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はてなキーワード: 80年代とは

2007-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20071010141232

ばか! ゆとりのばか!

バブル不幸自慢で言ったら70年代80年代前半生まれの団塊ジュニア世代に勝るモノはないんだよ!

わかるか? 物心ついたら「バブル」はずっとブラウン管の中にあった。

けどな、分別がついたら「バブル」は崩壊したんだよ。

そのあとに来たのは「失われた10年」だ!

「遊びたい盛り=失われた10年」だ!

お前らみたいに「『バブル』は自分が生まれる前にあった歴史的出来事」じゃないんだよ!

くそう。

2007-10-03

偶像

本来アイドルって偶像性が売り物だったはずだ。う○こもお○らもしない。そう思わせて何ぼのはず。ところが、最近アイドルと来たらぽこぽこ妊娠しやがる。それもどこの馬の骨とも知れないような男の子種で。

これで偶像性云々を見ろというのが無理。アイドルじゃなく、小娘。しかも近所の小娘より素行が悪い。はてなのトップを見ると、ハロプロの一押しアイドルたち、それも15歳にも満たないような子の写真が踊っている。「ああ、この子達も3年もしたら出産だ」と身も蓋もないことを考えるのは、きっと俺が悪いのではなく彼女達の先達の行いに負うところ大だ。アイドル偶像性をじわじわと奪っていったのは週刊誌の暴露記事だが、一方で「等身大」とよばれる小娘達が大量に出回ったために、アイドル自身が偶像性を捨てることになった。悪貨は良貨を駆逐する。

偶像性からすると、アイドル全盛期は多分80年代前半だろう。早見優とか、河合奈保子とか、石川秀美とか中森明菜とか、小泉今日子とか、松田聖子とか、そりゃもう華やかだった。

中森明菜に関しては、10年位前に同じ職場に居た女の子が「自殺未遂ってだけで、偶像性が0になった」と厳しいことを言っていた。が、う○こもお○らもしないはずの彼女が、恋に命を絶とうとした、その一点だけでも、今となっては神話的ですらある。

2007-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20070806192131

バブル経済絶頂の'80年代当時の女性写真をご覧になったことはありませんか。

当時は眉毛を全く剃らないか、あまつさえ太く描くという化粧が流行っておりました。

今当時の女性たちの写真を見ると、奇異といいますか、異様でさえあります。

多分まだその当時の反動が収まっていないのです。

私も当時の記憶がありますので、今の女性の剃り加減でもあまり変には思いません。

2007-07-22

沖縄県民の一人の解答

http://anond.hatelabo.jp/20070722134510

東京の場合は地方と違って、東京スタジオで収録しているからといって

東京ローカルという感覚は無いんじゃないの?全国に放送されているわけだし。

自分の地元が一番好きだと言うことが煙たがられる世の中って嫌じゃない?

でも「沖縄に帰りたい」は無いと思うね。だったら帰れよって思うよね。

東京に来ないと全国区では仕事出来ない(テレビ業界の場合)とはいえ、それは言ったやつがバカだ。

日本に出稼ぎに来てる韓国タレントだって、日本にいる間はそんなこと言わないじゃんね。

沖縄県民性について、沖縄で生まれ育って、来年から東京で働くオレが沖縄県民の一人として答えてみると

確かに沖縄日本とは少し違うという意識を持っている人間は多い。

沖縄人という言葉があるというのもその現れだと思う。オレ自身もそういう意識はある。

だって天気予報沖縄だけ線引かれてるし〜、

観光客は国内のハワイ的な感覚で来ているように感じることもあるし〜、

そもそも文化も人種も顔立ちもぜんっぜん違うし〜。

日本本土に対する敵対感情(過激に思えるかもしれないが、それほど敵視している人も、確かにいる。)

の由来に関しては、琉球王朝を支配されたこととよりも

第二次世界大戦末期の沖縄地上戦、その後のアメリカ統治、現在もある米軍基地によるものが大きいと思う。

日本にある米軍基地の3分の2以上があの小さな島にあるということを、本土の人間が知らなすぎるという意識がある。

沖縄では2、3日に一回は必ず基地関連のニュースがあるけど、そのほとんどは全国のニュースでは報道もされない。

沖縄だけの問題ではなくて、日本外交問題として重要な問題のはずなのに。

基地がそばにある地域では、一日に何十回も離着陸する戦闘機の、想像を絶する轟音や、本物の銃声を聞きながら過ごしている。

その問題を共有出来ていない疎外感から、不信感を募らせる人々もいる。

ああ、また米軍基地に関して長々と書く羽目になった。沖縄県民について語るときはいつもこうなってしまう。

ほんとはこんなこと書きたくないんだよ。難しい問題だし。

でもこの問題は沖縄県民の心の奥底にずっとくすぶっている。

あ、でも基地周辺の80年代アメリカ的な空気を感じさせる町並みはステキだよ!それに海も綺麗だよ!

でも都心は常に渋滞だよ!あと沖縄人は優しいみたいなイメージがあるかもしれないけど普通にひどい人間もいっぱいいるよ!

あらゆる文化を吸収していくごっちゃまぜな文化はステキだよ!でも仕事が少ないし賃金も安いよ!

2007-07-12

チップチューンFM音源なんてあまり聞かないねぇ。

http://anond.hatelabo.jp/20070712182757

この話を逆からすると、8bit musicチップチューン)の隆盛、になる。つまり電子音楽からの、ゲームへの接近(ダンスからのロックへの接近がビッグビーツで、ロックからのダンスへの接近がニューレイヴみたいな)。ymckでもトンガリキッズでもなんでもいいんだけど、そこでは同じように原点回帰運動が起こってる。手法=音源ツールの原点回帰だね。ラップトップであらゆる音がエミュレートできるにもかかわらず、あえてFM音源。あえて80年代

ぜひここだけは訂正していただきたい。チップチューンの本流にFM音源の出番はあまりない。

トンガリYMCKPSG音源ばっかり使っている(と思う)。

現代に蘇ったFM音源を聞きたいならDLOというユニットのsave youという曲をどうぞ。

80年代ゲームミュージックにはだいたい大きくわけて3つの音源パターンがあって、

(1) PSG(または波形メモリ)のみ

(2) PSG3音+FM3音

(3) FM6音以上 + PCM1??2音

だいたいこのうちチップチューンの本流は(1)のみにフォーカスしている。先ほどあげたsave youは(3)を狙っており雰囲気が大きく違う。

(1)はミニマル感があるけど(3)はどうにも中途半端、かつファミコン世代には縁のない文化なのでウケないだろう。

しかし(3)の作り手は結構居るはずである。

要するに作り手がたくさん居たところで、需要がないからほとんど作られない。

そういう意味では音ゲー関係なく

たまたま90年代前半にハウスミュージックを聞きまくった連中がいい年して増えてきたから

いまハウスが出てきただけなんじゃねーか?って思うんだけど。どうかな。

ちなみに俺は当時のハウスは全然知らないので、

エントリからリンク張られてた元気ロケッツの曲と、最近HALCALIの曲

http://jp.youtube.com/watch?v=_U2nvRC_8LQ

http://jp.youtube.com/watch?v=XKI-_knrlK4

とでジャンルが違うのかどっちが新しいのかどうかわかりません。

元気ロケッツってダサくね?

http://www.youtube.com/watch?v=XL2od1AF_Cs

http://stage6.divx.com/user/Cryogenics/video/1045696/Heavenly-Star-Genki-Rockets

元気ロケッツって、正直オーソドックスすぎ、っていうか端的に言って古くね? そのくせハウスなのに1番2番があるんだぜ?

【前提:元気ロケッツプロデューサー水口哲也氏は元セガで「スペースチャンネル5」とか「Rez」、「ルミネス」のディレクタやった人】

今日のサマリ:ゲーム音楽側からのダンスミュージックへのアプローチは、かなりポテンシャルが高いんじゃないのか。90年代音ゲーが蒔いた種が、需要と供給の両方で芽生えようとしている?】

えっと、最近思ったのは、こういう「ポップのジャンルに真っ正面からハウスで切り込んでいこうとする人」がゲーム方面から出てきたっていうのは実は重要なんじゃないのかな、という。だってLive Earthのメンツ見てみなよ! 大塚愛倖田來未にはさまれてるってことは、もう弩ポップの戦場で殺りまくる気満々でしょ!

[参考:http://liveearth.jp.msn.com/event/default.aspx

で、いまマクドとかで有線聴いてると分かるんだけど、けっこうJ-POPに四つ打ちのリズムは浸透してる。むしろ安室やんを筆頭にロック以外だとだいたいそう。

でも、J-POPの中で真っ正面からハウスをやる人はあんまりいない。今さら恥ずかしいってのもあるのかも。ダンス道を行く人たちはもっと先に行っちゃったし、J-POPの人はそっちに愛情とかないし。例外はパフュームくらいか。でもアレライブ行くと分かるけど、8割方アイドル消費されちゃってるしな(それもひとつの方策だが)。

で、なぜゲーム畑から?

っていうのがあって、それは'90年代後半からリズムゲームが掘り起こした(細々とした)四つ打ちの鉱脈があるんじゃねえかなあ、と。

ここですこし脱線

この話を逆からすると、8bit musicチップチューン)の隆盛、になる。つまり電子音楽からの、ゲームへの接近(ダンスからのロックへの接近がビッグビーツで、ロックからのダンスへの接近がニューレイヴみたいな)。ymckでもトンガリキッズでもなんでもいいんだけど、そこでは同じように原点回帰運動が起こってる。手法=音源ツールの原点回帰だね。ラップトップであらゆる音がエミュレートできるにもかかわらず、あえてFMPSG音源。あえて80年代。これの真逆パターン元気ロケッツで、ミニマルノイズもあるのに、あえて直球ハウス。あえて80年代。みたいな。

[参考:http://micromusic.net/<(音でるよ)]

でもその関係が表裏一体なら、同時に起こってしかるべきだったのに、なぜ8bitに数年遅れて「今」なのか?

これは単純に作り手の帰属の問題だ。

んじゃゲームの四つ打ち鉱脈の話にもどろうか。たとえばBeat Maniaシリーズなんか(まあ後期は自家中毒奇形化したけど)、すごく真っ正面からダンスミュージックをやってた。なんでかっていうと、ビートが強くないと指がつかない=機能性重視=ダンスミュージックの原点回帰ってのがあったんだと思う。ここでも原点回帰。ん、まあ初めてのトライをするときは初級から、というだけの話かもね。

ここでまた少し脱線。トニーティー先生こと七類氏に教わるまでもなく(『黒人リズム感の秘密』は希代の名著なので、すこしでも音楽とかダンスとか身体論に興味がある人は読んどいたほうがいいよ)、白人のダンス下半身黒人ダンスは体幹、アジア人ダンスは上半身を原点とする。それぞれ社交ダンスステップレゲトンムーブパラパラの手踊りを思い起こしてもらえればいい。その意味音ゲーってのは日本人によるダンスの再獲得だったのかもなぁ、ってこれは妄想&本質主義にすぎるか。

[参考:http://www.netjoy.ne.jp/~skikuchi/intro/18/kokujin_rhythm.html

そうそう。「作り手の帰属の問題」の話をも少し詳しくしとこう。なぜ今になって、ゲーム側からハウスミュージックが出てきたのか、という話。

これは単純に経済的、社会的な話で、ゲーム音楽というのは社員が作ってるからだ。「た」からだ、かな。社員である以上は、個人的に作った音楽作品を、商業流通にのせるなんて、もってのほかだ。またもし許されてたとしても、労力の配分として「お遊び」としてしかできなかっただろう。ところが00年代も半ばに入って、音屋として90年代音ゲーを支えてきた層が、年齢的な部分もあるだろう、数年間の業界不況も影響してるだろう、独立をはじめた。これはちょっとした鉱脈じゃないか?

てなわけで、顧客、人材双方に四つ打ち耳になってる人は一定数いても良いような気がする。だからこそ、いま元気ロケッツみたいなユニットが出てくる必然性があるんじゃないのかな。

80年代歌謡にバックボーンを持ったつんくが、そのルーツである70年代ディスコを復古させてモーニング娘。を世代のアイドルに仕立てたように(だからパフュームには期待してるんだが)、

90年代音ゲーを作って/消費してきた人たちが、80年代末〜90年代初頭のダンスミュージックをもう一度ポップのフィールドに持ち込んで成功するんじゃないかって。元気ロケッツはその嚆矢で。

みたいな。ハウス中毒患者の無調査の仮説です。しかも自分はそれほど音ゲーにはまったわけではないので屋上屋もいいところ。偽史偽史アンバランス! 略してギシアン!! みたいな。

ツッコミ募集中。

2007-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20070704164849

最も一般的な定義は、80年代後半以降の生まれじゃない?

2007-05-29

学級崩壊じゃなくて授業崩壊

http://anond.hatelabo.jp/20070529210257

って言うのね。厳密には。なるほど。

で、私の中学時代というのは、昭和から平成に変わるあたりの時代。つまり1980年代後半。

学級崩壊」とか「授業崩壊」という言葉は当時無かったと思います。

単に「学校が荒れてる」と言われていました。

一部の学校では卒業式に警官が配備されたということがニュース報道されたり、そういう時代でした。

とにかく、よく言えば若者がすごく血気盛んだった時代。

当時は不良のことを「ツッパリ」って言ってましたっけ。男子氣志團みたいな格好、女子も桜塚やっくんみたいな格好をしてました。

暴走族、今で言う珍走団がすごくたくさんいてうるさかった時代でもありました。夜の駅前は暴走族の集会が開かれて危険なので気を付けるようにと言われてました。

それから、1970??80年代は不良文化も花盛り。なめぬこ流行ったり、尾崎豊の歌が流行ったり、ビーバップ・ハイスクールとか花のあすか組とか。

2007-04-30

http://anond.hatelabo.jp/20070430130330

80年代始めくらいまでのアニメ主題歌って

バック演奏が聞いてて楽しいよねぇ。

新おばけのQ太郎のイントロとか

キューティーハニーの「おねがいー、おねがいー」のあたりの対旋律とか好き。

あー、これはプロの技だっていう感じがする。

2007-04-29

オブジェクト指向って言葉も大昔からあるよ!

http://anond.hatelabo.jp/20070429155517

えー、IME 任せは微妙だなあ。めんどくさくてもオンオフぐらいしようよ。状況に応じた大文字小文字の選択もしづらい(できない?)し微妙だよ。少なくともそういう入力方法を叩くプログラマーは少なくないと思う。

19世紀はgoto文の時代だと思ってましたよ。

というかあまりオブジェクト指向プログラムってみたことないかも。

goto文不要論なんてもう何十年も議論され続けてるよ。大体 90年代終盤にはそこそこ普及してた Java は既に goto が実装されてなかったでしょ。今でも実装されないままだし。

それから Amazon.co.jp で「オブジェクト指向」を検索して「出版年月日が新しい順番」にソートして一番ケツに飛ぶ80年代オブジェクト指向本なんて山程出てくる。

というかあまりオブジェクト指向プログラムってみたことないかも。

なんかこのご時世におすすめないかな?

学生さんかなんかかな。もしオブジェクト指向の利点がまだ理解できてないなら、この話の増田ツリーのどっかにあったと思うけど、

  1. 関数も使わずベタ書き
  2. ベタ書きに絶望関数で手続き指向プログラミング
  3. スパゲッティ絶望オブジェクト指向プログラミングカプセル化モジュール
  4. 同じインターフェイスなのに姿を変えてしまうモジュール絶望インターフェイス概念に目覚める

ぐらいの経緯を辿ればまあオブジェクト指向の基本は掴めると思う。当然ある程度の大きさのプログラム(あんまり行数で言いたくないけど、せめて 1000行以上)を書かないと、各プロセス絶望を知ることはできないと思うけど。必要は発明の母。あとは平行して適当Amazon.co.jp で評価のいい本を読めばいい。

インターフェイス概念については、一般に知られているものだと C のストリームで理解できると思う。

FILE *fp;
fp = fopen("log.txt", "w");
fprintf(fp, "Starting log...\n");
fclose(fp);

これは log.txt ってファイルログを吐いてるのね。でも fprintf() ってのは次のような使い方もできる。

fprintf(stdout, "Starting log...\n");

stdout ってのは標準出力で、そこに fprintf でデータを渡すと(Windows の場合)コマンドプロンプトに文字列を表示する。ファイル標準出力は全く違うものだけど、インターフェイスが同じだから全く同じように出力処理を書けてるでしょ。これを発展させれば、

FILE *stream;

if (log_kind == LOG_FILE) {
  stream == fopen("log.txt", "w");
} else if (log_kind == LOG_STDOUT) {
  stream == stdout;
}

fprintf(stream, "Starting log...\n"); /* この時点で stream の種類を知る必要が無い! */

if (log_kind == LOG_FILE) {
  fclose(stream);
}

と書くことができる。年賀状大学受験合格通知は違うものだけど、初期化(書き方)が違うだけでインターフェイスポストに投函)は同じ、みたいな。それよりよく考えたら C を知ってるとは限らんよな。めんどくさくなってきた。あとはしりません。

なんだかなー

http://anond.hatelabo.jp/20070429152311

だからか知らないが自分はpearlを自分で組もうと思ったことがない。

いまだにpearl?と思ってしまう。

笑ってしまった。時々本当に pearl って書く奴いるよな。

ただ、1995年ごろまだ2400bpsとかが7800bpsになってはえっぇええ!と言っていた時期に彼のソースは誰でも自由に使える状態で「そこ」にあった。

あの当時、KENT氏のBBSプログラムのわからないものでも設置することができた。

パーミション設定なんかがわからなかった自分にもちゃんと設置することができた。

そして設置した掲示板は途中、バージョンアップを一回しただけで今も動いている。

構造設計はしったこっちゃないが、設計思想はいいと思う。

まずなにより動くのがいい。

これでかいよなー。確かにあの手軽さは最強だ。逆に言えば利点は手軽さだけで、プログラマーソースを読むにはクソってことだ。

そのころにオブジェクト指向なんて単語はなかった。

誤解を招くようなこと言うなよ。オブジェクト指向なんて大昔からあるだろ。Smalltalk だって 1972年からあるし、一般プログラマーパラダイムシフトは遅れてたにせよ 80年代から始まってた。95年にはとっくにそこらのソフトウェアでもオブジェクト指向バンバン使われてたし、本だってボンボン出てたぞ。「オブジェクト指向が 95年になかった」のではなくて、お前さんが「当時の状況を知らなかった」ってだけだぜ。まあ今の方が遥かに普及してるというのは事実だけどね。

2007-04-27

anond:20070427011013

なぜ七の段だけできないのかはさっぱり見当がつかない。ただ、他の段がかろうじて諳んじられるのは、たぶん両親の根気かと。

そういえば漢字書き取りも相当危うかった。中学生(80年代で8ビット機全盛)の時すでにコンピュータがないと生きていけないと実感していたっけか。当時の機械はまともに漢字変換できなかったから、どっかのバザーで拾ってきたオリベッティのおされなタイプライターで物書きしていた記憶が。

2007-04-26

突発カラオケOFF 嘘レポ(3)

http://anond.hatelabo.jp/20070419001713

http://anond.hatelabo.jp/20070422000431

「なんだか物によっては周辺の2次創作だけ抑えて判った気になってしまうんです」

「そ、そりゃいかんですよ。僕は原作を極力おさえるようにして…」

女性なのに男性向けエロパロから作品に入るのはどうか、と太一郎は思う。

パセラから駅へ、駅から早稲田へ。電車に乗りながら、ぽてぽてと歩きながら、そんなオタクトークをする。

「あっちょっと待ってくださいソフトクリームが」

ソフトクリーム?」

どうみても雑貨屋の前だ。彼女雑貨屋に踏み込んでいく。後について入るが、やはりかわいらしい小物が陳列してある。奥を見ると、小さな喫茶スペースがありソフトクリームを販売していた。

「凄いところで売ってるなあ。東京には無駄にする土地は少しもないということか」

「ほらここに看板があったのを見つけたんですよ」

「よく気づいたなあ」

やはりこの人はどこか聡い。なのに何故文章はあんなに燃料満載なのだろうか。

コミケでの過ごし方などについて話しつつ歩いていたが、かなり歩いたのに着かない。彼女は早速そのへんの人を捕まえて道を聞いている。

「この先の大きな交差点で右に曲がるんですって」

非コミュを自称したり、職場非コミュを実践していたエピソードを語る割に、こういう行動には問題ないらしい。太一郎なら適当に当たりをつけて誰にも聞かずに進み、後悔するだろう。

非コミュというのはいったいどういう物事なのだろう。話をしながらそんなことを考えていた。

「ここです」

みるからに怪しい小さな店の前で彼女は立ち止まった。

中に入るとそこには、あるはてなダイアラーがマスターとして準備をしていたが、彼女を見るなり(某はてなダイアラーの名誉のために略)叩きつけられる机(略)空き瓶を額で(略)「あなたこの間私のこと嫌(略)「こんなに俺が(略)太一郎ネタなのかマジなのか決めかねていた。マジだったら介入すべきなんだろうが微妙な線であり介入したとすると(略)

事態が収集され、落ち着いて座る。中には今日のマスターと、太一郎と、彼女だけ。

改めて回りを見回すと、少し居心地が悪い。内装の雰囲気は、大学サークル部室に似ていた。しかし、その雰囲気は太一郎のような電算機サークルのそれではなく、ベタ文化系サークルのものだ。共産主義運動の香りのする張り紙。傷だらけで無秩序なインテリア

ここはアウエイだ。強くそれを自覚する。

カウンターの隅にあるPC太一郎は自分のダイアリーを表示して教えた。電車の中で小説お勧めを聞かれて即答できずダイアリーに書いていると言っていた為だ。

「私ストーカーだから過去日記とか全部見ますよ!さかのぼって!」

「うわあ。まあいいけど」

目の前で日記を読まれているというのはなかなか恥ずかしい体験だ。

4人ほど学生が入ってきて、80年代文化について輪講をするという。レジュメを配っていたので太一郎もついでにもらう。レジュメは3題話の様相を呈していた。80年代クラブシーンの音楽ハッカー文化、エコロジーレジュメからヤバイ感じがする。ポイントを外した、ハッカー文化に対する理解。

輪講が始まって、予感は的中した。薄い、薄い、ポイントを外した理解に基づいて延々と語られるコンピュータ進化歴史ハッカー文化。

「くわっ!これはイラっとくる!」

「まあまあ」

気を利かせて本の話題を振ってくれたりしたので、太一郎はそれにのってしばらく話した。最初に大きい嘘を一つだけついて後は誠実に論理的に話を転がしていく本が好きだ、だからロボット3原則ものは面白いとアシモフの話をしたり。

しかし、最終的には学生たちに対して延々とハッカー文化について語ってしまう。自分は当時ハッカーを憧れの目で見ていた少年に過ぎなかったにも関わらず自分のことのように語り、文化に対する解説という名の説教をしてしまった。

学生たちが帰ると、夜にあるというライブに向けて徐々に人が集まってきた。狭い店内は熱気で暑くなり、身動きがとりづらい状態になる。

叫ぶ詩人。エレキ尺八。双合唱。何度かの休憩を挟み、ライブが続いていく。

「ああ、凄いですね、なんだかエネルギーがあるというか」

心にも無いことを適当に言ってあわせながら、あまりの暗黒ぶりに太一郎はおののいていた。あまりにも波長が合わない。心が闇のように黒くなるような、そんな音楽

へとへとになって店外に出ると、「革萌」と書いたヘルメットをかぶった人たちが来ていて入れずにブルーシートを引きだしていた。

「なんだよ呼ばれてきたのに中に入れないのかよ!ひどいよ!」

外に出る太一郎。入れ替わりに2名ほど中へ入る。

屋外で楽しそうに立ち話する革萌の人たち。奥へ奥へと動いてついにカウンターの中に入ってしまった彼女

「象徴的だな…」

店内で最後の最も盛り上がる演奏が行われる中、太一郎は暗い暗い空を見上げて微笑み、自販機缶コーヒーをちびちびと飲み続けるのだった。

(おわり)

2007-04-22

[]なぜ作画の評価が割れるのか?

アニメ映像面からみるとき、評価軸は二つある。

ひとつは、絵の美麗さ。

ひとつは、動きのよさ。

「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。

しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。

場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。

「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラ演技や画面演出の幅の広さにつながる重要ポイントとなる。

かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。

その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイル戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。

ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位担当作品を認識するケースも見られる。

作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。

アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。

最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。

ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。

上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。

しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲーラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像クオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクター一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーライトノベルアニメーションとは異なり、原画家イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。

また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクター一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクター一貫性が強く求められているのではないか。

このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。

今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァパチンコお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。

最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。

決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。

2007-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20070401175946

メタファメタメタ認知とかメタ言語と同じ用法のメタなのか?語源はともかくメタとファは分離できない。

メタブログってのは2003年で既に耳にしていた。

メタ認知とかメタ言語ってのは80年代以前から使われているだろう。

ただ、何にでもメタをつけて勝った気になっているブロガーメタ的な記事を書いている人をメタ呼ばわりして勝った気になっているブロガーには腹が立つ。メタもハサミも使いようだ。

2007-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20070214094441

おお、メジャーどころだ。

80年代後半のメタル全盛期について語りたかったりする。

Judas PriestとかIron Maidenとかからシュラプネル系まで。

2007-02-13

80年代と00年代の温度差

景気が悪いとあらゆる場面でより制約的にならんといかんのだね

昨今の富豪的プログラミング環境だと複数の仮想マシン上でRubyやらPythonでウハウハだけど、組み込みとかのプアな環境だとアセンブラやCで組まないと使い物にならないみたいな。しかもシリアルケーブル転送で。

でも、そう言うよりハード(リアル環境?)よりで学ば無いと獲得できない事があるとか、散々人生経験積んだ人が、やっぱりしないで良い苦労はしないほうが良いって言ったりとか。

うーむ、奥が深い

「深いものか!」待ち

人間、負けたら負けだぞ

は、とさかせんぱいのお言葉でした。

http://anond.hatelabo.jp/20070213014101

こいつがギャグでも何でもなくなっている80年代00年代の温度差。

べたべただぁ。

2007-01-27

難民キャンプの現場から

私の「仕事場」はネパール東南端の難民キャンプネパール系のブータン難民10万6千人が、「ヒマラヤ」のイメージの強いネパールジャングルを開墾して造った7つのキャンプで16年にもわたる難民生活を強いられています。

難民たちは、竹で編んだ小さな小屋に身を寄せ合って暮らし、配給食糧の米を主食としています。人口自然増加しているもののキャンプ用地はそのままなので、年を追ってキャンプでは過密化が進んでいます。

19世紀後半から20世紀初めに経済的な理由から多くの人々がネパールからブータン南部に移住し、ブータン国籍を取得するに至りました。しかし、ネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々は、仏教徒の主流派ブータン人とは民族的にも宗教的にも異なり、80年代からとられた民族主義的政策の結果、ネパール系の人々は国籍を失い、90年代初頭大量にネパールに流入。ブータン政府に対する民主化要求行動も、多くのネパールブータン人の国外追放という結果をもたらしました。

かれこれ16年も経てば、キャンプはまるで典型的なネパールの町のよう。学校もあれば、診療所もある。集会所もあれば、障害児を預ける託児所もある。すべてUNHCRの支援でつくられたものです。ブータン難民はネパールでは就労権が認められていないため、国際社会からの支援に依存せざるを得ません。UNHCRは、ネパール政府当局やNGOパートナーらと連携しながら、これら難民の権利を保護し、住居、食糧、水・衛生、保健・医療教育などの面での支援物資・サービスの提供、および難民問題の恒久的解決の模索を担っています。

キャンプに暮らすブータン難民全員の状況把握をかねた「難民再登録」の作業がようやく昨年11月に開始しました。UNHCRネパール政府による今年春までの共同事業で、約50人の再登録作業専従スタッフが、一日あたり約1,500人の難民の聞き取り調査と写真撮影、データ入力にあたっています。

90年代初めの到着時に政府が難民の登録作業を行い、その後順次出生、死亡、婚姻離婚などを記録してはいるものの、10万6千人全体について基本情報アップデートし、データベース化するという作業はこれが初めて。難民の安全を守り、適切に保護し支援するためには、一人一人がどこの誰で、どういう家族構成で、どういうニーズを抱えているのか把握する必要があります。

また、一人一人写真を撮り、のちに写真入りのIDカードを発行する計画です。写真を撮るのに飛び切りのおしゃれをしてやってくる老人や、カメラの前で緊張して泣き出してしまう子どももいます。庇護国からの身分証明書は、自国政府から保護が期待できない難民を保護する上で欠かせません。

難民再登録事業の実現は、ネパール政府との粘り強い交渉も含め、様々な関係者による努力たまものです。ブータンへの帰還(わずかながらではありますが)やアメリカなどへの第三国定住など、解決への兆しが少しずつ出てきている中で、この画期的な事業の現場をあずかる事務所の所長でいられるというのは幸いなことです。

16年という長期にわたる難民生活にもかかわらず希望を捨てずに前向きな姿勢を保っている難民たちからエネルギーを分けてもらいながら、様々な国籍の50人の事務所スタッフとともに支援活動にあたっています。

しむらー、したしたー

http://anond.hatelabo.jp/20070127085946

ネダだよね、このテンションは。

小鉢とか焼き物とかをやたらていねいにちまちまと並べて、

おもむろに席に付き、

静かに合掌して箸を取り、

食べるのかと思いきや、

卓袱台ごとひっくり返す、って言う、

プラクティカル昭和コントの手法。

80年代インカレミニコミ誌なんかでよく見かけた。

オレがほんとに言いたかったのは、「こいつはオレか」。

[]史料を見ないで書くオレラノベ

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20061115/1163576101

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20070127/1169824810

↑この辺を読んで書きたくなったので書く。読んでない作品ばっかりなのにかなり適当言った。多分いろいろ間違ってるけど勘弁。

80年代以前

ラノベ的なものはあるがあくまでティーンズ向けのジャンル小説

ライトSFスペオペ、軽めのファンタジーTRPG小説版アニメ脚本家が書いてる小説ノベライズ、10代向けの伝奇小説、あと海外の翻訳モノ

少女小説は、つーかコバルトはすでにかなり歴史があるので安定。恐ろしく軽い文体の恋愛ミステリファンタジー伝奇ホラー

90年代前半

スレイヤーズ登場

スレとあとフォーチュンクエストあたりの大ヒットが10代向けの文庫本レーベル群全体に影響を与える。逆に考えるとスレ・フォーチュンが当時のラノベの中核であり、また最初の純ライトノベルと言える

キャラ小説化の進行、文体もさらに軽くなる

スレイヤーズフォロアーがジャンル化。一番成功したのがオーフェン。その他ゴクドーとかはみだしバスターズとか捨てプリとかリアルバウトハイスクールとか?内容つーかスタイルと売られ方に特徴がある気が

 ・オーフェン古橋秀之以降の電撃硬派の前触れのような気も

五代ゆうの活躍の余地がなくなる

 ・こばめぐは必殺お捜し人、水野良リウイで対応

ライトな大河モノがはやる。どっちかつーと女の子向け

・ど真ん中にいるのがデル戦、それに冴木忍とか前田珠子とか十二国記とか風の大陸とか

あかほりさとる大活躍。非常にオタ向け。まだラノベの中核とは言えない

・この時点ではまだ“ライトジャンル小説”も生き残ってる。全体としてラノベと言うよりヤングアダルト

滝川羊沈黙

90年代後半

・なんか世相が暗い。あとエヴァ

富士見の勢いはいまだ衰えず

コバルトも相変わらず安定

・電撃に古橋秀之登場。影響を受けた電撃の作家が俺設定バリバリになる。異能力モノがはやるきっかけにも?

・結局古橋自身は流行らなかったけどな。古橋秀之成田良悟ラインを電撃硬派と呼びたい(オレが

ブギーポップ登場。流行

ブギ以降ラノベ文学度合いが上昇、語れるラノベが増える

 ・学園モノが流行るきっかけに

キノ登場。流行る。

あかほりラインをまぶらほ阿智太郎継承女の子いっぱいコメディの地位が徐々に上昇し始める。

大長編より一巻完結or短編だろ、と言う空気が流れる

00年―03年

ラノベと言う名称が成立

ラノベ暗黒期

 ・富士見フルメタあたりを除いて失速、電撃はまだ十分な力を持っていない

 ・ブギあかほりみたいな作品が多い。それかあかほりみたいな作品。あるいはキノっぽいの。

 ・“ライトジャンル小説”なラノベが消滅

  ・ただ、ここで一度途切れたことで、逆に00年代後半に入って新鮮に受け止められるように

 ・スーパーファンタジー文庫とかプランニングハウスファンタジーの森とか富士見ミニ文庫とか角川のおっきい奴とかが撃沈。徳間の中途半端な大きさの奴もほとんど出なくなる

 ・富士見ミステリー文庫。この段階ではまだいまいちウケない

 ・この時期ラノベってジャンルがどんどん自閉的になっていった気がすんだけど。どうよ?

ファウスト系のひとが登場、注目を集める

・当時のラノベの中心であるところの上遠野が、ノベルスで小説を出す。電撃からの越境の発端?

ラノベ評論家の人が増える。売上げは下がっても存在感はUP

ハリポタ旋風

04年以降

・電撃最強伝説

シャナ流行る。現代学園異能

・あとなんかロリ流行

ハルヒ流行る。スニーカー微妙

 ・メタっぽい視点のラノベが増える

富士見ガタガタ。原点回帰を目指す。

マリみてに注目が集まり、百合が急増

新規参入が増える。マイナーよりのレーベルも奮闘

・おかげでベテランに活躍の余地が。新装版とか数年ぶりの新刊とかも出る

・各レーベルメディアミックスに、より積極的になる

・以前からコバルトからの越境者はちょろちょろいたけど、今度は角川グループからの一般文芸への越境者が続出

リアルフィクションて何?

ミステリーランド講談社BOXの2つの箱

・電撃の絵のついてないラノベがちょっと話題に

フォア文庫とか青い鳥文庫とかの表紙のラノベ度がいつの間にかずいぶん上がってる。そりゃまあ昔からマンガ絵な表紙は多かったけどさ。ラノベがオタ・中二病中高生に走りすぎて失った、ライトかつまっとうな物語が多い。

森絵都とかあさのあつことか佐藤多佳子が注目を集める

狼と香辛料登場。識者のひとから注目を集める

今後の展望

・ここのところラノベと言うジャンル全体が大きく、力強くなってってる印象

ラノベ文庫と言う枠組を今度こそ壊すことができるか?

ラノベ児童文学になれるかな?

・『ミミズクと夜の王』ってどんな話だ?

支倉凍砂の次回作は?(気が早い

・古橋は冬の巨人人狼日記を今度こそちゃんと出せるか?

・出せよ!買うから!あと龍盤七朝とタツモリの続きも!

成田良悟とか須賀しのぶもなんかこう、もうちょっと面白いことやれそうじゃね?

大西科学が正しいのは分かるけど売れるかって言うと微妙な気が。この辺の路線を意識した上で、またひとつ違うものを作れる人が出ないものか。大楽絢太とかは?

・電撃に森見登美彦引っ張ってこいよ。ハードカバーで。ええ?ムリ?じゃあしょうがないな……

・その他越境者の先生方、ええとあれだ、頑張れ!

(追記)あ、ケータイ小説のこと忘れてた。『りはめより恐ろしい』とかね。このへんも要注目であります。

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