はてなキーワード: ボーイミーツガールとは
マガジンやサンデーと違って、特別別格に可愛いヒロインがいるというわけではない。
それなのにごく稀に現れた別格に可愛いヒロインがいたら、腐女子が何故か騒ぎ立てて存在を抹消されるか、リナリー・リーのように没個性化される羽目になる。
そもそも少年誌なんだから、少年がヒロインのために悪と戦う構図が王道なのは当然なのに、そして、ジャンプ漫画というのは古くから伝統的に少年がヒロインの少女を守るべく立ち上がって出会った敵と闘い、仲間と切磋琢磨して成長して行く物語が主だったりするのに、昨今のジャンプ漫画の人気作品には殆どそれが見られない。
一体何に支えられているのか、不思議でならない。
ネット界隈ではやはり、というか腐女子が作者の物語をアンケートなどによって強引に捻じ曲げているのでは?と見る向きもあるが、最終判断はあくまで作者の意向に委ねられているから、それも難しいかなと思う。
いずれにせよ、天下のジャンプ漫画である以上、腐女子向けに描かれる必要性は皆無だし、そんなに腐女子向けがいいなら少女漫画とかレディコミとかでやればいいわけで、
ジャンプにそういう外道を持ち込むなと長年ジャンプを愛好している私は訴えたい。
しかしながら、アンケート至上主義の編集部がアンケートの結果如何で全ての事を決定しているとなると、今後も腐女子の意向によって外道漫画が増えるのは間違いない。
けれど、それでいいのか?
いいわけがない。
何故なら、ジャンプ漫画はあくまでボーイミーツガールを主とした少年漫画でなくてはならないからだ(懐古的な私見であるが)。
その意味では、昨今外道漫画たちは友情とかいいながら、少年漫画から逸脱した、性的な意味での男の友情物語が描かれ過ぎている。正直吐き気がする作品が多々ある。
先日起こった黒子のバスケ脅迫問題にしても、やはり外道作品だからこそ道から外れる犯罪者が生まれたんだと考える。
昔のジャンプであれば少なくとも読者が世間を騒がせる犯罪行為に走るなんてことは殆ど全くなかった。
ジャンプはいつから少年諸君に夢を与える雑誌でなくなったのだろう。
ワンピースやナルトが売れて、確かに全盛期に近い売り上げを誇ることになったが、しかし全盛期に迫るかというとそうではない。
明らかに購買層が変わったせいもある。
恐らく硬派な漫画が好きな層が、この外道な現象に失望して、あるいは幻滅して他誌に乗り換えた可能性も否定できない。
少なくとも私は購入しなくなった。殆ど立ち読みで済ませるようになった。
それは単純に漫画がつまらなくなったというより、読みたい漫画がジャンプになくなったのだ。
今、巷では売上げが伸びていると言われているが、だからどうしたというのだ。
ライトノベル談義か?こんなのもあるぞ。
星虫:典型的なボーイミーツガールだが初版1990年 新装2000年とラノベにしては10年生き残った上に、今でもシリーズが続いているような・・・終わっているよなw シリーズ。
個人的には、こういうボーイミーツガールこそ、ラノベの典型だと思われ。
ベントー:(学校の怪談などと同じ 世界の敵と戦わない系) ラノベというと魔王を倒すのがパターンの1つだったけど、最近は、魔王を倒さない系という以前に魔王がいない系。
本作のテーマは、スーパーの売れ残り弁当の奪い合い。 そんなテーマでもう6冊出ているんだからさすが、ライトノベル。
七姫物語:女の子が主人公で、恋愛要素が薄い。歴史に挑む無力な女の子の戦いという視点。(仲間の武将は無双はいってるというのが、ラノベ)で、ラノベらしい。
生贄のジレンマ:ラノベから始まって、ラノベ棚におかれないんだが、メディアワークスがだしてるし・・・大人向けラノベ? いわゆる政治ものふうセカイ系とでも言うべきか・・・恋愛そっちのけで殺し合いです。
あと・・・ラノベの王道といえば、黄金拍車は、いつ再開するんですかと・・・
※あぁ、星虫は2009年にも復活して・・・20年・・・増版されてつづけているのね・・・ライトノベルが20年売り続けられれば、読み捨てとは違う
もしくは、いかにして物語るために構成を必要とし、また必要としなくなったか。
「けいおん!!には物語が無く、その構成とはつまり、ついに物語ることを止めてなお作品であり得ることを示した」
この言説は、正しくもありまた正しくもない。
つまり、どの時点と比較して、何と比較してという点を明らかにしていないから矛盾が生じうる。
まず第一話にて平沢唯がギターを弾いている。それに合わせて主人公達が楽器を持って登校する。
これは前作からの繋ぎであると同時に、その成長を感じさせる。練習は新歓ライブのためのモノだ。
そして最終話は(番外編と銘打たれているが)、中野梓がまたギターを弾いている。
練習は新歓ライブのためのモノだ。それに合わせて主人公達は、楽器を持たず下校する。
非常に明確な代替わりの話であり、また、その前段の担任宅への訪問もそれを連想させる。
つまり、主人公達は居なくなるわけでも、物語が終わるわけでもなく、続いている。
写真を見る山中さわ子は学校に居続けるし、その彼女もまた高校生だった過去がある。
そして、当時のメンバーが訪ねてくる。
主人公達の話の枠外にも時系列が存在し、続いているという強烈なメッセージでもある。
さて、ではなぜこれを物語が無いと言って正当性があると言えるか。
演劇、特に高校演劇では顕著だが、ストーリーテリングにはいくつかの手法が確立されている。
簡単に説明すれば、
これらは誤解を恐れずに平たく言えば「日常には何も起こらない」と言っていることと等しい。
会話劇であって会話が無ければそれは劇ではない。そう言っているわけだ。
ごく当たり前と言える。
(何もない日常を描く場合、大抵それは通常でない人たちを集めた3つめの手法であることが多い。
たとえば究極超人あ〜るの何もない日など)
そう言う意味で、
ストーリーを動かす外部性が無く(イベントは起こるが日常を進める要因ではなく)、
外部性のみで描き出すわけでも無く(場面と場所は設定されているが、起こるのは日常)、
そこにはストーリーテリングが存在しないと言ってしまっても良い。
ここまで敢えて触れなかったが、「テーマ」もしくは「観客の感情を揺らすなにか」が演劇には必須であるとされている。
「何が主題なのか」「喜怒哀楽のどれを意図したモノなのか」が必要であると言われている。
サザエさんやドラえもんは、その環境(場面、キャラクタ)から何かを伝えようとしている。
(これは演劇屋さんによって言うことが違うので、酷く難しい問題ではある。「何を伝えたいか」と言い換えても良い)
ではボーイミーツガールでもなく、社会批判でもなく、人間の愚かさを示すわけでも、爽快感を意図したモノでもなく
「けいおん!!」は何を伝えたいのか。
成長と代替わりをずっと行おうとすることから何を伝えるか。
写真が記録の代名詞として何度も登場することから、そして色味を変えて何度も描き出すことから、それは「郷愁」だと言える。
いや、それは「同調」でも良いかも知れない。「憧憬」かも知れない。
「期待」かも知れないし、「絶望」かも知れない。
そう、過去があり未来がある「高校生活」というある時間と場所を切り出した作品なのだ。
外部性はなく、主張も見えない。
高校というシステムの永続性を描き出して、何も起こらない。
高校という枠の外にも時間軸があり、写真で時間を止めてもそれは切り出した一部であるという明確なメッセージがある。
つまり、一般的な過去の「こうすれば何かを相手に伝えられる」という手法からは逸脱した作品である。
そしてまた、日常生活を丁寧に描くことでそこに思い出と永続性と一時的な時間を同時に表現している。
始まりと終わりがある物語ではなく、始まりも終わりもない物語ですらない。
始まりも終わりも無い桜高軽音部を枠として、その枠の始まりから終わりまでを丁寧に描いた作品。
伝えるために手法を必要としていない、より原初の演劇。
このラノベは今から約10年前に始まった全10巻のシリーズです。魔術士オーフェンシリーズで大ヒットを飛ばしていた秋田禎信氏の新シリーズで、奇数巻と偶数巻で主人公が違うという特徴を持っていました。今回話題にしたいのは奇数巻シリーズのfrom the aspect of MIZUです。
このミズー編、あるシーンが非常に強烈でした。ラノベ脳に染まっていた自分に、もっこりハンマーを実際に食らったような衝撃を与えてくれました。どこがそんなに強烈だったのかちょっと他の人にも知ってほしい。というわけで、その衝撃について解説しつつ語ってみようと思います。
まず主人公は辺境最強の女暗殺者、ミズー・ビアンカ。当然のように美人です。クールビューティーです。裏の情報屋のアジトに向かうときなんか、冷静に見張りに話しかけ冷静に見張りのあごを砕いてアジトに入り込みます。クールです。強いです。そして情報屋ともクールなやり取りで自分の要望を飲ませます。頭も切れるいい女です。そして彼女はある敵に遭遇します。相手は通り魔的な殺人鬼。名前ありません。モブです。つまるところやられ役の雑魚といったところなんですが、ミズーさん、彼と戦って勝ちはしたものの左足を負傷し出血多量で昏倒してしまいます。しかし、最強という言葉があまりにも意味をなさない魔術士オーフェンという作品を世に送り出した秋田氏の作品です。このくらいでがっかりしてはいけません。それに、本番はこれからです。
足を怪我して自由に身動きを取れなくなってしまったミズーを助けたのは、アイネストと名乗る青年でした。金髪長身痩躯の優男です。彼は学者らしく、ミズーに興味を持って彼女を観察していた、と言います。クールビューティーミズーさんは超冷たい態度で彼を追い払おうとしますが、なんだかなりゆきでアイネストと道中を共にするはめになります。なんていうか、王道です。ボーイミーツガールです。いや、ガールミーツボーイか。とにかく、クールビューティーで強いお姉様とちょっと間抜けでやわな優男のでこぼこコンビの出来上がりです。王道だ、そう思っていました。
さて、当面の間はミズーはアイネストに冷たいままです。当時この言葉があったかどうか定かではありませんが、いわゆるツンデレです。いったいいつミズーはアイネストにデレるのかな?それを楽しみに巻を読み進めていきました。
続く3巻では間抜けに見せかけておきながらガチでミズーのことを観察していたアイネストに、ミズーは心の弱いところを突かれます。ここもニヤニヤしながら読んでいました。あー、アイネストはなんだかんだいってミズーのことよーっく判ってるんだなー。ミズーからしてみたら今のアイネストは怖いだろうけど、でもそのうち頼るべき人になるんだろーなぁ。いつその時が来るのか、楽しみだなー。なんて思っていました。
…、思っていました。話が進むごとにアイネストは道化の仮面を脱ぎ捨ててだんだん冷酷になっていきます。ミズーを好きに操るために何重もの罠を用意してミズーを脅したりすかしたりします。ミズーもそれに応じてアイネストへの憎しみを募らせていきます。それでも思っていました。クールな素顔のアイネストもいいなー。相変わらずミズーには嫌われっぱなしだけど、なんだかんだいってアイネストにとってミズーは重要な人みたいだしなー。こういう仲の悪い会話をしておきながらも話が進めばいい感じになるんだろうな、ああ、王道。なんて。思っていたんですが、衝撃の瞬間は唐突に訪れました。
7巻、237ページ。アイネストとミズーの会話シーンで、ビンタが飛びました。ミズーからアイネストに対して?いえ、アイネストからミズーに対して。頭に大きな?マークが浮かんでいるところに畳み掛けるようなアイネストの台詞が。
「まず言っておこう。君と一緒にいるのは、ぼくにとっても甚だ不愉快だ」
もう、このときの衝撃と言ったら筆舌に尽くしがたいです。あれ?この二人って修復しがたいほどに仲が悪いの?アイネストはなんだかんだいってミズーのことが好きで、いつかミズーもアイネストに転ぶんじゃないの?でも、一瞬後に気づきました。ああ、自分はなんて馬鹿だったんだ、と。真面目に考えて、自分のことを利用しようと罠にはめる男に対して恋愛感情なんて芽生えません。真面目に考えて、はなっから自分のことを嫌っていてことあるごとに襟首締め上げてくるような女に対して恋愛感情なんて芽生えません。何夢見てたんだ、自分。
いや、そこを夢見させてくれるのがラノベなんじゃないか!ごもっともです。でも、この作品はなんていうか、そういう夢&冒険&恋のエンターテイメントをラノベとするならば絶対にラノベとは呼べません。世界観はファンタジーなんだけど、人物まではファンタジーじゃないというかなんというか、徹底的にリアリズムを追求しているというか。話の途中でミズーさん全治3か月の重傷を負って素直に3ヶ月間病院に入院してますし。入り口は最強の女暗殺者と最強の精霊を瞳に宿した少女を主人公として2本立てしてとても厨2病っぽい設定だったりするんですけど、中身はまるで違っていてそれがすごいです。
さて、そんなびっくりアタックが待っているエンジェル・ハウリングですが、じゃあつまらないのか?と聞かれると、そんなことはない!と声を大にして言いたいです。この物語で語られている、信じるものと愛についての誠実な考察はとても面白いです。
12月に発売される秋田禎信BOXにはオーフェンシリーズの後日談とともにこのエンジェル・ハウリングの後日談も収録されています。エンジェル・ハウリング?知らねー、オーフェンだけ売ってくれりゃいいのに、などとぼやいているそこの貴方!多分この世で1番ラノベらしくないラノベを読了する時間は十分にあります!ぜひ一度このシリーズに挑戦してみてください。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51176821.html
えーっと始めに言っておくとNTRおよびMC属性がある僕には美味しい事件でございました。むしろ作者の方向性からしてシンプルに見えて蓋を開けたらグロテスクというのは見所だと推測し、この騒動を聞いたときには「ぉぉやっときたか!」というwktk感があったものです。
かんなぎラジオでも監督と脚本が「アルコール度数低いと思ってたらなんだこれ濁酒だった(笑)」と話していたように、見かけ上は少年誌漫画の体裁を取りつつも、鋭い社会風刺とシリアス・鬱展開を内包し、ドロ沼へ徐々に滑走していく作品であることは巻を進めるごとに明らかになっていき、それがこの作品の魅力であったように思うのです。
ただもちろんターゲット層がこういったドロ沼展開に耐性のある人々ではないのは明白であり、
http://d.hatena.ne.jp/speed_mod/20081111/p1
> そもそもキャラクターの魅力的な個性に重点を置いたアニメなんだから、キャラに思い入れをしてはまっていた人たちからすれば、今回のネット騒動は当然のことなんだろうなと思いました。
とここでも書かれているように、この作品の読者が非処女バッシングを行った過程は至極自然・妥当なものであるように思います。この作品を大衆的な視点で見ればまず第一にキャラクターの魅力が挙げられるのは明らかだと思うので。
しかし、原作にしろアニメ版にしろ、序盤の展開の余りに爽やか過ぎるボーイミーツガールでライトに萌えを享受したいオタク層を「釣り」、それを盛大に裏切る形となった今作品、作者が意図的にやっていたのかどうかは不明ですが、これは非常に興味深いことだし、タブーを打ち破る大きな波紋だったと思います。
某スレより:
> 634 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2008/11/08(土) > 00:32:30.90 ID:5C2fyyZT0
> アニメで釣られて単行本買い始めた人間も多いだろうし絶妙のタイミングだよな
> 狙ってやったのならこの作者相当の策士だぞ
> 201 :なまえないよぉ〓 :2008/11/16(日) 11:08:28 ID: h5qTXh49
> この作者はガチでアホだな。
> なんであんなマンネリなマンガの「ああっ女神さまっ」が20年くらい
> 続いてるのか考えてみれば良い。よけいな男が出てこないからだよ!
このように、意識的あるいは無意識的に大衆の琴線に触れる部分を捨象する狡猾さがあれば、萌え目的の作品は大衆性と金銭的成功が得られるのでしょうね。そう思えば、そのまま騙し騙し餌を与えてやれば安泰であったところを、敢えてリスキーなタブーを犯してまで泥沼展開に持っていった作者にはある意味で凄い。(大衆性を意図したはずのミスリードであったのでなければ)
そんなわけで僕としてはかんなぎの次回連載で、タタリ神になって穢れて悪コス黒肌になったナギたんがどのようにして仁に言葉攻めしたり以下略するのかが楽しみです。と同時に表面上の腹黒さが取り払われて逆に清純化してきたざんげちゃんであるとか、単純に物語として面白いのでこれからも読んで行きたい作品だ。
なんかもう。いろいろとちゃんと読もうな。
最初っからプロダクトとしての面を多く含んだメディア論なの。
書店員が、って書いてあるでしょツリー元に。
対決とハッピーエンド
こっちは意味不明だぞ。
「通念」としてなら、どんな物語だって対決とハッピーエンドが基本だし、
「実際」としてなら、対決しない作品も、バッドエンドの作品もたくさんある。
基本。たしかにそのとおりだわさ。まぁここでAT分類とか柳田とかプロップとか言ってもアレなので、カンタンに「純粋にストーリーについて」たとえ話をすると、マンガの物語類型の豊穣さに比べて、ラノベはまだまだ狭い、というのは認めざるを得ないよな? 全編笑い話しかしないラノベやら、ひたすら恋愛とセックスの話しかしないラノベって、そう多くないと思うぜ。
「実際」の方は、その通りだけど、ざっと見た全体の印象の話をしてるんだし。
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http://anond.hatelabo.jp/20071116204204
あー。書き方がびみょうだったかも。ボーイミーツガールはラノベの基本なので当然。
おれが言ってるのは、『りぼん』『なかよし』掲載マンガ並に「恋愛しか」書いてないラノベ、という。コバルトはラノベか? という話とかは、まぁ。あ(略)の方向で。