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はてなキーワード: 過小評価とは

2010-03-25

IT業界は昔も、今も“おいしい”世界

特に最近不況エンジニアに限らず安定志向の人が増えているというけど、僕からすれば安定の何がいいの?と思ってしまう。不安になりたくないという気持ちはわからなくはないけど、そもそも不安を全くゼロにするなんて無理だし、終身雇用制度も崩壊した今の世の中に安定なんてものはない。基本は不安定な海の上に浮かぶ船の上にいて、例えそれがタイタニックのような、一見安定感のある大きな船でも氷山にぶつかって沈没するし、逆に小型ボート自分で操縦したほうが氷山にぶつからずに助かるかもしれないし。

だからこそ不安を前提に生きるべきだし、それだったら他人に自分運命を任せるより、自分自身でコントロールしたほうがいいに決まってる。

今、エンジニアには、とにかくやりたいことをやってほしい。そしてもっと自分能力を信じてほしい。今の時代、ITエンジニアなら誰でも一人でシステムを作ることが可能だし、その能力自分自身が思っている以上に世の中で必要とされている。だから能力過小評価せず、「自分はなんでもできる」という意識を持って生きたほうがいい。

今ならソーシャルアプリiPhoneグーグルアンドロイドなどのホットな開発環境世界中ベンチャーキャピタルが多額の投資をしている上に、開発技術者が圧倒的に足りていない。それこそ、小さなベンチャー企業CTOにでもなれば、年収2000万円とかすぐに到達してしまう。僕も今度ある案件で一枚、かませてもらおうかと(笑)

要は目線を変えるだけ。同じIT業界の中でも、よりお金を払ってもらえそうな所にアクティブに動いていけばいいだけの話で、別に不況とか技術的なスキルの問題ではないと思うんです。

堀江貴文

2010-03-07

甘えたメンヘラの特徴

私の身近にいる甘えたメンヘラの特徴です

治療する意欲のある方をバッシングするつもりはありません

  • 医者に言われたごく最低限のことを守らないくせに、いつまでも治らないと勝手に落ち込みます
  • 好きなことは出来ますが、それ以外は怖いので出来ません

 例)コミケには行けますがバイト学校には行けません

(でも実際に傷を見ると引っかき傷程度。自分でぐるぐるに包帯を巻いたりする)

(そして周りを気にせずに負のオーラを発します)


これは私の姉です。

もともと甘えた部分のある人だと、メンヘラ化した時にさらにそれが顕著になるようです。

どうか振り回されないよう、皆さまお気を付けください。

2010-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20100225101523

現実は「海外で評価されると日本でやたら過大評価されるようになる」んだよね。

だから、「海外で成功する」というのは実は「日本で評価される」のに有効な手段であるわけだ。

増田の例でいうと「海外小国の王サマになったら日本の各種メディアでとりあげられて『増田さんかっけえっすw』って声が巷で溢れかえり、来日したら『キング増田』として大フィーバー。写真集が飛ぶように売れ、その半生が映画化決定!」ってくらいにはなる。マジで

ちなみに「海外で評価されてるのに日本ではなぜか過小評価されている」って日本人アーティストなんかでよくいるけど、あれは単に海外でも本当は評価されてないか、されていたとしても非常に狭いコミュニティー内でウケてるってだけのことが多い。ほかの一握りは国内向けプロモーションの失敗。

さぁ、君も海外に向けてはばたこう!

2010-02-22

http://anond.hatelabo.jp/20100222181140

SFP型:見ているだけで口は出さない

つねに傍観者であろうとするが、他人に対する愛情や感じやすい心がないわけでもなく、人生を楽しむ気持ちがないわけでもない。

どのタイプよりも、自分自身にも自分のまわりの世界にも関心がある。

SFP型は人を指導したり支配したいという気持ちがあまりない。

植物でも動物でも人間でも、協調して暮らしている姿を見たいという気持ちが強い。

相手に押し付けがましく干渉するのではなく、側面から励まし、相手の能力を発揮させてやりたいと思う。

まわりの人の暮らしにはそれぞれ本来の境界があると考え、それを尊重するあまり、人によっては他人に制限や枠を課さざるをえないこともあるのがなかなか理解できない。

押し付けがましくない性格から、一見、指導力に欠けているように見えるので、ほかの人から無視されたり、ごり押しされてしまいがちだ。

ある意味では、十六のタイプのうち、もっとも目立たない存在である。

F型(温かい、世話をやく)とP型(心が広い、柔軟性がある)は、伝統的に女性的と考えられている特徴であり、I型(じっくりものを考える、無口)とS型(実際的、根拠に基づく)は伝統的に男性的と考えられている特徴である。

この四つの性格があいまって、リーダーシップをとったり影響力をふるうタイプではなくなる。

世間とのかかわりでも何かを変えたり支配したがるところがなく、あるがままに受け入れる。

だから、ISFP型は男性でも女性でも、人にあまり強いイメージを与えないし、本来、人と張り合わない。

SFP型の男性はさまざまな役割をきちんと果たし、尊敬される。世話をやいてくれる男性を求めている人には、このタイプがうってつけだ。

SFP型は女性男性もしばしば自分過小評価する。だから、お世辞を言われると、「そんなつもりでは」とか「ただの偶然ですよ」としりぞけてしまう。

2009-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20091228113023

あなたはいくつ賛同できるかな? ID:toroneiがtwitterで繰り広げている「お笑い及びお笑いファンとはこういうものである」まとめ。

(註。ちょっと何言ってるかわからないところが随所にありますが、本文の問題です。)

2009-11-28

HTMLを体系的に理解するための7仕様

はじめに

最近マークアップエンジニア志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去HTML(特に90年代以前の仕様)を読んだことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。

例えば「マーク・アンドリーセンをどう思う?」と聞くと、「アンドリーセンって誰ですか?」という答えが返ってくる。「ヨスケの独自要素で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔のHTMLを見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「とほほでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。

今の若い人の間では、HTMLを体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題仕様ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといて標準化団体ごと理解しようとする人はほとんどいない。

これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。HTMLは、もう長いこと(90年代の早い時期から)インターネット王者としてあらゆるWeb関連技術の上に君臨してきた。だから、Webを作ることを仕事にしたいなら、何をするにせよ避けて通ることはできない。

HTMLは、表・画像・フォーム・音楽デザインフレーム動画など、さまざまな分野においてその時代々々に達成された最新の成果を持ち寄るようにして作られてきたところがある。だから、HTMLを読まずして現代のインターネットは語れないと言ってもいいくらいだ。

もし何かクリエイティブなことをしたいのなら、HTMLを読むことは欠かせない。また、単に読むだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ。なぜなら、HTML包括的・体系的にとらえることによって、現代のインターネットそのものを、包括的・体系的にとらえられるようになるからだ。そしてそうなれば、Webを作ることの道理や筋道が理解でき、何かクリエイティブなことをする上で、大きな助けとなるからである。

そこでここでは、昔のHTMLをほとんど見たことがないという人や、あるいはHTMLそのものもあまり見ないという人のために、これを見ればHTMLを体系的に理解でき、現代インターネットの成り立ちや実相までをも包括的にとらえることができるようになる、7本の仕様を紹介する。

ここで紹介するHTMLは、いずれも後のWeb業界に決定的な影響を与えたものばかりだ。これらが、HTMLという標準のありようや方向性を決定づけた。この7本を見れば、HTMLというのはどのようなきっかけで生まれ、どのような変遷を辿って、どのような足跡を残してきたかというのが、体系的に理解できるようになる。そしてそれが、世界インターネット利用シーンにどのような影響を及ぼしてきたかということも、知ることができるようになるのだ。

HTMLを体系的に理解するための7本の仕様

1本目『HTML 3.0』(1995年

まず最初は、ちょっと強引かも知れないけれど、第一次ブラウザ戦争前のHTMLをひとまとめにするところから始める。

80年代末にティムバナーズ=リーの発明したHTMLというメディアは、その後『HTML 1.0』(1993年)『HTML+』(1994年)『HTML 2.0』(1995年)などの仕様で次第にそのスタイル確立していき、マーク・アンドリーセンが一大産業として発展させた後、『HTML 3.0』に行き着く。そして幸運なことに、ここに集大成されるのだ。

ブラウザ戦争前のHTMLは、これ1本だけ読めば良い。このHTMLに、戦前HTMLの全ての要素(属性)が詰まっている。このHTMLを見れば、HTMLインターネット王者としての風格、スターという存在の大きさ、作者以上にブラウザが重視される「産業」としての側面、お尻Pから終了タグ省略可へ・文字情報から画像付きへと移り変わった技術革新の変遷など、戦前HTML史やWeb業界のありようが全て分かるのだ。

このHTMLの魅力は、説明し始めるといくら紙幅があっても足りないので、ここではその一端を紹介するにとどめておく……といっても、気の利いたことを言えるわけではない。『HTML 3.0』の魅力を知るには、まずは読んでもらうこと――これに尽きるからだ。そして、もし一度でも読めば、その魅力はたちどころに理解できるだろう。

HTML 3.0』を見て驚かされるのは、現在HTMLと比べても全く遜色ないところである。破棄されてから14年の時が経過しているが、現代人の読解にも当たり前のように堪えうるのだ。それは、逆にいえばHTMLというものは、今から14年前、つまりこの『HTML 3.0』が作られた時点で、様式として一つの完成を見たということでもある。

HTML 3.0』は、HTMLという標準が到達しようとした一つの極みである。それゆえ、HTML史というものは、『HTML 3.0』以前と以降とで分けられるようになった。これ以降に作られたHTMLで、『HTML 3.0』の影響を免れたものはないからである。

2本目『Compact HTML』(1998年

iモード世界HTML史に与えた影響というのは、一般に理解されているよりもはるかに小さなものである。日本人というのは、「日本技術世界に影響を与えた」というと、なぜか鼻高々と聞いてしまうところがある。「日本ガラパゴス」という言葉は聞いたことがあっても、「それって日本人過小評価しているだけじゃないの?」と、眉に唾をしてとらえるところがある。

しかしiモードは、真に日本HTML史を塗り替えたサービスの一つである。特に、このサービスの後世に与えた影響には、本当に計り知れない大きさがある。

iモードは、ドコモメインストリームだったポケットベルが、それまでの栄華の反動で深刻な低迷期に陥っていたPHS流行後すぐの時期、そんなポケットベルに取って代わって、日本で最も輝いていた携帯サービスであった。それゆえ、広末に見蕩れ世界HTMLファンたちは、iモードWebサイトを見ることによって、失われかけていたWeb制作の魅力を再発見することにもなったのである。

iモードは、没落したHDMLに変わってモバイルWebの命脈をつなぎ止めた、言うならば救世主のような存在であった。海外モバイル陣営が営々と築きあげてきたそれまでの栄光を切り捨て、日本の後代へと引き継いだ重要リレー第一走者としての役割を、HTML史において担ったのである。

そして、そのバトンを受け取った日本の若きWebデザイナーたちが、2000年代に入って雨後の竹の子のように現れたことで、モバイルWebは鮮やかな発展を遂げる。だから、もしiモードが存在しなければ、HTMLの様相は今とは違ったものになっていたかもしれないのだ。

そんなiモードHTMLバージョンはいくつもあるのだが、中でも特に多くのHTMLファンを――取り分け日本の若きWebデザイナーたちを魅了したのが、この『Compact HTML』である。この仕様の一番の魅力は、なんといってもその大胆に構築されたW3C Noteであろう。HTML史において、これほど拡張多く適当ディテールで構成されたNoteは他にない。そのためこのNoteは、これ以降無数に手本とされ、真似され、拡張されることとなるのである。

3本目『HTML 4.0』(1997年

正字仮名の影響を受けた日本の若き日記書きたち――言うなれば「CSSコミュニティ」――が頭角を現す直前のW3Cで、HTML史に乾坤一擲の巨大な爪痕を残した1本の仕様誕生する。

この時期、情報技術進歩によって、HTMLにもさまざまな新しいテクノロジーがもらたされていたのだが、それらを十全に取り入れたばかりではなく、縦横に駆使することによって、これまでとは全く違った国際化、全く違ったアクセシビリティ体験を生み出すことに成功したのが、この仕様HTML 4.0』を勧告したWorld Wide Web Consortiumである。

HTML 4.0』は、HTML史において最も革新的な仕様の一つとなった。この仕様に初めて触れた当時のWebデザイナーたちは、そのあまりの目新しさに度肝を抜かれた。そこでは、これまで全く見たことのないマークアップがくり広げられていた。そのため、これまで想像さえしたことのなかった全く新しいHTML体験を、そこで味わうことになったからである。

W3Cの果たした一番の功績は、テクノロジーHTMLを見事な調和をもって融合させたことだろう。例えばそこでは、「スタイルシート」という新しい技術デザインと、それでレイアウトされたページが閲覧者に与える独特の感覚というものを、双方ともに熟知していた。だから、それらを効果的に融合させることによって、全く新しいHTML体験を生み出すことができたのである。

この仕様HTML 4.0』には、そうしたテクノロジーHTMLとの融合が、至るところに散見できる。その数の多さとクオリティの高さによって、HTMLはここに、新しい時代の幕開けを迎えるに至ったのである。

4本目『ISO/IEC 15445:2000』(2000年

先に述べた「CSSコミュニティ」がWeb日記業界に論争をもたらすのは、2000年代に入ってからのことである。そして、そのきっかけとなったできごとの一つが、1947年生まれの非政府組織で、IECとも協力した生粋工業標準化団体であった国際標準化機構が、この仕様ISO/IEC 15445:2000 (ISO-HTML)』によって成功を収めたことである。

このHTMLは、単にJIS的に標準化しただけではなく、文化的な意味においても、フラットリニア構造の力を広く世界に知らしめることとなった。この仕様の成功によって、世界の人々は、レベル付けされた見出しの魅力の大きさを知る。そしてそれが、やがて見出しレベル分けが世界スタンダードとなり、誰もが当たり前のように使う状況を育んでいくのである。

またこの仕様は、CSSコミュニティそのものにも大きな影響を与えた。この仕様の成功に刺激を受けた才能ある若きコミュニティ住人たちが、その後立て続けに台頭し、いくつもの名サイトを生み出していくからである。

それらが相まって、やがてCSSコミュニティは空前の黄金時代を迎えることになる。その端緒となり、道筋を切り開いたのが、他ならぬこの『ISO-HTML』なのだ。

5本目『XHTML 1.0』(2000年

HTML 4.0』で繁栄の足がかりを築いたW3Cは、この仕様XHTML 1.0』によって、ついにその栄華の頂点に達する。そして、それを成し遂げたメタ言語も、W3C勧告のの一つであり、また『HTML 4.0』を作ったSGMLの改良でもあった、Extensible Markup Languageであった。

この勧告は、史上最も商業的に成功した仕様となる。そのためこれ以降、この勧告にならって商業バズワードを盛り込んだ仕様が数多く作られるようになり、しかもそれらが、実際に大きな商業的話題を集めていくのだ。すると、そこで生み出された多くの意見は、やがて再びW3C還元され、さらなる発展をもたらすことにもつながった。

そんなふうに、この仕様がきっかけとなってW3Cにもたらされた意見は、HTMLという言語を変革させていくことになるのだが、それに伴って、HTMLそのものにも大きな革新をもたらすことになる。

その変革も、他ならぬW3Cの手によってなされた。ここで『XHTML 1.0』の成功によって手にしたメンバーをもとに創設した文書マークアップの開発集団「HTML Working Group」が、より魅力的な拡張性を追求していく中で、やがてM12n(モジュール化)という技術の開発に至るのである。するとそれが、これまでのHTMLを一変させたのだ。

M12nは、HTMLに魅力的かつ効果的な特殊語彙を、DTDでしかも複雑怪奇にもたらすことに成功した。おかげでそれは、あっという間に世界から見捨てられていった。そのため今では、M12nの使われているHTMLを探す方が難しくなったくらいだ。それくらい、この『XHTML 1.0』がWeb業界にもたらした変革には、大きなものがあったのである。

6本目『XHTML 2.0』(2009年

2000年代以降、繁栄を謳歌したW3Cは、しかしその栄華の大きさゆえ、00年代中盤に入るとそれを存続させることに力をそがれてしまい、革新的な仕様はなかなか生まれてこなくなった。

しかし、そんな時代が5年は続いた00年代の後半になって、今度はその栄華のただ中で育った新しい世代のHTML WGメンバーたちが台頭してくることにより、再び変革の時を迎えることとなる。

その新しい世代のHTML WGメンバーとは、マイクロソフトモジラファンデーションオペラらに代表される「ブラウザベンダ」と、無関係な編集者たちであった。

彼らに共通するのは、文書構造に不必要なものなら全て――とるに足らないガジェット的なものまで含めて――残らず切り離そうとする「オタク的な性質」を持っていたことだ。

彼らは、それまで見過ごされがちだったHTMLの些末な要素にスポットを当て、それを別仕様に押し出すことで、従前とは一風変わった、新たな魅力を持った草案を生み出していった。そして、その真打ち的な存在として00年代の後半に登場したのが、XHTML2 Working Groupだ。

XHTML2 WGは、特に99年に最後の草案が作られたこの仕様XHTML 2.0』によって、オタク的なHTMLの楽しみ方が、一部のマニアだけにとどまり、それ以外の多くの人たちには受け入れられないことを証明してみせた。この失敗が、デ・ファクト的な新生HTML WGにさらなる脚光を浴びせることになったのはもちろん、それに影響を受けたWeb WorkersやDOM Level 3 Eventsといった、次世代のWeb標準たちの誕生にもつながっていったのである。

7本目『HTML5』(2022年?)

最後は、第二次ブラウザ戦争集大成ともいえるこの仕様である。

HTML5』は、HTML史においては『HTML 3.0』と同じような意味を持つ。つまり、それまでのHTMLの要素が全て詰まっているのだ。この仕様を見れば、それ以前のHTML歴史というものが全部分かる。

HTML5』には、HTMLのあらゆる要素が詰まっている。ここには、『HTML 3.0』のような歴史的な仕様としての「総合性」があり、『Compact HTML』のような「実装の実在さ」がある。『HTML 4.0』のような「マルチメディアアクセシビリティの融合」があり、『ISO-HTML』のように「セクション構造の魅力を全世界に知らしめ」た。また、『XHTML 1.0』のように「バズワード的に成功」したのはもちろん、『XHTML 2.0』が別仕様押し出した「オタクガジェット」にも満ちている。

全て詰まっているのだ。なんでもあるのである。つまりこのHTMLは、『HTML 3.0』と全く同じ意味合いを持っているのだ。HTML史というものは、『HTML5』以前と以降とで分けられる。これ以降に作られるHTMLで、『HTML5』の影響を免れるものはないであろうからである。

まとめ

以上、これさえ読めばHTML包括的・体系的にとらえることができる7本の仕様を、制作された年代順に紹介した。

こうして見ると面白いのは、歴史的に重要仕様は、必ずしも定期的に現れるのではなく、あるところでは連続しているし、あるところでは長らくなかったりすることだ。それはまるで「素数分布」のようだ。一見規則性はないように見えるものの、何かしらの法則が隠されているようでもあり、興味深い。

それから、ここに挙げた仕様は、いずれも「読むことによって他の仕様にも興味が移行する」ということを念頭に選んだ。

例えば、『HTML 3.0』を読んだならば、ブラウザ戦争前夜の独自HTML拡張自然と興味がいくだろうし、『Compact HTML』を読んだなら、iモードのそれ以外のバージョンHTMLも見たくなるだろう。CSSコミュニティについてもそれは言えるし、『ISO-HTML』を読んだなら、このHTML流行らす土壌ともなった「フラットリニア構造」というムーブメントにも自然と興味がわくはずだ。さらには、『XHTML 1.0』はXMLオタクになるきっかけになるだろうし、『XHTML 2.0』はその他の「オタク的なXML EventsやXForms」の仕様も見たくなるという効果を持っている。

ただし、最後に選んだ『HTML5』だけは、こうした例とは別に考えなければならないかも知れない。なぜならこのHTMLは、完成度があまりにも高いために、これを見た後に他のHTMLを読むと、どうしても物足りなく感じてしまうからだ。

しかしいずれにしろ、これらの仕様を読むことによって、HTMLをさらに愛さずにいられなくなるのは疑いない。そしてまた、これらの仕様を読むことによって、HTML包括的・体系的に見る目を養ってもらえれば、その後のクリエィティブな活動にも、大きな助けとなるはずだ。

おまけ(参考文献)

上に挙げた仕様への理解は、以下に紹介する著作を読むことによって、さらに深まる。これらを読むことによって、ぼくは「HTMLを体系的に見るとはどういうことか」を学んできた。

高校時代に読んだこのサイトによって、「リソースとは何か」ということを、ぼくはを知った。

HTMLSGMLの応用だ」ということが、このサイトを読むことでよく分かる。何気なく見ていた省略記法でも、その裏には、実にさまざまな技術や、それを開発してきた歴史というものが隠されていた。

世界CSSコミュニティの何に驚かされたかといえば、それはやっぱり精緻に書き込まれた正字仮名にだ。ノジタン日記には、HTML本質が詰まっている。だからこそ、あれだけ多くの日記で多くのコミュニティ住人に、言及されたり模倣されたりしたのだ。

ここでは取りあげられなかったのだが、とほほ氏がHTMLというジャンルに及ぼした影響にも、本当に大きなものがある。そして、ぼくが上に挙げた感想のいくつかは、このサイトに書かれていたばけらさんとの「スタイルシート論争」を参考にしたものなのだ。

これらのサイトを読めば、どんなHTMLが素晴らしく、どんなHTMLがそうではないというのが、よく分かる。その判定基準を知ることができ、審美眼を養うことができるのだ。なにしろ、あのCSSコミュニティ住人の言うことなのだ。これにまさる教科書は、他にはない。


元ネタ

2009-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20091121164740

勿論現役以上で入学と卒業を果たさなければ自分能力社会では過小評価される

世の中に浪人生がどんだけいると思っているんだ。お前が過小評価しているんだろ。

彼は有能である限りそれ故同時に弱者でもあり続ける。一生。

馬鹿か。彼が無能であっても強者にはなれないだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20091121161105

多分その人は仮に大卒という肩書きを得ても一生コンプレックスを抱えて生きていくと思う。

何があったのかは知らないけどあなたが彼の事を有能だと思っているならきっと自分以外のせいで大学に入れずにいたんだろうと思う。なら大卒の履歴を得た後に次はこう思うはずだ。

「どうして大学に入る事ができる能力があったのに他人のせいでこんなにも入学と卒業が遅れてしまったんだ」と。

勿論現役以上で入学と卒業を果たさなければ自分能力社会では過小評価される。例えそれが自分が原因でなかったとしても、結果を自分が齎すものなら自ずとそうなる。

過去の事は取り返しが付かない。彼は有能である限りそれ故同時に弱者でもあり続ける。一生。

2009-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20091120165040

今までろくに練習したこともないヤツがピッチャー見下したからといっていきなりヒットが打てると思うか?

ボールストライクの見極めもつかずにフォアボールだと言っ張って強引に塁に出る事を主張しはじめるのがオチだ。

つまり「オレのことを好きになって当然」というストーカーの心理と一緒だ。

相手の価値過小評価するのも過大評価するのも相手を見ていない、見ようとしていないということなんだよ。

それは自分も見えていないということだ。そんなヤツに上から見下されて(見上げられて)気もちいいか?

まず相手を見ろ、脳内フィルターゲインを可能な限り下げて相手を見ろ。

そこからはじめて自分のすべきことが見えてくる。

2009-10-21

ラカン精神分析

大文字」「小文字」などと言えば何とでも成るが、俗流解釈においてもフロイトラカン精神分析は未だ強大である。

「シェーマL」をパクったモデルを何度見させられたか解らないが、

「鏡像に依り、対象が歪められる」などと小難しく言わなくても、

「体調に依って物の見え方が違い、一定しない」という事は良くある...。

と言うか、体調はダイレクトには関係しない。自己愛の事である。

盲目的に過大評価する/過小評価する」などは有って当たり前なので、

この度合いが極端過ぎるのが許せない方は正直「批評」なんて物を見ない方が良い。

「“生まれて初めて惚れた女”があまりに眩し過ぎ、堪え難い享楽で自らがダメになると思い全力で逃げた」

そんなワタシが言っているので間違い無い。

だから天使ジュリエット・グレコ今日も綺麗なままだ。

ダサいかい?いや、マイルス爺さんだってあのと(強制終了)

                            〜T.H.

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020171538

そうしたらできない力仕事が山のように出てくるから、若手の介護職がやはりかなり必要になると思う。

君(同一人物でないかも知れんが)はさっきから

60代の体力を過小評価したかと思えば、60代の女性に言い換えたり、

60代の女性でも人によっては可能だという増田人格批判をしたり、主張の根拠があやふやだが、

少なくとも一般的な60代前半の男性は介護の力仕事はできるぞ

2009-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20091015103527

確かにベテランの人たちに対して過小評価気味かもしれない。

でも例えば残り10年以内に引退しようという人たちが、体も頭も鍛え続けるモチベーションをどうやって保つんだろう。

もちろん中にはそういうことが出来る人もいるだろうけど、お荷物になる可能性のほうが高いんじゃないだろうか。

鞭としての生活保護の削減や、飴としての高報酬はどちらも良い考えには思えないし。


医療生活水準の向上によって、可能性としての寿命は延びてきて、今後も延びていくだろうけど、

私の想像では、それは生きながらえているっていうニュアンスであって、

定年の時期を引き延ばしても、労働力として期待できる期間はそれほど延びないのではないかと思うよ。

そういう意味ではホリエモンとかが推していた、一部の人が働いて他の人は働かなくても食べていける社会、っていうほうがまだ現実的だと思うなー。

http://anond.hatelabo.jp/20091015175930

まだ来てもいない次の嫌なことを考えても意味がないことに気づく。

また嫌なことがあるからといって、今問題となっていることをやることに意味がないということにはならないのでは。

それを終えることで、得をすることやいい事は本当にないのか、過小評価していないか。

人望などを本当に失いたくないなら、多少「どうせまた…」と思ったとしてもやれるのではないか。

そもそも嫌なことというが何がどれくらい嫌なのか、楽しさややりがいを感じる部分はないのか。

思いつくのはこの辺かなー。

2009-09-23

自己向上

分類

  1. 自分を知っている』つもりの人
  2. 自分を知っている』人


自分性格や力、キャラクター、更には向上度をしっかり自覚している上で卑下する人・・・は案外希少なのかも知れない。

少なくともと最近は、『自分を知っている』つもり故に停滞し続けるのがある種の「世界に一つだけの」個性!な風潮が見受けられる気がする。

それどころか「そのままの自分を愛して」とのたまう人もモジャモジャ潜在していると思う。

無気力で興味や夢を持たない若者揶揄されるけれども、今の自分で停滞し続ける向上心のない(頑張らない)自己を恥ずかしいと思わないだけ。

更に一歩進んで、努力してもねと自分自身で向上度を低く見積もって、どうせたかが知れてると自己完結

なんにせよ自分自分の向上度を過小評価している=

自分をよくわかっている』つもりで、本当は本気出したMAX値を知らない=自分を知らない人。

向上度ってぶっちゃけ思いがけない火事場の糞力でMAX値なんて如何様にも出せると思春期部活恋愛なんかで学んでいれば

自己停滞は目標や夢がある限り起こらないはず。

(当然失敗の痛みも経験するだろうけど、向上度の限度や加減を覚える+挫折後に立ち直り成長できた嬉しさを獲得できたら完璧

だからこそ自分というのを自覚した上で改善しようと常に努力し続ける人こそがありかたとして一番高尚だと思うし、

そういう人に惚れてしまう自分だったりするw



結論

思春期青春しろ。何かに全力を尽くし、挫折し、一つでも何か達成すべし。(この際DQNなイタタでもまぁ良い)

家に自堕落に引き篭るのだけは絶対しない。

向上心を常に持つ。

2009-09-12

本気になれない

卒業研究が上手くいかない。

何故卒業研究が上手くいかないのかを考えた結果、自分は「頑張っていない」のだと気付いた。

いわゆる「他人と比べて自分が頑張っていないように見える」「自分過小評価している」状態ではなくて、本当に頑張っていない。

本とか論文なんて殆ど読んだ記憶がないし(せいぜい先輩の修士論文を読んだくらいだ)研究室なんて用がなければ行かない。最近は用があるのに行きたくない

 

こんなときによく発声練習さんとか卒業研究に関する話とかやる気に関するライフハックとかどうたらに目を通す。そしてやる気が湧いてくる。湧いたやる気でお茶を淹れて寝る。翌日には何も残っていない。

何故こんなにだめ人間なのかということを考えた結果、自分は「本気になっていない」のだと気付いた。「なれない」のかもしれない。22年間生きてきて自分がこれを本気でやったな!と思えるようなことがひとつもない。授業はさっぱり聞いていなかったが中の上くらいの成績は取れた。体育に至っては必修でないことをいいことに履修すらしなかった。趣味も広く浅い感じだ。就職活動はちょっと頑張ったが、それでも終わってみると本気で取り組んだとはとても言い難い状況だった。

そもそも「本気」というのがどういうことなのか、改めて考えてみてわからなかった。ちょっと怖いと思った。

人生80年あると仮定して、その1/4が終わっているのにそんなことすらわからないだなんて、いよいよ自分大丈夫じゃないかもしれない。

 

 

「本気を出す」というのは「何かに集中して取り組む」ということなのだろうか、と考えてみた。そうすると、やはり自分は本気になったことがない。

昔から飽きっぽいのは自覚があった。人の話を10分真面目に聞いていられない。気付いたら全く別のことを考えながら適当に相槌を打っている。

興味がある話題でもこのざまなので、人と対面して話をするのが苦手だ。メールメッセンジャーのように何度も繰り返し読めるものでないと頭に入ってすらこない。

 

 

考えることに飽きてしまったので辞書を引いてみることにした。

(名・形動)[文]ナリ 冗談や遊びなどでない、本当の気持ち。真剣な気持ち。また、そのような気持ちであるさま。

「―を出して頑張る」「彼の言ってることはどこまで―なのかわからない」

――にする 人の言ったことなどを本当のことであると受けとめる。

冗談を―する」――にな・る 真剣になる。

「―・って怒り出す」

ほんき【本気】の意味 国語辞典 - goo辞書

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/180736/m0u/%E6%9C%AC%E6%B0%97/

 

 

本気にすることならしょっちゅうあったが、その話はどうでもいい。「本当の気持ち」ということらしい。

本当の気持ちを言ってしまえば「卒業研究なんてやりたくない」。身も蓋もない。そういえば高校1年生のときに「卒業研究なんて自分には絶対向いてないから大学行きたくない…」とぼやいていたことを思い出した。当時の自分自分の事をよくわかっていた。何故高校3年生の自分先生の「おまえは勉強ができるから○○大学も夢じゃない」という言葉に喜んでしまったのだろう。「○○大学は正直無理だと思うけど△△大学くらいなら」と思った自分、ちょっと待て。どっちにしろ卒業研究がある大学じゃないか。

 

 

研究楽しい!」という正の方向から本気で取り組めないのなら、負の方向から本気で取り組めないだろうかと考えてみた。「卒研ができないと卒業できない!」かれこれ7年くらい考えていることだった。効果は今のところない。思えば追い込まれた自分正攻法で頑張ったこともなかった。「○○ができなければ××できない」という状況に陥った時、○○は大した苦労なく実現できることであったし、そうでなければ××は代替手段で叶えてきた。具体的に何をしたかと言えば、匿名ダイアリーですら書くのを憚られるようなことをした。自分生き方はいつだって不当なものだった。

「卒研ができなければ卒業できない」。今回は代替手段がない。卒研ができなければ留年するしかない。そして、自分ダメ人間だということは十二分に自覚しているので、留年したらもう坂を転がるように休学退学引き篭もりニート自殺となる自分の姿が容易に想像できる。

 

 

「やらないことにああだこうだ理由をつけているくらいならやれ」全くもってそう思う。思うだけでやらないという状況に名前をつけてくれ。

できれば「人間クズ」以外で頼む。

http://anond.hatelabo.jp/20090911203918

一言だけ言っておく。

その18歳君がどういう人物であるかについては何も言いたくない。あなたがこの増田に書いた情報だけからゲスの勘繰りをしたくはないからね。

ただし、その18歳君というのがあなたがこういう文章を書くに至るような印象を持つ相手なのは確かだろう。それについてあなたに対して言いたいことがある。

あなた、その18歳君のことを本気で優秀だと思ってる?

この文章を見ている限り、あなたはその18歳君を「優秀」と評価した理由というのを「上から目線でものを自信満々に言っていること」ぐらいしか発見できていないようにしか見えないけれど。

逆に言えば、あなたは、「上から目線でものを自信満々に言う人」に対して精神的に卑屈で、内心の感情を抑圧してしか生きていけないってことなんじゃないの?

もちろんこれもゲスの勘繰りかもしれない。だが、この文章から垣間見えるあなたの心象風景過去の俺とあまりにも似通っていたので勝手に裏読みしてみた。もし俺の読みが当たっているとすると、あなたは人生自分から他人に搾取されに行って損するだけだよ。あなたは自分を正当に評価する自信がないあまりに過小評価して、その劣等感を他人に従属することで埋め合わせたりしてるんじゃないの?どうにもそういう気がしてならないんだけれど。

そこまで舐められた相手に「大人の人達との交流を育んで欲しいと願う」なんて書いてる暇があったら、自分自身がいったいどうしたいのかを考えてみたら?

2009-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20090903013851

「やりたいことがない」人間を、「やりたいことがあるほうが素晴らしい」という価値観で一方的に見下したり過小評価したりするのはいただけないと思う。

そんなことは一言も言ってないが。

http://anond.hatelabo.jp/20090902185833

元増田が「やりたいことが特になかった」としてそれがどうなの?彼or彼女はそれを踏まえた上で一旦譲れないラインを確保するのに成功、改めてそれを見つけるための余裕が得られたって言ってるんだから戦略的には完全に成功してる。

「やりたいことがない」人間を、「やりたいことがあるほうが素晴らしい」という価値観で一方的に見下したり過小評価したりするのはいただけないと思う。

2009-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20090802013700

簡潔に要点を答えたものを過小評価しつつ

ダラダラと的外れな長文を書き殴ったものを過大評価しそうな予感。

とかいいつつ、そんなのを好んでヲチしてるんだから人のことは言えないがw

2009-07-31

男同士の関係性は謎です。

ファッションの話をしていたときのこと。

例えば「(同サークルの)○はとがった靴はくよね~」と話した矢先、

○とは仲がそれなりに良さそうな△が、「とがった靴はく人はありえないですね」と拒絶するように断言。

それは○を思いっきり否定しているように聞こえるのだが、△内心は○を良く思っているわけではない?

パターン

■は仕事が出来ないとお偉いさんからも烙印を押されるほどの人物。

☆は■と飲みにも行く仲の同僚(同年だが入社年で先輩後輩)

普段は影で○を周りが散々貶そうと、☆は同調せず○の陰口を叩くことは一切ない。

が、かといって○を庇うことも無い。あえて自身の■への感想は伏せ、触れない。

一応後輩だから■へ義理立てしているが、少なからず無能さに気が付いているから庇わない?


男は嫉妬や羨望、蔑視の感情を殆ど表に出さない気がする。

あえて言うなら語る声の大きさでニュアンスが悟れるかどうか。

ただし女から過小評価されれば案外根に持つのか一字一句覚えていたり、

自分に迷惑を掛ける同期の男の愚痴はいわず、有能と言われる上司の女の愚痴は出て来る不思議

2009-07-13

解雇規制情報システム運用の共通点

それはうまくいっているところは見えにくく、過小評価されるということだ。情報システム運用は問題が起きないことがベストである。しかし逆に問題が起きないと経営者や周りからは仕事をしてないように見られ、評価が下げられてしまう。こうした問題が起きてしまうのは情報システム運用ではうまくいっている事実が観測しにくいからである。解雇規制も同様だ。解雇規制目的は法的に不当な解雇を禁止することである。従って法的に不当な解雇がなされないことが評価基準となる。しかしその評価は難しい。規制がうまく働いている場合、解雇がなされないからだ。解雇されないという事実は観測できない一方、規制がうまく働いていない面ばかり観測され過小評価につながりやすい。解雇規制情報システム運用には、うまくいっている部分は観測しにくいという共通点がある。

では解雇規制はうまく働いているのだろうか?私個人としてはうまく働いていると思っている。解雇規制を緩めるべきだという主張に対しては、よく「解雇規制はうまくいっていない。証拠にこんなひどい例がある。」という反論がなされる。しかしこうしたものの見方はさきほど述べたように、うまく働いている部分を無視した一面的なものだ。私は全体を見れば解雇規制はうまく働いていると考える。例えば今回の不況では非正規雇用中心にリストラがなされている。解雇規制が働いていないのなら、正規雇用リストラされなければならない。確かに正規雇用リストラされているのは事実だが、非正規雇用に比べたら少ない。また新卒採用不況の度、抑制されている。経済的には成長が見込めない高給な高齢者解雇し、低給な若者雇用し成長させるのが短期的にも長期的にも合理的である。しかしそれがなされないのは解雇規制が働いているからだと考えられる。このように全体を見てうまくいっている部分を推測してみると、解雇規制は例外があっても充分に機能しているというのが私の考えである。

2009-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20090708223101

選挙に行かせたいばかりに投票以外の政治活動を過小評価しすぎ。最近メールとかで直接いって動かされたりもするのに。もちろん何でも動くわけじゃないがそれは投票でも同じ。

そもそも政策にもいろいろな分野があるわけで特定の政党投票したからといってどの政策に賛成したかは全然伝わらない。これは高投票率だった郵政選挙民営化賛成以外に何が伝わったのか考えてもわかることと思うが。実際に意見を言わない限りいくら投票率が高かろうがサイレンマジョリティ有権者の意向は伝わらない。だから積極的に陳情するノイジーマイノリティ意見ばかりが通る。自分意見を通そうと思うなら投票にいって満足するんじゃなくてノイジーマイノリティにならないとだめ。「組織票=悪」の短絡思考ですましてないで自分の好む政治勢力を組織化してくべきなんだよ。それもしないで組織票叩きで憂さ晴らしして投票行くだけなのは棄権者と五十歩百歩。政党自体が組織なのに組織票を批判しつつ政党を支持することに矛盾は感じないんだろうか。

モヒカン族」の距離感

エミリー・デシャネル

グラマー過ぎだろ。

おっさんは、ほれてしまったよね。

あの谷間に。

 

やあ。つかみから外してみたよ。

つかみたいのは、みんなのハートじゃなくて、

エミリーの胸なんだってことは、言わなくてもわかってるよな?

今日は、ポストモダン状況の進行に悩める、

はてなーのみんなに、

そのエミリーの代表作「BONES」の「Season 2」をネタにして、

いわゆる「モヒカン族」の距離感の話をしようと思う。

 

はじめに「BONES」をよく知らない人のために、

前提知識をあらかじめ書いておく。

ちなみに、おじさんは、

週末にこのドラマを鑑賞しているよ。

※※※※

BONES」はアメリカ1話完結型の人気連続ドラマ

ジャンル刑事モノで、

科学捜査で事件の真相を暴くという内容。

BONES」という題名からわかるように

法医学スペシャリストチームとFBI捜査官が主人公だ。

物語はチームの実質的リーダーである

テンペランス・ブレナン(エミリー・デシャネル)と

FBI捜査官のシーリー・ブースを軸に展開される。

ただ事件を解決するだけでなく、

登場人物たちの人間模様や、

法廷国家組織との駆け引きなどが織り込まれており、

それらの要素もドラマの大きな魅力となっている。

※※※※

上記はちょっと宣伝的な説明なので、もう少し補足するよ。

 

レナン率いる法医学チームは、

当初頻繁に「スクインツ(一般人をバカにする嫌な連中)」と呼ばれ、

頭でっかちコミュ力の無い人間たちとして描かれる。

(唯一、顔面複製を担当するアンジェラは、そうではない人物なんだけど、今回はあまり重要ではないので触れない)

物語の進行とともに徐々に彼らの人間味ある姿や成長が描かれ

「スクインツ」という言葉自体も使われなくなっていく。

で、この「スクインツ」は、

ネットスラングの「モヒカン族」が指す対象とほぼ同じであり、

科学事実ばかりを追っているがために、

人情や機微に対して鈍感(あるいは意図的に排除する)というシーンが

何度となく描かれるんだよね。

 

じゃあ、本題に入る。

BONES Season 2」では、

FBI捜査官ブースの同僚として、ティムサリバン(通称:サリー)が登場して、

ヒロインのブレナンと恋仲になるんだ。

結果を先に書くと、二人は別れるわけだけど、

そこの部分が今回書きたいところなんだよね。

 

「Season 2」の中盤で、

レナンが書いたサスペンス小説をなぞらえるように殺人事件が起こり、

レナンは責任を感じて動揺してしまうというシーンがある。

そこで、サリーはブレナンに

君は、今責任を感じている。自分の所為で事件が起こったと感じているだろう?正直になれよ。

のようなことを言っちゃうわけ。

「おい、サリー。そんなこと言ったらブレナンに殴られるぞ。俺は蹴られたいけど。」

なんて思ったわけだけど、

なんかブレナンは、しおらしくなって、

事件解決後に、「あなたの言う通りよ」なんて

サリーに言っちゃうわけ。

おいおい、成長するのは、むn(ry

 

フツーさ、「スクインツ」というか「モヒカン族」ってのはさ、

「君は、今、本当はこういうことを考えている」

「君の事は理解している」

みたいなことを言われるのが大ッ嫌いなんだよね。

藁人形論法乙」なわけですよ。

 

どうして、そうかっていうと、

モヒカン族」っていうのは、

良い悪いは別にして自分世界を持っている人たちで、

「例えるなら宇宙(そら)を翔る一筋の流れ星」なんだけど、

その世界っていうのは大抵、

客観的なもので出来上がっているんですよ。

科学とか技術とか。

というのも、

世界を構築するためには、

再現性と一般性の高い要素が必要になるからね。

だから、どうしても科学的・技術的なものに重きを置いて、

心とか気持ちみたいな曖昧一過性のものは過小評価するんだ。

共感なんて、イラネーよ、夏。なんですよ。

そういうものは「世界の境界面」の内側にしまってあって、

外からは境界面の中は見えないようにしてるわけですよ。

だって、そんなもん客観的に説明できないしね。

「客観的に説明できないものは理解する(される)必要のないもの」なんだよね。

モヒカン族」の距離感覚を考えるときは、

ここが大事なんだ。

親しくなったからといって、

境界面の内側に踏み込んじゃうと、

噛まれるわけ。

それがわかってない人は

「え、なんか、いきなり黙っちゃった?キモイ!」

とか思って、勝手に気分を害するんだよね。

それ、あんたも悪いから。

 

だからね、ブレナンとサリーの話に戻るけど、

あそこで、ブレナンがキレなかったのは、驚きだった。

法医学チームの「モヒカン族名誉族長の

ザックだったら殴ってたよね。

 

さらに、サリーは何を血迷ったか、

ボートを購入して、「テンペランス号」とか名付けちゃって、

レナンに

1年間サバティカルとって一緒にカリブ海を回ろう

みたいなこというんだよね。

なに、この、「モヒカン族」の距離感を無視する脚本

ディレクターサリーに恨みでもあるか、(この巨●ン!羨ましいぞ!)

視聴者調査の結果、

サリーは、いらない子

ってなったに違いないよね。

 

というかね、

モヒカン族」から、「世界の境界面」を奪ったら、

ただのハゲだから。ツルリだから。

いちおう、誤解なきように言っておくけど、

世界の境界面」から、

中身がにじみ出ているときもあるし、

人によっちゃ、境界面の窓を開けているときもある。

でも、この脚本はない。

イージーさを感じる。

100%振るしかないじゃん。

 

レナンに

サバティカル取ってランデブーしようぜ(キリッ」

なんて、

「お前は、自分を殺して、俺と付き合うんだ、フゥハハー!」

と言っているのと一緒なんだよね。

いくらブレナンが肉食系女子で、

セックスに積極的だからって、

それはないです。

 

モヒカン族」には、

各自勝手に縄張りを主張させて、

首輪を外して飼うのが一番いいんです。

 

というわけで、ジョッシーな皆さん、

そこんところ、よろしくね!

2009-05-29

アホばっかりだった。

犯罪者、稼げぬもの、ニート、間抜け、裏切りもの、嘘つき。

そんなやつらをほっておけなかった。

オレはしがない大工だったが、仕事が暇なときにやつらのためにフィクションを作ってやった。

「神」という絶対的な存在物語を作った。

まあ既存の宗教の真似だったので、創造性などかけらもなかった。

(そもそも宗教創造性など不要だ)

そいつが俺らを守ってくれていることにした。

フィクションという手段は美しくなかったが、他に適当な手段を思いつかなかった。

アホどもはそれでやっと安心したようだ。

オレは目的を達成できたと思った。

だがあまりにもこれがうまく行き過ぎた。

古い宗教はそれ自身が硬直化していて呪術めいたものになっていた。

万人に認められる簡便さ、わかりやすさを失っていた。

下層階級のためのものではなくなっていた。

オレが作った宗教はその隙間に入り込んだ。

学のない人々の不安な気持ちをうまく救うことができた。

オレは権威主義的なやり方が嫌いだったから、人を当惑させるような難しい言葉無駄言葉は一切使わなかった。

アピールが成功したために、当初想定したよりも信者が増えていく。

だんだんにオレの手には負えなくなっていった。

単にアホどもを救いたかっただけなのに、集団が拡張するのを止められない。

「ただの大工に戻りてぇ」この頃はよくそう思っていた。

最後には体制側に目をつけられた。

経済の低迷を受けて、社会の不満が高まっている。

ちょうどそんなとき、体制側の人間スケープゴートを探していた。

新興勢力に危機感を抱いた保守派からつるし上げを食らった。

いくら熱狂的な右翼といえども、異教徒というだけで殺しはしないだろうと高をくくっていたオレが甘かった。

自分社会に与える影響を過小評価していたようだ。

行動に自覚的でない原理主義者というのは救いようがない。

なんで排除したいのか、という感情的な理由について、きっと彼らもはっきりとは認識していなかっただろうと思う。

オレは磔刑になって死んだ。オレの肉体は空しく鳥に食われ、血液は乾いた地面にしみ込んだ。

困ったことに後世の連中はオレの行状に尾ひれをつけてオレをあがめることにしたようだ。

いつまでも保護者を必要とするとはな。

やれやれ、何年たってもアホは減らないようだぜ。

言っとくが「神の愛」なんてものは存在しない。

おまえらが見てるのはオレの愛さ。

2009-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20090504212311

「寂しさ」というものの怖さについて過小評価した結果が宗教なのか。

人間関係をもっと大切にするような教育を行ったほうがいいわけか。

私的個人主義というのは本能に反する(面もある)ということね。

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