はてなキーワード: どこでもドアとは
その上で、どっちを買う?ってことだから、面白い問いかけだなぁと思う。
どこでもドアが普通に、だけど、そこそこお高い値段で買える世界。
普通に自分の海外旅行専用にしても、足+宿代がゼロになる(どこでもドアの置き場所のためのスペースを借りる必要はあるかも)ので、30回くらい海外旅行に行ったら、元が取れそう
3,000万円という価格からすると、一般に普及したレベルの家電みたいなものではなく、企業が売り出す前の試作品や一点ものの段階だろう。(その段階の製品が、どの程度の信頼性なのかは別途検討しなければならない。現実では個人用の空飛ぶ車とか?)
それを持っていることのメリットを活かすとすると、何らかの輸送に関わる商売か、人の輸送を行う商売をするか、犯罪に利用するかだろう。いずれにしても、まだ一般に普及していないサービスができるので、3,000万円くらいならすぐに元を取れるんじゃないか。
元を取る前に、何らかの法的な規制が入るかもしれないけど…
A地点を家の中に設置したとして、B地点に出現したどこでもドアを回収するすべがない。
例えばフランスにいったとして、フランス現地に出たどこでもドアは、延々と運び続けないといけない。
まあ話はちょっとちがうんだけどさ、どこでもドアの行き先を公園にしたら、ドアを開けたら当然公園の景色が見えるわけだよな。
じゃあ行き先を自分の真後ろにしたら、ドアを開けたら何が見えるんだろう。
ドアノブを掴むとその人間の脳波をキャッチしていきたい場所を瞬時に判断して超空間を通じてそこに移動できる
ってところまではまだ理解できるとして
こっち側のドアはドラえもんが設置してるからいいとしてあっちがわのドアはどういう理屈で出現するんだよ
むしろ複数のドア同士がパラレルにリンクしていて、事前に設置してあるドア間を自在に移動できる、とかのほうがまだ使い道がある気がする
どこでもドアを使って移動した場合、移動先(移動元)にドアは残ってるのか?
ドアを閉めた瞬間に移動先のドアが消えたりするんだろうか。
あるいは移動先にドアが残って、移動元のドアは消えるんだろうか。
あれ、移動に伴う物理学的な制約をあのドアの寸法という点を抜きにしてすべて取り去るような仕組みだよね。
「どこでも」というのはつまり単なる「移動」のカテゴリに関連付けられる意味だけではなくて、場所として意味付けされ得るすべての存在をあの一枚の板の向こうに集約するという「どこでも」でもあるわけだ。
物理学的現象を意味論的論理性により定義してその論理性の構造内に我々という物理学的現象を再定義するための現象とも言える。
そうなるとどこでもドアの先は、我々の宇宙のとある座標というより、単一の「この」どこでもドアという現象によって支配された論理空間なのではないだろうか?
そう、もしその通りなら、どこでもドアをくぐった先に行った人間が、どこでもドアの手前のこの宇宙から消えることになるからね。
どこでもドアをくぐった人間が、ドアの先の論理空間内に広がる我々の宇宙にそっくりな別の宇宙のとある座標に転送されるイメージといえばわかるだろうか。
そうなればドアを閉じた後、その人間に電話をかけても繋がらなければ証明できそうだ。
だがしかし我々の誰もが知るようにどこでもドアはそういうものではない。
ドアの先が5m先であればこの宇宙の中の5m先の座標に確かにその人間は移動できる。
これはどういうことか。
ここで考えてみる。
先ほど私はドアをくぐった先にはどこでもドアによって定義された論理空間が広がっていると言った。
この我々の宇宙も。
どこでもドアの向こう側にとっては、ドアの先にある宇宙なのだ。
ドアの向こうも、
ドアの手前も。
どこでもドアという一枚の薄い現象が宇宙に成立した瞬間、我々の宇宙も、ドアの向こうの宇宙も同時に出来した。
というよりも、ドアのあの薄さの中に、「一つの宇宙として同時に」存在している。
ドアにとっては、向こうも手前も無い。ただたんに現象として論理学的操作を行う一枚の板だ。
そしてドアはドアの薄さの中に我々を造った。