「良心」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 良心とは

2008-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20080922110201

ネタとしても、全然新鮮じゃないよ?

もう少し見聞広めてもいいと思うぞ。

無駄とは分かりつつ解説するけど

子供を殺した自分の良心の呵責

->自分は子供を殺した

->子供は自分に「死ね」といわれた

子供の声(=自分の声)「死ね!」

分かるかな?

そんなの聞こえねーよ、精神病じゃね?ってのがおこちゃま脳。

聞こえるんだよ。普通に悩んだら、な。

聞こえないのは心が病んでる証拠。

ちなみに自分はhttp://anond.hatelabo.jp/20080922100745みたいに、「心の底からは笑えず」「無間地獄を生き」「声が聞こえる」人間ばっかりじゃないと思ってる。

むしろ、そんな無垢な心を「精神病」って片付けるのが今の世の中ダヨ。

2008-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20080920153710

好意的に考えれば、支援活動に入れ込むあまり、他者に対する想像力がちょっと機能不全に陥ってるんだろうね。

熱意を持って敬遠されがちなボランティア活動に励むんだから、その程度の行き過ぎ、独善的な思い上がりは

むしろ好ましい資質かも知れない。まあ、議論の趨勢には何の影響も与えないし、境遇を理解はしても共感はできないけど。

行き過ぎと言えば、生存権という言葉も鷹揚に使われすぎだと思う。

誰もが命を奪われない権利を持つのは、消極的自由の意味において自明だとしても、

積極的自由としては色々と制限がつくのもやはり自明なんだよね。

現に憲法上で生存権が保障され、法で定められた生活保護や各種福祉を享受する権利を持っているとしても、

「迷惑利用者に図書館を無条件で明け渡すべきだ」などという個別具体的な権利要求は、

少なくとも生存権を根拠にする場合、プログラム定説によって却下されてしまう事は自明

もちろん、コップの中の嵐を巻き起こしているとは言え、今の所新聞記事になった図書館ホームレスを追い出しては

いないんだけど、もしその能力の限度を超えた場合には、排除と思われるような行為に出てもまず咎められないはず。

というか、図書館生存権保障の機能を与えるのが効率的とは普通考えないだろうから、立法措置や行政裁量

仮に発動されるとしても、図書館批判派の想像とは全く違ったものになる事もやはり自明だろうしね。

立憲主義の矩を超えて国家私人の生活に干渉するのは、個人の尊厳を守りその自由を保障する為なんだから、

保障されるべき自由が「迷惑行為を掛けても免罪される自由」か「迷惑行為を掛けずに済む自由」かのどちらだと

問われれば、恐らく後者だと考えるのが普通感覚・・・という表現に過敏症を発症しちゃうかわいそう人も

いるようだから言い換えると、ともかく個人的な感覚としては妥当に思われるんだよね。

そして言うまでもなく、憲法というのは国家機関を制限するもので、いくら生存権規定があろうと、

思想信条の自由として私人がその拘束を免れうるのは自明。この辺りも雑に議論されているような気がする。

人権を否定するなんてハードな表現じゃなくて、誰それの無限定かつ無条件な生存権の保障よりも、

児童福祉や高齢者福祉、救命救急医療リソースをわけてくれと考えるのは、現に立法府行政府

そうした姿勢であるように、自明現実でもあるわけだから。むしろここで言われているような

健全な良識や良心、他者への共感」に目覚めた人は、同時に生存権がまるで自明なんかじゃない世の中にも

気づくはずで、そこからどう他者を説得しようかと葛藤したりするのが自然な流れのはず。

で、もし私人生存権を保障する義務を負うと本気で主張するなら、啓蒙臭にウンザリした多くの人が反発しているように、

「まずお前が自分の家でかくまってやればどうなんだ」という当然の指摘が来るのは避けられない。

図書館が開いてる時間帯だけ他人に開放する程度なら、家主の生存権にかかわる事態にはまずならないだろうから、

たとえば「不快感弱者トリアージするのか」なんていう、理解に苦しむ言い掛かりや魔女狩りを被る可能性も出てきてしまう。

加えてこの場合は、本質的には個人の勝手気ままな善意に依存するボランティア活動も全然不十分なものとなる。

権利に基づいた正当な要求に対する義務として、対応しているわけでは全然ないからね。

本気の本気で世の中を考えるんであれば、もう少しカッチリした議論を見せてほしいなと思う(まあ関連エントリレス

全部見てるわけじゃないんだけどね)。「健全な良識や良心、他者への共感」を大事にするからこそ、もう少し葛藤なり

屈託なりを露わにした方が共感を得やすいと思うんだ。具体的障害や摩擦のない船上パーティお気楽に訓詁学に耽ったり

説教垂れ流しても、中2病扱いされたりで説得力・社会的インパクトは皆無だろうからね。観客としての感想はそんな感じ。

2008-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20080917201105

ブクマコメントを読む限り、「健全な良識や良心、他者への共感とかが、論理とか科学とか小理屈の前に、全ての前提にあるものなのだ。」というポイントをちゃんと理解してそうなのが、あの「ホームレスに支援は必要ない」と言ってる自称元ホームレスだけみたい。

正しさと理由と大切なこと

http://anond.hatelabo.jp/20080916195956ほど直接的でなくても、他のことについて書かれたことを適用することで面白くなる場合もある。

「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない - 過ぎ去ろうとしない過去」(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080916/p1)はホームレス論争に関してのエントリーのようだけれども、これをホロコースト論争にあてはめてみるとd:id:HALTAN意見を援護しているようにも読めてしまう。

d:id:HALTANの批判は、よくわからないというのを多用していることからもわかるように、論理的に緻密に組み立てられた意見だとはおせじにも言えない。けれども、本当に大切なことには理由があってはいけないという考え方を適用すると、論理的な理由によって批判するのではなく良くないと感じるから良くないとでもいうような意見に正当性を与えることになってしまうとも考えられる。

とは言っても、このd:id:hokusyu意見が皆に受け入れられているかというと残念ながらそうでも無い。頭の良いd:id:hokusyuの緻密な意見でもあまり受け入れられないのだから、d:id:HALTANがそれよりも前に同じようなことを言っていてもそれほど受け入れられなかったのにそれほどの不思議も無いのかも。

ところが、同じことは「君らはちゃんと詭弁論理学を読むべき - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!」(http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080917/p1)でも述べられているのがこれまた興味深い。

もうなんというか詭弁論理学をちゃんと嫁!ってことですよ。健全な良識や良心、他者への共感とかが、論理とか科学とか小理屈の前に、全ての前提にあるものなのだ。誤謬論と「詭弁のガイドライン」 - 捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!とかトリアージ論争の俺的まとめ中でも紹介した部分なので、もう何度目かの引用になるがしつこく引用する。

いかに力強い言葉で説得されようと、

「だから、官憲も婦女子も、無差別に殺せ」

というのが結論であれば、断然はねつけるだけの理性は残されなければならない。

「あなたの考え方には、ついていけません」

反論はこれで十分である。

詭弁論理学」より


http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080917/p1


これもホームレス論争について書かれたもののよう。でもトリアージ論争に関しても適用できるとある。しかしトリアージ論争の一部としてホロコースト論争もあるわけ。そうするとこれまたd:id:HALTANの、あまり緻密で無い意見に対する援護みたいに読める。論理がどうであろうと、結論が納得で聞ければ断然はねつけるべきということだからである。

「あなたの考え方には、ついていけません」というのを「あなたの考え方は、理解できません」とすると、どこかで読んだようなものになってしまうのがなんとも。逆に考えると「あなたの考え方には、ついていけません」ときっぱりと反論した場合にも、相手によっては粘着してくることもありそう。

だからといってd:id:HALTANの結論が正しいかどうかというと、それも自明とは言えない。何が正しいかとか、何が良くて何が悪いかといったことの理由をどんどんつきつめていくと、行き止まりになるか循環論法になるしかないのだけど、その場合になにをもって正しさの担保とするのかはかなり難しい問題。正しさに理由があってはいけないのであれば、なにが正しさを規定すると考えればいいのか。今さら石に刻まれているからと信仰することも出来ないだろう。

ベタベタでなくなったとき  kom’s log」(http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080917#p1)に書かれている自然科学に関する「真理の追究」については、難しいことは難しくても論理によって解明可能な問題。しかし、倫理道徳といった人文科学に関する「真理の追究」はそれよりもずっと難しい問題。

2008-09-16

あるソフトのこと

音楽制作系のソフトの話。わりと有名なソフトだ。

何本かシリーズで出ていて、それぞれにキャラクターがあるんだ。で、箱にはそのキャラの絵が描いてある。

メーカーは、キャライメージをなるべく固定しないように、いろいろ工夫してくれている。これはたぶん二次創作を好きなようにやってくれ、ということなので、とても良心的だと思う。

ところが、せっかくそういう気配りをメーカーがしているのに、キャライメージを好きなように作れる、ということを利用して、好きなようにイメージを作って、それを固定してしまうというというのが、ファン活動や二次創作の中心になってしまった。

そうやって固定されたキャライメージ以外は認められないという、とても強い固定。

だから、キャライメージが作り上げられていく段階からのファンにとっては居心地がいい一方で、後から来たファンはなんとなく居心地が悪い。好きなように二次創作が作れない。

この違和感を感じているのは、自分だけなのだろうか。

2008-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20080914020912

今のご時世で何かもしれないけど、

昔はやおい好きが同じ目に合ってたわけだ。

やおいフィターかけて作品を楽しむことは別に個人の自由で、同じ趣味人間同士楽しんでいる事になんの問題もない。

けれど、「一般人」にバレたら最後、元エントリと同じ、多分一般的に趣味が知られていない時代ではもっと悪いいじめに会ったはずだ。

何しろ、同性愛自体、反発が大きく、それを趣味とするなんて全く理解されなかったんだから。

コスプレイヤーがまず一般社会に「迷惑」「痛い」という所業で表に出始め、

それにひきつづいてパロ同人自体も表に出始めた。

個人の趣味として楽しみたかった輩も、市場の拡大と、それに群がる人間に、否が応でも明るみに引きずり出された。

ホモが嫌いな女子なんていません」

ネタとはいえ、こんなセリフが受け入れられるのは、最近になってからだ。

かつてやおいオリジナルJUNEというジャンルは、基本的に攻撃しあっていた。(パロvsオリジナル

それが「BL」という曖昧な括りに統括されてしまったのはこれまたごく最近だ。

どちらも楽しめる人間もいれば、どちらかは毛嫌いしている人間もいる。

ノーマルとやおい、パロとオリジナルは、「乙女系パロ」と「やおいパロ」、そしてパロやおい作家が山ほどオリジナルプロになっている事で確実に敷居が低くなっている。

今は昔の軋轢など知らず、攻撃しあう、反目しあうのが珍しいという図式になってるのではないだろうか。

それでも、どうせ人間なんて、自分が理解できない物を攻撃、あるいは嫌悪するのが「普通」だ。

かつてのやおい好きの様に自分が好きな物を攻撃され、ひきこもることしかできない事だってあるだろう。

それでも、好きな物を好きで居られるのは「自分自身の選択」であり、「自分自身の力」だ。



実は自分自身、今、やおいパロの筆が持てない状態だ。

ネット上でパクリをされた事が原因。

自分自身はアバウトな人間なので、パクリだの盗作だのは眉つばで、

ジャンルでパロってる以上、偶然確率なんてむちゃくちゃ高いヨ、という程度だったのだが、当の本人が

「(私の)作品のファンで、ついやってしまった。すぐにネットから下ろす」

と謝罪した事で判明した。

相手はこちらが足元にも及ばない大手。

むしろ光栄だったが、あまりにもあからさまなパクリだったので、

(パクったとかマネしたとは明言せず)

「どうせなら競作って事にしませんか?

XXXというお題でお互いに書いた、って事を明記してもらえればそれで…」

と返信したら、何故か急に手のひらを返したように「パクリなんてしていない!迷惑だ!」と言い出した。

大手さんとはそれまで別に面識もなく、知人から「大手さんとコラボしたんですね!」という報告があって初めて知った相手。

なぜ知人がわざわざそんな報告したかというと、知人はその大手さんともともと懇親で(知人が大手のファン)

(私の)作品を見て大手さんが自分の作品を書いたとポロっと漏らしたのを、良心的に受け取ったらしい。

勿論私にはそんな話はなかったので、知人に「偶然じゃないんですか?」と話した結果が、冒頭の謝罪だったのだ。

別に知り合いでもない大手が痛い人だったとしても、それは通りすがりの犬に噛まれた程度だ。

その犬がノラだろうが、高級ブランド犬だろうが、どっちでも同じ。

知人には大手とのやりとりBCC転送を入れ、経過を伝えてあった。

パクリなんてしていない」と大手が言い出した時、憤慨したのは当然のように私ではなく知人の方だった。

勢い込んで、「自分には認めておいてなんて人間だ!抗議する!」と息巻いていた。

私は「認めないってんなら無理でしょ?」は言ったものの、大手でもない自分の作品に、こんなに真剣になってくれるのがうれしくて、とりあえず知人の抗議(?)はお任せしておいた。

その一週間後くらいだ。

知人が

「やっぱり大手さんはパクりなんてしてない。

あんたが悪いんだ。信用したのに」

と言い出したのは。

知人とはゲストは勿論、合同で本も出した事があるくらい、懇親にしていた。

萌え会話は勿論、食事したり遊んだりもした相手だ。

そもそも、その知人が言いださなければ、私はそんな大手が自分の作品をパクったとも知らず、

たとえ見たとしても「うわ!すごい偶然!」とパクられたとも思わなかっただろう。

流石に人間不信から鬱っぽくなり

気がついたら何もかけなくなっていた。

もう何年も前の事だ。

エントリに言わせれば

ホモ好きがホモ好きとトラブった結果でしょ?」と思うだろうし、

私も「そりゃそうだ」と思う。

楽しかった事が楽しくなくなり、結局ジャンルは撤退した。

それでも、まだやおいパロを書きたい。

どれだけ世間様に罵られようが、くだらないと言われようが。

毎日毎日書けるようになるようにリハビリをしたり、

また休んだりを繰り返してる。

本当はやおい漫画なんて好きじゃないんじゃないかとか、

実はあの頃の自分は夢だったんじゃないかと思うことさえある。

別にプロ漫画家になりたいとか、あるいはアマの大手になりたいとか、そんな事は思わない。

ただ、自分が好きな事を、普通に好きなままでやれる「昔」に戻りたいからだ。

そしてそれを「誰かの責任」にしている以上、「昔」にもどれないと解ってる。

そう理解するに十分な年月、苦しんだからだ。

そして、何年ブランクがあろうが、好きな物を好きでいたいという気持ちに変わりはない。

そのうちに、昔に戻るかもしれない。

あるいは、興味がなくなるかもしれない。

そのどちらでも受け入れる事ができるように、自分自身に後悔しないだけの努力だけはしたいと思ってる。

もしその知人に偶然会う事があったら、笑顔で「お久しぶり!」と言おう。

そう思ってる。

2008-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20080903204720

はいはい。どこが論点が違うかわかりました。

合コンにそんな、帰れコールみたいなルールを作る風土が、イジメを生む風土

多対1 という状況において 斟酌しない。という文化だねと。

というツッコミ

たぶん、この話は、どこまでいって、ジャイアン理論で。俺たちのルールマイルール。という世界なので。

厳しいかと思いますが。おっしゃられていることはマイルール的にはあってるんだから元増田がわるい。という事かと思います。

そして、私の指摘は、そのマイルールが、標準的な大人の倫理に対して良くない面がある事を否定しきれないという指摘です。

マイルールというのは、あくまでも、マイルール や ハウスルールなので。

正しいという根拠なんかどこにもない。ってことです。

そのマイルールに基づいて正しい、正しくないっていわれても困るというはなしで。

おなじくイジメクラスマイルール的にはイジメじゃないが、本人からすればイジメって事です。

0か1かではないですし、刑事訴追を受けるようなレベルではないですが、良心に基づいて、最良の対応であるとは言い切れないと思います。

という見解です。あくまでも、そういう見解の人もいるよという事です。

2008-08-28

http://anond.hatelabo.jp/20080828015742

学生が多いので、15時半以降が良心的。

学生勉強が本分だから、勉強時間荒らしちゃダメ。(授業中だと読んでくれないし、昼休みは友達とだべってる)

15:30なんて思いっきり講義中だろ、良識的に考えて。

月間100万PVブログ中の人です。アクセスアップは簡単・・・ではない!

月刊100万PV Blog更新頻度は週1回です。

エロは扱っていません。

はてなユーザっぽい人は少ない感じ。

だって、一般サイトだから。

マニアックな人を狙うと、どうしても人口減少しちゃうしね。

一般人相手だから、ブラウザIEユーザがほとんど。

FireFoxなんて10%に満たない感じ。

だれだ、FireFoxシェア30%超えた、とか言っているやつは。

マニアックな人やブラウザに興味のある人にアンケートしたら、そりゃIEn以外のシェアが上がるよ。

んで、週1回の更新でなんでこんなにアクセスがあるのかというと。

バックナンバーメール配信をやっているから。

携帯向けにメールマガジン作って、自分でも面白いと思う記事や反響の多かった記事を配信する。

メールだったら転送してくれる人もいるので、結構読者増える。

プログラムを組めれば、空メール登録システムレンタルサーバで簡単に作れる。

携帯PVを5くらいで割っておくとホントのPVが大体わかる。

携帯では記事を分割してるし。

あと、携帯メール送るときは時間に気をつけるべし。

学生が多いので、15時半以降が良心的。

学生勉強が本分だから、勉強時間荒らしちゃダメ。(授業中だと読んでくれないし、昼休みは友達とだべってる)

携帯アクセスを完全にゼロと考えてもPCからのアクセスだけを見ても50万PVはある。

1記事に写真イラストをつけているので読みやすい。

文字だけ・・・はユーザの目を楽しませていない。

この記事みたいにね。

一般人RSSなんぞ知らない。

だから、直接アクセスして見られた時に、日記の垂れ流しみたいなものはみせない。

そんなものはたんなる自己満足

ブログ」は「記事を書く」ところ。

こういうつぶやきみたいな記事は、別のブログ増田で書けばよい。

ちなみに、アフィ収入は月5000円。

アフィに気合を入れないで、あいているサイドバーに張り付けるだけだとこんなもん。

エロは除外しているし)

んじゃ。

2008-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20080821175712

300円だなんてそれは良心的な値段じゃね???

エコのためにマイ箸を買いましょう的なコーナーは千円以上??

(もちろん100均とかじゃなくてね)

2008-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20080817231451

一時期は7/11がすごく弁当に力を入れていたのだが、最近はぜんぜんそうでもない。

am/pm最近行ってみたけどすごいね。店舗は狭くて汚いのに、

弁当の内容はかなり良心的と見た。

2008-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20080811202044

http://anond.hatelabo.jp/20080811220706

資源制約を前提とした最適化自体は、財布の中身に合わせて

買い物するという日々のプロセスで、経営学なんか知らなくても

みんなやってる事だよね。売れない商品作ってる業者は倒産するか、

それが嫌なら売れるように経営努力するだけ。

結局、標的が人類全体に分散しまくりで何も言ってないのと同じ。

単に気にくわない奴へのイジメの口実がほしかったんだろうと思う。

エントリでは侮辱的な改変コピペまでして、相手をナチス呼ばわり

していたけど、何とも卑しい性根と言う他ない。

あと、彼は過去の固定客囲い込みが逆に仇となった百貨店を「かわいそう」と

女子学生が言ったのを見て、「これこそが全体主義に対するプリミティブな

異議申し立て」と持ち上げたんだけど、この事から彼がトリアージの用法ではなく、

経営学全般を全体主義のお仲間、ナチス呼ばわりしている事は明らか。

でも経営学外の概念である「かわいそう」の論理を、たとえば小売り業者の

興廃に適用すれば、護送船団という形で相対的強者が顧客一般の犠牲の上に

能力に比して)法外な利益を得るし、トリアージ現場に適用すれば、

やはり少数の相対的に健康体の人間=強者だけが(健康診断サービスと、

もしあれば軽い怪我の治療付きで)おおよそ生き残る。

付け加えて言うと、「かわいそう」の論理利益追求が本業でいくらでも

換えの利く企業等の組織ではなく、本来個人に対して適用すべき話なんだよね。

経済上の競争では敗者は消え去るわけではなく、労働力という資源として

きちんと再利用できるように、その生活をある程度保障する必要がある。

しかし(完全な)人権享有主体でもなく、もちろん資源そのものでもなく、

効率本位の存在ながらその意義を否定された衰退産業・企業は、資源の浪費を生むという

観点から長期的には退場して、その所有・利用する資源市場に開放する方が好ましい。

大雑把に言えば個人さえ救済出来れば何の問題もない。

最初から最期まで支離滅裂で、何の役にも立たない屁理屈をゴネているだけなのに、

何か大所高所から他人様を説教出来ると思ってしまえるのが、この種のインテリ

気取りの人文系の人の怖い所というか、恥ずかしい所だね。取り巻き連中

人並みの良心倫理があれば諫めるべきなんだけど、一緒になってリンチを楽しんでるしね。

2008-08-10

プライバシー侵害平気症

例えば、自宅を自分の意思で公開したり、今日我が家のおかず写真ブログにupするのは全然平気だろう。

それを他人が無断でやってたら気持ち悪いだろ。

「ここがid:○○の自宅です」、「今日id:○○の晩御飯はハンバーグでした」とか。

Googleストリートビューが平気な人は、どこまで他人に私的領域を暴露されても平気なんだろうか。

「やましい事をしてなければ平気だろ」という人もいる。

Googleストリートビュー ってそんなに気持ち悪いだろうか。 - www.be-styles.jp

仮にストリートビューで見られていなくても、一度外へ出れば守らなきゃいけないルールがある。ストリートビューで晒されるからいや、というのは基本的に理解できない。ここら辺は宗教のない日本ダメなところだと思う。

カントだったか誰だかは、

「神さまは存在しないかもしれない。でも、存在することは要請される」

と言ったらしい。神さまがいて、悪いことをしたら地獄で裁いてくれるのは、社会秩序のためには大切なことだ。そして、自分自身を律するためにも。だから、存在しなくても必要なもので、必然的に求められるものだ。

かといって、僕は宗教を信じるつもりはないが…ストリートビュー勝手に「神」をやってくれるならそれもありかもねと思う。ちゃんと削除要請をすれば消してくれる良心的な「神」さまだ。

でも、この人にしても

とはいえ、ストリートビューを100%肯定するわけでもない。

情報収集している車に関する情報は、もっと公開するべきかもしれない。事前チェックをもう少し入念にして、ラブホ突入するカップルや立ち小便するおっさんなんかは事前に削除できないだろうか。

と言っている。

立小便は別にして、カップルがラブホテルに入るのに何の倫理的な問題があろうか。

そう、不倫や援交じゃなく、健全なカップル(ひょっとしたら夫婦かも)が、どこのホテルにどの季節のどの時間帯にホテルに入った(ストリートビューなら場所以外にも、相当な程度把握可能)なんてことは、何らやましいことはない。

それでも、そこは知られたくないと思うのが普通じゃないだろうか。それを「やましいことでもあるのか?」「お父さんやお母さん(そしてGoogle様)に言えないようなことしてるの?」なんて責められるだろうか。

まさにそれがプライバシー重要性なのだ。

2008-08-07

こういう他愛も無いことをネットで書くって、別に誰かに向けて言ってるわけじゃなくて「ボールは友達」みたいな「ネットは友達」感覚なのかな。

財布落とした。

被害金額は財布の中に入っていた全額の2万8千円、カードキャッシュカードのみを入れていたのでそれを紛失。

ゲーセンシューティングやってたときにコンパネの上に財布置きっぱなしにしており

ヒートアップしてた後に、ゲームオーバーになって周囲見てみたらいつの間にか財布が消えている。

鞄を探してみてもあるわけが無く、おぼろげな記憶から自分の行動を辿ってみても無意味なだけ。

「財布無くした」と認識したときに頭にゾーッと来るような感覚は慣れられるものではない。

状況から見て、落としたのではなく他人にパクられてしまったことは確実だし、

それを全員に問うても落ちてましたと答えが返るわけがない。

また、財布をパクったならその場から逃げるぐらいの悪知恵は働いているはず。

もう二度と財布は帰ってこない。無駄なことをやるのが面倒で警察に被害届を出す気も起きない。

ただ涙目の入ったシケた顔を晒しながらゲーセンを呆然として彷徨していた。

他人の筐体の上に置いてある財布が恨めしく見える。自分の苦しみを味あわせてやるといわんばかりに盗みたくなる。

しかし、どう見ても隙が無い。財布に手を付けた瞬間に胸倉を掴まれることは容易に想像できる。

何より親が今まで大事に育ててくれた良心違法行為を呵責する。

逆に、なぜ自分がターゲットになってしまったのか?そこまで隙だらけだったのか?

誰かの陰謀か?大きな犯罪組織か?それとも神秘的な何か?

悩みは尽きないが、結局は昨日まで使っていた財布の無い明日からの人生と仲良く付き合っていくしかない。

折り合いをつけたところで、これ以上ゲームを続けてまた何かパクられるのも忍びないので

保険として携行しているお金を使って帰宅した。

財布を落としたのは人生で3回目。それは去年の7月からの半年区切りで起こってる。

1回目は財布を机におもむろに出していたときに、ちょっと席を外した隙に無くなっていた。

反省としてウォレットチェーンをつけたものの、

2回目はそのチェーンを外したときに1回目と同様のケースで無くなっていた。

被害総額は多分10万円ぐらい行ってるのではなかろうか。

財布を落とすことについて、親は「経済観念の欠落が原因」と指摘している。

確かにまだ学生として親に縋り付いてる身ではあるけど、

自分が遊ぶ金ぐらいは自分の身で働いて捻出してきた。今回のお金だってどう考えてもすごく痛い。

ゲーセンで金使ってるぐらいだから一理あるかもしれないが、何か違うなあと思わざるを得ない。

それよか、自分はチャリの鍵をかけ忘れてチャリを盗まれたり(二代目は購入して一週間経たないうちに)

しているので、結局のところ経済観念の欠落ではなく単に自分の悪癖が原因な気もするが

それは何が原因なのか遡るとさらに個人的な内容になりそうなので自重しておく。

とりあえず、対策には対策を講じる必要がありそう。

札束の入った財布はチェーンで携行。

小銭入れを用意してゲーセンで小銭を使う場合はそこから取り出し、

カード類はカードケースに入れて必要なとき以外出さない。

リスクの分散はいつでも怠り無いようにしたい。

バッグごとパクられたらもう知らん。

ちなみに「財布 落とす」でググってみたところ、17回財布を落としたという書き込みを発見した。

慰められるもんか。冗談じゃない。いくら落としてんだよ。

2008-08-06

http://anond.hatelabo.jp/20080806185417

加藤さんとか和田サンとか、相手はいくらでもいるのに、わざわざノーベル賞科学者を選んできたのだから、その増田良心的なんじゃないかと俺自身は思ったけどな。ちがうのかな。

ふむ、ノーベル賞科学者を出してきたことが余計に怒りを誘ったんだと思うが。少なくとも今の日本で一般的ではないことだし、いわゆる極論での揚げ足取りだと思われたのだろうね。なぜ「自分の遺伝子にはこだわらない」と聞いたときに、普通に想定しうる現実的な、急逝した兄夫婦子供をひきとることや、夫の先妻との子供を育てることなどが出てこなかったんだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20080806090022

  • 自分以外でもかまわない
  • ただし愛人は除く

から

1)ノーベル賞科学者はどうなのよ話題が振られ

2)そこからノーベル賞科学者を選ぶ理由として、遺伝子の良し悪しが判断基準の一つとしてあがってきた

と理解している。

加藤さんとか和田サンとか、相手はいくらでもいるのに、わざわざノーベル賞科学者を選んできたのだから、その増田良心的なんじゃないかと俺自身は思ったけどな。ちがうのかな。

ついでに、共同作業の材料としては、別に動物でもいいんだろうし、それなら簡単に捨てられるじゃん、とかも思ったりする。めんどくさいので書いておくと、動物を捨てることの良し悪しなんていうまでもないけど、犯罪であることに目をつぶれば可能かといえば可能だろうし、譲渡することもできるのだから、素材としては悪くないはず。だけど、共同作業をするためには両者にとって思い入れがないといけないとすると、普通子供のほうがいいだろうし、最善なのは二人の子供なんだろうなあ。普通自然(笑)まあ俺にとっては、自分でなくてもいいと考えている時点で、かなり不自然な人ではある。

2008-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20080727233318

一か月前に言ってくれるんだからかなり良心的だと思う。

だがちょっと匂う。

一か月もあれば資金繰りはなんとかできるとおもう。

だが、いまからヤバス警告を発しているということは借入のあてが立ちそうもないということだろうか?

100名の会社であればそれなりに売上があるからそれくらいの借り入れは普通に考えればできる。

でも、できない。

これはこれ以外にも何かあるとおもったほうがいい。

100名の会社に下請けが?

下請けが潰れるとなんで資金繰りが悪化するのかわからない。

仕事を出していたのが頓挫して賠償に発展したとかそういうことだろうか?

出資金が滞ったとか?

でも出資金がロストしたところで資金繰りには関係ないはずだ。

下請けの売上をあてにするような変な体制があったことになる。

ここらへんよくわからん。変だ。

ちなみに取引先が潰れて潰れる会社は多いので、

中小企業庁連鎖倒産防止のためのセーフティーねっとというものがあります。

経営者に進言しましょう。

http://www.chusho.meti.go.jp/kinyu/sefu_net_1gou.htm

2008-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20080723205840

だね。なんか事件を起こして社会に訴えるというルートが出来ちゃったもんな。それを見て、俺も事件を起こしたら周囲も俺のおかれた状況の悲惨さを思い知るだろう的な妄想を繰り広げてる奴多数。昔はそういう奴は自殺妄想するもんだったけど、自殺よりも通り魔事件の方がより多くの注目を集めるし、同情的な意見が出るんだもんなあ。なんか変な世界だよ。酷いことをした奴の方が「こんだけ酷いことをせざるを得なかったということは、それだけ追い詰められていたということだ」みたうな解釈になる。原因と結果が逆だよ。んな馬鹿なわけねーだろと思うわけだが、真っ当な意見よりも子供屁理屈みたいな意見の方が、目新しいから・自分達の心情に近いからということで支持されちゃうんだよね。

こういうのに対しては、頑固親父ばりに言い訳無用でガツンとやってやればいいんだよ。それが社会良心というものだ。

2008-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20080723223112

なんだ、幕末時代の切った貼ったの時代の思想を今の自民党が引き継いでるとかトンデモぶちかましてたのはお前だったのか。

政党と無関係に、政治性とも無関係に、ピザ屋も含めてあらゆるビラを全部公平に逮捕するなら、まあ公平は公平だと思うよ?ww

ほんと、本題から逃げ回ってばかりだよな。こういうのしか味方に現れない共産党にはいささか同情するよ。

まあ、住民が通報すれば警察沙汰にはなるだろうな。しかし現実的に共産党過激派崩れ以外はなかなかそういう事態にまで発展せんだろうよ。そもそもなぜ共産党ばかり逮捕されてるように見えると思う?そんだけ通報される割合が多いって事だよ。大概のビラ撒きはその場で注意したらさっさと引き下がるからその場で終息するんだが、共産党の場合はそれを無視したり、あまつさえ住民と口論になったりするようなのが多いから通報されるわけ。警察沙汰に発展した事例を調べてみ?殆どがビラ撒き禁止の張り紙を無視した常習者だったり、住民と諍い起こしたりしてるから。それに、似たような事やらかしてるエロチラシ配りや右翼崩れみたいなのも希に逮捕されてる。

この手の事案は、別に警察マンションアパートで待ち伏せしていて、ビラ撒きが一歩入った瞬間を取り押さえた、なんて物々しいものでも何でもない。住民や管理人が出て行けと言ったのに出て行かない、何度も何度も立ち入ろうとする、それに耐えかねて警察に通報、警官現着、なんだアカか、はいはい詳しくは署で聞きましょうねーという流れ。そしてとっつかまった奴はお定まりの黙秘。調書作成に素直に応じれば厳重注意程度ですぐに方面される可能性すらあるのに、わざわざ黙秘して拘留期間めいっぱいまで居座り続け、娑婆のお仲間は「ただの不法侵入なのに、異例の○○日間もの長期拘留による弾圧!」とかぶち上げて士気を高める、と。そして訴訟費用とかビラ作成とか名目つけてカンパをせびったり。拘留期限が切れて釈放されたら、そいつは「弾圧に耐えた同志」としてハクが付いたりするわけだ。事情を知らないアムネスティあたりから「良心囚人」とか認定されたりしてな(笑)。

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と」 に質問あったので。


上記二つを書いた増田です。

質問とかあれば、と書いていたら本当に質問あったので回答してみようと思う。

#追記

#上記二つのエントリの続編というか、まとめ(このブログで言いたかったコト)書きました: http://anond.hatelabo.jp/20080724004506

ただし、そもそも説得しようとか布教活動するつもりは毛頭なく、はてな村的な「事実淡々としたレポート感覚で回答したいなと。

なので、こういう感じだよっていうニュアンスで書きます。

結果、総合的に見ると矛盾だらけの教理に見えると思う。

実際には(私はそもそも愛想つかしてるので擁護しませんが)、箇条書きする要点の間には、もっと沢山の補完教理があります。

だから、「こんなもんか」って早合点するより、概ねそんな感じらしいって感覚で見るといいかも。

具体的に知りたいことは家にきたエホバの証人に突っ込むほうがよいです。

教理のアップデートが結構頻繁なので時代により若干、教理が異なってきてるのでこの内容そのものが若干古いとも思うしね。(ここ1、2年はまともに話きいてないので)

ちなみに昨日は寝ぼけてグダグダで書いたんだけど、それが良かったのかすごいブクマついててびびったよ。。。

01.宗教全般に見られることなんだけど、なんで禁欲的な生活が推奨されて、禁欲的でないと排除されるの?宇宙戦争のくだりを読む限り関係なさそうなんだけど。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

次の質問で詳しく回答しますが、「禁欲的であるかどうか」が重要ではないんです。

結果として禁欲主義になっている、と捉えるほうが理解しやすいかも知れません。

重要なのは「聖書が何と述べているか」つまり「エホバ神は何と言われてるか?」と、

「神の命令に自分は従っているか?」が重要な基準なんですね。

禁欲的なのは神がそのように生活せよと命じられている(と、エホバの証人解釈している)から。

神の命令に従わなければ宇宙戦争世界では、悪魔の側となるという解釈なんですね。

ゆえに、聖書NGとしている(とエホバの証人解釈している)戒律を守り、禁欲的な生活を送っているのです。

禁欲は結果としてそうなっているだけであって、それが目的ではないんですよ。

真の目的は、神の側に自分はいるかどうか、なのです。


02.なんで輸血がだめなの?自殺のくだりで「命を粗末にってことで」とあるが輸血がなぜ命を粗末にする行為なのかわからん。人を助ける行為じゃないの?

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

これは、そもそも「命」の考え方がエホバの証人一般人と異なります。

エホバの証人は、今の肉体は不完全であると考えています。

不完全だから老衰病気になり誘惑に負ける弱い生き物になったと考えています。

不完全になったのは、神ではなく悪魔の側につくと最初の人間である、アダムとイブ(JWはエバと呼ぶ)が選択したから。

人間は神の側か悪魔の側か選択する自由は与えられてた。

しかし、悪魔の側を選んだ場合、代償として死ぬはずの無い人間死ぬことになるという決まりになっていた。

(どうして死なないといかんの?というのは究極的な結論は神がそう決めていたから、というのが最終回答)

で、エホバの証人は、生きるか死ぬかよりも、神の是認(認められるか)を優先すべきであると教えられています。

結論から言うと、輸血だけではなく、神か神以外か?と二択を迫られると神を選ぶ!とどんな状況であれ選ぶ人が

真のエホバの証人であるという教理を持っています。

そもそも、この教団の呼び名である、エホバの「証人」というのも、この思想に基づいています。

つまり、絶対に神が正しい、神に勝る存在はなく、何よりも最高権威者は神であるという考え方です。

例えば、聖書殺人を非としていますが、神が是認した人の死は容認しています。

聖書の中では非信者である人間が、エホバに使える者に神の名によって殺されるシーンが様々なところで出てきます。

その場合、これは、神に反逆した者の報いであるといった解釈をします。(もうちょっと言い方ありますが解りやすさ重視なので)

逆に、神を非とした勢力に殺された信者の話も出てきます。

これに関しては、この忠実な証人は、楽園の時復活するのです。私たちは再会を楽しみにしましょう。と教えれます。

そろそろ話が見えてきたと思いますが、エホバの証人にとって、死ぬことより神に非とされることのほうが重大な問題なのです。

命を大事にせよと確かに教えられていますが、何より神を第一とせよと教えられてもいます。

この神を第一とする考えは絶対です。神より上位のものはエホバの証人概念には存在しません。

従って輸血を避けよと神が命じているなら、神の是認を得るために死をいとわないと考えます。

しかし第二優先事項として、命を可能な限り守ろうと、「輸血以外ならありとあらゆる方法で」命を守ろうと考えます。

ちなみに話がすこし逸れますが、脳死状態(回復する見込みの無い状態)に関しては聖書は明確な指針を示していません。

脳死の場合、延命を希望するかしないかは個人の良心の問題(聖書の行間の間にある余白から出ているメッセージを自分がどう解釈するか?)になるのです。

この個人の選択に関して、他の信者が介入したり批判することは非とされています。ただし、いわゆる二世の家庭では親が子に自分の解釈を強要するケースは珍しくないのも事実です。

つまり、命より、神の命令を守ることが、一番重要であるという価値観なんです。

ちなみに、これをカルトと言うか価値観ととらえるかは、宗教の文化が薄い日本では難しいというのは書いている自分は重々承知しています。


03.宇宙戦争の話面白かったです。でも「民主主義」に洗脳された「私には神しか、人類そして宇宙を支配できませんってでしたっていう証拠を作らないといけない。」これがちょっとよくわからなかった。

宇宙主権の正当性を立証し、復権し、人間人間を支配してもうまくいかんから

人間支配権は神に戻し、神が支配する世界人類繁栄しよーぜっていうことになっている。

この辺もだけど、神の復権ありきで議論が進んでるように感じる。人間が支配する、ってのは絶望的なのかな。

そもそも宗教に入るひとは、社会に対して何らかの不満がある人が入るから、「人間が支配しちゃだめだ!そうか神の復権だ!」って考えるのかな。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723144603

宗教という枠で見ると話が壮大になり、それは宗教学者と議論された方が充実すると思います。

なので、自分の守備範囲であるJWという狭い枠の中において回答します。

結論から言うと、復権ありきで議論が進んでいる、と言うより、神の復権がそもそものテーマです。

こればっかりは、そうなってるんですよ、としか自分も言いようがありません。

ただ、「人間が支配する、ってのは絶望的なのかな。」という感想ですが、そこにはYesとは言えない部分も。

どういうことかと言うと、「神は選択の自由を認めている」というのも教理の一つなのですよ。

ただ、それに責任が求められるわけで。

つまり、「絶望せずにやってもいいんじゃね?」とも言えます。

あまり、この点をエホバの証人は言いたがりませんが、エホバの証人も神は選択の自由を認めており行動に責任は求められますが選択の自由を保障しています。

まぁ、時々、頭の弱いエホバの証人は、神に見倣い保証すべき自由を否定し、子供に選択を「強要」しちゃってますが。。。

別にこの「自由」という権利は、エホバの証人の中で新しい教理ではなく、発足当時からあるものなんですが、あまり注目されていないという事実もあります。

特に日本は地域変種の信者が非常に多く、日本支部ですらNGと唱えてるのに「服装の明確な規定」まで設けようとした頭の弱い信者もいます。(大抵、そんな困った人は、やがて指導受けますが)

だから、「神の側しかないの!?」ではなく「選んだらいいよ」ってのがある意味、神のメッセージとも言えます。

もちろん、「選ばないと滅びるよ」とは言ってますが、「本人の意思で自由に」と。

実はこの教理がある意味、二世を苦しめる教理の一つで、「私たちは強要してないのよ。神も自由は認めてるのよ」と言いつつ、聖書にはこうあるわよねと言われて育てられます。

前回は正直おもしろおかしく読ませることも若干意識して、一部のケースばかり書いたという側面もありますが、こういう言い方をする親も少なくないようで・・・

そういった家庭で育つ二世は、面と向かって宗教を強要されてはいないんだと、認識錯覚?)してしまうため、強く否定できません。

上から押さえつけられればあれこれ抵抗できるでしょうが、誰だって横からの攻撃は弱いもの。

結局、こう苦しく感じるのは自分がおかしいからなんだ、と考えて鬱病になる人もいます。

いますつうか、俺の友人の一人は確実にそういう感じでおかしくなったし、実を言うと自分もそれで精神病になるかなーってやばかった時期あります。

それから、「社会に不満だから宗教に入る」、確かにそれは一つの側面ですが、「全ての人がそう」ではありません。

それから、"社会に対して何らかの不満がある人が入るから"に関して。

宗教」は日本にはもともと無い概念だそうです。日本宗教という語は、的確な表現ではないという指摘もWikipediaにありますが自分もその通りだなと感じています。

宗教を捉える時に、「信条」とか「儀式」とかそういった形にしやすいものをどうしても日本人は中心に考えるんですが、それって、ショートケーキの上にのっけたイチゴみたいな概念ですよね?

つまり、人生の上にのっけるイベントのような。

でも、人それぞれですが、真剣に宗教をやる人にとって、宗教というのはむしろ、ショートケーキパンケーキ部分そのものなんですよ。

もっと言うとケーキを載せてる皿かも知れない。

はてな的に言うと、一般的な日本人の言う宗教ってアプリケーションです。

でも、マジでやってる人にとって宗教ってのは、OSなんです。

だから、社会に不満があるから、入信ってのは一部の人でしかないです。

で、そういう人はエホバの証人の中にも確かにいますが、長くは持ちません。

ちょっと嫌なことがあるとすぐに辞めちゃいます。

そもそも、ハルマゲドン到来の予言がはずれたり、子供エホバの証人なんてもう嫌だ!このせいで不幸になった!と叫んでも、脱退しない人は大勢います。

なんでかっつうと、その人にとって、これがOSなので取り外せないんですよ。

そんなの洗脳されとる!と思って忌諱するかはまぁ、これ読んでる方の捉え方なのでどうにもなりませんが。

身近な例で概念を理解してもらうための話をしてみます。

結構思いつきなんでアレですが。

あなたが犬を飼っていたとします。

その犬に名前をつけ、とってもとっても大事に思います。

今日仕事で疲れたなぁと思っても、その犬とふれあうことで心が癒される。

で、ある日、その犬を連れて外国に行きます。

仮の話なんので極端な例ですが・・・その国では犬は、ゴキブリや蚊、ハエと同じ害虫

最悪の生き物と見なされている国だとします。

きっとその国の人はあなたにこう言います。

「なぜあなたは、このような生き物を大切にしているのですか?

 柱に近づけば尿をまき散らし、餌を与えれば下品にガツガツと食べます。

 夜になればうるさく吠え、また人を襲います。全く私にはあなたが理解できない」

宗教ってのは熱心な宗教家にとって、宗教なんでやるの?って言われるのは

まさにこういう感覚(実際にはお前何で生きてるの?と言われるに等しい)です。

単純に、現世からの解放という側面だけで宗教を見るとどうしても見えない部分が沢山あります。

そのあたりは、経験するかもっとじっくり身近な宗教家と話さないと理解できないかも知れません。

とりあえず、家にエホバの証人が来たら、じっくり聞いてみると解るかもW


04.「今の世界悪魔に唆されて出来た世界で、人間の自治は失敗しなければならない。だから、そこでの成功や幸せぶっちゃけ世界平和悪魔に与する事になる」と、思えた。だから、楽しくとか、優しく(隣人愛=一般的に言えば誰にでも友好的で優しく、かな)ってのが聖書メインテーマだと判断しというのとは、本来的には相容れない気がした。

質問者http://anond.hatelabo.jp/20080723103847

聖書の理解(というかエホバの証人聖書解釈)によると、今の世そのものが神の愛によるものなのです。

どういうことか?というと、要点は下記の通り。

  1. 神は、自分の宇宙主権の正当性を「わざわざ」立証する必要は無かった
  2. 人間悪魔サタンも滅ぼす権利があった(だって宇宙の最高権威者。反逆者は自分が絶対者かつ宇宙真理正義なのだから、反逆者を全て処罰するのも正当な行為という概念
  3. しかし、神は、宇宙主権に唱えた人間悪魔に弁明の機会(そうする必要は無かったのに!)を与えた。それが今の世界である。

で、神は人類としては神から離れてうまくいくはずがないので失敗は必然だけども、神の側を選んでいる人間個人には、今の世の中でほどほどに喜びを味わって欲しいと考えている、とも解釈されています。

そもそも、信者信仰対象である神の特質(の一つである、愛という特質。その例とされるのが上記の通り)に見習うことが良いとされています。

つまり、人類は神に背を向けたために苦しみを味わうことになった。

それは先祖アダムとエバのせい(罪は遺伝するという解釈。それを修復したのがイエス。で、まだ完全修復は実施されてない。長くなるので省略)

だけど、とは言え、神は、人類という大きな枠組みでは放置されてるけど、神の側につこうとする人間レベルでは見放されてない。

その一例が、聖書という指針書。今の世の全てが解るし、これからどうすればいいかも書いてある。

これが人類に与えられてることも、神の愛だよね。

つまり、人間は、そもそも滅ぼされてもおかしくない存在なのに生かされてる。

そんでもって自分たちの主張した意義を証明するための試験期間すら与えてもらってる。

そして、既に人間だめだこりゃ、神の側につきますって人には、聖書を通して神からの真実が教えられている。

で、神の側につく人は、神の特質を自分自身も表していくようにともあると解釈しています。

だから、神の側につく=神の特質を反映する=神の特質である愛を表明する=つまり優しさとかそういうの=それを表明するのは神の側!

回りくどいけど、大体はそういう解釈です。

エホバの証人と、いわゆる二世と、背教者と。

#追記

#このエントリの続編というか、まとめ(このブログで言いたかったコト)書きました: http://anond.hatelabo.jp/20080724004506

#おまけ: http://anond.hatelabo.jp/20080723230708


エホバの証人・・・家に時々やってくるアレ学校格闘技とかあると見学してる人。クリスマスとか参加しない、年賀状を送ってこない人。略称JW

二世・・・二代目。親が信者で生まれながらにして家庭がエホバの証人だったり、途中からそうなったり。片親二世てのもある。

背教者・・・アンチ。元エホバの証人だったり、親族がそうって人も少なく無い。二世の人もおる。この日記のスポット

自分はもうすぐ辞めようと思ってる現役なんだけど。二世だし、生まれた時からこの世界だった。

まぁそのあたりは自分史は今回はどうでもよくて、そういや、俺みたいに辞めようって人はどんな感じなのかな?とググってみた。

結論からいうと、エホバの証人は、組織(統治体と言う)の指示によりネットで、宗教関係などに手を出してはいかんとある。

だからJWとわざわざ公言して日記してる人は信者の中でもあんまり熱心じゃない人がデフォルト(立場は関係ない。)。

で、どっちかつうと元信者、アンチJW=JWからは背教者と言われる人、のサイトが多い訳。

だから、要は辞めようか辞めまいかっていうグダグダな人はほとんど居なくて、もう辞めちゃった人か、アンチサイトしか出てこないんだよね。

それは知ってたので、どうせ辞める次いでだしなといわゆるJWから背教者と呼ばれる方達の内容ってのぞざざっと見てみた。

ざざっと、とは言っても16時間ぐらいぶっ通しで今朝4時半までやってたんで、それなりには、見た。

で、今から現役として、なるべく一般の方にも解りやすい形で雑感を書こうと思う。

元JW、幽霊部員状態のJW、バリバリなJW・・・は1秒でこの日記を読まないと思うのでグダグダなJW、

あとはJWはせいぜい輸血しない人?ぐらいの認識の方達がここにトラバなりで意見とかくれるを期待したい。

要は自分の本音が外部からどう見えるのか、興味あるもんで。

まず、前提条件。JWは宗教においては基本的に素直な人とのみ話しなさいという方針がある。

つまり、議論するな、討論するな、宗教論争は避けろ、自分の信仰=信念のほうが解りやすい?を試してはいけない、とお達しがある。

これはどーゆー事かというと、JWの聖書おかしいよ!訳が変!とか、JWの教祖会長っていうんだけどね)は

女好きでヤリまくりだったっていう証拠があるんだぞ!おまいらおかしくね?みたいな話には、

見ざる・聞かざる・去る、が鉄則ってことなんだ。

だから、創価学会の方には申し訳ないのだけど、心行くまでJWとしては自分も討論したことがない。

すること自体が、JWのアイデンティティー違反なっちまっていたからだ。(ずっと昔の話。俺の親友の一人は学会員だった。いい奴だったよ)

えーと、だから、背教者さんってものすごく熱くサイトでJWの矛盾を列挙されたりしてるのだけど、

実はあまりJW側には影響が無かったりする。

JWを良く知っている元二世の背教者さんなら尚更。

吠えても相手は聞かないんだから、討論なんて成立せんのだ。

聞きにくるのは放っておいてもJW辞めるような奴だ。相手にしても物足りないと思う。

「そうだそうだ」っていう同調者としては嬉しいだろうけど、説得とか、引き込んだって感覚は味わえんはず。

だから、自分などは親と言い合いなど全くしない。

眠たそうな目で、空に舞う羽のように、のらりくらりとしてやりすごす。

長老(牧師みたいな人)とかに突っ込んだ質問されても、強く反応しない。

聞いてるのだか、聞いてないんだか、みたいな。。。

何せ、腹を割って話そうとすれば上記の通り、一定レベルの濃さになるとシャットアウトする

脊髄反射的な対応が始まるので、ロックな気持ちで「こう思うんだぜ」と言うのが無駄なのだ。

聞かないんだもの。

だから、自分は辞めるための理由などもJWにはいちいち説明せんことに決めた。

説明しても聞かないだろう。

でも、元信者の背教者さんほど、すげー熱くJW批判されとるってのが解った。

何とか、ココがおかしいよ現役!おまいらこれ変じゃね!とか一生懸命なのね。

聞く訳ないのに。雑魚(辞めかかってる人間)のトドメの演説にはええだろうけど

あんたらの目的(大抵のサイトに趣旨とかで公言してある)は現役を辞めさせることだろ。

引退間際の老兵を相手にしてもなーって自分は思うのだ。

で、まぁ、何でじゃあこんなに必死なんだろ?って考えてみた。

少しずつ解ったのだけど、元JWでも未だに心のどこかにJWって人が多いらしい。

で、ある人はそうした葛藤が苦しくて、過剰反応し、一生懸命、間違っているところを

声高々に言うっぽい。

もう少し解りやすい例で言うと。

振った女のことを、毎日mixiに、あいつはあんな所がダメだったとか、

あの女とつきあう奴は馬鹿。とか、そんな日記ばかり書いているマイミクいたら、どうする?

まだ未練あるんだろうなー、プププって思うだろ?

そんな気持ちになった。

JWの矛盾を立証するために聖書の隅々をあれこれ指摘してる人、

組織はてなで言えば、信者=ユーザー株式会社はてな組織)の教理の矛盾点を

がーっと連載している人。

まぁ、初めて背教者サイト見たけど、「何だ、こんなもんか」ってがっかりだった。

別に、クドクド書かなくてもいいんじゃね?

元JWだけど今はフツーに楽しく暮らしてるよって、ブログプロフにちょろっと書くぐらいで

リア充日記を書く方が現役JWにはよほどダメージがある。

JWでは北風と太陽を、具体化したような信者になるので、

正面切っての攻撃(批判、いや指摘)にはかなり固い。

どれぐらい固いかって、ドイツホロコースト(そんなの無かった論はまた今度にしようや)にも

抵抗しとったし、ソビエト連邦時代、KGBにカルト認定されても地下活動を辞めず

結局、ソビエト崩壊時には、一気に信者であることを公言した人が続々出たって話もある。

でも、JWはびっくりするぐらいの弱点がある。

それは日常のささやかな事。

JWを知らない人のためにざっと組織が良く無いって上げてる点を列挙しとく。

ちなみに一般ピーポーへの解りやすさ重視なんで、ちといい加減。最近行ってないしな。

破門になるもの

 ・結婚前のエッチ

 ・選挙活動、他宗教の活動参加

 ・輸血

 ・タバコ麻薬

 ・組織や教理、聖書への組織が推奨する以上の研究矛盾点の指摘にこだわること(背教者認定)

 ・長老組織からの指示にあからさまに反対し続けること(背教者認定)

イエローカード、場合によっては制裁(会衆=協会での行動制限、発言制限など)

 ・異性と二人で歩いた(ボディタッチは死)

  合コンなんてとんでもない!女友達も結構監視が厳しいことがある

 ・ちなみにデートしてもいいのは結婚前提の時のみ

  若い男女間の携帯メールデート同然という扱いでNG(でも実際は横行しとる。そりゃそうじゃろ)

 ・会衆=協会を、数回サボった(地域差あり、バカンスのためにお休みしたとかだと結構危ない)

 ・暴力的な音楽ゲーム映画などが好きと噂される

  流行を追いかけてると噂されるのもあんまよくない

 ・スポーツ観戦に熱心だとやばい。サポーターになるなんてのは危険行為。

 ・奉仕(家にやってくるアレです)をサボりがち

 ・おにゃのこ場合、私服でも下着がチラ見えするような服とか、谷間の見える服はまずい

 ・男の子も、髪型が耳かくれてツンツンヘアピアスみたいなのはまずい

 ・宗教活動時は、男はスーツおにゃのこは、ノスタルジックワンピースとか。

推奨されること

 ・エホバという神に使える=新世界聖書組織の本に精通する=そこに書いてあることを適用する

 ・会衆=協会で、より責任のある立場に任命される模範的な人となること(禁欲的生活+熱心な宗教活動)

 ・仲間の信者に親切で気遣いを示すこと、地域住民にも優しくあること

 ・聖書研究すること。ただ、聖書を学術的に研究したり、JWが発行している新世界聖書以外の聖書

  熱心に用いて研究するのは危険視される。組織が発行している本と新世界聖書をセットで研究するとOK

 ・宗教イベント(新しい会衆を建設する、とか)にボランティア(無償)で積極的に参加すること

他にもあるけど、まぁこんな感じ。

つまり、短いスカートはいてたりとか、若いおにゃのこ男の子が、協会の隅っこで

最近どうよ?とかメールやり取りを頻繁に行っていると、即笛が鳴るのですな。

ああ、自分も何度鳴らされたことか、畜生

もっとも、イエローカードのものって明確な基準はない。

個人の良心次第です、でも他人の良心に配慮しようねってのが組織の基本スタンス

だから、地域格差がすごい。

短いスカートでもおとがめ受けず、フツーの女子高生やってる子もいれば、

三つ編みモッサリスカートに分厚い牛乳瓶の底メガネっていう子もいる。

この地域差は、会衆の空気=会衆の長老(その町にある協会の牧師)の基準が結構、大きい影響力を持つ。

なぜって、長老に「おまえ、いい気になるなよー」って言われると、「長老には従いましょう」という

基本原則があるので、悔い改め=行動と考え方(実際に考え方変える人は少ないかもじゃが)改正しないといかん。

そうしないと、上述の通り、長老組織聖書=神の取り決め=神に任命された人、なので、

要は反逆者=アンチ=背教者認定・・・まではないくことは滅多にないけど、何らかの制裁を食らう。

例えば今迄、会衆の寄付会計係だったけど、明日からはもうしなくていいよ=お前は謹慎だよって言われたり。

(例は極端な書き方してます。どういうもんかは説明面倒なんで入信して確かめれw)

まぁ、だからね、派手な人は叩かれやすい。

もっともJWは地域変種が熱帯魚のプレコなんて目じゃないぐらいすごくて、

例えば、国によっては家々に訪問するの禁止、だけど広場で雑誌を持って立っておいて

声を掛けられたらその人に宗教活動するのOKってところもある。

そういう国の信者と、日本のようにピンポンまくりな信者は、根底は同じでもやはり差があるのだ。

だから、派手なのが叩かれるって書いたけど、派手って行っても、普通の人からすると

高校生デビューぐらいの可愛いもんだと思ってもらえればいいと思う。

山田優の格好を真似たら、スカート短い!服がぴったりしてて胸が強調されてけしからん!

そんな格好してはいかん!って怒られる。そんな感じなのだ。

実際、JWの若手にはこの制限が大変不評でこれはもはや伝統的なものとなりつつある。

もうね、毎年、わざわざ雑誌に「こんな格好するんじゃないよ」っていうようなテーマ

記事が特集で発行されるぐらい恒例なのだ。

だから、JWの信者てのは、町中で手を繋いでるカップルとか、奇麗な格好したOLに

いいなぁ・・・って目で見てる。

もう一つ言うと、熱心なJWであればあるほど、世俗の仕事=宗教外の仕事=つまりフツーの仕事よりも

宗教活動に重点を置く生活を取るよう努力する。

これは、なぜか?理由が長くなるが、これ抜きではJWがまったく理解できないので説明する。ただしすっ飛ばして。

JWには宇宙論争という大きなテーマがある。

これは、アダムとイブに蛇(を操っていた悪魔)が禁断の実を食べさせた時のこと。

人間は神なしでも自分たちで正しい判断、自治できるはずです、その実を食べたらそれができるよ。

って言ったという経緯があるのね。

それまで人類史上つうか人類以外に聖書世界知的生命体は神と天使(JW的には、み使い と言う)、

悪魔しか出てこないのよ。宇宙人は居ない設定らしい。

で、この蛇がそそのかした時の言葉は、宇宙始まって以来、初めて

神が神たる主権を持つことが正当か?という問題提起になったということらしい。

で、それを証明するためには、問題提起者である悪魔サタンと、それに同調したこと(実を食べたから)

になる人類が自治をし、やっぱり駄目でした☆

神しか、人類そして宇宙を支配できませんってでしたっていう証拠を作らないといけない。

今の世の中はその証拠作りの期間である・・・という世界観なのだ。

JW的な解釈(自分は他の宗派は知らんし)では、聖書はこれがメインテーマ

つまり、今の世がなぜこうなのか=神が介入していないのか、これかは神はどのように

宇宙主権の正当性を立証し、復権し、人間人間を支配してもうまくいかんから

人間支配権は神に戻し、神が支配する世界人類繁栄しよーぜっていうことになっている。

それが、JWが言う「希望」であり「楽園」ってやつね。

楽園実現の過程で不老不死とか死者復活とかいうイベントも起きる予定とのこと。

ちなみに、神が人間悪魔サタンに、そろそろ支配権を返せって言う時、

悪魔サタンは嫌じゃとダダこねるらしい(予言

それが、ハルマゲドン人類史上最悪の天変地異(疫病、地震)/人災戦争飢餓)/死が

横行するイベントとなるらしい(黙示録、JW的には啓示の書という聖書の最後のセクションの話はこれが中心)。

さて、ハルマゲドンを通過し、楽園で生きたい!って思った人への

参加条件は下記の二つ

・JWの存在(の話)、つまり聖書の内容を知らないまま死ぬ

  →神かサタンか選択権が無かったので復活する権利が得られる。

   死ぬのは老衰でも自殺でも事故でもハルマゲドンの巻き添えでもOK

  (ただし、ハルマゲドンが近づくとJWの宣伝はいよいよ派手になり

   知らなかったは許されなくなる可能性大とのこと)

   復活後、JWから聖書を教えてもらえる。

   その時、神か?サタンか?の二択が選べるので神を選ぶと合格→楽園行き

   ちなみに、JWが発足する100年前以前の人は

   絶対に選びようがなかったので全員復活が内定済みとのこと。

   例:織田信長ナポレオン

・JWの信者になる

  →神の側を選んだのでハルマゲドン通過。

   で、復活してくる人達に、聖書を教えることになる。

   ただし、ハルマゲドン通過後、復活者達と一緒にみんなで

   最後の試練、神かサタンかを調べられる最終確認試験があるらしい

   めでたく通過すれば→楽園行き

ちなみに、次の人は楽園いけない可能性が高いが明確な基準が

聖書にもないので不明とのこと

・JWの自殺者

  →輸血と同様、命を粗末にってことで背教者か!と思われるが

   精神患者の救済はされるべきだろって解釈

ただ、どこまで復活するかとかあやふやで実は

教理が何度かアップデートされた。

面倒なのでおいかけてない、最近は解釈違うかもしれん。

で、何の話だっけ。。。

ああ、そうそう。

だから、JWってのはこう考えるんだよ。

今の世の中の不条理、神はいるのか!?と考えて絶望している人に

神が支配する世界が来るよって教えてあげなくては!!と。

そして、どうせ滅びる世の中。

この世で成功して何になろうか、とも考える。

だから、熱心な信者であればあるほど、宗教活動を頑張る。

生活水準をギリギリに落とし、一人でも多くの人に、今の支配権は神にあらず!

神の側を歩もう!と呼びかけなければ!ってね。

でも、非JW的には、聖書を知らなければどうせ復活ルールが適用されて

復活後に神か?サタンか?と教えてもらええて選択権もあるんだから、全然オッケーじゃん

今の世は世で楽しめばよくね?って思うはず。

でも、今の世で成功する=神の側ではない、なぜなら今の支配者、サタン社会に適用しているから。

というルールが発動したり、自分だけ真実を知っておいて他人に教えないのは冷酷です。

そういう人は神の側ではありませんっていうルールもあるので、そうする訳にはいかんのだ。

結果、歯を食いしばってででも、質素な生活で地味な服で、ギリギリの収入で生活して

毎日のように家々の戸口を叩くというJWの信者が形成されるのです。

でも、宗教心で自制しているのであって、別にエッチが嫌いな人間など

心的トラウマでもない限り本能的に普通の人間は大好きだし、

エロい格好で男から注目されまくって、ちやほやされたいのが女心。

あと、バリバリ働いて金持って、女の子から注目されたいし

車とかPCとかの機械ものいじって男脳の欲求を満たしたいのが男心。

別にJWは精神異常者じゃない。だから、本音はみなそうだよ。変人もおるだろうけど。

でも、そういうのをやったことがないし、毎日それをやるのは恐ろしいこと、

みたいな教育を受けて育ったいわゆる二世のJWってのは、やりたいけど、どうやればいいのか解らんし

逆に、やってみたところで、心の奥底で、これはいけないことなんだ・・・って葛藤するのね。

だから、元JWで今は信者でもないのに、聖書の解釈にこだわる人=背教者が出るんだと思う。

要は聖書は聖典ではなくただの本なんだ、気にしなくていいはずなんだっていい聞かせたいのだろう。

そもそも、二世は自分が知る限り、聖書の解釈にこだわる奴が多い。

多分あれって、聖書=自分の根本、みたいな精神構造になっているから、

自己肯定のために重要なのだろう。

普通の人で言う、髪型を気にするようなものだと思う。

ちなみに、この流れは90年代から現代に至るまでのメインの流れで、

昔(〜80年代)は聖書の解釈をめぐって離脱する人が多かった模様。

JWはその歴史の上で、1914年を筆頭に、何度かハルマゲドン到来を

年数指定で確定宣言しちゃったことがある。

でも、実際のところ、それって、ツインタワーに飛行機が突っ込む前、

俺の彼女が送ってきたメール送信時刻が11時11分だった。

これはツインタワーだ。きっと、俺の彼女は特殊な予知能力があったんだ。

みたいなぐらい、アホな解釈である。

つまり、こじつけって奴ね。

彼女と目が合った!あいつは俺に気がある!フヒヒ!と同じ。

まぁ、それでJWは何度か大コケしてる。

で、3回目か4回目ぐらいのハズレで、いい加減、リスクおかして

折角集めた信者減らすまいって話になったのかは知らないけど(JWらしく神託としておきますか)、

1970年代後半からはハルマゲドン到来日ってのは不明ですって言うようになった。

でも、1回目(1914年)の頃はまだ信者少なかったけど、

1970年代(いつか忘れたよ、どうでもいいし)の最後のハルマゲドン到来予定年が

発表された時は信者は大いに盛り上がった、つうか、発狂したらしい。

(自分の親に言わせれば熱心になった、らしい。)

で、家財とかさー、もう手放す人もおったらしいよ。

だって来年、今の日本政府が終わります。日本円も無価値になりますって言われたら

みんなだってそれが本当になるって信じていたら痛いことやるだろ?

で、来なかった。

それで、責任とってくれと恨んだ人もいるし、どうしても諦めれなくて自分なりに

ハルマゲドン来年を計算しなおす人も出てきた。

当然、それに迎合する人も出る。

そりゃ、いつ来るか解らないより来るのが解った方が嬉しいもんな。計画立てれるし。

で、そういう人が目にあまるので、背教者としてバッサリ切り離す・・・ってことも昔はあったそうだ。

で、当たり前の話なんだけど、

大きな台風が来るって解っていれば、家族持ちのパパーやママーなら

家族を守ろうと必死になるじゃんね?

そのために、言う事聞かない子がおったらしかるよね?

もうすぐ風速50メートル台風来るって発表あったのに

外で遊んでくるって家を出ようとする子供がいたら、どうする・・・?

何が何でも守ろうと、叱り飛ばしてでも、行かせまいとするだろ?命にかかわるもんな?

そういう、心境を、JWの親達は抱いていた。過去形なのは後述する。

昔は、ハルマゲドンを通過できる人の条件(設定)が今より厳しかった。

詳しくは忘れたけど。

だから、1970年のハルマゲドン到来が外れた後も、その余韻が残ってるから

JWの親は必死に子供達を、JWの信者にさせようと必死に悲しいことに親心で厳しく指導した。

1日でも早く聖書信仰を抱くと誓ってくれ、神の側につくと宣言してくれと。

ちなみに、JWではバプテスマという、儀式をうけると、明確に神の側についたと見なされる。

それまでは、どっちつかずの奴っていう評価を受ける。

ただ、バプテスマって大変なのよ。

奉仕(他の家に訪問)していて、集会(協会)で聖書朗読講義(割当という)を開催できる能力を身に付けた上で、

かつ、バプテスマを受けたいと長老(牧師)に言うと、試験がある。

教理の理解度を試す試験で今はかなり簡単になったが昔は難しかった。(自分は1度で余裕だったけどな。嬉しくない。)

不合格して、もう少し時間をおいてみましょうってなると、親も子もしょんぼり。

まぁそんな世界なのだよ。

だから、70年代のハルマゲドンは外れたけど、近いうちにくるはず!と

信じている親達は、80年代〜90年代は特に、服装から友人関係から仕事まで、びっくりするぐらい

子供スパルタ教育した奴が多かった。

進学を認めない。宗教活動しなさい。

あの子は信者ではないから口を仲良くしてはいけません。

みたいな感じにね。


で、一時的に信者は増えた。

が、二世の子供達は考える。

どう考えても、これ、カルトじゃね?って。

でも、もう、生活の根底から友好関係や読み物すら制限を受けて育った子は、

カルトって思えないんだよね。

違和感は感じる。

どうも、自分の家はおかしい。

学校の友達らは楽しそう。

でも何で自分はこんなにつまんない気持ちになるんだろう・・・?

だから、90年代の後半は特に、JWの二世が離脱しまくるという非常事態が起きた。

自分の在籍していた昔の会衆を例すると、

90年代前半・・・集会に来てた10代の子達:18人ぐらい

99年・・・3人、うち二人は辞める寸前

こんな光景日本のあちこちで起こっていた。

会衆の中で行状の模範者として求められる、長老という任にいる家族の子だって

大勢が、JWをうまく否定できないけれどもかといってもう限界だと感じながら

ある者は無理矢理、停学処分になる行動を起こして破門される道を選んだり、

数少ない非JWの友達を頼って家出した奴もいた。

当然、子供がそんなことをしているのに、子供を神の道に!なんて

口が裂けても他の信者に堂々と言うことなんてできない。(言ってた奴も多いがな!)

多くの長老がバタバタと辞めていくという騒動も起きた。

で、今、ネットで声を大にしてJWは偽りの教理だ!と言う元二世の人って

上記のような流れで離脱した、もしくはそういう人を目の当たりにした人が結構多いのよ。

で、かわいそうだけど、一見今はうまく社会復帰しているように見えるけど、

JWスマイルなどと言われる、無意識笑顔を作る癖が抜けないキモい奴だったり、

好きな奴とSEXしても(結婚していても)罪悪感に悩む子がいたりもする。

それはなぜかって、教え方なんだよなあ。

エホバの証人だけが正しい宗教です。

てのと、聖書は神の言葉です。

ってのはもう何度も何度も子供は叩き込まれる。

会社でさ、我が社が業界トップです。うちの会社以外はみんなクズゴミです。

って言われたら、はあ?って思うよね?

その上で、例えばバイト経験がなく新入社員だった場合、我が社より良い待遇はないぞ。

君のような無能者は我が社ぐらいでしか居場所はないんだって言われたらどうする?

普通なら死ね!って思うだろうけど、上記の条件は

他の会社を一切知らない人っていう前提がある。

結構な人は、不安な気持ちで、今の会社にしがみつこうとか、自分は後が無いんだって思うんじゃないかな。

JWが唱える、この宗教だけが正しいのです、神の言葉は絶対です。

ってのも、そういう子供だましな論法だけど、日本語話せるようになる前から

そんな話を聞かされて育ったら、そういうのを冷静に判断できると思う?

ぐだぐだ書いたけど、要は、背教者が声高く、ああやって教理やJWの組織

そもそも、元いた、もはやどーでもいいはずの宗教にこだわっているのって、

それほど深いダメージを与えているからなんだろうなぁと。

まぁ、それを自覚した上で、他の現役JWを救いたいって必死な人も結構いるようだ。

ただ、ちょっと書いたように、一番JWを動揺させるのは、リア充だ。

元JWであることにこだわった姿勢を見せれば「ほれみろ、本当は気になるんだろ、戻りたいんだろ」

って思われるだけで逆効果

自然体で自由なスタンスで、普通に生きるって楽しいよ。

ってにっこり笑顔で生きていればいいと思う。

そうすれば、あれ?何で自分は?あんな風に思えないのかな?って思う現役が増えると思うんだ。

それから、昔の親は必死だった。過去形なのは後述するって書いたけど。

今は、黄昏の時かは知らないけど、割り切ったJWが急激に増えてる。

終わりこねーよ、どーせってマジで言ってしまうような信者も増えた。

そもそも、親も、お疲れモードだったり、聖書は正しいと思うけど、私を育てた親のやり方はおかしいと思う!

という3世を育児中の二世の親も増えている。

聖書は基盤で、間違っていたのは自分の親っていう解釈ね。

で、最近は、バランス、極端なのはいけませんねーってのが組織レベルで言われ始めてる。

今回、未だに70年代のJWをテーマに、JWはこんな組織だ!って声を高々に書いている背教者に

「もう情報古くね?今の現役はそんなに熱心じゃないっすよ」みたいなメールをしたんだけど

「そうなんだよね・・・今のあの軟化はなんだろ・・・」と、はりあいがないのか、しょんぼりされとった。

まぁ、情熱を向ける対象がなくなるってのはつまんないよね。

そんな訳で、21世紀のJWは歴史まれにみるヌルいJWになってる。

今なら昔のように弾圧受けたら速攻崩壊するんじゃないだろーかって

もうすぐ他人事になるけど、ちょっと心配だったりする。

原理主義的ではなくなったことにより、昔より、過激な形でJWを辞める二世は減った。

代わりに、自然消滅する二世がすごく増えてる。

気が向いたらまた戻るよーみたいな人も少なくないかも。

続き

http://anond.hatelabo.jp/20080723032424

2008-07-06

最近気持ち悪いなぁと思う言葉

人間力

非コミュ

KY

なんていったらいいのか分からないけど、曖昧定義言葉の裏に暴力的な何かが隠されているような気がしてならない。

少数派や異端の排除、それに伴い多数派や権力者の絶対化を推し進めてるように思えるんだよなぁ。

例えば僕が人間力の低い奴だと言われても、結局何が悪いのかわからないよ。

マナーがなってないとか、そういう具体的なことを言われれば対処のしようもあるんだけど……

で、更にこんないい加減な言葉は各人によって定義が異なってくるだろうから、

思想良心の領域にまで踏み込まれて人間力非コミュだと騒がれたらたまったもんじゃないよね。

2008-06-29

今の日本人に欠けてるもの

一昔前、電車優先席をなくそうという話があった。

理由は、「本来、電車の席はすべて優先席の位置づけであるはずだ。」というものである。

どこの席に座っていても、老人には席を譲るべきだ。

優先席というものが存在すれば、普通の席に座っている人は譲らなくても良い。ということになってしまう。

だから優先席はないほうがいい。

というなんとも、人間良心に頼った理論なのだ。

実際、優先席をなくしたら誰も席を譲らなくなるから、今日依然として優先席存在する。

すべての席を「優先する席」とするのは、すべて「普通の席」とするのと変わらず、

「自分でなくとも誰かが譲るだろう。」という考えとともに、「自分が座っていたい」という気持ちが勝ってしまうのである。

よって、「普通の席」とは別に「優先する席」という席を設けることにより、そこに座る人の「譲る」という義務を他の人よりも大きくすることにより、

「譲らなきゃな。」という気持ちを高めるのである。

(※ここから若干話が変わります。)

ところが、最近電車が混んでいるにもかかわらず

優先席に平気で座っている若者の姿をよく見かける。

また、席を譲ってもらったにもかかわらず、

ろくに礼も言わずに堂々と座るちょっと歳いったおばちゃんもたまに見かける。

日本人は、和を重んじる民族であったはずであり、義理人情を重んじる民族であったはずである。

ところが、最近、「相手に敬意を払う想いが欠けている」んじゃないかと思うことが多々ある。

敬意とは、お互いに払ってこそ意味があるものである。

優先席に座っている若者は、当然の如く、当たり前のように老人に席を譲るべきであるし、

老人は、若者感謝して席に座るべきであると思う。

同じように、

生徒は先生尊敬すべきだと思うし、

先生は生徒を必死になって教えるべきである。

客は店の人に感謝すべきだし、

店員は、客に感謝すべきだ。

親は子供を当たり前に育て養い、

子は親に心から感謝すべきだ。

そんなお互いの敬意の念が円滑で気持ちのいい世の中を作り出していると思う。

これらの話は金で解決しないことであり、この世に山ほどある。

漫画家は、編集者感謝すべきだし、

編集者漫画家尊敬すべきだ。

2008-06-26

男ってなんで「どうせイケメン選ぶんだろ、女なんて幻滅した、氏ね」とか言う割に、その一方で女に「男って彼女よりセフレがいいとかセックスだけできりゃいいとか女なんて肉便器とかなんでそういうことばっか言うの?」って言われると開き直って「は?男はそういうもんだし。受け入れろよ。夢見てんな」とか言うの?それだったら女にも夢見るなよ、現実の女受け入れろよって話じゃない?

男って平気でそういうダブルスタンダードかます人多いよね。自己中っていうか。なんでそこまで呆れるほど自己中心的に生きられるんだろうって近頃驚く。罪悪感とか良心のかけらもないのかな?

それと普段は平気で「女って○○」って一くくりにするくせに、いざ女に「男って○○」って言われると「男が全てそうとか思うな」とか言ってくる。でも「女って○○」っていってる男にはそういう批判はほとんどこない。きてもそれは女が言ってるだけ。でも「男って○○」って言うのには男も女も「男が全てそうとかいうな」って言ってくるし。

大体肉便器なんて言葉普通に言えちゃう時点でどうなんだろ、って感じ。冗談でも引く。

都合悪いものはなんでもかんでもスイーツスイーツ

携帯電話の充電器についてちょっとでも女が何か言おうものならスイーツ氏ねの大合唱

でも同人取締りとかアニメについては自分の権利だけを守ろうと「権利者氏ね!」の大合唱

一体どこまで自分勝手なのか。

2008-06-24

技術評論社DM

技術評論社の本を買った時についてきたアンケート葉書に答えてから、DMが来るようになって、この出版社はそこそこいい本を出してて参考にしてたんだけど、今月届いたDMに「○○のアルファギークに会いに行く」なんて本の紹介が本人写真付きで載っててゲンナリ。

もうDMもらうのやめよかな。良心的な技術本に徹してほしい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん