小学生の頃、田舎の祖父宅から送られてきた野菜にくっついてきたかたつむりのあまりの可愛さにやられて、ペットとして飼い始めた。10年ほどの共同生活の記憶は、今でも色濃く残っている。
・思うよりずっと力強いし素早い。一度中途半端にしか閉まってなかった飼育ケージを押し開けて脱走してたことがあった。
・よくうんこを食ってた。自分でしたのも他人がしたのもあんまりこだわりがないみたいだった。かたつむりのうんこはすごい清潔らしいので、究極のリサイクルシステムなのかもしれない。
・たまに殻をぶん回すことがあって、当時は殻体操だ〜とかってはしゃいでたんだけどあとになってあれはかたつむりが不快や身の危険を感じた時に行う動作だと知って申し訳なくなった。思えば他のかたつむりが殻に乗っかってた時や霧吹きで水をかけすぎた時によく回してたな。ごめんよ。
・基本的に何でも食べるけど一匹一匹微妙に食の好みが違う。でも飼ってた全員好きだったのは満場一致でご飯粒だった。でんぷんの甘さがウケたのだろうか?どいつもこいつもあげたらあげただけ完食してしまうので一日一粒と決めていた。
そしてあいつらうまいもの食べてる時は顔がにまーって笑う。マジでマジで。飼ったことない人はみんな嘘だーっていうかかたつむりが笑うとかなんだよって言うんだけどほんとに笑ってるんだよー。大触覚がくるんって丸っこくなってご飯粒めっちゃ凝視してんの。
昔ハムスター漫画でハムも好物食ってると顔が笑うって読んだことがあるから生きものはうまいもん食うと笑うのは真理なのかもしれない。
・お互いのサイズに違いがありすぎると交尾が出来ないっぽい。何匹か飼ってた中で一匹だけでかいやつ(殻の色が緑がかってたのでみどちゃんと呼んでいた)がいて、奴は殻だけで3〜4センチと他のやつらの3倍くらいのサイズを誇っていた。
かたつむりの交尾は恋矢という人間でいうとちんちんにあたると思われるものをお互いの首筋に突き刺し合う割とアグレッシブな感じなんだけど、みどちゃんの恋矢はでかすぎて他のちびかたつむり達の細い首には刺さらなかったのか、恋矢の交換には至らずいつも一方的にちびかたつむりを頭からガジガジするだけに終わっていた。
かたつむりは発情期になると頭にフェロモンを発するコブが出来るんだけど、みどちゃんは体がでかいぶんコブもアホみたいにデカかったので、でかいコブをのっけたまんま行為に至らずその辺をうろうろしているみどちゃんを見てると宝の持ち腐れでもったいないなあと子供ながらに思っていた。
・土がめっちゃ好き。清掃が大変になるので飼育ゲージに基本土は入れてなかったんだけど、野生のかたつむりは土中を好み、さらに産卵も土の中に行うと図鑑で見たので一度産卵の季節に合わせて少量の土を入れてあげたことがあった。
そしたら確かにみんな超大喜びで、けど一番ヒャッハーしてたのはみどちゃんだった。土を入れたペットボトルのキャップに入り込んで、中でずっとゴロンゴロンしていた。キャップはみどちゃんの大きさにジャストフィットだったので、みどちゃんが入ると他のちびかたつむりたちは入れずいつも独り占め状態だった。おまけに体のでかいみどちゃんが暴れるとせっかく入れた土が全部キャップの外に掻き出されてしまって、結局ちびたちはいつもどおりそこら辺のキャベツに産卵してたような気がする。意味ねえ。
・結構長生き。自分で観察した限りでは寿命は体長に比例していて、ちびかたつむりたちは大体1〜3年、でかかたつむりのみどちゃんは自分が小2から高2にかけての9年間も生きた。小学校で拾ってきた時点で既に結構でかかったので、もしかしたら10年以上生きていたのかもしれない。
最後にみどちゃんを見送ってから、次のかたつむりは飼わなかった(飼えなかった)。小さい生きものたちとの別れは悲しい。10年以上経った今も、これを書いたら当時のことが思い出されて涙が出てきている。
アフリカマイマイの駆除のニュースや、食用エスカルゴが屋台の軒先に積み上がっているような映像は、今でも直視出来ない。ヴィーガンの人たちの目には、スーパーに牛や豚や鶏やその他の肉が陳列されている光景がこういう風に映っているのかもしれないと思うと、少しはその気持ちが分かるような気がする。
ただ一歩引いて考えると、人間がカタツムリを食するのはマイマイカブリやロイコクロリディウムの捕食行動と何ら変わらないのではないかとも思える。私はカタツムリを食べる人とは未来永劫考えが合うことはないだろうが、無理に合わせる必要もないだろうし、攻撃するのも間違っていると思っている。
自分以外の生きものを食材とすることについて良いか悪いか悩み、議論している生きものはおそらく人間だけなのではないか。知能を発達させたがゆえの苦悩だし、同時に食べる食べないで悩んでいられる贅沢を享受していると言えるのかもしれない。それが優しさなのかエゴなのか、私にはとても判断出来ない。
あのブログの筆者さんにとってもあのちっちゃなサワガニたちが大切な存在になったんだろうなと思うと、その筆致と語り口、サワガニに向ける視線の暖かさも相まって読みながらやはり泣いてしまう。
特に、花の添えられたサワガニの遺骸はだめだった。日陰の土を錆びたスコップで掘り起こす感触が、すごく冷たくて固くて、余計に悲しくなるんだよね。
調べてみて驚いたが、サワガニは長くて10年ほど生きるのだという。筆者の方とサワガニたちがこれからも楽しく心穏やかな時間を過ごしていくことを願ってやまない。
ヴィーガンの気持ちはわかるそれ。 大抵のヴィーガンは自分が肉を食さないだけで他人を攻撃しない、なんなら、一緒に食卓を囲んでいるのに同じものが食べられなくて申し訳ないとい...
なんでこっちコストをかけてお前らと接して理解しないといけないんだよ そんなこといってる時点で思い上がりなんだよ
こういう小さな生き物たちにも慈悲をもって接することができるならば おんなじ人間にだって意見がすれ違うことあれども、慈悲をもって接することができそうなものなのに なぜできな...
これは名文