性格が悪い設定にされる
ツイッターや増田、下手すりゃ日常生活でも今の世の中よく見かける。珍しくもないから黙って受け流す。しかし面倒なことに自分もそういう奴のひとりで。
自分の場合、日常じゃマイナスの言葉はなかなか口にしづらい。話せる相手は限られる。相手だけじゃなく時間も場所も。誰かに偶然でもいいから見ていてほしくてわかると言ってもらいたくて誰が書いたかもわからない匿名のところへ流すのだ。
世の中冷静さを持った方が良いと言うが、実は感情的になった方が楽しいんじゃないかと思う。
何があっても動じることがあまりないので、人生がつまらなく感じる。
何かあったら怒ったり、泣いたり、笑ったりしたい。
小さい頃から感情を出すのが苦手だったので、喜怒哀楽が激しい子が羨ましかった。
元増田氏が追記されてるみたいだけれども、
①非道徳な言論が許された場合の議論の例を追記されてますが、少なくとも自分はこの例文の中に「非道徳」な発言は無い様に感じます。これは普通に議論されて良い無い様なのでは?
②例文の中で「共同体の価値観に敬意」「ルールを崇拝」という記載がありますが「共同体の価値観やルールを守ること」は「共同体に参加する為の条件」だと思います。それは「崇拝」でも「敬意」でもないと思います。どうしても納得の行かないルールがあるのであれば、筋を通して疑義を発するのが正しい在り方だと思います。
③例文の中で「LINEグループからの漏洩」の例がありますが、その場合は「故意に漏らした者の悪意」が追求されるべきだと感じます。
④例文の中で「バレるバレない」という記載がありますが、少なくとも日本では、個人の思想信条の自由は保証されています。私的に紙に書いた不適当な言説が当該者を傷付ける事態が起きた場合には、それが故意でない場合は、きちんとした議論が必要になる話しだと思います。
例文の中での話しについては、あくまで「例えば」の話しだと思いますが、一応。
自分は「不当な言葉狩りだ」と感じる出来事には都度反対したいと思います。
この辺の判断に関しては「簡単な線引きなど無い」のだろうと思っています。
人間の歴史は、この線引きを押したり引いたりし続けて来た歴史なのだと思っています。
人間とはその程度に「メンドくさい存在」なのだと思います。自分は。
文章下手でごめんね。
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面接の段階で落とされるもんな。ブサは。