基本同感なんだけど、結構多くの人が、相手が自分に対して高コスト(説明を繰り返す・XXというルールを呑んでくれるetc の自分ルール)をかけて接してくれることで、自分はそれなりの人間なんだという承認欲求を満たしている(半分無意識)、のではないかと自分は考えている。
だから、多人数と一つのモデルでコミュニケーション取るのは原理的に難しいのかもしれない。彼らは、モデル化されたコミュニケーションの外で自分に合わせてくれた、と感じることで、満足するのだから。
経験則では、フリーランスな仕事関係では、あんまりそういうのは存在しない(逆にハードな成果主義だけど)。
一方、会社や教室などの閉鎖空間では、そういうコミュニケーションが出来やすい印象。恐らく、この先文明が進歩しても暫く同じことが繰り返されると思う。
ちなみに、借金玉氏の『発達障害の仕事術』からそういう知見を得たので、元増田にもおすすめする(元増田を発達障害と言っているわけではない)。
若い頃の麻原は、自分の性器を「ずいぶん小さい」と悩んでいたという。
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いや、出勤情報あったぜ。