はてなキーワード: 貢献とは
自分はただの社会人雑草プログラマで、専門教育なんか全然受けていません。(どころか大学すら出てない・専門学校はテラ文系)
だけど、技術の進歩に貢献されている研究職の方々には非常に憧れを持っています。もし同じ時代に生まれ変わったのなら、物理学の研究者になりたいなあ、と思っています。これからLHCとか凄そうなので……。
で、研究室とか博士課程とかの詳しい仕組みは分からないけれど、まだ「学生」と呼ばれるうちからそんな風に思いつめるのは時期尚早なんじゃないでしょうか? 別にそこで成果を挙げなくても、十年後・二十年後に何かを成し遂げられればまったく問題ないと思います。そのとき教員にも恩返しができますし。
研究ってセンセーショナルな成果を挙げる人だけで成り立つものじゃなくて、地味な検証とかの作業の方がずっと多かったりするんじゃないでしょうか。そういう作業なら、目だった成果を挙げるような天才的な人でなくても貢献できると思います。もしそういった作業にも携われないほど能力が低いという自覚があるのなら、単に能力を改善すれば良いのだと思います。人に相談しながらやればきっと難しいことではないです。
自分も専門学校時代に講師から散々な評価を与えられてかなりトラウマになりました。でも、卒業後六年目にしてようやくその講師を見返せるような成果を出せました。この先もっと成果が出せるだろうという自信も付きました。
ただ、その講師がもう亡くなられてしまったのが残念です。
あからさまにDQNならまだいいよ
うちのはさ・・・
外でいい顔しておべんちゃらばっか使ってて、社長社長なんてもてはやされては浮き足立って喜んじゃって
社会貢献性が高い事業なんだからがんばりましょう!
・がんばりましょう(戦略は一切ないけど)
・ひとりひとりの努力が結果になります(おいしいとこは社長が総ドリ)
・未来の日本のために(いやいや会社と社員の未来をまず心配してくれ)
って、そもそもどんな事業にも社会貢献性はあると思うんだが。
社会に貢献していない企業なんてこの世にはない、淘汰されているはずだと思う。
派遣会社から「増田さんなら正社員の仕事ありますよ」「この仕事は正社員になれるチャンスがありますよ」みたいな言い方をされると非常に萎える。リップサービス程度に担いでくれるならともかく、具体的なオファーとなるとかなり面食らう。転職エージェントとしてのあんたとこの会社には興味ないし、紹介予定派遣も登録時に希望しないと告げていたはずだ。今の僕が満たされていない立場にあると勝手に決めつけ、勝手に吉報かのように話を持ってこられても困る。この世の中には望んで派遣社員という立場を選んでいる人が居ることを、本職のあなた方が理解していなくてどうすんの。
悪気は無いのだろうから大して腹は立たないけど、なぜ僕が「正社員になれずにあがいている人」に見えたのかが正直なところよくわからない。マスコミの偏った報道のせいだろうか。彼らがそう思うということは、ひょっとして大多数の派遣社員というのは「出来れば将来的には正社員になりたい」と考えているってことだろうか。そんな馬鹿な。僕のように根無し草で、いろんな地域でいろんな国でいろんな職場でいろんなことをやりたいと考えている人間もまた大勢居るはずだ。
僕の今の派遣先企業はとても居心地がよく、職場環境や僕に与えられる権限についても申し分が無い。妊娠している女性が多いのは良い会社である証拠だ。こんな会社に入社できた社員は幸せ者だと心の底から思ってる。だから僕もできれば2年ぐらいはお世話になりたい。だけど、長くて2年。きっちり心にそう決めている。前職があまりに居心地の良い職場で3年も居続けてしまったという失敗をやらかしているからだ。僕には40歳までに実現したいことがあるので、それになるためにはどうしても「今」の職場におけるスキルの蓄積が必要だし、2年後には別のスキルを身に付けるべくまた別の職場を探さなくてはいけない。これの繰り返しだ。そういうときに、派遣会社の存在は魅力的だ。20年前から言われ続けてきたポピュラーな派遣会社の使い方のはずだ。
なのに、派遣社員を勝手に格差社会の被害者かのように決め付け、派遣会社を悪の組織かのように叩いて同情してくれる人たちが確かに居るようだ。その気持ちだけで十分です。大して知りもしないのに勝手なことは言わないでください。せめて(偽装)請負業者と一般派遣会社との区別ぐらいはつけてください。
「派遣社員は安定しないから」「50歳、60歳になったらどうするの?」と聞く人にも言いたい。派遣社員だって自分の人生設計は自分でちゃんと立てています。派遣社員が安定しない身分だから正社員になれ? それ、商店街の八百屋さんや喫茶店のマスターにも言えますか?
「近所にヨーカドーが進出してきたらどうしますか?」「スターバックスが出店したらどうしますか?」なんてお節介を焼きますか?
ドラフト1位指名選手にも「プロで成功している人は一握り。怪我とかしたらおしまいですよ」と言って止めますか?
できやしまい。そんなリスクを気にしていたら商売なんて無理ですよ。勝算を持ち、成功を信じてやるしかないじゃないですか。しかも彼らは労働者としての保護が無い分、僕らよりはるかに「安定しない生活」の危機に晒される可能性が高い。みんな勝負して生きてんの。それに比べて僕は社会保険料だって税金だって全自動で納付する労働者。失業保険だってあるし、教育訓練給付制度にだってあやかれる身分だ。彼らみたいに自立して、ヒリつくほどの危機感を日々抱いているわけではないし、それなりに安心・安定した人生を過ごしています。名ばかり個人事業主や偽装請負の仕組みには加担しないよう心がけているし、やましいことはしちゃいません。放っといてくださいな。
僕だって最初から素晴らしい会社に派遣されていたわけではないし、お給金も目も当てられないような有様でした。今の額も実のところ満足しちゃいません。でも、勤怠管理をきちっとし、タイムシートの提出も遅れず、なるべく残業をしないよう心がける。1年間、こういう当たり前のことを当たり前にこなした結果の賃金交渉が失敗に終わったことは滅多にない。派遣先企業の本決算の時期を把握して賃金交渉していますか。工数管理をされない立場の人は、自分で工数管理表を作っていますか。1年間、自分がこなしてきた業務の一覧を営業に見せていますか。お客さんに評価してもらった仕事のことをちゃんと記録に残していますか。ささいなことでも、「これだけやりました」と胸を張って言えるっていうのはとても重要なこと。
派遣社員だって実績を積んでの営業活動は必要なのですよ。黙ってても時給なんて上がらないし、次の仕事をただボケーっと口を開けて待ってるだけでは食い物にされるだけです。築地で魚の取引をするのだって駆け引きの応酬だ。派遣社員だってやるときゃやりますよ。でも、あとになってから「掴まされた」と恨み事を言うのは実にくだらない。自分の目利きが悪かったのだ。そういう世界であることを認識せずに派遣会社を使っている人、多いんでしょうかね今。
最近、あろうことが当の派遣社員までもが自分のその働き方を否定したり契約先の悪口を言ってたりするようだ。何してんだお前?
いつかはどこかの会社の正社員になるために今、派遣社員として頑張っている、それはいい。だったらまず派遣社員としての自分を卑下せず、まずは自分の目の前の仕事を実直堅実にこなしていきなよ。仮にも自分が選んだ働き方でしょう。「正社員になれたら本気出す」みたいな考え方があるのだとしたら改めた方がいい。そんな人はパートであろうが正社員であろうが事業主であろうが派遣社員であろうが何やってもダメ。正社員になったとしても希望通りの部署に配属されるとは限らない。そういう人はその時も今のポジションを卑下して同じ事を言い出すに違いないのだ。
一度、竹原慎二にボコボコにされればいいと思うよ。
初めて派遣会社を利用しようとする人に、ちゃんとドラスティックでシビアな世界であることを十分に説明せず、「当社は誰でもウェルカム」としている派遣会社の姿勢にも大きな問題がきっとあるのだと思う。考え方を変えれば、昨今の派遣会社叩きの流れというのは派遣会社の自業自得だという気がしないでもない。
契約書に賃金がきっちりと明記されていてサインまでしているのに、経理感覚も無いのに派遣会社の懐事情を探って勝手な理屈をつけ、後になってからゴネるような奴は必ずいるのだ。MonsterTemporaryWorkerというやつだ(今命名した)。個人事業主や会社経営者に最も向いていないタイプがこれで、派遣社員という働き方もどちからと言えばそれらに近いのだからトラブルも起きる。
およそ派遣社員という働き方に最も向いていないタイプの人間に、ホイホイ登録を許して仕事を任せていたのではとても三者ハッピーにはなれないだろう。今の派遣会社は社会人経験の浅い人だって構わず食っちまう状況なのだから、そのあたりは少し再考するべきだ。とはいえ、就職難と呼ばれるこの時代、統計上の失業者数を増やしたくない国にとって、派遣会社の存在は都合が良いのでしょうね。当分この流れは止まらないのかな。でも、派遣会社が事業を縮小するのであれば、派遣会社叩きをしている人にとってもこれは「ネガティブキャンペーンの一歩前進」なのだし(なんせ「派遣会社は不要・諸悪の根源だ」とか言ってるようなのも居るぐらいだし)、前述のような理由を持つ僕とも利害が一致するはずだ。
ところで、派遣会社叩きとしてよく使われるセリフの代表格に「奴らは派遣社員から何十パーセントもピンハネしてボロ儲けしている」という類のものがある。あんなもん妄言もいいとこだ。マージンなんてせいぜい30%程度でしかない。これは厚生労働省の調査ではっきりしている。良心的ではないか。25%以上が経費で消えるのだから、手元に残る額なんてたかが知れてる。世の中にはその30%のマージンが丸々派遣会社の懐に入ると考えている凄い人も居るようなので、そういう輩の存在も派遣会社・派遣社員への評価を貶める要因となっているのだろう。喫茶店の400円のコーヒーが仮に原価20円だとして、だからといって380円が店の儲けになるわけではないということは誰でもわかりそうなものなのに、コトが人材ビジネスの話に及ぶと同じ思考で語れないのは何故だろう。不思議だ。
派遣会社のIR情報や決算時の資料をきちんと読んだことのある人ならわかるだろうが、日本の人材派遣会社はどこも利益率が低い。大手のテンプスタッフやスタッフサービスの利益率はせいぜい2%~5%の範囲。インテリジェンスは6%以上叩き出しているが、あそこは派遣事業以上に高い利益率が見込める転職エージェントの事業も手広くやっているので、そこに助けてもらっているだけだ。人材派遣事業部としての利益率は他社と大差ないだろう。
人材派遣会社の平均利益率を多めに見積もって、仮に5%としてあげよう。たったの5%ですよ。世の中10%以上の利益率を叩き出している大手企業はいっぱいあるのに、5%程度の人材派遣会社が暴利と言われる筋合いなんてどこにも無いはずだ。ただでさえ薄利多売構造で頑張っている中、最近「マージンを開示しろ」という声が上がっているようだ。派遣会社にしてみれば派遣社員というのは商品そのものであって、これは日本橋の電気屋で価格交渉するときに店員に仕切り価格を教えろと言っているようなもんだ。寝言は寝て言ってくれ。僕としてはマージンが派遣社員に開示されるようなことになれば非常に困る。他の多くの真面目な派遣社員の人たちだって困るはずだ。
当り前の話だが、マージンを開示してしまえば、派遣社員側が案件を選ぶにあたって派遣会社を天秤にかけることになるだろう。そうなると「アデコさんは30%と言っていますよ。パソナさんはなぜ35%なんですか」といった交渉が当たり前になってくる。最終的には派遣会社間の価格競争に陥り、どの業者もマージンは似たり寄ったりになることは明白。これはつまり、派遣会社が事業で他社との差別化を図ることが難しくなることを意味する。
派遣会社によってサービスに対する「お金のかけどころ」は結構違う。提供している福利厚生の種類も、質も、社員さんのフットワークも違う。フジスタッフなどは給与明細やタイムシートなどが電子化されていて魅力的だし、未だにそれらに着手していないインテリジェンスは残念だけれども、僕にとっての魅力的な案件はそこが一番たくさん持ってる。OSSに理解もあり、学術活動への貢献に力を入れているパソナテックもまた魅力的だ。アデコは条件はともかく、アホみたいに頻繁に案件紹介の連絡が来るので嫌いではない。
繰り返しになるが、マージンを開示することで、確かにこれらの企業は切磋琢磨するだろうが、その結果コストを切り詰めた先にあるサービスはどこの会社も似たり寄ったりになるに違いないのだ。部屋を借りるとき、仲介事業者を基準に選ぶ人はおそらくほとんど居ない。どこの業者も大差ないからだ。家賃は直接大家さんに支払うという仕組みが一般的である以上、手数料(マージン率)は明瞭だし、ここを調整することで利益を図ることが出来ないが故だと言えるはずだ。派遣会社が勝負するのは案件数だけ、そんなつまらない状況にはなって欲しくない。そうにはならないであろうという考え方があるのであれば、僕も開示制を歓迎する。
でも、僕は本来マージンなんてものは実績を積んで勝ち取っていくものだと思っているので、たとえば同じ派遣会社を利用している者同士で「Aさんはマージン20%でBさんは50%」という構図があったとしても、それはごく自然なことだと考えている。マージンを開示するとこの構図を維持するのがほぼ無理になってしまう。頑張ってユーザから高い評価を得てる人も、登録したばかりで能力も勤怠も未知数な人(世の中には無断欠勤や突然退職することの常習犯だって居る)も同じマージン率になるのであれば、僕は我慢できない。彼らが突然出社しなくなることのリスクは当然マージンに反映されるわけだが、それを僕がかぶることになるはずだからだ。こんな不公平がまかり通る公平なら要らない。
僕は派遣会社はピンハネなんてしていないと考えている。企業は派遣社員に対して5%を支払っているわけではない。「コスト削減という名のサービス」を提供してくれる派遣会社に対して支払ってくれているのだ。その5%は「本来僕がもらって当然」のお金ではない。のぼせちゃいけない。
話が逸れてしまったが、派遣会社はボッタクリ企業では無いし、派遣社員も誰しもが「被害者」ではないということを知って欲しい。
双方に対するあらぬ誤解だけならいざ知らず、勝手な同情はやめてもらいたい。迷惑だし失礼だし、そもそもうぬぼれが過ぎやしませんか。
僕は別に人材派遣会社に悪いところが無いと言っているわけではない。改善点は沢山あるはずだ。だから気分次第ではボロクソに叩くこともありますよ。
問題を解決するに当たって悪い点を指摘し、改善を促すのは当然のことだ。だけど、裏づけや客観性も無く、感情的な批判では決して物事を正しい方向へ導けない。的外れな糾弾は、派遣社員として不遇を強いられている人たちにとっては何の追い風にもならない。
僕は僕なりに足りない脳みそを使って考えた結果、人材派遣会社が50%も60%も暴利をむさぼっているという指摘は誤りであるという結論に達したし、直接雇用すれば給料が上がる、という指摘も、直接雇用に伴うコストを自分なりに算出した結果、話はそんなに単純ではないこともわかってきた。だから僕の言っていることがもし間違っていたのなら、感情的な罵詈雑言のみで終わるのではなくて、できれば「お話」を聞かせてくれませんか。新しい発見があるかもしれません。納得ができれば、僕はいつでも派遣会社否定派に宗旨変えします。
ところで、「日雇い派遣のことを無視するな」みたいなコメント頂いたんですけど、無視してませんよ全然。ネットカフェ難民の存在もきっちり認識してますよ。それでもなお、正規の派遣会社に対して巨悪ってやつを見出せないんですよね。ワンコールワーカーだとかワーキングプアとかそういった言葉は概ね非正規雇用者と呼ばれる人たちにスポットを当てた問題提起だと思っている。派遣社員が非正規雇用者のうちの何パーセントを占めているのかも調べもせずに「派遣制度さえ無くせば雇用問題も解決」というのは短絡的だ。そこんところも併せて考えていただければと思います。
僕自身はいわゆるワーキングプアとしてネットカフェを転々とするような人をこれまでの人生でお目にかかったことが無い。ブラウン管の中では沢山見かけましたけどね。でもおそらくそういう人は実在するのでしょう。「努力しても報われなかった人」「諸事情により今まで努力する機会に恵まれなかった人」の存在は確かに痛ましいことだ。ブラウン管の中で見た彼らはおそらくそういうタイプだったのだろう。
むしろ怠惰な日々を過ごしてきただけで、同情するに値しない人間が「切実な理由でネットカフェを転々としている人」への救済案に、こっそりあやかろうと企んでるケースの方が多いんじゃないかな。ワーキングプアを自称して「貧乏人は努力する機会すら与えられないのか!」と吹いているわりには、別の板では同じidで「吉宗で3万持っていかれたぜ!」みたいなことを書き込んでいるようなタイプのことだ。そんな人にとってマスコミによる格差報道はさぞかし都合が良い流れなんでしょうね。雇用問題に対して打開策を練るのは大賛成だ。だけど、自業自得で窮した人間に対して、それにたからせない仕組みが必要だ。
職業訓練校に通える立場にありながらその勧めを拒否したり、未経験から採用してくれる企業があるのに、激しい選り好みをして拒否ばかりする若い求職者というのも大勢居る。ハローワークの職員は日々こうしたモンスターも相手にすることがあるのだ。嘘だと思うなら取材してみるといい。夜勤は嫌だとかIT業界は残業が多いから嫌だとか肉体労働はしたくないだとか、要求だけは一人前で挙句の果てに「仕事が見つからない。社会が悪い」なんて言い出すようなのが居るんですよ現実に。
さて、僕も雇用問題に関してはわりかし危機感を持っているので、仕事をしたいと心から願って日々精進している若い人たちのために力になれないかなと考え中。おととい、雇用・能力開発機構にメールを出したんだけど返事が来ないんですよね。せめて月々数千円でもそこに寄付とか出来ないもんだろうかと思っているんですが、独立行政法人相手に個人が寄付をするのって難しいのかな。とりわけ高度職業能力開発促進センターの方々の一助になれば幸い。寄付する方法ご存知の方はレスください。ここを寄付の対象に選んだのは、努力できるはずなのにそれをしていない人を利するようなことはしたくないからだ。その点、職業訓練を実施している組織ならば安心だ。そういう組織を活用する人は今の自分のスキルの足らなさをしっかりと自覚して、向上心を持って努力する姿勢を見せている人たちばかりだからだ。あるいは、情報処理科のある刑務所や、Rubyの教育をしている民間刑務所でも良い。本当は自分がノーギャラでお手伝いでもしたいところなんだけど。
些少な力添えではあるけれど、根拠の無い批判を繰り返してるだけの人よりはなんぼかましだ。寄付をするのは善意というより、そんな人たちとはなるべくなら距離を置きたいからなのかもしれない。
日雇い派遣は、どう変わっても救われない。まずハッピーケースを提示しよう。次に、バッドケースを想定しよう。最後に、あり得そうな未来と救いの道を模索しよう。しかし、いずれにしても救いはない。(なお、日雇い派遣が禁止されない未来は現状維持のため考慮していない。現状に救いがあると考えるのであれば幸いであろう)
ハッピーケースでは、日銭を稼ぐことが出来る。直接日雇いが禁止されずにいることが福音となる。労働者のデータベースが作られる。データベースを管理する会社が、データを有料で提供する。有料でデータの提供を受ける労働力を必要とする会社が、労働者へと連絡する。直接日雇いが完成することで、給金への対応は各会社の良識に任される。
個人情報そのものであるデータベースの構築維持は、慣れた業界が参入するのが通例だろう。書類を揃えてお上から異議が出ず報道少なく気がつくとそこにいる会社が設立されるのが日本の社会における力学である。つまりカードが労働者の手に行き渡る。クレジットやキャッシングの。
喜ぶべきは、日雇い派遣の柔軟な再定義である。支払日は、雇用企業の支払日でありかつクレジットの支払日であると良い。彼らは日銭を稼ぐのではなく借り、月締めの給金をもらうのではなく返すのである。企業への労働は緩衝地帯を置くことによって柔軟な対価を得ることが可能となる。しかしながら傾向から対策を練るのが常識であるならば、新たな限度額が生まれることは想像に難くなく、そして彼らは使い続ける。救いはない。
バッドケースでは、二極化する。マクロ経済学者が労働者を流動的に扱うモデルが現出する。ある作業に特化した歩合制の組織が設立される。組織は、仕事を請け負う。労働力を必要とする会社が、組織へと連絡を取る。会社間取引によって、労働力は適応する。所謂モデル事務所の業態を真似ることになろう。月額の支払いの運用は、取り締まりと良識と労働者の忍耐との間で綱引きが行われる事が予想できる。
組織の乱立と保護は両立しないことが過去多くあった。未来がそうでないとは楽観が過ぎる。そしてよりはっきりと、日雇い派遣と過去呼ばれた労働者の遠心分離が行われる。階層はまるで義務かのようにその差を開く。救いはない。
あり得そうな未来では、それほど変わらない。明示的か否かを問わず広場に労働者は集まる。集合する労働者を企業がピックアップする。どこに募集があるかの情報を提供する会社が企業から金を取る。労働者は無料の情報を基に赴く。あるものは所属し、又あるものは所属しない。携帯電話がフリーペーパーよりも早く伝達する。情報は価値を持つが労働者の挙手は信用されない。あぶれる予約者にお帰りいただけるよう直接雇用の形態が進化するだろう。救いはない。
救いの道は、救いを期待しないことである。玩具を前にした子供に待てと言うのは躾である。事故にあった後のリハビリは気力が物を言う。しかし不幸は道を閉ざし、Vana'dielは未帰還者を生み出し続ける。あと5分早く家を出れば良いと言うのは持てる者の理屈であり、出来ないから彼らは日雇い派遣なのだ。本質的に彼らを想定顧客とし囲み続ける産業が無くならない限り、彼らは使うことを止めない。テレビのコンセントを抜かなければ、見ないことは意思の力である。意思の力が彼らを窮状から回復する。漠然とした現状認識は人間の美徳であるが、強烈なモチベーションが無いからこその状態であるのならば、卵と鶏の循環を終わらせるには至らない。環境が変わらず主体が変わらなければ、得られる結論もまた変わらない。環境は変容し続けるがその根本は彼らの稼ぐ日銭であり、また彼らは実にしなやかに己をフィッティングさせる。救いはない。
日雇い派遣はどう変わろうが救いはなく、よって彼らに救いはない。
…しかし「彼ら」が「日雇い派遣の彼ら」とのイコールを解消するのであれば、検証は無意味でありそこに新たな地平が開ける。
***
蛇足である。頭の中までの検閲が許可されていないのは夢想家には幸いである。
使い暇が無いか使う場所が無ければ彼らは使えない。まずこれで貯まらないことが足かせである「彼ら」が離脱する。そうでない「彼ら」も労働力の需要と供給を満たすことで社会への貢献と自らの居場所を確保する。何もない場所への貢献と、使う暇のない労働とは、いずれも国際社会からの要請によって旗を掲げることが求められる場合に有効な手だてに近似するだろう。絶対的な境遇が変わらずとも、世のものさしは常に相対的である。観測者は光景を解釈することで理解する。解決策は問題が霧散することで理由を失う。緩やかな淘汰圧による必然よりもガイドレールによる先導は、目に付くだけに自由の強制と捉えられるだろう。
同権は平等を意味せず、均一な社会への夢は遠く、しかして我々はここに居てどこにも行けない。ならば実質的な勝利を目指そうと思うが、水は低きに流れる。
貧困が肥満を助長する滑稽さは、精神への脂肪で精算される。豊かさを定義できないことで自壊する幸福ならば、甘んじようではないか。
それはある一定の年齢の女は社会に貢献していないといううことでしょうか
社会に貢献していない集団はほかにもたくさんあると思われますがなぜここで「女子高生」という単語が出てくるのでしょうか
おもうに元増田は「女子高生」という存在に対し何か深いあこがれのようなものを感じているのではないでしょうか
古い童話にもありました
狐は手の届かない葡萄に対しあれは「酸っぱいに違いない」と自分を納得させます
つまりあなたは「女子高生」に手を出したくて仕方がないけれども手が出せないために「女子高生って、社会の無駄だよね。」と落とし込める発言をしてしまったのです
d:id:hituzinosanpoさん、ブクマコメントありがとうございます。
内容わすれたんですけど(笑)。/「人格者」だから社会を よりよくすることに貢献したいと ねがうのではない。むしろ、だめなひと、欠点を かかえたひとだからこそ。/わるくなくて欠点のないひとが どこにいるのか?
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080921014310
そうですよね。「頭が悪い」「頭がいたい」「死ねばいいのに」「差別クズ」、「半ば本気で死んで欲しい」、「国語の成績が悪そう」、「脳の失敗」、このくらいのネガタグはみんな平気でつけるものですよね。こんな口汚いネガタグをつけるような欠点をd:id:Romanceさんたちは抱えているにしても、それでも現場の人を「ただの実感論と近代化拒否感情の垂れ流し」と罵るくらいのことは許されて然るべきですよ。誰がこの人たちと同じくらい手が汚れていない人がいるというのでしょうか。そんな「聖人君子」でなければ人権を語ってはいけないとしたら、誰もホームレスのネタに絡めて社会を非難することはできなくなってしまうでしょう。それは言論の自由への脅威に他なりません。このくらいの悪口雑言を平気で口にできるようでなくては、ウェブ社会で発言する資格はない。批判する人たちは非現実的な「良識」とやらに甘えている以外の何者でもありません。
A possibility of the change clothes and mental growth in a Strike Witches
1.はじめに
かつて王様は『馬鹿には見えない服』を纒い、裸であると指摘された。王様はそれに恥じ入ったが、そうするべきではなかったのだ。彼はこういえば良かったのだ。
『裸じゃないから恥ずかしくないもん』、と。
それが如何に認知上でパンツのように見えたとしても、属性としてパンツでなければどれだけ見せても良いのだと、多くの人に知らしめたアニメーション作品も遂にそのテレビ放映が終了となった。果たして今後『マエバリじゃないから恥ずかしくないもん』と言い張る作品が出るのかどうかが議論される昨今であるが、今回はこうした議論の活性化に貢献したそのアニメーション作品について、追悼の意を込めて一つの考察を行いたい。
なお、以下は全て同作品のTVアニメ版の設定に準拠するモノであり、小説版・漫画版に関しては必ずしも同一世界上であると限らないので考慮には加えていない。その為、一部の考察に関してそれらの設定と矛盾があるかもしれない事をご理解いただきたい。
さて、問題となる作品において活躍した連合軍第501統合戦闘航空団に一人の少女がいる。少女の名はサーニャ・V・リトヴャク。彼女が他の機械化航空歩兵達と一線を画する部分として、スカートの様なモノの着用が上げられる。魔力伝達の阻害の軽減、戦闘脚の着脱時の簡便化、文化等の様々な『理由』により基本的にスカートや、我々が言うところのズボンを穿く事がない機械化航空歩兵達の中において、サーニャ・V・リトヴャクだけがスカートの様なモノを穿いているのである。戦闘脚を必要としない看護師でさえ下半身を露出した制服である世界観の中において、これはある種異様な事である。
ここで一つ正直な事を言えば、筆者は見直すまであれはビスチェ状の部分と一体化しているワンピースの裾であると思い込んでさえいたのだ。これは全くもってリトヴャカー(サーニャ至上主義者の意)として度し難い失点であり、猛省している。しかし、これはそれだけあの世界において、そうした服装が特殊であると認識されるという事でもある。
さて、ではサーニャ・V・リトヴャクが世界唯一のスカートらしきものの着用者なのかと言うと、そうとは言い切れない。第一話において登場した宮藤芳佳の祖母はモンペの様なモノを着用している事が確認されているし、母親の方もスカートの様なものは穿いていなかったが、丈の長い白衣風のコートのようなものを着用していた。また一部のモブキャラもスカートらしきモノをはいている様に見られ、第八話においてはサーニャ・V・リトヴャクと同隊のミーナ・ディートリンデ・ヴィルケが足下まで裾のあるドレスのようなものを着用しており、下半身を隠す衣服が文化的に存在しないわけではない事が示されている。
しかし一般的にスカートが着用されない中において、サーニャ・V・リトヴャクだけが日常的にスカートのようなモノを履き続けているのである。これにはどの様な意味があるのだろうか。
3.魔女は何故穿かないのか
まず、何故そもそも一般的な機械化航空歩兵は基本的に下半身を露出しているのか、という事について考えてみたい。機械化航空歩兵達が我々の言うところのズボン等を穿かないのは、特に戦闘脚の着用に理由があるとされている。これに衣服による魔力伝達の阻害の軽減という理由を合わせれば、とりあえず納得する事は不可能ではない。こうした観点から見た場合、サーニャのスカートのようなモノは実質的には他の機械化航空歩兵達の上着の裾と同程度の丈であり、戦闘脚に対する阻害はない。しかしこれは十分条件を満たすというだけであり、必要条件ではない。
次に文化的側面から考えてみたい。機械化航空歩兵達が下半身を露出する事は上記の理由により一応の納得を得る事が出来る。しかし、それ以外の一般人、看護師や学生等が何の理由により下半身を露出するのだろうか。こうした疑問に対して、原作者である島田フミカネは「この世界では普通のこと」であると答えている。つまり現実において様々な服装が変遷したように、あの世界では下半身の露出の高い服装が一般的であるという文化が培われてきたという事である。
あの世界では魔法が存在すると言われれば反論できないように、あの世界ではパンツではなくズボンであり、下半身の露出度は高いものだと言われれば確かに誰にも反論は出来ない。或いは、あの世界において一種のカリスマである魔女達が、先の魔力阻害の理由から露出的な格好であった事から、世においてもそうした服装が流行していったのだとも推測される。
しかし、そうであるならばなおいっそうの事、何故サーニャ・V・リトヴャクはスカートの様なモノを着用しているのかが不明瞭になるのである。
4.穿く魔女達
サーニャ・V・リトヴャクだけを見た上での検証には限界がある為、ここで一度視野を広く取って考え直してみる。実のところ、下半身の露出を抑えているのは彼女だけではないのだ。ただ実際にアニメ上で、ワンピースのような上着の裾の延長ではなく、下半身を隠すための衣服を明確に着用している事が確認できるのは、当のサーニャ・V・リトヴャクと宮藤芳佳の祖母、また第八話において赤城乗組員より宮藤芳佳に贈呈された芙蓉人形だけである。(アイキャッチにおいては他キャラのスカート姿も見受けられるが、イメージボード的な意味合いが強いと見られる為、考慮に入れない)また、もう少し範囲を広げ、ワンピース状であっても下半身を隠すのに十分な丈のある衣服で確認してみると、宮藤芳佳の幼少時代、同様にサーニャ・V・リトヴャクの幼少時代、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケのドレス姿があげられる。
これらの情報から共通点を見つける上で、芙蓉人形に関しては巫女服に類似している事から、何らかの正装として形式的に固定化されているデザインであると考えられる。またサーニャ・V・リトヴャクのスカートの様なモノに関しても、十人以上いる第501統合戦闘航空団において一名だけの着用であり、特殊性が高いケースと見る事が出来る。この為、この二点に関しては一度考慮から除外する事とした。
残されたケースについて見てみると、最初に目につくのが年齢層的な偏りである。4件中3件は幼い少女及び老婆であり、思春期、成人期を外れている。10代の女性ばかりである第501統合戦闘航空団(一部に『さんじゅうはっさい』と見られる人物もいるが)においても着用者がサーニャ・V・リトヴャクだけであり、一般的でないと見られる事は先に述べたとおりである。また、詳細に確認はとれていないが、モブキャラでスカートの様なモノを穿いているのも、壮年期に近い女性であったように見えた。
この事から、一つの仮説として、一般的に年頃とされる年齢層の女性は下半身を積極的に隠す服装をしないという事が言える。こうした年齢層の女性に限る行動について、まず考えられるモノが異性に対する性的な訴求である。つまり、この世界における露出的な服装は、年頃の女性達にとっては異性に対する性的訴求の一種であり、またそれが、服装自体としても流行しているのだと考える事が出来るのである。これは現実におけるミニスカートの流行を考えると、可能性としては考えられる事である。
この説が正しいとすれば、番組側は二度もの機会がありながら、何故ズボン丸出しの幼女を出さなかったのか、という全くもって度し難い愚行についても、納得はともかく説明は出来る事となる。
5.性と露出
また、興味深い話として、現実の中世ヨーロッパにおいて未婚の女性は下半身の衣服を短くし、結婚した女性は長くしたという学説がある。これは、女性の持ち物は男性が買い与えるモノである、という男性主導的な考えによるものであるが、作品世界において、先の仮説と併せて、こうした風習が一般的に広がっているとしたならばどうであろうか。
つまり、あの世界においては、女性は未婚時には下半身を露出した服装で異性に対して性的訴求を行い、婚姻後は(或いは個人差はあるだろうが)露出を控えていると考えるのである。この仮説に基づいて考えてみると、幼い少女時代のヒロイン達や、既婚である宮藤芳佳の祖母が下半身の露出を抑えていた事も無理なく説明できる。また、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケのドレスについても、あのドレスを贈ろうとしていた男性からの一種のプロポーズであると考えられる(実際、追想シーンにおいて出立前に彼女が燃やしていた衣服の裾は短く見受けられた)。更に芙蓉人形に関しても、巫女服に近いあの服装が、ある種の神仏に対する官職の制服であると考えると、信仰対象に対する忠誠・隷属を示す上での処女性の証明の一つとして、精神的な意味における神仏との契り、また他の一般の異性に対する雑念の払拭を示す意味合いでの服装であると見る事が出来る。
では、問題となるサーニャ・V・リトヴャクについてはどうだろうか。彼女が結婚しているかどうかは、考えるまでもなく未婚である(これはサーニャ・V・リトヴャクが筆者の嫁である事からも明らかだ)。ならば彼女が、まだそうした事に気をかけない程に子供であるかといえば、それもまた違う(これはサーニャ・V・リトヴャクが筆者の嫁である事からも明らかだ)。で、あるならば、何故サーニャ・V・リトヴャクはスカートの様なモノを穿いているのであろうか。性格的な側面から考えてみると、彼女は基本的には男女問わずに人付き合いを不得手としている事が伺える。本人がコミュニケーションを嫌っているわけではない事から、これは性格によるモノよりも、経験不足によるものであると考えられる。この様に同姓に対してもコミュニケーション不全的な面を持つ彼女が、異性に対すれば更なる窮地に陥る事は想像に難くない。況んや、恋愛沙汰となれば尚更である。
第501統合戦闘航空団においては、隊長であるミーナ・ディートリンデ・ヴィルケにより厳正に異性との接触が管理されていたが、これは私的な事情による部分が強く、別の隊においても同様であるかは定かではない。しかし軍隊である事と、機械化航空歩兵の存在が戦況を左右する状況下において、当の機械化航空歩兵に不快感を与える事は極力避けるであろう事から、程度の差はあれ異性との接触は制限されていると考えられ、相互理解を深めるほどの交流があたとは考えにくい。また、サーニャ・V・リトヴャクはネウロイ侵攻の混乱によって幼少時に両親と生き別れており、性的な面での教育が不十分であったと思われる。そうした異性に対する理解が不十分な状況下において、無言のうちに異性を避ける為の諸策が、あのスカートの様なモノではないだろうか。
10代前半の彼女が下半身の露出を抑える事で、既婚であると思われる事はないであろう事から、これは性差を気にかけない幼児的な服装の意味合いによって、自身がまだ子供であると装う性的な面におけるモラトリアム行為であると考えられる。こうする事によって彼女は自らを性的な対象外とさせ、恋愛面の複雑なコミュニケーションを避けているのである。
7.終わりに
サーニャ・V・リトヴャクは、性的方面における精神的な成長の不足から、スカートの様なモノを身につけていると考えられる。しかし、これはやがて彼女の内面が成長するにつれて変化をする事だろう。つまり、彼女はスカートの様なモノを脱いだ時からこそ、不鮮明な子供から確かな少女へと成長を遂げるのである。そして、次にまたスカートの様なモノを穿く時にこそ、女性となるのだ。
そして筆者はその日を待ち続ける。彼女によく似合うスカートの様なモノを握りしめて。
参考文献
ひろこ:LINGERIES
http://www.geocities.jp/putinkoleche2/
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/gogen.html
島田フミカネ:digital bs tuners blog―よく聞かれるので
http://humikane.asablo.jp/blog/2008/07/01/3605589
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/2001/writing/aoyagi2.pdf
元増田です。
思った以上に読まれたみたいで嬉しい。
いくつか反論つーかコメントさせてもらうわ。
あと、俺が探してた本結構面白かったんで発表しようと思ったけどやめた。これは別のところでレビューでも書いてくる。
セカチューとか美しい国へとかてきとうに例として取り上げただけなのに、その本はどうこうとかいちいち細かい点つっつく奴いるくらいだから、具体的な書名書くとバカがつまらんところにこだわって、「その本はなくて当然」「ウチの近くの本屋にはあった」「ウチの近くのブックオフにはなかった」「マイナーな作家だからなくて当然」とか本題に関係ないこと一生懸命取り上げだして話がブレるし。
問題は具体的に個別の本のタイトルの店頭在庫のあるなしじゃなくて、「一般の文芸書で、そこそこ有名な作家の本だがベストセラーとまではいかず発売は2年ほど前。まだ文庫化はされていない。」という感じの本が、新品で買おうと思っても殆どの本屋になくって、ブックオフならありそうって事なんだから。
でも俺が買った本のヒントはどっかにあるんで特定したい暇な人はどうぞ。
>、商売というのは利益を生む為にやってる。
>文化じゃ飯を食えない
>いやだから新刊書店もブックオフも文化のためにやってるわけじゃないスから
>まぁ、ここ10年、5年でもいいや、に出た本を全て置いてある書店、というものを想像するとそれがどれだけ非現実的かは分かると思うんだが。
そりゃそうなんだろうよ。
でも、同じく商売でやってるブックオフは、商売でも成功してるし文化にも貢献してるよ、このままじゃ商売でも負けて潰れるよって話をしてるの。
しかも新刊書店業界(?)の連中はブックオフが文化を破壊とか偉そうにいってるのに、ブックオフに劣るって恥ずかしすぎるからなんとかしてくれと。
でもその状況の中で努力しようよ。
>チラシの片隅に「地域文化を守る○○書店」とか書いてあると、「文化を守るんだろ?△△おいてなくて、何が文化だよ」と、バイト店員締め上げたりするのだろうか。
実際に締め上げると犯罪なのでネットで鬱憤を晴らしているのですがなにか?
>2年で消える「文芸」もダメなんですよね。『人間失格』や『こころ』みたいな本は今後現れるんだろうか?
新しい文芸をそういう作品レベルに育てあげていくのも本屋のレゾンデートルの一つなんじゃないの?
ちょっと「ファミコンのゲームは良かった」っていう懐古厨っぽさを感じなくも無い。
「スーパーマリオ」を今やっても楽しいかもしれないけど、それより新作の方が普通におもしろいよ?
>追記も読んだ。「守り伝えたい」のは誰かといえばそれは市民の総意であって、夏目漱石や芥川龍之介や太宰治が未だに新刊として売られている点についても考慮する必要があるのでは?
下手するとそれらの本ですら街の本屋よりブックオフの方においてなくね?
「市民の総意」に答えないところは淘汰されていく、という気がするんだ。
>ここまで、新刊と古書の併売の話題がまったく出てきていないのだが、一体どういうわけだ?
おまえが書けばいいんじゃね?
>ブックオフに期待して新刊を買い控えるのは最大の愚行。欲しい時に買うのが一番。
俺は発売後2年たってから欲しくなったの!
それで欲しい時に置いてないってどういうことなのと。
ブックオフで新しい本と出合うことは結構多い。
本屋の方が少ない。
>専門書
僕なんかがほしがるのはバカな一般大衆とは違って、まともな文芸本(笑)が多いから、どうしてもブックオフメイン。
とくに古いまともな文芸本(笑)なんて街の本屋さんにはほぼ置いてないし、あっても捜すのが大変すぎる。
こうですか!?わかりません!
>映画館
もう映画見るときは大都市とかシネコンまで行って見るので小さな映画館事情はあまりよくわからん。
昔、新聞屋に映画の招待券貰って一回だけ「街の映画館」的なところに行ったことあるけど非常にしょっぱい状況だったのは印象に残ってる。
>その店に増田さんの求める「文化」がなかった、ってだけの話なのではないかなあ。学参やお料理の本はあったんじゃない?
ブックオフには「学参やお料理の本」もあったし、俺の求めた「文化」もあったんですよね。
> 同じ事象についてのそれぞれ感じること思う事は違うので「理解されてない」というのはお門違いだと思う
いや、俺は文学(笑)を書いたわけじゃないから、読み手の解釈に任せるとかそういうつもりは…
事象を書いただけじゃないし。
>ふられた腹いせですね、わかります
限りなく正解に近い。
というか最初のエントリーで俺がツンデレであることをさりげなくアピールしてたのに、「この増田は本気で本屋さんを潰そうと画策している本屋業界の敵だ!戦わなくては」的に受け取った人がいそうでちょこっと悲しい。
べ、別に街の本屋さんがなくなったら寂しいなんて全然これっぽっちも思ってないんだからね!!コンビニで新刊本買えればあとはブックオフで十分なんだからっ!
(……バカバカ!あんなこといって本当に街から本屋さんがなくなっちゃったらどうしよう!)
なんか面倒になってきた。
まあ最後のがまとめってことで一つ。
●彼女に細やかな気遣いができる。
●彼女だけを一途に愛することができる。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
●彼女の起承転結がない面白くない話を、うなずきながら聞くことができる。
●彼女がセクロスを拒んでも、「この子は昔セクロスで嫌な思いをしたことがあるのかもしれないな。何も言わずに優しく抱きしめてあげよう。」
だがちょっと待って欲しい。かなりこのエントリには意図的なものを感じる。
●彼女に細やかな気遣いができる。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
まあここは「ありえん」人材かもしれない(てーか、これらは全部、「男が思う、女が男に求めていること」であって、「女が求めていること」じゃないと思うけど。この両者ってまるで違うのに、男は後者は信用せず前者を信用するよな。なぜか。)
●彼女だけを一途に愛することができる。
●彼女がセクロスを拒んでも、「この子は昔セクロスで嫌な思いをしたことがあるのかもしれないな。何も言わずに優しく抱きしめてあげよう。」
しかしこれらはどうなのか?さりげなく混ぜてあるが、これらは恋愛云々以前に人としてレベルの話ではないのか?
・まず一番上から、付き合うならばそりゃ浮気などせず一途を求めるのが現代日本では一般的で、さして「こんなの女の幻想!」とかいう話ではないと思うのだが。実際男だって女が浮気した等のエントリ見たら「ビッチビッチ!」とうるさいではないか?基本的にたいていの人は彼女彼氏に一途を求めている(浮気を求めていない)。
・そして次だ。これは生理云々とかくからいかにもフェミニストな(本来の意味でなく、なんか世間一般で通ってるイメージ的な意味で)男のふるまいといった感じだが、別に生理だろうが生理じゃなかろうが風邪だろうが下痢痛だろうが、知り合いが苦しがっていたら労わるのが普通だろう。これは恋愛以前の話であると思うのだが……友達が「うぅうう腹がいてぇ、いてぇよおお」とかいってても「フーン。で?」とかいう態度とる奴ぁいねーだろ。「え、大丈夫?」くらい言うだろ。
・そして最後。これが一番酷いのだが……セクロスを拒んでもチンコ挿入せず我慢することができる。……って、いや。我慢できなかったら犯罪なのですが?デートレイプってご存知ない?彼女が拒んだら、つまり、合意が無い、ということですから、もちろんセックスはできません。したり顔で「我慢することがデキル!」じゃねえって。それって「本屋へいって、ほしい本があっても、店員のことをおもって、盗むことを我慢することができる。」とか「ムカつくやつがいても、そいつの両親のことをおもって、殺すことを我慢することができる。」とか言ってるのと同じなんですが……。
それが「理想」?はぁあ?
これを「女子の理想像」として掲げて、その反対はこれだよ、なんて男子の理想像掲げるところに意図的な物を感じるね。全然違うもの。一方は犯罪を我慢することや、人間として当然だろレベルのことが折りまぜてある自称「リソウゾウ」で、他方はこりゃほんとたんなる「妄想像」だもんw
それとこれとを「このふたつ、反転してるだけで同じコトデスヨー」って一緒くたにするのは卑怯だね。あるいは意図的にやったのでないなら単なるバカ。なにが「うわーやだやだ」だよ。そりゃやだよそんなのwこれは比較対象として全然対等ではない。
セクロスは強要しない……ってだからそれ犯罪だから。「尽くすだけ尽くしてくれるけど殺人はしない……」とかいってるようなものだから。何を言っちゃってるんだこの人は?
あと個人的に気になるのはさ
●彼女に細やかな気遣いができる。
細やかな気遣いって何だよ。具体的に。曖昧も曖昧すぎて、ほとんど意味のない言葉じゃないか?これ。「優しい人」並に。
●彼女の髪型が変わったことにすぐ気付き、誉めることができる。
こんなん、別にしてくれんでもいい。けど、気になるのは、こんなことって、具体的に考えてみると、数ヶ月に一度、褒める言葉を数秒発するだけのアクションでしょ?こんなわざわざ一行にして書くようなことか?なんか「なんと、彼女の髪型がかわったらほめることができるんです!!」てな感じで誇らしげに一行使っちゃってるが、「好きなweb漫画サイトが数ヶ月に一度更新をしたら、拍手ツールを一回押してあげることができる」以上の大袈裟ぶりを感じてしまうんだけど……
「別に必ずしなきゃならんことでもないが、んなことくらいで威張るなやw」っていう。
もー耳タコだよ。ハイハイ、女の話は非論理的でつまらなくて愚痴ばかりと。一生言ってろ。そういう話を聞かされるこっちの身にもなれ(笑)
てかさ。こうやって一方だけ切り取るなよ。会話って一人でするもんじゃないんだよ。二人でするもんなんだよ。彼女が話すときもありゃ彼氏が話すときもある。お互い様だろうが。なんでそれを「女の話を聞いてあげるボクチン」って一方だけ切り取るのか。「男の話を聞いてあげるワタシ」「盛り上がるワレワレ」とかいろいろあるわけで。そら、色々ある会話の中で、「自分が相手にしてやること」だけを切り抜きゃ、男が貢献してるように見えるわな。こんなん単なるレトリックじゃん。
てーかそもそもこれも彼彼女以前に、人が話してる時って基本聞くだろ。いやもちろん知らない人の話は聞かんけど。それなりに親しい人の話だったら聞くだろ。「なにそれ、聞いててもつまらん」つってシャットアウトとか非常識極まりないだろ…JK…ちょっと考えりゃ分かるこった。それをやけに「女の愚かな話につきあってあげるオレサマ」って感じに飾り立てるのは逆にすげーわ。
しっかし、大阪人とかが「話にはオチがないと」とか言ってるの聞くと「話にいちいちそんな笑いとかオチとかつけてらんねーよ」とか言ってたり外人が「日本人は曖昧だよ。論理的じゃないよ」とかいうと「それが日本文化だし」「確かにそうかも」とか縮こまってるくせに、いざ男女論になるとすぐさま「自分達男は起承転結があり面白く論理的な話をします」と猫を被るんだよな。嘘こけ。見栄はるな。あんたらそんなんじゃないだろ、自分をよく思いだせ。自分を美化しすぎだ。
ほんっとウザいな
いい加減男は「男が思った、女ってこんなことを男に求めてるんじゃないかスペシャル」じゃなくて「女が言ってること」を聞けよ。前者に対して女が「え、それちがうよ」といっても「男が思った女ってこんなことを男に求めてるんじゃないかスペシャル」を信用するってもう本末転倒というかなんというか。結局この男たちは、男同士で、男が思う女像を語りたいだけなんじゃないか。「男が思った(以下略」をより支持するのも、男が発案しただけに、そのほうが「きもちいいから」なんだよ。男にとって。「女の面白くない話をきいてやる」とか女性を労わるようで女性差別てんこもりんぐな、一見女性差別とはわからぬ形ですっきり女性差別しまくれるからね。
くっだらねぇ(笑)
http://www.hottakeiei.jp/article/13307769.html
店頭に来られるときのお客様の期待感が「価格」に向いている場合、
そこでの接客が親切であれば、いい方向に期待感を裏切っている為、
逆に印象に残りやすいともいえます。
一般的にクレームが増加する傾向があります。
これは、お客様の期待感・イメージが「サービス」に向いている場合に起こりやすいからです。
結果として、影響力一番の価格には、
影響力一番の領域にある項目を持って戦うことが一番効果的になってきます。
私は、「価格」と同じ領域にある項目は、
http://www.hottakeiei.jp/article/13307851.html
「時間」を売る
この「時間を売る」という考え方は新しいものではなく、
新製品の垂直立ち上げ、修理の即日訪問まで幅広く実施されています。
(中略)
基本一律5,000円でもいいですし、
そういった基本料金が掛かることを明言し、
指定機種だけ無料訴求をする方が商売もしやすいのです。
訴求次第では、5%くらいの料金は取れると考えます。
即日配達・工事の訴求と共に、修理サービス網の訴求を併せて行うことが効果的です。
(略)
一般的に品薄商品を薄利でチラシ訴求し、集客の為に使用していますが、
朝一の混雑だけで、売り切れると客数が著しく減少してしまう傾向にあり、
買上点数の増加にも、さほど貢献できていないのが実情です。
都市だと、「時間」は(通勤時間を除いて)結構いろいろ買えます。
その一方、田舎だと、大抵時間は腐るほどありますし、時間の進みも遅いのですが、
田植えや稲刈りなど繁忙期の忙しさは猫の手も孫の手もニートの手も借りたいほど。
どちら側の時間を商売に結びつけるのがいいのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20080918/1221708888
正答率5%ってwwwwwww
なんなの?
馬鹿なの?
死ぬの?
はてなのGeek(笑)コミュニティの方々ってずいぶん優秀なんですね(苦笑)
これだからLisperは…みたいな事言ってる奴もいるけど、西尾はPython使いじゃんwwww
一部に捨てアカでファビョっている奴もいるみたいだが。
http://q.hatena.ne.jp/1221971933
http://q.hatena.ne.jp/1222004858
http://gnews.x0.com/20080921_231233/
「質問者は優秀すぎて非常識だと思いました」ってWWWWお前が無知で無能なだけだよ。馬鹿で自分が、馬鹿って気付けないくらいのな。
「質問の方がおかしい気がしません?」ってだいたい、そんなこと聞いてどうすんの?
ここは発言小町か?んん?
西尾が優秀だからなんなの?知らなくいい理由になると思ってる?
努力しなくて良い理由さがしているだけだろ?お前は?
安心したら、そこで成長止まっちゃうよ?いいの?
こういう奴に限って、ネット上ではなぜかアクティブなんだよな。
はてブとかもろにそうだし。無意味なネガコメを大量生産してくれる。
まぁ、馬鹿は馬鹿同士、馬鹿じゃない事を確認したいんだなぁと思った。馬鹿の中だと相対的に馬鹿じゃなくなるもんね。
だから、S/N比を下げる馬鹿な情報を量産しているんだなと思う。
そうやって、ネットを馬鹿な情報だらけにして、馬鹿が馬鹿であることに安心して生きていける馬鹿なネット社会を無意識的に作ろうとしているんだなぁとおもった。
これじゃ、まるで、ゴミ屋敷だ。
なんかさ、男で家事やっている奴で家事が大変って言う奴を見たことがないんだよね。
だから女が言う家事大変って全く理解できない
職場でもきついきついってギャーギャー言うのは女からだし
細かいところに拘って仕事が進まないのも女
って言ったらフェミホイホイだけどさ
体力と効率が全然違うんだよね。
男の方が圧倒的に速く料理するんだよね。
手間の割にあんまり味に貢献しない行程を全部飛ばしている。
女は丁寧に料理するんだよねー
その割にあんまりおいしくないんだよ。手が遅いのをなにかで誤魔化しているからなのかな。
クリティカルなところで手を抜いちゃうのかもしれない
子供の頃 我慢して、我慢して 自分でできることはがんばって。
苦しくて、もうだめで。
助けて、って言ってみたけど、 帰ってくる言葉は 自分でガンバレだった。
大人になって、助けて、って言ってみたけど、 帰ってくる言葉は 自分でガンバレだった。
人徳がないって事なんだろうかなぁ?
でもなぁ、まぁ、世の中自分の力じゃ何とかならないこととか沢山あるからなぁ。
たとえば、それが、社会サービスで、インフラで、そのサービスを受ける対価が納税だったり、義務だったり社会への貢献だったり。するんだが。
すっかり、システム壊れてるなぁ。
僕は、僕のできる範囲で、増田として増田を助けていくから、増田も増田の僕を助けてよorz 助け合っていこうぜよ。orz
とりあえず、今は、いろいろ上手くいかなくて、辛くて、苦しい。
日産に来たときカルロスゴーンがやったことに似てんだろ。普通の企業改善テクニックなんだってば。
君の仕事は何かね、それは役に立っているのかね?俺の資料だとここは不要だからもしそうなら丸ごと消すぞって驚かす。
いやいや私の仕事はこうで、このように貢献していて、本当に必要なことなのです。なくすとこのような悪影響が出ます。
きちんと説明できた奴の所は、ちょっとの指導やらおやつ代程度の削減やら納得いく範囲での権限縮小やら類似部署との統合やらですむ。
きちんと説明できた上に、やりたいことをきっちり主張することができれば今まで以上の権限と支援が受けられる。
でも、どうせおやつ代程度の削減だろってたかをくくってちゃんと説明しなかったりすると、骨までざっくりもっていかれる。
で終わったら次の部署。
最初にどかーんって馬鹿っぽいほどの大きな削減を打ち出すのって、あとで合理的な改善を飲ませるためのテクニックだろ。合理的な改善提案自体も現場から引き出せたりすることもあって便利だし。
そういうテクニックに、関係ない外野が一喜一憂するのってあほくさいし、マスコミもいちいち報道すんなと。叩くつもりでやってるんだろうけど、人気になっちゃうだけだってばさ。
アホの見本市みたいになっててワラタ
ああいう断定的な言い方に弱い馬鹿ってやっぱり多いんだなぁ
ライブドアは残念ながら今も昔も技術力は凡庸だし、アイデアはさっぱり0な会社(反論する奴は具体的に功績あげてみな)
技術力が無いわけじゃないよ。地味にiDC運用するぐらいの力はあったし。
でも、そんなの他もやってることだし、そんな凡庸な技術力じゃ競争力にならない。
なのに未だにライブドアがgoogleの真似できると思ってる馬鹿が多すぎて辟易する。
馬鹿には、自分以上のレベルはすべて同じに見えちゃうからしかたないだろうが。w
ライブドアが実質的に日本のITに貢献した功績は0だし、馬鹿騒ぎに乗じて市場から金ふんだくっただけの会社だよ。
ホリエ自体は詐欺的なスケールはずば抜けた人だけど、発想の根本が詐欺なんだから話真に受けちゃ駄目だってw
というか、グーグルの競争力はインフラにある、なんて数年前の梅なんとかってひとの本ですら書かれてたことだぞw
それを「やっぱ本質が見えてるなぁ」とかwwwww
>ていうか世の中が不安になる。これだけの人が毎日ゲームなんて作って、努力と才能の無駄遣いをしているんだ。
>中には結構頭のいい人もいるのに。活躍の場を変えれば生産的なことができそうな、有能な人も少ないけどいるのに、これだけの人がこのつまらない会社にひきこもって、時間を人生を浪費している。
そういう仕事はたくさんあるよな。というか主観的にいうと、仕事はそんな類のものが多い。
>ゲームなんて、たまに面白いのも出るけど、ほとんどクソゲーばかりでしょ。お金出して買ったり売ったりする価値なんてあるんだろうか。
お金に根本的にどういう価値があるのかよくわからない。理屈ではわかるけれども、実感としてはよくわからない。俺もよく「こんなことをやっていて、なぜ自然の恵みであるご飯が食えるのだろう」と思う。
アフリカあたりの人々は農業をやって、まさに価値を生み出す仕事をしているのに、満足に飯を食えない。
その一方で、自分はどういう価値を生み出しているのかよくわからないことをやって、腹いっぱい食っている。
腹いっぱい食えるのは結構なことだが、フェアじゃない気がするのは確か。
>社会に貢献しない労働はむなしい。同僚たちは疑問に思わないのだろうか
だから自分の仕事の中で、できるだけ社会に貢献できるようなやり方を考えてはいる。
しかし、何が社会貢献なのかを特定するのが難しい。
そして、「こういう事が社会貢献だ」と思っても、自分の立場では実現できないことであったりして、社会貢献は意外と難しいことだと思った。
意気込みだけではね。
ある社員1000人以上のゲームメーカーでプログラマやってんだけどさ。
会社に行くと、建物の中に大勢社員がいるわけよ。それを見ていつも鬱になる。ていうか世の中が不安になる。これだけの人が毎日ゲームなんて作って、努力と才能の無駄遣いをしているんだ。ダサくてさえない人が殆どだけど、中には結構頭のいい人もいるのに。活躍の場を変えれば生産的なことができそうな、有能な人も少ないけどいるのに、これだけの人がこのつまらない会社にひきこもって、時間を人生を浪費している。
ゲームなんて、たまに面白いのも出るけど、ほとんどクソゲーばかりでしょ。お金出して買ったり売ったりする価値なんてあるんだろうか。おれの作ったゲームだって、周りを見渡しても親兄弟親戚友人、誰一人プレイしていない。大学出た俺が毎日毎日頭使って、何を無駄飯喰らいやってるんだろう。
スクリプト自体はほぼコピペなので、何の貢献もはたしてないんですが。
ActivePerlからネットワーク共有フォルダのファイル一覧が取得できて、びっくらこいたびっくらこいーたーってことで。
use strict; use warnings; use File::Find::Rule; use Data::Dumper; my $rule = File::Find::Rule->new; $rule->file; $rule->maxdepth(2); # ディレクトリ深さ(お好みで) my @files = $rule->in("//NeighborMachine/SharedFolder"); # \記号を使う場合"\\\\NeighborMachine\\SharedFolder" warn Dumper(\@files);
ActivePerl 5.8 Build 820で動作確認