名前を隠して楽しく日記。
「ゲームセンターあらし」なんて商業で直接のパロディ作品が複数あって、非商業やワンカット(「炎のコマ」風のポーズ、等)だとどれだけ描かれてきたかわからん作品だしなあ
レッドジュー:赤猶太人(直訳)
郡司真子さんのように、被害者がウソをついていても、寄り添う姿勢を崩さないのはフェミニストとして当然だと
思っているけど、
被害者の言葉を信じることと、加害者を攻撃することはまったく別だからね。
◆家でも人前でも余裕で食う
・はじかみ
・桜餅の葉っぱ
・めざしの頭
・刺身の上の赤いモジャ
・さんまのわた
◆家では食うけど人前では自重
・柏餅の葉っぱ
・焼き芋の皮
・さんまの骨
・さんまの頭
◆家でも人前でも食わない
・バラン
・バレン
ホワイトハウス報道官はバイデンの発言を釈明してたので謝れる方に入るんですかね?
学歴コンプレックスで長らく悩み続け、いよいよ自殺をすることになった。
日本に安楽死制度が整備されているのであれば、今すぐにでも申請し、「一件落着」だが、残念なことに今の日本にそのような制度はないので仕方がない。
もちろん死ぬのは怖い。本当に怖い。
ただ、もはや自分の知能の低さを規定しているこのDNAが、それ故に生まれながらに高学歴を得られないことを決定づけているこの劣ったDNAが、それにより構成されているバカで劣等な自分自身の存在そのものが、生理的に気持ち悪くて仕方がない。
知的社会たる現代日本では高学歴を有さない者は、基本的に「人」そのものとして劣っているとみなされる。
卒業大学の名前がそのまま当人の知的能力の全てを、ともすると人間としての価値やランクをまるごと規定してしまう。
学歴は能力の指標にとどまらず、内面の繊細さや思慮の深遠さ、人としての毛並みや美しさまでもを規定する。
そのような地獄の知能カースト社会において、低学歴が人としての尊厳や誇りを持って生きられるはずもなく、したがって幸福に生きられるはずもない。
もし低学歴者が高学歴の連中の目に「幸福に生きている」ように映ったとすれば、「動物園ではしゃいでいる猿」に対する眼差しと同様のそれを向けられる。
現代日本において低知能に生まれた(私のような)低学歴者は、言わば戦前アメリカに生まれた黒人と同じなのだ。
そこに救いはない。
早く楽になりたい。苦しい、苦しい。
私は極めて難しいペーパーテストにより先天的に知能の高い者以外を(事実上)排除する、この国の上位大学の入試形態によって殺されたようなもの。
社会やメディア、ことにインターネットにおいて無秩序に猛威を振るう、アパルトヘイト級の学歴至上主義・学歴差別によって殺されたようなもの。
おまえ、なんかドサクサに紛れて、、、