「アークナイツ」という作品内にレユニオンという集団がいる。作品世界内で差別されてきた人たちが叛逆した集団で、街の人々を皆殺しにしながら勢力を拡大させている。この集団は、とにかく今まで自分たちを差別してきたものを皆殺しにすることが希望だ。自分たちの仲間以外は全員殺しても構わないというかそうしなければ自分たちは助からないと思っている。あまりにも恨みが強すぎて、攻撃色を抑えることができない。いつのまにかColaboはそういう厄介者の集団のように扱われるようになってしまった。
Colaboはもともとフェミニズム的な観点から差別されていた弱者女性を救済することを目的とした組織であった。しかしリーダーの人物は、自分の気に入らないものを手当たり次第に攻撃しする難物であり、そのリーダーの暴走を誰もいさめないそれどころか社会的に素晴らしことをやっているんだと無限に甘やかし続けたせいでどんどん行動が過激になっていった。ある時全然関係のない論戦で負けそうになった時に、腹いせなのか話題そらしなのかは知らないが唐突に温泉むすめというオタクコンテンツを放火しはじめた。この運動に、以前から萌えオタク死すべし慈悲はないとオタクを殴りまくっていた異常者たちが便乗し、一部地域では温泉むすめの活動がキャンセルになったり、運営元が表彰を辞退するはめに陥るなどの被害が出た。このあたりからColaboは単なる弱者救済の事業をやってる善人とはみなされなくなり、レユニオン的な存在として認識されるようになった。さらにAV新法でも目立った動きをしていたことから、さらにその見方は強まった。
どんな社会運動にも功罪というものがある。身内の人間からしたら功の部分があまりに大きく見えるがゆえに罪のぶぶんは見えないだろう。自分たちの行為を批判されると烈火のごとくキレ散らかす。だが、外部から見た時に、功罪の罪の部分が極端に目立つようになると、どれだけ攻がしっかりしていてもそれはレユニオン的なものとみられるようになる。思えばTwitterでのフェミニズム活動からmetooからkutooまで、いろんな運動が出てきたが、どの運動も「些細な批判すら許さない」「身内でのなれ合いを崩すことは許さない」という態度のせいでおかしくなっていった。運動理念よりも「気に入らない人間を殴るための便利な道具」として使いたがる人間がすぐ調子に乗ってあちこちを攻撃しに行くようになり、批判されたら「フェミニズムを否定するのか」「kutooを否定するのか」と開きなおるような過激な人間を制御できなかったことで崩壊していった。何度も何度も何度も同じ間違いを繰り返して、それでも何も学習しないような連中が、自分に都合の良い場所を目指して転々としている。あくまで仮定の話だが、もし今後Colaboが影響力を失ったら、節操なく違う運動に寄生して全く同じことを叫び続けるのだろう。正しい社会運動のためには、こういう寄生虫を排除することが必要になるのではないか。今残っているColaboに寄生しようとする厄介者連中というのは大半が「ウマ娘のエロ絵を描いて周りから批判されているのに、それを無視し続けた結果公式から強制的に追放されるまで好き勝手にふるまい、そして追放されたらすぐにブルーアーカイブのエロ絵活動に乗り換える恥知らずな絵師」と同レベルにしか見えない。調子に乗りすぎて、力づくでつぶされて、そうなったら節操なく居場所を乗り換える。オタクとColaboに連帯するとか言ってるやつはどっちも行動様式から思考レベルまでよく似ている。萌えオタを批判してるやつは、単に正義オタクなだけで、正義とは程遠い。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10262793480
http://doujinsokuhou45.com/archives/18960805.html
Colaboは早くこの厄介正義オタクを切り離し、レユニオン的な立ち居振る舞いから脱出したほうが良いだろう。そのためにも、ちゃんと身内からリーダーをいさめられるような空気を作るべきだ。リーダーを身内から批判できる人が全くいないようであればいずれ粛清・統括からの自壊しか道はない。もうそうなりかけてる。
フェミに限らず、リベラルとかネトウヨとか反差別とか反原発とかポリコレ厨とか、大半が「厄介正義オタク」で構成されているのだから、無理ゲーでしょ 「厄介正義オタク」そのもの...