人をむやみに攻撃することが悪いという風潮が広まった一方で、「こいつは叩いていい対象」と認められた途端、みんな日頃我慢してる分までヨダレ垂らして飛びつくようになったよなあというのは思う
じゃあその「配られたカード」自作すれば?キラづけしたりホログラムつけたりレンチキュラー印刷にしたりして最強のカードを作ろう。
なに?これも正しい努力の方向だよ。努力の方向はどっち向いててもいいんだよ。それを正しいと思わせる。それが成功するってことだ。
どの女優さんか分かりませんが、いつもありがとうございます。
しかし、北伝、南伝という言い方は、在家信者の救済については何も言わない。
実のところ在家信者が救済されるかどうかは、小乗を差別するために持ち出した論法に過ぎず、仏教にとってどうでもいいことなのだろう。
たとえば幸村誠のヴィンランド・サガのヴァイキングはロマン主義時代に形成された「角つきヘルム」を被ってないし、ゆうきまさみの「新九郎、奔る!」では伊勢新九郎(北条早雲)は旧来の説より30歳以上若く、下級武士などではなく室町幕府の要職を占めた一族になってたり。
なんでそこで辛さが出てくるかな?
砂糖と対になるのは塩。
しょっぱい対応するのがいいんだよ。
あしらってるように見えて、でも嫌ってる訳じゃないのはお互いに分かってるから、また塩をなめに来る。
そういう付かず離れずの関係こそが究極の形だ。