はてなキーワード: 過小評価とは
あと,その年上の男。
今ならまだ間に合うだろう,早く関係を断て。
ああ、私のような女は結局
嘘つきでいいかげんな女たらしぐらいにしか、相手にされないんだろう。
もっと自分を大切にしろ,女なんだろ。
一人でいるのが嫌なら,そのままの汚れた生活を続ければいい。
俺ならそいつらと関係を切って,一人で生きて,浄化される道を選ぶ。
初めて増田に書くので色々と不手際があると思いますが、そこら辺は適当にスルーするか、律儀で真面目な方は
コメントなりなんなりでご指摘頂けると有難い、何せ「論理的思考」って奴が本当に苦手な人間なもので・・・
大目に見てやってくださいましm(_ _)m
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20090404/1238773291
この手のエントリは正直誰が先に書くのかなーと気になってたけど、案の定放映された直後に数日程度で書かれていて、
しかもちゃんと純粋に楽器を演奏する楽しさや誰かと共に音を奏でる幸せを知ってもらいたいという熱意がエントリに溢れていて、
それがとても嬉しかった。私のこのエントリはその補足にもならないかもだけど、まぁ増田ってことで書き殴らさせていただきます。
私は高校を卒業してもう10年近く経ちますが、私の経験からすると「軽音楽部に入部する」という行為ははっきりいってかなりの
ハードルがありました。学校によって上下関係がどうなのかは想像の範囲を超えませんが、まず最初に外見か楽器の腕前で先輩からの
評価が下って、人によっては場合によってい辛くなることが往々にしてありました。私の高校時代はそうでした。
何より「けいおん!」を視聴している方のほとんどが楽器に触ったことなどない方なのではと自分勝手な予測を立ててしまったり
します(ニコ動を見てると唯や澪のキャラクターとしての可愛さ、OP/EDの完成度にばかり目をくらばせている匂いがするので・・・)。
実際の軽音部というとかなり柄が悪い印象が先走りして、さらに自分が在学中の頃は後輩を無下に扱うような態度が蔓延っていた印象が
あって、そういう風潮はけっこうどこの学校でも存在していたのではないかと勝手に推測してしまいます(違ったらごめんなさい)。
そういう慣例が今はないこと願いつつ声を大にして伝えたいことがあるとするならば、
・楽器はいつ何歳になっても始められるし、上達することができる。
・今まで触ったことのない新しい楽器を触るだけでも人は幸せだと思える。
・そして誰かと共に演奏したときの一体感はどれだけ色んな見識を積んでも経験できないし、どんなアカデミックな知識や
そこから生まれる共通観念を理解しても、こういった経験をしなければまるで別種の感覚であることを絶対に知りえることは
できない。
ある程度演奏できるようになっても「上には上がいる」と自分を卑下していませんか?
貴方が好きな音楽を、他人の評価に影響を受けて尻込みしたり過小評価したりしていませんか?
「音」を「楽しむ」から音「楽」なのです。学問で「学」ではなく「楽」と書くものは音楽だけです。
その意味を理解できていますか?音楽がどれだけ人生を豊かにしてくれるか、そのことを軽視していませんか?
ここ数年で楽器も随分安価になりました。特に弦楽器は澪のようにレフティでも安価なものが手の届くようなものになりました。
どうか音楽を聴くだけでなく、音楽を演奏する立場に立つことの喜びを知ってもらいたいです。
唯が幼少時にカスタネットを叩く姿を思い出して、どんな楽器でも誰かと共に音を重ねる幸福感を味わってほしい。
そして何より、「けいおん!」の彼女たちのように常に喜怒哀楽をストレートにぶつけられる友人を見つけてほしい。
つまらない、めんどくさい、そう思わずに飛び込んでほしい。おっさんはそう思っています。
冗長な駄文、失礼致しました。
http://anond.hatelabo.jp/20090402234220
ん? と思ったのでとりあえず以下例え。
面接というのはテストと違って、本人の能力を評価するためのものではなく、会社に必要な人材かどうかを見極めるために行われるものである。基準に対して適合性をみるもであって、人間の価値を絶対評価している分けじゃない。
極論になってしまうが例え。
仮面ライダーの集団に、ウルトラマンとウルトラセブンが面接に来たとする。ここで、仮面ライダー集団は、ミクロ化等伸縮自在で自分たちの敵と戦うときに同じ大きさで有利に戦ってくれうだ、というウルトラセブンを雇い、ウルトラマンを落としたとする。(もしくは、仮面ライダー集団は求人票に「身長3メートル以下」等と条件を書いていたとすると、一時面接官が不適合で機械的に落とす可能性だってある)
その後、ウルトラマンは第2志望である戦隊ヒーロー集団の面接に臨んだ。ここで、戦隊ヒーロー集団では大形化した怪人をやっつける必要があり、ちょうどいい人材としてウルトラマンを雇うわけだ。
こういう状況で、そしてその後戦隊ヒーロー集団のなかでウルトラマンが怪人退治に大活躍したといったからといって、仮面ライダー集団がウルトラマンを雇っても、そのポテンシャルは有効に活用なんてできっこない。
また、もしかしたらウルトラマンはガチな体育会系は苦手で、女の子がチームにいないと活躍できないタイプだったかも知れない。そうすると、そういうタイプであると見抜いて落とした面接官は優秀だと思うのだがどうだろうか。
さらに、ここでウルトラセブンは空は飛べるもののバイクは乗れなくて仮面ライダー集団の中ではまだ評価が低く、またウルトラセブンのあずかり知らぬ所で(景気悪化によるスポンサーの撤退とか、時代のニーズを見誤って若いお母さん層に訴えかける美少年の獲得に失敗したとか)経営が悪化していたとしても、それは基本的にウルトラセブンがどうにかできることではない。たとえここでウルトラマンがスモールライトを入手して仮面ライダー集団に就職していたとしても、ウルトラマンだってバイクには乗れないだろうし、同様の結果になっていた可能性が高いわけなので。
(例えへの突っ込みは勘弁してください。ほとんど半可通なので)
つまり何が言いたいかというと。
と言うことである。
また、「カン」というものをずいぶんと過小評価しているみたいだが、カンというのは普通、自分自身の経験や知識から導き出される非常に高度な判断について、それを説明する時に使われる言葉なので。判断する能力がないから勘に頼ると言うのはちょっと考え方がおかしい。普通は相手に説明する気がないとか、特に秘匿しておきたい時、あるいは説明すると長くなることを端的に表すときに使われる。また、これをもって理由を推し量ることはできない。普通、その背後にはそれなりの根拠があるので。そうなるとこの「カン」という事で求めるのは説明不足を求めるべきであって「カンだから悪い」というのはただの思考停止だと思うんだ。
ついでに言うと「事実だけ書く」と言っているが、そのうち
印象論でしかないと思う。(彼についても、増田本人についても)また、
この三つは、何故か元増田氏が自身を引き合いに出しているが、比較対象としてとてもじゃないが正当とは思えない。(一体だれが元増田氏を客観的に評価しているんだ?)普通、一つの事を正当に比較するなら、その評価する以外の点は平等に一致させておかないと、どの部分の影響かと言うことは評価できないわけで。
また、事実の認定の仕方が一部おかしいよう(落ちた、と言うのではなく落とされた、とか)
これを持って、わかることは、
で、元増田氏が主張しようとしていると思われる以下の点は判断できない。
これで一時面接官を批判する材料にはならない気がするんだがどうか。
よほど安売りされていないと皆が手に取らないのは何故だろう?
安売りで \98 とかましてや \198 とかでも皆が買っていって
最初山のように積んであったのが,かなりなくなっているのに
\98 の野菜(トマトとか色々あるけれど)ほとんど残っている.
\198 の野菜なんてほとんど誰も見向きもしないという感じだ.
私は野菜こそもっと値段を上げても買っていいと思うぐらいなのに
どうしてそうならないのだろう?不思議で仕方がない.
いっそのこと値段表示しないで欲しいと思う物をカゴに入れて
自分が本当に必要な物・買うべきものを買えるような気がした.
まず自分が欲しい物のカードを取り,それらを機械に読み込ませて
合計金額を払う.後にそのカードの品だけを店内で取ってカゴに入れ
今のレジの場所に持って行って店員が袋に詰めながら
衝動買いを抑止できる.だから店側は絶対導入しないシステムだな.
結局,スーパーも商売だから余分な物を如何に沢山買わせるかってことか…
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0902/27/news082.html
人は自分の将来の行動について聞かれたときに、一貫して過度に楽観的な予測を示すことが分かったと教授らは述べている。
例えば運動の場合、運動しようと考えている被験者に、週に何回運動するつもりか尋ねたところ、回答は平均で4.48回だった。だが数週間後に調べたところ、実際に運動した回数は平均で3.38回だった。
だが、2つの質問をすることで、こうした楽観的で非現実的な予測をより現実的にできることを教授らは発見した。まず、「理想の世界では」仕事がいつ終わると思うかを聞き、次に、実際にいつ仕事が終わるのか率直な予想を聞く。両方の質問に答えた被験者は、最初の質問には大げさに答えたが、2番目の質問に対してははるかに現実的な予測を示したという。
「人々が仕事を終えられるまでの時間を過小評価することは以前から分かっていたが、それを解決する方法はこれまで分からなかった」とデューク大学のカート・カールソン教授。「われわれはそれを見つけた」
この方法は買い物にも利用できるという。「家庭用エクササイズマシンを買うかどうか決めるときなど、『理想の世界』での使用頻度と比べて、実際はそれほど使わないであろうことを認められれば、もっと安上がりで現実的なエクササイズ方法を見つけられるかもしれない」とタナー氏は言う。
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10214351577.html
http://blog.livedoor.jp/dokuringo777/archives/532824.html
金融危機で話題になった「投資銀行のトップたちの報酬が妥当なのか」どうかについて、触れられています。確かに、世の中には多くのお金を稼ぐ人がいます。でも、同じお金を稼いでいても、まわりに認めてもらえる人と、そうでない人がいるのは事実です。なぜでしょう?というのが、上記2つの記事に載っています。そして、自分もこの件に興味を持ったので、書きます。長いのでパソコンで読むとよいでしょう。もし事実と明らかに異なることを書いているようだったら、指摘してください。よろしく御願いします。
結論から言えば、今回話題になった投資銀行家たちの報酬は「三方よし」に合致していないんじゃないか、ということです。自分も金融が悪だとは全く思いませんが、「彼らは社会に対して、本当に報酬に見合ったこと(社会にプラスになること)をしているの???」とは考えます。民衆サイドの中には、ただの嫉妬や無知で金融による儲けを批判する人もいるでしょうが、そういう人たちだけの主張ならこんなに大きく取り上げられることは無いはずです。スポーツ新聞のコラムに載るくらいです。冷静に「金融で儲けるのもアリだよね」という多くの人たちまで「この報酬はどうなの?妥当なの?」と感じているからこその問題なのではないでしょうか。
ところで、「三方よし」というのは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」のことです。これを社是にする会社もありますね。簡単に言うと、自己の利益のみを追求するのではなく、相手や社会にもプラスとなるような取引を心がけるという近江商人の心構えです。Win-Winの先駆けです。この考えに則って(のっとって)考えれば、同じ稼ぎでも「三方よし」に当てはまる稼ぎと当てはまらない稼ぎでは、相手や世間からの風当たりが違うわけです。今回の「巨額報酬に対する批判」は、このあたりに原因があるのではないかと思うわけです。
「世間」の解釈は様々ですが、今回は日本的な意味ではなく広義の「社会」とします。
批判が起きるということは、「三方よし」の言う「世間」の考えと、彼らの年収とに大きなギャップがあったということです。大きなギャップが生まれるパターンは、(1)彼らの年収は適正で、一般事業に携わるわれわれ民衆の作り出した「世間」が彼らを過小評価している。(2)彼らは何らかの倫理的に適さない方法で稼いでおり倫理的に正常な感覚を持った「世間」がそれに気づいた。 ・・・の2パターンです。今回の批判は、この2パターンが同時に発生したと考えてさしつかえないのでは、と思います。どちらか片方に完全に非がある/ない、とは言い切れないからです。
(1)に関して言えば、われわれは彼らの業務内容を完全には把握していない、というのが事実です。もちろん本当の意味で完全に把握できたりしたら、「あの会社はヤバい」「AとBは、今度合併するらしいよ」という情報も把握できるということなので、それはそれで社会が崩壊するでしょう。
ただ、大まかに言えば彼らの行っている仕事は(ア)銀行業務(イ)運用業務/証券業務 に大別されます。きっと(ア)(イ)の合わせ技のような業務もたくさんあるでしょう。そして、(ア)を充実させるために(イ)が必要だったり、またその逆も然りでしょう。(ア)も(イ)も、現代のほとんどの企業がお世話になるサービスです。彼らが尽力したからこそ資金調達できたり、うまく合併できたりするわけです。そうやって元気になった企業が、われわれに良いサービスや製品を提供してくれるのです。その資金調達力や、陣頭指揮の能力、ノウハウ、合併時の財政的なテクニックのみではなくパフォーマンスの良い職場環境を生み出すためのコツなども心得ているはずです。また、彼らがリスクをかぶって証券化して広めてくれないと、事業のためにお金が必要な人(企業)は資金調達に困ります。そんなこんなで、彼らはあまたの企業のライフラインを構築したり太くする仕事をしていて、しかも世界的に見てそのような業界のリーダーであるので、彼らの報酬は妥当だとも言えます。製造業と違って、直接の生産設備は不要ですし。ITインフラはすごいでしょうが。
ただ、彼らは自分たちの仕事について多くを語りません。仕事柄、語れません。今回の批判は、彼らの「世間」に対する油断にしろ、しょうがないにしろ「説明責任を果たしていない、説明できない」ところに原因があるとも考えられます。収入の根拠を可視化しきれていない。プロジェクトやその他仕事で彼らの良い仕事を直接見たことのある人からすれば、今の彼らは「悲哀のヒーロー」に見えるかもしれません。
(2)に関しての代表例は、多くの方がご存知のサブプライムローンです。他にも多くの金融商品が生み出されては、時代の波に消えて行きます。その時代の移り変わりすら、彼らは利ざやとして稼いだり、損したりするのですが。そのようなエピソードが紹介されているのが、この本です。金融に詳しくなくても、面白く読めます。よく想像されるような、すばらしい人格者で、頭脳明晰で、経済学や数学に長けていて、でもネジの外れた投資銀行家たちがたくさん出てきます。
『市場リスク 暴落は必然か』リチャード・ブックステーバー (著), 遠藤 真美 (翻訳)
『鋼の錬金術師』という漫画で生み出された(もしくは有名になった)言葉に「等価交換」という言葉があります。無から有は生まれない、水は石にならないなどのいわゆる世の原理原則をひとまとめにした言葉ですが、当たり前のことながら的を射ています。多くの人たちが、前述した「この報酬はどうなの?妥当なの?」という疑問を持つのは、先のサブプライム問題がこの等価交換を破るようなモデルに見えるからであり、事実、破綻したからです。言い方を変えれば、その疑念を直接証明できなくても「三方よし」のガイドラインに引っかかった。これが、稼ぎへの批判の源泉なのではないでしょうか。
バブルの教訓と同じく、常に価値の上がり続けるものは有りません。どんなに良くても、横ばいです。不動産だけでなく、金融商品も同じです。時間や物理の概念が有効である限り、原理原則を超えて稼ぐのは不可能です。ここで無理矢理稼ごうとするから、金融が批判されるのだと思います。金融そのものは、「人間」でないとなし得ない、高度で理性の問われる概念/枠組みなのですが。
以上、長く書きましたが、先の高額報酬批判の原因は、(1)が2割、(2)が8割かなと個人的には思います。秩序ある経済が復活し、様々な産業が息を吹き返す(もしくは生まれ変わる)ことを望みます。わかりやすかろうが、そうでなかろうが、本当に「三方よし」を実践して金を稼ぐ人や企業は大規模な批判には晒されません。また、稼ぐ金に関わらず「三方よし」の概念は有効なので、自分も普段から強く心がけようと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20090211232844
知事選では橋下に投票したし、就任以降の府政にはおおむね満足している。
それらを踏まえた上でも今回の黒字化は評価するべきだと思ってる。
一般府民の声を代弁しているとまでいうつもりはないが、
大阪という地域でこれだけのコストカットをすることがどれだけ大変であるか、
内容を見れば決してやりやすいところだけからカットしているわけではないこと、
これらの点を承知して支持している府民はそれなりにいると思う。
関連記事のブクマを見て思ったのは、
まったく考えが及んでいない人すらわりといるのだなという点だった。
特にid:y_arimのコメントは自分の論拠の脆弱さにうっすら気づきつつ、
これまでも、これからも、このスタンスでやるしかないという悲壮感に満ちていて、
なんだかなあと思った。
それから、俺は教育費が削減されることがそんなに大問題だと思ってないので、
それをことさら問題視する人が結構いるのに驚いた。
他の分野の予算だってそうだけど、特に教育費において重要なのは、
できるだけ多くの人に公平感をもたらす分配の方法じゃないのかな。
ま、公平な分配が効果的ではない場合もままあるが、それはまた別の話。
教育費の上げ下げで学力や体力や社会性の獲得にそんな影響出るとは思えない。
家貧しくして孝子顕わるって格言もあるんだしさ。
予算が一緒で、一生に食べられる量がおおよそ一緒だとしたら、美味い物作るノウハウ知ってる人の方が、毎日美味しいものを食べられる可能性が高くなると思う。
PC自作するよりDELLとかで頼んだ方が安い場合が出てきたかもしれないけれど、自作するスキルがある人は、「どこが駄目になったのか」を理解できるから、パーツだけ交換して長く使うことができる。
家の構造や塗装に詳しい人は、リフォーム詐欺に遭いにくいだろうし、良い業者さんを見つけるのも上手いと思う。
英語できれば無料で技術書をWEBで読めるけど、日本語版だと書籍買うしかない、みたいなこともありますよね。
知識は力だと思います。
自炊しなければならない理由はないので、外食好きだったり、人に作ってもらうのが好きな方は無理しなくていいと思います。部屋の掃除も同じで、ごちゃごちゃの部屋で暮らすのが好きな方もいれば、できるだけ何も置かないで、部屋を広く使うのが好きな方もいますよね。衣食住というくらいですから、知識持って損はないと思います。一生使いますから。ただ、着飾るのか、清潔ならOKなのか、他人様の服装を見てはやりか定番か分かるのか、などなどどうつきあうのか(知識をどう活かすのか)は、色んなつきあい方ができると思います。
服に興味持つと、色々出来ることが増えます。例えば、「長持ちさせるコツ」を理解して定番アイテムを長持ちさせられるようになると、それだけ予算も投入できますよね。(2年で着潰してしまう服と10年持つ服とでは、かけられる予算が違うと思う)
また、文法理解すると、てきどな崩し方も分かると思うし、「安く買って高く見せる」こともできるようになると思う。古着とか身近な洋服屋さんを念頭に置いてます。
ジュンク堂とかリブロの書店員さんが私は好きなんだけど、彼らに相談して、本を探してもらうことと、洋服屋さんの店員さんと話して服を見繕ってもらうことが、私の中では大差ないのです。書店員さんには話しやすかったのだけど、洋服屋さんで「こんなの欲しいです。予算これくらいです」って言えるようになるには、少し時間が必要でした。でも、慣れました。
私はさして外見に恵まれていませんし、オシャレに詳しいわけでもないけれど、町行く人たちを眺めて、「おお、あの人気合い入ってる」と、他人様に興味持つことはできます。
まとめると、服について知識を持つことは、他のノウハウを得ることと何が違うのだろう。また、お金をかけること云々よりも、自分の趣味と用途にあったお店で、店員さんと仲良く話す「コツ」を獲得するのが、楽なんじゃないだろうか。もし詳しくなりたいのであれば。誰でも仕事を認められると嬉しい物だし、洋服屋さんの販売員さんたちは彼ら自身が広告塔として商品を身につけていることが多いから、「あなたのセンスが格好いいから、そこを見込んでかくかくしかじか」って話すと、力貸してくれることが多い気がする。
「ねばならない」ものじゃないから、無理することないけど、知識を得る方法を工夫すれば、そんなにお金かけなくても、上達するんじゃないかなぁ。
内面を知ってもらう前に、外見で判断されてしまうことが多いし、モテ・非モテの話題じゃないけれど恋愛などにも直結する話題のためか、ヒートアップしやすいというか切実な話題に感じられるのだけど、PCのパーツに詳しいこととか、自炊することに長けてることと、服に興味があって詳しいことは何ら違いがないと思うのです。なんていうか、運が悪いことに「恋愛要素」と結びつきやすいために、服がらみの要素が過大評価されたり過小評価されたりしていないでしょうか。
「ファッション」という同じ言葉を使っているけれど、きっとそれぞれ別のことを脳裏に描いて発言しているんだろうなぁと思いました。私自身、どれくらい「服」について考えてこの文章を書くことができたのでしょう。
匿名ダイアリー内で完結した方が読みやすい、という意見に触れました。一理あると考えたのでblogと匿名ダイアリーでミラーリングしています。
言葉本来の意味と言葉のその場での意味の齟齬は、相手は言葉の文面に態度も含めて意味を読み取ったと。
・・・そんな情報の線が見えるのか。自分には見えない。
で、次。
その態度の原因として自身の卑屈さがあるそうです。
自分の性格を形容すると「卑屈」という言葉がしっくりぴったりばっちり決まるということを
その自覚がなくとも、これまでのリアル人生ネット人生でわからざるを得なくなりました。
同じ自分の実力の過小評価でも、慎ましやかで聞こえのいい「謙虚」と「卑屈」がどう違うのかわからない。
能力があれば「謙虚」になって、能力が無かったら「卑屈」になるの?
能力の無い人の自信の無さは「イジケ」に見えるんだろうか。
たぶん、卑屈さがこの文章からあふれ出てると思う。
山形浩生 http://cruel.org/other/66text.html
> もちろん、すべてが当初の思い通りだったとは思わない。個人的にも、模型で見ていた頃はタワーのものすごい高さに目を奪われて足元にあまり注意が向かなかったのだけれど、できてみるとうろつくのはもっぱら足元だ。その部分の印象は、やっぱり模型とはかなりちがう。一つには、タワーが丸いせいもあって、うろつくうちに方向感覚がわからなくなりがちなこと。広いデッキと高低差のために、上下の位置感覚もつかみにくいのは難点。そして特にテレビ局の部分とのものすごい高低差は、模型で見ていたときとはまったくちがう。平面図では緑地がかなりある印象だったけれど、テレビ局側についた部分が多くて、みんながでかけることの多いタワー周辺部だと今ひとつその印象が薄い。まあこの程度の印象の差は、どんな開発にもあるものだし、規模が大きければ大きいほどそうしたイメージのずれも生じやすいのは仕方ない。
実感として素人の俺も思ってたけど、そういうのをきちんと言えるってところで、ほんとうに都市工学出身としてまともな人なんだろうなと思った。
足元にかんして言うと、六本木(麻布警察署)から入ったところの狭雑感はひどい。エレベータ上がって直ぐのところが狭いし、そこから先に行くアプローチが細くて、ヒルズの大きさを過小評価させてしまう(結局はマンションとオフィスばかりかって)。だからあまり街としての広がりがあるようには思わないんだよな。その細いアプローチも、たとえばアジア的なにぎわいがあるってんでなくて、ふつうの通路だし。
んー、たしかにデベロッパーがまとめて作ったものとしては頑張ってはいるんだろうけど、でも、分権的に作らせたほうが面白かったんじゃないのっていう気はする。街の賑わいとしては。なんというか中野ブロードウェイ的な感じのほうが。(あれは所有権もまったく分有だったから、しまいにはコントロールできなくなっていて、それでたまたまアニメで当たったという話のようだけど。)ちょっと、スカスカなところとにぎわってるところの差が大きすぎて、街とは呼べない。街だったら、スカスカなところには自然に、安い飲み屋的な雑然としたものが現れるのに。
逆に言うと、頑張った六本木ヒルズだってそんなもんだってところで、20世紀的な?デベロッパーの終止符にしてもいいんじゃないのかなあ。デベロッパーも土地っていう器に買い手(消費者)と売り手(店)を集めるって言うところでは、ゲームのコンソールやマーケットプラットフォームと同じような仲介業なんだろうけど、そこまで広げると、その2サイドとの関係性は色々模索されてるようだし。
あと、麻布への導線の効果もどこまでなんだろうか。逆にヒルズで完結させてる感じがするんだけどなあ。そこからのおこぼれ程度でも西麻布・麻布十番にはそこそこな需要かもしれないけど。
90年代後半以降の格差問題を考える上で、社民党(旧社会党)の罪を過小評価してはいけない。
デフレ不況の大きな要因である日銀の独立を、今でも功績として誇っているからね。
弱者の味方面をしながら、その経済への無理解から就職氷河期世代やリストラ中高年、
さらには自殺者の激増を招いた。まあ党本部の職員に労働問題で訴訟沙汰起こされているような
人達でもあるから、大手マスコミと同様にどこまで弱者のことを本気で心配していたのかわからないけど。
もちろん当時連立を組んでいた自民党の罪も当然ながら大きい。
たとえば、現在総裁選で名乗りを上げている与謝野馨は、90年代後半の不況二番底をもたらした
政策決定の中心人物でもある。今「あたたかい改革」などと嘯いているけど、彼自身は幾つかの
インタビューで、当時の消費税5%増税を後悔していないと宣っている。
本音では国民生活のことなんか頭にないんだね。財政の帳尻合わせをしたいだけ。
あんただけでなくApeman支持者全員に言いたいのだが、「比喩の適切性」というのがそれほどまで強く求められるという価値観は社会的に一般的ではないよ。たとえば「産む機械」騒動というのがあったが、あれも話の構造としては似たようなものだ。そして、「産む機械」という言葉を比喩と断ってでも使ってはいけないという意見はさほど広く支持されてはいなかったはずだ。少なくとも、比喩に目くじらを立てることに懐疑的な人間は多くいた。そのことには注意を喚起しておく。
当初の女子学生の「かわいそう」という発想の彼の考えるところの女性性への揶揄を踏まえて読めば、それ以上の含みがあったように読むのが自然だと思うけどね。
あんたらはそういうことを言うが、あれを「女性性への揶揄」と読むのは勘繰りが過ぎると思うし、仮に女性性への揶揄だとしてもどういう含みになるのか俺には理解できん。
現地でトリアージに当たった医師が専門家じゃないってのはとんでもない発想だなあ。
福耳先生という経営学の専門家も謝ってんだけどな。お前はどういう立場で専門家としてこの二人の専門家の判断に異を唱えてるわけ?
あんた、学部生かなんかだろ。「専門性」ってものがわかってない。ある意味では過大評価してるし、ある意味では過小評価しすぎてる。
たとえば、俺が数学の話をちょっとしたら俺の専門が数学だと断定したが、俺が披露した程度の知識はたとえば経済学においても常識レベルの話だ。そもそも、あの話は普通は工学に分類するものだが。
そういう意味で、あんたは「専門性」を狭くとらえすぎている。トリアージの話が経営学の話と極端に乖離しているように誤解しているのはたぶんそのせいだろう。
一方、専門家は自分の専門以外の分野では素人だ。福耳氏も医者氏も倫理的判断においては専門家ではない。もっと言えば、そんな専門家などいない。倫理学や宗教学はやや近いが、それであってさえ「倫理」や「宗教」という現象を説明しようという営みだ。従って、この件の倫理性に関する判断で、福耳氏がどういっただの、あるいは医者がどういっただのという意見は一当事者の主観以上の意味がない。
じゃあ、その「平易な言葉で過不足のない説明」を抜き出してみてくれ。それはいったいどこにあるんだ。あと、自分を基準にして物事の難易度を測るのはやめた方がいい。あんたはいい意味でも悪い意味でも特別な存在ではないから。
俺は「抗議されるのはもっともだ」といってるだろ。問題が有るからに決まってる。それとも、何の問題もないと思ってんのか?
あんたの話題の設定が曖昧すぎて何とも言えない。だからあんたのゲームの比喩については答えようがない。
露悪的にユダヤ人を描いたのであればそりゃもちろん問題があるだろう。だが、本人の内心に秘めていたはずの秘密が何らかの形で暴露されてしまったとかいうケースならそれはよくわからない。
似たような話として、ワーグナーの話がある。ワーグナーは死後に作品をナチスによって政治利用された人物で、イスラエルでは現在もタブーなのだが、彼が本当に反ユダヤ主義者だったかどうかはグレーゾーンとしか言いようのないところだ。
で、ワーグナーの曲をイスラエルで敢えて演奏したバレンボイムという音楽家がいて、非難を浴びたことがある。そしてバレンボイムは自身がユダヤ系のイスラエル人なのだ。
つまり、ちょっとのことで話の性質は変わってくる。一般的にああだこうだと言うことはできないだろう。ワーグナーとバレンボイムの件などは、もはや当事者の主観の枠内だけで話を付けるしかなかろうと俺は思う。程度の差はあれ、ゲームの問題(テトリスであろうと囲碁・将棋であろうと)にも似たようなことが言える。
ついでに言うと、俺は戦争ゲームが好きではない。たとえば、信長の野望や三国志には抵抗があるし、大戦略などは頼まれてもやりたくない。ホラーも嫌いだ。一方で、ドラクエやFFや囲碁・将棋はむしろ好きだ。こういう好みはあり得ることだと思うが、ただその線引きに倫理的な必然性があるとも思えない。単なる俺の主観だ。
そういうことから、ゲームの件にせよトリアージの件にせよ、「これが絶対正しい、これが絶対間違い」なんてことは言えると思っていないし、トリアージを比喩に用いるのは言語道断不届き千万という言説には強く反発を覚えるのだ。
俺は「左翼」という言葉を使っていないし、「人文系」という言葉は「今までのお前らの説明は高踏的な人文系用語の羅列と、過度に込み入った構文によるはしょった説明ばかりでとうてい理解できん」という一文で一度使ったのみだ。そして、「高踏的な人文系用語」を羅列する人間は別に人文系に限らんよ。俺も一時期やってたことがあるしな。
そして、「制約条件の下での最適化」を教えるのにトリアージという例示を使う必然性はまったくなく、それがデリケートな話題であるのに敢えて使った意図的な例示というわけでもおそらくはなく、だから現場の医師に怒られたらあっさり謝っている。不適切だったんだよ。話終わってんじゃん……。
終わってない。当事者がどう考えようと問題が消滅したことにはならない。少なくとも俺は、福耳氏は謝罪すべきではなかったと思っている。もっとも、福耳氏の立場なら、理非はどうあれ謝罪しておかなければ実害が及びかねなかったから、それはそれで仕方のない判断だとも思うが。
何度も言うが、デリケートな例を持ち出してはいけないという根拠はどこにあるのだ?不快感を覚える人間がいるかも知れないというのは理解できる。だが、不快感は倫理的判断の根拠にはならないぞ。
ついでに言っておくが、俺はトリアージに近い扱いを受けたことがある身分だ。
俺は阪神大震災で負傷した。全治十日程度の怪我だったが、しかし命に別状はなく、相対的には軽傷と言ってよかった。そこで、病院に行ったところ、俺の治療は徹底的に後回しにされ、重傷者ばかりが優先的に治療されていた。そして、包帯が不足していた当時、俺は包帯を没収されてガーゼと絆創膏だけで我慢させられた。当時は包帯を洗濯して使っていたのだ。
俺はまだガキだったが、それでもこの判断には感銘を覚えたものだよ。俺は不利益な扱いを受けたにもかかわらず、な。
http://d.hatena.ne.jp/Hash/20080529/1212077847
なんか考え方が甘いなってのが第一印象。
(バイオインフォマティクスの人っぽいからあんまり実験にお金は使ってないかもしれないけど)君が研究室で使ってる電気代とかは誰がお金を出してるんですか?やりたいことがあるなら自分で科研費なり学振なり企業からの研究費をとって、自分の金でやりなさい。
こんなこと書くと「入学金・授業料払ってるだろ(゜Д゜)ゴルァ!」って言う人もいますが、そんなのじゃ全然足りませんから。特に理系。特にバイオは。
あとね、「どうすればいいですか?」が許されるのは最悪でも学部4年までだよ。院生なら「こういうことがやりたいんですが、どうでしょうか」くらい言えないと。やりたいことを上に伝えて言いくるめる能力超重要(エントリーの後半を見た感じだと、この辺はわかってるっぽいけど)。
以下細かいツッコミ。
まず研究室選ぶ際の調べ方が足りない。なんで研究室の学生から話しを聴くとかしないんだ?
とりあえずこれから研究室選ぶ人のためにポイントを挙げてみる。
どれも1個上の先輩に話を聞けばすぐわかるレベル。
研究室に入って右も左も分からないのに、数ヶ月たったら、「あと二年残るかどうか」を決めさされる。
研究室に入ってから修士に行くかどうか決めるって遅いんじゃないかい?学部卒の就活って3年の秋あたりから始まるってイメージなんだが。それとも今は売り手市場だから院試の季節(4年の夏)から就活始めても内定もらえるんですかね。修士課程でも博士課程でも、就職先なかったからとりあえず進学したって人はいまいちな人が多かったな。逆に内定先決まってたけど、まだまだ研究がしたいといって進学した人はそれなりの成果をだしてた。
院に行くかってのと、どこの院に行くかってのはまた別な話ね。
一年間見てきて分かったことだが、教授がお好きな学生は、考えるよりまず手を動かして、バリバリ実験して、元気が良くて、少し生意気で、ちょっとバカなタイプの学生であるようだ。
一方の僕はメモ魔で、実験よりも論文や本を読む乱読家で、空論と妄想と知識の蓄積に快感を覚えて、でっかい荷物をいつも持ち歩いていて、泥臭い作業を嫌い、基本的に無口。
君の教授に限らず、世間一般の人は前者のタイプの方がすきだと思うよ。特に”泥臭い作業を嫌い”ってのはかなりマイナス。一年目なら黙って手を動かせよ。あとどれだけ読んでるのかは知らないけど、論文・参考書を読むのは当然。
バイオ系なら普通じゃね?そのかわり反応とか培養の待ち時間で2時間空きとかザラでしょ。12時間つっても実働は8時間もない。
余談だが教授はコンピュータシミュレーションの力を過小評価しすぎていると思う。実験で全てが決まる時代はとっくに終わっている。
僕のプログラミング能力は明らかに過大評価されてて、指導教官から「もっと使いやすく作り直してくれても良いよ」と言われた。いやいや、僕はFizzBuzzで喜んでるレベルですYO!。
言うことはデカイけど実力を伴っていないというか何というか。教授も君が口先だけだと思ってるんじゃないかなー。だからメモを捨てろ云々て言われるんじゃない?とりあえずそのVBをもっと言い物に作りかえるところから始めてみればいいんじゃないの。
追記
未熟なハンターは迷惑なだけじゃなくて危険なんだよな。人を間違って撃つおそれがあるから。
ネット見てると疑似科学叩きとか歴史修正主義叩きとかやってる人がいるけど、後者はともかく前者についてはそういう意味で俺はかなり苦々しい思いがあるんだよね。なぜなら、疑似科学ハンターやってる人間自身が科学的思考法をろくすっぽ理解してなかったりして、これもまた科学哲学をろくに理解してない「科学主義者叩き」の温床になってたりする。で、そういう奴らが科学であろうと歴史学であろうとあるいは科学哲学であろうとそういう分野への偏見を増殖してるんだから、専門家にとっては迷惑この上ない話だよ。
それで、君は何が目的なのかな?ウヨあぶり出しとか言ってたけど、わかっててわからんふりをしてるのか、本当にわかってないのかどちらなのか。
俺が言っているのはあくまで「君の意見には反論がいくつも考えられて、たとえば例1、例2、例3・・・」という話だ。君はその中で、俺が「例1」まで言ったところでそこに延々と噛み付いて、それを元に反動主義者だとかウヨ認定だとかしてくれてるわけだよね、俺に。正直、確かに「例1」は粗雑な議論なんだが、自己啓発厨やネトウヨみたいな反知性主義者なら一番簡単に料理できる論法なんだよ。ところが君は反知性主義者じゃなくて素朴近代主義者だったわけで、その意味ではかえって逆効果だったかもしれん。ただそこを見誤ったというのはディベートの戦術としての問題ではあっても、勝ち負けで議論しているわけではない俺としては別になにも痛くないわけだ。
これがわからんのだったら、正直本気で頭が悪いと思うぞ。君はswitch文で最初のcaseに引っかからなかったらswitch文を抜けると思ってるのかね?
で、いつまで撤回した仮定を引きずるわけ?w
つまり、君が絡まなくなるまでだ。
別にITに限ったことではない。だが、英語である必然性はないと言っているんだ。むしろ、近代科学の初期の頃にラテン語が用いられたことに比べてこの点では退歩している。英語という言語は公平ではないし、習得が容易なわけでもないんだから。
ナショナリズムの浸透によって各国で自国語が用いられるようになり、第二次大戦の時にヨーロッパの有力な科学者がこぞってアメリカに亡命したことが結果的に英語一極支配を作ったというだけのことだ。つまり、英語支配というのはアメリカのナショナリズムの勝利ということなのだ。
で、それを「韓信の股くぐり」で受けいれるというのなら俺は反対しない。しかし、文化資本(英語も文化資本あるいはそれと類似の構造の産物だぞ?)による階層格差を否定する君が、「英語帝国主義で構わん」というのだから、これは明らかなダブスタだろう。それを俺はおかしいと言っているんだ。
底上げをすることと、古典をやめるなどして内容を減らすことは全然関係がないだろう。それからもう一つ、俺は「普通の東大生数百人のレベルをギリギリにチューンする」なんて話は一度もしていない。
それは、特にアセンブラが必要でもないケースでか? ちょっと勘弁して欲しいなw まあ仕事としてうまくやれてるならそれでもいいけどさ、特殊ケースだろ?
特殊ケースじゃない。大多数の人にとって計算機やプログラミング言語というのは単なる道具だからだ。字を書いてる人間はいくらでもいるが、みんなが書道を習っているわけではないというのと同じこと。計算機自体が目的ではないのだから、不便を感じなければ勉強しない、他にすることはいくらでもあるという人は多い。だから、それ以上の領域は趣味と考えるべき。その意味で、明らかに筋の悪い無駄なコードを書かないようにするための感覚だけが身に付いていればそれでよしと考えるのは割と普通のこと。
以下は枝葉末節。
具体的に挙げてくれる? 君の議論の最大の弱点って多分具体性がないことだから。
いや、君の「役に立つ」の基準がわからんと、また筋違いな方向から噛み付かれるだろうからうんざりしてるんだよ。君は何をもって「役に立つ」としているのか、それを挙げてみてくれ。率直に言えば、普遍的な観点から「役に立つ」なんて断言できるものはほとんどないと思うが(洋の東西を問わず)、絞ってくれれば答えもできよう。
そりゃ「影響」はしてるだろうがな。別にキリスト教の神である必然性などない。/いや、親鸞の書いたものは当然古語で書かれてるでしょ?
一神教文化圏で「神」といえば論理的に当然限定されるわけだが。まして、冠詞がある欧米語では"the God"のようにそのことは明示される。で、日本の古典というのは君にとって親鸞以外読む価値がないのか?ちなみに親鸞というのはむしろ江戸時代以前の過小評価の反動で明治以降に過大評価されているんだが。正確に言うと過大評価というより、君のような近代主義者が、日本にプロテスタンティズムの代替物を無理に求めた結果親鸞を再発見したということだ。
いや君がニュートンを引き合いに出したんでしょうに。民主主義に関してはギリシャにまで遡って意義深い書籍を見つけることは出来るだろうなあ。
さすがにニュートンより古いものを引用する奴はいないからなあ(ガリレイとかならあるかも)。あと、ギリシャの民主主義については明確に誤解。ギリシャに伝統を引いてくるのは反王権主義者が持ち出した大義名分的なものであって、明治維新で倒幕派が天皇を担ぎ出したのと同じこと。ギリシャの民主政というのは市民階級(貴族階級と言おうか)だけのものであって、そんなことを言えば日本の惣とか寄合の方がよほど民主的かもしれない。
第一印象でキモイと言われてしまう人です。体のトラブルによってなってしまう事が多いです。
そのほか極端に変な行動をする人もこのタイプに入るでしょう。女の子に話しかけると嫌がられる事があります。
男友達も出来にくく、本人も内気な性格になってしまう事が多いようです。
大体が身体的な問題から起きています。肥満、痩せすぎ、肌荒れ、歯並びが悪い、姿勢が悪い、体毛が濃いなど。
体毛以外は健康にも悪影響です。ですから、健康的で規則的な暮らしをすれば、改善出来るはずなのです。
・肥満→好きなスポーツ(有酸素系)を見つける。毎日少しでも走る。食生活を見直す。間食しない。
・ガリ→好きなスポーツ(無酸素系)を見つける。筋トレする。炭水化物とたんぱく質を多くとり、無酸素系の運動を頑張る。労働系の仕事をする。
・肌荒れ→肌に悪い物を食べない。早寝早起きする。栄養をバランスよくとる。規則的な生活をする。
・歯並び悪→歯科医院で矯正する。学生は1人暮らしになると資金的にやりにくくなるので早めにやっておく。
・姿勢悪→意識して胸を張って生活してみる。
・体毛→剃る。資金があればエステ。
このような解決法でだいぶよくなるはずです。
子供はファッションや髪型は気にしません。周りからどう思われているかを気にしないからです。
一般的に「オタク」と呼ばれている人たちも同じでしょう。体格は大人になっていますが、外面は子供と変わらない発想です。
あるものを着る。気にしない。よくわからない。全てが外面的稚拙です。内面的稚拙とは「精神的に子供という事」
・自分にとって嫌なことが我慢できない。
・自分の身の周りのことが出来ない。
・相手の立場に立って物事を考えられない。
・自分を客観的に見れない。いつか誰かがなんとかしてくれると思っている。
・自分の悪さを人のせいにする。等が主に挙げられます。つまり大人になりきれていない。
・自分の事も満足に出来ない人が彼女を作るなんて不可能です。
まず、周りの(特に異性の)目が気になりだしたら脱出の第一歩です。つまり、これをブクマしたくなった人はもう改善への道を歩き出しています。
ファッションの基本を知る事です。「脱・オタクファッションガイド」が学ぶにはお勧めです。しかし、基本的なことしか書いていないです。そして、流行とはどんどん変わって行きます。例えば、そのサイトで「ブロック柄のネルシャツが良い」と書いてあるので、今は秋葉系も着ています。つまり、そのネルシャツはオタクまで浸透してしまっているので、価値はどんどん落ちています。常に雑誌などで最新の流行をチェックしてください。そして、上級者になったら個性を出して行きましょう。
内面的に成長するためには「大人になる」事です。自分の身の回りの事はしっかり出来るようにする。やるべき事は逃げずにやる。正しい判断力を持つ。良識を身に着ける。相手の事を思いやれるようにする。自分の人生にしっかりとしたビジョンを持つ。自分を客観的に見れるようにする。など挙げていけば切りがないです。自分の幼稚な部分に気づいて、だんだんと治していければ良いと思います。
自分でわからない部分は、親や友達や兄弟に聞くのも良いでしょう。客観的な意見も非常に重要です。そして、わかったら努力して直す事です。初めは難しいですが、頑張れば改善して行くでしょう。
上が良くなっていく段階にある過程的なタイプです。外面は気にする事は出来るようになりました。少しは内面的にも成長出来ました。
しかし、タイプ2で挙げたような内面的稚拙をいくつか治せないで居るので、まだ未熟者です。この段階で「小手先の技術」があればある程度モテるかも知れませんが、長続きはしないでしょう。
上の延長線上にあります。上の事を努力し続ければ平気でしょう。客観的に自分を見られるようになり、自分の弱点を改善出来るようになった人はどんどん伸びていきます。
上の3タイプは成長段階ですが、このタイプはまた違います。上のどれかの過程にある上にこのタイプの特徴も持ち合わせてる人もいます。
相手の女性の行動を良く取り過ぎてしまうのがこのタイプの特徴です。女の子がにこやかに挨拶してくれたら「あの子俺の事好きなんじゃね?」こんな感じです。
このタイプは「自己中心的」で「自分を計るものさしが自分の中でしかない」人です。内面的稚拙の「自分を客観的に見れていない」や「相手に対して思いやりが持てない」人の悪化タイプがこれです。
周りからは基地外系と思われる事が多いので嫌われます。明るい性格なのに友達が少ない人はこのタイプなのかも知れません。
まず「自分が1番」「俺って結構デキる方だよ」「実際その気になればモテる」「あいつより俺の方が上」のような考えを全て捨てましょう。
勘違い君は自分の無力さを知りましょう。寧ろ自分で自分が勘違い君だと理解した時点で勘違い君ではないです。
だから、その傾向がある人は早めに気づきましょう。「自信」と言うのは恋愛以外にもとても大事なものですが「根拠の無い自信」はただのハリボテです。しっかりとした成長の過程を経て自信を持ちましょう。
誰でも最初は自信がないのです。空元気で頑張る必要はありません。初めは弱くて良いんです。勘違い君だと気づいた人はまず「友達や家族や兄弟に思いやりを持って接して大事にする」ことから始めると良いでしょう。そうすれば、恋人や恋人候補の人にも思いやりを持って優しく接する事が出来るはずです。
自分の事を過小評価しすぎてしまう人たちの事です。考え方は正反対ですが、これも勘違いと言えます。自信が無いので、何をするにも後手後手になり、チャンスをことごとく逃します。しかし、大体そんなに悪いスペックで無いのに、ハイスペックの人と比べて勝手に鬱になってる人が多いようです。
このタイプは趣味や夢中になれる事が無い場合が多く、人生自体がつまらないと言う人が多いです。嫌われませんが、友達は少ないです。人間としての魅力がありません。平均的なルックスがあっても、女性との縁が全くないような人がとても多いです。
勘違い君の逆で、気弱で優しい人がなりやすいタイプです。ですから処方箋も全く逆です。自分に自信を持つ事が必要です。
初めは全然ダメでも良いから、出来る事から少しずつやっていきましょう。例えばひ弱な人でも2Kgのダンベルから筋トレを始めて、強くなったら重さを4・6・8・10Kgと少しづつ増やしていけば着実に力が付きます。
精神的な強さも同じなので、初めは低いハードルからクリアして、少しづつ上げて行きましょう。自分の夢中になれることを見つけることも大事です。人生楽しんでない人は輝いて見えないので魅力も無いです。楽しんで生きる事は、自分の魅力を高めると同時に、自分自身も充実するので一石二鳥です。それにはたくさんのことにチャレンジして、その中から自分にの一番を見つける事です。何事も適正なんてありません。あるとすれば好きか嫌いかです。好きな事なら続けられる。続ければ上手になる。こんな感じで改善されて行くでしょう。
上の性格にさらに「攻撃性」と「プライド」が重なり、自分に対する自信の無さに目を向けなくなった人たちです。いろんなことに文句ばかり言っています。友達はまぁ、出来ないでしょう。女性にもモテないでしょう。後ろ向きなのに高飛車というのは、手が付けられない状態です。
5の悪化系です。取り合えず素直な気持ちを持ちましょう。でも、このエントリーをブクマしたくなったという事は、変わりたいと思ってるという事ではないでしょうか?だったら、変なプライドは捨てて自分の弱さと向き合い、少しづつでいいので強くなって行きましょう。
自分の身の丈に合わない人を好きになります。「内面的未熟」な人に多く見られる特徴です。自分がどれほどの男かという事が客観的に見えていないので、無理は人ばかり狙って玉砕します。
そして、タチが悪いところは「ある程度いい感じの人の事も不細工と言って馬鹿にする」ことです。B専と思われるのが嫌なのかわかりませんが、このタイプはかなり高レベルな女性以外は「不細工」と言います。その上馬鹿にします。「あのカップル男も女も不細工だよなー」なんて言ってる彼女いない暦=年齢の人は当分モテないです。普段からそうやって女性を馬鹿にしているのが態度に出て、自然に嫌われます。
まず、現実を知りましょう。ドラマや漫画の様に、美男美女の美しい恋愛はあまりないです。2次元の世界や架空の世界から抜け出して現実を見ることが重要です。見た目だけで好きになるのも良いでしょう。
しかし、1ランク上の恋愛は、相手とたくさん話して人間として相手を好きになる事です。そうすれば、多少容姿が劣っていても愛らしく見えて来ます。取り合えずストライクゾーンが広がるでしょう。モテないのにストライクゾーンが狭いって言うのは致命的です。初めは微妙な人と付き合って、女性と付き合うという事を経験して、経験値をたくさん得てから理想の女性と付き合えば良いのです。初めから背伸びする事はありません。しかし、付き合ったからには相手を精一杯愛して下さい。大切にしてください。それでこそ経験が積めます。デートはどんなところが良いか。どんな会話をすれば良いか。良い関係が続くメールの仕方はどうすれば良いか。Hはどんな感じにすればいいか。経験しないといけない事はいくらでもあります。それらを知らずに歳を取る事は危険です。現実を見て、色んな事を実体験しましょう。
メールをものすごくマメに送ったり、女の子に対して下手に出ていれば良いと思ってる人たちです。
気にかけてあげる事は大切なのですが、それは仲良くなったり付き合ったりした後の話です。まだ、メアドを交換したばっかりなのに気にしすぎると、自分の気持ちがバレてしまって、相手が引いてしまうことがあります。仲良くなったとしても「何してる?」「どうしたの?」「メール返って来ないけど何かあった?」などを連発していたら、相手が好意を持ってくれてても嫌われていきます。そして、デートの時は「どこ行こうか?」って言われても「どこでも良いよ?好きなところ言って」のように女の子をリード出来ません。となると「優柔不断」「頼れない人」となってしまいます。
このタイプの人は「小まめにメールする事が優しさ」「相手の希望に合わせるのが優しさ」と勘違いしているのです。で、相手からは「しつこい」「ナヨナヨしててうざい」となってしまうワケです。
相手の気持ちを思いやれない優しさは(一方通行の優しさ)はキモイと言うわけです。相手が欲していない時にいくら優しくしても、ウザがられるだけです。
「本当の思いやり」と「押し付けの優しさ」の違いを理解すれば問題無いです。
例えば、メールが返って来ない時に「どうしたの?」と聞くのは、本当に相手に何があったか心配だからですか?そうじゃない場合が多いでしょう。大体が「自分が寂しいから」だと思います。それは相手を気にしている優しさではなく、ただ単に「自分に甘い」だけです。
デートで相手にコースを決めさせるのも、相手が楽しいコースでデートをしてあげたいからですか?それも、自分で探すのがめんどうだったり出来なかったりするからの場合が多いと思います。
自分で何も出来ない。相手を思いやる事も出来ない。何もわからない。から相手任せ、取り合えず下手に出てれば良い。相手が冷めた態度を取ってきたら「ごめんね、ごめんね」こんな男はまず好かれません。本当に優しい男はメールを返すのが遅いはずです。相手の書いてきた内容をじっくり読んで、どんな内容を返そうかじっくり考えるからです。考えが浅いとしても、一生懸命考えて返したメールは適当に返したメールより重みがあると思います。デートコースも雑誌などで調べて、しっかりと準備してデートに行くでしょう。相手の事を考える事で、相手が何を欲しているか少しでもわかるかもしれません。それに、相手の事を考える事で「想いやり」の第一歩が生まれます。「好きだからこそ、相手の事をよく考える」というわけです。
童貞である事を気にしすぎや、やりたい願望が強すぎるタイプです。
恋人に求める事は人それぞれです。Hな事をしたい人もいれば、楽しく遊べる異性は欲しいだけの人も居ます。思いっきり恋愛をしたい人もいますし、心の支えになって欲しい人もいます。特に女性は肉体的なものより精神的なものを男性に求めるところがあるので、やりたいだけでは通用しません。恋愛の先にそういう事があるって事を理解した方がいいです。本当に好きになってからそういう事をしましょう。しかも、必死感が出てしまい女性に好かれません。
性欲が旺盛なのは若い証拠で悪い事ではないです。女友達でも性的な対象と感じてしまうのも仕方ないです。しかし、そこは押さえましょう。人間ですから理性があるはずです。
「Hするために付き合う」とかは、引いてしまう女の子が多いと思います。お互いの事を分かり合って、本当に人間として好きになれて、いとおしく感じられるようになった上で体の関係があると思いましょう。とっても硬い話で「うわ」と思う人も居るでしょうが、ホントに良いSEXが出来るのは↑のような場合だと思います。
てか、好きな人が進めて行くのを嫌がったら、待ってあげるのは男として最低限のマナーだし、恋愛とはヤるためだけにするもんじゃないです。
自分を成長させることが、恋愛を成功させる道につながって行きます。恋愛以外にもあらゆる人間関係構築にとても効果があるでしょう。
頑張ってください。
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/12/post_1581.php
とても正論だと思う。
どんなに屁理屈をこねても、やらなかったことはやれないのである。
ただ、森氏には森氏自身が作家であり、"考える"ことが得意、好き(と思うが?)という点が過小評価されている。
好きなことをする時、苦労感が薄くなるのは誰にも経験のあることだと思う。
そして逆の時、苦手なことをするというのが酷く苦痛に感じるというのまた誰にも経験があるだろう。
そして、森氏は"考える"という行為自体もまた過小評価していないだろうか?
考える、という行為は別に重労働や精密作業、長時間作業などと違い、一見消耗しない行為に見え、コストがかからない、故にやるだけ、やれば良いだけの行為に感じる。それをやらないというのは怠慢に見えるだろう。
しかし、苦手な人には、人が思っている以上に"考える"という行為は難しい作業である。
あなたが苦手なこと、嫌いなことと同程度に。
「俺だってやってきたんだから、君もそれくらいやれば良いのに。何でやらないの?」ではなく、「そうだよな、俺もあれはなかなか出来ないもんな。じゃあ、どうしたものかな。」これくらいの暖かさを持ちたい。
文才という言葉が俺は嫌いだ。
正しく言えば、文才という言葉の使われ方が嫌いだ。
「俺には文才がない」?
ふざけんな。
いい文章ってのは、伝えたい内容を考えて、文章構成を考えて、表現のトーンを考えて、実際に書いてみて、納得いかなければこねくりまわして、第三者の目を通してブラッシュアップして、そうしてできあがるモンだろうがよ。
何の気なしに名文を書く才能があるヤツもいるかもしれないが、才能がなければ書けないってもんじゃない。
努力しないで何が「文才がない」だ。ふざけんな。
「伝えたい内容がない」?
ただ考えてねーだけだろ。あるいは自分の考えを過小評価しすぎだろ。何十億人人間がいると思ってんだ。何千年の歴史があると思ってんだ。お前だけの思考なんてそうそう見つかるわけもない。違いがあるとすれば言葉にされているかいないか、知られているかいないかだけだろ。
簡単に価値がないとか言うな。
価値がないって思うなら、その苦悩をつきつめて考えろドアホウ。
自分の価値が見えてくるまで。
追記:
なんかヘンなのに目つけられちまったな。
踊る方も踊らされる方もほどほどにしとけよ。
誰が反応しようがしまいが俺の意見は変わらねーし、元増田が少しでも考えるきっかけになればそれでいいさ。
追記2:
一人でやってたのか。
随分とお暇なことをなさるもんだ。