2021-09-03

難しい文章を読むとき対策方法

概要

自分への備忘録用に書いておく。

すべてにとって共通して言えることは、「なぜ難しく感じるのか」という点と、「どう突破するのか」という点だ。

この2点に集約される。

自分バカから文章が難しいわけではない

難しい文章を読むのは、誰にとっても難しい。

もちろん、ある人にとっては難しい文章が、別のある人にとっては簡単だというのはよくある。ただそれは、前提知識の違いや読み方の違い、たまたまその人の感性が筆者の感性フィットしている場合や、筆者に対してどのぐらい信頼感を抱いているかにもよる。もしそこに差がなければ、同じ難しさになるはずだ。

まり、もし自分と似通った能力を持っている人がその難しい文章を読めば、必ず難しいと感じるはずだ。

思考実験として、自分という人間コピーしたあと、その文章の読解に必要能力だけはそのままにして、さまざまな性格・さまざまな外見・さまざまな人生経験・さまざまな年齢に変えたとしよう。そういう人も同じようにその文章は難しいと感じるはずだ。

わかりやすい例を挙げるならば、タイからやってきたレンさんという存在仮定しよう。レンさんは、日本語猛勉強して、自分日本語運用能力と遜色ない能力を身に着けているとする。なので、レンさんは自分が難しいと感じる文章を同じように難しいと感じる。ここで、レンさんは外国語を相当なレベルまで引き上げることができたのでバカではない。つまり自分バカから文章が難しいわけではない、ということだ。

まりそれは、自分バカから難しい/読めないのではなくて、自分現在能力だと単に難しいというだけであり、「単に差があるだけだ」と認識する必要がある。その「差」とは「上下」ではなく、どのぐらい「違うか」というものだ。たとえばファッションに興味がない人が、ファッションの専門誌を読まないといけなくなったときほとんどの言葉は未知語ばかりで難しい。ただ、そのファッション言葉を知らなくても誰も自分バカだとは感じないだろう。それと同じで、難しい文章を読むための知識が不足している可能性があることだけを認識するだけで、難しい文章を読みやすくなっていく。

アーガイルやAラインシルエットという言葉を知っていても「ふーん」と思われるのに対して、ロピタルの定理はさみうちの原理を知っていると「賢そう」と思われるのは、文化ブランディングや前提知識の差によるものであって、バカとか頭いいとかそういう問題ではない。文化圏によっては真逆の扱いを受けることもあるだろう。

興味が無いと難しく感じる

それに対して一切の興味がないとその文章を読むことは難しい。

「知らなくてよい」「自分には不要」と思っていることを知ろうとするのは難しい。「嫌いな食べ物を食え」と言うのに近い。そもそもそれが自分にとってどれぐらい有意義なのか知らなければ読む進めることさえ困難となる。

興味関心の度合いは、難しい文章の難しさをどのぐらいまで我慢して読み進められるかという突破力に密接に関連してくる。興味が薄いと「こんなもの時間を費やす必要があるのか」と思ってしまうからだ。結論、興味とは「どのぐらい理解したいか」なので、興味が薄ければそれ相応の「理解したさ」になる。そして、それぐらいの「理解したさ」では頭打ちになる場所が来たときに、終わってしまうことがわかる。

知るのに費やせる労力が100で、知るのに必要な労力が101ならば、知ることはできないという単純な理屈であるそもそも「どのぐらいそれに投資できるのか?」という興味レベル重要になってくる。こうしたエネルギーをどう人工的に生成できるかは知らないが、自分を誤魔化してあたかパッションがあるかのように振る舞うことはできる。

未知語・未知概念・習熟していない語は難しいことを知る

未知語や未知の概念や、自分にとって慣れ親しんでいない言葉理解語彙ではあるが使用語彙ではない言葉)が文章中に出てきたとき、それを知らないことや習熟していないことは問題ない。また、それを知らないことで読めなくなることも問題ない。

大事なことは、そのときに、どの言葉がわからないせいで文章理解できなくなっているかを知ることだ。その未知語は、実は他の箇所で説明されていることもあるだろうし、本当に初出の言葉かもしれないし、筆者オリジナル言葉かもしれない。ともかく「この言葉を知らないから正確に読めていない」と考える。そうすることで「この言葉が全体の理解を妨げているのだ」ということがわかる。

実はその言葉はそのあと説明されるかもしれないので、いったん「こういう意味なのではないか」と推測して読むことも必要かもしれない。ともかく、文章が難しいのではなく、言葉が難しいだけなら、言葉を知ればいいという話になる。

文章によっては、循環参照になっている言葉もある。循環参照というのは、たとえば「AとはBである」という説明をしているのに、あとから「BとはAである」という説明がされて、結局何の説明にもなっていないような関係のことを言う。そういう循環参照された言葉は「筆者には自明から説明するまでもないこと」または「筆者も実はよくわかってないこと」のどちらかに分類されるのではないかと思う。こうした言葉は、別の場所自分理解せざるを得ない。

また、知らないことだけでなく知っている言葉でも、その理解度次第ではとてつもなく難しく感じる文章進化する。

たとえば、完全に説明できる言葉理解度を100%・未知語の理解度を0%として、理解あやふや言葉理解度を50%としたとする。そうすると、あやふや言葉10個入った文章理解度は、50%10乗で、0.09%まで低下する。理解度が90%の語でも、20個あるだけで12%まで低下する。この数値は、掛け算で雑な計算をしただけなので、実際のところは実験なりなんなりしないとわからないが、ともかく、あやふや理解言葉ばかりが並んでいる文章を読み解くのが困難だということそれ自体には納得していただけるものと思う。

自分では100%理解していると思っている言葉でも、実際には98%程度だということもある。むしろ100%理解している言葉などないと思ったほうがいいかもしれない。相手人生こちらの人生が違う以上、全く同じ意味で使われている言葉などないものだ。未知語うんぬんにとらわれず、どの語が理解を妨げているか検出できれば、あとは調べるだけになる。

厳密・正確に書かれた言葉構成されるものは難しい

事細かく書かれた描写を読み解くのはとても難しい。1つ1つの文も異様に長くなるため、本来平易な概念でも、ひとつ考慮漏れも逃さないようにするために緻密に書かれ、そのせいで難しくなることがある。

厳密にするのは必要なことも多いが、概要を示さないでいきなり厳密な論理展開を始める文章も多い。そうした文章は、読者に対して概要提示を忘れていたり、概要提示が雑だったりすることがある。

そうしたとき「これはとても難しいことを言っているけど、もし単純に捉えるとするとどうなのだ」ということを考えると、急激にわかやすくなることがある。

未知語うんぬんの項でもそうだったが、「わかっている側」からは「わからない側」が何を知らないのか一切つかめないこともあるため、「わかっている側が想像する知らないであろうこと」と「実際自分が知らないこと」に大幅な差があることがある。その差には、どのような手段でもいいから、自分で気づく必要がある。

例示・図示されてないものは難しい

例示・図示などで、二重に説明されていない文章もまた難しい。まず、文単体では理解しがたいものや、直観に反する文があったとき、それが筆者の思った通りのことなのか、筆者が誤って書いたものなのか、自分が間違った理解をしているのか、全然からないものがある。文だけで全く疑問に思わず次に進められれば問題ないが、ひとたび疑問に思うと袋小路に入ってしまう。そうしたときに「例示・図示されていないからわからない」と気づくことが必要になる。

信頼していない筆者の文章を読むのは難しい

興味関心の部分に通じるものでもあるが、信頼していない筆者の文章というのは読めないものだ。「本当にコイツが言ってることは正しいのか?」と思うと、すべての文に対して正しいかどうかの考察を入れることになる。

ほとんどの人は、反ワクチン天動説電波洗脳陰謀宗教団体関連の文章は読むに値しないと考えていると思う。これに関する是非は置いておいて、これらの書物になんら信頼を感じてない人にとって、これらの書物を読むことは大変困難になる。すべてを検証しなければいけないからだ。そういう人よりも、全幅の信頼を置いて読み進める人のほうがスッと「理解」していくことだろう。

基本的に、普通人達にとってこうした書物をたくさん読むのは苦痛しかないはずだ。たくさん読めば「ミイラ取りがミイラになる」ような状態になりかねないし、それを読んでいることで他者から嫌な目を向けられることを避けたいはずだ。興味も信頼も一切ないのに、そうした文章を大量に読むのは難しい。

「その文章を読む価値があるのか」という想いの度合いが薄ければ、それに応じて文章は難しくなってしまう。

TypeScript勉強する

TypeScriptとは、プログラミング言語の1つだ。これを学習することで論理的思考力が養われ、読解力が上がり、難しい文章を読むこともたやすくなる。実際に私もそうだ。

まとめ

実はこれは文章にだけ言えることではない。共通して言えることは「その難しいことをやるだけの価値があるのか」「自分人生の一部という、他にも選択肢がある中での、かけがえのない時間と交換するだけの価値があるのか」というモチベの部分にある。モチベは時間に応じて減衰していくので実際には習慣をつけるという能力必要だが、点火点であるトリガーではモチベは有能な起爆剤になる。習慣化や自分スケジュールに組み込まれることによって、必要モチベの量はだんだん減っていくこともあり、モチベだけがすべてではないが、基本は「価値あるぞ」と思えるかどうかだと思う。

本質的には、難しいことそれ自体は難しくない。難しいものにぶち当たったときに「それを突破する価値がある」と考えられるような自分状態を作り上げることが必要なのだと思う。

これが難しい。自分には突破できるという信念(自信)や、それを裏付けする成功体験や、たとえ無駄になったとしても人生において問題ないという経済状態あなたならできるのだと根拠はなくとも言ってくれる身近な人なども必要になってくる。これが難しいのだが、しかしそうした環境を手に入れるためにどうすればいいかは、ここまで読み進めてこられたみなさんならもうおわかりだろう。

  • (^^)https://www.irasutoya.com/2014/09/blog-post_865.html?m=1

  • 興味がなさすぎてこの文章が難しい

  • 生餃子焼いて食べたあい

  • いいまとめだけど、「一文が長い」というのも文章を難しくさせている要素なので、そういう指摘も載せるべきだった。増田自身はすべての文を短くしているので割と読みやすいけどね...

  • 「TypeScriptを勉強する」が対策として上がってるならちょっとは理解できると思うが、 難しい文章を理解するために有効な手段のひとつはリファクタリングだ。 こんな感じ。 主張(a) 「...

    • 同意。でも、そのまとめだけ見てもわかりにくい。 ノートを取るなかで自分なりにまとめていくことで理解が整理されるんだと思う。

  • こめかみにあるIQダイアルを調整すればいいだけじゃん

    • ネジ巻ぎりぎりぎりぎり じじじじじじじじじじじ・・・じじ・・・じ・・・じ・・・・

  • 最近は青汁の代わりにTypeScriptなのか

  • とりあえず三段論法の「AはB」「BはC」よって「AはC」が理解できれば大丈夫。

  • とりあえず三段論法の「AはB」「BはC」よって「AはC」が理解できれば大丈夫。

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