はてなキーワード: ミーハーとは
オライリーの本はいままでもっぱらアマゾンで注文してたのだが、
先日、404 blog not foundで紹介されてた『iPhoneアプリケーション開発ガイド』を
反射的にポチったところ、「予約受付中」だったのに、発売日を過ぎてもぜんぜん出荷されない。
オライリーのサイトだと8月6日発売になっていたのに、9日とかになっても出荷されなかった。
アマゾンのページを見たら、「通常2~4週間以内に発送します」になってて、
これはもしかしたら数が足りないのに多く予約受付けやがったか、
とにかくはやく送れよという感じでじりじり待たされた。
結局、本が届いたのは14日の土曜日だった。
そのあと先日、オライリーの直販でAndroidTシャツをプレゼントするという話をツイッターで知り、
ミーハーな自分はビッグウエーブに乗って『Android Hacks』を注文することにした。
初回のキャンペーンには乗り遅れて終了してしまったので、8月27日からの2回目のタイミングで注文してみた。
31日に仕事から帰ってくると不在配達票が入っていて、オライリーからだった。
再配達してもらって荷物を開けると、ちゃんと『Android Hacks』(ともう1冊)と
Tシャツが入っている。
え、と思ってオライリーのサイトを見ると『Android Hacks』は9月3日発売。
と思ったのだが、よくよく考えるとアキバでは発売日より早くコミック売ってるし、
本ってなるほど1週間くらい前に印刷できてんじゃね?とふと気づいた。
今度ほしい新刊が出るときは、またオライリーで注文して試してみることにする。
また発売日より早く荷物がくるようだったら、アマゾンの使い方を考えるかな…
相互理解のために必要なことはたった一つ。相手の人生を追体験すること。
そうしなければ理解などできるはずがない。
同じ日本人同士の相互理解ですらうまくいってないのに、他の国の人間と相互理解なんて出来ると考えるほうがおかしい。
他の国の人間の理解を深めるためには、彼らと共に暮らし彼らと完全に同化、すなわち自分の国を捨てなければならない。
結局頭の隅で日本のことを考えてるような人間は彼らと相互理解出来たとは言えないのである。
アメリカ人が日本人と理解しようと思ったら、自分たちの国を捨て日本人と同化しなければならない。そして、原爆を落としたアメリカに対して日本人と一緒に抗議しなければならない。
大抵のアメリカ人にそんなこと出来るはずがない。彼らにはアメリカという国で出来あがったバックグラウンドがあるから。これを複数持てる人間なんて残念だけど見たことがない。
必ずどちらかに偏る。たとえば宇多田ヒカルはアメリカ人と日本人の二つの心を持っているように見えるが、日本暮らしが長い彼女にとってアメリカに対する共感は日本のそれとは明らかに質が違う。
だから売れない。英語で歌詞を書いても、アメリカ受けするメイクをしても、所詮は「アメリカ人がゲイシャサムライって言って騒いでる」のとほとんど変わらないレベルだから。もちろん、そこまでミーハーなものではないからそれなりに売れたんだろう。しかし共感が薄い事実を覆すことは出来なかった。
これを打破するには?結局全ての人間が同じバックグラウンドを持つしかない。
すなわち、「地球人である」というバックグラウンド。おそらくこれを手助けするのは、地球的な統一が必要となる事態、SFで言えば幼年期の終わりのような事態にならなければ不可能だろう。
統一政府が必要なのはこのため。保守派はユダヤの陰謀だイルミナティだと騒いで必死になっているが、はっきり言って彼らこそ地球的な統一を阻害する害虫だ。悪い宇宙人に操られているのは彼らのほうだろう(笑)
散り散りに分かれた国家というシステムが、戦争を生む要因になっているのはほぼ間違いない。しかし万人が等しく平和になれる装置を我々は見つけた。それが科学技術。今こそ科学技術による地球統一を目指すべきだ
今日駅前で見かけたおれんとこの候補は
「有機野菜を百倍にします」「ゆうきひゃくばい!」「いしいしげるです!」って
それしか言ってなかったw
しかも本人居なくて拡声器でおばさんウグイス嬢がそのくだらないキャッチフレーズと名前を連呼してるだけ
暑いのに和服をフルに着込んで頑張ってたけどあれじゃ異様な怪しい白人のオッサン
全体的に有権者舐めてる
でも一丁質問メールでも出して真意を聞いたろう
こういうのが結構ちゃんとした返信が来てファンになれちゃったりするんだよ…
と思って公式サイト見たら
他なんにもねえ
また「有機野菜がどーたらこーたら」だけは書いてある
メール出す気もなくした
あいつにだけは絶対入れんわ
ていうか政局も政策も一切語らず「有機野菜を百倍にする」だけで出馬するあいつ凄いわ
百倍ってどういうことかもわからんし百倍にしたら何がおきるのかも説明なし
よほど俺らを舐めてるかただの真性かどっちかだろうけど
今更また海外に出ていこうなんて・・・
携帯電話なんてのは、かつて日本が最も進んでた分野だったのに。
結局製品に問題があるんじゃなくって、企画と売り方が悪かったんですよ。
液晶や集積回路の技術なんて、ここまで主要部品がコモディティ化されてしまったら意味ないじゃないですか。
そんな変なプライドは捨ててしまいましょう、スペック至上主義の時代はもう終わりました。
たとえ液晶の色味が汚かろうと、CPUが遅かろうと、容量が微妙だろうと、iPhone買ってるのがいるわけです。
あと、富士通のIT技術は殆ど全部糞ですので、持ち寄る必要ないと思われ。
昔は凄かったんですけどね。
特に海外来て衝撃的だったのは、携帯電話はステイタスであり宝飾品みたいなものであったということです。
彼らはメールもろくに打てないのに喜んでiPhoneを使っています。
ただかっこいい、自慢が出来るからiPhoneなんです。
海外市場なんて利益率の悪い低価格機だけしか売れない、中国を筆頭に韓国・台湾と値段の叩き合いになるから出ていくの止めよう。
私はタイで働いていますが、低価格機はタイ人も馬鹿にして使う人は減少傾向です。
所得が低くても、彼らは月賦で高級機を買います。
給料の3カ月分でも買います。
そして北米に至っては、デザインが良くて便利ならばちゃんと市場が評価して売れます。
しばらくヒットに恵まれなかったモトローラだってDroidを気合い入れて作ったらしっかり売れました。
彼らは非常に賢い消費者です。
失敗をまとめてみると、
1に、調査不足。
アメ公ってどんなの興味あるんだろう、みたいのを何で調べなかったのか。
「ノキアのシェア高いんだすげえ!」とか、そんなの調べただけで調査した気になって馬鹿かと。
タイなんて最初タイ語に対応してた携帯がノキアしかなかったんですよ。
それより、ノキアの幾らの機種が売れてて、なんで現地人がそれを買っているのかとか調べればよかったんです。
そして、恥を忍んでパクればよかったんですよ、サムスンみたいに。
2に、宣伝不足。
損を覚悟で名前を売って、有名人に使わせれば彼らは同じものが欲しくなります。
オバマのBlackBerryしかり。
海外だとこの手のミーハーっぷりは日本人が思うよりもっと強烈に存在します。
3に、企画力不足。
ブームを自分たちで起こそうくらいに考えないと世界を取れない。
もうデザイン部門はヨーロッパにでも別会社作って、美術系や工業系の大学生を青田買いしてスタッフ集めてはどうでしょう。
その方がよっぽどエッジの効いたものが出てくるでしょう。
そんな事より、セパレート携帯とかクネクネ折れる携帯とかをもっとプッシュして、流行らせてやろうと思わないと。
サムスンなんて、数打ちゃ当たる戦略で、とにかくいろんなのパクって出してます。
今からでも遅くないから、まずはさっさと国内向けの機種を海外でCM流して売り出せばいいんですよ。
開発コストだった、すでに日本向けに作ったやつのファームウェアの言語リソース変えるのに何億もかかるわけじゃないでしょう?
アンドロイド使えばその辺更に簡単なんですし。
円高だから海外に出ていきにくいとか醜い言い訳はもうやめて、さっさとSIMロック外した携帯を鞄いっぱいに詰めて、ニューヨークでもワシントンでも北京でも上海でもどこでもいいんで行商に行くべきなのです。
売れなかったら、なんで買ってくれないのか現地の人に聞けば、理由はすぐにわかるでしょう。
そんな簡単な事すら、ここ数年どこの会社もしなかっただけです。
はやぶさの快挙に興奮覚めやらぬ気分のまま出社。
会社の誰かともこの興奮を共有したいと思ったが、業務に関係ない話だし、あんまり「はやぶさ」言ってばかりだとミーハーだし、と思って自重した。
昼休みになり、同期に話を振る。
「いやー、はやぶさすごかったねー」
「えっ?何のこと?」
あー、そうだよねー、全員がはやぶさのこと知ってるわけないもんねー、いきなり話振った自分が悪いよねーと思い、ちょっと説明をしたのち、同期が振ってきたワールドカップの話題に話をあわせる。
定時後の休憩時間。
技術に詳しく、おそらくこの話に乗ってきてくれるであろう先輩に話を振る。
「いやー、はやぶさすごかったですねー」
「うん、そうみたいだね」
「何万kmという旅路を幾多のトラブルを乗り越えて、ミッションを達成したってのが、ロマンがあっていいですよね」
「そうなんだ。詳しくは知らんけどな」
え?あなたですら、その反応ですか?
思いがけない反応に驚き、早々に話を切り上げて、自席に戻る。
その後、その先輩が別の人とワールドカップの話をしているのが耳に入った。
午後九時。普段なら、7割近くの人がいるはずの職場だが、なぜか今日は3割程度の人しかいない。
みんなワールドカップを見るために帰ったそうだ。
結局、はやぶさのことで盛り上がれる人とは会社で出会えなかった。
なんというか、これが科学技術立国日本の姿なのかと思うと、気分が重くなった。
一つ言っておくと、自分が勤務しているのは、ふしぎ発見や世界の車窓と肩を並べる大手国産メーカーの技術系の職場だ。
だから、科学技術とかそういったことに関しては、一般より素養があると思われる集団のはずだった。
だが、現実は上に述べたとおり。
多くの人にとって、何万キロも離れた宇宙に浮かぶ岩に行って帰って燃え尽きたオンボロ機械の話より、地球上の犯罪都市で開かれている球蹴り大会の方が興味深いのだ。
帰って、PCを立ちあげたら、はやぶさの後継機の予算3000万に縮小とかいうニュースもあるし。
「宇宙なんて興味ない」という意見が大半なら、宇宙開発の予算なんて付きっこないよね。
事業仕分けで浮いたお金は、日本のサッカーチームの強化にでも使ったらいいんじゃないかな?
それが民意なんだし。
科学技術立国なんて看板はさっさと降ろして、スポーツ先進国にでもしたらいいんじゃないかな?
今や、アウトソーシングの時代だし、科学技術もアウトソーシングしよう。
金かけて、地味なことやったって、つまんないし、大部分の国民は喜ばないでしょ。
もしかして「芸人や一部の出待ち客を辛辣に叩いてる2chの住人」と「ライブ観に来てる客」ってかなり重複してる・・・?今更気づくようなことでもないのかもしれないが。
2chでやれ新規だミーハーだ痛い顔ファンだ出待ちの高校生は不細工だと、ファン同士で格付けし合ったり罵り合ったり全くもって無意味で不毛なノリが延々続いている時、ファンって一体何なんだろうといつも考えてしまう。ファンという立ち位置を非常に居心地悪く感じる。じゃあ馴れ合っていれば居心地いいのかと言ったらそういうわけでもなくて。mixiの芸人コミュは胸やけしそうなくらい激甘で「ヤバい」「カワイイ」「カッコイイ」以外言えねーのか!?と思ってしまうくらい、こちらも違う意味で不毛なやりとりしかないし。嫌だったらそもそも見なきゃいいんだけれど、たまにどんなもんかと見てしまって、それで予想通り気分を害する。自業自得・・・
そういう雑音気にするのいい加減止めないと、楽しいことも楽しめなくなってしまうなあ。
「日本は」とは言って欲しくない。職人ができない人が増えたのは、むしろここ最近、バブル期以降の一時的に例外として顕れている今の日本だと言うべき。
↓
「学問はできても、職人ができない人が、多すぎるんだよなぁ・・・。日本は。」
話は飛躍するけど、その職人としての遺伝子を維持してきたのは、「見合い制度」にあったと思うんだよね。優秀と見込まれた者が、その才能の社会的な保護として、所帯を持たされる。
そう考えると、当人同士の自由恋愛が推奨されるようになってきた時期と、職人が消えていった課程は、わりと相関するのでは?
馬鹿な一個人が目先の利得や情欲によってのみしか、遺伝的に評価されなければ、職人の生き方を歩もうとする者が減るのも道理。ミーハーな女からは暗い汚い理解できないで終了だもんね。
このエントリを書いた人間だけど、思わぬブクマ数がついていて笑った。
だが、1つだけ言っておきたいことがある。
キーボード信者とは、キーボードであれば良い面も悪い面も一緒くたにして盲目的に賛成し、
マウスであれば良い面も悪い面も一緒くたに否定する人間のことを言う。
これは大きな誤解と言わざるをえない。
日本人のメディア・リテラシーの無さが嘆かれて久しいが、
まず文章のどこをどう読んでも、俺がキーボード信者であるとは書いていない。
信仰と言えば、マウスジェスチャの信者のそれは実に酷いものがある。
そして、マウスジェスチャという過去の遺物、古い時代の遺産を殲滅せねばならない。
.
もう1つ大いなる誤解がある。
よく読んで欲しい。懐柔派なのだ。
キーボードを絶対視することも、マウスを絶対視することも危険思想だと位置づけている。
日本人の読解能力がここまで低下しているとは誠に嘆かわしいことである。
キーボードを絶対視しているのでもなく、マウスを全面否定しているのでもなく、
マウスジェスチャを否定しているのだという点に注意されたい。
マウスは普通に使うし、マウスは無くてもならないものだと思っている。
これのどこが過激派であろうか?いや、どこにも過激派と判断できる要素はない。一切ない。
大衆心理とは恐ろしいものだ。一人が過激派というレッテルを貼れば、そろい踏みの将棋倒しでみんなが
過激派であるかのように見えてしまう。お前らみんな揃って倒れているということに気付かない裸の王様よ。
マウスは無くてはならないが、マウスジェスチャは根絶せねばならない。
だから、決して俺は過激派ではない。誤解があまりに酷すぎて釈然としないので、説明した。
ついでに言えば、マウスとキーボードのどちらが便利かというと、キーボードのほうが便利と即座に答える。
それはマウスまで手を伸ばすのが面倒だからというありきたりのミーハーな理由などではなく、
ただマウスという入力デバイスの時間あたりの現実的情報入力量が極めて少ないものだから。
勝手にブクマコメントでは、俺が手を伸ばすのが面倒だという全くもって非現実的な理由でキーボードを推奨している
かのように決めつけているようだが、ここも衆愚的な反応と言わざるをえない。
このエントリを書いた人間だけど、思わぬブクマ数がついていて笑った。
だが、1つだけ言っておきたいことがある。
キーボード信者とは、キーボードであれば良い面も悪い面も一緒くたにして盲目的に賛成し、
マウスであれば良い面も悪い面も一緒くたに否定する人間のことを言う。
これは大きな誤解と言わざるをえない。
日本人のメディア・リテラシーの無さが嘆かれて久しいが、
まず文章のどこをどう読んでも、俺がキーボード信者であるとは書いていない。
信仰と言えば、マウスジェスチャの信者のそれは実に酷いものがある。
そして、マウスジェスチャという過去の遺物、古い時代の遺産を殲滅せねばならない。
.
もう1つ大いなる誤解がある。
よく読んで欲しい。懐柔派なのだ。
キーボードを絶対視することも、マウスを絶対視することも危険思想だと位置づけている。
日本人の読解能力がここまで低下しているとは誠に嘆かわしいことである。
キーボードを絶対視しているのでもなく、マウスを全面否定しているのでもなく、
マウスジェスチャを否定しているのだという点に注意されたい。
マウスは普通に使うし、マウスは無くてもならないものだと思っている。
これのどこが過激派であろうか?いや、どこにも過激派と判断できる要素はない。一切ない。
大衆心理とは恐ろしいものだ。一人が過激派というレッテルを貼れば、そろい踏みの将棋倒しでみんなが
過激派であるかのように見えてしまう。お前らみんな揃って倒れているということに気付かない裸の王様よ。
マウスは無くてはならないが、マウスジェスチャは根絶せねばならない。
だから、決して俺は過激派ではない。誤解があまりに酷すぎて釈然としないので、説明した。
ついでに言えば、マウスとキーボードのどちらが便利かというと、キーボードのほうが便利と即座に答える。
それはマウスまで手を伸ばすのが面倒だからというありきたりのミーハーな理由などではなく、
ただマウスという入力デバイスの時間あたりの現実的情報入力量が極めて少ないものだから。
勝手にブクマコメントでは、俺が手を伸ばすのが面倒だという全くもって非現実的な理由でキーボードを推奨している
かのように決めつけているようだが、ここも衆愚的な反応と言わざるをえない。
けっこう話題になったサブカル系ブログで音楽何が好き?と聞かれたら
くるりと答えておけば安牌みたいな話があって、あるあるネタとして受け取ったんだけど
自分なりにそのあるある感の仕組みを考えてみてちょっとこれはいかんなと思った
あまり音楽を知らない人とサブカル系音楽好きの中間地点より少しサブカル寄りサブカルの入り口あたりにくるりがいることじゃないかな
それを他人に説明する煩わしさとそれによって得られる成果の期待度の高さ
そしてサブカル好きの自分のセンスに対するプライドとそれに対する対外評価を計りにかけて
彼女たちの最小公倍数兼最大公約数、妥協点兼試金石として丁度いいところにいるくるりの名前を出すんだと思う
それがわかるからこそ、そのあたりしか聴いてない人のことを
ミーハーサブカルやヴィレバン厨と言って揶揄する人もたくさんいるわけで
でもそれはそれを揶揄してるもっとマニアックな音楽を聴く人や聞かれる側のアーティストにも当たり前のようにあるわけで
いわば音楽におけるセンス競争にアーティストもリスナーも驚くほど様式的な形で参加してしまっている
たとえば2chの音楽スレでよくあげられがちな面々ビートルズやフーから始まりミッシェルゆら帝ナンバガ村八分toeガスターデルソル武満徹などなど
自分の嗜好と対外評価を計りにかけその中で一番センスがいいとされる
いわば無難なアーティストをこぞってあげた結果一里塚のようにぽつぽつと偏りが現れてくる
センスのよさ競争で外し要素は重要だがセンスの良い外しかたというものが漠然とあってそこからさらに外れたものは叩かれる
だんだんコツをつかむとより危険牌に近い安牌がわかるようになるから安全にスタンドプレイもできるようになる
一見このバンドは○○だが、こういう視点から見ると○○で面白い式の
当然みんな単純に好きだから聴いてる部分がほとんどだろうからそれだけに
自分の中のそれをやっつけるべきかどうかは未だにわからないけど
東方界隈で時々言われている「東方をシューティングとも知らないニコ厨うぜえ」と言う者がある。原作を良く知らないのが暴れまくっているという見方である。でも自分の経験だと東方関連で動画がトラブった場合の殆どは「シューティング」関連なんだよな。だから「ニコ厨はシューティングとしての東方を知っているが故にトラブルになりやすい」のではないかと思う(もしくは古くから知っている人もそうかもしれない)。で、時々問題になる「無関係の動画に東方コメが沸く」というものはこれに関連しているのではないか?例えば御三家を連想させるものを挙げると
アイマスの場合は「無個性」「穴掘り」「眼鏡」「年増」「巨乳」「貧乏」「凸」「お嬢様」「沖縄」「ゆとり」というキーワードからはアイマスを連想する事は不可能。キャラを特定するには一般的すぎる概念だからだ。アイマスを連想させるには可愛い子が3DCGで踊らなければならない。もちろん可愛い子が踊るゲームというのは他にもあるが、動画視聴者は「可愛い女の子が踊る」というコンセプトをわかって見ているので、誰かがアイマスを連想したコメントをしても想定の範囲内で収まる。
VOCALOIDの場合はどうだろう。ただのアイスを扱った動画にKAITOファンらしき広告を出すという話は聞いたことがあるし、レスリングシリーズ関連でも餡掛けチャーハンの料理動画が被害を被っているのは知ってるがその他に「無関係の所に沸く」というのは考えにくい。ボカロがカバーして原曲動画に視聴者が逆流するのは「無関係」とは違う問題だしな。
前の2つと比べると、東方を連想させるのは非常に容易である。上にあるのは全部自分が見た「東方とはこれっぽっちも関係ない動画」に東方を連想させるコメが沸いた対象である。つまり「敵が弾を沢山出す」ものは全部想起の対象となりうる。例えば「ジョジョの奇妙な冒険」のゲーム版では「スティーリー・ダン」との戦いがシューティングであるが、縦シューでもないし、弾幕を見せるタイプでも無いのに連想コメントが多い。4部の主人公の苗字も関係しているのかな。「I Wanna Be The FanGame」の場合はシューティングですらなく、でかい顔のバケモノが画面狭しと動き回り弾を吐いているだけである。
もしニコ厨が「東方はエロゲ」という認識ならば、シューティングなんて知ったこっちゃないのだから弾を見ても東方とは思わないだろう。むしろ「ノーマルノーコンしなければにわか」とか言う圧力にかられて、やりこんでる人が多いのではないのだろうかと思う。
(サッカーの新規ファンが、古参に「ミーハーうぜえ」と言われ、知識の詰め込みに励む構図と類似)
そのやりこみの過程で会話シーンはスキップされキャラの印象は薄れ、「弾=シューティングの東方」の刷り込みが繰り返され。弾が発射されると何でも東方に見える人が増えてきたのではないか。弾を吐く敵が出るたびに東方をNGに放り込む作業をしている自分はそう思う。
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。
まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。
しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。
http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。
オレにはその絶妙なセンスがツボで
「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか
「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とか
毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが
去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。
後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。
何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトルを引用する態度と
その引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。
同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。
それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院のラジオを聞いている」という文字だ。
「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。
この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。
わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。
はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。
ザワさんで言うと「私は伊集院のラジオを聞くような人間です」「伊集院のラジオが好きな人は仲間です」というメッセージ。
作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。
これはニッポンのサブカルチャーのもう至るところに散見される。
例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。
「ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう。
事実、映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、
お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、
本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。
たくさんフォローしてるのにも関わらず、
ぜんぜんフォロー返しされていない人。
ぜんぜん面白くないのにしつこく絡んでくる粘着質でウザい人だと思われる。
いったいこんな人のトップページはどうなってるんだろうか。
新しいつぶやきがあります、の数字が秒間でいくつも溜まっているに違いない。
フォローしている人間のつぶやきなんて、ろくに見れないだろう。
そんな人をフォローしたところで、有意義な交流は求められそうにない。
それに人気ある人をフォローしまわるミーハーだと思われるのも嫌だ。
こちらのつぶやきをろくに見ず、テキトーにフォローしているだけかと思われる。
おそらく「twitterを楽しむにはまず×人をフォローしろ」って言葉を真に受けているんだろう。
確かにそれは一片の真実だが、だからといって無差別にフォローすればいいってもんじゃない。
フォローする人をきちんと選別して、有意義なタイムラインを作ろうとしてる身からすると気分が悪い。
言っとくけど、無差別フォローを許容する適当なフォロー返しを集めたって、クズが集まるだけだよ。
そして、こういう奴はフォロー返ししないと、しばらくしたらリムーブする。
本当にこちらのつぶやきに興味を持ってフォローしたなら、そんなことしないはず。やはり失礼な奴だ。
なお、無差別フォローかどうか判断している私の指針は、「フォロー中」のところに並べられたアイコン。
http://anond.hatelabo.jp/20100119204821
元の話と変わっちゃうけど、そういう「ホントは好きじゃないけど、恋愛の置き換えとしてオタク趣味やります」とかいう連中がむかつく理由は、感情的な部分ももちろんとして、他にもある。
言うなればそれは、テレビで取り上げられて富士山にやってくるミーハー観光客みたいなもん。
元々富士山好きだった人間からすると、ゴミ捨てていくし、マナー知らないし、騒がしいし、登山道混むしで、何もいいことないわけ。
そんな中で、本当に富士山を好きになった奴はいいよ。それは仲間だ。
でも、「恋愛出来ない状態」が続いて、その結果仕方なくオタク趣味を続けてるような奴らは、「ブームが続いてるから富士山に行き続けてる奴」と一緒。
年季だけは長くなるから、それなりにマナーを覚えたりはするんだろうけれど、結局心の底では大事にしてない。
あとは感情的な理由になっちゃうけど、そんな連中を一緒にされたくないし、そんな連中が富士山について語ってることすら富士山を愛する人間としてはむかつくし、出来れば同じ富士山の空気を吸っていたくないね。
消えて欲しいとすら思うよ。
もう10年以上前になるけどさ。当時の人口7万弱のとある山ん中の街、ショッピングセンターに、突然ポスターが貼られたんだ。
1500人くらいは入るコンサートホール的なハコモノもある街なのに、わざわざ催事スペースみたいなところに、TOSHIが来ると。
その当時わりとミーハーだった俺は、別にファンでもないのに見に行ったわけ。うろ覚えだけどチケットが安かったか無料だったか、とりあえず気軽に行けるレベルだった。それなりに混雑したけど、比較的年寄りの多い街なのでTOSHIを知らない人も多かったと思う。「愛の歌を歌いたい」だっけか、想像と違う激しくない曲を歌ったのと、なにか心に訴えかけてくるようなトーク、CDの宣伝、が主だった気がする。
生まれて初めて見た芸能人だった、ってのもあって、思春期の俺は彼のオーラを強く感じて、それを胸に秘めたまま、TOSHIみたいに素敵な紳士になりたいなっていう漠然とした感情を抱いたりした。別にTOSHIじゃなくても同じこと思ったんだろうけども、やっぱり生で見た時の感動は違った。
ググればたくさん悪い噂でるけど、やっぱり生で彼を見た経験は大きい。彼自身が何かに騙されて活動してたっていうの、なんとなく理解できるから不思議なもんだ。トークライブで感じた「言わされてる感」が今でも印象に残ってる。
オタクがミーハーに抱く「あんなふうに生きてみたい、でもできない、ちくしょうあんなのカッチョ悪いんだぜ」というアンビバレンツな気持ちを理解してやれよw
先に断っておくと、俺は二十代の男で彼女持ち。
これまでに付き合った異性は丁度両手くらい。
なぜわざわざ増田で書くのかと言うと、blog他では、彼女がいるかどうか等に関して言及していないため(というか意図的に隠している)。
blogとかだけ見た人は、俺のことを古いタイプのオタクで、彼女もいない、休みの日も寝てるかパソコンいじってるかの人間だと思ってるんだろうな。
で、blogなんかで度々「モテたいけどモテない非モテ」と、「そもそもモテたくない非モテ」は違うよね、って話とかをしているんだが、よく「それはお前がモテないからって、モテなくていいですって開き直ってるだけだろw」と言われる。
要するに、「俺は別にモテなくても構いません」「恋愛にリソースつぎ込む位なら、その分他のことやってた方が楽しいし」って主張を、「負け犬の遠吠え」だと思われてるわけだ。
俺の主張は「恋愛に(あまり)価値を見出さない人間もいる」という話なわけで、彼女が実際にいるかどうかは別。
なので、この手のことを言われる度に適当にあしらってたんだけど、この頃の「自称非モテ」を見てると、「とにかく本当はモテたいんだけど、モテなくて世間を恨んでます」的な奴のなんと多いことか。
このままでは「いやマジで恋愛とかそこまで興味ないんスけど」的な、俺みたいな存在も、完全に「いやいや、そんなこと言っても、あっちの非モテくんも『本当はモテたい』って言ってるよ、負け犬の遠吠えなんでしょ?w」としか思われなくなりそうだから、言っておく。
俺が今まで彼女が出来たり、今現在彼女がいるのは、恋愛にリソースつぎ込まずとも、自然に告白されて付き合えてるというだけの結果。
今の彼女に至っては、誕生日プレゼントは1000円程度のキーホルダーで、やりたいゲームや読みたい本があった時はデートよりそっち優先させて、それでも付き合えてるから付き合ってる。
要するに、俺が優先させたいその他のこと(ゲームとか漫画とか本とかアニメとか映画とか色々)を優先させて、それでも残った時間・残ったお金で付き合うことが可能だから、付き合ってるだけ。
こんな奴がなんで人並みに恋愛経験あるのか自分でも疑問だが、おそらくガツガツしてない態度とかが、逆にウケるのかもな。
別にイケメンじゃねーし、収入少ないし。エロ知識と性欲は豊富だからセクロスだけは充実させるけどなw
で、非モテだなんだって言ってる奴のblogとか見ると、大抵の場合、結局最後には「モテたい」「モテない」「悔しい」「ずるい」「憎い」って感じが出てくる。
「ただしイケメンに限る」とか「どうせ俺はブサでオタだから」とか言ってる始末。
ブサだのオタだのじゃねーだろ、問題の根本は。
「モテたいけどモテないから、その悲しみを恨みとしてイケメン及び異性にぶつける」というその姿勢、その性格こそが、モテない最大の原因だろ。
まぁ、非モテって自称してる奴がモテないのは俺には関係ないし、そこは別にいいんだけど。
問題は、ルサンチマン丸出しのその行為。
すっげーダサいし、見ててウザイ。というか、基本的にそういったネガティブな感情こそが、モテない、コミュ力ないとか言われる原因じゃないのかと。
で、挙げ句には、その非モテどもがたまたま恋人出来たりすると「脱オタ」とか言っちゃう始末。
もうアホかと。
脱オタって、オタってなろうと思ってなったり、脱しようと思って脱したりする物なのか?
てか、他の趣味で考えてみろよ。
「彼女が出来たんだけど、彼女が野球嫌いって言ってたから、野球見るのもやるのもやめて、サッカーはじめました」って、超ダサいだろw
ダサいっつーか、「ああ、こいつにとって野球って、所詮その程度の趣味だったんだな」って思われるわな。
そんな奴が草野球やプロ野球について語っても、「いや所詮お前、その程度の理由で野球やめる奴でしょ?」と思われるわけで。
脱オタだの言う奴も、それと一緒。
「ワールドカップだからサッカー見ましたwwwガンバ大阪って何すかw」
「WBCだから野球見ましたwww内川って誰ww横浜って佐々木のいるところ?」
こんな連中と同レベルってことだよ。脱オタだの言ってる奴は、オタクが嫌がるであろうミーハーと同じ。
筋金入りの野球ファンにとって、ミーハーファンが邪魔なように、筋金入りのオタク趣味にとっても、ミーハーオタクは邪魔でしかないわ。
いつも通り今年にも年末がやってきた。毎年、12月はその1年間の回顧に当てられる。
だから、本当は1年は11ヶ月だと言ってもいい。残りの1ヶ月は11ヶ月を振り返ってるだけなんだから。
この小説がよかった、この事件がすごかった、こんなことが起きた……etc。
そして、その年のランキングが作られるのが常である。2009年映画ベスト10とか。
今年は2000年代締めくくりの年でもあるので、2000年代ベスト10が作られたりもしている。
ランキングは議論を活発にしてくれる。オレはこれだ、こんなののどこがいいんだ、いやいやあれだこれだ……。
そんなランキングの中でとりわけ醜いものといったら皆さんもご承知のとおり! 『このマンガがすごい』ですよね!
去年、一昨年とともに文化系センス難民を動員し、見事「これを抑えとけば通気取り」なラインナップでトップを埋め尽くしていました。
物の善し悪しをヴィレヴァンに下駄はかせてもらえなければ満足にマンガも読めない投票者たちの惨状にあちこちから苦言が呈されました。
そして、今年からはこの「脳が溶けるヴィレヴァン病」患者たちへの対策として、読者投票システムが導入されたのです!
その結果、見てください。1位『バクマン』! 2位『ワンピース』!! 去年と比べていかにこの二つが妥当か。
この二つはまさしく老若男女だれが読んでも面白く、どんな人間にでも薦められるものであり、
何より素晴らしいのはこの二つの読者は「通気取りできる漫画」という視点でマンガを消費していないのです。
純粋な漫画読者なのであり、この二つは至高の純粋エンターテイメントで、センス競争に囚われたクズたちのオナニー道具じゃない。
しかし、まだまだ問題の根は深いですね。え? 五位が『モテキ』で六位が『ザワさん』? ……はぁ(ため息)。
さらには上のようなモテキやザワさんに投票しちゃうような悲しいオナニー中毒たちがネットで怪気炎を上げています。
「このランキングはおかしい!」「このラインナップじゃ通が気取れないじゃないか!!」
あ~、醜い!! なんて醜いんだ!! さっさと目を覚ますんだ!
漫画を、芸術を自らのセンスに下駄をはかすための道具として利用しないでくださ~い!!!!
極めつけは偶然見つけたこのつぶやき。
『あまり広く漫画を読んでないやつに投票させるからこうなるみたい』
おいおいおいおいおいおいおいおいおい! それ本気で言ってる?
広く漫画を読んでいないのはどっちだ! 純粋は気持ちで漫画を読んでいるのはどっちだ?
あんたらは他人の敷いた「この作品を消費したらセンスがいい」というレールに乗っかってるだけじゃないか。
自分で物を見、良し悪しを判断し、愛することができない哀れな小鹿たちじゃないか。
もう本当にやめていただきたい。こんなセンスいいと見られたいがためだけに作品を消費するような、
脳みそが空っぽのかっこつけ文化難民を治療してやることが、2010年代の課題である。
キミたちはミーハーなんだよ? わかる??? 対象がJ-POPじゃなくてサブカルなだけ。
そして、本当はミーハーな自分を、ヴィレヴァン的サブカル商品で身を固めなきゃ肯定できないような体質が、
この問題の本質なんだ。ねぇ、苦しくない? 凡庸なあなたを直視し、認めようよ。
苦しみながら自分を肯定するためだけにモテキを読んでいるキミと、
ただワンピースを楽しんでいるジャンプ読者。どっちがただしい漫画読みだろう?
最後にキミたちがこれから弄び始める作品を予言して終わる。