「ファイト!戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう」とはアメリカ大統領の誰かの遺言だったと思うが、戦うのがダサい痛いとされる今時じゃそんな言葉は流行らないだろうな。
ジャンプ黄金時代とは違って90年代以降ポストモダンが浸透し明確な善悪の区別がすっかり消失したこともこれに起因する。ほとんど全ては善なのだ。みんな違ってみんないい。
では多様性ある今の時代何が重視されているかと言えば答えは簡単コミュ力である。我々(脱)ゆとり世代の日本人は義務教育課程でスクールカーストの洗礼を受けてお勉強よりも何よりもコミュ力の重要性を学ぶ。
しかしコミュ力という言葉は甚だ曖昧でそこには自信のなさから来る人見知りが多分に含まれる。要は日本語能力とか言語的知能の問題よりも対人緊張や受容的態度などの気持ちの問題が大きい。
なるほど確かにコミュ障が多いとされるオタクと言われる人達は排他性が著しく異質な人間たちとのコミュニケーションには困難をきたすが、対立感情のない仲間うちどうしでは円滑に交流しているように見える。
それで満足に生きていけるならわざわざ異質なものと交流する必要などないというのもポストモダンな現代社会における道理であろう。換言すればコミュ障それ自体には全く問題がないのである。
自分の幸福にとって必要な他者受容のレベルがどの程度かそれを見誤っていなければ、何らかの自分とは無関係なクラスターでコミュ障と非難されても気にすることはないのである。
しかし一方で気持ちの問題を度外視した純粋なコミュ力、これをトーク力と名付けるが、トーク力が無い人間はこれからの社会死滅していく運命なのである。
気持ちというのは(対人不安障害でもない限り)相手によって大きく変わるが、トーク力は誰が相手でも基本的に共通しているから大事なのだ。
聞き手の年代・性別・人種などで話題の展開しやすさに違いは生じるが、そこは知識ですぐに補完できる部分であり本質ではない。
話すべき相手なら当然事前に知識を入れてるはずであり、知識不足でうまく話せない相手というのはあまり関わる必要のない相手だから気にしなくて良いと割り切って考えることもできる。
ではどうやってプロはトーク力を磨いているのかという疑問が当然わいてくる。トーク力といっても様々な状況があるが例えば友達3人以上で話すときにはテンポの良さが特に重視される。
多人数であるほどあまり独りよがりに話を拡げることは出来ない。中身のある込み入った話が求められることも少ない。となれば自ずとテンポが最重要になるわけだ。
誰かが何か発言した瞬間に話をほんの少し拡げるような一言ボケを入れる。そんなスピード勝負になるから場をリードする人間であるにはスピードが命。瞬発的なトーク力のない人間に発言権はない。
瞬発力ない人間は発言権がないからなかなか多人数の会話でのトークスキルが磨かれないという負のスパイラルに陥る。でも作文の瞬発力は何も多人数のトークだけで鍛えられるものではない。
いやむしろ人との実際の会話よりも多くの時間を毎日費やしている日頃の思考のほうが大事なのだ。日頃見聞きしたものを独自の着眼点で吟味して話の引き出しに入れておく。
そしてここが重要なのだが引き出しを人との会話だけでなく自分自身の思考にも積極的に活用せねばならない。日頃使っているから素早く引き出しに出し入れできるようになるのだ。
さて話者が二人である時には、互いの興味をかなり具体的に想定できて共通の話題を見つけやすいため突っ込んだ話が可能になる。話題をテンポよく変える必要もない。
ここで重要になるのはスピードよりもバラエティである。バラエティと言っても娯楽番組じゃなくて多様性な。柔軟に変幻自在に話題を拡げられること。
結局これも日頃の思考がベースになってるんだよね。話題が広がらないと会話が途切れるのは誰しも経験したことがあるだろう。なぜ話題が広がらないかというと
話題の引き出しの少なさも勿論あるんだけど、それ以上に引き出しが乱暴にしか整理されてないのが大きい。例えば、トーク力が致命的にない人間に限って
大抵「女は馬鹿」みたいな凝り固まった考え方にとらわれている。過度な一般化と断定口調とそれを強弁するための乱暴な言葉遣いが特徴だ。
これでは浅い会話しかできず表面でしか繋がりのない人間関係しか構築できないのは当然である。そしてその原因は物事の認識が曖昧かつ大掴み過ぎることにある。
何も天才的頭脳なんて必要なくて普通に日頃から色んなことをまんべんなく考える癖があるかどうかの話だ。それが出来てる人ほど頭が柔らかく、話をしてても会話が広がりやすい。
コミュ力及びトーク力の重要性なんて、多層化されてる社会が可視化されてて更にそれらへのアクセス方法もある程度用意されてる今のほうが昔より低下してると思うのだが。単純にそ...
「多層化されてる社会が可視化されてて更にそれらへのアクセス方法もある程度用意されてる今のほうが昔より低下してる」のはコミュ力の重要性の話だな。現にその話をした。しかし...
コミュニケーションが不要な状態でトーク及びそれによって得られる発言権なるものが必要となる状況ないしそれによって死滅するという事態がよく分からないのだが