『オタクはなぜ服装が残念な感じになるのか 趣味に投資しすぎてファッションにお金が回らない』(https://news.careerconnection.jp/?p=34965)を、読んだ。
僕もこの件については思うところがあるので、書きたいと思う。
ちなみに以下の本文では、こんな奴が、持論を展開している。
・僕は(アニメゲーム)オタクである。但し、「けもフレ面白かったね」とかの話をしてもあまり理解されないのを知っているので、この手の話はリアルでは一切しない。なので周囲からは、オタクとしては扱われていない。
(実際のところ、周囲の人が心の中で僕をどう思っているかは別として)
・以前、服を買う時に重視していた事は、着回のし易さ、コスパ、機能性であった。ファッション性や色使い、デザインみたいな部分は考慮しないことが多かった。現在は多少これらを気にする。
・服飾には<ある程度>お金を掛けても良い、と考えている。<ある程度>の最近の基準値はユニクロである。あくまで基準値で、当然これより安いことが望ましい。
・なので、服飾に、一切あるいは限界ギリギリまでお金を掛けたくないという人は、この記事ではあまり対象にしていない。
もし、このタイトルを読んで「俺は、センスなんてないから関係ないや」と思う人がいたらちょっと待ってほしい。
センスは「磨かれる」ものであって、最初からみんながみんな高いセンスを持っている訳ではない。そして<磨き方>は難しくないという話をする。
また「ファッションにもう少しお金をつかおう」という話をする気もない。
センスを磨くのに、お金を使う事は有効だが、必須ではない。この記事ではそういう話はしない。
話を戻して
これは当然のことで、外見に気を使っている人は、それまでのセンスに蓄積がある。
どういうことかと言うと、例えば、服装に関して気にする人で言えば、服を買う時にも色々考えるし、着ていく服を選ぶ時も色々考えているし、他者の服装を見ても色々考えている。これらの過程でセンスが磨かれていく。
こうした人たちと、「とりあえず着れるものを着る」という服装に全く興味が無い人たちの間で、日に日にセンスの差が広がっていくのは当然である。
でも、僕が言いたいのは、オシャレのセンスを磨こうとか、ファッションのセンスを磨こう、とか、そういうことではない。これらにまったく興味が無い人もいるだろうから。
そこで僕が、残念な服装を改善する一つの策として提案したいのが、「他者から自分がどう見えるか?を考えられるセンス」を磨くことである。
(このセンスの必要性は、服装だけに限らないが、この記事では服装に限定して述べる。)
ファッションセンスを磨くことは、あなたが興味が無いかもしれないし、またそれが役立つ保障もできない。
しかし「他人から自分がどう見えるか?を考えられるセンス」を磨くことは、あなたが現在、あるいは将来において、多数の他者と関わる可能性が高い場合、役立つ機会は多い。人の見た目は案外、重視されるからだ。
このセンスがあると、どう役立つかというと、服装に関しては大きな失敗をする機会が減少する。そして、このセンスが高まってくると、状況に応じて、残念な服装を回避し、無難な服装を選択できるようになる。
なお、「全身ユニクロ」や「目立たない色使いで無地な服で固める」等は、かならずしも無難とは言わない。
これらの服装は他者から「服を選ぶことを放棄している、あるいは自分で服を選ぶ能力が低い」と見做される場合がある。このような誤解を他者から受けるのは、決して無難な事ではない。
こういった服装を、いつ何時でも、無難だと思っている場合は、自分の(他者から~略)センスの見直しを検討してほしい。
服を買う時にも色々考えて、着ていく服を選ぶ時も色々考えて、他者の服装を見ても色々考えればいい。
全部やらなくても、どれか一つでも意識するだけで、センスは磨かれる。
日常生活でこれらのことを1秒たりとも考えるヒマがないという、多忙な人は仕方ない。しかし他者の服を見て自分がどんな感想を持つかくらいは、ひとり頭なら5秒もあればできると思うので、比較的多くの人に推奨できる。
あとは、服装に注目する時の、僕なりのポイントを4つ挙げておくと、清潔さ・サイジング・色使い・TPOである。最初はこれら4つの観点から、なんとなくの感想が持てれば良いと思う。
また、注意点として
「他者からどう見えるか」であって、「自分がカッコいいと思うか」ではないことに注意してほしい。
極端な例を挙げると、アニメのキャラクターに憧れてマネするケースだ。
僕はアニメオタクなので、アニメのキャラクターをカッコいいと思う気持ちは、痛いほどよくわかる。
実際、アニメキャラの服装は(アニメ劇中に限定して言えば)、サイジングや色使いが優れているものが多い。
日常的な生活をしている僕らが、非日常の中で生活しているアニメキャラのマネをしたら、それはコスプレである。コスプレは普段着ではない。
ちなみに
他者からどう見えるか?のセンスを磨いたら、すぐ残念な服装でなくなる訳ではない。磨き方は簡単だが、磨き上げるには時間が必要だと思う。
こんなことを書いておきながら、やっぱりセンスが乏しい僕は、まだ残念な服装かもしれない。
服装や、他者から自分がどう見えるか、に一切関心が無い人がいる。
僕もどちらかというと、関心が低いタイプだ。
人目を気にしてばかりいても、息苦しいし、つまらない。
だから常に「他者から自分がどう見えるか、を考えた服装にしろ」と言うつもりはない。
そもそも、考えられないのと、考えられるけど無視する、のでは全然ちがうと思う。
要するに、服装の観点において、自分に関わり合いがある人の気持ちを、多少考えてみてはいかがだろうか、というご提案の話でした。
以前の僕は、この考えすらなかったので、同胞がいれば、そして、少しでも役に立てばと思い、ここに記す。
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