2014-05-06

喪失物語たまこラブストーリー

観てきた。TV版は1秒も観たことがなくて、キャラ設定も背景情報も完全にまっ更な状態なのでトンチンカン感想かもしれないけどまあ大筋では外してないと思う。

ネタバレのある感想である。が、ネタバレ重要ではない作品なので未見で読んでしまっても特に問題はない。ストーリー予告編にほぼすべて出ている(男が幼馴染の女に好きだと告白し、いろいろあって女はそれに答える。男の思いは受け入れられるか?答え:受け入れられる)。

本編前のショートストーリーは南の島の王子付き人の娘と鳥?が餅をこねながら会話する小芝居だが特段面白いと思うものはない。鳥が普通に人語を喋り、翼を使って餅をこねたりする世界に説明がまったくないのはどうかと思った。丸めた餅を島民に配るという話なって、餅は食べなれない人たちだと喉に詰まらせてしま危険性があるので大丈夫なのだろうかと思ったら、後の本編で餅屋の主人が餅を喉につまらせるという展開になって、ブラックジョークになっていた。

本編は悲しい別れの話であった。京都高校3年生のたまこは髪はぼさぼさ、いつも少しとぼけているが商店街にある家の餅屋の仕事高校バトン部の活動には熱心である。向かいの店の跡取り息子であるもち蔵(すごい名前だ)とは幼なじみで、2階の窓から電話で会話をする仲。美術大学への進路が決まり上京することになったもち蔵はたまこ告白するという、まあ言ってみればそれだけの話なのだけど、それよりも私にとって心に深く訴えたのは二人の幼なじみの仲をとりなす、バトン部の部長みどりたまこを失ってしまうという喪失物語であった。

みどりがもち蔵にたまこへの告白背中を押すとき、「貴方たまこのことをいつも観てる」と言う。それはつまり

a) みどりはもち蔵のことをいつも観てるからわかる

b) みどりたまこのことをいつも観ているからわかる

のどちらかということである最初みどりがもち蔵の告白背中を押してしまったことを後悔していたので、これはみどりが友人に恋を譲る話a)なのかな?と思ったが描写が進むにつれそうではないことがわかる。みどりたまこのことが好きでいつも観ているb)のだ。だからたまこの気持ちも知っている。たまこがもち蔵の思いに答えて、変わってしまうことも知っている。これは彼女にとっての悲劇である

みどり自分の思いを押しとどめ、たまこともち蔵の仲をとりなす。たまこ相談されても自分の気持ちを言えない彼女の胸中はどんなものだったのだろうか。その思いにわたしは心打たれる。

物語の最終盤、教室でもち蔵を待つたまこへ、京都駅に行ったもち蔵を追いかけるようにと教えるシーンでみどりゆっくりと歩いてやってくる。自分がもち蔵の居場所たまこに知らせると、彼女は追いかけることが分かっていて、その思いに逡巡しているのだろう。だからゆっくりと歩いて教室へやってくる。もち蔵の元へ行ってしまったたまこ見送りながら、みどりは校庭で叫び声を上げながら走り、木の下で自分たまこを失ってしまったことを受け入れて笑顔を見せるのだった。

“愛してその人を得ることは最上であり、愛してその人を失うことはその次に良い” ―― サッカレー

山田監督ならではの女性らしい心理描写、女性目線仕草、美しいカメラ配りは見事としか言いようがない。良い映画だった。

一方で、わたしは男であるので男性描写はどうだろうかと思う。

まず、もち蔵の所属するあんなオシャレな映画部はちょっとないだろう。高校映画部といえば、傑作「桐島、部活やめるってよ」の映画研究部であり、リビドータナトス丸出しで自分たちを見下す体育会系と女どもに復讐する、そんな映画を作ってなければ嘘だろう。映画研の連中ももっとこう残念なオタクであるべきだ。

それにもち蔵の部屋があまりにオシャレすぎてすごく漂白されていると感じる。あの年代なら女の子ことで頭は一杯で、夜中はオナニーをしていないとおかしい(わたしが高校生の頃は毎日少なくとも3回はしていた)。自分の部屋におもちゃ汽車模型を置くのもヌルいとしか言いようがない(電車が好きならもっとリアルモデルを買うべきだ)。総じてもち蔵とその周辺の男子にはリアル男性らしくない人形らしさが目立ち、たまこともち蔵の関係に私がただありきたりだからというだけでなく興味を抱けない原因ではないだろうか。

また、終盤に物語が反転するキーとなる、たまこの父が母へ送った歌のテープカセットであるが、何度も聴いているはずなのにはじめてテープに続きがあると知るというのは無理があるのではないだろうか。ついでに言うと、主人公の幼い妹の銭湯での着替えシーンを背中から延々と撮るのはちょっとどうか思う。このへんは残念だった。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん