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2023-10-25

anond:20231025092547

街でうわさの辛口セクシーガールといえば

チャチャ 《西インド諸島起源の歯切れのよい 2/4 拍子の舞踏曲》

2023-07-22

やっぱりエスタブリッシュメントになりたい。

「今から楽しめることをやるしかない」、「上を見たらキリがない」、「今からできることを」

わかってるよ。

たった一度の人生下流のまま終わるなんてもうわかってる。下流のまま25歳の誕生日を迎えてしまった。

でもそんな人生生きてる意味あるのかね。

俺は西インド諸島黒人だよ。スペイン成り上がり白人から毎日鞭で打たれ、一日中サトウキビ作って死ぬんだ。現代社会奴隷。一生負け組

だって、俺がどんなに頑張って国立医学部に行こうとしたり、司法試験目指して勉強しようとしてもお前らは「無理」、「身の丈にあったことをやれ」って必死に足引っ張ってくるじゃん。

「お前はお前の奴隷としての人生を生きろ」ってことでしょ。

俺が1番怒りと憎しみを抱えてるのは近所のバカ高い私立小学校制服着て金持ちそうな母親と歩くクソガキどもだ。こいつらは将来俺のことを見下すような人間に育つんだろうな。

せっかくの土曜日だけどもう生きる気力無くなってしまった。

何もしようがない。どうしようもない。必要能力必要経験を適切な時期に身につけられなかった。

奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷奴隷

2021-07-08

大阪柴島という地名がある

猫の相島うさぎ大久野島のように柴犬がたくさんいる島だと思って行ってみると浄水場があるただの陸地なのでがっかりする。「しばじま」ではなく「くにじま」。

柴島の近くに淡路という地名があるがこちらも淡路島ではない。菅原道真が「ここが淡路島か!」と勘違いしたので、淡路。まさに日本西インド諸島

淡路の近くには崇禅寺という細川ガラシャ菩提寺として知られる寺がある。崇拝の崇だが「すうぜんじ」ではなく「そうぜんじ」である。「ソーセージに似ている」と覚える。

2014-06-16

水平線上の中心点を気にする人が多い理由

ちょうど真ん中にあるもの人間はどうしても目が行きやすい。

クリスタラー中心地理論を見ると、市場原理ですらも中心地にこそ需要供給の巡りがあって、

地方から中央にたくさんの税や物が集中するのだから市場に集まる人というのは自ずと中心地に近い

中心円に沿って居住するものである

首都圏を見れば明らかなのだが、中心地には税や物、人が集中するため、当然交通会社学校も逼迫するように林立している。

人間の目とは面白いもので、市場が集中する箇所にだけ目が行きやすい。

それが偶然か必然かはともかく中心部分に注がれるのであるから、分からないのだ。

人間というのは無意識中心部分を見極めようとする姿勢を取る。

恐らくそれは危険を察知する、動物感性がそうさせるのであろう。

人間というのは集団的に行動する生き物である

すなわち市場に人が集中する所に目が行くのは当然の成り行きなのである

一方、端っこに目が行き届きにくいきらいがある。

人間は端っこに何があるか、という事にさして関心がない。

それはそうであろう、中心に市場の巡りがあって端っこは市場の巡りがないかあるいは、少ないのである

そこに関心を持たないで生きてきたのが人間である

地図という物がある。

初めて書かれた地図はさして興味はないが、地図は陸地が常に中心にあり、陸地に市場が、国が、人が存在し集中している事を示している。

地図には海地についてあまり大した記述がない。

コロンブスの卵理論というのがある。

コロンブス地図の端っこには何があるのか、真っ先に関心を抱いた人間である

普通地図上の中心部分、つまり陸地に市場があり、また人間はそこに集中すると見られてきたが、

彼は地図の端っこにも市場が形成されているのではないか、と考えたのである

その結果、西インド諸島すなわちアメリカ大陸発見に繋がったのだ。

コロンブス人間が中心地にしか関心を持たない事に疑問を抱いた最初人間であろう。

陸地以外に何もないという認識をひっくり返したのであり、その着眼点を見た人間は目から鱗であっただろう。

まりそういった着眼点を持つ人、水平線上の端にも目が行く人間も又存在するのであるから人間というのは実に面白いといえる。

しかしながら、それは少数しかいないのも事実である

コロンブスの卵理論がまかり通っている背景には、中心にあるものが絶対であるという認識人間常識であるためである

それに異を唱える事が真理である、という認識を持つ事も今では市場原理である

そこに人間の可笑しさというのがある。

2014-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20140119001755

ブコメでも言ってる人が複数居ますが、鯨肉・イルカ肉食とそのための捕鯨イルカ漁を偏った観点から非人道」的と言われることはちょっとどうなんでしょうね。先のケネディ大使ツイートは,真に「国際的」観点というより一部の欧米文化における価値観からの批判のように思えます。ということでちょっと学術チック(?)なバックグラウンドの補強を…需要ないかもしれませんが。

わたしは今20代後半なのですが、少なくとも個人の経験の中で鯨肉を食べたことはありません。父や母からは鯨肉が給食に出ていたと聞いた覚えがあるという程度です。そもそも鯨肉食、お今の日本ではどれくらい一般的ものでしょうか?経験的に言っても牛肉豚肉より食べられていないことは確かで、たとえばクックパッドで「鯨肉」と検索すると、37件しかヒットしません。

http://cookpad.com/search/%E9%AF%A8%E8%82%89

やはりそれほど一般的現代食文化とは言えない様子。そもそもわたしが鯨肉を食べたことがない理由の一つに、70年代米国での商業捕鯨禁止を受け、80年代後半(つまりわたしが生まれた頃)にIWCが国際的にそれを禁止にしたことがあると思います。鯨肉は入手がしづらくなり、日本人にとって一般的な食料ではなくなりました。わたしは鯨肉を食べる文化に抵抗はありませんが(父や母の話を聞いていたからか?)、自分では進んで食べることはこの先ないと思います元増田を書いた人も恐らくこういう感覚の持ち主ではないでしょうか。

続いて英語圏レシピサイト(たとえばfood.com)で「whale meat」を検索してみると3件。そのうち2件がアラスカの鯨肉シチュー、1件はトンガ料理からコピーされたものです。

http://www.food.com/recipe-finder/all?layout=desktop&inclingre=17714

クックパッドのほうがレシピの母数が3倍くらいあるのですが、それでもやっぱり英語圏人間米国人に限らない)にとって鯨肉食は身近な文化でないことがわかります米国歴史家ナンシー・シューメイカーによれば、ほとんどの米国人が鯨肉を普通食材normal diet)として見なしたことがないそうです。

以下は彼女論文から受け売りです。実はニューイングランド先住民は鯨肉を普通に食材として見なしていました(シューメイカーはもともと米国、主にニューイングランド先住民史を研究している人です)。ただ欧州から入植してきた人々はそうではなく − 19世紀、ニューイングランドへ入植してきた人々は鯨の油やひげが高く売れるため鯨漁を行いましたが、鯨肉は先住民に分けるか捨てるなどしていたのです。鯨漁師(というよりは捕鯨業者)は海の上では食料に困り、鯨肉を食べることもありました。しかし彼らやその家族日記に、本物の肉が食べたい…という趣旨の記録があるとのこと。つまり鯨肉は彼らにとって「肉」ではなかったのです。入植者であった捕鯨業者は鯨肉を食べる人々を牛肉を買うには貧し過ぎる(too poor to buy beef)と考えていました。端的に言えば所謂皆さんが思い描く現代の「米国人」の鯨肉食に対する嫌悪感はこういう由来もあるのです。我々とは違う先住民(primitive other)が食べるものなんて食べられるものか。米国70年代に、鯨肉の食物としての不法性(illegitimacy as food)を理由にほとんどの商業捕鯨(「伝統的な(traditional)」捕鯨を除く)を禁止にしました。

要は、こういう風に批判されることは「日本捕鯨イルカ漁は文化ではなく商業から非人道的」という含みが少なからずあるのでしょう。でも、食べるためにではなく油とひげを売って儲けるために「商業捕鯨をしていたのはもともと米国入植者なのです…日本をはじめ、古くから食料にするための捕鯨歴史がある民族(たとえばノルウェーフェロー諸島西インド諸島トンガなどの人々)にとっては捕鯨のもの文化であると同時に、捕鯨に関する文化(たとえば絵巻物など)もたくさんあります

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kujira/

日本捕鯨イルカ漁は、伝統文化でないというのでしょうか?シューメイカーは米国視点世界中捕鯨を取り締まる…そういう単文化的視点警鐘を鳴らしています欧米の一部の国から商業捕鯨に対する風当たりが強くなった結果、80年代後半生まれのわたしは(そして恐らく同世代日本人は)少なくとも鯨肉をもう「普通食材normal diet)」とは見なさなくなっています。まあ伝統なんてそんなもんと言われればそれまでなのですが、よく言われるように、欧米けが世界」ではないでしょうし、このような批判に安易迎合するようではどんどん伝統とか失っていくんじゃないですかね、ということです。グローバル(笑)時代伝統とか笑える、と思う人も居るんでしょうが

ちなみにシューメイカーの論文はこれですが、

http://envhis.oxfordjournals.org/content/10/2/269.full.pdf+html

サブスクリプションがないと読めませんのでこちらのpdfで読めるほうを貼っておきます

http://www.hcs.harvard.edu/eac/wp-content/uploads/2012/04/3986115-1.pdf

 
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