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2011-04-14

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、独りでお酒をひたすら飲み続ける。

そんな姿を想像すると、どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で、

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりはほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろうお父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし、付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。もちろん、叔父さんも然り。

新年あいさつはおろか、全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

覚えてる限り初めて、会ったのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて、結構鮮明に覚えている。

ただ、覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったから、痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって生まれ育った家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、まるで自殺行為のように飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人をあんな逝き方をさせてしまったという事にひどく後悔している。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったってもうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない両親とは、今回の事で決定的な心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

あなたは亡くなった人に優しくて、生きている人には冷たい

耳を疑った。

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。ごめんなさい。

そうやって約一時間で、叔父さんはようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈だった。

膝に抱いた骨壷は、ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、懺悔と叔父さんの冥福、安らかな眠り、幸せな来世を祈るしか私にはできません。

本当にごめんなさい。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、

独りでお酒をひたすら飲み続ける。

テレビとか見ていたのかな・

そんな姿を想像すると

どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは

推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は

生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりは

ほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、

叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう

お父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし

付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。

もちろん、叔父さんも然り。

正月に、新年あいさつはおろか

全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、

つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

中3のゴールデンウィークに、亡くなった。

初めて、顔を見たのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて

結構鮮明に覚えている。

ただ、

覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったか

痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、

はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて

借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって練馬の家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に

家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで

叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を

気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人を

あんな逝き方をさせてしまったという事に

ひどく後悔している。罪悪感がある。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって

もうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、

こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない

両親とは、心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

他人事なんですね。

亡くなった人に優しくて

生きている人には冷たいと、母親に言われ

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって

叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。

ごめんなさい。

そうやって

約一時間で、叔父さんは

ようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。

膝に抱いた骨壷は、

ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は

私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて

勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、

懺悔と叔父さんの冥福

安らかな眠り、

幸せな来世を祈るしか

私にはできません。

本当にごめんなさい。

叔父の無縁死

昨日、一度しか会った事のない叔父さんを荼毘に付した

朝一番の斎場はとても静かだった。

到着してすぐに、お父さんから状況を聞いた。

部屋に入ると、引っ越したばかりで物も少ない小さな部屋で

叔父さんは布団をかけたまま息を引き取っていた。

部屋はエアコンがつけっぱなしで

部屋には500mlビールの空き缶が百本以上もあった。

叔父さんは黒ずんで、ミイラ化が進んでいた。


息を引き取ってから約3カ月後の発見だった。

俗に言う、孤独死、無縁死。

叔父さんを見かけなくて心配してくれたのは

同じ建屋に住む、管理会社のおばさん。

たまに声をかけてくれていたそうで

最近見ないから、管理会社に連絡してくれたとのこと。

本当にありがたい。そして本当に申し訳ないとおもった。

叔父さんの部屋は最近の部屋で、

ポスト窓がなく、窓も占めていたから密閉空間

から、臭いで発見される、というケースではなかったわけだ。

部屋中の空き缶。

叔父さんは3日に一度は酒屋に連絡して

部屋の中で飲んでいたらしい

もとから馬鹿たいに飲んでたそうで、

日5合缶8本とかザラ、だったらしい

想像してみた。

66歳で仕事も定年になり、家族もいないから、

独りでお酒をひたすら飲み続ける。

テレビとか見ていたのかな・

そんな姿を想像すると

どんな気持ちでいたんだろうとか

寂しさとか悲しみとか絶望しかイメージできなかった。

携帯の発信履歴から、息を引き取った時期がなんとなくわかった。

検死の結果、叔父さんの体には生体反応があったそう。

それはつまり、瞬間的に命が絶たれたわけではなくて

一定時間苦しんだ後に引き取ったという事だそうだ。

その時に、誰かに、お父さんに連絡することも恐らくできたはず。

でもそれをしなかったということは

推測だけど、そういうことなのかもしれない。

できなかったのか、したくなかったのか、しないと決めたのか。

それはわからない。

ポストに残されていた、叔父さんの携帯電話の請求額は

生きている間も、一カ月に1000円に満たない。

携帯電話パソコン社会と繋がる事の出来る現代で

パソコンを持たない叔父は、仕事以外に外との繋がりは

ほとんどなかったという事が読み取れた。

私も独り暮らしをしているから、

叔父さんの過ごしてきた日常が生々しく想像できて、頭から離れない。


しかったんじゃないだろうか、一人で辛かったんじゃないだろうか。

生きる希望も見つからなかったんじゃないだろうか。

から、助けの連絡も入れなかったんじゃないだろうか。

死んでもかまわない、なんて思ってたんじゃないだろうか。

その辛さを想像して、そんな叔父さんに何もしようとしなかった事への後悔、申し訳なさ。

考えるだけで涙が止まらない。

同時に、そんな状態にしてしまったと後悔してるあろう

お父さんの気持ちを想像するだけで、涙が止まらない。


叔父さんには何をしてもらったわけでもないし

付き合いもなかったから、

正直なところ死んでしまった事が悲しいわけではない。


でも、それがそもそも間違っていて、もっと、歩み寄るべきだった。

死んでしまった事が悲しくないほどの距離感を、ずっと気にせずにいた事だ。


お父さんがお兄さんと疎遠なのも知っていた。

お父さんとの両親とは、物ごころついたときから希薄だったし

我が家ではそれが当たり前になっていた。

もちろん、叔父さんも然り。

正月に、新年あいさつはおろか

全く交流がないまま約30年が過ぎている。

私が生まれてすぐに父の父、

つまりおじいちゃんに当たる人は亡くなっている。

私の生まれた次の月に。

おばあちゃんに当たる人は生きてはいたけど

距離的にも遠くないのにほとんど交流がなかった。

母親いわく変わり者で、連れてくるなというらしい

中3のゴールデンウィークに、亡くなった。

初めて、顔を見たのが亡骸だった。

その時の叔父さんの写真が残っていて

結構鮮明に覚えている。

ただ、

覚えているだけだ。

叔父さんは独身だったか

痴呆のおばあちゃんの面倒もずっと見てくれていた。

おばあちゃんが亡くなったのが15年前。

叔父さんは50歳を過ぎて、

はじめて独り暮らしになった。

仕事も、うまくいかなくて

借金が膨らんでしまったらしい

で、去年。

立ち行かなくなって練馬の家と土地を売ったお金

借金もなくなり、住み慣れた実家の側に

家賃4万円ほどでアパートを借りて住んでいた。

そして、それから1年たらずで

叔父さんは、一人で亡くなった。

誰にも連絡せずに。

おそらく、飲み続けたアルコールが原因。

彼が拒否をしたのかもしれないけど

私たちはもっと、叔父さんに歩み寄る、とか

気にかけてあげるべきだった。

もっと小さい時から、叔父さんの事を

気にかけていてあげれば、

父も叔父さんにもっと連絡していたかもしれない。

わかったいたのに、他人事だった。

自分に関係ないからと言って他人事だった。

自分の手の届く範囲の人を

あんな逝き方をさせてしまったという事に

ひどく後悔している。罪悪感がある。

最低だ。

後悔なんてしたって、罪悪感なんて持ったって

もうどうなにもできないのに。

可能性があったのに、

こんなことになるまで誰ひとり、何もしなかった。

本当に、本当にごめんなさい。

そして、後悔や供養の気持ちが見えない

両親とは、心の距離ができた。

「かわいそうだったね」

他人事なんですね。

亡くなった人に優しくて

生きている人には冷たいと、母親に言われ

正直、人としてどうかと思った。

親を、本気で軽蔑した

そうやって、私は家族と距離を置き

叔父さんと同じ道を歩んでいる気がしてならない。

叔父さんの死によって

叔父さんの気持ちが、わかった

ほんとうに辛かったよね。

ごめんなさい。

そうやって

約一時間で、叔父さんは

ようやく荼毘に付された。

骨は大きく頑丈で、とび職の名残なのかななんて感じた。

膝に抱いた骨壷は、

ずっと温かかった。

きっと、最後に会いたかった人は

私たちじゃなと思う。

見送ってほしい人は他にいたと思う。

なのに、私たちが最後でごめんなさい。

最後にいけしゃあしゃあと出てきて

勝手に後悔してごめんなさい。

ただただ、

懺悔と叔父さんの冥福

安らかな眠り、

幸せな来世を祈るしか

私にはできません。

本当にごめんなさい。

2011-02-04

仲介手数料無料より管理会社直接の方が得

最近、都内の不動産屋で仲介手数料無料にして客集めしているところがあるけど、そのほとんどの物件が、貸主(または管理会社)の不動産会社と直接契約出来るものばかり。

わざわざ仲介通すより、直接貸主(管理会社)に申し込んだ方が、家賃交渉や入居日交渉なんかスムーズに行くよ。

探せば簡単に貸主(管理会社サイト見つけられる。あたしゃ貸主直接で、フリーレント2ヶ月付けてもらったよー。もちろん仲介手数料無料で。

仲介場合、貸主から不動産屋に業務委託費とかい報酬を支払うらしいが、その分をまるまるフリーレントにしてもらった)

2011-01-17

光回線開通に関して、NTTの笑えないボケに青筋たててつっこみたい

すごい田舎に引っ越すことになったのだが、なんせ超田舎なんでADSLが使い物になるかわからない。

本当はワイマックス使いたかったけど絶対無理。定額でスピード出る回線はNTT光以外に選択肢なし。

ネットから申し込んだら、電話で連絡が来たのが4日後。普通民間企業ならこの時点で異常。

調査などに2~3週間かかるので、管理会社不動産屋)の了承が必要とのこと。連絡はNTTがする

と言うので電話番号を教えた。そしたら、その了承をもらうための電話を1週間以内に不動産屋にしま

すとか言うわけ。一週間以内じゃなくて今日にでもしろよ。

その了承を取るための電話だが、なにか問題があった場合はこっちに連絡を入れてくると言っていた。

いや、問題なくても連絡入れろよ。一週間のうちいつ電話をするかもわからない、月曜と金曜じゃ

えらい違いでしょ。さらにその間も不安になる。もし不動産屋で問題が無ければ、調査が終わる

2~3週間後までまったく連絡無しってことだろ。

普通企業だったら急いでる客をなんの連絡もなしに2~3週間待たせるなんて、ありえないと思う。

2~3週間なにも進展が無いのも問題だけど、進展なくても途中連絡いれるよ。まあオレはNTTの

得意客でもなんでもないですけど。電話がいやならメールでやりとりする体制整えればいいじゃん。

NTTに回線依頼すると2~3週間とか平気で言うけど、それを平気で言える神経がまず理解できないし

それを是正しようともしない企業体質が理解できない。それに調査2~3週間て一体なにをやってるんですか?

しい人教えてください。どんな調査よ。日本に1台しかない地底調査ロボットでも使ってるのか?

電話の続きだけど、下手すりゃ開通工事ができる状態になるのに一ヶ月かかるとか言ってるわけ。

ネットつながらないと困るんだよ。電気を1ヶ月止められるのに匹敵するぐらい困る。調査終わったら連絡

しますとか言ってたけど、もしだめな場合は1ヶ月後に、やっぱだめでした~、とか連絡が来るってことかよ。

その間なんも連絡無し?良心が痛まないか?結局いつ開通するかさっぱりわかりません。

企業日本光回線を乗っ取られるのも困るが、NTTはやつらと張り合えるように考え方かえろよ。

NTTの顧客対応は今の世間的な日本クオリティじゃない。

でも10年後も同じこと書いてそう。

2010-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20101202221640

個人的趣向↓

  • 玄関ドア近くに窓がない方が、相手を確認した上での居留守をしやすいので便利。

2010-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20101031205901

途中から、すぐには送れないから、代金を返金しますと俺らに言ってきて、「いつ金を返すか」っていう風になってる。

で、住所わかってるのは引っ越す前の住所で、引越後の新住所は管理会社警察しか知らない。

オークション詐欺に遭った

今年の6月オークション詐欺にあった。

被害額は約7万円。

証明付きで通知書を送るも返事はこない。

犯人東京に住む自称アーティスト

取引前に、相手から住基ネットカードスキャン画像が送られていた。

代金を振り込んだ後連絡は無く、数週間に一度「今忙しくて後で必ず送ります」という返事のみ。

同じ出品者から被害に遭った人がもう一人いて、最初はその人と連絡を取り合いながら返金するよう何度も犯人に求めた。

次第に連絡が途絶え、相手の住所から管理会社犯人の所在を聞いたところ、個人情報法にひっかかるからと個人名は避けたが、

該当の居室の住民は数週間後に引っ越す予定だという。

その後警察相談へ行き、詐欺事件として動いてくれないかと何度お願いしても、「証拠が無い」と応じてくれない。

警察が言う証拠とは、相手を騙す意図が確認できるものだと言う。

差し戻し請求の拒否や、債務不履行の通知書の無視、さらには引越後の住所を知らせないなど、私としては十分詐欺にあたると思っていても、ダメなようだ。

住基ネットカードに載っている住所や本名、顔は合成ではどうやらなさそうだ。

ネットで調べてみると、myspaceに同じ顔でお化粧した本人が載っており、さらに某巨大SNSでは彼が所属するバンドコミュニティがあり、

そこでファンらしき人が彼の誕生日についての発言が、住基ネットに記載された出生日と一致している。

個人情報は本物で、私たちに「いつか払いますから」と言い続けているうちは、警察は動けないそうだ。

もう一方の被害者少額訴訟を起し、通知書を犯人に送ったが返事が無いという。

住所がわかっていたときは、犯人の自宅まで行こうと思ったが、警察官曰く「逆に脅迫罪で訴えられる可能性もあるからまだ動かないで」という、

じゃあ一緒に来てよといっても、「民事不介入」の一点張り

バカバカしくて悔しい。

Youtubeにも彼の歌っている映像が出ている。

どうせお金が帰ってこないなら、これまでの経緯すべてをネットに公開し、彼の音楽活動にダメージを与えるくらいしか思いつかない。

ただ、絶対的にYoutubemyspaceSNS上の彼が、犯人と同一人物だという確証は無い。

何か打つ手は無いだろうか。

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