2009-03-03

ある韓国人感想。「日の丸君が代を敬わない日本人は信用できない

(注意:ここで、日本過去の罪に関しては述べない)

個々人が日の丸君が代をどう思っていようと、日の丸君が代現実として日本国旗国歌である。

卒業式シーズンである昨今、君が代を歌う時に着席するよう教育する親がいるらしい。歌わずに着席する事は、生徒の権利だと吠える教師もいる。「韓半島中国人間強制連行した歴史がある」などというのが、その理由らしい。しかし、日本に住む韓国人である私から言わせて貰えれば、それは恐ろしく無責任な態度だと言わざるを得ない。

何故なら、それは国旗国歌に託された日本の「誇り」も「罪」も、全て自分には関係ないと言っているのと同じだからである。日本過去を良い面も悪い面も完全に否定し、さらに自らは日本人ではないと主張する行為に他ならないからである。

このような人間が「かつて日本韓国に酷い事をしました。すみません」と土下座しても、意味がない。何故なら、その土下座している人間日本人ではなく、単なる無国籍者だからだ。はっきり言って、そのような人間の謝罪など、冷めた目でしか見られない。

極端な話、アメリカ原爆投下をセネガル人に謝罪されても、日本人は戸惑うしかないだろう。それと同じ事だ。私は、日の丸君が代を敬わない人間を、日本人だとは認められない。

日の丸君が代を敬わない人間は、単に自分達の祖父母が気に入らないから、そこから逃げているだけだ。韓国人のためと言いつつ、結局は自分を可愛がっているだけである。その行為は、韓国人をも踏みにじる卑劣極まりない行為である。

そもそも、血塗られていない国旗など存在しない。我が祖国太極旗も血に濡れている。独立を求めてとはいえ、日本軍人警官太極旗の元に殺されたのは紛れもない事実であるし、さらに韓国史上最大の悲劇ともいえる韓国戦争朝鮮戦争)では、太極旗が翻る空のもと、数え切れない同胞が殺し合った。

デザインが気に入らない」「歌詞が少しおかしい」「ドイツのように変更すべき」等、様々な理由で国旗国歌を変更する事はあり得る。デザインの変更という議論はあっても良いだろう。

しかし、現実法令として国旗国歌が「日の丸君が代」と定められている以上、法的に変更されるまでは日の丸君が代に対し、日本人は敬意を示さなければならない。そういう「罪深く誇り高い日本人」相手ならば、我々は腹を割って政治的な話をする事も出来るだろう。

しかし、国旗国歌存在そのものを否定する……すなわち、日本人として不完全な……どこの馬の骨とも知れない人間相手には、我々韓国人は熱く語る事すら出来ないのである。

言いたい事は一つである。

国旗国歌存在そのものを否定する日本人よ。それでも日の丸君が代が嫌いだというのなら、勝手にするが良い。しかし、その理由を韓国人に押しつけないで欲しい! それは、結局は国旗国歌を大切にする「普通感性を持つ日本人」を、韓国嫌いにするだけだから。

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