2022-10-08

ポリコレという名前焚書

 最近ポリコレによってさまざまな創作物強制的現代価値観に無理やり置き換えられ反感を買うことが増えている。

特に映画映像作品特に顕著で、原作にあった背景までも無視する改変ぶりに辟易している人は数多くいるわけだ。

商売から見てもバイオハザードシリーズシーズン1で終了するなど明らかに悪影響が発生しているのにそれをやめようとしない。

そもそも言えばポリコレ配慮していようが、その作品の出来が良ければ「それはそれであり」になるはずだ。それが出来ていないのだからポリコレ害悪になるのだ。

市民団体など圧力団体のせいってことも言えそうだけど、もうちょっとこの話は根深いし業が深い。

この話をするには近年のコンテンツ産業におけるとあるジレンマ関係している。それはアーカイブ化だ。

たとえばテレビアニメ場合、昔なら放送したらそれでおしまいだったか再放送がしばしばあった。機動戦士ガンダムなんかは再放送で人気が出た。

それがVTRになってVHSビデオを経て、DVDになって、そして現在それは配信に姿を変えた。

配信になったことで今じゃアマゾンプライムに加入すれば機動戦士ガンダムがある程度画質強化の上で、全話見ることが出来るわけだ。

レンタルで借りる手間もなく、カタログから選べば即視聴できる。

これだけなら実はそこまで問題ではない。厄介のはこの先の話。

既存コンテンツあくまで当時の技術で作られたものから画質や品質が残念になりがちだ。

ところがここにデジタル技術AIが入り込んできて事態は急変した。古い映画作品でも4K画質に耐えられる画質にされてしまった。

新作映画だと思ったら、ものすごく古い映画だったなんてこともしばしばだ。

そりゃそうだ。映像表現能力2000年代中盤以降素人目にはほとんど分からない状態になってしまったところに高画質化技術が入って解像度が上がったのだから

ゲームですらこの傾向が生まれている。かつてはリマスターで売りなおせばよかったのに、マイクロソフト自動4K HDR フレームレート上昇を半自動で行う。

毎秒30コマで動かす前提でゲーム設計しているもの自動で60コマにされてしまう。ソニックゲームが旧作なのに新作のような動きで動いてしまう。

まり過去作と新作はもはや垣根が存在しない。出来がいいものは延々と売れ続ける。任天堂スイッチゼルダマリオカートが延々と売れ続けるように。

 こうなると新作を作っているところはたまったもんじゃない。新作だけを競合にしていたのに、過去作までもが競争相手になったらそりゃ無理ゲーだ。

だけど任天堂のように膨大なキャッシュフローを背景に品質上昇のためなら完成したゲーム塩漬けにしてもいいと言えるお化け企業にはなれないのだ。

ゆえに、どうするか、過去作品を潰すしかないのだ。すなわち焚書である

 だが焚書には大義名分必要だ。特定権力者命令ってことにすれば焚書可能だが、現代においてそれは難しい。

からこそゆがんだ正義感を利用する。過去作品現代価値観にそぐわないか排斥し、現代価値観(ということにしたもの)に合わせた作品だけ

利用すればよいのだ。つまるところポリコレというのはあくま商売のために行う焚書を行う上での大義名分に過ぎないのである

 で、結果と言えば普遍的コンテンツを作っているところは延々と作品アーカイブし続け、収益を得るかディズニーのようにアーカイブのために企業を買収するとかが横行しているわけだ。

そんなポリコレ適用したがるのは概ね、アーカイブが十分にできなかった負け組であり、そこが中途半端予算ポリシー過去作を墓から掘り起こしていれば失敗するのが道理なのである

  • バイオハザードのドラマはクソつまらなかっただけなんだよなあ

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