沖縄で生まれ沖縄で育ち、沖縄で働いている純ウチナーンチュである身として、一度は教養としてみておくか、と思い、宜野湾市民会館で上演された、沖縄お笑い米軍基地14を見に行った。
沖縄のローカルラジオ、テレビではひっぱりだこで、県内に知らない人は(たぶん)いない芸人さん、小波津正光さんことまーちゃんさんが座長として企画・脚本・演出を行っているコントショーが、この「お笑い米軍基地」である。
今回で14回目を数えるこの公演は、沖縄では非常に人気が高く、私が見に行く旨を人に話す度「あい!いいはず~感想聞かせてね~」という反応はあれど「なにそれ?」という人は誰もいなかった。実際、1200人キャパの会場はほぼ席が埋まり、私が行った公演以外にもあと何回か沖縄県内各地で上演されるということである。そもそも毎年上演し、今回で14回を数える辺り、企画側の熱量とそれを受け止めるだけの県民の人気があるんだなあと感じる。
コンセプトは「基地を笑え!」。沖縄県の面積の内およそ10パーセント以上を占めており、沖縄県について語られるときに必ず問題の一つとして触れられる米軍基地だが、ぶっちゃけ県民の(主に若者の)大半は「反対運動とかが激しいのってあれでしょ、本土から来た人とか政治団体とかそういう人たちなんじゃない?…わかんないけど…まあなんか窓とかヘリとか飛行機とか色々落ちてるし、戦闘機はうるさいからまあ、なくなるならもちろんそのほうがいいけど、わざわざ座り込みとか行くのは違うかな~左翼とか右翼とかよくわかんないし…」などと言う人がほとんどである。(あくまで私の体感ではあるが)
若者の政治参加の主体意識が足りない!と言われてしまうとほんとその通りではあるのだけど、恥ずかしながら私もそういったその他大勢のひとりである。正直基地がどうとか言う前に、政治してる人たちは生活に密着した問題からどうにかしてくれ、と思う。子どもの貧困とか。いや、その辺とも繋がってたりするから根深いのか?よくわかっていない。
山積みになっている沖縄県の問題のど真ん中にドンと居座り続けている「基地問題」。そこをどう笑いに落とし込むのか。前評判は良すぎるほど良かった。期待半分不安半分で会場に足を踏み入れた。
そして観終わった感想だが、「100点!最高!面白かった!」とは正直まったく思えなかった。
なお、細かい内容は「SNSには書かないでください」というアナウンスがあったので割愛する。
まず、全体を通して(「米軍基地」という「沖縄県民にしかわからないあるある」を扱っている以上、前提がそうなので当たり前ではあるのだが)めっちゃくちゃ内輪ノリがすごい。
そこがハマると面白いのかもしれないけど、沖縄県は究極の「ムラ社会」の文化なので、各地域の文化の隔絶もすごい。なので県民でも「いや、わかんねーし…」が結構多く、ハマらないとむしろ見続けるのが非常にしんどくなる。最後辺りには完全に「業界の内輪ネタなんだな」とわかるものだけでひとネタ作られているものもあり、関係者席らしきところからは爆笑すら聞こえたが、業界人でもローカルテレビ大好きマンでも何でもない私は正直置いてけぼりだった。
沖縄県にはM-1グランプリならぬ「O-1グランプリ」という番組がある。お正月時期に放送される、名前の通り沖縄の芸人の1番を決めるという番組だ。そのネタを見てもらえばわかるが、沖縄の芸人は「沖縄らしさ」を前面に出したコント・漫才、つまり「内輪のあるあるネタ」を組み込んだものを作ることが圧倒的に多く、またレースにおいてもそのほうが有利である。その番組にはもちろん今回の「お笑い米軍基地」に参加しているFEC(沖縄にある芸能事務所「演芸集団FEC」)の芸人さんも数多く出場しているので、その流れを汲んでいるのも当然といえば当然である。
そして、気になったのは「お笑いだから」「俺たちはバカだから」という言葉を盾にした、差別やいろんな権利の侵害の嵐だった。もちろんすべては洒落であり、まじめに取り合うほうがアホであるというのはわかるのだけど、正直現代の「ボーダーレス」な風潮からは相当遅れた認識があるんだなということは感じた。
私個人として特に興味があって学んだこともある界隈の問題だったのもあって、過剰反応してしまったところはあるが「いや、ダメでしょ…」と引いてしまうような描写・演出が非常に多かった。
違和感の何よりの原因は、前説で座長が「所詮俺たち三流芸人の言うことなのだから怒ったりしないで聞き流してほしい」という旨の発言をしていたことだったと思う。
私たちは無意識に差別をしてしまうものだし、気づかずにだれかを傷つけてしまうのは仕方のないことではあるが「差別?いやいやネタだから。何マジになってんの?」という言い訳を用意してしまうのは、ちょっと違うなあと感じた。この公演に誇りをもってやっているのなら「差別的な表現かもしれないが、より伝わると思って選択した」と言い切ってほしいな、と思った。イジりとイジメの境界線はあいまいだが、「強者や権力を笑うのがお笑い」だというならば、自分たちが本当に強者としての力を持っていないか?というのも常に問い続けてほしい。
また、全体を通して「左」より「右」を笑うことが多かった、というのも違和感のひとつとしてあった。どっちも滑稽な部分はあるのだからもう少し両方を笑ってくれたらよかったのかな、と思う。あと「右」を揶揄するネタの時に、笑いどころでもなく盛り上がりどころでもないセリフで「よくいった」というようなかけ声や拍手があがっていたのは驚いた。どちらでもないフラットな状態で見に来たつもりなのに、いつの間にか政権批判団体の集会に参加させられていた、みたいな気まずさがあった。怖い。
以上のように全体的に右寄りかつ品がなく沖縄県民の県民性の悪い部分を煮詰めたような「内輪に甘い」感が強く、正直全体を通して「また行きたい!」とは全く一ミリも思わなかった。私は特にスクールカースト下層だったタイプの人間なので、沖縄の芸能界に蔓延する「スクールカースト上層部っぽいノリ」(ウェイ感とでも言うのか)にはついていけなかった。この辺はたぶん好みの問題なのだろうと思う。
ただ、ここまでゲロカスに批判してきたが、この公演を見たあと、文句を言いながらも私は「じゃあ右や左のそれぞれの主張ってどうだったけ?」「ほんとうにこの芸人さんたちが言っていたことは正しいのか?」「自分は偏っていないのか?」ということをいつの間にか考えていた。
まーちゃんさんの著作を図書館で借り、基地問題についてネットで自主的に調べ、右翼と左翼についても少し勉強した。
そうして、ハッと、こうして主体的に考えているこの行為自体が、この公演のねらいである「基地について、何かひっかかりを感じて考えてほしい」というところにばっちりハマってしまっていることに気が付いた。
なるほど、ならば。この公演は私にとって意味があったのだなと納得できた。してやられてしまったな、と思った。チケット代2000円もったいねえことしたわ、だったのが、安いじゃん、になった。
エンディングで歌われたFECの社歌の中に「とにかくやることを大事にしている」というような歌詞があった。沖縄県民は先ほども言った通り「内輪に甘い」。そして変化を嫌う。そんな中で新しいこと、前に進むようなことをするのは、本当に難しいことだと思う。勇気がいることだと思う。「まじめ」をバカにする風潮のある沖縄で、「まじめ」にバカをやるというのも、ほんとは難しかったんじゃないかなと思う。その勇気に敬意を表して、私はこの感想を書こうと筆をとった。「とにかくやる」そしてやることで誰かを動かす、それはほんとうにすごいことだ。と、何もできない私は思った。
でも、個人的におもしろくなかったのは事実なので、沖縄の芸人さん各位にはマジでもっとがんばってほしい。笑いどころを説明してしまう癖があって全体的に冗長だと思う。言葉選びが雑。オチやツッコミのワードが説明的で長すぎる。「金の斧銀の斧」のいさお名護支部さんのくだりと、タイワンオオカブトの幼虫のくだりは勢いがあって好きだった。