はてなキーワード: 画期的とは
なんつーかアドエス。
WindowsMobileがウンコすぎないか!
ていうかこれ「電話ではない」わけじゃん、でもインターフェースは電話、つまり「パソコンでもない」わけなのよ。
電話でもパソコンでもない、じゃあ何か新しい価値観を提供してくれてるかっていうと、ちっともそうではないわけ。ある所は電話で、ある所はパソコン。
「いや、、俺電話だし、、」「あー、俺パソコンなんだわー、俺の仕事じゃないよね?」みたいな、そういった奴らが一緒になったっていう、で、小さいっていう。
パソコンとしても使いにくく、電話としても使いにくい、っていうただのガジェット好きな人の為のガジェット、っていう感じがして、iPhoneを待つべきだったんだなぁと、まあ今更。
でも別に後悔とかしているわけではなくて、移動しながらメッセンジャーできるとか、2chブラウザがサクサク動くとか、まあそういったのはすごい、常につながりっぱなしで移動できるとかもすごいと思うんだ、だけどこれって、今パソコンでやっていることがまあただ使いにくくなって移動できるようになりました、ってだけで、本当新しい事一切無いのだよね。
そうかんがえるとちっとも画期的なプロダクトではないんだなぁと、それって2005年にZERO-3が出てから、細かい仕様以外は全く進歩してないってことなんじゃないかって。
日本のメーカーってだいたいそう、画期的な想像力に本当に欠如している、これは別にappleマンセーしたいわけではなくて、ほとんどのプロダクトが「かっこよくしました」「軽くしました」「早くなりました」で終ってる、それ自体の仕事はたしかに細かくて間違いはない、すごい、だけど、それ以外ってじゃあどうなのっていう、使い手にとってのバランス感が一切ない。「かっこよくしました」は「安くなりました」と天秤にかけられちゃう価値観なんだよ、それって商品の魅力の一つではあっても、コンセプトなんかじゃない。2000年代になって、安くなりましたを拒絶したいくせに、そこからちっとも前に進めてない。
こういったセンスのなさっていうのはいつから変わるんだろう。
とりわけ、レザーにしました、質感がいいです、フェイスがかえられるようにしましたとかで「デザイン携帯」なんて恥ずかしい広告バンバン打っちゃう携帯に関しては、期待できないないのかなと。
携帯性、デバイスの操作性から、インターフェースのデザイン、中身の動き、デジタルとアナログ技術が集結した今やプロダクトの花形だと思うんだ。
もうちょい頑張れよ!!
動画を検索する技術がないことをウェブ進化論で梅田も嘆いている(「ウェブ進化論」p157-158)。
しかし、動画を検索するには、それがどういう動画であるかを人間に語られせればいいのだ。
つまり、ブログに貼り付けられるYouTube動画などは貼り付けられたエントリが動画の内容の説明となるわけである。
が、切り込み隊長曰わく、ブログと動画の親和性は低い(「アルファブロガー」p206-207)。
たしかに、ブログで動画を貼っておいても、動画自体は見れば済むわけだから、エントリ本文が動画の内容説明になっているような例は極めて少ない。
そこでニコニコ動画である。
ニコニコ動画の画期的なブレークスルーは、ユーザーが動画に対してコメントする契機を極度に娯楽化したことにある。
しかも、動画を通じてコメントのやりとりもなされることで、ユーザー間のコミュニケーションツールとしても機能する。
以上二点から言えることは、ニコニコ動画は動画にコメントする欲望を引き出すシステムを作り出したということ。
動画に対する検索システムが作り出せなくても、どういう動画であるかを語る多数の人間のコメントを集められるならば、そこから動画情報を帰納的に導くことができる。
この考え方は原初的にはSBMに近い。ただ、そこでは何人ぶくましているかが、一面的に人気を表示するものでしかなかったということだけである。
ニコニコのコメントは、実際にはネタコメントが多いわけだが、動画に対するコメントの仕組みを調整することで、ライトユーザーも巻き込める構造にしてみる必要はありそう。
ついでに、動画に対するコメント傾向を分析して、それに対応した検索アルゴリズムを作り出すことも必要かも。
ま、つまり、動画に対して人間がコメントするという行為を娯楽化することで、動画に対するコメントを自動的に欲望によって吸い上げ、それに対する検索アルゴリズムを組むだけで自動的に動画を検索可能な体系へと仕立て上げられる。
もちろん、システム的に試行錯誤していく余地はある。
しかし、ニコニコはようつべみたいに金のなる木にならないかなぁと嘆いたりしている(「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」p67)ひろゆきの狙いはもしかするとそこにあると思うのだ。
吃水線ってなんだろう?
コップに氷を5、6個入れます。
コップの淵にまでぎりぎりに水を注ぎます。
氷が解けたときにコップから水は溢れる?
これがちゃんと答えられない人がいるってことかな?
ところでね、聞いてよ増田!
大陸といってもラッコが住めるぐらいの密度ね。
海草ってCO2も吸収するじゃない?
海草だって炭素固定ができればバイオエタノールも精製できるじゃない?
海草大陸の上にイカダあたりで居住すれば魚も豊富にとれそうじゃない?
それぞれアトランティスとアトランティックっていう名前にすればいいよ!!
・・・一夜にして海の底にしずむかもしれないけどね!
こんにちわ別増田です。
情報の数値化、というとgoogleを思い起こします。googleは情報の数値化に成功したんだと思います。ページランクという大雑把な数値でも、当時としては画期的だったし、確度も悪くなかった。そしてweb2.0とともにフォークソノミーという手法が注目されるも、いまいちブレイクしきれていない。
古今のはてブの問題も、「ポストgoogle」のキーだった、フォークソノミーの代表格SBMがいまいちなのも、情報の質と数値がいまいちマッチしないからではないだろうか。
相対性理論がニュートン力学を補足したように、フォークソノミーもgoogleを補足すべきだったのだろう。もしかして機能のように。
はてブもブックマーク数という単純な評価から、キーワードやタグ間の関係性を数値化したり、それらの評価アルゴリズムを考えて、数値化やgoogleとの連動などをして、それをはてな検索に用いれば、もしかするとポストgoogleになれるんじゃないだろうか。
などなどをつらつらおもう
まずは硬派なここで使うと便利なブックマークレットです。どうぞご利用ください。続いて二世帯住宅でやってはいけないこと。しかし話題は住まいより親子関係に。そして更に話題となるのは男女関係。勘違いさせたくない誘い方をむむっと悩む話、好きな異性のタイプが風俗嬢っぽくなった話、年上の・・・彼女?と疑問な話。こんなに愛してくれている彼女が、すぐそばにいるといいのにね。ってシュール過ぎますって。
しかし、今日は男女の話より、Marcoさんや、Kanoseさんたちの議論について。「脅し芸」ってのは「購入厨」以来の画期的な単語だ!っと萌える増田。マルコ先生が熱い! マサオさんも熱い!と燃えるブロガー。でも個人ニュースサイト管理者だがぜんぜんアクセスねえ・・・っていって真似しないほうがいいよ。元MP3サイト運営者の思い出話のように、この世は盛者必衰なんですから。
っとまとめたけれども、実はこの日一番のエントリは、誰か作ってくんない?なんじゃないかと思う、最近遅れ気味の日刊増田でした。
目覚めたのは9時半だった。アラームは6:55だったはずだが。夜遅くまで起きてたせいだ。学校には間に合わない。午後から行くことに決める。寝巻きのまま、とりあえずPC前に腰掛ける。頭がぼんやりしてるのでのんびりサイトを見て回る。テレビでは「特ダネ」が終わって川合俊一の声が聞こえてきた。vipに入り浸っててふと時計に目をやると11:45。いかんいかん、これでは午後の授業に間に合わない。寝巻きを脱いで顔を洗うが、2ちゃんで女神が逸品の写メをうpしはじめたので手が離せなくなる。「いいとも」はオリラジが出てきたのでチャンネルを変える。やばい!12時半には出発しないといけないのに!
でも、どうせ使えない授業なんだよな、午後の授業って。いいや、ここはもう少しネットつないでおこう…。というわけで3つの釣りスレの展開を追い、円光サイトの女に釣りメールを送り、メールをチェックし、はてブと増田をもう一周りした。途中腹が減ってきたので今年初めてのそうめんを食べた。400gも茹でたんだけど、ツルッといけちゃった。円光女からの反応を待つ間にうp写メを保存したけど、こういう写真って絶対にあとで見ることないよね。妙な匂いがしてきた。朝方廻した洗濯機の中にまだせんたくものが入れっぱなしだ!・・・orz やけっぱちな気分になってくる。結局円光女からの反応はなかった。
そして今、窓に目をやるともう外が暗くなっててびっくり。もう、今日が終わる。なにをしてるんだ俺は。でも、終わる、終わるのは事実、どうしよう。パソコンを半日やってると目の焦点がおかしくなって離人症のような感覚に襲われる。しかも、机で活字を追いかける力が急激に下がる(集中力が落ちる。)。すでにやる気なし。
自分への罰として歯医者に予約電話したがさすがに今夜は空いてないそうだ。漫画喫茶にでも行こうかと思ったが、少し気が引ける。まずは切らしてる日用品を駅まで買いに行くつもり。それから、、、酒買って気晴らししようかなと考えてる。いや、それはまずい。どうせなら映画見に行こうか。しかし、ハズレだった映画を観終わって夜の街をトボトボ帰るのはダメージ二倍だからなぁ。
とりあえずヒゲを剃り、綿棒で耳を綺麗にして、コンタクトを入れた。黒い綿棒は己の穢れを露骨に示してくれる画期的な道具であることよ、、などと思いながらこの日記を書いている。やはり、無理をしてでも机にしがみついて勉強すべきだとは思うのだが。せめてもの償いだ、あとで2ちゃんの専ブラを消そう。
皆さんはどんな一日でしたか?やり残したことはありますか?
いまさら言うのもなんですけど、ごめんなさい、課長。あなたが悪いのではないのです。あなたは良い上司でした。人間的にも憎めない性格をしてらっしゃいますし、今でも多分うまくやっていけたと思います。
でも、私は疲れました。私の中の倫理観や信念を押し殺して仕事をするのに。また、精神的な支援以外が全く受けられず、実質的には孤立無援であることに。そして定年までこの心を潰す状況が続くだろうということに。15年後に会社の荷物になって無理にかじりついているのであろうという予測に。
いえ、業務内容は世間一般からすればそう悪くはありませんでした。ベストではありませんが、ワーストでもないです。ただし、私の信じている信念が青臭くて特殊で、依存心が強く、心が弱かったのです。心と業務の相性が良くありませんでした。
苦しかったのです。ものづくりのふりをしてハリボテ、フェイク、偽物を作って納めるのが。
本物を作りたかった。
でも私に与えられたリソースは貧弱なPCが一台と、大学でたての自分の頭だけでした。何をどうがんばっても、フェイクになってしまいました。私の作る貧弱なものを貧弱なものとして納めるなら、あんなに苦しくはなかった。でも大きな顔をして画期的ですと嘘をついて売りに行かねばならなかったのです。
心が痛かった。
誰かに助けてほしかった。経験豊富な、師匠に導いてほしかった。こんなものはお天道様の下には出せないと、駄目を出してほしかった。
会社を辞めたのは、心が潰れたからです。自分に嘘をついてだますのが無理になったからです。
今の会社は、あらゆる分野の師匠であふれています、課長。毎日、私は安心して仕事ができます。そういうわけなのです。
改めて申し上げます。会社を辞めてしまって大変申し訳ありませんでした。謹んでお詫びいたします。
Bonanza - The Computer Shogi Program
1949年にコンピュータチェスに関する画期的な論文「チェスのためのコンピュータプログラミング」[6]を発表し、力ずくの総当たりでなくコンピュータがチェスをする方法を示した。コンピュータがどの駒をどう移動するかを決定するのにシャノンが用いた方法が、評価関数に基づいたミニマックス法だった。評価関数は、駒の価値や、駒の位置の価値、移動の価値などをすべて数値化して「局面」の価値を評価するものであり、シャノンはその後のゲーム展開を探索木に分類してどの着手がもっとも良いかを探索する方法について考察している。この論文はコンピュータゲームでのコンピュータの思考プログラム設計の原典となった。
増田か、個人的に言えることはニコニコ動画やはてなブックマークのようにレイヤー的サービスによって増田自身を変えることなく活用は出来ないだろうかということぐらいか。
ID取るだけで気軽に書け、労力を要さずにある程度の人が見てくれる場が増田の一番よいところだと思う。これも荒らしが出たら終わりだし現状でも特定の人しか読み込んでいないというのは問題である。
皆が皆垂れ流してたら情報量が大きくなりすぎてしまってアレなんだがそれは置いておこう。
増田に書く目的は今のところ大まかに分けて5種類あるのではないか、一つは馴れ合い。二つ目に強い自己顕示。三つ目に表現。四つ目に反応。五つ目にただネット上に書ければそれでよかった。それともこれらの複合的要素が書かせる原因だろうか。だとしたらむつかしいが、とりあえず無駄に書こう。暇なので。
一つ目の代替物は何になりうるだろうか、チャットだろうか。しかしチャットは同一の時間を共有し消費しなければならない、増田はログが残りそこににゃあと反応できる。大体匿名さんが最低3人も常時いる仕掛けが出来れば増田にとって代わる仕掛けとなりそうだ。が中の匿名さんもメンバーの流動性を感じさせたほうが面白そうかもしれない。僕がワンワンワールドを使わない理由はダイアリーとの連携で匿名っぽくなれないことと、メンバーが固定的であるから。気軽に心地良い時間を消費できる馴れ合い増田は案外画期的サービスだと思う。SNSとも違うしね。
二つ目は置いておこう。面倒くさい。僕自身もこの扱いにほとほと困り果てている。これに気を使う必要はないだろう。
三つ目が結構重要で、一番面白い部分だと思う。純粋に表現し伝えたい気持ちを増田は受け止めてくれる。チラシの裏に書きなぐってみてもこの気持ちは上手く消化出来ない。2ちゃんねるもずいぶんと細分化してしまった。専門板では流れは遅いし新しい提案などをしようと新スレを立てると嫌がられる。ニュー速はスレ立て制限があり、VIPはあまりにも急速にログが流れ多くはそのままネット上から消えたようにすらなってしまう。表現をする適当な板が無い。その点増田はノージャンルで誰が見ているかわからない面白さもある。一般的な場で表現したい場合、今の増田は比較的優れていると思われる。ブログは表現しても反応が返ってこない場合がしばしばある、そして反応があるブログを作るためには熟成か技量が必要であって増田よりも優れた表現の場を作るのはなかなか難しい。
四つ目は増田で書かれたエントリに反応する場合に適当な場所が無いから増田に書かれたものである。今のところ、そこそこだがこの影響は大きく現在の増田を捉える上で欠かせない要素になっていると思われる。反応があることによりまた書かれるというスパイラルも増田ならではの大きな特徴。
五つ目はその他の理由だがこれもいくらか増田のエントリを増やす理由になっている。
増田に手を加えるといくらか変わることもあるだろう。しかし僕は増田が創造主のはてなすら超えてしなもんとゆくのなら大賛成だ。増田は素朴すぎる。はてなの中に作られたというほかの目新しさは無い。たとえ増田が増田でなくなろうと、増田に可能性があると思われるのならそこを活用して欲しいものだ。ワンワンワールドのように人が集まらない時間が多すぎるのも考え物だ。できたら多くの人に愛されるように咲くんだよ増田。
デジタルホン時代は「トランシーバ」とか言われたけど、あれはあれでよかったんだ。
あれはきっかけだったんだ。
確かに・・
J-PHONE時代が全盛期だったような気がする。
SkyWebをすぐに導入し(パケット通信じゃなくて回線交換方式だったけど)、写メールを開発、SH03もすごかったし、SH04のカメラは30万画素、それでも出た当初はすごかった。画期的だった。ロングメールで3000文字(全角)送信できるって便利だったよ。
SH51のSDカードにMP3をSD-JUKEBOXを使って入れて、携帯プレーヤーとして使うなんて考えもよらなかった。
PE-02やDNシリーズ、KENWOODなんかも画期的な機種ばかりだったな、考えてみれば時代が早かったのかも知れない。
Webページ言語はMML(今はメインはXHTMLになってしまったが)で小さな携帯電話でも少量のデータでページが表示できる言語を採用してたし、Javaアプリの登場も早かったような気がする。
藤原紀香をCMタレントに起用、今でのタランティーノや南野陽子じゃなく新しい感じがした。
(フェイ・ウォンは失敗したけどね)
ああ、サーバは弱かったね。というか、爆発的にユーザが増加したからついていけなかったんだな。あの頃は。
特に夜間輻輳が激しくメールは送れない、通話はできない。基地局レベルで交換機がダウンしまくってたよ、毎日障害速報が出てたような気がする。
その中にどっぷり浸かっていると、
サイトの量も、投下される記事の量も
増えすぎてとても追い切れなくなる。
自分が読まなければならない情報量を大幅に増やしてしまう元凶だ。
結局、消化不良を起こすだけなのだ。
閲覧者が要求する度にページが送られてくるクライアント-サーバー型から、
しかしこのような、一方的に記事が送り届けられる(ように見える)環境では、
送られる記事の総量が手に負えなくなると、そりゃあもうウザくなる。
情報の淘汰はもう始まっている。
更新頻度が低く、情報の質がまばらなブログはそもそも登録されない。
情報量で勝負できるのは、ごく一部の『ハブ』となるサイトだけ。
人気を決定づけるパラメータは、情報の質の総和ではなく、期待値になる。
沈黙は金。余計な口は噤むが良い。
http://anond.hatelabo.jp/20070225143758
化学っていっても無機だとか有機だとか生物だとかいろいろあるのでみんなそれぞれ違うかもしれない。
わたしは応用化学なんでどっちつかずなんで、中庸な意見ということで答えるよ。
> 化学の徒は、自らの研究と人生や哲学との関連についてどの程度意識しているのだろう
「なにか新しいもの」をつくってその評価は世にまかせる。
そういう世界だと思う。スタイルは比較的数学者に近いのではないかな。
ただ、それがもしかしたら目に見える形で世の中の役に立つかもしれないという希望はあるよね。
理学であれば30年先に、工学であれば10年先に実用化されたらいいな、でも、その間にまったく別の方法とかで実現されたら無駄になっちゃうかなとか希望と絶望を思い描きながら研究を進めていくんだ。
研究が終わってから何年もしないと評価にお目にかかれないしそれが失敗かもしれない。悲しい宿命なんだ。
そんなのを見聞きして、わたしはいやになってしまったけど。
これは化学者に限らないかもしれないけど、研究職は短い人生のなかで主題はいくつももてないよね。
その主題にすえた研究の中で画期的な成果が出せるのは偶然の助けも要る。
もしかしたらぽっとでの若造に出し抜かれるかもしれない。
成果が出せれば一部から名声は得るかもしれないが生活が裕福になるわけではない。
でもあるケミストは自分の研究以外に頭はつかわないんだ。自分の人生なんか考えないんだ。
そこにモチベーションや欲望は抱かないんだ。
パズルを夢中になって解いていたら日が暮れる。
とき終わるころには人生も暮れる。
パズルを解くのから醒めて周りをみてしまう人は化学者にはなれないんだ。
わたしが進学前に夢見ていたのはバカみたいだけどマッドサイエンティストだよ。
あんなことやこんなこと、誰もやったことが無いことをしたかったんだ。
飼いならされないと研究もできない。
先に金持ちにならないとダメなんだと気がついたよ。
3兆円あったら私設ラボつくるんだ。
私の「仕事場」はネパール東南端の難民キャンプ。ネパール系のブータン難民10万6千人が、「ヒマラヤ」のイメージの強いネパールにジャングルを開墾して造った7つのキャンプで16年にもわたる難民生活を強いられています。
難民たちは、竹で編んだ小さな小屋に身を寄せ合って暮らし、配給食糧の米を主食としています。人口は自然増加しているもののキャンプ用地はそのままなので、年を追ってキャンプでは過密化が進んでいます。
19世紀後半から20世紀初めに経済的な理由から多くの人々がネパールからブータン南部に移住し、ブータン国籍を取得するに至りました。しかし、ネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々は、仏教徒の主流派ブータン人とは民族的にも宗教的にも異なり、80年代からとられた民族主義的政策の結果、ネパール系の人々は国籍を失い、90年代初頭大量にネパールに流入。ブータン政府に対する民主化要求行動も、多くのネパール系ブータン人の国外追放という結果をもたらしました。
かれこれ16年も経てば、キャンプはまるで典型的なネパールの町のよう。学校もあれば、診療所もある。集会所もあれば、障害児を預ける託児所もある。すべてUNHCRの支援でつくられたものです。ブータン難民はネパールでは就労権が認められていないため、国際社会からの支援に依存せざるを得ません。UNHCRは、ネパール政府当局やNGOパートナーらと連携しながら、これら難民の権利を保護し、住居、食糧、水・衛生、保健・医療、教育などの面での支援物資・サービスの提供、および難民問題の恒久的解決の模索を担っています。
キャンプに暮らすブータン難民全員の状況把握をかねた「難民再登録」の作業がようやく昨年11月に開始しました。UNHCRとネパール政府による今年春までの共同事業で、約50人の再登録作業専従スタッフが、一日あたり約1,500人の難民の聞き取り調査と写真撮影、データ入力にあたっています。
90年代初めの到着時に政府が難民の登録作業を行い、その後順次出生、死亡、婚姻、離婚などを記録してはいるものの、10万6千人全体について基本情報をアップデートし、データベース化するという作業はこれが初めて。難民の安全を守り、適切に保護し支援するためには、一人一人がどこの誰で、どういう家族構成で、どういうニーズを抱えているのか把握する必要があります。
また、一人一人写真を撮り、のちに写真入りのIDカードを発行する計画です。写真を撮るのに飛び切りのおしゃれをしてやってくる老人や、カメラの前で緊張して泣き出してしまう子どももいます。庇護国からの身分証明書は、自国政府から保護が期待できない難民を保護する上で欠かせません。
難民再登録事業の実現は、ネパール政府との粘り強い交渉も含め、様々な関係者による努力のたまものです。ブータンへの帰還(わずかながらではありますが)やアメリカなどへの第三国定住など、解決への兆しが少しずつ出てきている中で、この画期的な事業の現場をあずかる事務所の所長でいられるというのは幸いなことです。
16年という長期にわたる難民生活にもかかわらず希望を捨てずに前向きな姿勢を保っている難民たちからエネルギーを分けてもらいながら、様々な国籍の50人の事務所スタッフとともに支援活動にあたっています。
>>従来のただの石とは違いますね
もう5万回も突っ込みが入ってると思うので直接これについては何も言うまい。
ゲーム業界もその影響を受ける。特にそれが続編だったりすればなおさらだ。
マンネリズムに取り込まれたゲームは「クソゲー」の烙印を押されてしまう。
それを回避するために、ゲームクリエイターたちは必死に新要素を考える。
毎回のようにあっと驚くシステムを導入し、ファンを熱狂させてきたからだ。
スクウェアはFF8で300万本を売り上げ、ゲーム業界の王者として君臨した。
しかし
映画にも手を伸ばし、それが大コケ。それと並行してFFシリーズの売り上げも下がっていく。
飽きられつつあるのは明らかだった。
そこで冒頭の発言である。