステムを組み、すべての公務員が給料を10%返上して、大国民運動を起こさない限り、もはや独自の核開発は不可能と考えられるので、発想を転換する必要がある。
そもそも日本人の優秀な理工系学生はアメリカに頭脳流出したか、国内にあっても宇宙工学の職場より「金融工学」を目指した。
いま、原子炉、ロケットに携わる日本人エンジニアらは核武装拒否反応をしめす人が多く、この有様では開発に乗り出せないだろう。ちょうど正しい歴史教科書を、短絡反応する現場教師のように。
そこで国益のためにも、日本は核弾頭をパキスタンから買うという選択肢を考慮しなければなるまい。或いはインドから買うのもアイディアだろう。交換条件は従来の援助と引き替えるのだ。さいわい両国とも日本の技術と資本を必要としており、バーターの条件は整っている。
また日本は7000億ドル近い米国債を保有しているが、いずれこれは徳政令か、米国のデフォルトで(GMがそうしたように)、紙屑となる可能性があり、それならば米国から担保を留保する必要があるだろう。
拙著でも何回か指摘したように、佐世保、横須賀に寄港中の空母、原潜などを差し押さえる選択肢が残る。
もちろん核兵器付きである。衰退一途の米国軍部とあうんの呼吸が必要だろうが。。
戦後の日本はふぬけ状態、とても中国や北朝鮮と戦争できる態勢にはない。
戦略兵器を保有できなかった日本には戦争能力が備わっていない。攻撃兵器がない。地雷を保有せず、今度はクラスター爆弾を廃棄する。こういう国会議決をする日本の議員というのは安全保障のイロハさえ分からない手合いが多い。
独立国家とはとても言えないが、いまはそのことを論じている紙幅はない。
日本が望んだのではなく、安保条約の片務性と歴代米国政権の明確な意思からである。
米国のアジャンダを付与され、その範囲内での防衛思考しかできなくなった自衛隊高官。日本には防衛戦略がないのである。
次期戦闘機をめぐって米国国防長官のゲーツはF22の開発を止めるので、つぎはF35にするから、日本の防衛ジェット機後継は、これだと一方的に言った。
なんとかF22で合意ができつつあった自衛隊も驚いた。MX構想のときもそうだが、つねに米国の移り気によって日本の防衛が振り回される。そんなことに驚くこと自体が植民地根性である。
日本には戦略兵器と核兵器を与えないというのが、米国の占領政策の延長線上にある世界戦略である。だから空母、原潜、空中給油機、ICBM、駆逐艦の保有が事実上禁止されている。
日本の自衛隊にないのは核兵器ばかりではない。攻撃兵器がない。長距離ミサイルどころか、空母も長距離爆撃機も原子力潜水艦も保有しないから、戦略的防衛計画を立案することは基本的に困難である。
自衛隊のすべての装備は米空母をまもる戦術的防衛の分担でしかないのである。
日本の謳う「専守防衛」というキレイゴトの標語が日本の政治の看板にもなり、非核三原則とか、GDP1%以内とか、憲法にも書かれていない制約を受け、手も足も出ない「軍隊」なのである。
孫子がいみじくも指摘したように「攻撃こそが最大の防御」であるにも関わらず。
日本の自衛隊に戦術兵器こそ多少はあるものの、充足率がわるいうえ、戦場兵器となると弾薬がない。
実弾による火力演習は年に一度、全国の部隊から弾薬をかき集めて行わなければならない。
機関銃も不足し、手投げ弾も少なく、要は24万という表向きの「兵力」がサラリーマン化して、徐々に愛国心に乏しくなっていることも問題だろう。
かくて在日米軍を補完するだけが目的だったのが自衛隊だから、独自の戦力となると、はなはだ心許ない戦力しか保有せず、イージス艦六隻体制などと言っても、自衛隊の実力とは米空母を取り巻く守護兵力ではないか。
MD(ミサイル防衛)などと絵空事のために日本の血税が投じられようとしてきた。
自衛隊は対米依存というメンタリティを辞めるべきだろうが、すでに親米根性の染みついた組織にそれが出来るだろうか?
ところが日本人が戦後一方的に「恋した」米国がとうに心変わりを示し、日本防衛への熱意がうせ、つまり日本の対米期待に対応できるはずの米国の、北の核実験、拉致問題への姿勢をみても、すでに存在していない空気がある。
アメリカの国家の性格(国体と言っても良いが)が、劇的に変質し、リバイアサンから普通の国家に変貌していく過程に於いて、従来のNATOへの関与を弱め、米韓、米日、米印、米豪条約のあり方の再検討を迫られる。
米軍は世界のプレゼンスをやめて、米国内に引きこもれと主張したのはパット・ブキャナンだった。嘗ての米国を代表した右派の声が、これからはオバマの左派の声に変わっていくだろう。
米国は負担に耐えかねてアジアの防衛を「新同盟国」の中国にゆだねる選択も考慮することになるだろうし、現実に台湾問題は投げやりになった。
先端に核弾頭積んだら弾道ミサイル。人工衛星載せたら打ち上げロケット。
先端以外は同じもので打ち上げまでのプロセスもまったく同じで外からはどちらか判断できない。
ピストル持った人が自分に向かって「大丈夫大丈夫これゴム弾だから。ちゃんと顔の横狙うし」といって銃口向けているのがいまの状況。
実際ピストルに入っているのが実弾かどうかは相手にしかわからない。
ちゃんと外すかどうかも相手次第。
相手がちゃんと外すつもりだとしてもミスって当たるかもしれない。
こんな状況で、撃っていいよといえるのは、よほどの無謀か相手を心のそこから信頼しているときだけ。
公共事業の受注を希望する企業に、議員事務所側から出された金額を記入した政治献金の請求書が証拠として押さえられているという事で、その請求書を出したとされる公設秘書が逮捕されている。議員自身を逮捕した方が早かったのだが、議員には、議会の開催中は不逮捕特権があり、現行犯以外では逮捕ができない為に、秘書の身柄を押さえたのであろう。
日本の民主党は野党であり、いかに党首といえども、公共事業に対して影響力は無いという説明は、表向きの説明である。公共事業といっても、国家事業として行われる物は高速道路や新幹線といった、複数の地域が絡む建設物だけであり、それ以外の、地域だけで完結する事業は、すべて、実務は地方自治体が行っている。
この地方自治体の首長や議会が、事実上、公共事業をどの企業に発注するかを握っている。
衆議院の選挙も、首長や地方議会の選挙も、名目は違うが、同じ有権者を相手にして選挙が行われる。そして、選挙期間は、基本的に違う時期に行われる。つまり、衆議院の選挙の時には、首長や地方議会の議員が"自発的に"衆議院議員の票固めの為に動き、首長や地方議会の議員の選挙の時には、衆議院議員の事務所が"自発的に"票固めに動くのである。
選挙期間中の候補者や事務所には、選挙違反を内偵する捜査官が張り付いているが、選挙とは関係の無い議員の事務所や電話回線は、内偵されていないから、現金のばら撒きや恫喝、公共事業のばら撒きの約束など、やり放題なのである。
国会議員は、与野党どちらに居ても、地盤の首長や議会さえ押さえ込んでいれば、公共事業を請け負いたい土建屋から、賄賂を取り放題である。与党に居れば大臣になれるという余禄があるし、やり方によっては首相にすらなれる。しかし、それもこれも、地盤が磐石、すなわち、首長も議会も自分の息のかかった者で埋めつくしてあってこそである。
衆議院議員において、一年生議員にとって一番重要なことは二年生議員になる事だと言われているが、これは、一年生議員の間に来る地方選挙で、地盤の首長や地方議会に自分の息のかかった者を大量に送り込んで地盤を固めろという事であり、これができない人は、二年生議員になっても、三年生議員になっても、選挙が不安定という事で、公職につけないのである。
地方の財政が赤字なのに、地方議会や首長や各種委員等のポストや報酬が削られないのは、それらの人員は、すべて、衆議院選挙の時に選挙違反にならずに動かせる私兵だからである。そして、衆議院議員のポケットにたっぷりと流れ込んだお金は、地方議会や首長の選挙の時に、有権者にばら撒かれる実弾であり、各種委員等のポストは、票が足りなくて落選してしまった候補者や、汚職の情報を知り尽くした秘書や票のとりまとめをしている人の口を噤ませる為に必要なのである。各種委員等のポストを勤め上げた人に勲章を出すというところまで、システムが出来上がっている。
この構造は日本の宿痾である。公共事業のばら撒きに依存した地方の経済が改まらない理由の一つともなっている。GDP比で2%のばら撒きをやるとか言っている者がいるようだが、どこに財源があるというのであろうか。財政赤字に対する危機感が無いのでは、財政を司る者としていかがなものか。
多選規制の導入は、この問題の解決方法の一つであるし、地方選と衆議院選とを同時に行うようにするというのも、解決方法の一つとなりえる。プライマリーバランスの実現のような財政政策によって公共事業予算を大幅に削減するのは、この問題に揺さぶりを入れる方法の一つである。
個人献金を10万円まで税額控除にしようという話を出している者がいるようであるが、企業献金が従業員の献金に代わるだけで、上限規制のせいで分散して納付した下請け企業のリストが、従業員のリストに代わるだけでしかない。しかも、税額控除方式だと、税収として国庫に入る筈のお金が直接政治献金になるわけで、典型的な焼け太り狙いである。税収よりも自分のポケットに入るお金の方が大切というのは、国政に関わる者としていかがなものだろうか。
昨今「派遣切り」やら「100年に1度の不況」やら騒がれていて大変ですね。(他人事風ですが、僕も学部3年生なので就職アイスエイジです。ガッカリです)
明日は我が身、な「派遣切り」もいかんと思いますが、次に問題となってくるのはGDPの縮小でございますね。約6割を占める消費は極寒、当然設備投資(約2割)もStop、むしろ工場閉鎖(ソニーが一宮を閉鎖、集約とか)でマイナス!なんてことになったらGDPはダダ下がりですよ。
http://jp.reuters.com/article/technologyNews/idJPJAPAN-36030520090122
こんな不況を打破する施策として、金融や財政での手段がたくさんあるのでしょうが(頑張れバーナンキさん)、歴史的には「戦争をしかける」というカードが切り札として使われてきたように感じます。大恐慌→第二次大戦とか。
選択肢としての戦争なのか、自然発生的に戦争だったのか、は別にして。「鶏か卵か」みたいなもの、或いはユング「集合的無意識」だと思って下さい。笑
オバマさんは『グリーンニューディール』だ、こうめ……じゃなくて麻生さんは『実弾投下だ』と叫ばれていますが、ここは一つ戦争でどうでしょうね。とはいってもこのご時勢に戦争なんか仕掛けられないので、そこでガンダムファイトですよ奥さん。
『Gガンダム』(以下Gガン)では
>> 優勝した国家はそれから次回のガンダムファイト開催までの4年間、コロニー国家の代表となると同時に、次回のガンダムファイトの主催国となる。また、優勝者には「ガンダム・ザ・ガンダム」の称号が与えられる。 <<
という部分、つまり次回大会での覇権を握れることがその担保となっていた訳ですが、現状ではオリンピック競技としての「国家的名誉」、くらいしか担保となる恩恵が想像できないのが悲しい。(教えて偉い人)
……どうせ貯蓄されるかどこぞの選挙資金として寄付に回されるくらいなら、その2兆円でガンダム作ればいいじゃない、という訳ではないです。
東大卒で留学経験有りだけど、日本人が英語ができないたった一つの決定的な理由って、英語ができない日本人の教師に中学・高校と習っていることだよ。辞書引けば読むのは何とかなるけど、話せない、聞けない、書けない。そんな人に教わって、できるようになったら不思議だろ?東大と京大の入試問題の単語数とか、もんのすげえ些末な話。入試問題の英語なんて、現実の新聞や雑誌の英語に比べれば、単語数なんてほとんどいらないようなものしか選んでいない。嘘だと思うなら、まず、Timeでも何でも読んでみろ。大学入試の英語は大学入試の英語。実戦で実弾で戦わないと何も意味がない。
政府が保有する外貨の実弾は決して少なくはない。韓国の外貨準備高は世界6位だ。普段ならば外貨準備高は2400億ドル(約25兆2800億円)で十分だ。しかし、現在は平常時の計算は通じない。国際市場からのドル調達が断たれた状態で、国全体が外貨準備という唯一の命綱に依存しているからだ。
市場関係者は政府が外貨準備をどれだけ使ったかをチェックするため、毎日のように計算機をたたいている。政府が市場介入を行うたびに、何十億ドル使ったという計算がすぐに出る。政府は隠そうとしても隠せない。政府は財布を開けた状態でポーカーゲームをしているようなものだ。
これね、つまりウォンに実需がほとんど無い、ウォンを欲しがる人は誰もいない、ウォンを買うのは介入している韓銀だけってのがポイントなんだがなあ。ハゲタカしか見てないもんなあ。
通貨為替相場のハゲタカってファンダメンタルズ重視っすよ。ファンダメンタルズが悲惨なのに、介入したところで単にカモにされるだけなんだってーの。
イラクで何人死んで、パレスチナで何人死んで、フォークランドで何人死んで、カシミールでは、スーダンでは、ダルフールでは、アフガニスタンでは、モロッコでは、チェチェンでは、チベットでは、ユーゴスラビアでは、ルワンダでは、コソボでは、北アイルランドでは、カンボジアでは、東ティモールでは…
そんな知識いくら持ち出してきたとしても日本で生まれて日本で生活している限り「失礼じゃなく眠たくない人」なんて一人もいやしないよ。「俺はイラクに行ってきた」なんて自慢げに語ったテレビタレントさんもいるけどさ。
と小学生の自分が反応してみる。
だからもっとお前に身近な臨場感のある例え使った方が説得力あるよ
そもそも「単なる電気信号のやりとりを、さも実弾のやりとりであるかのように例えて本気の殺し合いのように語るのはアレ」という話をしてたんだけどなー。何が「ネット【紛争】」だ固羅と。そう意味では「事故紛争」とか「生活紛争」という言葉にも同じく突っ込みを入れたくてしょうが無くなる。
http://anond.hatelabo.jp/20070131154754
の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。
とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。
長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。
まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。
あとリアルで学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。
にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。
http://anond.hatelabo.jp/20070131162229
http://anond.hatelabo.jp/20070131170249
まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学は上智大学の神学部神学科です。試験は英語、世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文と面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格にキリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)
偏差値の方ですが各予備校のボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。
あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。
大学での講義の内容については、大学のシラバス、担当教官のホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生のホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。
予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。
大学に入学後にはキリスト教倫理学、日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。
とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。
これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。
http://anond.hatelabo.jp/20070131174254
お言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接で試験官にできる限りのことを伝えようと思います。
というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。
お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。
まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。
上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親がセールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科の電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みのドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校の合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。
春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学と英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当の外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。
そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学の先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートのコピーに一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生のテストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。
色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校の勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語と数学、中学三年生ごろから数学は高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校のクラブの顧問が最悪のことに私の数学の担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベルの高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手。
心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血、リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学と英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期でおしまい。担任と父親と校長と面談して高校に進学することになった。夏休みの英語と数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。
高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験で卒業式で二次試験で不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。
で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。
今でももっているのだけど私の志望は国際政治を勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。
影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャーの自伝を読んだのがある意味国際政治を勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャーの生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校の勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。
中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。
当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋のバックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府に安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。
父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋の北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)
あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本が国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁の国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁は防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。
そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターのボーダーマイナス40点だったと思う。
で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学で勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義の担当教官、国際関係学と国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学の面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。
そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。
まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センターの英語でいまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。
で、正直地元の国立の試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。
神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。
もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。
なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。
でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。
長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。