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2023-11-14

anond:20231114005231

アプデしろ!→年寄りの冷や水は見苦しい、一貫性が無い

主張を曲げずに貫け!→時流にそぐわない、迷惑

…もうしんでっていえばいいじゃん😭

2023-03-08

人生最大のコンテンツが「ウンチ」になってきている

加齢によってあらゆる能力が衰退してしまった。

そのせいで本を読んでも内容が頭に入らない。

ゲームスポーツもまともに結果が出ないことに苛立つ。

だがボーっと釣り糸を垂れるような人生の使い方をするのは流石に勿体ないと感じてしまう。

美術館を巡って目玉の展示とやたら長い時間睨み合ったりするというのを思いついて実行に移したが、感受性も落ち着いてしまったのか第一印象以上の何かを見いだせたかさえ疑問に終わった。

こうもまともに生きれなくなってくると今度は「老人なりに自分の体を労ること」が趣味になってくる。

温泉に行くとかグルコサミンサプリをいくつも試すとかそういったことで「身体改善されていると錯覚すること」が本当に楽しいので辛い。

学ぶ・観る・遊ぶといったことで得られなかった達成感が健康に関してだけは得られる。

年寄りの冷や水ジム通いをして救急車を呼ばせる迷惑な老人が産まれるのも納得の楽しさだ。

その中で最も楽しいのが「ウンチ」だ。

ウンチ」は奥が深い。

主成分は食物繊維と腸内細菌であり、食事を減らして飲料中心の生活をしても細菌分のウンチは出てくる。

だがその量は通常よりも明らかに少ない。

では逆に食物繊維を取るとどうなるかというと、「取った食物繊維の分×(1+便の水分量)」が出てくる。

ウンチは水分含有率が高いので、大体5倍ぐらいになって出てくると思えば良い。

CMでたまにある食物繊維スティックで言えば、1本飲めば5本分ウンチが増えることになる。

1日3本飲めば15本分であり、スティックシュガー15本分ともなるとかなりのモリモリであることがわかる。

またウンチの形状は食物繊維依存する。

水溶性食物繊維だけをひたすら取りまくると、極めて危険なドロドロウンチを生み出すことが出来る。

少し力むだけでニュルニュル出てくるので、透かしっ屁をしようとしたとき直腸にあったら間違いなくアウトだ。

ただこれはその危険性が楽しいだけでウンチを出した時にメキメキと尻穴が広がりこの世界に新たな何かが飛び出していくあの感覚は味わえない。

やはり理想の「ウンチ」は「ちょっと硬めのごん太ウンチ漫画に出てくる💩の形が作れそうな一本勝負で出すこと」に他ならない。

尻穴を通っていつまでもいつまでもウンチが出続ける時の無限感に勝るものはない。

出し終わったあとの内蔵が一つゴッソリ抜けたような腹の物足りなさはサウダージさえ感じさせる。

これだけ大量に老廃物を出したのだから俺の体はどれほど綺麗になったのだろうかという達成感、これが今の渡しにとって人生最大のコンテンツだ。

今の私はある意味ウンコ製造機としての生を過ごしているのだろう。

ウンコ製造することに喜びを見出している。

誰に見せるでもなく下水道の奥へとただ流すだけのウンコ

それを少しでも納得の行く形にしてひり出すことが人生価値となっている。

だが考えても見て欲しい。

人生とは元々そういうものではないかね?

誰に頼まれたわけでもなく、ただこの世界を汚すだけの存在として暮らし、むしろ自分が如何に世界に爪痕を残せたかを誇ってきたのが人類史ではないのか?

そこにようやく生まれた恥じらいが、子孫の世代に持続可能性を残すという立つ鳥跡を濁さずの精神なのだろう。

気持ちよく吐き出したウンコを、そっと水洗のレバーをひねって見送ること、この姿こそが現代人の生き様死に様というものだ。

ウンコis Life

皆もウンコライフバライスを大切に生きて欲しい。

2019-05-12

[] #73-7「娯楽留年生」

≪ 前

「『キュークール』も観ているんですか。キュアキュアを観ていたってことは、そういったジャンルはかなり長いんですねえ」

何が悪いんですか。子供の頃に持った趣味を、今もなお続けている。良いことじゃありませんか。悪い理由がない」

「いきなり、どうしたんですか。別に悪いだなんて言ってないでしょう」

フォンさんの拗らせ方は、些か厄介といえた。

「やはり子供がいると自分時間が徐々になくなって、以前のように趣味に没頭できなくなるでしょう」

子供言い訳に使う人は、所詮その程度だったんですよ。ワタシはキュアキュアを観ていました、子供と一緒に!」

「なぜ、そこまで“子供と一緒に”を強調する」

現在社会的生活を維持しつつ、趣味も維持する自分”というものに並々ならぬプライドがあるらしい。

趣味継続させる”って意識が、そもそもズレているような気もするが。

「この歳になっても最新の動向を追いつつ、長年続けていくのは趣味だとしても大変でしょう」

別に大変だと思ったことはありません。仮に大変だったとして何も問題はない」

「ふむ、確かに自分はこの年齢になってからアニメを熱心に観るようになりましたね。たまにちょっと疲れていて、観ている途中で寝てしまますが、ハハハ

「それは年寄りゲートボールやり始めるようなもんでしょ。若い頃に始めた趣味継続させられるかって話と、ワタシの話を同列で語らないでくれ」

「さっきから、なぜそんな喧嘩腰なんだ」

しかも、酷く敏感になっている。

マスター個人的エピソードにすら、まるで自分否定されているかのように噛みつく。

あなたたちはワタシの趣味を軽んじている。年寄りの冷や水だと思っているんでしょう! ワタシが飲んだら腹を下すと思っている!」

周りの言葉が全てネガティブに聞こえているようだ。

言葉解釈差異こそあれど、“そう聞こえてしまうこと”に過敏なのは“思うところがあるから”だ。

他人生き方自分と違っていても、それはイコール否定にはなりえない。

趣味人の在り方だって千差万別だ。

自分は上手くいっているからだとか、自分のやり方がそうだからってのは大した理屈じゃない。

なのにそう言って憚らず、他人もそうあるべきだ、でなければ趣味人としては落第だと言うのは間違っている。

「ワタシはアニメに関する仕事をしているし、そういったものにも理解がある。ワタシは子供向けだからだとか、色眼鏡で見たりしない。ワタシは『キュークール』の大ファンだ!」

にも関わらずフォンさんは、他人姿勢否定して、己を大きく見せてまで自尊心を保とうとする。

ネガティブ思考で「自分ポジティブ趣味に励んでいる」と捲くし立てる。

翻って、どこかに負い目があることへの拒否反応といえた。

「あの作品には自由、愛、平和多様性が溢れているのに、あなたたちにはそれが分からないのか!」

そう語るフォンさんが、そのアニメから何も吸収できていないのは皮肉な話だ。

まあ、アニメの影響力なんて良くも悪くも所詮そんなもんってことなのだろう。


フォンさんの趣味アピールは留まるところを知らない。

「ワタシは楽しんでいる! 有意義だ! 納得している! あなた達とは違うんです!」

センセイたちはウンザリするしかないだろう。

とどのつまり趣味は各々が好きな配分でやるものだ。

マトモに笑うこともできないまま、いきり立って「自分は楽しんでますよ」といっても説得力はない。

それは、もはや趣味領域を越えているだろう。

「だめだ、だめだ。あの『キュークール』の素晴らしさと先見性が分からないなんて! アニメオタクに未だこんなのがいるから、この国は前時代的な表現がのさばり続けるんだ!」

フォンさんのおかしさを、恐らくセンセイたちも感じ取っている。

言語化して、指摘することもできるだろう。

だが、言わない、言えない。

なにせ本人が「楽しんでいる」、「有意義だ」と言い張っているから。

どんなに社会通念上やりすぎに見えても、個人自由から

から見て、明らかに意固地になっていたとしても、本人が良いと言っているのだから

非合法でもない限り、他人趣味にとやかく言うべきじゃない、なんて言うまでもない。

だが、それでも、今のフォンさんにあえて投げかけるべきはそういった言葉だ。

しかし居直られては、もう放っておくしかない。

余計なお世話をしてやる義理はセンセイたちにはなかった。

もし、言える人間がいるとするならば……。

「お父様……ひょっとして」

ジョウ先輩が何かに気づいたようだ。

突如、ドレスを着込んでいるとは思えないほどのスピードで走り出す。

そしてフォンさんのいる、喫茶店の扉を勢いよく開けた。

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