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2023-07-06

ミスター・ポポラッツ&スター

80年代に「ラッツ&スター」というソウルファンクバンドが人気だったのを知ってますか?(憶えてますか?)

7人のメンバーのうち4人のボーカルが顔をアフリカ系アメリカ人風に黒く塗り、白い手袋をして歌うというスタイルバンドです。


当時小学生くらいだった世代には『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』と

同時期にヒットしてた『め組の人』を歌ってたグループと言った方がはやいかもしれない。


今だったら説明するまでもなく

「顔を黒く塗って、白い手袋して、黒人音楽やるってミンストレルじゃん」

「ヤバくない?アンチポリコレ過激派かなにかなの??」

ってなると思いますが、当時はインターネットがなくて、ミンストレルがどういう歴史的意味を持つのか誰も知らかったのと、

欧米コンプレックスバリバリの現役で、洋楽エライ日本歌謡曲ダサいJ-POPという言葉もない)

という構図が確固としてたこともあって、洋楽風の「オシャレな音楽」として普通に受け入れられてました。


まぁ、本当にオシャレな人は元ネタ洋楽聴いてたかもしれないけど、日本歌謡曲チューニングされた耳でもわかる

昭和大衆向けにアレンジされた「洋楽風」歌謡曲って感じですね。今思えば。


で、鳥山明ですけど、『Dr.スランプ アラレちゃん』というギャグマンガデビューた当時は、

アメコミ風」のテイストを取り入れたちょっとオシャレな画風のマンガ家ってイメージがありました。


アメコミ風」といっても、80年代というまだまだ欧米コンプレックス特に米国コンプレックスが強かった時代に、

西洋っぽい絵柄を雑に「アメコミ」と括っていただけで、必ずしも「アメコミ」を参照してるわけではないです。

大友克洋元ネタメビウスだと知ってるような人でも、メビウスアメコミと言ってしまうような時代だったので…)


とにかく、当時の鳥山明の絵は、同時代の、昭和臭のつよい、あか抜けない絵柄のギャグ漫画家の表現とは

一線を画す新しいものとして受け入れられていたのは間違いないと思います


そういう位置付けの(そぅいう作風の)作家ですから、当時のハリウッド映画ドラマからも、

キャラクター造形に限らず色んなカタチで「進んだアメリカ風の」表象を取り入れていて、

それを見た当時の小学生は「最先端ハリウッドっぽい感じが入っててカッコイイ!」と感じていた筈です。

(都合の悪い部分だけ選択的に記憶喪失になってる人も多いみたいですが…)


そんな風に無邪気なあこがれから輸入したイメージの中には、当時アメリカではすでに問題視されつつあった

黒人ステレオタイプも混じっていて、その具体例がDr.スランプサンデーブラザーズだったり、

ドラゴンボールブラック補佐だったり、ミスター・ポポだったりするは事実として認めざるを得ないと思います


似たような例として、FFVII Remake の開発主要メンバー野村哲也だったと記憶している)が

バレットキャラクター造形(見た目に限らず)には、80年代に見てたハリウッド映画の影響を受けた

黒人ステレオタイプが多分に入っていて、アップデート必要な部分が多かったが、

古参ファンから日和った、ポリコレだ、と言われるのも嫌なのでバランスに苦労した」

という主旨の発言をしてたということもあります


まり何が言いたいかというと、80年代から90年代前半くらいには欧米への憧れとか、

昭和的な貧乏臭さを回避するための手法として、無邪気に海外メディアから表面的な「イメージ」を

頂いてくることがよくあって、そうやって大量に輸入された表象の中には、

ネットが普及して、リアルタイムに(微妙文脈ニュアンス込みで)情報が入ってくる今なら

決して肯定的引用をしないようなものが混じってることがあるよ、ということです。


そして、ラッツ&スターミンストレルのようなものなら

無知ゆえにウッカリやっちまいました。でも、アメリカとか黒人音楽への憧れが大きかったことを分かってください」

みたいな感じで間違いを認められるのに、アニメ漫画の事となると

ポリコレによって表現の自由が侵害されている!」と噴き上がってしまうのは何でなんだろうか?という疑問…


黒歴史黒歴史として認めてしまった方がよくないですか?

2018-06-26

君たちはどう排泄するか(私はこう排泄する)

こないだ同居人ウイルス性胃腸炎になった。旅行から帰宅した朝に気持ち悪いと言いだして横になったかと思うと、トイレへ爆走し、前夜に食べたタイ風から揚げやモンゴルパンの残骸を吐いた。その一連の動作すばやさは初期ミスターポポを思わせるほどで、これは大変だと駆け寄り背中をさすったところ、「さわらんでぇ!」と渾身の北陸式ノーサンキューを受けた。気持ちはわかる。吐いてるとき背中をさする人のおせっかい感はピンクフロイドアルバムおせっかい20枚分くらいに相当する。しかたなく水を持って後方待機していると、彼女の全身は嘔吐の瞬間、筋肉が隆起してビキビキになっていく。全力だ。もうめちゃくちゃに全力淑女だった。さっきの韋駄天のごときスピードも考えると、異常な力を発揮している。思えば人間は「なにか」を催してしまったとき、このような通常の範疇をこえた力を出すことがある。そうやってこの緊急事態に立ち向かうのだ。「なにか」は三種に分類され、それぞれ「うんこ」「おしっこ」「ゲロである。催し界の三強。というか催し界はそれ以外にいない。この界隈は衛生陶器業界以上の完全なる寡占市場である。かくいう私もこのビッグ3には幾度となく辛酸をなめさせられてきた。特にうんこである。私にとってのうんこ錦織選手にとってのジョコビッチに相当する(だいたい負ける)気まぐれな小悪魔うんこにより私の自尊心は何度もズタズタにされ、何枚ものオキニパンツたちが葬られてきた。つまり私はうんこ辛酸をなめさせられてきた。そう、私はうんこ辛酸をなめてきた(!)あるとき花園神社境内でむせび泣き、あるときは仲間たちの嘲笑を受けながら学校トイレにこもり、あるときは家でも寸前で間に合わずカーペット張替えの大惨事をひきおこしてきた。そのときそのときは全力で最悪を回避すべく尽力したが、私は非力だった。彼女のように人の心を捨てミスターポポと化してもどうしようもならないことはある。ビッグ3は強大だった。催し界のチャンピオンズリーグを制すには身体能力以外の力が必要だったのだ。私は年2・3回の戦いをコンスタントにこなしながら、ついに王座を奪取するたったひとつの力を知る。それは、「決断力」だ。「決断力」とはなにを「決断」するのか。それは開き直ってクソをすることである。もうただその場でクソをするのであるおしっこならサーモス水筒へ、ゲロなら弁当箱突っ込みうんこリュックの中にしてしまうのだ。この力をもってして、私はかつてないピンチを乗り越え、それどころかチャンスに変えてきた。ベイブリッジ夜景を眺めていた際の急襲にもなんなく嘔吐決断し、直後スムーズなキッスをかました。富山のまんだら遊苑では天国ゾーン横の森にてナップザックグソを選択しすれ違う子供たちを欺くどころか、軽薄な交流すらしてみせた! もう何も怖くなかった。2010年くらいのサッカースペイン代表みたいだった。ティキ・タカ状態だった。最近ではもう敗北することはまったくない。私は催し界のCLを制したのだ。喜びのあまり、この話を会社飲み会でした。今日、私に話しかける同僚はいない。王者はいだって孤独である

 
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