2008-09-22

anond:20080922230728

どういうシチュエーションか分からんけど、友人らとの些細な話し合いなら、案件に対する論理だけじゃダメでしょ。

話し合いに参加している人々の立ち位置、感情、脳の具合、その他諸々の総合的なファクター論理的に(あるいはコミュニカティブに)構築しなければ。

その相手の「論理的すぎるんだよ」という批判はある意味で的を射ている。

超訳すると「論理をふるってもいいが、お前の組み立てた論理は必要なピースをたくさん取りこぼしている」となる。

彼女との間には、お前のいう「論理」のみに焦点化する話し合い関係ができているのだろう。

彼らとの間にもそういう関係を構築すれば、いわゆる「論理的」な話し合いが通じるはずだ。

自分より到達度の低い人間と話し合う場合、ある種の教育的な状況構築が必要となることを忘れてはいけない。

これは到達度の高い人間の義務であり、最低限の良心

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