はてなキーワード: 水墨画とは
http://anond.hatelabo.jp/20110902184753
通常、事業を立ち上げた時点では、本人は24時間働けますか?状態で頑張らないと成功なんておぼつかない。専業主婦は24時間家族の面倒みられますか?状態なので、起業したのと同じくらいの心理的圧力がかかっているんだ。専業主婦が起業しようと思ったら、3つの条件が必要だ。旦那さんが自分の面倒を自分でみられること。義両親も両親も介護もお追従も必要としていないこと。子供が自分の面倒を自分でみられる状態になっていること。
つまり、「妻」でも「母」でも「嫁」でも「娘」でもなくて良い場合のみ、経済的なバックボーンを持ちながら起業ということが出来る。
奥さんが専業主婦であることを望む男性が、「妻」でも「母」でも無いことなんて許すわけないから、離婚しないと起業は無理だろうね。
ただし、いわゆる「山師仕事」なら、専業主婦のほうが叶えやすいかも知れない。家族の面倒をみなくて良い時間だけ「小説」だの「マンガ」だの「水墨画」だのに時間を掛ければいいわけだから。だけど、本当に夢を叶えて、それで食べていける状態になったら、やっぱり専業主婦をやっている時間は作れないだろうと思う。シチュー煮ながらプロット書けるほど、集中力分散できる人間は、そう多くはないだろうから。
以上。小説書いてて、お師匠さんについて、ちょっとのめり込み過ぎたとき、フライパンを置き忘れたコンロに豚肉をぶちまけてしまった専業主婦より。
昼食
書類記入
シンガポールに探してと頼まれていたぬいぐるみ見つけたと画像をメール
アメリカに(同上)グッズ(同上)
開店セールで10円で借りてきたDVD「ゾラの生涯」「ココ・シャネル」の返却日が明日なので一気に見る
CDを聴く
明日の予定
CDとDVDを返却・「へうげもの」11巻をレンタルしてくる。
到着したら(同上)
仕事が終わったら(同上)
意味の無いメモ書き:お弁当重箱・釣りコン・SID・水墨画・お茶の本・韓国モノっぽいドール・ヘレンドと日の出のローマ字表記を読み間違った・BSプレミアムに契約して無くてもアニメ「へうげもの」はNHKオンデマンドで後でまとめて見よう。「へうげもの」は1巻と8巻読んだらたちまちはまった。お茶の釜や雑誌、マニュアルが部屋の本棚や押入れに転がっている生活してても全く興味を示さなかったのにはまった。ティーカップを買うのが趣味だからかな。アニメから入った人は本能寺で織田信長が亡くなるまで見ないとはまりにくいと思う。
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ウィグルの母、ノーベル平和賞目前。ラビア・カーディル女史の台湾入りを、台湾の馬政権は拒否する態度にでた。
先にも台湾を襲った台風被害の見舞いのためダライ・ラマ法王が台湾を訪問したが、馬政権は黙認し、直後に北京からキツイお目玉を頂いて震えた。それで、今回は早めに「有り難迷惑」の態度を表明しておこうというわけである。
台湾内政部長の江宣樺は9月25日に台湾の国会で演説し「ラビア・カーディルが率いる『世界ウィグル会議』とウィグル暴動のテロリスト組織とは密接な関係がある。彼女が十二月に台湾を訪問し各地で講演活動するなど、台湾の国家利益を害する。したがって入国禁止を政府に提案する」。
これを受けて呉敦義・行政院院長(首相)はただちに「内政部の決定を支持する」とした。
カーディル女史の台湾訪問は十二月に予定され、台湾人権促進会議、台湾青年反共救国団など民間団体が呼びかけ、米国へ代表者が赴いて、カーディル女史と面会、熱烈歓迎するので訪問を要請していた。
日本ですら民間団体の招聘に政府が介入することは有り得ず、最近もダライ・ラマ法王、李登輝・元総統、カーディル(世界ウィグル会議議長)らが来日し、講演会をひらいている。
一度、政局の熱気に押され魏京生の入国をヴィザがないという理由で差し止め、米国へ追い返す不名誉を日本は演じたが、チャイナスクール全盛のころである。
「民主主義国家」であるはずの台湾って、ときどき何を考えているのか分からない行動をとりますねぇ。そうそう、一週間前、北京の古美術区「瑠璃蔽」で、ついに見つけました。胡錦涛と連戦(台湾国民党名誉主席)が握手している水墨画を!
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通巻第2722号
もしプログラムを絵に例えるなら、道具があっても描けない、じゃないと思うんだ。
デッサン力なんかでもない。
共通点として言えるなら、絵は自由な表現の芸術だって事。
「木をかいてください」
といわれて、
・水墨画で松の木を描く人。ついでに山まで見えるよ。亀もいるよ。
赤い○なのにりんごに見えつけちゃったり。
・墨汁で「木」と漢字かいちゃう人。あらま達筆
プログラミングって言っても、様々な表現方法がある。
道具だって有料から無料まで、使いたいものを使えば良い。
できあがった木が良いか悪いか、唸らせるかがっかりさせるか。
それは使い手や見る人にゆだねられるから、完全、完璧な物なんてないし、正解だって。ない。
やたらこなれたから良いかと言えば、そうじゃない。
道具の使い方が下手だって、発想と機能がちゃんとしていれば
実は見た目ではなかなか気付かないのも似てる。
「は?木なんか描いて何の意味があるの。
って事だってあろう。
だから、HELLO WORLD!も近道や解決策とも言い切れないと思うんだ。
同じ物を同じ品質で、道具をコテコテに指定して、作り続ける(コーディング)のだったら元増田の絵の例えは分かる。
でも「プログラミング」といわれると、どうにも納得がいかない。
ちなみに「夢は」を尋ねた増田です。
中台の文化交流というが、パンダ外交と寸毫も変わらないのでは?
中国五千年の歴史と文化の粋がまとまって展示されている(昨師走、玄関の看板をみたら「中華八千年」と誇示されていて、その隣は法輪功の座り込みデモがあったが)。
言うまでもなく、蒋介石は中華民国の正統な権力継承を象徴する「三種の神器」として、中華伝統の宝物を夥しく軍艦に載せて、兵隊よりも大切に台湾へ運んだ。
台北に鎮座まします数万点の宝物は、換言すれば中国大陸のもの、独立主権国家台湾としてはありがた迷惑でもある。台湾には独自の文化と伝統と習俗がある。
そして故宮博物院の宝物の一部が北京で展示されることになりそうである。
14日に故宮博物院の周館長を団長に三日間の日程で北京へ赴き「交換展示」の詳細を協議するという(『台北タイムズ』、2月13日付け)。
北京がつけてきそうな条件は「以後、台湾の故宮博物院を『台湾故宮』と改称せよ、と言われるかも」。
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
去年の8月に参加した2ch軍板でマルチカムと言う物を知り、その10月に中田商店で買って着始めた。
http://www.nakatashoten.com/us-military/a-600.html
これまで戦闘服は3着くらいと付き合ったことがあるけれど、自衛隊の戦闘服と比較して
・設計が先進的・合理的、ただ使い道の分からないポケットが多い
・コーディネイトが散漫にならない、小物一つ一つが必ず「闘う漢」を演出する
・値段が高い、超が付くほどベルクロが固い
といった点が目立つ。
見た目は水墨画かポロックやモンドリアンの抽象画のような芸術性があるのだけれど、要するに中身は男(オレ)だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう戦闘服を着て歩くのは楽で楽しいと分かってきた。
職質する警官との会話は深いテーマも軽いテーマも内容を伴って交わせる。
いろいろな装備品・階級章・徽章などを試そうとするなど好奇心が強い。
オレは自衛隊の制服も持っているというのに次世代米軍の戦闘服も揃えようと勉強していて向上心の強さがある。
反面、周囲の視線も論理的・合理的なのかな…と思いきや、
周囲の冷たい視線をコントロールできない自分に「おかしいな、普段はこんなはずじゃないのに///」と恥ずかしがる。
問題はどうやって知り合うかだけれど、戦場という戦闘モードの時に誘うのではなく、オフタイム(ミリタリーショップ)が狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的なスーツよりも付き合いは簡単かも。
だって普段サバゲでしているコーディネイトと同じでいいんだから。
一つ目の理由に対しては、俺はよく美術館に行って、いい展示だと衝撃を受ける(感動する)んだわ。
江戸時代の水墨画なんかが今に伝わってること自体すごいんだけど、その絵が21世紀に生きてる俺に感動を与えてくれる。
それを俺は、たとえば俺の子供にも味わってほしいと思うんだわ。
絵画とか彫刻って、基本的に「ひとつ」しかないのね。印刷されたものなんかじゃ味わえない本物の力があるんだ。
だから、そいつを爆弾なんかで吹っ飛ばされたら困るの。
あ、ちなみに俺が後世に残すべきだと思ってるのは、評価の定まってる古い作品ね。
フェルメールやらレンブラントやら印象派やら江戸時代の水墨画やら。
村上隆は・・・しいて言えば、日本のサブカルが、西洋に受けてるっていう構図で、
江戸時代に浮世絵が海外で評価されてたのと同じよーなもんかと諦めてる。
彼の場合は作品以前に、作品をアートとして認めさせるだけの力があったのは、評価せざるを得ない。
やったもん勝ちになっちゃうけど、どんなもんだろうと、ウン億で売れるだけの商品価値をつけたってのは、すごい実力。
ただの便器に名前付けて作品として出した、デュシャンみたいなもんなんかな。
ただ、純粋に作品としてみたら、ぶっちゃけ萌え系のフィギュアのほうがスゴイんじゃね?w
ただし「芸術」といっても世の中には「商業活動としての芸術」と「人の性(さが)的な営みのしての芸術」があるように感じてしまう。
とりあえずは、売れなきゃアートとして認められない。
売れる=価値がある、わけだから。
描くことを前提にした「表現としての芸術」とはちょっと違う気がしないでもない。
その水墨画ってたぶん奴のことだと思うんだけど、
「惜しい人を亡くした、敬意を表して今後一切おばちゃまのモノマネはしない」
と言ってたんだが、数ヵ月後
「おばちゃまはねー、おばちゃまはねー」
ってやってて、お前が死ねばよかったのに、と思った。
おれのいとこから聞いた話。
いとこは役者やってた。売れなかったんだけど。
いとこの所属していた事務所からは新人の若い女の子といとこがその舞台に出ることになった。
共演者は大物(?)芸能人。
うちのいとこは事務所から新人の面倒を頼むと言われていた。
ある飲み会(打合せ?)の席で大物が早速新人を狙っている。
いとこを引き離そうと、とりまき連中を使ってくる。
いとこはそいつらをかわし、その日は何とか事なきを得たそうだ。
次の日からいじめが始まった。
まあ、無視であったり、控え室から追い出されたりとか。
いとこは「人間ってストレス溜まり過ぎると、舌が紫色になるんだな。」とか言ってた。
ある日、本番の舞台の上で全く脚本と関係ないところで大物が、いきなりいとこの頭をたたいた。
舞台の上なのでいとこもどうしていいかわからず、思わず「ははっ」と笑ってごまかした。
大物は「ははっじゃねえよ。バカ。」と言って芝居を続けた。
いとこは売れないながらも芝居に熱いものを持っていたから本番でお客の前でそんなことをする奴がいることに、すごくショックを受けたそうだ。
ちなみにその大物(?)芸能人は、元お笑いで最近はよくわからない水墨画や書を書いてる芸術家気取りの人です。
ジミーちゃんじゃないよ。
昔アルヨジョギングと言うのを考えた。
1 ジャージの袖に手を入れて胸の前で合わせて中国人のような格好にする
2 円を組んで深々と一礼
3 全員でたて一列になり、甲高い声で「アルヨアルヨ」と連呼しながら走る
4 おなかが痛いほど笑える
ハシが転んでもおかしい年頃というが、私たちのそのころはアルヨマラソンをしてもおかしい年頃だった。
それは中国の隆盛がまだ真実味も現実味もまたないころ中国は古い歴史と文化の国でしかなく、ただおさなごころに
真似をしていた。
今中国の本を読んでもそこには政治と経済がかすんで見える。大人になって世界がよく見えるのか。
そうであるなら一度、いや六度くらいはたとえ盲目であっても、あのころの水墨画のような山水と京劇の極彩色(注1)とが奇妙に交互する中国を見たい。そして僕は20代も終わりになりながらあのアルヨウォークの夢を見ています。
注1…極彩色という言葉に触れるたびに山岡さんの「うわあのどが極彩色に腫れているぞ!」のせりふを思い出してしまう私は穢れてしまったのでしょうか。