2010-02-19

抱きしめられるように

 最近になって彼女との電話口論になることが多くなった。不安定というか、やつあたりというか、はげしい口調でなにもかもを否定的に言う。

「あんな上司の下じゃ、きっと、いつかつぶされる、私のこと嫌ってるし」

子どもなんて考えられない、こんな世の中で産めるわけない」

 ぼくはそれをなだめながら聞き、いやでもさ、と口を挟む。

「それすごく先のはなしだし、今から心配しても仕方ないし、第一まだ」

ヒステリックな女との結婚なんて考えられない」

「ちがうよ、でも、それ今決めなければいけないの?」

 電話口の彼女の声はエスカレートしつめ寄るように鋭くなって、徐々に矛先がぼくにむかうようになると、口論になるのはほぼ間違いなくなる。いや、それよりも前に、あまりに否定的な見解にお説教じみた言葉を投げかけ始めてしまうこともある。彼女よりぼくの方がだいぶ年長だから、その言いようが子どもじみていて、甘い考えに見えるからだろう。

「そんなこと言っていたら、ほんとに首になるよ。そんな甘くないよ、会社

 ぼくの脳裏には、凄惨会社にやめるように圧力を掛けられた記憶が蘇り、ぼくがみた社会の冷酷さの一面を彼女は理解していないのだと思ってしまう。

「そうなったら、せいせいだね。漫画読んで、テレビ見て、映画見て、ずっと楽しくすごす。あの会社入りたかった会社じゃないし、仕事も楽しくないし。あなたはいいよね、楽しいんでしょ、会社?」

楽しいときもあるってだけだ」

「じゃあ、いいじゃない、私ぜんぜん楽しくも何ともないもん」

 こうなると両耳で非常ベルがジリジリジリジリと鳴る錯覚まで覚え、危ない、このままでは彼女落伍者になってしまうと、そんな危機感だけが脳内を旋回するようになり、それが超大型の爆撃機となって、鋭いクラスター爆弾の雨あられを投下してしまう。

 あぶない、あぶない、あぶない、止めなきゃ。

 その一心で、彼女の心が焦土になる危険さえ冒して、鋭い言葉を投げてしまう。

 そんなことをしたら彼女を傷つけるだけなのに。

 もっとひどいのは彼女の矛先が自分に向かったときだ。それはさながら決闘のようで、お互いの価値観をぶつけ合って、はげしいつばぜり合いになる。

「だって、あなた給料安いし、そんなんで生活できるわけないし」

「なにいってんだ。この業界では高い方だし、これはこれで」

「あーあ、これで彼が弁護士かなんかだったらな」

弁護士だって、一流二流以外はたいして変わらないよ、今は。それにそんなつまらない仕事しても、面白くも何ともなくない? クリエイティブじゃないし。人のもめ事に首突っ込んで、解決料をもらう仕事だよ?」

「あなたの仕事もたいして変わらないんじゃない?」

 まるで、剣を撃ち合わせるように、キンキンキンキン、と鋼と鋼を撃ち合わせるようで、お互いが意地っ張りで、プライドが高いという事もあって、泥沼と言うよりもつかれるまでする、決着の着かない果たし合いのよう。

 キンキンキン。

 最近どうも、果たし合いばかりしている。

 彼女が一番鋭いところを出してきたときに、ぼくの中に対処できるところが鋭いところしかなくて、それで、剣を出される、剣で受けてしまう。

 それでも、ぼくが彼女が好きなのはそんなところで、プライドが高いと言うよりは高潔で、一種の高貴さみたいなものがある。ふざけたり、馬鹿にしてみたり、いじわるをしてみたりする事もあるけれど、それは手管の一種で、ふしぎと俗悪な感じはしない。ぼくも似たもの同士で、彼女が手管を使う代わりに、どちらかというと間合いをとって相手をなだめることが多い気がする。

 それが、こんな年下の彼女真剣で、抜き身の刃で撃ち合えるなんてと、驚きはするのだけど、何か違うのだと、何か自分が間違っているのだと、最近になって思うようになった。

 喧嘩はもちろんストレスフルだけど、それでも、ぼくに真っ向から立ち向かえない人を好きにはなれない。一対一で真剣勝負も辞さないぐらいでなければ、対等になれないのは当然で、ふしぎと彼女は対等の喧嘩ができる。

 彼女がどう思っているかは分からないけど、ぼくには、ぼくと彼女のやり合いは対等だと思うのだ。

 つい先日、ある作家短編小説を読んだ。

 嫁と夫がささいな事で言い争いになり、どっちが正しいかを突き詰め合わずにはいられなくて、それで喧嘩になる。それが、知的プライドに根ざしている事が暗喩されていて、その話を聞いた友人が、深刻ではあるのだけど、平和的だなとか言うような小説

 その短編ではひたすらに女性側の心理が描かれる。

 それを読んで、うわ、これだ、これ、理解していないんだ、ぼく、そう思った。

 もう彼女理不尽な反応を受けるたびに、どんだけ、女性心理を書いた本を(漫画小説)読みまくったかと自慢しても仕方ないのだけど、その短編を読んでまたショックを受ける。

 その中で、嫁の、ちょっと至らないんじゃないかと思われる部分を指摘する嫌な(笑)夫が出てくる。その指摘は至極まっとうなのだけど、主人公は主人公なりに事情を抱えていて、その辺が交錯している。結局の所、夫も嫁も、まあそれって愛している&憎む部分もある=愛憎だよね! であいまいに終わるので、結論は出しにくいのだけど、その心理が乖離していく様子を見て、ああ、これだ、これか、と思ってしまった。

 なぜ、ネガティブネガティブで受けるのだろう。

 敵対に敵対で受けるのだろう。

 そう思ったときが衝撃で、というか、彼女の剣、自分の身体に突き刺さったコレクションにすればいいんじゃない? 剣を剣で受ける必要なくない? 彼女が刺したいだけ刺させてあげればいいじゃん。そんぐらいではびくともしない、かもしれない、力があるんだから。

 と思った。

 つばぜり合いはいい。

 でも、彼女が発している鋭さは受けよう。

 この身で受け止めよう。

 ここに刺さるのを甘受しよう。

 そして、彼女が十分に戦ったと満足したなら、その痛みをこの身に受けよう。

 刺されようと、そう思った。

 それでも、びくともしないぐらいの強さを渇望している。

 つよくなりたい。

 彼女がいつ刺してもいいように。

 それで、びくともせずに、抱きしめられるように。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん