当方既婚。お客さんの希望にあわせてグループやマンツーマンでレッスンをする仕事をしている。
先日いつものグループレッスンに空きが出て、お客さんと二人きりになった。仮にAさんとする。
Aさんは前々からこの日は来ないと言っていたが、他のメンバーが参加できないとわかったあとで急に出席すると通知が来た。
グループレッスンは単価が安いので、予約がないなら閉めようと思っていたが仕方がない。
教室に通う以外にも、市販の高価なテキストを買ったり、他の語学教室に通ったりもしている。
「いつか先生のように自分も教室を開いて教えたい。でも自信がない」と期待と自信のなさが入り混じっている。
残念ながら理解力と語学のセンスに恵まれているとはいえないが、本人は楽しそうなので、夢が叶うといいですねと応援している。
Aさんはそれがうれしいのか、毎回のように自分では読めないレアな洋書を持参して、「よかったら読んでください」と置いていく。
グループレッスンはなるべく全員のレベルに合わせるようにしている。
今回はAさんだけなので、Aさんの苦手な分野を強化するか、Aさんの得意分野で自信を持たせるか、あれこれ考えた。
「これ、よかったら先生に」
Aさんは以前それを「ブックオフで投げ売りされていたので買いました」と見せてくれたことがあった。
なかなかいい辞書だったので、その場で同じものをネットで探してみたが見つからなかった。
「私が持っていても使わないし、なんで買ってしまったんだろうって。あのとき先生に上げていればよかった」
「いいんですか、ありがとうございます」
感謝して笑顔で受け取ったが、自分でも説明できない嫌悪感が沸いて、落ち着かない気持ちになった。
この日のレッスンでAさんはこちらが出す例題にほとんど答えることができず、ほとんど自分の独演会になった。
いつもはグループの他のメンバーと助け合いながらやっているので、これはある程度は予想していた。
「質問はありませんか」と聞くが、Aさんはごにょごにょとお茶を濁すばかり。
そうかと思うと、はっと思い出したように
「先日、あの先生の語学セミナーへいったらちょうどここで教わったところが出たんです」
と本題に関係ないノートを広げて見せる。がんばっているのはよくわかるが、マンツーマンでこれはきつい。
何より困るのは、Aさんがレッスン終了時間になっても帰ろうとしないことだ。
グループレッスンのあとに他のメンバーが帰ってもAさんが腰を上げないことが何度かあった。
それとなく時間に触れ、何度も出口促すが、その度にレッスンに関係あるような、ないような話をして引き延ばす。
Aさんに個人的な関心はないし、共通の話題もないから、二人きりで話すような話もない。
次のレッスンがあるのでといっても、次の生徒が姿をあらわすまで帰ろうとしない。
困ったことにこの日は自分のミスで入っていると思っていた次のレッスンがなかった。
それも小学生時代の第二次性徴にまつわる嫌悪感といった重い話題である。
とても共有する気になれない話題を前振りなしにはじめるのはやめてほしいが、逃げ場がない。
適当に相槌を打ちながら「そろろ次のレッスンが」と何度も伝える。
そのたびAさんは気弱そうに目を泳がせつつも話をやめない。
終に「これから仕事の電話をかけるので、お話は次回のレッスンでお聞きします。今夜はこれで」と話を遮って出口へ送り出した。
Aさんは靴を履いてもまだ視線を床に泳がせながら話し続けていたが、こちらが電話を手にしていたこともあり、ようやく帰っていった。
ムカつくようなべっとりとした嫌悪感が身体の内にも外にも貼りついているのを感じた。
ただでさえ安く設定しているグループレッスン料金でマンツーマン指導になったのは、まあいい。
他の生徒さんとのあいだでもこうしたことはあった。これもサービスのうちだと考えている。
それにしてもここまでの怒りが、得物で殴りつけたいような、教室を水洗いして清めたいような不快感が沸き上がるのはなぜだ。
長居して話し込まれることにこれほどの怒りを覚える理由がいまひとつわからない。
善意と好意と熱意の塊りのようなAさんに、こんなに激しい嫌悪感を抱くことに罪悪感も感じる。
突然「もしかしてAさんのしていることはセクハラなのではないか」と思った。
あまりにしっくり来て混乱する。
Aさんは自分に性的な好意があるのではないか。ゾッとした。冗談でもそんな風に考えるのは不愉快極まりない。
そんなはずはない。誤解させる理由も、される筋合いもない。そんな話題もしないし、そんな関係ではない。
若い頃、セクハラおやじがロマンス気取りではにかみながら手を握ろうとしてきたり、
妖しい雰囲気で意味深なことをいってきたりしたりしたときの、あの不快感。
そもそもAさんが男性だったら、自分は夜遅くのマンツーマンレッスンなんか絶対に引き受けなかった。
結婚していようが、成人する年齢の子がいようが、部屋に上げることすらしなかった。
あの熱っぽい目。
Aさんが読んでくださいと置いていった洋書の数々をいつどうやって返そうか。
押し倒されそうになったらその辞書で殴ればいいじゃん
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