いや、猫嫌いなんで
うなぎ関連の話題になると「本物のうなぎを食ったらいらないなんて言えない」とか「本物のうなぎはどんな魚も代わりになんかならない」とか言い出す奴らがいて、そういううなぎを食べられない俺はなんか腹たってきた。
考えてみれば貧乏庶民が安いうなぎを食うことでこういう鼻持ちならない金持ち美食家様を黙らせられるのは痛快な気がするので積極的にうなぎを食っていこうと思った。
「理屈っぽくて頑固で人情でルールを曲げるのが嫌い」っていうのは、
「交渉の落としどころ」よりも「交渉の手順」にこだわってるからじゃない?
「交渉」で重要なのは「手順」ではなく「結果」がすべてであって、
そのために何でもする、ってことだと思うけどな。
混雑した急行電車に乗り込むと、前に立つ女性がスマホで日記のようなものをしたためていた。
画面が目に入る。ポエムのようなふんわりとした日記だったがなんかおかしい。
店名も見えてしまった。県を2つもまたいで出勤するらしい。ご苦労様です。
テクニックが凄いらしい。
私がアスぺ傾向で、理屈っぽくて頑固で人情でルールを曲げるのが嫌い、という性格性質に由来するんだろうけど、話し合いとか交渉とかそういうの全般苦手すぎる。
ものごとに、その人ごとのルールというものがあって、与えられた情報・条件からは、その「その人」という関数を通して答えが出力されるものだ、と思ってしまって、電話だろうがメールだろうが会って話そうが、入力条件が変わらなければ、出力結果は変わらないだろう。という思いが、ある。
いや実際そんなことないのは知っている。
メールで問い合わせて、駄目ですって言われたものが、直接あって説明を繰り返せば、駄目じゃなくなるとか、聞き方とか話の持ちかけ方によっては、受けてもらえるとか、世の中そういうのがあるということは知っている。
でもなんでそういうことになるのかの気が知れない。
面倒臭さなのか?
特例的に、ルールを曲げることによる面倒臭さと、しつこいのを断る面倒臭さの天秤が、与える負荷によって傾きが変わるってことか?