はてなキーワード: トミノとは
日本にもヨシユキ・トミノっていう人がそういう趣味を持っていたんだけれども、もしそういう人とガチでトーク出来たら自分の考え方に影響が出そうとか思わないか?
影響が出るかもしれないけど、それは考えを咀嚼して別のところに適用して、という過程を経て自分のものに出来てからだな。
その場で「考えを改める」なんてことはない。
討論で考え方を替えられないのは、ほとんど同じ知識・前提を共有してしまっているからだよ。生まれも育ちも違う、言葉も文化も違う人とガチ討論してみればきっと何かが変わる。
これは逆。まったく知識と前提が共有できなくて、まったく共感できないから、考えが変わらないの。
考えが変わるときっていうのは、そのまったく共有できない人間と、どうしても共存しなければならない状況に陥ったとき。
そういう緊急事態に陥ったときに、自分の中に共存できるための考え方のフレームができるわけ。
ただ討論するだけなら物別れで終わりだよ。
アドルフ・ヒットラーが。浅原彰晃が。自分よりも優れた才能を持った人たちを口説き落とせたっていうのはそういうことなんじゃないのか?
『吾妻ひでお「けいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」』
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html
ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも何もない。
ちょっとしたフェティシズムがあるだけ。
このアニメ作ってる人も見てる人々もそんなに現実イヤなのか?』
考えてもみてほしい
トミノハゲがMGフリーダムを抱えながら満面の笑顔で「福田君!このロボットアニメ日照りの時代に、主人公のガンダムのオモチャが100万個も売れるようなガンダムアニメを作ってくれてありがとう!君の作った『新世紀のガンダム』のおかげで、サンライズはあと10年は戦える!」みたいな事を言い出している構図を
ありえないよね?トミノハゲはいつまでも新しいガンダムが出るたびにグチグチ子度とを言う小姑でいてくれたほうが「健全な姿」であるように思える
…と考えると、やはり吾妻氏がけいおんに関して批判的スタンスを取るのは「でかい口きく資格の持ち主」として許されることだと思うしもっとやって欲しいものだとも思うのである
富野節とはある種の狂気です。それが狂気である以上、「なんか、怖くなってきた」という増田氏の反応はむしろ健全であるといえます。
富野節を構成する要素は数多くあり把握しきることは困難ですが、いくつかあげてみると
などがあります。
例えば、
グローバルスタンダードというのはつまり、一つの民族の一つの趣味の、“オマエ”程度の趣味の、という押し付けだけでは絶対に獲得できるモノではない。
というシメの言葉をあげてみましょう。
これは一般的な日本語で言い直せば
それぞれの民族の間でスタンダードとなっている物事をお互いに押しつけ合っているようでは、グローバルスタンダードなんていう言葉は意味を持たない
しかし、ここに
というトミノ成分が加えられることによって、読み手・聞き手をなんとなく不安にさせるある種の狂気が生じるのです。
まさにこの狂気こそが読み手・聞き手に強い印象を与える富野節の真骨頂であり、また多くのファンを長きに渡って魅了し続ける数々の名ゼリフの神髄であると言えましょう。