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はてなキーワード: エヴァンゲリオンとは

2009-03-30

パチンコで稼ぐ、たったひとつの冴えたやり方

パチンコ」といえば、限りなくブラックに近い利権収益構造により、ネット上ではサンドバックのように叩かれるのが通例である。

 

しかしながら、貸金法改正等により客離れの著しいパチンコ業界と、無数の低賃金労働者によって支えられているアニメ業界、これらが広義のコンテンツビジネスという視点において、手に手を携えていく意義は大きいと考えている。

苦境に陥ったサテライトがSANKYO傘下に入ったことで「マクロスF」のようなハイクオリティな作品を作れたことはまぎれもない事実である。「エヴァンゲリオン」「エウレカセブン」がパチンコ化されることによって劇場版の作成資金を捻出しているのは言うまでもない。

パチンコ台は一台が40万円前後、うち1割弱が権利元へのロイヤリティになると言われ、全国500万台のパチンコスロットのなかでスマッシュ・ヒットを飛ばせば数百億のロイヤリティを稼ぎ出すことも可能である。

アニメ流通させるチャネルのひとつとして、全国1万3000の店舗を持つパチンコの魅力は大きい。一概に「パチンコ憎し」ではなく、クリエイティブ関係を作るほうがメリットが大きいのではないか?と私は考えている。

 

さて、前置きはこれくらいにして、表題のテーマに移ろう。要は「負けない」ということである。

この記事を読んだあなたが「負けない」ことにより、ブラックマーケットに流出する資金を減らすことができる。日がな一日、パチンコ屋に通っている老人達からパチンコ屋を介して資産を合法的にシェアしてもらうことができる。

そして、前述したようにコンテンツビジネスの拡大に貢献することができる。なにより、あなたにとって手軽にキャッシュを得るノウハウとなって、万一収入源を失った時でも食費程度には困らなくなる。

もちろん、私がこの記事を書いたのは以上のような意義を感じたのと、誰がいつ収入源を失うとも分からぬ不況ゆえ、万一の事態が起こってもあなたにサヴァイブしてほしいからだ。もし、あなたが私を信じキャッシュを得ることができたときは、あなたの攻略法も加えて多くの人にシェアして欲しい。

 

端的にいうと、打たなければ負けることはない。勝てる台だけで打つこと。勝てる打ち方をすること。

雑誌ネットで公開されている「必勝法」の類は、残念ながら殆どあてにならない。時代遅れ羽根物ベースに考えられていたり、宗教詐欺まがいのものであったり、パチンコ業界からの広告収入で運営されている実質的には広告、などというものばかりだから。

基本は台の特性を知り、勝てる台を打ち、勝ったらやめる。それだけが「負けない」方法である。

 

では「勝てる台」とは何か?以下を参照していただきたい。

私は現に、この方法で失業保険を受け取りながらもまったく手を付けず、生活レベルを落とさず、家賃光熱費税金、2週に一度の通院、新聞代にNHKまできちんと払って、かつ、貯蓄ができる程度に勝っている。正確にカウントしていないが月20万円程度であろう。

当然、勝てる台が確保できないときは「打たない」ので一日に3万円程度は勝っている計算になる。

 

  • 機種を知る

おおまかに、現行の台はMAXタイプ(1/400程度)、ミドルタイプ(1/300程度)、甘デジ(1/100程度)、加えてバトルスペック(確変突入率が高い)に分けられる。

初心者パチンコの特性を知るために甘デジを打つことをおすすめする(甘デジの打ち方については後述)。当然、バトルスペックは実質確率MAXタイプよりも低くなるので打たないほうが無難である。

具体的な機種については、現在であれば、ミドルタイプの主流である海物語エヴァンゲリオンキン肉マンあたりがこの打ち方のターゲットになる。若干古い台だがMAXタイプパトラッシュ2などでもよい。北斗の拳花の慶次のようなバトルスペックへの応用もできるが、ガロには完全に不向きである。

各機種の特性については雑誌では理解しにくいので(内容にも誇張表現が多い)、パチンコで勝ったときか1円パチンコで試し打ちをするなどして把握するとよい。

 

  • 店を選ぶ

まず、事前に店の経営状態について把握しておくこと。店側とてギリギリ経営状態で運営しており、利益は総売上げの1割もない。

ゆえに、新装開店イベントなどと銘打って集客を図っているのだが、遠隔操作したり台の中身をいじっている訳ではない。釘調整により、スタートチャッカーに入る玉の数を増やすだけであって、結局は確率統計上の問題で分子が増えますよという話である。

ただし、釘調整の有無を確認することにより、その店の「やる気」を把握することができるうえ、台の善し悪しにより千円あたり倍近く回転数の違いがでてくる。いずれにせよ、釘調整の見方は分からなくとも、それによって自然プロが集まるので人が集まっていれば良い店、いなければ悪い店、と判断していっこうに構わない。

 

  • 閉店時チェック

以上により、自分の行きつけの店をいくつか持ち、台の入れ替え情報などを把握しておくとよい。しかし、あくまでもイベントによる客の動きを予測するためであり、イベント対象台を打つわけではない。

最も重要なのが、閉店時にどの台が何回転しているか、確変しているか、を記録しておくことである。

前回の大当たりから、台の大当たり確率の4倍以上を目安に、回転している台があればすべて番号を控えておく。行きつけの店が近くに幾つかあるのであれば、当然全ての店をチェックしておく。これらの台は翌日開店時から打つことにより、低投資で大当たりを引く可能性が高い。

確率変動中の台についても、念のためチェックしておく。確変台は店側でリセットするのが通常だが、リセットし残すこともある。これについては店によって方針が違うので、翌日、確変継続しているかどうかをチェックする。

なお、確率変動は店側でリセットするが、回転数は故障時以外リセットしないので回転数が最重要となる。

 

  • 朝一の打ち回し

前日にチェックした台から、朝一の打ち回しを考えておく。基本は、前日の絶不調台かつ前回大当たりから回っている台を押さえること。

チェックした台が新台だったりイベントの時は先に取られてしまう事もある。ゆえに、人気と関係のない台を立ち回りに複数組み込んでおくことが必要である。これによって、理想的には早々に勝った分をさらに不人気台に投入し、複数の台で勝つこともできる。

チェックした台を確保したら、おもむろに煙草を点けて心を落ち着け現金を投じ、打ちはじめる。打っているときに心がけることは唯一「無駄玉を打たない」ことで、リーチ時、時短などの際にはこまめに出玉を止めること。

大丈夫、あなたは負けない。なぜなら、前回大当たり時からの回転数は大幅に確率を上回っており、万一、小当たりで終了してしまったとしても次回大当たりを早期に獲得できる可能性が高い。そのまま勝つまで打ち、勝ったら止める。超ドハマリ台でも2000〜3000回転までには当たるので、資金は約1000回転分、5万円もあれば十分である。

なお、一段落したら前日閉店時の確変台が当たっているかどうかをチェックし、リセットが少ない店であれば次回からの立ち回りに加える。この場合、朝一でチェックした台だけを千円ていど回し、当たらなければ次の台に移る、といういわゆる「カニ歩き」を行う。

 

  • 補・甘デジの打ち方

以上の打ち方を応用すると、甘デジではさらに面白い打ち方ができる。初心者にはこちらで味をしめてから上記の実践を行って欲しい。

台の大当たり確率の3〜4倍以上、つまり300回転台を目安に打つと、早期に大当たりが期待できる。大当たりが連続しない場合でも、ひと確率分ていど打ち続ける。大当たりが一段落したら見切りをつけ、別の台に移る。やはり300回転台を目安にする。

これを台が有る限り続ける。適当な台がなければ即、止める。このやり方でも数万円を稼ぐことが可能だが、台の確保が問題となるので甘デジの全ての台の状況を把握しておき、次に打つ台の候補をいくつか考えながら打ち回すこと。打ち回しが難しい場合は質、量ともに充実している海物語などにターゲットを絞る。

大丈夫、あなたは負けない。なぜなら、超ドハマリ台だった場合でも(甘デジでもごくごく稀に1000回転することがあるが、500回転台が天井である)約100回転分、5000円の損で済む。この打ち方で通常は1万円程度が期待できるのですぐに回収できる。

なお、このやり方は朝一でする必要もなく、いつでも短時間キャッシュを手に入れることができる点で優れている。甘デジ天井台乱れ打ち(ATM)は銀行ATMと違って残高を気にせずキャッシュを調達する簡便な方法としてお奨めしたい。

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090321152815

ヘタレエヴァンゲリオン)だって、オタ(電車男)だって、いじめられっこ(ポッター)だって主人公にもなれるし、映画化もされる!

ただし、オレラとオマエラをのぞく

世界は、決して、イケメン限定ではない、

ただし、オレラとオマエラをのぞく

前の文章を読んで、本当にそう思った。

イケメン限定というのは、正しくない。ただし俺は除外というのが、正しいorz

2009-03-11

エヴァっぽくね?

この前電車に乗っていたら、3人の女子高生たちが乗り込んできた。

続いてちょっと冴えない感じの若い男も。

俺はすぐに降りるので立って見ていたのだが、女子高生たちと男は向かいあった席に座った。

ぼんやりとしている男。

女子高生たちはそんな男を見て小声でなんか言い合っている。

女A「うわっ、なんかに似てね??」

女B「あー、きもい系?」

女A「きもい系かなー。なんだっけ」

女C「あれじゃね?エヴァっぽくね??」

女A「あー!!それそれエヴァっぺー!ぎゃはは」

女B「うけるんですけど」

たしかに男の顔はエヴァンゲリオンに似ていた。顎のラインとか特に。

女子高生たちは既に指をさして大声で笑っている。

俺は何だか悲しくなった。

男を救いたいと思った。

よしっ。勇気を出して女子高生に話しかけよう。

俺「やめたまへ!」

聞こえないのか無視しているのか、女子高生たちはエヴァを見て笑い続けている。

なんてやつらだ。

何を言っても無駄なのだろうか。原始人め。

俺は窓を見た。トンネルで窓が鏡のようになっている。

そこに立っていたのは、悲しそうな顔をしたエヴァンゲリオンだった。

俺は振り返って男を見た。

ああ、やっぱり俺だ。エヴァっぽいや……。

アニメ見たことないけど。わかるよ。昔からよく言われていたから。

2009-03-07

○○○くらいで×××ヲタの領域に踏みこんでんじゃねえよ糞××ヲタ

http://d.hatena.ne.jp/raf00/20090305/1236262585

んー、タイトルだけならいろんな改変ネタができそうだ。そこで考えてみた。

この中でいくつかは、本当に俺の友人が似たようなことを言ってた。

2009-03-06

自分が嫌いってどういう状態なんだろう。

元増田

http://anond.hatelabo.jp/20090306005138

他人に興味が持てないのはおそらく自分の事が嫌いだからではないかと推測する。

良く分からないんだが、万事円満な生き方出来ている人ってまずいないよね。

外見も内面仕事能力も、理想とする自分現実自分が全然違うってことはザラにあるものでしょう。かと言って、いい年こいていつまでも夢見がちじゃいられない。

エヴァンゲリオンは14年くらい前か、あれ以降「ぶっちゃけ自分自身が嫌いなんでしょ」なんて良く言われるようになったけど、自分を好きになるって簡単なことじゃないと思うんだがな。

嫌いだろうと生きていかなきゃならない。

自分が嫌いなのって言って引きこもっていられる歳じゃない、傷ついたーなんて言える歳じゃない、ボロボロになっても、自分を否定されまくっても、それでも前に進まなきゃ飯も食えないんだから。

2009-02-23

エヴァンゲリオン

アクエリオン

エウレカセブン

ファフナー

マクロスF

DEATH NOTE

上の共通点はなんでしょうか。

答えはパチンコ台になる(or なっている)です。

最近,本当にアニメ系の台が増えてきている気がするなー。

2009-02-22

碇シンジゲド戦記映画

もはやジブリ黒歴史となってしまったゲド戦記映画)。映画ゲド戦記主人公アレンは、どう見ても、少年犯罪の凶悪化を念頭に作られている。(原作は違うらしい)で、同じように、少年犯罪の凶悪化を念頭に作られている代表的なキャラが、エヴァンゲリオン碇シンジ。一方は黒歴史、もう一方はアニメ界に歴史を作った大ヒット。何が違ったのだろうか。

まぁ、ぶっちゃけて言えば、ストーリーや時代を考えると何もかも違うから比較のしようがない、という意見ももっともなのだけど・・・あえていえば、ゲド戦記アレンは「全く共感できない主人公」であるのに対し、エヴァンゲリオン碇シンジは、「そこそこ共感できる主人公」なのだ。なぜって、アレンは、作品の冒頭で父殺しを行った上、その理由が映画の中でとうとう説明されないまま話が終わる。一方の碇シンジは、性格的な問題は多少あるものの、ちゃんと殺人行為に激しく抵抗する。同じようなキャラに見えて、やっていることが全く違うのだ。

結局、主人公に全く共感できない話というのは、受けないのだと思う。ゲド戦記は、アレンの父殺しの設定を入れなければ、まだ、救いがあったかも知れないのに、と思えてならない。

2009-01-24

Re:彼氏の精神状態が限界っぽい。

元増田です。たくさん返事があってビックリしました。みんなありがとう

速やかに精神科に連れて行きましょう。

精神病院って怖いです。薬飲んでもっと不健康になったりしませんか?(それに高そう)

抱きしめてチューすることが一番の薬だよ!

そんなん嫌だ。 可愛い彼氏をそんなところに送りたくない。

これは私が書いたのではありません!でも思っていることは近いです。

完全に手遅れになるよ、本気で病気だったらな。

精神科に対する偏見がどんどん病状を悪化させる。

私は効果なしですか……?うーん……。

でも薬とか飲むのを直視するのはちょっと……。

精神的にやられるとどんどん見た目がやばくなるよ。

ぶっちゃけ可愛くなくなるから。

それは嫌だ……。でも見た目は私がちゃんとしてあげるし体型は……うーん……。

それより別れることをお勧めする

嫌だ!!

精神というのは伝染するものです

欝も伝染るし、正常性も伝染ります

明るい子と一緒にいれば元気になるってことですね。

試してみます!!

病院に連れて行くべきだよ。明らかに鬱状態

共倒れにならないうちに行ったほうがいい。

精神科なんてそんな大したところじゃないよ?

怪我したり風邪引いて病院行くのと一緒。

でも普段の生活と無縁なのでハードルが高いです。

それに「自分病院に通っている」という事実がますます暗くしたりしませんか?

http://yucl.net/manga

ここの心療内科精神科ホームページにあるうつ関連マンガをよんでみることをお勧めします。

とりあえず「がんばれ」などの励ましは逆効果なのはOKかな?

ありがとうございます。これから読みます。

励ます場合は「私がいるから大丈夫」みたいに言っています。

それとチューします。

別に結婚してる訳でもないんだから別れればいいじゃん。

女として一番綺麗&お得な時期にもったいない

余計なお世話。好きな人が苦しんでいるのに見捨てるなんてしない。

見捨てたら死んじゃうよ?結婚はそのうちするし。

ブコメ

大丈夫だよー。私がいるよー。私が働くよー」その言葉は真なの?覚悟あるの?口から出任せなら相手に大変よろしくないと思うので。

真です。私は社会人正社員です。彼を支えるくらいできます。

彼も私を支えてくれますよ。一緒に助け合うのが「パートナー」です!

一緒に旧エヴァンゲリオンテレビシリーズから劇場版までを見てやってくれ。

エヴァは見てませんねー。私は途中まで、彼は全部見てると思います。今はハイジを一緒に見てますよ。

元々の性格もあるかもしれんけど、かなり大きいストレスがあって、それによって身体的調子を崩しているのでは。カウンセリングにつれていく方がいい気がする。

前から弱音を言うことはありましたが、泣いちゃうのは初めてです。大きなストレス就職のことかなぁ。

あと子供連れの家族見ると「自分はこういうのできないかも」って不安になるらしい。

急に心労の元が消えると、今まで気にも留めなかったことが病的に気になりメンヘル気味になる。とりあえずはバイトでもやらせ。

彼、バイトしたことないんです。

「その人が生きたある期間を」青春というのであって、TVなどで垂れ流されているものだけが青春ではない。どんなにどん底と思っていても「時間だけは有り余るほどあったなあ」と懐かしく思えたらいいね。

私といる時間青春にします。

二人で一緒にカウンセリングうけてきなさい、一番の早道。

二人で行けるんですか?うーん……。

田舎に帰ればいいよ。あとね、プレッシャーを消さなあかんな。責任感強い?

プレッシャーはいろいろあると思う。ただ励ますだけじゃなくてちゃんと聞いてみる。

田舎に帰っちゃうと寂しいなぁ……。

何で彼女がいるのか不思議

元気なときは可愛くていい奴なのです。

2009-01-13

オタク趣味の人たちばかりの職場にいたときの話

しがないプログラマーやってるんだけど、3年ぐらい前にオタク趣味の人たちばかりのチームに配属された。

休みに「長門有希なんて綾波レイパクリじゃねーか」とかで大激論していた。

全く話に付いていけなかった僕は、その二人はアニメキャラクターで、そのアニメYouTubeにあると教えてもらった。

(当時のYouTubeには、エヴァンゲリオンハルヒも全話アップロードされていた)

YouTubeでそれぞれ1話だけ見たが、よくわからなくて2話を見る気にならなかった。

それ以上に、「たとえ全話見たとしても、あの人たちの会話には入れないんじゃないか?」という思いが強かった。

芸能人の話題と言ったって、ドラマを全話見る必要ないし、サッカーの話題と言ったって、毎週ゲームをチェックする必要も無い。

名場面や名試合をネットでざっとチェックすれば会話に入れる。

でも普通の人がオタクの人たちの会話に入るにはかなり敷居が高いと思う。「プリキュアの黄色ってかわいいっスよねー」じゃダメなんだ。

結局そのチームには半年ぐらいいて、毎日のようにアニメ談義を聞かされたが、覚えていることといえば「昔、長門という戦艦があってアメリカ核実験で沈められた」ことぐらいだ。

http://anond.hatelabo.jp/20090113030035

自分語り(了)

DENPA!!!行って来ました。

ここ5,6年で一番いいpartyでした。

掛け値なしに楽しい!!!

昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。

内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント

ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。

とまぁ、ここまで書いて小休止。

自分は↓これ書いた人。

自分語り

http://anond.hatelabo.jp/20081223011009

自分語り(補)

http://anond.hatelabo.jp/20081223215937

自分語り(転)

http://anond.hatelabo.jp/20081224054429


「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、

どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。

んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って

まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。

以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。

でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。

(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)

ユリイカ増刊号『初音ミク』はほとんど読んでないのですが、

冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクアングラカルチャー』が抜群に面白い。

これだけで1,200円出す価値があります。今現在初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)

あと、情報量が多いのでメモ書き(コメント)でとどめます。

きちんと書いてる暇がないので。

では先に進みましょう。


//////memo//////

[前提]

テクノウチさんのブログ

自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説

http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html

自分語り134 - 「超ライトオタク」 で何が悪い

http://www.technorch.com/2008/12/134--.html

自分語り135 - 「超ライトオタク」 ゆっくりした結果

http://www.technorch.com/2008/12/135--.html


電刃主催者の点と線さんのブログインタビュー

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html

慟哭 (3)

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/11/post-15.html

点と線インタビュー

http://besidegames.com/feature/024-01


竹熊健太郎大泉実成の「おたく/オタク」に関する対話

第3回 オタク密教オタク顕教竹熊健太郎氏との対話(1)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php

第4回 オタク自意識竹熊健太郎氏との対話(2)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1123.php

第17回 オタクだけが残った〓竹熊健太郎氏との対話(3)

http://web.soshisha.com/archives/otaku/2007_1220.php


栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書講談社ブルーバックス,71頁より

生命】 = 【生きている細胞】 - 【壊された細胞



[目次]

1.「慟哭 (3)」を読んで

2.装置(罠)-学校。その後は?

3.人類知に帰ろう

4.あなたはどう思ってるの?

5.ブクマコメに対する返答

6.参照元

------

1.「慟哭 (3)」を読んで

慟哭 (3)

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/11/post-15.html


「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。

こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽ファッションverなのねと。

この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。

(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)

次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。

(補)

レディ・メイド

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89

「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、

便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品

デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と

美術芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。

(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)

ファインアート

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88


ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。

(余談ですけど、村上隆美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。

作品オタク的である・でないとかは関係ないです。

美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外美術界」では評価されています)

村上隆「これも芸術作品じゃね?」

ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」


(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)

ニコニコではちょっとあるみたいだけど)

(補の補)

電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。

電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味


2.装置(罠)-学校。その後は?

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より

庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。

はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、

ホントは「パラレルワールド幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?

(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)

映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味

http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html

俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、

それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。

現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。

アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。

(別にEUヲチでも構わない。もちろん)




3.人類知に帰ろう

ライトオタク

http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より

正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw

それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。

(中略)

僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、

それでも解釈知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学囚人なので、

僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。

庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。

関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)

(中略)

これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。

僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。

不恰好でも感動はほんものだ。

そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ

と感慨深くなりました。


marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より

文字打ちが大変なので割愛。

アート引用者注:「学問」という意味多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し

点と線さん、「ポジティブエネルギーと、それを循環させる回転運動がコンセプト」と返答

点と線さんが社会学フレームで世の中をすっきり見れるように、

若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。

年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。

カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)

あと、社会(工)学とかの立脚点がないままのポジティブって、

学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。

(「社会工学」について否定する意見もありましょうが、

最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)

鶴見済ですら

リタリン規制はやむを得ない

http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html

と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。

まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。

(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)

バンクシー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC

BUBBLE-B / アムロケット

http://jp.youtube.com/watch?v=54L9vxwpzN8

BUBBLE-B / バブルBのゆく年くる年

http://jp.youtube.com/watch?v=54L9vxwpzN8




4.あなたはどう思ってるの?

オタクって何?

オシャレって何?

大事なものは 何?過去現在未来歴史教養情熱創造破壊

疑問に疑問でお返しします。


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5.ブクマコメに対する返答

「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう

レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。

自分語り』のブクマコメ

clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチ決断主義者に仕立て上げるのは悪質

決断主義」って言葉意味を調べましたが、よくわからなかったです。

購入厨」みたいな言葉

fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタク自己正当化合戦に見える

そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、

化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。

(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)


自分語り(補)』のブクマコメ

fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ

「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。

熱くない人たちは隠れキリシタン的に「おたくではなかった」。

y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?

(『タイムマシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?

ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。

mkd5 オタクおたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは

「ヌルおた」は言語矛盾引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。

kanose 面白い。けど、ぬるオタ的なバッシングが昔はなかったかといえば、そんなことはないと思うなー。

ミーハーという言葉などで批判されていたんじゃないかと

竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。

個人的には「ミーハー」ってバカにする奴を馬鹿にしてたので、

おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。

6.参照元

は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。

http://anond.hatelabo.jp/20090115000935

おまけ

TRANCEジブリミックス集(修正版)【トランス

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156

フック

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%AF

ギミック

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AE%A5%DF%A5%C3%A5%AF






(追記)

ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。

"DENPA!!!"に行ってきたよ。

http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1

[音]DENPA!!!には超ライトオタクはいたんでしょうか

http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20090111#p2

[オタク]オタク!! DENPA!!! イエ!!!!

http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20090113/1231821064

お三方とそう変わらない印象。

3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。

ロンドンナイトは行ったことないけど、普通ライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。

僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。

テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w

NHKの方(ETVカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。

(こっそり追記)

metamix   きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、

その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。

要はその現場があるかどうかだから。

「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。

Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。

「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、

どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。

(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、

ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)

(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)



(おまけその2。佐々木渉さん、かなりクールです)

佐々木渉】  三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)

まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)

ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、

グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。

ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という

有り難いご意見をいただきまして(笑)。良いこと聞いたなぁと。

ユリイカ増刊号『初音ミク青土社、17頁)



(独り言)

ディスコクラブライブハウスイベントホール使用料、全部「ハコ代」って言うよね。

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081229235044

サイエンスフィクションの中でも『サイエンスが単なる道具扱い』のものは「SF風○○」に過ぎなくて、「ホントウのSF」とは『サイエンスを通して人間を描く』ものだ、というのがハードSFマニア感覚なのだと思う。

個人的には、SF『風』に見えても芯のしっかりした作品SFと言ってもいいと思うけど、その辺は人によって揺れるとは思う。

というわけで、○×つけてみる。一応左から「狭義」「個人的定義」の順。個人的にも×をつけたものは、一言理由を書く。

○○2001年宇宙の旅

××涼宮ハルヒの憂鬱サイエンスじゃない。)

××天空の城ラピュタスチームパンクっぽい世界観は面白いけど、これもサイエンスじゃない)

××風の谷のナウシカ(これは『ファンタジー』だと思う)

×?エヴァンゲリオンラストをよく知らないんだけど、使徒ってサイエンスなの?)

××ガンダム(後付で色々考証してるけど、作品自体は設定の細かいロボットアニメ。)

△○プラネテス

××エウレカセブンSFファンタジー、だと思う)

○×コンタクトこれはひどい幻想小説ですね。)

○○惑星ソラリス幻想だからダメっつーわけじゃなくてね。)

個人的な好みが境界線を左右する傾向は否めない。批判は甘受する。

ちなみに、うるさいこと言う人は『ハインラインでも「夏への扉」はダメだよね』みたいなことを言う、的なエントリがちょっと前にあったような気がする。

2008-12-29

SFって何?

理系大学院修士。「エウレカセブンみたいなSFって腹が立つ」と書いたら、そもそもエウレカセブンSFじゃない、と言われた。うん、自分でもSFに詳しくないというのはよく分かっているから、専門家からみると、そうなのかなぁ、と思う。そこで、「SFって何?」って聞こうと思ったけど、Wikipediaかなんかへのリンクを張られるのが落ちだし、定義文を与えられても、結局、個々の作品SFなのかどうか分からない。

そこで、最も広い意味SFと呼べそうな作品を実際に上げてみて、「この中でこれはSFと呼んではならない」という事例を集めた方が、「SFってなんですか?」ということが分かりそうな気がしたので、やってみる。

とりあえず思いつくままに、10個上げてみた。以下について、SF/SFじゃない/知らないの3択で答えてくれ。「この作品が挙がってないぞ」っていうのがいくらでもあると思うので、SFかどうかの判断も含めて勝手に追加してくれ。

2001年宇宙の旅

涼宮ハルヒの憂鬱

天空の城ラピュタ

風の谷のナウシカ

エヴァンゲリオン

ガンダム

プラネテス

エウレカセブン

コンタクト

惑星ソラリス

理系大学院修士エウレカセブンを見ているが、どうも、こういうSFを見ていると、無性に腹が立つ。最初、何で腹が立つのかわからなかったけど、ようやくわかったわ。

SF世界では、主人公の「気持ち」で世界が変わる。実際の科学では、自分の気持ちなんて関係ない。科学にあこがれようが、科学世界を変えたかろうが、いい論文を書きたかろうが、いい実験結果を得たかろうが、自分の「気持ち」とは関係ない。

関係あるのは、論理的に正しいかどうかだけだ。それを支えるのは、才能と金と環境だ。

SFを見ていると、「いい加減、こういう幻想子供に見せて、科学に夢を持たせるのはやめろ!」といいたくなる。結局、科学っていうのは一部の優秀な人間だけのものなのだ。優秀な人間頭が悪い人間あざ笑うための道具に過ぎないんだ。頭の悪い無能な人間は、優秀な人間を恨み、羨みながらも、彼らが論理的には正しいことを言っていることを認めなければならない。嫉妬と憎悪というのは、科学に最も似合う言葉だと思う。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

それでも、論理的に正しいものは認めなくちゃいけない。その恨みと嫉妬とやりきれなさが科学の美しさだと思う。SFでは、年端もいかない少年が、世界を救ったりするけれど、そんなヒーロー科学には、ごく一部しか存在しない。ヒーローになりたい人間は、科学者以外のものを好きになるべきだ。科学者ヒーローではない。

まぁ、嫌だったらSF見なきゃいいんだけどさ。こういう幻想を見ていると、憎悪がふつふつと湧き上がる。

追記:

なんだか、まとまりなく、てきとーに書いてしまって申し訳ない。

要するに言いたかったことは、「子供に下手に夢とか希望とか熱意とか見せんじゃねぇよ。世の中挫折する人が大半で、夢とか希望とか強固に持っていると挫折するのが辛くなったり挫折を認められずに時間ばっかりたっちゃったりするぜ」ってことなんだが・・・それってSF関係ないよね、うん。エウレカセブンにも直接関係ないのだから、言及すべきでなかった。申し訳ないなぁ。

作品としてみると、エウレカセブンは洗練されていていい作品だと思うよ。

エウレカセブン見ながら、あ、この部分的に似ていると思った作品

エヴァンゲリオン

 まぁ、比較しちゃうよねぇ。人とロボット精神的につながらないとうまく動かないという発想とか、いざとなったらロボットの方が意志をもって助けてくれるところとか、後は一部のグロいシーンが似ているな、と思った。が、似ているなと思っただけで伝えようとしているものは全然違うと思う。

風の谷のナウシカ

 最初のトラパーの波を読むエウレカ風を読むナウシカレントン技術者)→アスベル工房の街ペジテの王子)、対応そのままやん、と最初に思った。

映画ファイナルファンタジー

 惑星が意志を持っている点とか、抗体コーラリアンファントムとか、似ているなぁ、と思った。

惑星ソラリス

 星に知性があって、死んだはずの姉さんや父さんが表れるというのは、惑星ソラリスだろ。エウレカセブンは、一言で言うなら「スカブコーラルによって地球惑星ソラリス化する話」なんじゃないかなぁ。

七夕の国

 この作品は知っている人、すごい少ないんじゃなかろうか・・・マンガ寄生獣」の岩明均マンガ作品抗体コーラリアンが出た時に、建物や人が材質に関係なく球状に穴が開くシーンがいくつかあるけど、これ見たとき、「七夕の国」だ!!と思った。いや、似てるってだけで、参考にしているとは思えないが。

http://tod.cocolog-nifty.com/diary/2006/04/post_6919.html

この感想、すごい。俺も、理系ならこういう簡潔な感想が書きたかった。

まだまだ、誤解しているところが多かったなぁ。

ちょっと理解がおかしかったところがあったし、変にエウレカセブンに言及して申し訳ないなぁ、と思っている。

2008-12-26

救う必要は無い

ネットを見ていると非常に多くの人が現状を嘆き、憂い、悲しんでいる。モテない、就職できない、対人関係に悩んでいる。そういう人たちを見ると、何か力になれる事はないかと必死になって慰めの言葉を探したり、自分経験から何かアドバイスできることはないかと推敲を重ねて文章を書いたりしていた。そういう人たちをどうにかして救えないものかと考えないではいられなかったのだ。しかし、この考えは間違いではないかという事を最近考えるようになった。

第一に、おこがましい。

自分を顧みて自分は何ほどのものぞ、という事だ。高々ネット歴数年の自分のような凡人が、長年ネットに滞在する人々にアドバイスするなんて、釈迦に説法だ。もう議論なんて出尽くしている。定石、反論、オブジェクション、全部ご存知なのだ。知っていて、さらに嘆き、憂い、悲しんでおられるように素人目には見えるだけなのだ。

ネットで悩んでいるように見える人々のニーズの深遠など凡夫にわかるべくもないのだ。そのニーズとは、ただ共感して欲しいだけであったり、おっさんにアドバイスなどして欲しくないというものであったり、美少女からのみアドバイス募集中ということであったり、俺にアドバイスして良いのは東大のみということが前提条件であったり、いやむしろ偉そうにアドバイスする人を地球上から殲滅するのが目的であったり、そのニーズたるやわかろうはずも無い。

果たして自分は、全ての人のニーズを理解しているのかしらん、くらいのことは熟慮して、アドバイスすべきかどうかを吟味する必要がある。

いや、大体そういう人たちに対して、『嘆き、憂い、悲しんでいらっしゃると見ること』自体がおこがましいのだ。何らかの憐憫の情を感じている時点で、お前は何様だという事になる。彼らにとってみれば、そういう憐憫の情こそが、すでに押し付けであり、鬱陶しいものなのだ。

第二に、どうやって救うのか?

例えば、モテないという人を集めて、理想国家建設するという方法を考えてみよう。絶世の美女で性格が良い処女のみを集め、モテない人たちに配布するのだ。もちろん国家のために生まれてきた女の子は国で接収し、モテない男に配布するために英才教育を施す。条件に合う女性が少なくなれば諸外国から略奪するしかない。国民男子がこれはどうみてもモテるだろという男に成長したら国外に追放するしかない。これはモテない男にとっては良い国かもしれないが女性にとっては言語道断の国だ。

仕事が無いという人には、仕事を与えるしかない。これはもう、武装蜂起して不正私服を肥やす役人を廃し、適切な仕事のみを残し、企業を全て国営化するしかない。能力の無い人に不平が出ないよう、国民に等しく平等に仕事を与えなくてはならない。デスマーチと呼ばれる過酷な労働が無いよう、週休三日くらいにして給料は全員、年間1000万円。現在これ以上の給料をもらっている人から不満も出るだろうが、国民の5%にも満たないので、民主主義の観点からも無視して良い意見だ。ひょっとしたら給料が足りなくなるかもしれない。しょうがないので、国民財産は全て没収しよう。給料を支払うので問題ないだろう。変に貯蓄するから景気が後退するのだ。これで、国民全てに遍く仕事が行き渡るはずだ。

あれ? これってどこかでみた事があるような。理想を掲げて世界を席巻して崩壊した社会主義とか、資本主義に飲み込まれつつある共産主義とかいうものでは? 

もしくは、自由も無く、情報も厳しく制限され、インターネットなどもちろん無く、何かの拍子に一族郎党全て粛清される、村人同士が監視しあい、通報しあい、理想を夢見ながら働けど働けど暮らしが楽にならない、極貧に喘ぐ、小太りでメガネチリチリパーマのおっさんとその一族だけが栄華を尽くすような社会

今の日本クーデターを起こしてそんな社会主義共産主義独裁政権を打ち立てて、喜ぶ人がいるのだろうか? 誰が救われるのだろうか?

クーデターは極論としても、全ての人を救うなんて、方法が無いのだ。あるという方がどうにかしてる。アルファブロガーが「全ての人を救うたった一つの冴えたやり方」とか「人類遍くみんなを救う3つの方法」とか、釣り記事を書くくらいが関の山だろう。

第三に、すでに救われている

むしろ、今の日本社会主義共産主義独裁主義とかそういう世界に生きている人たちが、『三つの願い』を願って、それらを叶えてもらったような世界なのだ。

「字の読めない私に、情報(知識)を下さい。勉強をさせて下さい」

「働いた分だけでいいから、お金を下さい」

「自由を下さい」

今、世界に於いてこれだけの願いが叶っている国がどれだけあるのだろうか。

今の日本は、言わば一巡してきたような世界なのだ。モテない人を救うため、仕事が無い人を救うため、クーデターを起こして理想社会建設を目指したが、国がとんでもない方向に行ってしまい、民衆が民衆の力で民衆自身の願いを叶えたような社会なのだ。また一からクーデターから起こすような愚を犯せばいいのか。いや、すでに願いは叶えられているはずなのだ。

昔は賢人と呼ばれる為政者が国を治め、民を大事にしておけばそれで良かった。今は情報が溢れていて、誰もが賢人になれる。賢人になった民にはそれぞれの幸せがある。押し付け幸せ幸せではない。

ネット世界で悩んでいるように見える人は、すでに色々な選択をしている。今の日本では情報を得ようと思えば、いくらでも得られる。世界経済の知識の代わりにアイマス法律の知識の代わりに初音ミク雇用してくれる会社を探す代わりにエヴァンゲリオン、そういう形で常に情報を選択している。これはもう、すでに救われているのだ。

自由の名の元に、超ハッピーなのだ。つまらない仕事ストレスを溜めるよりも、萌え脳内麻薬を分泌しまくっている方が数百倍は良い、と自ら選択しているのだ。そういう英断を尊重すべきだ。もうすでに救われている。アドバイスの必要は無い。全てわかっていらっしゃって、しかも選択を終えていらっしゃるのだ。

ネットで悩んでいるように見える人に対して、何かをしてあげようとか、こうすべきとアドバイスするとか、する必要はないし、しなかったからと言って気に病む必要は微塵も無い。

放っておいて良いのだ。

彼らを救う必要は無い。

http://anond.hatelabo.jp/20081224191321

http://anond.hatelabo.jp/20090104165315

2008-12-24

おたくオタクヲタククラバー 「DENPA!!!」 ???

ライトオタク誕生

http://d.hatena.ne.jp/tokigawa/20081215/p3

こう思う人がとても多いのだろうなと素直に賛同できました。


ライトオタク誕生していない。ぬるオタ歴史から抹消されている

http://anond.hatelabo.jp/20081222122907

興味深かったです。

たぶん私と年齢が近いのでしょう、「そうそう、そうだよね-」 と過去を思い返す事柄が多く書かれており、フムフムとなりました。

まず、オタク文化ライトに消費する「オサレ」な層がいきなり現れたかというのは間違っている。急に出現したかのように感じるのは錯覚だ。

このように横断的に消費していく層というのはずっと以前からいる。急に出現したかのように感じるのはやっとそのような層の声がインターネットなどによってオタクにも届くようになっただけであり、または可視化しただけだ。これは「オタクはやめることができない」という勘違いにも言えることだが、今までオタク歴史を紡いできたのがガチオタクだけだったために、ライトに見える横断的な層というのが無視されてきたのだ。それによって近年、急に現れたかのように見える。だけど、ずっとずっと前からいたのだ。



例えば、クラブイベントを消費する層がオタク文化に流入してきたという風に書かれているが、テクノというのはかねてからオタク文化親和性が高かった。

たぶん日本で1番の集客・規模・トップアーティストの数だと思われるテクノお祭り 「WIRE」 ですが、今でこそおしゃれな若者クラブで遊んでいるような若者・若くはないがおしゃれな人・個性的でかっこよい人、などでフロアが埋め尽くされているように見えますが、私が見てきた範疇での観察ですと、2002年ぐらいまではお客さんのほとんどが、地味な、いわゆる「テクノヲタ」と呼ばれていた人達だったように思えます。

それは、同じように大規模なダンスミュージックイベント 「メタモルフォーゼ」 でも同様でした。

いわゆる「テクノヲタ」と呼ばれるような人は、私から見たら、まぁ、コミケにいるような人達と似たような外見だなぁと。

細かく観察すればけっこう違うんですけど、パッと見、同じ。

地味でおしゃれには興味がなさそうな外見の。

いわゆる「クラバー」とは、外見が全く違いました。

クラブでもテクノはかかっていましたが、「その場を楽しむ」クラバーと、アーティスト楽曲にこだわりを持つテクノヲタは、同じ場所で遊んでいるものの、全く違う人種のように見えました。

まぁ実際、何の業界でもそうなのですが、人間多種多様なので、簡単にいくつかにカテゴリ分けなんてできないのですけども。

実際にそのような外見の方とフロアで話をした事が当時の私には経験がなかった事なのでわかりませんが、彼ら彼女らは「WIRE」にも「コミケ」にも行っていたのかもしれませんね。

いや、きっとそうに違いない!と思いたい。

当時の私はと思い出すと、エヴァンゲリオンを欠かさず見てビデオにも録画し、プラモを作り、雑誌などでコスプレの女子を見て「キモーい!」とかおしゃれなサブカルな仲間と言いつつもコミケに憧れていたり、93年ぐらいから急に世の中に広まったように見える、電気グルーヴから知った、ジャンルでいえばテクノを聞きつつも、裏原宿系流行っていた頃でしたので、初期エイプやらバウンティハンターなどそのような服を並んでまでも買い身にまとい、そしてそのようなファッションと密接にリンクしていたメロコアなどのパンクバンドライブイベントに足しげく通うとゆう、まさにおしゃれとオタクを行き来する、「超ライトオタク」 だったのかもしれません。

そうゆう若者は当時多かったと思いますね。

確かに、「超ライトオタク」は今いきなり出現したのではないような気がします。

そして、「DENPA!!!」。

1度行っただけなのですが、まぁ、「クラブイベント」と呼んでしまうのは私はちょっと首をひねる感じでしたよ。

クラブ)とゆう場所で (DJ)(アーティスト)が (曲を途切れることなくつないでいく)

基本は同じなのに、どうしてこうも、私が長いこと遊んできた(クラブ)とは全く違うノリと人種なのだろう、と。

私はバンドロックパンク)のライブにも100回や200回じゃ足りないであろうってぐらい足を運んでいますが、DENPA!!!はそれともまた違うノリだったのですが、どちらかといえばこちらのライブのノリに近かったのです。

ステージの前のフロアでは。


そしてメインフロアサブフロアをつなぐ階段には、コスプレな方たち(美人・イケメソ多し、たぶん私服はおしゃれさん)が交流をはかっておりました。

このへんはクラブでの、初対面でも(目があったらニコッ→軽い会話を交わすものの特に深い意味はない→2度目に会ったら「こないだ会ったね!」と顔見知りになる→何回か会ううちに本当の友達になる)こんな感じのノリの図式があてはまっているのだろうなぁ、ここの部分はクラブノリか、と感じました。

ところがこれが DENPA!!!以外の 同人音楽イベントではあまり見られないように感じます。

(まぁ、私が行った事のある同人音楽イベントとゆうのもいくつかしかないのでその中での判断になりますが)

外見がまさに「オタクイメージそのまんまなオタク人達はそうゆう交流が苦手なようですね。

DENPA!!!と同じように (クラブ)とゆう場所で (DJ・アーティスト)が 曲を流しているのに。

だけど、どんな人でも話してみないと、どの程度ののめりこみかたでオタク文化を消費してるのかわからないので、「超ライトオタク」「ガチ」「ぬる」の度合いってわからないですよねー

やはり第一印象外見で判断されてしまうのって 避けられないのだな、と

外見が 「オタク」 な 若い子たちは、もう少しファッションに力をいれてほしい!と せっかくの若さもだいなし!と 東浩紀さんと同い年の私は思うのでした。

2008-12-09

http://anond.hatelabo.jp/20081209013900

でもエヴァンゲリオンラストみたいに、嫌なもの。劣等感を与えてくるものとしての他者をそれでも必要とするということかもよ。

2008-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20081207233141

20年以上アキバを愛好している人間から言わせて貰うと、「悪い」と断言できるものって数年前、中央通り店舗でも平気でエロゲー系のポスターPOP歩道に出てたときくらいじゃないかと思う。

裏に入ればそういうのがあっても仕方ない。だって売れるんだもの。あとその手の人たちは見てて楽しいんだよ。

昔ながらの電気街はどこだ?駅前でコンピュータパーツやゲームのチラシを配ってた店員の兄ちゃんはどこに行っちまったんだ?


売れなくなったから仕方ないんじゃない?

だって、売れないものをお店に出してるだけじゃ仕事にならないでしょ。

そういう風景に戻したければ、まずネットゲームを買うシステムを失くしてDELLAcerも含めてショップブランドPCの値段を全て15万円以上にする必要がある。

そこまでやれば、それなりにまた自作というか組み立てPCの時代はくるだろうしネットゲームが買えなければ少しは客足が増えるかもしれない。

時代は変わる。

個人的に秋葉原は好きだし、今でも無意味秋葉原に通い続けてるよ。

もちろん言いたいことはわかるし下手なパフォーマーがいるよりは、スケボーバスケしててその近くでインディーズが歌ってる風景のほうが好きだ。

でも俺が本当に好きだった秋葉原、というのはガンダムWエヴァンゲリオンが出てきた時代より前。

エヴァンゲリオンの大型ポスターやらPOPやらが歩道に出てきたとき、卒倒ものだったね。

何て恥ずかしくてかっこ悪い街になってしまったんだと思ったよ。エヴァンゲリオンだよ? あんなの中央通りで堂々とたくさん張り出されるなんて秋葉原も狂ったかと思った。

そんなものが出てくる前の秋葉原はさ、書院やコードレス電話ポスターやらがよく目について、ゲーム機ゲームソフトは言うまでもなくバーコードバトラーとかおもちゃ系もよく見かけた。

ああいう街が一番好きだったんだ。

そして今増田が思っているようなことは10年以上前に考えて、これも時代かと悟ったわけだ。

好きなものが変わっていくのは受け入れがたいときもあるけど、ここ15年くらいは特に変化が激しかったわけだし今更そんなこと思っても楽しくないだろうから新しい秋葉原を楽しむように心がけるのが一番だよ。

2008-11-29

Re: anond:20081129093133 または伝言ゲーム

http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html

なぜか元の元が消えているのでgoogleキャッシュ

http://72.14.235.132/search?q=cache:http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html&hl=ja

以下、わかりやすく翻訳しても長くて読みにくいのは変わらないので自分の読み取った結論を3行で書くと。

  • モノが違うんだから、原作アニメは違っていて当たり前。売るために同じにしたいみたいだけど。
  • 何を語るか、ではなく、どう語るか、で見るべき。それが今の時代だろうが。
  • 富野村上は全然違う。新房山本はまだ違っているけどやりにくい時代のなか先に進んでいる。見ている側、追いついてるか?

まあ、2ちゃんねるアニメ板界隈ではそれほど新しい主張ではないな、と翻訳しおわってから思ったけど。

では。

原作至上主義」のふたつの定義

  1. 作る側が原作に忠実であろうとすること。
  2. 見る側が原作に忠実であることを期待すること。

問題の提起

まあ、原作至上主義って言ってもいろいろ視点はあるよね。

  1. 原作(マンガとか)とアニメは見た目が違うよ
  2. 見た目が違うのに、原作をそのままアニメコピーなんてできないよ
  3. 見た目が違うのに「同じ作品だよ」と言って商売することが求められているよ
  4. 作る側も「同じ作品にしたいよ」「俺の作品にしたいよ」と言う人がいるよ(他にもいるかも)
  5. 見る側も「作品から生まれた発想を見たいよ」「なるべく忠実に再現してほしいよ」という人がいるよ(他にもいるかも)。

原作至上主義」って、これらの問題が混ざり合って出来てるよね。一応仕事だからこんな話があるのは知っていたけど、正直気にしだしたのは、noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言ったエントリに煽られたから。日だまりスケッチ×365とかかんなぎとかに関して「原作アニメのあいだ」とも呼ぶべきものが問題にされていて興味深かった。世の中わかった気がした偉い人が「統計学的な分析」とか「メディアが違うことを無視した分析」してるけど、この人は誰だかわからない、ってことは別にしてとても興味深いよ。

自分なりにまとめると、id:noir_kが「原作至上主義」について言ってることは、

ていうことだよ。

なので、この人の言いたいことはともかくとして、自分もその流れで「原作至上主義」について考えてみるよ。

批評」が利用する原作アニメの「間(あいだ)」という「ギミック

批評」って、見る側がするものだと思われがちだけど、作る側もするんだよね。作る側の批評というのは、過去アニメ作品とかアニメ以外の作品について、「批判」することなんだけどね。ガンダムエヴァンゲリオンはもちろん、アニメ以外のテレビ番組とか、ネットとか映画作品とかゲームとかコミックとか小説新聞美術作品とか、そのへんを「批判」するってこと。

みんなわかるとおり、今アニメを作る側の「批評」ってこんな感じだよね。

また、この辺が「新房昭之」「山本寛」あたりから始まる、ってのもみんなわかると思う。

まあこのへん「批評的な営み」って言うのかな、これ、

  1. 原作アニメがもの(メディア)として違う
  2. だから、表現としても原作アニメは違ってくる
  3. だから、アニメ原作を忠実に再現することなんか不可能
  4. でも今は原作アニメは同じものとして扱いたい(「横断可能性」)
  5. だから、表現として違うとか再現不可能とかそんな話は忘れる。

という流れを「忠実に反映」してると思うよ。

ちなみに、引用のうち、実写映画の技法、特に画面の構図とか物語の構成とか色合いとか撮り方編集の仕方に関する演出とか、に関するものは、それ出来るところが先にやったもん勝ち、っていう実情があるよ。

今はメディアミックスの時代だから、アニメ作る側も、原作アニメを同じものとして作ることが求められている。でも原作アニメって、片方は印刷したもの、片方は画面で音がついて動くものとして別のものなんだから違うものとして考えようよ、ってid:noir_kが「原作至上主義」に対して言ってることってなかなか良い意見だと思うんだ。

これらは仕掛けとして考えれば同じもので、見る側作る側はこの仕掛けを通じて共犯関係になる。そして「原作アニメが同じものとして作られるものだという空気」が、これらが、なにかを考えて作られたものだな、とみんなに思わせる目印になっている。この目印を越えて、今のアニメの演出が進むことで、アニメを作る側も見る側も、新しい批評が出来るとわたしは思うよ。

物語構造分析(未満)

こう書くと、ストーリーって重要な要素を忘れているのではないか、と言う人もいると思う。ただ、ストーリーって編集という演出の産物なんだよね。で、ストーリーは「ある内容」を「どう語るか」にあるわけだけだけど、「ある内容」ってもともと5から20個くらいのパターンしかないから、そこを評価しても仕方がない。「どう語るか」は批評対象になるかも知れない。ニューヨーク9.11テロを題材にした物語は無数にあるけど、それをどの視点からどのように語るかということが重要だということ。うっとうしく社会学で語ると、これが「批評空間」世代と「東浩紀宇野常寛ゼロ年」世代の差異だということ。後者はおもいきり戦略的に「物語論」へと反動的に回帰しているように思われるし。言い換えると、「表現論」派と「物語論」派がいるよね、ということ。

世代が新しくなってるから、「表現論」派の肩身がきわめて狭くなるのは当たり前だよね。現に、自分は「コードギアス 反逆のルルーシュ」が「表現論」的な演出を自粛した作品だと思っているし、そのあらわれとして「物語論」派から支持を集めることに成功してるし。そして、このアニメ2008年を代表しうるアニメだからね。

アニメーション歴史の忘却

アニメって、他のジャンルと比べても忘れられる度合いが例外的なほどに高いように思う。半年前のアニメさえ鮮明に思い出せないことの方が多い。これは何故だと思う?

それは、異常なまでに「物語」と「登場人物」(声優とか声優演技のしかたも含めて)が似ていて、なんか同じものの繰り返しになっているから。

アニメ以外の、コミックとかゲームはよく知らないんだけど、コミックを例に取ってみようか。まあコミックも簡単なパターンで作られているようにみえる。でも、「美術小説に関して明らかに規範的なテクニックを持っているのにもかかわらず、下手くそな画で馬鹿げた物語を語っている」漫画家が確かに存在しているのね。おまけに、存在しているのみならず人数も多い。

けれども今の時代、経済構造の都合でアニメ業界はそれができない。「原作のないオリジナル作品が作れない」っていう意味ではなく、「オリジナルなものが抑圧される」という意味で。俗っぽい例えだけど、「優れた直木賞」は受け入れられても「中途半端芥川賞」は抑圧されるということなんだよね。だから、ほとんどの作品が忘れられていくのは当然の事態なの。(より正確に言うのなら、「直木賞」と「芥川賞」の差もなくなっているし、アニメ歴史の問題というより、今アニメを作る人が信念を持って「特化」しようとすると、淘汰されるということかな。でも「特化」なんて言えるようになったのが90年代に入ってからのことなので、奇妙なねじれがあるようにみえるんだよね。この「ねじれ」を作家主義が引き受けたこと、そしてインターネット社会が同時的に誕生したこと、これが、「アニメーション歴史におけるヌーヴェルヴァーグ」〈山本寛の談〉と呼ばれる事態なのかな、とわたしは考えるよ。)

原作至上主義」は正しいのか、間違っているのか。

現代のメディアミックス時代における、アニメ作る側の「原作至上主義」、インターネット社会におけるアニメ見る側の「原作至上主義」。

相対主義を標榜するほどナイーブでもないので私見を述べると、どっちも間違ってる。

アニメ作る側がいくら「原作」を「模倣」しようが、メタフィクションパロディ引用自己言及、そして実写の早い者勝ち引用ゲームからは抜けられない。アニメ見る側がいくら「原作アニメはこんなに似てる」と言おうが、根本的にそれは異なるものだから。根本的に違うものなので、いくら似てると言っても意味がない。それとも、類似点を言っていればヘーゲルの時代に戻れるとでも思っているのかしら。

ヘーゲル小説のことを「市民社会ブルジョワ的な叙事詩」と定義した。要するにアニメの場合、「表現論」派に対して、世界の全体像の提示を旨とする「物語」派が復権するということは、奇しくもヘーゲルへの回帰をも意味するということ。言い換えればこれが「市民社会」論・「公共性」論・「安定的な社会秩序」を懐かしむことにつながると言うこと。でも、懐かしがって出来た物語は「秩序の混乱・解体→回復」という説話の構造でしかないし、その物語は「売れる=消費される」社会の現状維持的な肯定。果たして、それでよいの?

富野由悠季村上隆

ひっそりと深夜に放送されるアニメを作るのも見るのもまっぴらごめん、と言う態度は適切だし、ましていい大人、常識的な社会人が、という話なら正しい振る舞いでもある。

ただ、昔の人が反語的に言うような、アニメステータスシンボル(「オタクのしるし」とか)以上の存在価値を持ち得ないという議論は、あまりにも不毛で、杜撰で、素人じみている。富野由悠季まで戦略なしに不意に言うのを聞くと、断固として反論する必要があると最近思っている。そして逆に、圧倒的な「アニメコミック」表現に関する戦略性(プレゼンテーション歴史的な文脈づくり)で欧米諸国を震撼させた村上隆のような現代美術家に対しても、最近では諸手を挙げて肯定することは出来なくなっている。

富野ペシミズムと、ペシミズムの盗用により現代美術世界で名だたる作家となった村上隆

新房昭之山本寛

なんにせよ、この2人が、行き詰まっている現状でぎりぎりの戦略をとっていることは胸を打つ。この固有名詞が、アニメにやってくる。決して2人とも現状を抜け出すことには成功していない。2人ともテクニックはあるけれど、状況を突破するほどの何かを示してはいない。

でも、新房はテーマとの暴力的な遭遇(西尾威信小説アニメ化)によって現状を何とかしようとしており、山本アニメ作りと同時に言論活動を展開することで、自己弁明しながらも新しさを模索しているようかのようにみえる。

そして、まちがってもそれらは、『ef -a tale of melodies.』(※監督大沼心、監修:新房昭之)や『かんなぎ』のような作品で実現されているとは思えない。両者で見るべき点は、妥協および「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽ること」以外にないのではないか。

それから

けれども、「過度な演出によるスペクタルで視聴者の恐怖心を煽る」というとき、その恐怖心こそが、富野村上には見いだせないものであって。

くだらないテーマの指摘とか、原作アニメが違うだとか、ありふれた技法を指摘するだとか、歴史的にあれと似ているとか、そんな指摘は新房や山本が恥じらいながらも表現しようとしているものにまるで追いついていないのよ。

新・アニメ批評 アニメーションにおける「原作至上主義」について

というエントリを読んだ。

http://keiesworks.blog122.fc2.com/blog-entry-255.html

いや、読もうとした。

小賢しい!小賢しすぎて読めない!

なので翻訳してみた。

翻訳の過程でこぼれ落ちた何かに対しては、俺はまったく興味を持てない。

エントリの筆者にはこだわりがあるんだろうけどな。

はい、みなさん、こんにちわ、こんばんわ、おはようございます。さて、本日テレビアニメーション(以下アニメ)における「原作至上主義」という言葉について考えてみたいと思うのです。

1 原作至上主義のふたつの定義

 ざっくばらんに分けると、この言葉にはふたつの意味しかございません。

  1. アニメ製作者が、原作をできる限り再現しようとすること。
  2. アニメ視聴者が、原作の再現の度合いでアニメを評価すること。

2 問題の提起

 原作至上主義の問題について考えようと思えば、少し整理しなければなりません。

  1. 漫画小説アニメとは表現形式が違う
  2. だから原作アニメで忠実に再現するのは無理
  3. 原作至上主義は商業主義だ (増田注:途中までしか読んでないので、ここはまだうまく訳せていない)
  4. アニメ製作者には、原作を重視したい人と原作を壊したい人がいる
  5. アニメ視聴者には、アニメ制作者の意図を分析したがる人と、作品そのものを分析したがる人がいる

 原作至上主義の問題には、これら5つが絡み合っています。わたしは仕事がら、ずいぶん前からこの問題が気になっていました。けれども、真面目に考え始めたのは、「noir_kかくかたりき改めnoir_kはこう言った」さんの記事に触発されたからでございます。『ひだまりスケッチ×365』や『かんなぎ』などのアニメについて論じたエントリはとても興味深い。研究者職業批評家の分析と比べても、ずっと興味深いのであります。

 noir_kさんの立場を強引にまとめると、アニメ制作者は原作依存しすぎだということ、これがひとつ。もうひとつが、アニメ視聴者原作を無視し、アニメを重視しすぎているのではないか、というものです。

 そこで、わたしもnoir_kさんの視点に乗っかって、原作至上主義という問題について考えてみたい。

3 批評でよく言われている、原作アニメの間(あいだ)

 批評視聴者だけのものではなく、制作者のものでもあります。制作者が批評をするということは、先行する作品を批判するような作品を作るということです。『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』のようなアニメはもちろん、さまざまなテレビ番組インターネット映画ゲームコミック小説新聞美術作品などの批判です。

 現在アニメにおける批評行為は、新房昭之山本寛以降、“アニメ批判・パロディ引用自己言及”とまとめられます。これは誰の目にもあきらかでしょう。

 これらの批評行為は、原作アニメとで表現形式が違うので忠実な再現は不可能だということを忘れさせるような、ジャンルの横断可能性という最近トレンドを反映したものにもみえます。ちなみに実写映画の技法を引用するのは、早いもの勝ちですし、技術力の問題でもあるというのが、実情でございましょう。

 ですから、noir_kさんの立場が重要なのは、ジャンルの横断可能性が大前提とされている制作環境に、「メディアが変われば意味も変わるんだよ」という鋭いツッコミを入れていることであるように思われます。

ここまでで限界!もう無理!

2008-11-20

だめだめだめだめ。

識者の方々がオススメする本は難しすぎます。

あんたらが読ませたいターゲットはそんな難しい本渡されても、すぐ投げ出されるか、ナナメ読みされて知識として根付くこともないでしょう。

ニーチェがすごい、ドラッカーがすごい、とか啓蒙しても、残念ながら普及はしないです。普及してたらあんなにブックマークがつくことはないですもん。

まず、本を読まないひとってのは文章以外の場所から知識を仕入れるわけだ。だから難しい単語や日常会話に無い言い回しがあるだけで読み取り回路がフリーズ。もしかしたら比喩表現でも受け入れてもらえない可能性もある。専門用語が出てきたらシャットアウトだね。

もしそれを我慢して読もうとしても、1行を読み解くのに時間がべらぼうにかかる。初めての英文翻訳を思い出して欲しい。単語を端から訳して、並び順から日本語に直そうと四苦八苦する。だっていつも使っている言語の話じゃあないからね。文章を読まない人ってのは、そんなレベルからスタートするって考えた方がよい。活字離れが多くなっているとかよく聞くけど、この作業をするのが苦痛で逃げ出しちゃったんだろうと思うよ。

だから、別のアプローチをしようという提案をするわけだ。そういう層にも受け入れられそうなところから興味を持たせ、本当に読ませたい本に立ち会ったときに、すんなり受け入れられるように助走をさせてあげる何かを。

チャラい感じのヤツなんかだったら、ケータイ小説mixiだな。特にmixiなんかよいね。ケータイオンリーユーザ日記を書いていたらレスをつけないといけない文化を守る人が多いから、そこに哲学日記を書けば、相手を啓蒙することができるかもよ。

聖書だったら「アートバイブル」をオススメするべきだと思うな。やっぱり絵から入るのはよいね。知識や経験がないと文字から映像を作ることができません。手塚治虫旧約聖書ブッダのように宗教系の漫画を描いているからオススメ

アニメに抵抗がないなら話は早い。「エヴァンゲリオン」を見せれば哲学的な考えの初歩の初歩をかすることができると思う。おまけに聖書に興味を持たせられるかもしれない。

映像に興味がありそうな堅物さんなら「2001年宇宙の旅」なんか良いね。説明セリフが少ないわりに、なんだかすごいメッセージ性がつまってそうな映像だし、時々映画ランキングにも入ってくるからプライドの高そうな人にもオススメできるかもね(笑)。そこで一言「小説を読めば答えが書いてあるよ」とでも言えば、活字を読み解くことをするかもしれない。意外に平坦な文章だったよ。

いま挙げたものはいずれも「知っている人口が多い」ものだ。質問に対する回答が返ってくる確率は高い方がよい。ちょっとネットで探しても自分語りしてるひとはいるから良いことづくしだ。

もっともっと平易に伝える手順ってのはたくさんあるはず。プログラムを携わるひとならおなじみのグッドラッパー」となるべきアプローチをとるべきだと思うんだ。スタートしたらなんだか難しそうだったので投げ出しましたってのを無くす方向に持っていきたい。はじめの一歩はかんたんに。

2008-11-18

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメ貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだって、ウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

むしろ、オタク好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵アニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーション快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーション快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーション快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵アニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

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