はてなキーワード: 貢献とは
・時間40分でテーマについて議論。具体的なアクションプランを3つ提示。発表。
メンバーの雰囲気次第で通過率が異なるのは否めない。
メンバーが話したがりの人なのかそうでないのかを知るだけでも得るものがある。
(議論になるとだんまりタイプもいるが・・・)
名前をさっと言えるようにしておく。
まず言葉の定義をし、結論を出すにはどのような点を論じれば良いかをあげる
今回はターゲットを絞り込み、その特性を仮定。(消費者ニーズに対応させよう!)
⇒目的達成のベストだと思う方法(リスクを減らす方法)を考える
「司会を決めませんか?」の提案があったのだが、誰も立候補しなかったので私が司会に。(言いだしっぺがやれよ・・・)
しかし、「それぞれが課題達成のために意識して取り組もう」という意で、必要があればそれぞれ司会やタイムキーピング・書記を行うことを提案。
(決めなくても良いとは思っているけれど、どうなんだろう?)
実現性などは考えず、多角的な論点をあげる事を目標にする。
今回は一人30秒以内と時間を決めてなるべく多くの意見を出すようにした。
話の長い人対策;「時間がないので、要点をまとめると・・・?」
一枚の紙にまとめ情報を共有し、議論が後戻りしないようにしておく。
フレームワーク化する。
4C分析とかしっていると楽ちん。
挙がった論点をそのテーマにあわせて。
今回はターゲットに対して【コストパフォーマンス】【インセンティブ】【代替案】を行うことに。
それから論点の優先度を決め、それぞれ発表のために具体化する。
こんな感じで、時間内にまとめることができた。
「貢献」するのは、リーダーシップだけではなく、ズレている論点を修正したり、足りない観点を補ってあげたり、後戻りしないようにすることも含まれる。
その気になれば一言でもいい。
端的に明確に、相手に自身の立ち位置を伝えることが大事。
必要があれば「それは〓ということですか?」「○○さんのおっしゃった〓と〓ていう点では同じなのでしょうか?」
相手が言っていることを、議論の場に結びつける役割もある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081205-00000153-jij-soci
この問題っていうのは、育英会の奨学金ってもらっても返さなくてもさしたるデメリットを受けない、というのが大きかったのですよ。
これまで育英会は奨学金を出して高度な大学教育をうけるための機会を創出して貢献をしてきたと思う。それは意義のあることだったのだけど、
回収が非常に甘かったんだよね。
だから、奨学金は返さなくてもいい、というのが多くの認識だったんじゃないかな。返すこと自体が、そもそも莫迦臭いというか、そんなくらいに。
そんな甘い金貸しはいないわけで、これは当然の結果。
銀行のブラックリストにもっていかれちゃ、それ以降、多大なる不利益を被ることになるから、ま、ちゃんと返した方がいいですね。
http://anond.hatelabo.jp/20081204113724
この話自体の問題は単純で、自社で週刊誌的雑誌やタブロイド的新聞と、硬派雑誌または新聞を持っていれば、他に回る前に自社で大げさだったり飛ばし記事を書いたらすむ話。
既存のメディアがJ-CASTよりネットに乗り遅れているというただそれだけの話。
それと別に一時記事としての重要性は強調しておきたい。
昔科学朝日だったかSciasだったかが廃刊になるとき、赤字経営だったが、情報の一時ソースとしての重要性云々で、それを新聞社が持つことの重要性を言っていた。
思えばあのころの雑誌の大量廃刊以降、ニュースは警察が垂れ流す事件情報と、政府が垂れ流す情報への非建設的で条件反射的な批判、バラエティは大手プロダクションの似たような芸人や歌手が世間話をするだけの番組や記事ばかりになってしまったと思う。
学術論文も同じような立場で殆ど個別の雑誌の売り上げとしては利益に貢献していないよう(図書館の一括契約は高いけど)なので、学者(記者)の立場がある程度安定しているとはいえ、オリジナルの記事は署名記事にして、引用を明記するようにするなどして、科学ジャーナル方法を一時ソースの記事発信元にも応用できないだろうか?
出産する能力があまりにも低い評価なのが結局は根本的な問題であるように思う
よく考えてみればこの力は人類にとって根源的な力であるし
国家に対しても一人の人間が四六時中働く以上のかなりの貢献をしているわけで
あまりに低い評価。
電車など乗れば「妊婦どけようぜぇ、家からでてくんな」、ネットじゃ「女って子供産む以外何かできんの?w」ってのが今の日本だ。
そりゃ少子化になるだろう。単なる営業や事務の方が出産より上なのが今の日本だ。今出産している人が(この言い方はアレだが敢えて言うと)変なのだ。
近頃の若い妊婦は当たり前のように出産ができると思っているが本当は命がかかっているのだとつい最近産婦人科医が言っていたが、妊婦だけじゃなく男女ともに全員が当たり前のようにできる事ではないことを意識すべきではないのか?特に男側の出産能力に対する評価は本当に低い。自身に無い能力且つその力がなければそもそも己という存在自体が生まれてこなかったのに何故そんなに低く見積もれるのか、当然の如く見下せるのか俺には理解が出来ない。いや、もしかしたら、絶対に不可能だからこそ、怖くて見下すのかもしれない。
↓
http://www.amazon.co.jp/dp/4770502001
内容紹介
●乳がん発症 → 乳房切除 → 5年後に転移 → 2週間後に再々転移 → 放射線療法 → リンパ節に3度目の転移 → 放射線による卵巣摘除 → リンパ節に再度、鶏卵半分ほどの大きさのがん発症 → 牛乳・乳製品・乳牛肉の摂取をやめる → リンパ節のがんが小さくなり消滅 → 15年間一度も再発なし。
……以上が、42歳で乳がんになったプラント教授の乳がんの歩みである。たたいても、たたいても、消えないがんにおびえながら、プラント教授は、自分がなぜ乳がんになったのかを調べ始める。
●プラント教授は、最初に乳がんになったあと、ブリストル・ダイエットという有名ながんの食事療法を取り入れた。これは、油・動物性食品・塩分・カフェインなどをとらず、野菜や果物、ヨーグルトなどを多くとるという食事療法であった。しかし再発! 余命は長くないと、医者からも告げられる。……愕然とするプラント教授は、それでもあきらめなかった。学術論文を読みあさり、まさに命がけで研究を続ける。そしてついに、プラント教授は乳がんの真犯人を探り当てた。それから15年。プラント教授の乳がんは一度も再発していない。
●プラント教授が本書でその研究を発表したとき、多くの科学者がこれを批判した。だが、一人としてプラント教授の説をくつがえすことはできなかった。やがてプラント教授は、医学の発展に貢献したとして英国王立医学協会の終身会員となる。そしてもちろん、いまも元気で活躍を続けている。
──私が乳がんになる2年前に、このような本が出ていたら、私が乳がんになることはなかったであろう。──ジェイン・プラント。
乳がん、前立腺がんの原因は牛乳だった! 転移4回の進行性乳がんに侵されながら、乳がんの原因を探り続けた女性科学者が、その結論を紹介。乳がんになったときの医療との向き合い方、再発を防ぐための食事療法なども述べる。
これに限らず「牛乳=悪」説は根強いみたいだが。
僕は山木さんという人と一緒に生活している。
小さい頃から色んな話をしたり、色んなことを教えてもらった。
僕は、昔から周りの子が出来ないことが簡単に出来てしまうらしく、親や親戚、近所のおばさんに将来が楽しみねと言われた。
しかし、大人になった僕は天才には程遠く、周りに迷惑ばかりかけている。
無能、なんでこんなことが出来ないの、死ね、様々なことを言われた。
みんなマニックスのリッチーのように僕を置いていってしまうんだと思っていた。
そんな僕でも、今はIT企業に就職し、なんとか働くことができている。
定型作業ばかりやらされているとき、上司の人がこんなことを言った。
「会社は一人では動かせないんだよ、増田くんの今やっている作業もその一つなんだ、
こういう作業をしている人がいることを知らずに生活している人が多いが、必ず見てくれている人がいる。
今、君が座っている椅子だって、使っているパソコンだって用意してくれた人が必ずいる。そのことを忘れないでほしい。
僕は君がこういう作業をして貢献してくれていることに感謝している。辛いこともあるかもしれないが、がんばってほしい。」
この上司の人は、僕の話にも嫌な顔一つせずに付き合ってくれる大切な人だ。
「福井県は家の鍵みたいですよね」
「おまえは面白い奴だな ははは」
こんな話をして、何人も友人を失ったことがあるが、この人はこういう話をしても喜んで話してくれる。
「増田のせいだ」
周りのみんながそう言っていることを今日知った。
出来の悪い僕の教育係になり、ストレスから自殺してしまったらしい。
これから山木さんと話合うつもりだ。
どのみち、今は僕の時間だから山木さんに止める術はない。
ここに、今まで僕と山木さんに関係してくれた全ての方々に感謝のことばを送りたい。
みんなありがとう。
さようなら。
酔狂と言われるかもしれんが、おいらとしてもそれなりに日本の雇用問題には危機感を抱いているので、月々数千円でもいいから国の職業訓練の一助になりたくて寄付を申し出てみた。スキルがもっともっと高ければ講師役を無料でかって出たり、学術活動などに精を出すという貢献の仕方もあるんだろうけど。まつもとゆきひろのような頭脳をおいらにも!
現在、当機構については、国が策定した独立行政法人整理合理化計画において本年12月までに法人自体の存廃についての結論が出されることとなっております。このため、ご寄付のご質問がありました若者の就職支援についても、当機構が継続して実施するか、現時点では明らかになっておりません。つきましては、誠に勝手ではございますが、機構に係る整理合理化計画の決定を踏まえた上で、お申し出に係るご連絡をあらためて差し上げたく存じますので(以下略)
なに!?NICTや理研やJAXAとかも統廃合の危機にあるのか!?これらに匹敵するほど雇用・能力開発機構って重要な機関じゃないのか!??ここを無くしたらどこが職業訓練実施するんだよ。まあ職業訓練校やハローワークが無くなるわけではないのでどこでもいいんだけどさ。
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
http://anond.hatelabo.jp/20081116160433
だいたい本当の事を書いてくれてるんだけどさ。。。
中には悪意を持ってなくて、本気で社会やIT業界に貢献しているつもりで、意図せず悪事に手を染めてる社長も居るってことも付け足して欲しかったな。
やたらとポジティブシンキングを強要する松岡修造型の社長とかな!
そういう社長もすっごく多いのでそれが書かれていないのがすっごく残念。
っていう言い方してんじゃん。これ明らかに『世間知らず』の言い換えだよな。そりゃ世間知らずは扱いやすいわさ。
業界について無知な人間ほど、自分が放り込まれた現場が糞だって気づくのに時間がかかる。隣の芝なんて知らないんだからさ。
そういう人間に体育会系の言葉を投げ続け、1年ぐらい時間を稼げたら経営者としては十分ペイできるし2年以上持てばむしろラッキーなのよね。
従業員をその程度にしか考えてない。3年で辞めてもらって結構。地方に求人広告をかければいくらでも人は集まるって考え方。
つまり従業員は消耗品という考え方。だけどそれを自覚していない社長っていうのも居るんよ。
この社長は典型的だと思うな。IT企業でもなければSIerでもない典型的な特定派遣マンセー会社なのに、
自分の会社にニートをエンジニアに育て上げるだけの甲斐性が本気であると思い込んでいる。彼は本気で社会貢献をしているつもりなのだ。
『就労意欲を持ち始めたニートやひきこもり』という、国にとっては貴重な財産を彼らは自覚せず食い物にしようとしている。
しかも身体障害者への手を差し伸べることで(ダシにして)それを余計にわかりにくくさせている。
計算づくでやっているのだとしたら大したもんだけど、ちげーよなこれ。天然だよな。
っていう論理がいまいちよくわからない。どこの国籍になろうが本人の勝手では?
たとえ二重国籍であっても、すごい人が日本国籍を持ってると何かうれしいんだろうか。
逆に、その人が日本出身である、ということだけでは喜べないのだろうか。
なぜ国籍を変えたのか、というと「日本で研究活動をする環境が(米国よりも)よくなかったから」じゃないんだろうか。
国籍を変えた方が都合がいいから、変えたんだろう。
もし、南部氏が帰化した当時から二重国籍が認められていて、日本の国籍を持ってノーベル賞を受賞したとしても、日本が彼の研究活動に与えた貢献は変わらないし。
単純に考えたら、
となるんじゃ? 日本国籍の日本人にノーベル賞級の研究をさせたいなら、だけど。
他国の国籍を取っても日本国籍を失わないことが、研究環境に大きく資するのかな?
日本人「ノーベル賞受賞おめでとうございます。日本国民として鼻が高いです」
受賞者「(あんたらが何をしてくれたってんだよ……)ありがとうございます」
たぶん増田は能力があると思うんだけれども,面接の時に会社のために自分ができることってのをちゃんとアピールしてるかな,とちょっと気になった。
どっちかっていうと何をしてくれるか,といういことに重点を置いてないかな?
あと文系か理系かよくわからないが,文系の場合は嘘でもいいので営業希望しますって言わなきゃダメみたいよ。
というのを実際がどうかは別としてアピールする。表彰されるってことはたぶんかなりいい研究をしてるんじゃないかと思うので,たぶんあと一押しだよ。面接本とかぱらっとよんで,忌憚ないことをいってくれる人に練習してもらったりなどすれば大丈夫じゃないかな。がんばれ。
近いうちに人と談笑するかもしれない。しないかもしれない。
基本的に家族以外と話さない生活をしている。もし談笑するとしたらそれは約一年ぶりになる。
普段は無理に他人と話さなくてもよい現状がとても幸せだと思っているけど、それはそれとして人と話す催しを楽しみに感じるし、話せるなら嬉しい。
ただ、その催しを開くかどうかの意思決定に、自分は関われない。厳密に言うと、第三者から見た場合にはこちらが決定したように見えるように振舞わなければならない可能性もあるから関わってはいるけれども、相手側の都合や気分に干渉できるような力は持っていない。
談笑できるなら最上の喜びを以て歓迎するけど、棚の上のぼたもちを見つめ続けてもやきもきするだけなので、あまり期待はせずに過ごしている。
今までその手の催しがある度、そういうニュートラルな心持ちを心がけていて、そして毎度うまいこと功を奏していたんだけど、先日うっかりネット上でその一部を漏らしてしまって、大失敗した気配が濃厚になっている。
漏らしてしまったのは、「あまり期待はせずに過ごしている」の部分。さらに関係者の人にこの言を拡大解釈されて、こちらは「来ようが来まいがこちらの心情としては大差ない」と思っている、ということにされてしまった感がある。誤解を解こうにも、その誤解と同時に送られてきたメッセージには、「以降しばらく返信を控えていただけると助かります」という旨もあったので、誤解ですというメッセージを送るのもためらわれる状態。
ためらう理由はそれだけじゃない。もしこちら側が心待ちにしていると明言すれば、人のいい相手側に圧力をかけてしまうことになる。干渉できるような力を持っていないというより、干渉しても許されるような立場ではない。
現在ネット越しに見る限りでは、あちこち引っ張りだこでスケジュールがぎちぎちらしい。だから余計に気を使わせたくない。
そもそも相手側には大したメリットもない催しなので、催されない方がむしろ自然だったりする。積極的に自然の流れに逆らうのは、何だか忍びない。というかみっともない。
関係者の人が相手側に前述の誤解を吹き込む可能性は実のとこそんなに高くもないと思うから、現状維持でウキウキさらりと、あくまで待たずに過ごそうと思ってる。もし吹き込まれたらおそらく相手側は「僕の影響力ってそんなもんだったんだ…」って相当がっかりして、ご縁自体切れそうだけど、トータルで考えるとその方が良いのかもしれない。年にいっぺん程度しか他人と談笑しないような人間との縁なぞあったところでめんどいだけだろうしなあ。枯れ木も山の賑わい、数としてカウントされて、その人の人脈アピールに貢献できればいいやと昔は思ってたんだけど、今はもう数に関しては十分足りてるみたいだし。
インターネットでの協力者育成ならびに、反動的人物・団体の調査について。
記
1.指示者
在中2等書記官 李 明善
2.概要
先の通達(第98-08-13号)のとおり、インターネットにおいて祖国に対する卑劣な誹謗・中傷がおこなわれている。特に先月実施された祖国による通常の軍事演習に対し、米帝国主義者および南朝鮮反動分子による祖国への敵視政策の強化を目的とした宣伝活動が活発化しており、日本における思想戦に勝利するため、青年部有志による祖国への貢献を以下のとおり要請する。
3.行動内容
1) 日本語を常用語とするインターネット上コミュニティーにおいて、米帝国主義者および南朝鮮反動分子らの活動から祖国を防衛し、金日成主席が創始し、金正日将軍閣下が発展された主体思想を流布するため、協力者の育成ならびに反動的人物・団体の調査をおこなう。
2) 政治的な色彩の濃い、あるいは高度な技術情報が流れる掲示板(BBS)、IRC 等を重点的に活動する。(「インターネット活動要項 (2)」を参考。)
3) 反動的人物・団体を発見した場合は、地区長へ通報の上、可能な限りの情報を収集する。なお個人が特定できない場合、インターネット接続業者を通じてアカウント名の割り出しをおこなう。
3) 政治的指導性もしくはインターネット上での行動力をもつものについては、協力者としての育成をはかる。ただし協力者と地区長に認められるまで、自らの立場を明らかにしてはならない。
3.その他
インターネットでの調査技術に関しては「インターネット活動要項 (A)」を参考とする。
詳細は各所轄地区長の指示を仰ぐこととする。
(以 上)
※ 本文書の取り扱いには特に注意すること。
まったく同感。パリーグの活性化にこれほど貢献した選手も居ないのにね。俺は阪神ファンだが清原の凄さが理解できない奴はプロ野球ファンとして失格。何年野球見てきたのかと
まさか自分が「ブログを履歴書代わりに転職」するとは思いませんでしたが
数々の人生の節目における選択肢において、現在の彼女と出会うという選択肢と
彼女が居るから死なないという選択肢以外、ほぼ全て不正解を選択した男。
こんな自分が、今回のお話をいただく事が出来ました。
http://d.hatena.ne.jp/happy_ryo/20081026#1225031786
リンク先のエントリは、ある意味人生の負け組だったプログラマが、コミュニティでの活動を通して転職するっていう、ネット世代的な話なんだけどさ。
こういうのって、結局運が良かったって言うのとコネ入社と何が違うわけ?
一応、過去のエントリなんかも見たけど、プログラマとしての能力は下の下でカスって言われても仕方ないレベルにしか見えないし
資格も持っていないから特殊な技能や経験も無いだろう。参加しているというコミュニティにも本当に貢献してるの?この人。
年収が倍になる様な転職が、コネ無しでは出来る様にはとてもじゃないけど見えない。
こんな事で良いのか?こんな事してるからぬくぬくしてるなんて言われるんじゃないのか?こんなパフォーマンスばかりしてたって業界は良くならないだろ!
なんかホラー映画の題名っぽいけど、以下の続き。
http://anond.hatelabo.jp/20080627205854
献体者の合同慰霊祭が行われるという案内がきていたので母と妻、子供と参加してきた。
主催は某医大。父は今こちらで医大生の皆さんの解剖実習の教材となっているのだが、どんなものだったか簡単にご紹介。
慰霊祭は年に一度、医大の教職員、学生および大学病院の関係者の多数が参加して行われているみたい。
今年解剖実習に参加する学生なのかな?遺族とは席が分けられていたのだけど関係者がかなり多数だった。
参加遺族は200名ほどかと思われる。献体者に対して2〜3名くらい参加者がいそうな感じなので、こちらへの献体者は年間60〜70名というところかな。遺族から献体者の傾向など何かあるかと思ったけど、かなりバラバラで特に特徴はつかめなかった。
■解剖慰霊祭次第
・参列者着席
小さな子供連れなので後ろの方に席をとってもらった。
(子供は熟睡で暴れなかったので助かった。)
・開式の辞
・黙祷
・祭文
・弔辞
医学部代表3名。解剖実習への取り組みの感想や多くの人の支えがあっての学習であることの自覚がうんぬん。
ここが一番長かったが、各学部の特徴など出ていて興味深かった。
・挨拶
・献花
その後遺族による献花、遺族はその後退場。
・閉式の辞
あれ?今思うと遺族抜きか。まぁいいけど。
全部で一時間くらい。
関係者や学生から何度も医療への貢献への感謝と医療従事者の自覚という言葉が出てきて、多くの学生さんの列席をみてもやはり教育効果をたぶんにねらった慰霊祭なのだなぁという印象。まぁ、未来の医療従事者の皆さんが何か掴んでくれれば父も本望だろう。
それにしても「篤志献体者慰霊祭」とかなんとかいいようがありそうなところ「解剖慰霊祭」、祭壇に大きく「解剖体之霊」とそのままずばりな感じが一番印象的だったかな。いや、よいのだけど。