はてなキーワード: ビジネスモデルとは
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/02/post-69ad.html#more
コメントとして書いていたけど馬鹿みたいに長くなったので、ここに書きますわ。
リンク先は、生の数字はともかく分析は大したないと思うんですがね。
個人的には、小学生の朝顔観察日記くらい中身が無いと感じています。
・子供向けの数値について
大きなお友達向けと、子供向けアニメはビジネスモデルが基本的に違います。子供向けのソフトの売上なんて、はっきりっておまけです。この商売のメインの収入はグッズです。「プリキュア」といった女玩向けのソフトを買うのは、本当に一部の好事家くらいです。全体のスケールの埋没して見えにくいんですが、国内はほぼ単調減少です。これは、ぶっちゃけ少子化がもろに影響していると考えるのが自然でしょう。ソフトの売上高といったことより、玩具といった周辺ビジネスの落ち込みのほうが、むしろ危惧される点です。海外も2003年をピークに落ちてはいますが、2000年の水準にもどったくらい。15億~20億円で飽和といった感じでしょう。(具体的に売れた作品を調べないと断定はできませんが)
・国内の大きなお友達の向けの数値について
放映数が増えているのは、単純に1クール、2クールの短期作品の比率が増えたからで、質的に変化したわけではないと思います。コードギアスといった作品は第2シリーズありきですし、第3シリーズの話も出ています。売上高を見ても、昨今の個人消費の動きからすると、よく持っているなと感じます。オタクも可処分所得をギリギリまで持たせますしね。ただ今年あたりから、がくっと落ちるような気がします。コミケの現場の声を聞くと、ようやく消費の落ち込みが見えてきたとのこと。しかも、売れるのは東方といった安いもので、量出ても金額ベースが伸びないと。
ご指摘のとおり違法コピー、ファンサブも問題は大きいと思います。ただ、売るための価格設定とか、本気でマーケティングをしているのかとは思います。2話入って5000円、いわば、50ユーロだの60ドルだので買うのは、日本のオタクくらいかなと。
日航に更正法適用が確実な情勢だが、肝心の「再建後の青写真」が見えない。
単にANAと同じ形態を目指すだけなら、下手すればJAL・ANA共倒れになる。
であれば、格安航空に変身して生き残るつもりか?
潤沢な発着枠を羽田・成田に用意した上で、ワイドボディ機主体の運航を
残念ながら、現時点では羽田・成田ともにそこまで発着枠を広げる余裕はない。
なので、ここらで誰も提案していない「青写真」を批判覚悟の上で提案する。
それは、戦前の小林一三・五島慶太が阪神間・京浜間で行なった史実を真似るのである。
阪神急行(阪急)、東横電鉄は、鉄道を敷設することにより、鉄道そのものでも儲けたが、
五島昇は、戦後も田園都市線建設で不動産益をちゃっかり稼いでいる。
これを航空の世界に当てはめるとどうなるか?
日本航空が、発展著しいアジア地域で、空港建設・都市基盤建設・宿泊施設建設を
そして、「リゾート都市」「工業都市」「研究開発都市」として発展させ、
その開発益で以って「稼ぐ」のである。
都市が順調に発達すれば自ずから航空需要が膨れて本業でも儲けることになるが、
まずは「開発利益」を享受する、というビジネスモデルにするのである。
先日中国の三亜に行ったが、「中国のハワイ」として売り出し中であった。
マンション・ホテルの建設ラッシュがものすごいが、しかし日本国内での知名度はゼロである。
HISが支店開設して売り出し中であるが、いかんせん「直行便がない」「日系ホテルがない」ので、
日本人は殆どいない。
で、「13億の中国のリゾート旅行が本格化すれば、とても三亜だけじゃ需要を吸収しきれない」
のである。
ベトナム、フィリピン、タイなどで、「海はキレイだが、手付かず」のところを見つけて、
中国資本に先駆けて、JAL&商社デベゼネコン連合が開発して、「日式」(中国語で「日本式」の意)の
きめ細かいサービスのホテルを作れば、中国富裕層にも、きっと受けるのではないか?
おそらく過去に1億回くらいは言われたことなんだろうけど、
顧客ごとにほぼフルスクラッチでシステム作り上げるなんて、どこの王族相手の商売だよと。F1かと。
その辺の普通のリーマンが「俺専用の車を新規開発してくれ。500万円で。」とか言ったら「馬鹿か?」と言って終わりだろうに。
車なんて1車種あたり開発費数百億だろ。システムなら固定資産系の費用はかからないが、それを除いたって100億くらいはかかってるだろう。
SIでそれだけの予算のプロジェクトは全体の0.0001%でもあるか?
IT技術者はプロフェッショナルじゃないとか、プロジェクト失敗率が高すぎるとか言うけど、プロの仕事に見合う対価を払える構造に全くなってないんだから、それなりの人材しか集まらないのは当たり前だろって思う。
個々人が優秀だったとしても、個々の仕事にかけられる時間や集中力が圧倒的に少ないんだからそれなりの成果しかでねーよって思う。
発注側は費用対効果計算するときにプロジェクト失敗率とかシステムの実効的な稼働率とかを考慮に入れてリアルオプションかなんかで評価してみろと言いたい。無理だろうけど。
◆日本でしか生きていけないと将来破滅するリスクがあるので、世界中どこでも生きていける戦略のご紹介
日本依存症は、国家依存症の一種であり、会社依存症とよく似ています。
会社依存症とは、ある特定の会社でしか通用しないスキルばかり蓄積して、他の会社では通用しない人材になってしまう病気です。
会社依存症にかかると、その会社の経営が悪化して、どんどん待遇が悪くなり、給料を下げられ、「このままここにいても、少しもいいことがないまま年を取っていくだけ」という状況になっても、ひたすらその会社にしがみつくしかなくなります。
また、会社の都合で延々とつまらない仕事をさせられたり、いまいち納得のいかない降格や減給をされても、なかなか拒否しにくくなります。
上司や同僚と相性が合わず、人間関係がこじれてギスギスした雰囲気になり、毎日会社へ行くのが憂鬱になっても、そこに居続けるしかありません。
なぜなら、その会社を辞めると、ほかに行くところがなくなり、路頭に迷ってしまうからです。
このため、このことがよく分かっているエンジニアなどは、その会社の独自製品や独自環境でしか通用しないスキルしかたまらないような仕事をできるだけ避けるようにします。
そして、「広く普及しており、かつ中長期的に需要があり、供給が不足ぎみで、かつ陳腐化しにくいスキル」を戦略的に蓄積します。
たとえば、以下のようなものが考えられます。
・要求分析、要求仕様定義、システムアーキテクチャ設計、RDBスキーマ設計、サーバの負荷分散設計、各種サーバのパフォーマンス解析・チューニング、デザインパターン、マルチスレッドプログラミング、システム管理、ネットワーク管理
・マネージメント、プロデューサ・デザイナ・経営者・営業・顧客との交渉スキルや連係プレースキル
・普遍性の高いコンピュータサイエンスの基礎
・Unix、RDB、正規表現、Java、Perl、TCP/IP、.NET、C#
日本にはたくさんの会社があり、それぞれが浮き沈みを繰り返しています。
いまいる会社が今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの会社に依存しきると、その会社が沈むとき自分まで一緒に沈んでしまい、酷い目に会います。
いまいる会社が沈みそうになったら早めに別の会社へ移れるように準備しておくべきではないでしょうか。
国家に対しても同じことが言えます。
政府は全ての国民を幸せにするような政策を実行するべきですが、必ずそれに成功するとは限りません。
ときに間違った政策を行い、多くの犠牲者を出すこともあります。しかも、その犠牲者を救済するための政策が実行されないこともあります。
もっと最悪なことに、間違った政策で、国全体が沈んでしまうようなことすらあります。
もちろん、そうならないように、われわれは選挙で正しい政策を実行してくれる政治家に投票すべきですが、常に正しい政策を実行してくれる政治家が自分の選挙区から立候補してくれるとは限らず、自分以外の人々が常に正しい政策を実行してくれる政治家に投票してくれるとも限らないというのが、世の中の現実です。
だから、どんなに自分が正しい政治行動を取っていても、おかしな政策が実行され、自分の将来が危うくなるリスクは常に存在します。
たとえば、金持ちばかりが得をし、平均的な労働者が搾取される最悪の格差社会になってしまうかもしれません。
あるいは逆に、今後スキルアップし、キャリアアップし、実力を身につけて高い年収をゲットしようと思っているのに、高額所得者の所得税が大増税されて、酷い搾取に苦しむようになるかも知れません。
あるいは、少子化対策で、実質的に独身税をかけられたのと同じような状態になり、結婚するつもりも子供を作るつもりもない人たちの生活の質がかなり落ちるかも知れません。
あるいは、国の医療システムが疲弊しまくって、まともな医療サービスを受けられなくなるかも知れません。あるいは、まともな治療を受けようとしたら、恐ろしく高い料金を徴収されるようになってしまうかもしれません。
あるいは、地方格差を埋めるため、都市部の住民を徹底的に搾取し、地方にじゃんじゃんばらまくような政治が行われるかもしれません。そうすると、田舎に住む人間の暮らしはよくなるかもしれませんが、今後も都市に住み続けるつもりの人間の暮らしの質が大きく低下するかも知れません。
あるいは、非正規雇用を減らし正社員を増やすという名目で、おかしな規制がかけられ、予期せぬ副作用が出て逆に多くの人が職を失うことになるかも知れません。余波で、自分まで失職するかもしれません。残された正社員の自分に酷いしわ寄せが来るかも知れません。
労働者保護や消費者保護という名目で、過剰に企業の手足を縛るような規制がかけられて、企業の活動が阻害されて経済が悪化したり、企業がどんどん日本から逃げ出すかも知れません。雇用が減り、治安が悪化し、日本が住みにくい国になるかも知れません。
要するに、投資において、全ての資産を一点がけするのが危険な投資戦略であるように、自分の生活基盤となる国家を一カ所だけに限定してしまうのも、極めて危険な賭なのです。
この国にずっと住み続けるのが一番賢い戦略でした。
しかし状況は変わりました。
いまや日本よりも豊かな国や都市がどんどん生まれつつあります。
日本などよりも、はるかに先行きの明るい国や都市がたくさんあります。
本来、この惑星には、たくさんの国家があり、それぞれ浮き沈みを繰り返しています。
いまいる国家が、今後もずっと浮いたままだという保証はありません。
一つの国家に依存しすぎると、その国家が沈んでいくとき、酷い目に会います。
いまいる国家が沈みそうになったら、早めに別の国家に移れるように、準備しておくべきではないでしょうか。*1
こういうことを言うと、「おまえに愛国心はないのか?」と言い出す人間が時々いますが、依存症と愛国心とは別の話です。
これは、結婚において、夫を愛していることと、夫に依存することが異なるのと同じことです。
経済的にも精神的にも自立していることと、夫を愛することは両立します。
夫婦仲は冷め切っていて、夫の暴力に怯えながら暮らしているにもかかわらず、夫に経済的に依存しているためにガマンし続けているような状態は、とても健全だとは言えません。
むしろ、特定の国にまったく依存していないにもかかわらず、その国を愛し、その国に貢献することこそ、純粋に打算抜きの愛国的な行為なのではないでしょうか。
そもそも、「いろんな異性とつきあってみて、そのなかから最高のパートナーを見つけ出して結婚する」というのは、少しもおかしなことではありません。
「1人の異性しか知らず、最初につきあった異性と一生添い遂げなければならない」というのはいかにも古めかしい道徳観念です。これは国家についても同じことです。たまたま日本に生まれたからと言って、日本と一生添い遂げなければならないということはありません。
むしろ、さまざまな国に住んでみて、そのなかから、自分にいちばんあった国に落ち着き、添い遂げる、という人生も十分にありなのではないでしょうか。
日本以外で暮らしたことのない人々の中には、日本だけが世界で唯一暮らしやすい場所で、日本以外には暮らしやすい場所などないと信じて疑わない人もときどきいるようですが、そんなことは決してありません。
むしろ、日本よりもはるかに、晴天の日が多く、気候が温暖で、からっとさわやかで、毎日気持ちよく暮らせる国や地域がたくさんあります。
食べ物も美味しく、人々も気持ちよく、街の各種施設も充実しており、遊び場所もたくさんある快適な都市は世界中にたくさんあります。
どんなところでも、けっこう住めば都なのです。
また、日本以外の国は治安が悪くて暮らしにくいという偏見を持っている人もいますが、どんな国でも、きちんとした安全対策を講じ、危険な地域に近寄らないようにすれば、それなりに安全に快適にくらせるものです。
それに、どうせネット環境さえあれば、世界中どこでも、twitterやtumblrやmixiで遊べるし、ブログのコメント欄でクネクネすることもできるし、2ちゃんでだらだら過ごすことも出来るし、エロ画像をダウンロードすることもできるし、はてブで脊髄反射的なコメントを付けることもできるし、はてなスターを連打しまくって顰蹙をかうこともできるのです。
「わたしは(この国に生まれたというより)この惑星に生まれたのだ」という感覚を持ちながら生きるというのは、広々とした感じがして、なかなか気持ちの良いものです。
せっかくこの美しい惑星に生まれたのに、日本という小さな小さな島国に引きこもったまま一生を終えるのは、じつにもったいないことではないかと思えてきます。
●依存症からの脱出は難しい
ギャンブル依存症、アルコール依存症、買い物依存症、恋愛依存症、セックス依存症、たいていの○○依存症は、そこから抜け出すのに苦労するように、日本依存症も、一度それにかかると、そこから抜け出すのにかなり苦労します。
また、タバコ依存症から抜け出すために、さまざまな方法があるように、日本依存症から抜け出すにも、さまざまな方法があります。
日本依存症から抜け出す一番効果的な方法は、実は、英語力をアップすることではなく、日本の外でも安定した収入源を得られるようにすることです。(もちろん、最低限の英語力は必要ですが)
これに一番効果的なのが、資産運用で暮らせるようにすることです。
利回りのよい債権や株式に自分の資産を分散投資し、運用することは、どこの国に居住していてもできます。
日本の国債や株式で資産を運用していたとしても、日本に住んでいなければ運用できないということはありません。世界中どこに住んでいても、日本の国債や株式で資産運用することは可能です。
それどころか、そもそも、日本の国債や日本の株式で資産を運用しなければならないということはありません。
むしろ、全資産を円ベースに一点がけしてしまうと、今後円安が進んだときに、自分の資産が大きく目減りしてしまうというリスクを抱え込むことになります。
資産は、全世界に分散投資しておいた方が安全だし、世界全体の経済は、多少の波はあるものの、中長期的にはつねに成長し続けているので、正しくポートフォリオを組んで、世界中に分散投資しておけば、それほどひどいことにはなりません。
だから、いったん資産運用で暮らせるだけの資産を蓄積してしまえば、日本依存症からの脱却はかなり容易になります。
ここで、「日本がキャピタルゲイン課税の大増税を行ったら、資産運用では暮らしていけなくなるのではないか?」という疑問がわく人もいるでしょうが、そうでもありません。
まず、税金の徴収には、属人主義と属地主義の二つの方式があります。
日本は属地主義なので、自分が居住している国や地域に税金を納めることになっています。
このため、日本でキャピタルゲイン課税の大増税が行われたとしても、海外で暮らしている限り、影響を被ることはありません。*2
現在、属人主義を採用しているのは、アメリカとフィリピンぐらいなもので、極めて例外的なケースです。
ですから、今後日本が属人主義に変更するリスクは、とても低いと思われます。
また、万一、日本が属人主義に切り換えたとしても、ある程度の資産を持つ人間に国籍を与えてくれる国は、けっこうあります。
日本が属人主義に切り換え、さらにきわめて重いキャピタルゲイン課税をかけてきたら、単に国籍を切り換えればいいことです。
ただ、問題は、資産運用で暮らせるようになるほどの資産を蓄積することが難しい、ということです。
そのため、当面は、収入の全てを資産運用だけで稼ぎ出すのではなく、収入の一部だけでも資産運用で稼ぎ出すような状態を目指してみてはどうでしょうか。
そうすると、日本がヤバくなったので、脱出して海外で職を得たのはいいが、最初のうちはまだ英語にも不慣れで、十分な収入を得られないというようなケースでも対応できます。
たとえば、前述のUnix、Web、RDB、Java、Perl、.NET、C#など、世界中に普及している技術の場合、そのスキルを身につけることで、日本依存から抜け出すことができます。
また、これらに関連する要求仕様定義、オブジェクト設計技術、デザインパターンを適切に使いこなしたクラス設計、プロジェクトマネージメント、スケジュール管理なども、特定の国家に依存しないスキルです。
これらのスキルを身につけたITエンジニアは、さまざまな国で職を得ることが出来ます。
実際、ボクの知り合いでも海外で働いているプログラマーがいます。
むしろ、日本よりも快適に働いているようです。
もちろん、これらの技術は、会社依存症から脱却するための技術としても有効で、きわめて安全性の高い技術だと言えます。
これらの標準的なITスキルは、このように、会社や国家を超越して有効ですが、それ以上に驚きなのは、かなりの長い時間をも超越する力を持っているということです。
たとえば、unixの基本アーキテクチャはボクが知っているだけでも十数年、ほとんど変わってません。マルチスレッドプログラミングやデザインパターンも十数年前に身につけたスキルは、かなりの部分、いまでもそのまま役に立ちます。はるか昔に覚えた、クロージャや再帰を使ったさまざまなプログラミングテクニックも、RDBのスキーマ設計のスキルも、ほとんどが、いまだに現役です。
TCP、UDP、IP、HTTP、SMTP、POPなどのプロトコル類もいまだに基本はほとんど変わりません。新しく登場した.NETやC#にしても、過去にマスターしたスキルにほんのちょっと上積みしたぐらいのわずかな薄皮でしかなく、いままで蓄積した基本スキルはそのまま通用します。Haskellのような関数型言語ですら、似たようなコンセプトのプログラミングアーキテクチャは昔からあり、十数年前にマスターした技術の延長線上でなんなくマスターできます。
このように、長期的に安定した技術やスキルを選んで身につけるようにすれば、会社、国家、時間を超えて、安定した収入源を確保できるのです。
ただ、注意しなければならないのは人材の需給バランスです。とくに、インドや旧共産圏からのプログラマの大量供給は要注意です。
一方で、ヨーロッパ、BRICs、VISTAなど、世界中で急速に経済が発達しており、ITエンジニアの需要が今後も全世界的に巨大化し続けるのは確実です。
ここでのポイントは、下級エンジニアや中級エンジニアは、需要はそれほど拡大しそうにないのに、供給は膨大になると思われるので、リスクが大きいということです。
つまり、下級エンジニアや中級エンジニアの場合、海外に行くと、日本にいたとき以上に悲惨になる可能性があります。安易に日本から出て行くべきではないでしょう。
一方で、上級エンジニアは技術分野にもよりますが、今後、世界中で爆発的に需要が拡大することが見込まれていますが、供給が不足する可能性は十分に考えられます。
従って、自分が今後上級エンジニアになる可能性があると考えている人たちは、この戦略に沿って日本依存症から脱却しておいたほうが良い可能性が高いです。
あと、もう一つ考慮すべき点は、上級エンジニアになるような人は生産性が高いため、今後、高額所得者になる可能性があるということです。
今後、この機運の盛り上がりに押されて、高額所得者を狙い打ちする形で大増税が行われ、酷い搾取の対象にされるリスクもあります。
このリスクに対する保険という意味でも、早めに日本依存症を治療し、いつでも仕事と生活の場を海外に移せるようにしておいた方が安全かもしれません。
日本人が海外で暮らしてみると、さまざまな小さなニッチビジネスのチャンスに気がつくことがあります。
たとえば、日本にはあって当たり前なのに、その国にはない商品やサービス。
それは、日本のやり方を現地方式にアレンジすれば、それなりに繁盛する商売ができるかもしれません。
あるいは逆に、その国のおもしろい商品やサービスで、アレンジすれば日本でもウケそうなもの。
もしくは、現地の安い人件費を利用して、何かを作らせ、日本に持ち込むというパターンもあるでしょう。
実際、ネパールに小さな工場をもっていて、そこで自分のデザインした服を作らせ、日本に輸入して販売しているという女性に会ったことがあります。
こういうビジネスのネタをみつけたとき、スモールビジネスを興すスキルを持っていると、そのチャンスを活かして、その国で商売をはじめることができたりします。
とくに、最近急速に豊かになったアジアの国々では、日本がかなりブランドになっています。
とくに富裕層は、日本のさまざまな質の高い品々やサービスを求め、日本の産物に信仰のようなものを抱いています。
これをうまく利用することで、いろいろなニッチビジネスを作り出すことができるかもしれません。
スモールビジネスのスキルとは、小さな会社向けのマーケティング、マネージメント、経理などのスキルです。
たとえば、どんな小さなビジネスでも、どんな商品を、どんな顧客に売るのか、そのために、商品にはどのような魅力がなければならないのか、顧客は、どういう理由でその商品にお金を払うのか、どのようにして利益が出る構造になっているのか、などのビジネスモデルを組み立てなければなりません。
そして、いざ、ビジネスプランが出来たら、場合によっては人を雇い、契約を結び、信頼関係を作り上げ、法律に則って取引しなければなりません。関係者全員が気分良く仕事できるように、win-winの構造を作り出す必要があります。
また、さまざまな法律を調べ、その法律に則ってビジネスを運営する必要があります。
さらに、会社を設立し、会計ソフトで帳簿を付け、経理と資金の管理をする必要があります。
また、予算計画を立て、融資なり出資なりで資金を調達する必要もあります。
こういう小さなビジネスを最小限の規模ではじめてみて、いざ、顧客の反応が上々だったら、しだいに規模を拡大していけばいいのです。
思ったより反応が悪ければ、早期に撤退するか、あるいは、やり方を変えて再度トライしてみたりすればいいでしょう。
そして、スモールビジネスの醍醐味は、たまたま大ヒットしたときのうまみです。
日本のサラリーマンの頂点とも言える、上場企業の社長の年収でも、たかだか4000万円にしかなりません。
これに比べ、スモールビジネスをヒットさせた場合、実質的に年収1億円を優に越えてしまうということは、それほど珍しくないのです。
実際、ぼくの知り合いにもそういう人がいます。
「たかが自営業」とばかにできるようなもんでもないのです。
自営業は、あたると凄いんです。
どのようなモデルで日本依存を脱却するのであれ、共通して必要な Permalink | 記事への反応(0) | 22:10
既存マスコミ(TV、新聞、雑誌など、ネット以外のメディア発祥のマスコミを仮にこう呼ぶ)各社の運営するウェブサイトって、大抵最新のニュースや論説はすぐ反映される。しかし一定の時間が経つと削除されるか、会員登録(有償の場合と無償の場合がある)しないと閲覧できなくなるのが現状。
つまり、
「過去記事にはページビュー呼ぶほどの価値は無いので削除または有償オプション」
という扱いなのだな。
しかし、本来ニュース・情報ってのは鮮度が高いほど価値が高いもので、過去記事はページビュー低いってのもニュースの価値として最新ニュースより劣るということを示すに過ぎんわけだ。裏を返せば、有償コンテンツとして通用する可能性があるのはむしろ最新記事のほうなんじゃねえの? という考え方もできるので
「最新のニュースは有償配信」
「一定期間を過ぎた過去記事は客寄せ兼見本として無償公開」
ってビジネスモデルもありうるんじゃなかろうか、とか思いついた。その際、ストレートニュースだけだと他所が従前の無料公開+広告モデル採ってる限りは結局採算成り立たないっぽいので、論説やコラム、解説記事を充実させたいところ。
http://anond.hatelabo.jp/20091126141331
予想以上にコメントが付いたことはうれしいのだが、どうも論点が理解されておらず、
全体的に視野が狭く後ろ向きの議論になっているようで少し残念。まあ私の説明不足もあると思うが。
まず、ここで言う開発とは、IT系に限らず、製薬、食品、家電なども含めた
もっと広い意味での商品開発を想定している。
それから、「偉い」という言葉は、別に苦労や努力していることではなく、
何らかの利益を産み、役に立つことについて言ったつもりだ。
で、私の主張は、営業と開発ではもたらす利益のレベルが違うということだ。
会社からすれば、どちらであろうが利益増大により大きく貢献した方が評価されるが、
社会からすれば、一企業の利益はどうでもよく、より良いものが利用できるようになることこそが重要。
もちろん、良いものを開発する上で、営業からの意見がヒントになったり、
営業による顧客開拓が新たなサービスやビジネスモデルを生むといったこともある。
しかし、それらはあくまでもきっかけであり、実際に社会の利益になるかどうかは、
http://anond.hatelabo.jp/20091126170718 へ
>要らない物は要らない っていうのは客としての意見です。
ちなみに私自身は開発職ではありません。
例えば、客がベータ版を使いながら、1~2年掛けて、客と一緒に二人三脚でシステムをバージョンアップして良くしていく、みたいなビジネスモデル
現状、ほぼ全てのシステム案件は、仰るようなビジネスモデルです。
惜しむらくは、お客さんにそのつもりがないだけで。
素人がちょっと思うのは、日本の場合、最初から完成度の高さを求められるのが構造的に良くないのではないかという点だなー。
例えば、客がベータ版を使いながら、1~2年掛けて、客と一緒に二人三脚でシステムをバージョンアップして良くしていく、みたいなビジネスモデルは無理なのかな。どうせ仕様変更の嵐なんだろうし。
いきなり、業務システムを切り替えるからおかしいのであって、新システムはあまりクリティカルではない業務に使用し、しばらく旧システムと平行して使っていったのち客が納得がいってから新システムに完全に移行する、みたいな感じが理想だと思うんだが。
銀行システムにせよ、一度に何もかも変えようとして、落ちて、大騒ぎなんて事を繰り返している訳で、例えば、テストエリア内で新システムを稼働させ、徐々に拡大させていくみたいな方向でも良いと思うんだが。
……素人の戯れ言なので、すでに考えられている考えだろうし、問題がある考えなのか、すでに使われている考えなのか、よく分からないけど、もうちょっとうまくできないか、と他人事ながら思う。
金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。【小林一三、こばやし・いちぞう、日本の実業家、阪急グループ創業者。宝塚歌劇団の創業者でもある。慶應義塾大学卒業後、三井銀行に入行、箕面有馬電軌の立ち上げに参加し専務となるが社長が不在だったため経営実権を握り阪急電鉄の礎となる。鉄道に駅百貨店やレジャーを組み込み新しいビジネスモデルを作り上げた人物。電車の中吊り広告を考案した人物】
http://systemincome.com/main/kakugen/20091107_160507.html
実際そうだよなぁ。スーパーコンピューターにもし言うような効果があったのなら今の惨状は起こってなかったわけだし。
情報と物質とでは、物質の方が先に着くというのが、物質媒体時代の常識であった。インターネット以後は、情報が先に着いて、後から物質が届くというのが、常識となりつつある。ロングテールという言葉が使われるようになったが、それは、情報が先に広まってから、在庫が動き出すという意味であった。
もちろん、インターネットがそこに存在するという意味では、物質が先であるという前提は崩れていないのだが、物質媒体と情報との不可分性は消滅しており、情報の不足している地域に商品を売り込む為に、サンプルを抱えた商社マンを送り込み、地域の商人や政治家を抱きこんでビジネスループを組み上げ、地域の経済成長の割り前を取るというビジネスモデルは(cf.[2007.12.16])、既に否定されてしまっている。後進国・中進国を発展させて、その成長の利益の分け前を受け取るというビジネスモデルは、米ドルの基軸通貨からの転落によって、否定されているのである。
世界中にインターネットが張り巡らされているわけではないし、インターネットを実現するのに必要な、安定した電源が供給されている地域は、先進国と呼ばれる地域だけであるというのが、現実である。
となれば、この現実の中で利益を上げるにはどうすれば良いのかという事を考えるしかない。
後進国・中進国において、現地の産品の商業活動を活発化させ、食料や燃料や消耗品を買う貨幣経済に取り込み、その上で、Made In Japanを買わせるというやり方がやれないのであれば、先進国を市場にするしかない。しかし、企業が商品を輸出し、現地で販売するというやり方では、貿易赤字が発生するし、現地の雇用が奪われるということで、批判の対象となる。
そこで取れる手段は、輸出するのではなく、個人輸入してもらうという事になる。
現地人が日本から個人的に商品を取り寄せるのであれば、それは、貿易摩擦を発生させない。現地に存在する日本企業や支店が、貿易赤字の元凶として攻撃されるのであって、それを購入した顧客は、決して批判されない。ならば、現地にサービス拠点を置かずに、商売をするしかない。現地に店舗を出して直接販売する方が、はるかに楽であるが、それがやれない以上、遠回りであっても、日本製品を個人輸入するという行為を、広めていかなければならない。日本製品を買わせるには、日本語を理解させる事が必要であるし、日本の常識を認識させる事が必要となる。
インターネットによって国境を越えて情報を広める事が出来る環境があるのだから、後は、人々の興味をいかにして集めるかである。日本の娯楽コンテンツは、その為の道具となりえる。ドラマや小説の中に登場した物が、実際に存在していて、お金を出せば手に入る、あるいは、日本に行けば実物に触れられるというのは、人々に行動を起こさせる動機となりえるのである。
もちろん、日本からの個人輸入が簡単に出来るように、日本国内での宅配便や外国為替・クレジットカードによる決済といったルールの整備も必要となる。日本国内での使用を前提とした製品を、勝手に海外で使ったユーザーがPL法関係の訴訟を起こすという事は考えにくいが、万が一の時でも、第一審の専属管轄裁判所を日本国内の裁判所に指定しておくという手段が可能になる。また、海外で使用されていたとしても、日本の法律が適用されるというように、法制度を整えておく必要があるであろう。この辺は、海外での使用に対して、事前にメーカーが知っていたかどうかというのも問題になりそうなので、小売業者を資本的にも切り離しておくという手管が必要になるかもしれない。
http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html [2009.10.12]
自分用まとめ
http://voiceplus-php.jp/archive/detail.jsp?id=125&nif=false&pageStart=0
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-a26a.html
http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/e/a2ff26e6e8eccf5cd7160275f82aeea7
http://mojix.org/2009/10/04/jakusha_dashi_business
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-8b36.html
森永卓郎とこの方たちが一堂に集まって討論をしているところを見たいなぁ。
どちらも中国系らしいんだが詳しい事がわからない…
サンシャイン牧場は51.comの阳光牧场と同じっぽい(http://www.rekoo.com/)
みんなの農園はもともと中国のSNS「開心網」の農場ゲームらしい(http://mixiapp.blog45.fc2.com/blog-entry-85.html)RAKOOの採用ページでも「中国北京の開発チームと連携したサービスの企画・開発やサービスの運営を行います。」(http://www.rakoo.co.jp/recruit.html)と書かれているけど、どこと提携してるのかよくわからない。
さらに「開心農場」の「楽しい農夫」ともうめちゃくちゃですね(http://mixiapp.blog45.fc2.com/blog-entry-89.html)
■ゲーム提供で好調なFacebookのそっくりサイト、早くも海賊版が登場
中国版Facebook、いや、むしろFacebookにそっくりなサイトというべきデザインのSNSサイト「校内網」が人気だ。「校内網」は会員向けゲーム「開心農場」をリリースしたことで、毎週10万元(140万円)の収益が出るほど盛り上がっていると報じられたことで、広告以外で儲かるSNSサービスの新しいビジネスモデルとして、にわかに注目が集まっている。
一方で、「開心農民」「陽光牧場」など、「校内網」が提供するゲーム「開心農場」とデザインやコンセプトが酷似したゲームが早くも登場している。魅力的な付加サービスを追加して人気を集めると、必ずといっていいほど海賊版が登場するため、新しいビジネスモデルもそう容易ではないようだ。
http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/m_china/2009/03/06/index.htm
結局中国内のパクりパクられがそのまま日本に上陸したってこと?
とりあえず、Copyright 2007-2008 © ReKoo.comの中国語サイトと紛らわしい名前つけて2009年からはじめたrakoo.jpは今すぐ名前変えるべきじゃないですかね。こんな話もあるようだし使いたくなくなるよ。
要するに保育はビジネスモデルとしては成り立たないってことだと思う。介護事業がほとんど成り立ってないのと同じ。
なぜなら、保育は完全な労働集約型産業でしかも顧客は金持ちではない普通の人(むしろ貧乏よりの層)が多いから。
売り上げが全然立たないからコストを圧縮するしかなくて、現場の労働者にしわ寄せが行って離職率が上がり、ノウハウを蓄積したり改善したりすることができなくなって、いつまで経っても状況が良くならないという負のループに陥りやすいんじゃないかな。
長期的に少子化だから…とかいうのは今のところあまり関係無い気がする。少子化が進むタイムスケールと、ビジネスとしての投資回収に必要な時間のスケールとが結構違う(投資回収の方が短い)から。
子供は国力の要なんだから、こういう状況には国が対処するべきだと思うけど、日本の少子化対策はどうもトンチンカンなことばっかりやってるからあまり期待できないよね。
別の調べ物をしていたら、日本ABC協会が発行している新聞発行社レポートの
09年上半期(1~6月)の全国紙、ブロック・地方紙の平均部数が出ていた。
http://img.fujisan.co.jp/digital/actibook/2467/1381679829/267295/_SWF_Window.html?mode=1063
直接見れない場合は、業界紙である文化通信の8/24デジタル版1面がチラ見から。
http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281679829/b/267294/
新聞の危機と叫ばれているにしては、それほど減っていない印象。
これはABC部数至上主義を糊塗しているだけなのかしら。
2年前に毎日役員だった河内孝の「新聞社 破綻したビジネスモデル」で
毎日・産経・中日の連合案なんてあったけど、産経が35万部減らした
今となっては現実味が薄れてしまった感じ。
はてなで産経は、乾正人・阿比留瑠比・福島香織なんかネタになることが多いし、
内容としては、10の団体が15分ずつ自分たちの事業をプレゼンして、そのあと茶話会で仲良くなりましょう!みたいな構成だったんだけど、30分たって最初の2つの団体のプレゼンが終わった段階で、居たたまれなくなって帰ってしまった。
社会起業の第一義的な意味は「社会の問題点をビジネスの手法を使って解決する」であるはずだし、それこそが社会起業の意義だのだろう。つまりビジネスによって得られるマネーよりも、ビジネスによって社会問題を解決し、その功績、貢献度合で成功の如何が測られる。
営利目的企業の活動からはこぼれおちた、社会問題を鋭く射抜いたような、それでいて洗練されたビジネスプランを以て今日のプレゼンが聞けるのだろうと期待に胸を膨らませて会場に着いたのだが、
▼何が不満だったのか?
実際にそこで行われたプレゼンは、ビジネスモデルや具体的なプランなどなにも関係のない、NPOとボランティア団体のマイクパフォーマンスだった。
最初の団体は、父親支援事業。「父親であることを楽しむ生き方」の理解浸透を目指して勉強会、父子旅行を企画しているというもの。要するに「お父さんがんばろう!」と言いたいらしいのだが、これのどこらへんがビジネスや社会変革に繋がってるのかわからなかった。
二つ目の団体は「ニート、ひきこもりの体力づくりのサポートを目指す」NPO。
10分くらい、代表が元ひきこもりの体験、それを空手で克服したことをしゃべっていた。残りの5分で、パソコンと空手の出張講師の話をして終わった。
俺はここで退席。
残りの8団体のプレゼン概要を見ても、エコ、教育、障がい、いじめといった市民運動家のファッション左翼どもが好きそうなテーマのオンパレードで全く魅力を感じなった。たぶんその後の団体にも強力なビジネスプラン、ユニークなアイデアなんて絶対ない。断言できる。
シンポジウム自体の進行にも非常に問題がある。ひとつのプレゼンが終わると、矢継ぎ早に次のプレゼンに移る。つまり、15分のプレゼンの後には一切質疑応答の時間などなく、いったいなんのためのプレゼンなのだろうか。社会起業家同士のフィードバック、意見交換が今シンポジウムの目的のひとつのはずなのに。 すべてのプレゼンが終わったあとに15分だけ質問たーいむ、ってふざけてんのか。
300人くらいくる、と書いてあったが100人もいなかった。関係者を除くと何人いたのか。
どれだけ社会の為になる「良い」ことをやったことろで、それが収益性と直結しないと後世に残るシステムなんて築けるはずがない。カネがインセンティブになってることかそういうことじゃなくて、ちゃんと利益を出せるような仕組みを作ることでその組織が存続していく。こんなことを彼らに言うと「お金じゃなくて、やることが大事なんだよ!」とか言われるのかな。「社会起業」っていう新しい言葉を手にして喜んでる非営利団体にはヘドが出る。
過去の社会起業ビジネスコンテストを見ても、ボランティア団体の「ああ!私たちこんなにボランティアしてるぅ!!」合戦だった。
ベンチャー企業を創造、組織化、経営するために起業という手法を採るんなら、まずビジネスモデルの話をしろよ。
カンボジアに行って林檎の木でも植えるほうがよっぽど「社会起業」だ。
今振り返ってみて、あそこで行われていたモノはなんだったのだろうか。もしあれが今流行りの「社会起業」の正体なのだとしたら、おれが勘違いしてたってことなのか。
人類は焼畑農業とか、動物を狩猟で絶滅させたりした経験から何も学んでいないんだろうか。
当たり前にあるものを、その後の影響を考えることもなく収奪していく。
そして、そのうち当たり前じゃなくなってから騒ぎ出す。
しないよりはいいけどさ。でもそれだけ。しないよりはいいっていうだけ。
今そうやって考えなしに収奪されているのは、人の善意とか良心とかだと思う。
見返りを求められないからといってやりたい放題。
試食コーナーを食べ散らかすような浅ましさ。
法律にのっとっている、誰にも迷惑はかけていないでしょっていうのが定番の文句。
ばかばかしくなって、みんなが無償の善意とか親切心とか遠慮とかなくしたら、きっとまた騒ぐんだろう。
人々の心にゆとりがない、やさしさはどこに行ったとか言い出して。
それからきっと、それらを取り戻すためのビジネスモデルが確立されるんだろう。反省なんかはしない。
もうすでに絶滅寸前だけど、滅びゆくそういったまっとうな人間を見てるとすごく切ない。
残念だったね、もう20年もしたら絶滅危惧種として大事にされるのに。