2021-12-24

攻撃的とか難しい人という話は現場を見ないと分からんが、なんか前進することに否定的な世の中になってるんだな、と思った

左の人が言いがちな、経済的成長は幸福をもたらさない、みたいな話にも近いというか、

集団ことなかれ主義に陥って、保守的になってるんだとも思える

要は、波風立てること=生産性の低下、という思考に陥っている

まり、実際の仕事前進しているかはどうでもよくなっている可能性がある

文章内の攻撃的とか難しい人というのが、本当に仕事妨害している人なのかは現場を見ないとわからない

から、そういう抽象的な表現で、そういう人は邪魔だよね、排除した方が生産性が上がるよね、というのが寧ろ攻撃的に思える

単なるトートロジーである

個人的に思うのは、感情的な人が仮にいたとしても、寧ろそれに流されない方が良いのではないか、ということだ

感情的な人や攻撃的な人が悪というより、単にその感情的要素は無視すれば良い

そんなことより、仕事前進してるかどうか、ということだけ考えればいい

そうすれば、相手感情的であるかどうか、なんてことは、どーでもいいことのはずだ

ログミーの話は抽象的すぎるので置いておくとして、トゥギャッターの話は自分モヤモヤする

「どうして〜なんですか?」

という疑問に返答しない、寧ろそれに苛立つ、という人の方が寧ろ感情的であり、攻撃であるといえまいか

返答内容が、そう決まってるからそうなんです、でもいいではないか

サラッとそう流せばいい

相手がそれでも執拗に言ってきたとしても、そう流し続ければいい

仕事に集中していれば、それが可能なはずなのだ

どうして、それができないのか?

まり受け手側もその質問と同じ疑問、苛立ちを持っているとも考えられる

要は、痛いところを突かれた、図星だ、だから指摘に腹が立つ

そういう風にしか思えないことが、仕事であれ日常生活であれよくあるように自分は思う

しかし、まあ、それも人間らしいともいえる

痛いところを突かれた、図星だ、そこから過剰な防衛反応に移行する

素朴な疑問を呈した人間攻撃的だ、

素朴な疑問を呈した人間は難しい人だ、

攻撃的な人、難しい人は生産性を下げるという論文がある(某メンタリストのような権威主義恣意的論文引用による正当化

この手のネタネットはいものことだが、正直ウンザリする

自分加害者でも被害者でも、そんな推論のハシゴゆっくりなんてとっくにやってる

ゆっくり登ったって、論理的思考ができない人は圧倒的にできない

「なんで〜を選択したんですか?」

という問いに丹念にゆっくり、その推論のハシゴかいうのを登ったところで、一番上に到達する前に相手議論放棄する

特に上司というか、仕事での権力関係があれば、それは顕著になる

ゆっくり議論をしようとすれば、そんな時間はないと怒り出す

結論最初に持ってくれば、それはそれで急ぎすぎだと言いつつ理解しようとしない

じゃあ、ゆっくり議論ができたらどうなのか?とできたとしても、そこには人間思考としての意味人種が違うという圧倒的な壁が出現する

あー、これは最初から会話にならないのに、自分は頑張ってたんだな、という徒労感だけが残る

から仕事では丁寧な議論なんて単なる無駄なのだ

仲良しクラブは成り立たないし、グーグル心理的安全がどうこう言おうがクソ食らえだ

理不尽であれ、そんな丁寧な議論は、上から一蹴されるだけで終わる話なのだ

オチを考えずにだらだら書いてみたが、やはり思うのは、結局議論意味なんてなくなるのである

推論のハシゴなんて無駄

そんなのは馬鹿げてる

だったら、上が絶対君主でやった方がまだマシである

これはマキャベリズムとして正しいし、意外とマキャベリズムは正しいことが多いのが現実である

ログミーなんか読むより、君主論読んだ方がいいのではないだろうか

理想的な、みんなが理解し合えるチームワークなんて絶対成り立たないことは、バカ自分でも長い人生経験で分かってる

単に目下の素朴な疑問を持つ人は、攻撃的だ、難しい人だ、で集団が追い出せばいい

いわゆる、イジメ虐待の構図だが、それは集団社会では仕方がない面もある

しかし、これが上司権力構造的に階層が上の方向に向けるなら話は別だ

上司攻撃的だ、難しい人だ、で追い出すのは非常に困難だろう

これは日本でなくても、他の国でも変わらないように思う

端的に言えば、上司が難しい人、攻撃的、それが気に入らないなら辞めるしかない

不愉快時間人生を消耗するのもイヤだろうし、それが金銭利益より優先されることもある

マキャベリの言う3つの脳だったか

1. 自分理解できる

2. 自分理解できないが、側近が理解できる

3. 自分も側近も理解できない

があって、まず3は避けたい、というのがあったように思う

敵が奇襲してきた、現代社会なら新しい技術が注目されている、

それに対して、君主である自分は分からない、側近に相談しても側近も分からない、

これは当然避けるべきである

これまでの人生経験でよくあるフラストレーションは、

例えば、上司がその新しい技術理解できない、これはまあいい、理解できないのは当たり前だが、

側近に相談したくない、自分理解できないのを認めたくない、

理解できる側近に騙されるのではないか、寝首をかかれるのではないか

そういったことを考えているのだな、と思える上司君主は非常に多いように思っている

マキャベリは、君主として自分理解できないことがあり、側近には理解できることで側近に騙される、

そういったことに対して直感的ともいえる、側近のウソを正しく見抜く力、

そういう力がない君主は単に駄目なだけのように書いていた気がする

しかし、他人ウソを見抜くのは難しい

仮に側近が善意で行動したことでさえ、君主には理解されず粛清されることもよくある話だからである

側近を信じ切るような君主バカであるが、疑いすぎる君主バカであるし、

自分理解できないことを側近が理解できることを恐れるばかりの君主は、いつしか敵に打ち負かされるであろう

自分より劣った側近を周囲に置いていないと安心しないかである


あー、書いてて思ったんで再度書くけど、

Googleがこう言ってる、

〜という論文がある、

とか、まあ、参考程度するのはいいけど、それが正しいという前提で話すとか、最近の「頭でっかち」の風潮が非常に不愉快なんだけど…

そもそも人文科学というか、社会科学というか、研究統計調査だって理系のものとは大分違うものだということを理解してほしい

特に脳科学」の研究だの、そういう研究をしている、していたからって、

痴話喧嘩だの人生相談だののレベルに偉そうに口出しする女性とかがメディアに出ていたりするが、

まあ、まともに研究している人ならそんなことはしないわけで、

ソーシャルメディアというか、いわゆる「単なる目立ちたがり屋さん」に自分人生を振り回されるの、馬鹿馬鹿しいと思うんだよなぁ…

それより、理系のこととか、法律とか、そういうことは揺らがないわけで、

揺らがない情報ネットなり本なり調べればいいわけで、

そこから判断自分で考えるしかないわけで、

そこが寧ろ人生真骨頂というか、

というか、なんか最近の世の中は急ぎすぎてるんだか、その自分判断だの悩むところを時間無駄だと思ってないか

一生結論なんてでなくていい、結論が出ないまま悩み続ければいいことに、一足飛びに答えを求める

その「単なる目立ちたがり屋さん」のYouTubeとかブログとかTwitterとかテレビかに答えを求めて、そーだそーだ言ってる

なんか、そういうのって虚しい行為だと思うんだよね

でも、そういう虚しい行為Googleなり、キラキラした企業なり、起業家なりがやったり言ったりしてるんで、

それに飛びつきたくなる気持ちは分かる

そこに答えがあるんじゃないか

いや、もう考えるの面倒だし、それが正解ってことでとりあえずやってけばいいんじゃないか、

みたいな風潮がやっぱりあると思うんだけど、

まあ、馬鹿げてると思うんだよね

人として

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