「容姿のことで他人にとやかく言われたくないよね。胸とかすごく個人的なことだし、そういう陰口とか傷つくし本当に嫌だよね」
そんなものないっていうのは、市場に出回っていない、という意味で存在しないという意味ではないのぜ
市場にないなら牛をまるごと買い取って生食用に屠殺・解体すればいいだけ
生食用の肉がないならメニューに載せてること事態おかしいでしょ。
生食用の肉をお店で提供したいなら生食用の肉を仕入れるべきだし、それができないなら提供するべきでない。
これくらいわからないの?
「衛生管理はどうなってたんだ!」
それだけならまだいいけど。
「生食用の肉を使ってなかったんだぜコイツら!!」
「でも生食用の肉なんてそもそも無いからね?!」
要は「生食用かどうか」なんてことは論点でもないし、
存在しないものを「使ってなかった」つってギャーギャー言われるのは
納得いかなかったんだろ。
んで?
優先順位が低かろうが興味はあるだろうよ
ちょっとでも分かる人ならこれがネタだとすぐに気づくものだが、案外引っかかってる人が多くてビビる。
言語を翻訳することで意味が変わってしまったり、元の言語に遡ることができずにネタを真実と勘違いしてしまう、
そしてそれが真実であるかのように発信力の大きなものが喧伝することで、周知されてしまう。
震災以降有名無名問わず多くの人間がデマ発信機に成り下がり、それが拡散され、共通知として常識と化し、事実に漸近した。
しかしそれはどれだけ近づこうが真実にはならない。どれだけ近づこうが虚偽なのだ。
虚構新聞は虚構新聞という体裁であるから許されるのである。朝日新聞が同じ内容でデマを流してもいいということにはならない。
ネタをネタと興ずるのは構わないが、それを無知を言い訳に真に受けることが問題なのだ。
今回デジマガはこれがどういう動画なのか、おそらく検証していなかったのだろう。
※5月3日、16:24UPDATE。公式な吹き替えではなくファンが作成した同人作品だったようです。お騒がせしてすみませんでした。公式キュゥべえの声は加藤英美里さんほどではありませんが可愛かったですよ!→过去的小圆脸弱爆了!_嗶哩嗶哩<URL:http://www.bilibili.us/video/av75411/>
で、この書き込みを見て分かるだろうが、指摘を受けてオウム返しのように訂正してるのだ。クレーム対応として企業は往々に同じ手法を取るケースがあるが、その指摘自体が誤りだということを、彼らは考えはしないのだろうか。彼らに間違いなくアニメ文化の理解はない。
こうした無理解が既成事実を推し進め、閉じた世界が外部の理解を妨げる。そしてさらに言語まで閉じてしまうというなら誰が真実を知ることができよう。
http://anond.hatelabo.jp/20110503121932
例えば、結婚相手を探しているとき「金銭感覚はまともか」とか「いざというとき、一家を養える能力があるか」とか「価値観を共有できるか」とか「何時間も一緒にいて飽きないか」とか、そういうことのほうが「巨乳かどうか」より大事だって男も五万といるよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110503225232
↑ご忠告に従ってやり直し。
なるほど。全ての男性は「女性性に興味があるのだから、巨乳かどうかはそこを見分けるポイントにはならない」ということですね。
それでは訂正します。
「巨乳であることによって、女性個人の資質が女性の性的魅力より優先すると考える男性を見分けることが出来る」
これなら同意してもらえるかな。
http://anond.hatelabo.jp/20110503165141
http://anond.hatelabo.jp/20110502095651
http://anond.hatelabo.jp/20110501224358
http://anond.hatelabo.jp/20110430153012
http://anond.hatelabo.jp/20110430130043
http://anond.hatelabo.jp/20110429200326
http://anond.hatelabo.jp/20110429144016
http://anond.hatelabo.jp/20110429154730
ゴキブリは不快害虫であるが、生態系においては重要な役割を担っている。
ゴキブリを駆除するのは不快であるという理由が一次的である。その不快を取り除くために根絶すら辞さない。
ここにおいて、差別をするな、というのは不快害虫から見た視座であり、もう一方、差別をするなというのは生態系の一員としてのゴキブリからの視座である。
ゆえに、差別と非差別はひとつの対象において混在し、どちらの存在も許容しうるものである。
翻って本邦で展開される「差別をするな」という論調は、その差別の存在すら認めないこともある、強い論調である。
嫌いなものを嫌いと言って何が悪いと問われれば、悪くはない。嫌悪は感情に依るものだ。
しかし、そこに合理性が認められなければ差別をしてはならないという論も、合理性があっても差別をしてはならないという論も、聞かれる。
もちろん彼らは一枚岩ではないし、言ってしまえばこれは濃淡スペクトラムのごとく、差別とそれを拒むものとがなめらかに移ろうものかもしれない。
であるならば、これは一種の戦争状態である。パワーバランスの拮抗だ。状態は固定するだろうか。しないだろう。ゆえに終わりはない。
我々はその価値の共存を望まない限りにおいて、常に相手の価値を淘汰する圧力を掛け続けなければならない。
しかし、差別心とは感情に依るものであり、万人が万人の価値に基づいて差別を行うのである。
これを駆除するのはゴキブリを家から追い出すなどという生ぬるいものではなく、地球の全生物と戦争して己だけが勝ち残るという、闘争である。
だからこそ、差別をするな、などという暴力的な物言いはしてはならない。
そういう正論はわかってても気持ちが付いてこないからキツイのでは?自業自得と言ってるし。
ただ視野狭くなってる気はする。「これから先ずっと」って極論になってるもの。今回の人がもっと増田の好みにピッタリで段取りも踏んでればきっと付き合ったはず。
男性のほうが引きずるのは事実だけど人間の感情に絶対はない。自分のことだって未来の気持ちがどうなってるのかなんて分からない。
0か1みたいな思考になってるときは自分から袋小路に行進してるときだよ。自分からそうなりたい時期かもしれないけど後から後悔しない程度に。
そうそう話がまた違う方向になるから書かなかったんだけど、そうなんですよ。
もちろん写真はお互いに見せてるし色々話してるとはいえ、会わないでそれってのもねえ。
そういうのもあって今回は縁がなかったわけですが、
うん、だから「系」って付けたんだよ。