はてなキーワード: あまのじゃくとは
そもそもの話、池田晶子だったら、「女性差別はいけない。むきーっ」なんて言わないんじゃないの?
彼女は人権や思いやりとかの良識については、大衆がこだわるくだらない常識だと見下していて、自分だけが真実を分かっていると言いたげに罵倒するのがわりと好きな人だった。
その意味で池田晶子は、曽野綾子に似ている。右翼的じゃないという違いはあるが芸風は同じだ。
凡庸な意見のくせに勘違いして偉そうに説教するというか、いい年して常識に反発する天邪鬼(あまのじゃく)というか、そんな感じである。
これはどこで読んだか忘れたが、ああいう説教本の読者は「他人は所詮馬鹿ばっかりだ。自分は賢いから世間の常識を疑うことができる」という尊大な意識を著者と共有しているらしい。だから説教本を読むとき、自分が説教される側じゃなくて説教する側に共感し、気持ちよくなれるのだという。なるほどと思った。
しかし、そういう中二病みたいな考えは誰もが心の中で思ったことぐらいあるはずだし、あえて現代社会への批判を著述するならばそれこそニーチェのように深い哲学的洞察が必要となるだろう。
また、そうやって人権とか思いやりをあざわらうのが行き着く先は、つまるところ現実社会における差別や貧困を放置するシニシズムじゃないかとも思う。「建前や綺麗事を疑うことができる自分はすごい」みたいな人、よくいますよね?たぶん本人は賢いつもりなんだろうけど、じつは言っていることが極めて軽薄。私の中で池田晶子はそういう位置付けでした。
あまり熱心に読んだことないので、こう断定して間違いだったらすみません。
ただね、人権や思いやりをふくめて社会の常識をトコトン馬鹿にしてみせる芸風で人気になった作家さんを讃えるための賞なんだから、その式に参加した元増田が「女性差別はよくない。セクハラをやめよう」という優等生のような意見をふりかざすのはカッコ悪いです。
追記。そういえば池田晶子って、元モデルらしいし、美人の女性ということも売りにしていたな。
おかあさんといっしょ視聴歴一年の私が選ぶ名曲ベスト10
おかあさんといっしょにはいい曲が多いです。
以下おかあさんといっしょのことをおかいつと書きます
おかいつを見始めてびっくりしたのは、おさむお兄さんがたくさん曲をかいていることでした
9位 パンパパパン
おかいつのお兄さんお姉さん4人がパンコスプレをしている。そのPVのシュールさが私の中で話題に。途中のさんどいっちにーぱんの部分に注目して欲しい。
8位 ぱわわぷたいそう
よしお兄さんとじゃんけんができるのでブンバボーンより好きです。
7位 あしたてんきになーれ
おかいつのED曲。にこにこぷんを見ていた私は♪そろそろ門がしまっちゃう!ほーらつかまえた!の部分で毎回大爆笑していた。あした…は門ではなくトンネル。門は閉まらない。でも毎回人員整理をするたくみお姉さんやたくみお姉さんやたくみお姉さんがかわいいのと、あといい曲。
6位 じゃくじゃくあまのじゃく
イヤイヤ期の子供ってきっと後から思えば可愛いのかもしれないと思える。
5位 きみ
玉子の黄身や木の実などおかいつだけではなくEテレがとにかくこだわるだじゃれをふんだんに盛り込みつつ最終的には生まれたばかりの赤ちゃんのきみを優しく見守るという歌詞にほっこり(誤用)
4位 おめでとうを百回
えらくノリがいい。PVのたくみお姉さんがロリかわいい(ざしきわらしコス)
2位 みんなのリズム
1位 ぼよよん行進曲
中西圭三=神
自分は、自分を突き動かすようなコンプレックスというものがパッと頭に浮かばない。仕事においても私生活においても、辛い事はそれなりに沢山あったものの、コンプレックスとして常に頭の中に残り、日頃の自分の行動を左右するような経験というものを聞かれてパッと応えることができない。その理由はなぜだろう。
1)
そもそも自分に都合の悪いことは、深く考えずに放置しまう体質がある。わりとなんでも卒なくこなすことができるので、たまにうまくいかないことをそこまで深く考えない傾向がある。
2)
うまくいかないことも前向きに考え、少し前進したことで「自分は最悪な時よりも進歩した」と、自分を肯定する傾向がある。
3)
うまくいかないことを他の人と同じくうまくいかない自分が嫌で、他の人がめげてしまうようなところでわざと自分はめげない、万人と同じは嫌だ、という心理が働く。
2は失敗を乗り越えてうまくいった時に感じる感情であり、その肯定で「全てがうまくいった」と考えるものでもないので、短絡的ではあるが前向きな性格であるとも言える。
3は少々あまのじゃくではあるものの、そのあまのじゃくさが功を奏して、自分を切り替えるスイッチになっていたりもするので、悪いものではないと感じる。
問題は1。前向きな性格であるが故に、自分の失敗に対して深く掘り下げ、その原因を追及しないところに、コンプレックスとの無縁さがあるように思う。
コンプレックスがある人はうまくいかない自分と向き合い、自分自身に「なぜ?」と向き合っている人が多くいると思う。人には言えないコンプレックスは、自分自身と向き合うしか消化する方法は無い。消化できるかもわからないが、とにかく向き合うしかない。逃げ場が無い人ほど、自分自身の中に答えを求め、追求していく。
この「問題に対して真正面から向き合う姿勢」というのが、コンプレックスをバネに飛躍する人の特徴であると思う。(ただし、その特徴が良い方向に働くものと、良くない方向に働くものがあるのは事実としてあるが…)
しかしながら、コンプレックスを感じにくく育った人が、今からコンプレックスを持って生きて行く、というのも無理な話だ。みうらじゅんの「アイデンアンドティティ」という作品の中に出てくる「不幸でないことが不幸」という言葉にも通じるが、いくら不幸でないことを不幸と叫んだところで、コンプレックスをバネにして成功した人のような力を得ることはできない。
コンプレックスが無い人は、コンプレックスが無いことを嘆くのではなく、コンプレックスが無い自分に対して向き合うことが重要だと思う。
無ければ無いでいい、しかし、違った形でも自分自身の失敗について「なぜ?」と振り返る時間をしっかりと意識して作ることができれば、自ずと結果が出せるのではないかと思う。
色々と書いていて分かったが、結局コンプレックスがあろうがなかろうが、どちらでも良いという話か。どちらでも良いが、自分自身についての振り返りをしっかりとすれば、成長につながるのではないかと思う。