はてなキーワード: 良心とは
http://anond.hatelabo.jp/20081213141956
これにも関連しているけれども。
常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。
ネットジャンキーでブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081214/p1
稲葉先生は確かに御親切で、常野氏にこう説かれているのだろうとは思うけれども、それはあまりにも相手に対して残酷だと思います。常野氏はもう31、分別がある年齢です。自分の能力も見えてきた年頃の人間が、精一杯考えて、自分がもっとも目立てる手法を選んだのがあの自爆テロだったのですよ。31ですよ、いい大人じゃないですか。そんな人間が、
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
とまで幼稚な詭弁を口にしたんですよ。傍から見たらどうみても「みっともなさ」の極致です。でもそれは、常野雄次郎という人間が、現実に持っている存在感、レトリック能力、それを最大限駆使して、自分でもっとも適切な言動だと思って選び取ったものですよ。しかし、確かにこれが彼にできる精一杯のところでしょう。
常野氏の新しいエントリーで、
最後にあずまんへ個人的なメッセージ。
「煽る」っていうのはこういうことだよ。
井口先生じゃいい人すぎるから。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081215/p1
こう書いている。姜尚中ですよ。東さんと今回の件でなんの関係があるのか。要は、常野氏は論壇の有名人なら誰でもいいのか。次は黒柳徹子でも呼ぶのか。みのもんたか。これを読めばよくわかるように、常野氏はもう言論人として真面目に名を成そうとかそういう努力は、投げちゃった人なんですよ。彼がいま考えているのは、「論壇」の「顔役」と絡みたい、それで目立ちたい、しかしそのために自分の言葉を磨く、そういう努力は一切しない、そんなことです。なんでこうなるのか。彼がもう自分の能力を見切ったからですよ。本人がそうである以上、他人がどうこう言っても詮無いことです。稲葉先生のエントリーのコメント論で書いていますが、
私信よりもこうしてブログに書いてくれる方が百万倍うれしい。アクセスが増えるから。ただ、これはあずまんにも再三お願いしたことなんだけど、リンク貼ってくれませんか。Nさんの件で経験したんだけど、稲葉さんに紹介されるとアクセスすごいんだよ。できれば、↓にお願い。
なんというアクセス乞食の成れの果て。でも、もう常野氏には手段を選ぶ余裕はないのです。31ではもう、過去の彼のように、不登校ネタを売りにすることは無理がある。そもそも不登校なんて珍しくなくなってきている。彼は彼の売名欲的上昇志向を(敢えてここでは成功妄想とは言わないですが)支える手段が、齢31にしてなくなってしまって、難しいポジションなのですよ。
いや、こういうことはもう、稲葉先生は百も承知でしょうね。その稲葉先生に対して常野氏は叫び続ける。
僕は本気で「一流」になりたいと思ってる。しかもその素質があるような気がする。ただ努力を怠っている。勉強をサボっている。何かやっても、とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない。それについて悩んでいる。
僕は「一流」になりたい。ちやほやされたい。500年後の図書館に本を残したい。強い願望です。
赤の他人からこんなこと言われても困りますよね、誰だって。常野氏のこの発言を目にしたら、大人なら誰でも思うでしょう。
「努力を怠っている。勉強をサボっている。」自分でもそうわかっているような人間が、なんで「一流」になれると思うのか、素質があると信じられるのか?
夢見る中学生じゃないんですから。いや、こういうことを言うと真面目に勉学やスポーツや芸術に励んでいる中学生に失礼だ。たとえ素質があっても、なにかの分野で「一流」とみなされる存在になることは簡単なことではない。つい易きに流れるのが人間でしょう。でもそれを省みて、また頑張ってみるのも人間で、多くの人はそうやって一流とまでは行かずとも準一流、二流くらいにはなる。常野氏は31にしてその入り口にさえ立っていない。立つことはできない。彼は立たないことを売りにして生きてきたからです。
「登校拒否系」の常野氏は、言論人である東さんに対して、言論人志望者としてまともに対することをしなかった。東さんの発言を批判したいなら、普通に一人で大岡山に行って、「東さん、あなたの発言にわたしは異論があります、それについてはこのような形でまとめてきました、この場は東さんが責任を持たれている講義の場ですからここですぐ対応をされるのは難しいでしょうから、自分のブログでもこの意見を発表しようと思います、よろしければご覧になって下さい」と言わなかったのか?代わりに常野氏はどう言ったか。
あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。
糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
こう言ったのです。誰がどう見てもこれは威嚇であり、脅迫です。東さんがこんなことを書いているのが来ると知らされて、友好的に対応するはずがない。学生になにかあったらどうするか、考えるのが当然です。それを見越して常野氏はこう書いたのです。後から言い訳はなんとでも言えるが、「そんなつもりはなかった」と後から言うのは脅迫者の常套手段です。
なぜこう言ったか?結局は常野氏が避けたのですよ、まともな議論を促すのを。彼は自ら望んで、「下らない煽り」に終始したのです。
それはなぜか。常野氏はもう、まともな言論人志望者であることさえかなぐり捨てているのですよ。彼はとにかくアジテーターとして目立って、名を売って、「ちやほやされたい」だけなのです。つまり、かつての不登校児が自分の無様なプライドを慰撫したいだけなのですよ。
言論のプロを目指すことは、悪いことではないでしょう。それならば、質の高い議論をする、そのことで少しずつ自分の存在感を高めることが王道でしょう。それをしたならば、図書館に五年なり五十年なり、その議論は痕跡を残すでしょう。その道を目指さない常野氏は、もう、負けたんですよ。そしてそれをいうならば彼は、これまで勝とうとしたことがない人生ですよ。それで「とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない」でいないはずがない。それでなにか成果が上がれば、それは奇跡です。稲葉先生くらいのキャリアをお持ちの方なら、そんなことはもう、見えている。でも稲葉先生はこう呼びかける。
常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。
ネットジャンキーでブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。
常野氏を擁護する人は、いろんなことを言う。例えば東さんだって、柄谷さんの法政の講義に潜り込んで、それでデビューのきっかけをつかんだという。でも東さんは、ちゃんと潜り学生なりの作法を踏んで、威儀を整えて、ソルジェニーツィンについての原稿を見て下さいと持って行ったわけでしょう。そのときの東さんは、柄谷さんに「彼の原稿なら読んでみよう」と思わせるだけのアピールをしたんでしょう。これは卑屈とか取り入るとか言うことではない。真っ当な手順を踏むと言うことです。
かたや、常野氏はなにをやったか。
あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。
糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
といじましい嘘をついたのです。そして自分は最初、この経緯を隠して、常野氏の取り巻きは東さんを「ださい」だのなんだの罵った。「はてサ紅衛兵」は今回は東さんをリンチすることには失敗したようですが、その代わりにこういうかばい合いは発達しているのですね。でも、こういうデビューをする「言論人」なんてありえないでしょう。
あずまん、そうとう男を下げちゃったな。今回。
そこで僕から超ウルトラスーパーCの挽回策を提案します。
僕をゼロアカ優勝者にしてください。
知らない人のために言うと、講談社から10,000部の本が出せるというコンテストです。
そしたら、みんな思うと思う。あずまん、大人だなって。器として。これだけのいきさつがあった上でそうしたら。思わん?
常野氏のはなしは、なんでもやっぱりここに戻ってくる。目立ちたいよう、お金が欲しいよう、みんな僕のことをかまってよう(涙)。僕の話を聞いてくれよう、だからみんなで押しかけるよ。
どこまで虫がいいんだろう(呆)。教室を騒がせてここまで迷惑をかけた相手に、なお自分の売名への協力を呼びかける。もともとこれが言いたくって、東さんに絡んだんだろう。でもこれは、常野氏がもう他人が見えなくなっている、他者の心情を忖度できなくなっていることを実証しているだけですね。「これだけのいきさつがあった上で」「大人だなって」思わせるとかいうのは、正々堂々論陣を張って批判された場合であって、なんで「プンスカ、プンスカ、ピュー!」とか東さんをいかにも戯画化して書いていたアジテーターがその当の相手にまともな対応を期待できるのか、わからない。まして、SF大会なんかから何年も東さんに粘着しているストーカーまで同行して、これは嫌がらせ以外の何者でもない。まして常野氏はなおもこうも書いている。
糾弾っていうのは、たんに相手を傷つけるためにやるものではない。そうではなくて、相手に自分が間違っているということを自覚させることが重要とされる。だからそれは愛情と憎悪が複雑に絡み合った興奮から始まる。
けど、僕は歴史修正主義者に対して1%の希望も持っていない。必要なのは、対話でも説得でも論争でも、まして糾弾ではなく、暴力だ。
これはまたはっきりとした脅迫だなあ。「自分が間違っていると言うことを自覚させる」ために必要なのは「暴力だ」そうですが。常野氏にはもう、良心なんか残っていると期待はできないね。
稲葉先生はd:id:NakanishiB氏にも「まとまった原稿を書いて持ち込む」ことを勧めるけれども、自分が書きたいように書ける自費出版の同人誌に書いてなおパッとしない人に、いまさら広い土俵に連れ出してもなにもできないでしょう。かつてNakanishiB氏は小田島隆さんにもその悪文をたしなめられていましたが、残念なことだけれども、文章を書く力があまりにも独特な発達を遂げた人は、もう、まともな文章は書けない。
id:gerlingがこれもコメント欄に書いていたけれど、
> それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツ
そんなものできないから東とかはあんな惨めな真似をしてるんですよ。
これは東さんではなく、常野氏やNakanishiB氏への当てつけに読めてしまう。人が悪いなあ。東氏の本はお金を出す人に読んでもらえているでしょう。それへの真っ当な批判なら、またそれにもお金を出す人がいるでしょうが、
「ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」
こういう人には誰もお金を出さない。常野氏は、この先、どうのたうち回って「一流」の夢を断念するまで足掻くのでしょうかね。それまで、いろんな人に迷惑をかけそうですが。
「だったら今からみんながマスコミに就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?」といいつつ、「本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしている」というのはギャグとしか思えない。
良心的な人がいるのに腐った体質になってる業界に良心的な志を持った部外者が今からマスコミに転職して改善できると思うんだろうか?本当は良心的な人なんかごく一部で大半が腐ってるから業界全体としても腐ってるんじゃないかと突っ込みたくなる。
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西
麻布の個室でエロい飯食ってます。
こうやって上に責任転嫁するのは良心的な行動でも馬鹿正直でもなくまさにこれこそが批判されるべき責任逃れだと断言する。マスコミの経営陣は個別の番組や記事をいちいち全部チェックできるわけもない。形式上問題があれば上が責任を取るのが組織だけど、問題点を実際に改善する力予防する力があるのは現場の人間。ますごみの報道の名目上の責任はエロい飯食ってる偉いさん達にあるが、実質的な責任は自分が「マスゴミ」であるという自覚がないあなたのようなタイプの自称真面目な弱者君達。
弱者とか真面目とかを隠れ蓑にして自覚もなく悪事を働くのがまさにマスゴミというにふさわしい批判されるべき行為なんだよ。
医療ミスとか耐震偽装とか派遣をマスゴミが批判して多くの医療関係者や建築業者や派遣労働者を窮地に追いやったのは別に悪意があったわけではなく、まさに正義感ぶって弱者を守れと真面目にやった結果だろう。良心にもとづいて真面目にやってるから良い結果につながるというばかげた思いこみは捨てろといいたい。そういう自称正義派ジャーナリズムに比べたら低俗バラエティのほうがはるかにマシ。新聞は報道をやめてテレビ欄天気予報広告だけ載せとけ。テレビはニュースやめてドラマやお笑いやクイズ番組だけで良い。
懲戒を一切禁止するというのなら判りますが、そうではないと。
結局あなたが言ってるのは、子供の精神に苦痛を与えるのはOKで、身体への苦痛はダメ、という事です。
まったく理解不能な価値観です。
>おっしゃるような「傷付かないレベルの体罰」でその目的は果たせるのでしょうか。
当然です。ビンタレベルの適用が有効な場面もあるでしょうが、
懲戒を記号的に示す程度のノックなどすら、無分別に全面禁止されている状況ですから。
言葉が云々なんて夢物語を語る人は、世界から警察を無くしてみたらいかがですか?
人間は、人工知能でも霊魂でもなく、身体を持った生き物なのですから、
懲戒を示す記号として通じやすく効率的な身体記号は一律に禁止して、
回りくどくて非効率な言語記号や物理接触を排除した恫喝などのアクション記号での
懲戒(子供の心身に危害を加える)事を許すのは、まったく理に適いません。
結局の所、ほとんどの体罰否定者は、真摯に子供の事も教育の事も考えず、
その意味で「黒人は劣等人種」「穢多非人は人外生物」というかつての社会で
http://anond.hatelabo.jp/20081126031331
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
つまりマスコミには自浄作用が無いということですか。それなら1回潰した方がいいですね。
なぜなら既得権益だから。良心があるなら既にそんなことしないから。
そしてそういう人たちは責任逃れをするのが得意だから。
いつも既得権益を批判している人たちが自分たちの既得権益は死守ですか?それなら1回潰した方がいいですね。
例えばみんながテロリストテロリストって言ってるアルカイダが(略
冷静に間違ってる所は間違ってると、その担当記者が反省しなくてはいけないような状況をつくるのではなく、毎日新聞という看板をネットの人たちが叩いて泣くのは、毎日新聞の記者やその妻や子供たちや、新聞配達出張所や新聞配達員の人たちです。
あなたの会社は雪印や不二家、あるいは他の企業の記事を扱った時、担当者や責任者が反省しなくてはいけないような状況をつくっていましたか?
普通の公立学校の子のお父さんが毎日新聞の記者だったからって、その子の明日も奪うのですか?お父さんが毎日新聞の記者だっただけで?
高校や大学の入試で両親の職業を問われたことはありますか?それが合否に関係しましたか?
えらい人たちはキャリアやお金やコネがあるので母体が潰れたってさっさと他の雇用先を見つけますし、今の仕事をやめるのはダルいので責任を若い人に押し付けます。
だから泣くのは若い人や立場の弱い人です。今まで、ずっとそうでした。
つまりあなたの会社・業界のえらい人は責任を取らないということですね。
ならば、あなたの会社や業界がしてきたこと、具体的には責任追及を別の人がしないといけませんね。
「弱いもの達が夕暮れ更に弱いものを叩く」という慣用句があったと思うんだけど、マスゴミ叩きや電凸などはそれを地でいってるよ。
マスコミ業界内の特定の個人を叩くのではなく、社員数数百??数千人の大企業、そして「第4の権力」とまで言われる業界全体を叩いているのですが。
日頃から政治家や官僚、大企業のトップなどに「反省しろ」「謝罪しろ」と言っているのに自分達はそれをしないと?
正しいかどうかは保証しません。
では、マスコミは「中立」で「正しい」のですか?
「中立」で「正し」かったら、なぜネットから批判をされているのですか?
いつも疑問に思うんだけど、文句を言う人たちはなぜ、「他のメディアは信用できないから、自分たちだけのメディアを作ろう」とならないのだろうか。
「他のメディアは信用できないから、インターネット上に自分たちだけのメディアを作ろう」としている人や企業はたくさんあるよ。
J-CASTとか有名になってきたね。
ラジオやTV、新聞は設備投資もかかるし、新規参入が難しいからね。
ネットや直接の批判を少しでも受け止めようという気はあなたにも会社にも、そして業界にもないんですね。
そんなわけで、このごろ、本当にやるせない。
この部分だけは私も同じ気持ちです。
「自浄力」
もう一度言います。
「自浄力」
以上の観点から、もう一度エントリを読み直すことをお奨めします。
間違っているのはマスコミの中の人、ことに「責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たち」であって、自分たちに自浄力がないと知りながら悪を延命させるためだけにリソースを投下してる。
組織の中にいる人間が外に対して責任を取るのは当然であり、その「責任」とは『無責任な人間に責任を取らせること』を含む。悪事を弥縫したり変わって謝ったりすることだけが『責任を取る』ことではない。その意味では、対外的な処理に忙殺されることで内部の浄化に対して何のリソースも投下していない人々は、全く『無責任』である。
今までそうやってマスコミ批判をたくさん見た。 自浄作用とか、マスゴミとか、あれこれ言われているけど、だったら今からみんながマスコミに就職なり、制作会社に入るなりしてよくしていけばいい話じゃない?
そんなに批判するなら、その崇高な精神を是非反映して業界自体を変えてほしい。
というか正直言って、そうやって批判する人たちは、その発言によってわずかな本当のマスコミとも言うべき、良心的な人たちの食い扶持を減らしているということにそろそろ気付いてほしい。
なんというか……とっても言語化しにくいから肌で感じたことをそのまま書くけど、結局そんな責任逃れな「マスゴミ」的発言をしている人間の責任を取るのはそういう良心的な人たちで、「マスゴミ」的な人には絶対届きません。
うん。断言する。絶対届きません。
夜な夜な皆さんがネットで吹き上がってても、「マスゴミ」的な人は赤坂とか西麻布の個室でエロい飯食ってます。
そういう抗議をして泣くのは、あなたたちのような若者や、馬鹿正直にまっすぐな仕事している真面目な人だけです。
そうやって「お客さん」的立場から文句言ったり叩いたりしても「マスゴミ」は永遠に「マスゴミ」です。
なぜなら既得権益だから。良心があるなら既にそんなことしないから。
そしてそういう人たちは責任逃れをするのが得意だから。
例えばみんなが変態変態って言ってる毎日新聞がどれだけ雇用を生み出しているか考えてほしい。
冷静に間違ってる所は間違ってると、その担当記者が反省しなくてはいけないような状況をつくるのではなく、毎日新聞という看板をネットの人たちが叩いて泣くのは、毎日新聞の記者やその妻や子供たちや、新聞配達出張所や新聞配達員の人たちです。それでいいんですか?それで満足するんですか?普通の公立学校の子のお父さんが毎日新聞の記者だったからって、その子の明日も奪うのですか?お父さんが毎日新聞の記者だっただけで?
えらい人たちはキャリアやお金やコネがあるので母体が潰れたってさっさと他の雇用先を見つけますし、今の仕事をやめるのはダルいので責任を若い人に押し付けます。
だから泣くのは若い人や立場の弱い人です。今まで、ずっとそうでした。
みんなはネットジャーナリズムがどうとか言うけど、そういうやり方をして泣くのは、叩く看板の下でご飯を食べてる中で最もみんなに感覚が近くて立場の弱い人だけだと思うよ。
「弱いもの達が夕暮れ更に弱いものを叩く」という慣用句があったと思うんだけど、マスゴミ叩きや電凸などはそれを地でいってるよ。
そういう意味では「マスコミに言わせりゃ悪いのはネット」というのはあたってる。
「どっちもどっち」って感じだ。どっちも、自分らが100パー正しいと言い張っている。
ネットもマスコミも、自浄作用がほとんど作用してない&自分らが絶対正しいと言い張っている点ではまったく同じに自分には映る。
マスコミは頻繁に「自分が悪い」と反省していると、マスコミとして機能しなくなるから反省できない。
かかっているお金が大きいしプレッシャーも大きいしで修正が効かないのだろうね。
そしてネットは一つの大きな力として機能しなければいけないから、立ち止まって行動をやめにくい。
お金はないけど勢いは大きいし、行動をやめにくいプレッシャーというのはマスコミと同じぐらいだと思う。いわゆる「祭り」とか。
だから反省するってことは無いだろう。
結局、どっちもどっちに映るんだよね。
マスコミを壊してまで拡大させるほどネットジャーナリストは「中立」で「正しい」ものなんだろうか?
いつも疑問に思うんだけど、文句を言う人たちはなぜ、「他のメディアは信用できないから、自分たちだけのメディアを作ろう」とならないのだろうか。
自分は学歴もないし才能もないから制作会社で1から叩き込まれているけど、はてなとか2ちゃんには高学歴で弁も立つ人もいるっぽいんだから、頑張ってコネ作ったりして新しいメディアを作ればいいのに。
少なくとも自分はそう思ってる。のでやってる。どうなるかわからんけど。
それもしないで、マスゴミ、マスゴミって叩いてばかりいるのはなんでなんだ?
こうして書いている間にも、ただネットで叩いたり、電凸して社会貢献した気になっている人たちは際限なく沸いてくるんだろう。
そうした行動の末には、その組織の中で一番弱い、電凸する人と同じような若い人や契約社員や派遣が切られるだけなのに。
彼らが自分らの世直しの仕方は間違っているということに気付くのはいつなのか。永遠に来ないかも。
そんなわけで、このごろ、本当にやるせない。
http://anond.hatelabo.jp/20081125162529
b:id:westerndogのうわぁ ってコメントは一体どう言う意味なのだろうか?
うわぁこいつわかってねーよってならどの辺を勉強すればいいか聞くから教えてよ。
自分は、いまあるもの(マスコミ)は上手に使ってほしいし上手に共存してほしいと思ってる。
僕がwesterndogに「うわぁ」って思われてるように、マスコミのえらい人はネットの嫌マスコミな部分を「うわぁ」って思ってるんだってことだよ。
だから「うわぁ」って思っててもわかりあえないから、ちょっと一緒に考えないか?って言いたいんだ。
マスコミにも発言力はないけどネット寄りな若い人も居るし、そこをそんなふうにはねつけたらどっちも永遠に歩み寄れないし、どっちか(もしくは両方)が不幸になるしか落としどころが無くなってしまう。それでは何も進まない、今までと何も変わらないんじゃないかな。<nr>
ホッテントリを受けて言いたい。
注意!以下に記載する事柄は、主観であることをご了承ください。同意されない業者さんもいらっしゃることでしょうが、これは飽くまで増田の主観です。
web上で賃貸物件を探すのには、たくさんのメリットがあることだろう。だがしかし、賃貸を主にやっている不動産屋を侮らないでほしい。
ネットで仕入れた情報を熱心に語り「このあたりで×万円の部屋があるはずなんですけど」という客は割といる。そして割と困る。だいたいが、そのような情報を載せている賃貸業者は、我々(地元不動産業者)とあまり係わりのない××や××なのだ。(大手不動産チェーンなので名前は伏せる)そしてそれは釣り物件や、貸して良いような部屋ではないことが多い。地元業者の客あしらいはひどい、と思われるかもしれないが、こちらだって「それはちょっと」と思う物件は紹介したくはない。そしてそんな部屋を実際に店もしないで、ネットでつられた客に契約させる大手業者も実際いるのだ。それでも非アナログが良い、と言われるならそれまでだが、私は自分が紹介する物件には一応自信を持っている。自分では見たことが無い物件でも、外観や元付業者を知っているから、目の前にいるお客さんにはこれが良いだろう、と思って紹介している。もちろん、紙の物件図面を見ながらだ。
広域で探す場合や、遠くの街に引っ越す場合は、ネットであらかじめ探しておいた方が便利だろう。だがそれは、相場を見る、ということだけではなく掲載している不動産屋を探すためだ。
地域にもよるが、地元業者しか知らない物件というのはある。そして同じ区でも町単位で情報に強い業者、というのは違ってくる。たとえば、あなたがA町で部屋を探しているとしよう。そして駅近くの我が社に来店された。我社は同じ区内にあるが、どちらかと言うとB町に強い。そんな時は、A町に強い業者に直ちに照会する。地元に根付いた業者ならどこでも当たり前にやることだ。
ただし、そういった地元密着型を好まない人も最近は多い。そういう人はやはり、ネットで探し、大手業者で契約すると良いのではないだろうか。
こんなことを言う業者は、信用してはいけない。
まず、申込が入っている物件の時はお客様に内見の前にその旨を伝える。申込が既に入っていますが、それでも見ますか?と訊かない業者はあまりいないだろう。それを確認せずに案内する業者は良心的ではない。
あと、ネットで物件が気に入った、と伝えたらすぐに申込をさせる業者も信用しない方が良い。絶対に、部屋を見ないで申し込む、ということはしてはいけない。後々トラブルを招くことになるだけだ。
探したい部屋の条件を我々に託して、何ヶ月か探してみても気に入った物件が見つからない人もいる。気まぐれで来店されて、たまたま空いていた物件を見に行き即申し込む人もいる。タイミングが良かった、としか言いようがないことが多い。あなたが部屋探しでうまくいかないのは、たまたまタイミングが悪かったのだ。
相手が自分と同じ姿形をして、コミュニケーションを取れる存在であるにも関わらず、その相手の命を奪う事に何の躊躇も無いという点で一致しているように感じる。中にはそれが先天的なレベルで定着しているようなのも。
我々現代の日本人でも、命を奪うのに躊躇しない生物はそれなりにある。ゴキブリ、蚊といった害虫全般、家畜など。植物に至っては生物である事すら意識していない場合も多いと思う。しかし、もしそれらが全て人間の姿をしていて、我々と同じように言葉を交わし、知性や感情を持ってたら、それでも我々は躊躇なくそれらの命を奪えるだろうか?その時に我々の中に生まれるためらいを易々と踏み越え、踏みにじる事が出来るからこそ、彼らは「悪」である事が出来るのだと思う。逆に言えば、それほどまでに突き詰める必要に迫られるほどに、日本の漫画の表現は深くなっているんだろう(その是非はさておき)。
上記で挙げたタイプの「悪役」ってのは、説得とか良心に訴えるという手段が全く通用しない。だからこそ暴力を使う(戦う)事でしか止められないわけで、結局のところ「悪の表現の進化・多様化」とは「主人公達が暴力を使う事の正当性の進化・多様化」の裏返しなんだろうな。
奇しくも、かのアノニマスダ宣言から丸二年の、今日この日に、このエントリを書ける事を喜ばしく思う。
((アノニマスダ宣言が初耳である増田においては、是非とも「アノニマスダ宣言とは - はてなキーワード」をご確認頂き、「増田」が如何にしてなったかという、増田史に触れて頂ければと思う。))
まずは、アノニマスダ宣言とはなにか、今一度確認しておこう。
アノニマスダ宣言(草稿)
さて、この宣言であるが、実は上記エントリにおいて草稿として提唱された後より今日までの丸二年間、さしたる議論もなく草稿のまま放置されてしまっている。
そこで、記念すべき今日この日に、増田史を振り返ると共に、「アノニマスダ宣言(草稿)」を完成すべく、今一度ご再考頂ければと思い、ここにアノニマスダ宣言再考の呼びかけを行なうと共に、この二年を共に作ってきた全増田と、その増田を支えてくれた全はてブに感謝の意を表したい。
その中でも特に、当初より数々のエントリをして頂いた、はてブの良心ことid:zonia氏、はてブの鉄人ことid:REV氏、村長ことid:kanose氏、やーさんことid:yamifuu氏、寡黙なブックマーカーid:nkoz氏、シナ千代兄さんじゃないよid:westerndog氏、絡んで頂きたいid:ululun氏ほか、はてブイノベーターの皆さんに。また「人生は神ゲーだ」「聞き上手マニュアル」「パスタを作るときは 」そして「何でも楽しいという友人」を送り出した増田氏と、ホッテントリ入りを支えた全ブックマーカー、そして彼らを支えてくれた鳥さんことid:torly氏や、だいちゃんことid:daichan330氏、独特の言葉で盛り上げたid:Marco11氏などアーリーアダプターの皆さんに。さらに、今の増田を影で支える半分以上が増田でできたid:ruku氏、はてダより掩護して頂いた最終翁ことid:finalvent氏ほかはてダの皆さんに。そして最後に、この場を提供してくれたはてなとそれを支える全はてな民に感謝したい。
http://wiredvision.jp/news/200811/2008111121.html
ある状況下では、1人を犠牲にしてたくさんの人の命を救うことは全く正しいことに思える。一方で、同様の命の救い方が、良心に欠けると感じられる状況もある。道徳観念において、われわれの考え方は思ったほど理性的ではないのかもしれない。
5人が線路上で動けない状態にあり、そこにトロッコが向かっていると想像してほしい。あなたはポイントを切り替えて
トロッコを側線に引き込み、その5人の命を救う、という方法を選択できる。ただしその場合は、
切り替えた側線上で1人がトロッコにひかれてしまう。
多くの人は遺憾ながらもこの選択肢をとるだろう。死ぬのは5人より1人の方がましだと考えて。
しかし、状況を少し変化させてみよう。あなたは橋の上で見知らぬ人の横に立ち、トロッコが5人の方に向かっていくのを見ている。
トロッコを止める方法は、隣の見知らぬ人を橋の上から線路へ突き落とし、トロッコの進路を阻むことしかない。
この選択肢を示されると大抵の人はこれを拒否する
俺は右翼とも左翼とも一定の距離を持っているし、是々非々で議論をしたいと常に心がけている。議論をする時には、なるべく論拠を示し、具体的にすべきだと思っている。
左翼は、論拠とか理由を示さない場合が非常に多い。顕著な特徴だと思う。たとえば、http://anond.hatelabo.jp/20081102115648
ここでは、
>内容的にも事実誤認だらけで論外の電波、というのがだいたい見解一致じゃないかなぁ。
↑これは防衛庁高官の田母神論文について言ってるんだけど、まず、「事実誤認だらけ」と言ってるだけで、具体例をまったく挙げていない。言いっぱなし。
「だいたい見解一致じゃないかなぁ」←自分が感じたそのままが世間一般にピタリと当てはまると、やはり何の根拠もなしに思って疑わない。
そもそもこの人はたぶん田母神論文も読んでいない。僕も読んでない。だから、判断できないんだよね。このコメントをしてる人も、たぶん読んでない。(まだ発表前の論文だし。)それでも、判断できるっていうんだよね。防衛庁の高官って言ったらこのての問題の超スペシャリスト。おまけに300万円を獲得した論文だという。一目置こう、という気になるはずなのに、「論外の電波」だって。匿名の掲示板で。どっちが電波かと。
一方右翼は、けっこう論拠を示すんだよね。具体的に古い資料引っ張ってきたりして。でも、一面的で、その他の情報をまったく無視したりする。たとえば先の戦争にしても、日本が帝国主義を拡大していった背景にはまず良心があることを強調する。一方で、そのまずかった結果についての反省がない。良心を押し売りされた側への同情なんてこれっぽっちもない。左翼も狭心だけど、右翼も別の種類の心の狭さがある。
右翼は、無条件で国を愛さない奴を許せない一方で、国の欠点についてまったく反省しない。一方左翼は、無条件で日本が駄目な国だと思わなければ、そいつを軽蔑する。
僕のイメージとして、右翼というのは、狭い穴の中に閉じこもろうとしている。左翼は、どこかにイデオロギーという棒が1本立っていて、そこに寄せ集まっていて、他の一般人もそこに集まってくれるのを期待して無駄な一生を終える。
ネットでは、政治問題となると、敵対する相手をウヨク、サヨクって呼ぶ。場合によってはコリア系と。どれをとっても、日本人全体に占める割合は多くて2、3%なんだよね。だから、ウヨ、サヨ言い合っている状況というのは、大多数の日本人を疎外してるんだよね。中にはそういうイデオロギーに沿って工作活動をしている場合もあるのかもしれないが、そうにしたって一般の人を疎外する結果であることに変わりはない。
はた迷惑なんだよね。両方とも国民大多数の支持なんか得られるわけがないのに。
法律上の罪は罪として、実際に罰を受けるかどうかは別問題じゃね?
自分の良心に苛まれるの?
罪だと断罪されるのが嫌なの?警察やマスコミ、裁判所でヤイヤイ言われること。
社会から罰が下されるのが嫌なの?まぁ刑務所に入れられることとか。
逆パターンで、子供の万引きを捕まえて警察に連れて行こうとする店主に対して
罪は罪だけど、罰とのバランスが合わないってこったろう?
「たかが万引きで将来を棒に振らせる気か!」ということかな、
店側にしたらふざけんなって話しだけど、それはそれとして
イジメなどで罪をことさら囃し立てる風潮ってのもあるし、
「子供なら“やってはいけない”と理解できない場合もある、やるヤツも多いし??」のようにスルーする風潮もある。
「子が親を殺す状況に至る社会が問題だ」?だとしても、まぁ解るけど、
罪が生まれること自体が悪いというのも、一定数の罪は大目に見ようというのも、
文化やイデオロギーの範疇だと思う。
派遣会社から「増田さんなら正社員の仕事ありますよ」「この仕事は正社員になれるチャンスがありますよ」みたいな言い方をされると非常に萎える。リップサービス程度に担いでくれるならともかく、具体的なオファーとなるとかなり面食らう。転職エージェントとしてのあんたとこの会社には興味ないし、紹介予定派遣も登録時に希望しないと告げていたはずだ。今の僕が満たされていない立場にあると勝手に決めつけ、勝手に吉報かのように話を持ってこられても困る。この世の中には望んで派遣社員という立場を選んでいる人が居ることを、本職のあなた方が理解していなくてどうすんの。
悪気は無いのだろうから大して腹は立たないけど、なぜ僕が「正社員になれずにあがいている人」に見えたのかが正直なところよくわからない。マスコミの偏った報道のせいだろうか。彼らがそう思うということは、ひょっとして大多数の派遣社員というのは「出来れば将来的には正社員になりたい」と考えているってことだろうか。そんな馬鹿な。僕のように根無し草で、いろんな地域でいろんな国でいろんな職場でいろんなことをやりたいと考えている人間もまた大勢居るはずだ。
僕の今の派遣先企業はとても居心地がよく、職場環境や僕に与えられる権限についても申し分が無い。妊娠している女性が多いのは良い会社である証拠だ。こんな会社に入社できた社員は幸せ者だと心の底から思ってる。だから僕もできれば2年ぐらいはお世話になりたい。だけど、長くて2年。きっちり心にそう決めている。前職があまりに居心地の良い職場で3年も居続けてしまったという失敗をやらかしているからだ。僕には40歳までに実現したいことがあるので、それになるためにはどうしても「今」の職場におけるスキルの蓄積が必要だし、2年後には別のスキルを身に付けるべくまた別の職場を探さなくてはいけない。これの繰り返しだ。そういうときに、派遣会社の存在は魅力的だ。20年前から言われ続けてきたポピュラーな派遣会社の使い方のはずだ。
なのに、派遣社員を勝手に格差社会の被害者かのように決め付け、派遣会社を悪の組織かのように叩いて同情してくれる人たちが確かに居るようだ。その気持ちだけで十分です。大して知りもしないのに勝手なことは言わないでください。せめて(偽装)請負業者と一般派遣会社との区別ぐらいはつけてください。
「派遣社員は安定しないから」「50歳、60歳になったらどうするの?」と聞く人にも言いたい。派遣社員だって自分の人生設計は自分でちゃんと立てています。派遣社員が安定しない身分だから正社員になれ? それ、商店街の八百屋さんや喫茶店のマスターにも言えますか?
「近所にヨーカドーが進出してきたらどうしますか?」「スターバックスが出店したらどうしますか?」なんてお節介を焼きますか?
ドラフト1位指名選手にも「プロで成功している人は一握り。怪我とかしたらおしまいですよ」と言って止めますか?
できやしまい。そんなリスクを気にしていたら商売なんて無理ですよ。勝算を持ち、成功を信じてやるしかないじゃないですか。しかも彼らは労働者としての保護が無い分、僕らよりはるかに「安定しない生活」の危機に晒される可能性が高い。みんな勝負して生きてんの。それに比べて僕は社会保険料だって税金だって全自動で納付する労働者。失業保険だってあるし、教育訓練給付制度にだってあやかれる身分だ。彼らみたいに自立して、ヒリつくほどの危機感を日々抱いているわけではないし、それなりに安心・安定した人生を過ごしています。名ばかり個人事業主や偽装請負の仕組みには加担しないよう心がけているし、やましいことはしちゃいません。放っといてくださいな。
僕だって最初から素晴らしい会社に派遣されていたわけではないし、お給金も目も当てられないような有様でした。今の額も実のところ満足しちゃいません。でも、勤怠管理をきちっとし、タイムシートの提出も遅れず、なるべく残業をしないよう心がける。1年間、こういう当たり前のことを当たり前にこなした結果の賃金交渉が失敗に終わったことは滅多にない。派遣先企業の本決算の時期を把握して賃金交渉していますか。工数管理をされない立場の人は、自分で工数管理表を作っていますか。1年間、自分がこなしてきた業務の一覧を営業に見せていますか。お客さんに評価してもらった仕事のことをちゃんと記録に残していますか。ささいなことでも、「これだけやりました」と胸を張って言えるっていうのはとても重要なこと。
派遣社員だって実績を積んでの営業活動は必要なのですよ。黙ってても時給なんて上がらないし、次の仕事をただボケーっと口を開けて待ってるだけでは食い物にされるだけです。築地で魚の取引をするのだって駆け引きの応酬だ。派遣社員だってやるときゃやりますよ。でも、あとになってから「掴まされた」と恨み事を言うのは実にくだらない。自分の目利きが悪かったのだ。そういう世界であることを認識せずに派遣会社を使っている人、多いんでしょうかね今。
最近、あろうことが当の派遣社員までもが自分のその働き方を否定したり契約先の悪口を言ってたりするようだ。何してんだお前?
いつかはどこかの会社の正社員になるために今、派遣社員として頑張っている、それはいい。だったらまず派遣社員としての自分を卑下せず、まずは自分の目の前の仕事を実直堅実にこなしていきなよ。仮にも自分が選んだ働き方でしょう。「正社員になれたら本気出す」みたいな考え方があるのだとしたら改めた方がいい。そんな人はパートであろうが正社員であろうが事業主であろうが派遣社員であろうが何やってもダメ。正社員になったとしても希望通りの部署に配属されるとは限らない。そういう人はその時も今のポジションを卑下して同じ事を言い出すに違いないのだ。
一度、竹原慎二にボコボコにされればいいと思うよ。
初めて派遣会社を利用しようとする人に、ちゃんとドラスティックでシビアな世界であることを十分に説明せず、「当社は誰でもウェルカム」としている派遣会社の姿勢にも大きな問題がきっとあるのだと思う。考え方を変えれば、昨今の派遣会社叩きの流れというのは派遣会社の自業自得だという気がしないでもない。
契約書に賃金がきっちりと明記されていてサインまでしているのに、経理感覚も無いのに派遣会社の懐事情を探って勝手な理屈をつけ、後になってからゴネるような奴は必ずいるのだ。MonsterTemporaryWorkerというやつだ(今命名した)。個人事業主や会社経営者に最も向いていないタイプがこれで、派遣社員という働き方もどちからと言えばそれらに近いのだからトラブルも起きる。
およそ派遣社員という働き方に最も向いていないタイプの人間に、ホイホイ登録を許して仕事を任せていたのではとても三者ハッピーにはなれないだろう。今の派遣会社は社会人経験の浅い人だって構わず食っちまう状況なのだから、そのあたりは少し再考するべきだ。とはいえ、就職難と呼ばれるこの時代、統計上の失業者数を増やしたくない国にとって、派遣会社の存在は都合が良いのでしょうね。当分この流れは止まらないのかな。でも、派遣会社が事業を縮小するのであれば、派遣会社叩きをしている人にとってもこれは「ネガティブキャンペーンの一歩前進」なのだし(なんせ「派遣会社は不要・諸悪の根源だ」とか言ってるようなのも居るぐらいだし)、前述のような理由を持つ僕とも利害が一致するはずだ。
ところで、派遣会社叩きとしてよく使われるセリフの代表格に「奴らは派遣社員から何十パーセントもピンハネしてボロ儲けしている」という類のものがある。あんなもん妄言もいいとこだ。マージンなんてせいぜい30%程度でしかない。これは厚生労働省の調査ではっきりしている。良心的ではないか。25%以上が経費で消えるのだから、手元に残る額なんてたかが知れてる。世の中にはその30%のマージンが丸々派遣会社の懐に入ると考えている凄い人も居るようなので、そういう輩の存在も派遣会社・派遣社員への評価を貶める要因となっているのだろう。喫茶店の400円のコーヒーが仮に原価20円だとして、だからといって380円が店の儲けになるわけではないということは誰でもわかりそうなものなのに、コトが人材ビジネスの話に及ぶと同じ思考で語れないのは何故だろう。不思議だ。
派遣会社のIR情報や決算時の資料をきちんと読んだことのある人ならわかるだろうが、日本の人材派遣会社はどこも利益率が低い。大手のテンプスタッフやスタッフサービスの利益率はせいぜい2%~5%の範囲。インテリジェンスは6%以上叩き出しているが、あそこは派遣事業以上に高い利益率が見込める転職エージェントの事業も手広くやっているので、そこに助けてもらっているだけだ。人材派遣事業部としての利益率は他社と大差ないだろう。
人材派遣会社の平均利益率を多めに見積もって、仮に5%としてあげよう。たったの5%ですよ。世の中10%以上の利益率を叩き出している大手企業はいっぱいあるのに、5%程度の人材派遣会社が暴利と言われる筋合いなんてどこにも無いはずだ。ただでさえ薄利多売構造で頑張っている中、最近「マージンを開示しろ」という声が上がっているようだ。派遣会社にしてみれば派遣社員というのは商品そのものであって、これは日本橋の電気屋で価格交渉するときに店員に仕切り価格を教えろと言っているようなもんだ。寝言は寝て言ってくれ。僕としてはマージンが派遣社員に開示されるようなことになれば非常に困る。他の多くの真面目な派遣社員の人たちだって困るはずだ。
当り前の話だが、マージンを開示してしまえば、派遣社員側が案件を選ぶにあたって派遣会社を天秤にかけることになるだろう。そうなると「アデコさんは30%と言っていますよ。パソナさんはなぜ35%なんですか」といった交渉が当たり前になってくる。最終的には派遣会社間の価格競争に陥り、どの業者もマージンは似たり寄ったりになることは明白。これはつまり、派遣会社が事業で他社との差別化を図ることが難しくなることを意味する。
派遣会社によってサービスに対する「お金のかけどころ」は結構違う。提供している福利厚生の種類も、質も、社員さんのフットワークも違う。フジスタッフなどは給与明細やタイムシートなどが電子化されていて魅力的だし、未だにそれらに着手していないインテリジェンスは残念だけれども、僕にとっての魅力的な案件はそこが一番たくさん持ってる。OSSに理解もあり、学術活動への貢献に力を入れているパソナテックもまた魅力的だ。アデコは条件はともかく、アホみたいに頻繁に案件紹介の連絡が来るので嫌いではない。
繰り返しになるが、マージンを開示することで、確かにこれらの企業は切磋琢磨するだろうが、その結果コストを切り詰めた先にあるサービスはどこの会社も似たり寄ったりになるに違いないのだ。部屋を借りるとき、仲介事業者を基準に選ぶ人はおそらくほとんど居ない。どこの業者も大差ないからだ。家賃は直接大家さんに支払うという仕組みが一般的である以上、手数料(マージン率)は明瞭だし、ここを調整することで利益を図ることが出来ないが故だと言えるはずだ。派遣会社が勝負するのは案件数だけ、そんなつまらない状況にはなって欲しくない。そうにはならないであろうという考え方があるのであれば、僕も開示制を歓迎する。
でも、僕は本来マージンなんてものは実績を積んで勝ち取っていくものだと思っているので、たとえば同じ派遣会社を利用している者同士で「Aさんはマージン20%でBさんは50%」という構図があったとしても、それはごく自然なことだと考えている。マージンを開示するとこの構図を維持するのがほぼ無理になってしまう。頑張ってユーザから高い評価を得てる人も、登録したばかりで能力も勤怠も未知数な人(世の中には無断欠勤や突然退職することの常習犯だって居る)も同じマージン率になるのであれば、僕は我慢できない。彼らが突然出社しなくなることのリスクは当然マージンに反映されるわけだが、それを僕がかぶることになるはずだからだ。こんな不公平がまかり通る公平なら要らない。
僕は派遣会社はピンハネなんてしていないと考えている。企業は派遣社員に対して5%を支払っているわけではない。「コスト削減という名のサービス」を提供してくれる派遣会社に対して支払ってくれているのだ。その5%は「本来僕がもらって当然」のお金ではない。のぼせちゃいけない。
話が逸れてしまったが、派遣会社はボッタクリ企業では無いし、派遣社員も誰しもが「被害者」ではないということを知って欲しい。
双方に対するあらぬ誤解だけならいざ知らず、勝手な同情はやめてもらいたい。迷惑だし失礼だし、そもそもうぬぼれが過ぎやしませんか。
僕は別に人材派遣会社に悪いところが無いと言っているわけではない。改善点は沢山あるはずだ。だから気分次第ではボロクソに叩くこともありますよ。
問題を解決するに当たって悪い点を指摘し、改善を促すのは当然のことだ。だけど、裏づけや客観性も無く、感情的な批判では決して物事を正しい方向へ導けない。的外れな糾弾は、派遣社員として不遇を強いられている人たちにとっては何の追い風にもならない。
僕は僕なりに足りない脳みそを使って考えた結果、人材派遣会社が50%も60%も暴利をむさぼっているという指摘は誤りであるという結論に達したし、直接雇用すれば給料が上がる、という指摘も、直接雇用に伴うコストを自分なりに算出した結果、話はそんなに単純ではないこともわかってきた。だから僕の言っていることがもし間違っていたのなら、感情的な罵詈雑言のみで終わるのではなくて、できれば「お話」を聞かせてくれませんか。新しい発見があるかもしれません。納得ができれば、僕はいつでも派遣会社否定派に宗旨変えします。
ところで、「日雇い派遣のことを無視するな」みたいなコメント頂いたんですけど、無視してませんよ全然。ネットカフェ難民の存在もきっちり認識してますよ。それでもなお、正規の派遣会社に対して巨悪ってやつを見出せないんですよね。ワンコールワーカーだとかワーキングプアとかそういった言葉は概ね非正規雇用者と呼ばれる人たちにスポットを当てた問題提起だと思っている。派遣社員が非正規雇用者のうちの何パーセントを占めているのかも調べもせずに「派遣制度さえ無くせば雇用問題も解決」というのは短絡的だ。そこんところも併せて考えていただければと思います。
僕自身はいわゆるワーキングプアとしてネットカフェを転々とするような人をこれまでの人生でお目にかかったことが無い。ブラウン管の中では沢山見かけましたけどね。でもおそらくそういう人は実在するのでしょう。「努力しても報われなかった人」「諸事情により今まで努力する機会に恵まれなかった人」の存在は確かに痛ましいことだ。ブラウン管の中で見た彼らはおそらくそういうタイプだったのだろう。
むしろ怠惰な日々を過ごしてきただけで、同情するに値しない人間が「切実な理由でネットカフェを転々としている人」への救済案に、こっそりあやかろうと企んでるケースの方が多いんじゃないかな。ワーキングプアを自称して「貧乏人は努力する機会すら与えられないのか!」と吹いているわりには、別の板では同じidで「吉宗で3万持っていかれたぜ!」みたいなことを書き込んでいるようなタイプのことだ。そんな人にとってマスコミによる格差報道はさぞかし都合が良い流れなんでしょうね。雇用問題に対して打開策を練るのは大賛成だ。だけど、自業自得で窮した人間に対して、それにたからせない仕組みが必要だ。
職業訓練校に通える立場にありながらその勧めを拒否したり、未経験から採用してくれる企業があるのに、激しい選り好みをして拒否ばかりする若い求職者というのも大勢居る。ハローワークの職員は日々こうしたモンスターも相手にすることがあるのだ。嘘だと思うなら取材してみるといい。夜勤は嫌だとかIT業界は残業が多いから嫌だとか肉体労働はしたくないだとか、要求だけは一人前で挙句の果てに「仕事が見つからない。社会が悪い」なんて言い出すようなのが居るんですよ現実に。
さて、僕も雇用問題に関してはわりかし危機感を持っているので、仕事をしたいと心から願って日々精進している若い人たちのために力になれないかなと考え中。おととい、雇用・能力開発機構にメールを出したんだけど返事が来ないんですよね。せめて月々数千円でもそこに寄付とか出来ないもんだろうかと思っているんですが、独立行政法人相手に個人が寄付をするのって難しいのかな。とりわけ高度職業能力開発促進センターの方々の一助になれば幸い。寄付する方法ご存知の方はレスください。ここを寄付の対象に選んだのは、努力できるはずなのにそれをしていない人を利するようなことはしたくないからだ。その点、職業訓練を実施している組織ならば安心だ。そういう組織を活用する人は今の自分のスキルの足らなさをしっかりと自覚して、向上心を持って努力する姿勢を見せている人たちばかりだからだ。あるいは、情報処理科のある刑務所や、Rubyの教育をしている民間刑務所でも良い。本当は自分がノーギャラでお手伝いでもしたいところなんだけど。
些少な力添えではあるけれど、根拠の無い批判を繰り返してるだけの人よりはなんぼかましだ。寄付をするのは善意というより、そんな人たちとはなるべくなら距離を置きたいからなのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20081013115125
ええとですね。
いわゆる普通の人というのは、脳内の「他人の痛みをわがことのように感じることのできるシミュレーション回路」がかなり発達しているんですよ。なので、行動を起こす前にそのシミュレーション回路が働いて、自分の心が痛くなるんです。良心回路じゃないですけど、リスクとかリスク以前にその回路からくる痛みで抑制されるわけです。もうほとんど反射的に。
例えば子供が殺されたというニュースを聞いたら、自分の肉親を殺されたような痛みを感じて悲しんだり憤ったりするのが普通の人なんです。偽善とかじゃなくて痛みを感じて自動的に。「殺人がいけないのはなぜ」という質問にむしろ絶句してしまうのはそのせいです。痛みを感じないということがあるということがむしろ信じられないわけです。
なので、普通の人には上の発言のような「リスクがあるからやらない(裏を返せばリスクがなければやると取れる)」というのは、「他人の痛みを我がことのように感じるということによっては抑制されない」ということで、ものすごく怖い存在に見えるのです。あなたが、ここでもほとんど怪物扱いされているのはそのせいです。
この発言からは、あなたのその回路は非常に未発達なように見えます。
この回路が未発達な場合でも、もちろん自分が他者の行動で痛むということは感じられます。しかし一方、自分の同じ行動によって他人がどう感じるかというのを自動的にはシミュレーションできない。わかろうとすれば、かなり考えて想像する必要がある。目が見えない人が一生懸命手がかりから形を想像しているようなものでしょうね。もちろん発達に程度の違いはありますし、回路が未発達より前に他者からの「痛みの信号」自体が見えてないという場合もあります。
おそらくこれまでさんざん「思いやりがない」と言われてきたんじゃないかと思いますが、「思いやり」(あるいは優しい)というのは、
1.相手の物理的・心理的状況をくみ上げて(非言語メッセージも含むメッセージ理解力)
2.自分が同じ状況にあったらと想像し(状況シミュレーション力)
3.そのとき感じられる痛みをわがことのように感じ(情緒シミュレーション力)
5.相手を慰めたりアドバイスをする(話術)
ことです。実はけっこう複雑な処理とたくさんの能力を必要としています。でも、普通は大人になるまでにかなりできるようになります。
口先だけで「かわいそうに」と言っても、その同感が感じられなければ、むしろ嘘つきだと嫌われます。声をかけたり手伝ったりしても嫌がられてしまう場合は、(実際がどうかともかくとして)「こいつ結局のところ同感してるわけではないな」と思われてるからでしょう。特に女性は一般にこの回路が発達しているので、同感を示しているかに過敏です。3の情緒シミュレーションでほとんどの人は感情が表情に出るからです。それを1のメッセージ理解力で捕らえて判断するわけです。それが4の表現とかみ合ってないと非常に怪しく感じます。
記事について他の人が「傷口に塩を塗るような」と言ってるのは、冒頭であたかも同情してる言葉を出しながらも、その後は終始自分の感じていることしか語ってないからです。そこには、性被害者に対する同感といったものがまったく感じられない。別の記事で、ご本人が同様の体験をしていらっしゃるようなのにも関わらず、断絶がある。
これから、本質的に2と3をおこなうのに必要な「他人の痛みをわがことのように感じることのできるシミュレーション回路」が発達していないのではないかと思ったわけです。1が駄目という可能性もありますが。
なお、1から3までが機能していても、4の同感を示すところが抜け落ちていると、相手には伝わりません。4までできていても5をどうしていいかというケースもたくさんあるでしょう。あなたがどこの段階で問題を抱えてるのかわかりませんが、もし単に4や5ができてないだけならば、少なくとも同感を示す努力をすれば(4をがんばれば)周りの対応はだいぶ変わると思います。
すりあわせが面倒だなんていわないで
まぁ聞いてみたらそれはすりあわせじゃなくてでもでもだってちゃんがめんどくさいって話だろと思ったわけだが
裕福でなくてかまわないんだけれども逆切れしてへんな使い方をするのはやめて
嘘はつかないで
いやもうしないとか、昔は馬鹿だったとかそういう話をしたいわけじゃなくて、そういう能力があってできてしまうけどやめるだけの賢さがないってことを自覚してくれっていうね。うそつきは泥棒の始まりって言うでしょ。
時々わからなくなるよ、これでいいのか。君は大丈夫なのか。ちゃんと常識はあるのか、良心があるのか、だいたいの場合において常識的なのはわかっているんだけれども肝心なところが欠落してるんじゃないかって時々不安になってそして怖くなる空恐ろしくなる。サブリミナル効果で洗脳をしていこうか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20080924231639でのブクマ、ありがとうございます。
きみがはてサに失望したとかマジどうでもいいから、「必死になって生きてる人に向かって「お前らに生きていく資格ない」と言うような無神経な奴らになんか言」え
いいえ。言いたくありません。
「必死になって生きてる人に向かって「お前らに生きていく資格ない」と言うような無神経な奴らになんか言」うことが、今の流れだと、人の揚げ足をとり口汚く相手を罵るはてサの皆さんと同じ隊列に加わることだと思うからです。
生存権も罵倒権も自明に存在する物だと思います。したがってそんな事を気にせずに罵倒権を自由自在に行使することに問題はないとおもいます。
必死になって生きてる人に向かって「お前らに生きていく資格ない」と言うような無神経な奴らになんか言」いたいと思った動機は、理屈でも権利論でもなんでもなく、単に、「それはひどいんじゃないか!」という内面の良心の叫びです(はてサのみなさんの叫びもその内面の良心が根源であると思いますが)。
それと同量に、いかに論敵とは言え反対者にむかって口汚く罵る人々に対しても、「それはひどいんじゃないか!」という内面の良心の叫びがあります。
あくまでも私一人の内面の問題です。
内面の問題だからこそ、大切にしたい。
私は、人として、どんな主義主張からくるものであれ、相手を口汚く罵るような人と、同じ隊列に加わりたくありません。
俺は駆け出しの歴史屋なんだけれど、
こういう中途半端なエピソードが、面倒なんだ。
だけど小説家とかジャーナリストあたりは、大喜びで使っちゃうよ。
そのうち、筆がすべって「筆者が個人的に聞いた話では、、」とか、
いつの間にか本当になってしまう。
本人に確かめればいいだろう、と思うかも知れないが、
こんなこと聞く機会なんぞ、十把一絡げのモノカキや研究者にあるものか。
ああいうお金持ちの政治家が、秘書も連れずに青函連絡船で一人旅、
居酒屋で酒飲んで「俺には大望がある! いつかこの国を良くしてやるぞ!」
正直いって、俺の職業的勘からすると、バッカじゃなかろうかと。
創作だったら二十点だ。作り話は国を誤るので、絶対にやめるように。
だけど、もし万が一本当だというなら、
ちゃんとした新聞雑誌にでも投稿すればよろしい。それで世間の評判になって、
麻生本人が、いやいやそういうこともありましたよ、となるのが、
どういうシチュエーションか分からんけど、友人らとの些細な話し合いなら、案件に対する論理だけじゃダメでしょ。
話し合いに参加している人々の立ち位置、感情、脳の具合、その他諸々の総合的なファクターを論理的に(あるいはコミュニカティブに)構築しなければ。
その相手の「論理的すぎるんだよ」という批判はある意味で的を射ている。
超訳すると「論理をふるってもいいが、お前の組み立てた論理は必要なピースをたくさん取りこぼしている」となる。
彼女との間には、お前のいう「論理」のみに焦点化する話し合い関係ができているのだろう。
彼らとの間にもそういう関係を構築すれば、いわゆる「論理的」な話し合いが通じるはずだ。