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はてなキーワード: 文化祭とは

2008-08-23

大阪の同和教育

これは創作ではない。

僕が体験した一次的な情報だけを示す。

だから、「大阪では」という大きなくくりがたまに出てくるけど、

大阪にある僕が通った学校では」という意味で書いている。

これを書く目的は、こんな教育行政制度はやめろ、という僕の超個人的なメッセージを伝えることである。

その理由は読めばわかってもらえる、と思う。

大阪では年に数回、生徒全員が体育館に集められて、地区の同和委員会から派遣されてきた人(うちの中学校では多分トップの人だった)が講演をする。

これはでっぷりと太ったおっさんが「人権ってええで!ぬくいで!」「キミ等は結婚するときに差別したらアカンのや!」「差別されてた人たちは、ほんまはゲキ(たぶん、劇のこと)とかの天才のすごい人やったんや!」などと数時間にわたって叫びまくるイベントである。

比喩ではなく本当に叫ぶ。

僕は、率直に言って、これは新興宗教がよくやる洗脳だなと感じていた。

おっさんの論理の飛躍は凄い。「差別は不当」「人権は大切」→「だから被差別部落出身者は優遇されるべき」と。

多感な中学生たちに対してこんなイベントが常に行なわれている。

洗脳された友達もいた。

しかも、「事前学習」「事後学習」と題して、講演がないときも「人権」「差別」といったテーマで少ない授業時間を削って作文を書かされたりする。

たとえば「人権」というテーマなら、「居住地を追われるネイティブアメリカン人権問題」とか、いくらでもとらえようがあると思う。

しかし、優秀なものとしてプリントになったり、賞をとったりするのは「部落差別」「在日差別」に関するものだけだ。

僕の友人(彼はスポーツプログラミングに長けていて凄く賢かった)に「現代の受験制度は差別ではないか?能力に応じて、なんておかしい!受験が容認される社会差別を容認している」というテーマ差別をとらえたやつがいたが、彼は教師に激昂された。

まだある。文化祭の劇では必ず一クラス部落差別関係する劇をやらねばならないのだ。

これはほとんど「にんげん」という教科書(年に一回使えばいいほう)の中から題材を選ぶ。この教科書はすごい。部落出身者が結婚を断られたら「部落差別だ!」就職を断られたら「部落差別だ!」と叫びまくるような話が延々と載っている。

これは小学校の時の話だが、僕は、別にその人がモテなかっただけではないか、就職するのに必要なスキルがなかっただけではないか、と教師に言ってみた。キレられた。

ニュースで「じんけん」の教科書には年間10億円以上が使われている、と聞いて、小学生の僕は怒っていた。

話を劇に戻す。僕が小学校5年か4年のとき、先輩の劇で強烈なセリフがあった。これは一字一句漏らさずに覚えているのだが、直接書くことに抵抗があるのでニュアンスだけ書く(それほど大阪出身者にとって部落委員会プレッシャーは、怖い。特定される事はまずないだろうが僕はそれでも怖い)。

つまり、彼等部落出身者は、排泄物などの汚物を飲まねば生きられないシステムを他の地域の人に作られながらも生きてきた。だから今の時代では優遇しろ。当たり前だろ。ということであった。

あまり伝わらないと思うが、この劇の恐ろしさたるや、よくこんなものを小学生に演じさせられるな、と戦慄した。

親しかった友達が「なんか俺、部落差別?の出身だから、高校入試なしのただで入らしてもらえた」と言ったこととか、その友達が「変な会館で近所のおじさんに『この学校とこの学校部落枠があるから、好きなの選びなさい』って言われた」と言ったこともある。

書きたいことはまだまだ山ほどあるが、これくらいで終わる。



追記:http://anond.hatelabo.jp/20080825160204に追記した。

これで同一人物だと示せるのかな。

2008-07-29

実録小説加藤智大「僕を救ってくれなかった宇野常寛へ」

僕は押井守の「攻殻機動隊」や「パトレイバー」、大友克洋の「アキラ」や機動戦士ガンダムシリーズが好きなんだ。どれも色んなことを考えさせてくれるいいアニメたちさ。それと、あんまり中身のないアニメは好きじゃなくてね。最近ネット上でやたらとい盛り上がってる萌えアニメみたいなやつさ。あんなののどこがいいっていうだい。キモいオタクたちがハァハァするためにデザインされた目がやたらデカくて、髪の毛の色がパステルカラー美少女が乱舞してるあれさ。中身がなくて反吐が出るね。あんなゴミみたいなアニメがやってるから、いまだにアニメ一般人からキモいものだって認識がなくならないんだよ。ほんと死ね萌えオタ、ファッキン萌えオタ。

そんなゴミのような萌えアニメが氾濫し始めたのはいつのころからだろう。記憶が確かなら僕が中学生だったときあたりから繁栄していたはずだ。僕はこのころから萌えアニメ軽蔑していた。あんな中身のないアニメを楽しんでいる奴等は馬鹿だ。そう思っていた。たしかゲームでも「シスタープリンセス」だの「Kanon」だの、妹が12人いて好かれるだの、目のでかい女の子が頭の悪いしゃべり方するようなのがネット界隈じゃ人気らしくて、こんなのを支持してるやつらはよっぽど頭の中がおかしい連中なんだと思ったね。

ちなみに僕が好きだったゲームテイルズシリーズだね。アクションRPGのなかでも格別の面白さだな。だからこそ、最近シリーズの、変に萌えオタクに媚びたようなコンセプトにはがっかりしたね。

まあいい、こんなゴミクズのために貴重な紙を無駄にすることはないんだ。僕は萌えアニメを見てるような奴らはみんな女の子から相手にされていない恨みを美少女キャラにぶつけてるんだ、そう思った。でもその僕の考えは高校で否定されることになったんだ。

僕が入ったのは県内でもそれなりのレベルの共学校。僕は青雲の志を抱いて高校へ行った。そして、僕はここでなら彼女んもできると思っていた。

気づいた時には僕の高校ではギャルゲー萌えアニメ萌えマンガが大流行していた。発端は何だったろう。オタク男子たちがそんな代物を恥ずかしげもなく教室に持ってきて、それを女子たちが興味深げに眺めている。たしか最初はそんな感じだったはずだ。

僕はそれを不快に思っていた。こんなクズがいるから、日本の誇りうるべき文化たるアニメマンガが誤解されるんだよと。こんな屑萌えアニメなんかよりもすばらしい作品がこの世界にはたくさんあるんだよ、と。

しかし、彼ら萌えオタクどもが布教したのだろうか。女子も含めたクラス中の人たちが、そういった萌えアニメギャルゲーを楽しむようになっていたんだ!そして、給食時間にはギャルゲーだかの主題歌らしい甘ったるい声の女の歌が流れたと思ったら、クラス中一斉に歓声が流れた。僕は内心こいつら全員死ねと思っていた。

気づいたときに萌えアニメブームに乗らなかったのは僕だけになっていた。僕は誰ともしゃべらなくなっていた。クラス萌えオタク男子たちは彼女を作ってデートをしているという情報が毎日耳に入ってきたが、僕は全部ウソに決まっていると言い聞かせた。


受験時代がやってきた。僕の目指すのは京都大学、最低でも旧帝大クラスには入りたいと思っていた。

そんな時、僕の高校ではもえたんとかいう英単語帳が大ブームだった。表紙には萌えオタクどもが喜びそうな目だけでかい萌えキャラが踊り、内容も僕は妹をギュッと抱きしめただのの、萌えオタクの醜い妄想を並べたような代物でヘドがでそうだったね。僕は心底軽蔑した。こんなゴミ単語帳使ってるやつなんてどこの大学にも行けるわけがない、そう思った。

しかし、もえたんを使っている連中は、もえたん発売と同時に英語の成績がぐんぐんと伸びていったんだ。

それだけじゃない。もえたんは男だけじゃなく女の子たちにも愛用されていた。キャラがかわいいんだそうな。絶対に間違ってるよ!

僕はもえたんなんて絶対使わなかった。あんなもの使うぐらいなら死んだほうがましだと思った。

そして、もえたんを使っていた連中のほとんどが東大京大早稲田慶応といったトップクラス大学合格していた。あとで合格体験記を見たら、もえたんのおかげで英語の成績が伸びたと言っている奴がいっぱいいたとか。

そして・・・僕は受験に失敗した。そして浪人したんだ。

2年目の受験、そこでも僕はセンター試験で信じられないような悪い成績だった。これではどんな大学も入れやしない。もうこれ以上予備校通いをできるような経済状況でもない。だから、今の僕でも入れるような場所、短大しかなかった。最後の最後で僕は短大合格した。

短大での2年間もまた、高校のころと変わらない、惨めな生活だった。ここでも、萌えオタクたちが大手を振っていた。文化祭では萌えアニメ主題歌を歌ったバンドが大人気となり、あとで聞いた話では彼らはライブの後、ファンの女の子たちを全部喰ったらしい。

そして、僕は就職活動にも失敗した。萌えオタクたちはみんな成功していたというのに!

就活に失敗した僕は派遣社員として働くことになった。

派遣先で僕は散々苛め抜かれた。きっかけは僕が、とある萌えアニメについて社員がしゃべってるときに話を振られて「そんな内容のないアニメなんて見る価値あるません!」と言ったところ、連中逆鱗に触れたらしい。それからは靴に汚物を入れられたり、つなぎを隠されたり、落書きをされたりした。

でも、この苛めはある種僕に誇らしい気持も与えた。そうだ、萌えアニメのファンはこんな残忍なことを平気で出来る人間の屑なんだと。僕のような中味あるアニメを見て育った人間はこんな他人を傷つけるようなことはしないんだと。


それでも僕は度重なるいじめに疲弊していた。そんなとき、僕はインターネットであるサイトを見つけたんだ。それは「第二次惑星開発委員会

僕はこのサイトを読んで目から鱗が出たね。こんなところに僕と同じ考えを持っていた人がいたなんて!

特に素晴らしかったのは最近萌えオタクの間でブームらしい涼宮ハルヒの憂鬱とかいうアニメの項目で

>この作品が好きなオタク男子たちも、「酸っぱい葡萄」状態にあるんですよ。 本当は

>「等身大青春」に憧れているんです。でも、残酷な話だけどおそらくはスペック上の

>問題で、それが手に入らない。でも、そんな悔しさを素直に認めたくないんですね

と書かれていたことだ。やっぱり萌えオタクはもてない恨みを美少女キャラにぶつけていたんだ!でも実際にはモテるはずがない!ざまあみろ!どうせ職場連中モテないからハルヒとかに入れ込んでるんだろ!その恨みが爆発して僕のような人間いじめるんだ。萌えオタク人間の屑だ!

そして、一緒に旧惑星開発委員会も見た、そこは作品レビューが中心のページだったけれど、どれもこれも僕の考えとおんなじだった。Kanon受け手も送り手も救いようのない作品だとかね。

それに主催善良な市民さん(宇野常寛)の高校時代の話も面白かった。確かにこういう奴らは僕の高校にもいたと納得した。ただ、ちがっていたのは僕の高校ではギャルゲーマーだった連中にはみんな彼女がいたということだが、このことを思い出すと、市民さんの話が楽しめなくなるので思い出さないことにした。

そして僕は善良な市民さんの言葉に救われた気がした。勇気づけられた。

そうだ、僕はまちがってなんていない。間違っているのは萌えアニメ好きな連中のほうなんだと。やはり中身のあるアニメが一番なんだ・・・。



僕はこんな最低の萌えアニメ信者どもがたむろする職場にはさっさと見切りをつけて、また別の場所へと行こうとした。そして、僕は惑星開発委員会を読み倒し、次の職場では華々しくデビューしてやろうと思ったのだ。

僕は大きな希望をもって次の職場へと向かった。

次の職場じゃまたしても内容のないらき☆すたとかいう萌えアニメが大ブームだった。でも僕はこれまでの僕じゃない。惑星開発委員会の力を得たんだ。そして僕はその時やっていたアニメの中で最も大好きだった電脳コイルを薦めたんだ。電脳コイルは素晴らしい。これこそ僕がこれまで待ち望んでいたアニメだといっていい。

「そんなものよりも電脳コイルみようぜ!すごい面白いんだぜ」

僕は声を大きくして叫んだ。はっきりいうがらき☆すたなんていうくだらない萌アニメよりも電脳コイルは数百番倍面白いと断言できる。だからみんなも早く見て目を覚ますんだ。

電脳コイルぅ??知らないなぁ。」

「ああ、ちょっとだけ聞いたがある。小学校女の子が見るようなアニメだよね」

「えー加藤君って、小学校の女子が見るようなアニメ見て楽しんでるの?幼稚ぃ??、っていうかロリコン?」

「違う!確かに小学生女の子向け作品だけど、大人もちゃんと楽しめるんだよぉ!」

「必死なところ図星のようだねぇ」

「違うんだ!一度見てみろよ、面白いから!」

「そもそも加藤君みたいな人間が面白がってるアニメってきっと気持ち悪いマニアックアニメだよねぇ」

「ふざけるな!それなららき☆すたなんて萌えアニメのほうが気持ち悪いわ!」

・・・この通り僕のデビューは無残に失敗した。そのあともらき☆すたブームはとどまることを知らなかった。それに、みんなの話題はメイド喫茶とかアキバ系の文化の話ばかりだった。

カラオケで、らき☆すたOPであるもってけ!セーラー服とかいう気持ち悪い歌をみんなで合唱しているのにも入らなかった。そして僕は電脳コイルOP曲を歌ったが「キモい」と言われた。


もう僕は限界だった。僕が間違ってるはずがない。惑星開発委員会だってそう言っているはずだ。同時に僕は出会い系にはまっていた。彼女は僕の話をやさしく聴いてくれていた。僕が職場萌えオタクどもへの悪口にも「うんうん」とうなづいてくれていた。彼女こそが僕の思い描いていた理想の人だと思っていた。

そのころ、惑星開発委員会主催宇野常寛さんがメールマガジンコラム発表していた.その名も“友達からはじめよう”

そうだ僕もそうやって彼女と新しい生活を始めよう。

僕は彼女メールで呼び寄せた。彼女がやってきた。

「友達からはじめよう!」

僕は彼女に満面の笑顔を向けていった。

キモっ」

彼女は僕の顔を見るなりそう吐き捨てた。

「ずっと思ってたけど、あんたキモいのよ、何?アキバ系キモいって?あんたのほうがよっぽどキモいわよ。金をもらってたから反論しなかったけどね、アキバにはあんたなんかより百万倍いい男がたくさんいるわよ!私ね、アキバハルヒダンスしてた男と寝たことあるけどね、本当にすごいテクニックだったんだから。何度も逝かされたわ!あんたなんかには無理よ!メイド喫茶で働いている女の子たちも必死で仕事してるんだからね!あんたなんかに悪口言われる筋合いないわよ!それに萌えアニメのほうがあんたが楽しんでるらしい電脳コイルだのコードギアスだのよりも面白いし人気なの知らないの?もう近寄らないでくれる?」彼女は一気にまくしたてると去って行った。

僕は何もできなかった。でも、心の奥底で激しい憎悪の念が湧きあがってくるのを感じていた。秋葉原にいるような萌えオタクがいるからこんなことになるんだ。アキバにいる萌えオタクどもを皆殺しにしてやる。そうすれば世界は元に戻るんだ。僕のようなちゃんとしたアニメが好きな人間が心地よく生きられる世界ができるんだ。そのためにも地上にいる萌えオタクどもは抹殺しなければならない。手始めに、萌えオタクどもの聖地秋葉原を崩壊させてやる。これで萌えオタクどもも終わりだ・・・。そう思うと、僕はコンビニダガーナイフを買いに家を出た・・・。


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この手記を残したのは何を隠そう、秋葉原路上連続殺人事件の容疑者加藤智大である。加藤はこの手記を書き終えた後に、秋葉原に向かったのである

加藤は「日曜日の夕方に秋葉原にいるということは奴らはコードギアスを見ていないということ、こいつらのせいでギアスが低視聴率なんだ。こんな奴らは殺してしまっても構わない」と供述し、また「もし、1年前だったら、電脳コイルガンダム00がやってる土曜日の夕方に犯行を決行していた」とも語っている。

しかし、これらの証言と手記は、今回の事件は萌えオタクの犯行にしたくてやまないマスゴミどもの手によって闇に葬り去られている。

また、このような犯罪者を生み出しながらも、のうのうとした顔でデビュー評論「ゼロ年代の想像力」を刊行した宇野常寛インタビューにてさも自分は関係ないといわんばかりのコメントを残している。

2008-06-05

非コミュ努力してないという思いこみ

これとかこれとかを読んで思ったこと。


この手の話題が出ると必ず、「普通の人」は人間関係の維持に多大な労力を払っているという論が出てくる。これは大抵の人が肯定することのようだが、ここから程度の差はあれ「非コミュ努力していないのだから自己責任」という論に繋がっていきそうでどうも怖いものを感じてしまう。

確かに、非コミュ努力しない結果非コミュになったのであれば、「その選択も含めてお前の自由だ」と言われても仕方ない気はする。しかし自分の記憶をたどってみるかぎり、とてもそうは思えない。人間関係には常に悩んできたし、人間関係以外のことで悩んだことはないと言ってもよいくらいだが、結果として多数派に解け込むことはどうしてもできなかったのだ。


俺は幼稚園に入るか入らないかの頃から周囲に対して浮いていた。物心ついた頃には、周囲の同年代の子供の話についていけないのが当たり前だった。語彙も話題も全然違った。だが、それが当たり前だと思っていたのだ。俺は早生まれだったこともあって実際に精神的に幼稚だったのだろう。周囲が「聖闘士星矢」や「ドラゴンボール」を見始める頃、俺はまだ「にこにこぷん」を見て喜んでいた。

その差がいつまでも縮まらないばかりか、ついにどんどん年を重ねるに従って拡大していってしまった気がする。俺が女の子と一言でも口を聞こうものなら「エロい」だの「怪しい」だのと囃し立てていた奴らが実は自分の誕生会に女の子を呼んでいたことにツッコミを入れられなかった頃、コミュ格差はさらに確固としたものとなっていたように思う。

中高生になるとますますひどくなった。俺は私学の男子校にいたのだが、こんなところに来る奴の大半は4月・5月生まれで、早生まれの俺は周囲より明らかに未熟だった。人間関係が急にしんどくなった。部活人間関係に悩まされ、自分の趣味での腕の拙さに悩み、それで精一杯の学生生活を送っているつもりだった。だがその間にませた奴らは、女子校文化祭やらグループ交際やらに手を出していたらしい。一方で俺は、中学生の間にはついに「彼女」というものがいったいなんであるのかということすら理解できなかった。小難しい本を読んで「人生とはなんぞや」などと考えていればそれで満足だったのだ。


その後の惨状はネット上で多く語られていることなので繰り返さない。ただ何にせよ、これまでの人生のどこかで挽回するチャンスというものがあったようにすら思えないのだ。問題意識が同年代の周囲とは常に周回遅れで、俺が真面目に何を主張しても大抵の場合は「幼稚な奴」と馬鹿にされるだけだったのだ。馬鹿にされることに腹を立てて真面目に考えれば考えるほど、さらに「幼稚だ」「未熟だ」と馬鹿にされた。そうして劣等感が積もり積もっていってどうにもならなくなっていったのだ。


確かに的外れだったことは認めよう。しかし、周回遅れのテーマに対してであれ、常に必死で考えて努力してきたのだ。俺は人間関係以外のいろいろな分野では多かれ少なかれそれなりの結果を出せているし、「人並み程度に努力する」というのがどういうものなのかも理解しているつもりだ。その俺が、どれだけ必死で考えてどれだけ必死で取り組んでもどうにも対応できないのが人間関係だ。誰かが「ハードウェア処理できなければソフトウェアエミュレートしろ」と言っていたが、あいにく俺のCPUはそれほど優秀でないらしく、話に乗るタイミングもつかめなければ、とっさに気の利いた応答もできない。まるでお手上げだ。


お願いです。頼むから、「非コミュ自己責任」だけは勘弁してくださいよ。「あんたは運が悪い」と言われるならまだ諦めもつこう。他の分野で挽回することもできる。しかし「努力不足」と言われては、今までの俺の苦労はなんだったのかということになってしまうのですよ。

2008-05-26

キスの時って目を閉じるから何にも見えないってことに初めて気付いた

生まれて初めて、人と口をくっつけた。

口と口が触れた。

自分の口で、人の口に触れるなんて、私史上、もうそれはありったけなことだった。

ありったけ。

小学生に「おばさん、ボール取ってください」と呼ばれた狂おしい春の桜が、

こざっぱり散りきった4月の25日。

そのおばさんは、初めてキスをしたよ。

ホームランが飛んでいく音が、した気がした。かも。

そりゃね、かっとばすよ。

私はおばさん。

投票所には10回以上足を運んだことがあるし、

所得税もがっぽり取られるイイ年頃で、

suicaなんかもピッてやって、優雅に改札を抜けてる堂々たる社会人で、

キスなんて、キスなんて、

とっくの遠い昔の、教科書とか体育とか文化祭とか、そういうものに紛れながら経験して然るべきで、

こんな今頃、年金とか後期高齢者医療制度とかガソリン税がひしめき合う中で、

転がってきたら、初めてのレモン

ああ、私という人間は、キスしないと思ってた。

キスお化けも見ずに、おばあちゃんになって、

オーロラも孫の顔も見ずに、死ぬんだと思ってた。

この年まで見なかったものは、きっと十年たっても二十年たっても、見ないで生きていくんだと思ってた。

でも、苦しくなかった。

キスなんて、もう、分かってたから。

何百っていうドラマ映画を見てきたし、

うん千っていう少女漫画を読んできたし、

少々の小説も楽しんだ。

口付けという口付けが、そこには描かれていて、

感触も情景も熱いキスから冷たいキスまで詳細に描かれ、

私はその大体に感情移入して、何度も何度も夢中でしてきた。

ここで、キスがくるに違いない。って空気も読めるし。

このキスは、逆に悲しいな。って苦味も知ってる。

キスの時はあれでしょ、少し顔を曲げたりすんでしょ。どーせ。

散々見てきたっつーの、キスシーン。

ってね、思ってたのね。

びっくりした。全然違うんだもの。

私、本当にたくさん見たのよ、キスシーン。

想像だって妄想だってしたし。

リアル映像で、唇が重なっていく場面を。

絵でも字でも夢でも液晶でもプラズマでも、見たの。

でも、全然違うのね。

本当に当たり前のことなんだけど、

キスの時って目をつぶるから、自分のキスシーンは何も見えないんだね。

私がキスしてるところなんて、私にはわからないんだね。

私史上、一番の名場面は、真っ暗でした。

2008-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20080411202156

勉強のできる男子小学校中学校モテてたよ。もちろん、運動のできる男子モテてたけどね。

高校だってブランド高の男子文化祭に来るだけでキャーキャー言われてたけどなあ。

(うちの女子校では来客に学校名とか全部書かせるから、どこの学生なのかが丸わかりだったんで)

2008-03-31

今、オタクの最新のトレンドは『DQN化』らしい

851 名前: 恋人電話中(湖北省) 投稿日:2008/03/31(月) 17:42:05.99 ID:oefKdfWc0

どうやら今、オタクの最新のトレンドは『DQN化』らしい

ヤンキーみたいな馴れ合い内輪ウケ、お互いがお互いを無条件で

認め合うセカイって何だかんだ言ってやっぱ良いよね。ムラ社会回帰だ!

失われた青春プレイバック・永遠文化祭、思いっきり馬鹿やって何が悪い?

キモイと言う奴が悪いんだ!俺には権利がある!

メタボリックデブ女装コスで街を練り歩いてコスプレ文化の素晴らしさをアピール!

聖地巡礼と称して田舎町の住宅街で撮影だ!

批判意見には『否定的意見もありますが、全体的に観ればアレは成功です。

批判する方が馬鹿です。』とメタ視点で対抗。

何だかんだいって成人式で暴れるガキとか初日の出目当ての暴走族とかを

馬鹿にしながらも彼らの放つ若さエネルギーとか絆のような繋がりとか

ギラギラしたマッチョイズムが羨ましかったんだ。

2008-01-15

後輩に誘われて文化祭に行ってきたんだ。

まー、すこし前の話なんだけども、

だいだい高校生文化祭で、しかも教室でやるオバケ屋敷なんてたかが知れてると思ってた。

そしたら甘かった。

はじめに、照明やらライトでいやに明るい仕切られた所で女子生徒から説明をうける。

・暗いので気をつけてください。

・壁はダンボールなので壊さないように気をつけてください。

・怪我をした人がいるので気をつけてください

と言って、手の平の包帯をみせた、 自分かよ。

というか怪我?そんなんで人て入れてやっていいのかよ?とか思いつつ、

先の黒いカーテンから入ってくださいと案内された。

中は完全に真っ暗で、それはまあいいんだけど、

地面が明らかに教室の床の感触じゃなくて何かやわくてデコボコしてる。

デコボコというより、もっと普通に起伏があって、それで微妙な感じでやわらかい。

で、ダンボールで細い通路みたいに仕切ってあってそれを手探りで進んで行く感じ。

真っ暗で、床はでこぼこで不安定で、手探りの頼りの壁も段ボールで不安定で、平行感覚が狂いそうになる。

しかも、その通路みたいなのがグネグネと「教室の中にこんなにできるのか?」ってなくらい

長く続いてて、しかも曲がりくねってるから自分が教室のどのあたりにいるかもわからない、

んで、ときたま、蒟蒻みたいなのがあったり、腕をガっと掴まれたりする。

普通ならそういうのは何でもないんだけど、

「真っ暗 & 思ってた以上に長い不安 & 平行感覚が狂いそうな状態」でされると結構くる。

「おどかし」的な要素はあんまりないんだけど「静かに怖い」感じ。

俺はよそをあまり知らないけど、高校の教室レベルでこれはすごいと思った。

後で後輩から詳しく聞いたら、

・床はビニールシートを敷いた上に、濡らしたジャンプやら古新聞やらダンボールを敷き詰め重ねたものだったらしい。

・材料は古紙ダンボールがほとんどだから費用はほとんどかかってないらしい。

・入口の時の「怪我をした」の注意も不安を煽るための嘘だそうな。すげー、そこまでやるんだ。

しかもそれらを発案したのが1人の女子生徒らしい、すげーな。

2007-12-31

紅白一青窈みて思い出したこと

中学の時だったかな?

文化祭の出し物で手話合唱やろうぜ!みたいな話になったことがあったんだが、

その時の担任が、

「みんなは、音声なしの手話だけの合唱を“聞かされる”難聴者の気持ちを考えたことがあるの?」

みたいなこと言ったせいでおじゃんになった。

…知るかよ。俺にわかるわけねーだろ。


あ、ぎりぎりだけど、増田の皆様に、よいお年を。

2007-12-20

夏休みの終わりに

「終わりなき日常」って言葉がある。「平坦な戦場」って言葉がある。20世紀も終りの四半世紀に生まれた僕等は、ジャスコ化 する郊外にまでモノが溢れる一方で、決して歴史が生を意味づけてくれない世界に生きてきた。モノが溢れるその一方で、物語のない「平坦な戦場」は延々と続 く。あるのはただひとつ残された自意識ゲームだけで、それはこの世界生きる限り毎日繰り返される。そう、「終わりなき日常」は辛いのだ。

 だが、本当にそうだろうか。

 

 本当に日常は「終わらない」のだろうか。

 この世界にあるものは、自意識ゲームだけが渦巻く「平坦な戦場」だけなのだろうか。

 

 そんなわけはない。例えば人は、大人になる、老いる、そして死ぬ。「終わり」はかならずやって来る。そう、本来、「終わりなき日常」も「平坦な戦場」も 存在しないのだ。

 この世界には「入れ替え可能」なものの方が実は少ない。「終わり」がある限り、「いま・ここ」は基本的に「入れ替え不可能」な唯一無二の時間なのだ。

 だから「モノは溢れても物語がない」と嘆く態度は、ただの甘ったれた言い訳なのかもしれない。少なくとも、「終わりなき日常」幻想を打破する程度の可能 性は、この世界に溢れている。

 テレビドラマ野ブタ。をプロデュース』はそんな世界の豊かさを背景に、そっと背中を押してくれる優しい作品だ。

 主人公の修二は、そんな「自意識ゲーム」を周囲の人間関係メタ視することで(自分を「演じる」ことで)軽やかにクリアしている少年だ。彼は「平坦な 戦場」というゲームの有能なプレイヤーなのだ。

 だが、彼は薄々だが気付いている。このゲームは、教室という狭い世界でしか通用しないルールに基づいて行われている。そして、このゲームを楽しんでいら れるのは、ほんの僅かな時間なのだ……。

 修二は、ひとりの少女出会い彼女ゲーム楽しみ方を、世界の豊かさを教えていく。そして、やがて修二も気付いていく。このゲームの外側にこそ、本 当に自分を支えるものがあることを。それを手にいれれば、きっとどこへ行っても、どんゲームに参加しても生きていけることを……。

 

 「ジャニーズ主演の学園ドラマ」ってだけで「なんとなく<敵>のような気がして」嫌う人もいるだろうし、この「時間をかけてじっくりと豊かな人間関係を はぐくんでいこう」というメッセージを素直に受け取りたくない人って多いと思う。まさに、蒼井のように(笑)

 このメッセージは「身近な人間関係」っていういちばんリアルなところを突いている。だから、耳に痛くて逃げ出したくなる人の気持ちはよくわかる。

 そういう人に限って「こんな処方箋じゃ俺の深い心の闇は救われないぜ」って「酸っぱい葡萄パフォーマンスに走りがちだ。たしかにこうすると「楽」には 違いない。等身大の自分に向き合うことから逃げて、「自分たちは深い心の闇を抱えた特別な存在」みたいなナルシシズムを確保できる。でも、これって世界一 安直な道の一つだ。

 だから、そんな人は胸に手を当ててじっくり考えて見て欲しい。蒼井が凡庸であったように、ここで「素直になれない人」という時点で凡庸なのだ(というよ り、「特別な欠落を抱えている自分」というキャラ売りが大流行したのが95年からのこの10年だったわけだ)。でも、それこそ「キャラ売り」をテーマにし たこの作品の手に平の上にいる証拠なのだと思う。「こんな処方箋では自分の欠落を埋められない」と思っちゃった人こそ、むしろ、この作品の射程内にある。

 文化祭クライマックス焚き火を囲んだフォークダンスが催されている。輪に入って楽しそうにしている人もいれば、輪に入れずに寂しそうにしている人も いる。

 本当はもっと他にやりたいことがあるのに無理して輪に入っているのが修二、輪に入りたくても入れずに指を加えているのが野ブタ、輪の周辺でひとり大騒ぎ しているのが彰、そして本当は輪に入りたいのに「あんなものくだらない」と「酸っぱい葡萄」反応をしているのが蒼井だ。

 そして、この物語は0(無理して輪に入る)でも1(本当は入りたいくせに「酸っぱい葡萄」反応)でもなく、ほどよい距離を取れるようになっていけばいん だよ、それも時間をかけて、仲間と一緒にじっくりやっていけばいいんだよ、という優しいメッセージで背中を押してくれる。

 だから、全国の「酸っぱい葡萄」反応しちゃう人はまず、この作品をきっかけに出来る範囲でいいから素直になる練習をしてみたらいいと思う。今すぐには出 来なくてもいいし、ひとりでやらなくてもいい。何年かかってもいいので、ちょっとずつ歩んでいけたらいい。

 いや、今は「酸っぱい葡萄」をやっていてもいいのかもしれない。

 でも、そんな自分が嫌になるときが必ず来る。

 そのときにふとこの作品のことを思い出してもらえたらいいなと僕は思う。

 誰にも言わなくていいのでこっそり「野ブタパワー、注入」してもらえればいいんじゃないかって、今はそう思っている。

2007-12-09

不器用でした

何かと不器用なことで悩んでいる。

小学校中学校高校と実技系科目はほとんどだめだった。

まず、体育。球技がだめ。ボールをうまく扱えない。サッカーも小3で始めたが1年もたなかった。気がついたら感じる劣等感

バレーボールが飛んできてもうまく返せない。なぜかボールがまっすぐ上がらない。なぜかサーブが入らない。

サッカーで飛んできたボールをうまくトラップできない。見当違いな方に蹴ったボールが行く。シュートなんてもってのほか。

バスケなんて論外。あんな小さい輪っかに入るわけないっつうの。だいたいドリブルができない。ボールがついてこない。

当然他の種目もダメ。短距離走だけは平均ぐらいあったから何とかなったけど、長距離走なんか下から3番目から5番目くらい。

器械体操系はちょっとできたけど、別にめざましい活躍をするわけでもなく。

あと、カナヅチだった。中二のときは「生物進化し陸に上がったのになぜわざわざ退化する必要があろうか」などと言っていたなあ。

図工、あるいは美術

どうやったら絵が描けるのか分からなかった。大してやっていることは変わらないだろうになんであんな作品の質が変わってしまうのだろうか。

家庭科。これが地獄だった。

裁縫ミシンなどは必ず残らされていた。終わるの後ろから3番目か5番目くらい。出来も下から3番目から5番目くらい。

先生の注意を反芻してしっかりやろうという意思はあるはずなのに、できない。

思うように手が動かず微妙にずれる、もしくは何かしら注意点とかやり方を忘れてやってしまう。

さらに、気がついたら作業が遅れている。友達と一緒にやっているように見えて、気がついたら二倍くらいの差がつく。

遅い上に雑でしかも回りにやり方聞いて迷惑をかけるという最悪な奴だ。

調理実習は野菜をとってくる、プリントを引っ張り出す、フライパンを洗う、箸を洗う、皿を洗う、そういうことしかしなかった。いや、できなかった。

音楽。これはもうちょっとましだった。小2からピアノを始めていたからだ。1年でやめてしまったが。

しかし、ましだというだけで、別に何もなく。

リコーダーは、指が回らなかったか音がちゃんと出なかった。まあ、それだけならみんなそうだから別に平均くらいなのだが、なぜか「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」を持っていたためにプライドは高く、ちょっとできないだけでずいぶんな劣等感を感じた。

そして、音痴だった。音を外す。歌っていると気がついたら音が外れている。「音を聴いたらそれが音階上のどの音か分かる能力」は歌には効果を発揮してくれなかった。リコーダーとか音がはずれるとそれを敏感に感じられたが、歌だと何も感じなかった。

中学に入って吹奏楽部に入って楽器を始め、結構頑張って楽器に関するコンプレックスはできずにすんだが、歌うことにおける音痴は直らなかった。カラオケなんかとんでもない。

授業だけでない。他の場面でもそうだった。

休み時間にするあやとり折り紙。全然出来ない。あやとりなんかさっぱりだし、折り紙も、まず紙を半分にしっかりできない。裏側の白いのがはみ出る。どうやったらそうならずに折れるのか皆目分からない。

スキースケート家族みんなができるのに自分はできない。中学のときに、4つ下の弟は思う存分滑っているのに自分は全然できなかったという記憶が残っている。

あと、自転車が乗れない。気がついたら乗れないままだ。

プログラミング中学時代、周りにオタクが多かったんだが、彼らのうち何人かがプログラミングを始めた。自分も始めたが挫折。なぜかエラーが頻出する。周りはそういうこともなく形になっていった。

ゲームも苦手だ。対戦ゲームは最初っからへただし上達も遅い。後から始めた人の方がすぐうまくなるからやる気をなくす。ボードゲームカードゲームテレビゲーム問わず。

文化祭の準備で木材を切ったり、塗ったりするのも自分はできなかった。あまりに遅いし、あまりにできあがるものの質が悪いからだ。

とりあえず娯楽という娯楽、作業という作業において人より遅く、質が悪かった。

勉強だけはそこまでひどくなかった。

だが、これらのコンプレックスは消えない。何をやっても他人に劣る。

続けてきたことは中学に始めた楽器だけ。

他人(いわゆるステレオタイプとしての一般人)よりできることは、まあ楽器がちょっとできるというだけだろうか。

でも、プレゼンテーションとか演説とかは得意。初対面となかよくなるのは得意。

しかし、人と比べると、当然のようにできることが出来ない上にしゃべることしか能がないのは本当にどうしようもない人間。さらに、病弱だとか家庭環境が悪いだとかのハンディキャップがあるわけではない。

悲しくなってくる。

このような悩みを共有できる人はいないのかねえ。

とりあえず聞いてほしくて増田に書いてみた。

何が悪くてこうなっちゃったんだろう。幼少時にずっと図鑑読んでて絵本も読まず折り紙とかそういうことを全くしなかったからか?

それとも、何事も続かない性格だったからか?

2007-12-05

俺はペレの生まれ変わりかもしれない。

幼い頃、俺はキャプテン翼に憧れ、毎日壁に向かってボールを蹴っていた。友達と遊ぶことなど興味はなかった。ボールだけが友達だった。その様子を見ていた近所の少年サッカークラブコーチに「サッカーが好きなら来てみないか」と言われた。まだ小学生にもなっていない俺にだ。彼は俺の才能に気づいてしまったのだろう。しかし悲しいかな。小学生低学年のチームを見学させてもらったが、あまりにも低レベルボール子供が群がるだけのくだらない練習試合を見て、俺はグラウンドを後にした。

やがキャプテン翼熱も冷めてしまい、しばらくそのままでいた俺だが、中学校に入ると同時にやはりサッカー部に入部した。俺にはサッカーしかない。眠っていたその想いは揺るぎない事実として俺の芯で固まった。体力面の問題からレギュラーにはなれなかったものの、バレーボールでのドライブシュートを体得するなど、俺はすさまじいスピード技術を会得していった。もしかしたら、自分の才能に恐怖を感じていたのかもしれない。それが原因かはわからないが俺はサッカー部を去ることになってしまった。

「本当にやめるのか」

「はい、お母さんが受験に集中しなさいって……」

「……もったいないなあ、センスあるのに」

そう言って顧問は俺の退部を惜しんだ。だが、俺はもうサッカーから離れるべきだと感じていた。勉強をしなくて母親に怒られたからではない。俺自身の才能の恐ろしさゆえだ。

高校以降、サッカーにほとんど関わることはなかったが、俺の才能は日常生活でも黙っていてはくれなかった。たとえば文化祭の準備のとき。廊下に出したテーブルで他の生徒がピンポンをしていた。ラケットはスリッパだ。

「おい増田、次やろうぜ」

「・・・ああ」

そういって俺はスリッパから足を抜いて浮かせ、胸元まで蹴り上げて素早く掴み取った。

「いつでもいいぜ」

何気ないことだ。しかし……

「あはははははははは!」

それを見ていた女子が狂ったように笑い出した。驚いた。俺にとっては当たり前の一連の動作。しかしそれは何の罪もない女子生徒を狂わせてしまうほど、恐ろしく高等な技術だったのだ。サッカー神様ペレが、俺の中にいるのではないか。スピリチュアルにそう感じた。しかし……サッカー技術は封印しよう。そう心に決めた。

だがしかし人生は長い。咄嗟の瞬間にはそれを忘れてしまうこともある。大学生のときだ。後輩がサークルの部室の鍵を投げてよこした。だが、コントロールが悪い。俺の手前で落ちようとするその鍵を俺は蹴り上げ、2、3度リフティングして手元に収めた。

「うぉっ、先輩すっげ!」

後輩はバカだから助かった。俺の才能に気づかず、ただ驚くだけで済んだ。思えばこれは幸いだった。

以降、俺は足技を本格的に封印する。時折俺の中のペレが騒ぎ立てるが、俺は耳を貸さない。ペレ、いやペレ以上のサッカー才能というのは、ときに人を壊してしまうのだ。

だが先日、俺はまたペレ存在を思い出すことになる。会社飲み会の帰りだ。みんな楽しく話している輪になかなか入れなかった俺はむしゃくしゃしていた。凡人どもめ……。俺が才能を隠しているから無事でいられるのに……。そんなことを考えていたら、目の前に小さな立て看板があった。恥ずかしい話だが、俺はそれを蹴飛ばした。だがしかし。蹴ったものの、看板は全く動かなかった。地面にガッチリと固定されていたのだ。ああ、サッカー才能がない人間なら、何の問題もない。だが俺は、ペレの生まれ変わりだ。足に走る激痛。骨が、折れていた。くそっ、忘れていた。俺の脚力はこんなにも常人離れしていたか。後悔しながらも、俺は空に向かって叫んだ。

サッカーの神よ!なぜ私にこんな才能を与えたのです!なぜペレの魂をそのまま眠らせてやらなかったのです!」

実際は叫ばなかったが、心の中で繰り返した。

俺はペレの生まれ変わりだ。おそらく間違いない。だがしかし、俺にはこの才能は強大過ぎる……。

2007-12-01

"We Will Rock You" の思い出

中学文化祭での話。

うちの中学では全学年の全クラスが演し物をやることになっていた。体育館に全校生徒が集まる中、ステージ上で下の学年から順番に何かをやる。中身は演奏でも劇でも何でもいい。よくある青春の一ページだと思う。

そのクラスの出し物は演奏だった。順番は早め、空気があまり暖まってないなか、彼らは手拍子と足踏みで "We Will Rock You" を歌いはじめた。

どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん。

"Buddy you're a boy make a big noise Playin' in the street gonna be a big man some day Mud on yo' face Big disgrace Kickin' your can all over the place Singin!"

うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。

うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。

単純なリズムと歌詞の繰り返し。誰でもすぐ覚えられる QUEEN の名曲だ。当時のおれは "We Will Rock You" を知らなかったので、漠然とかっこいいなと思いながら聴いていた。

しばらくして異変が起こった。というか、何も起こらなかった。彼らはずっと手拍子と足踏みを繰り返し、ひたすら歌い続けた。どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。そして演し物は唐突に終わった。何の落ちもなく急に終わった。

彼らが退場するなか、運営委員のアナウンスが流れた。

ステージ横のコンセントは電源が入っていません。電源が必要なクラスステージ下のコンセントを使ってください」

何が起こったのかは分からないまま、文化祭は続いた。

二十代になってから QUEENベストアルバムを買った。素晴らしかったがその素晴らしさについてはさておく。そしておれは本物の "We Will Rock You" を聴いた。君らは "We Will Rock You" を知っているか? 知らないなら Youtube あたりで動画を探して、四回くらい聴いてから続きを読んでほしい。

聴いた? じゃ続ける。

二分程度のこの曲は、うち一分二十秒がメインフレーズの繰り返しでできている。どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん、どんどんぱん。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。うぃー・うぃる・うぃー・うぃる・ろっきゅー。そのリフレインが続くと思わせて、一分二十秒あたりから印象的なギターソロが鳴り始める。後半四十秒はギターの独壇場だ。コーラスに絡むギターソロギターソロを盛り立てる手拍子と足踏み。最高に盛り上がってから曲は見事に完結する。ブラボー! 素晴らしい!

本物の "We Will Rock You" を知って、おれはようやくあの日の悲劇を理解した。あのステージの上では、ギターの電源が入らなかったのだ。

君らはギターソロが始まらない "We Will Rock You" を聴いたことがあるか。おれはある。君らは終われない "We Will Rock You" がどれほどいたたまれないものかを目の当たりにしたことがあるか。おれはある。あれはひどい。本当にひどい。

iTunes で "We Will Rock You" を聴いていて、ふとそんなことを思い出した。文化祭の彼らは、ある意味実にロックだったと思う。あの日のためにギターソロを練習した同門の誰かは、今も元気に暮らしているだろうか。

2007-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20071129212950

一連の議論における「社会に冷笑的」の意味

http://anond.hatelabo.jp/20071129184748

世の中自分以外バカばっか生きる理由なんてないけど死ぬのも面倒なので生きてる、みたいな。平凡な大人を軽蔑していて、周囲の人間を全員見下している(ここにいずれ自分も平凡な大人になるだろうという絶望が加わってたり加わってなかったり)タイプ文化祭に盛り上がっているクラスメイトをちょっと離れたところから嘲笑してるタイプというか。大人な自分かっこいい。厭世的な自分かっこいい、みたいな主人公

中二病について

中二病設定というと邪気眼系を指すことが多いと思う(超主観)のだが、個人的にはクール無気力主人公をそこに加えたい。所謂セカイ系主人公に多いタイプ。というかセカイ系流行って以降、ライトノベル界を席巻しているタイプ

世の中自分以外バカばっか生きる理由なんてないけど死ぬのも面倒なので生きてる、みたいな。平凡な大人を軽蔑していて、周囲の人間を全員見下している(ここにいずれ自分も平凡な大人になるだろうという絶望が加わってたり加わってなかったり)タイプ文化祭に盛り上がっているクラスメイトをちょっと離れたところから嘲笑してるタイプというか。大人な自分かっこいい。厭世的な自分かっこいい、みたいな主人公

自分が年をとったせいか、最近無性にこのタイプ主人公がむかついて仕方がない。と同時に、過去に自分が行った行動を思い出して恥ずかしいというよりももっといたたまれなくてドス黒い思いを覚えてしまう。

大体において、「こんなやつ実際いたら確実にいじめるわ」というタイプでも何故かモテモテで、これまた脱力してしまう。そしてモテモテでも絶対に「そんなのどうでもいいよ」「人との係わり合いなんか面倒臭い」みたいな舐め腐った態度なのだ。マジテンプレ少女小説ではあまり見ないがライトノベルでは腐るほど見た気がする。

知り合いに「ライトノベルなんだけど面白いから読んで」などと言われて借りた本の主人公がこのタイプだと、一気にその人の本の趣味に対する信頼度が地に落ちてしまう。「興味ないんだけどモテモテで困っちゃう」みたいな主人公とかお前人を舐めるにもほどがあるだろう。感想に困るんだよ。つーかこういう男の妄想大爆発><みたいな本読んでも面白くねーんだよ。お前だって「私モテモテで困っちゃう」みたいな乙女の夢大爆発><な本貸されても困るだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20071127121532を読んでも思ったことだけど、ハーレムものの時に男はひたすらに周囲の女の知能を下げる傾向(白痴レベルまで)があるが、女は上げる傾向がある(それがきちんと描写されているかはともかく)んじゃなかろーか。

何が言いたいかっていうと、大人を舐めくさった無気力主人公モテモテテ困っちゃう話はもう勘弁してくださいってことなんだ。全然タイトルと違うけどそういうことなんだ。文章おかしいけどな。

2007-11-13

ちまたで話題の携帯小説恋空」のファンブックを読んだ

読んだと言っても立ち読み程度だが(読んでる間白い目で見られた)。

「作者とメールで対談」とか「携帯小説の作り方」みたいなことも書いてあって、非常に興味深かった。

んで、愛読者の感想文が寄せられてるコーナーも。

どんな奴らが読んでるんだと思っていろいろ見たんだけど、

読者は女子高生だけというわけでもないようだ。

22歳の大学生や27歳のOLとかも「感動しましたー」なんていう感想文を寄せていた。

もちろん、ほとんどが「こういう小説(筆者註:小説って^^;;)を読むのはあんまりなかったんですが」ってなことを言ってた。

あんまりじゃなくて皆無だろうに^^;;;;;

一番驚いたのが、13歳の中学1年生のコメントで、

「私、こないだの文化祭で振られたんですぅ」みたいなのがあった。

中1が付き合うってのもすごいし、中1がレイプだのセックスだの言ってるのを読むのもすごいと思った。

2007-10-27

あれは恋だったのか

彼は古文と化学が得意だった。頭も良く、真面目な生徒だった。(まあ結構トップ高だったため、そんなに派手な生徒はそもそもあまりいなかったのだが)野暮ったいめがねをかけてまるで頭の良いのびた君のようだった。服装も決してオシャレとは言えなかった。完全にオタクというわけでもないが、そういったものに片足突っ込んでいるのは確かだった。

有る委員会に入ったのがであったきっかけだった。

話したきっかけは麻雀だった。

父が麻雀が大好きだったため、幼少の頃から麻雀に馴染んできた私はひっそりと携帯ストラップに千点棒のそれをつけていたのだ。それを彼が見つけ、「麻雀好きなの?」と話しかけてきた。実は彼も麻雀が好きなのだが、私たちの親の世代ならともかく、今時大学生でも麻雀などあまりやらないくらいだ、高校生麻雀が好きなんて人はほとんどいなかった。ルールを把握してる人すら少ない。皆大抵、ドンジャラで止まっているのだ。

貴重な趣味仲間を発見し、彼は男子の中で一番喋る相手となった。

休み時間中、麻雀の本を見て、何切る問題なんかを一緒に解いたりしたこともあった。自分の好きな手なんかについても語ったりした。ちょっと重なってくるとついトイトイに強引に持っていってしまうとか、役牌が2枚あったら反射的に鳴いてしまうよねとか、チートイツに踏み切るタイミングをいつも逃すだとか、そうたいした話でもないが、楽しかった。

クラスは一度も同じにならなかったが、委員会は一年半一緒だった。よく授業後居残りで二人だけで作業をする事もあった。それでも特に変な雰囲気になることも(まあ学校なので当たり前だが)全くなく、全く健全に委員会の仕事を夜遅くまでし、勉強の事や部活の事を話し合ったり、時に麻雀の事を話し合ったりしていた。

テスト前は、共に図書館勉強したりもした。古文と化学は彼に教えてもらったり、私は物理数学を教えたりした。

本もお互い好きだった。普通の本から、マンガまで、オススメの本を紹介しあったり貸し借りしあったりした。

彼はプログラミングはまっているといい、私もちょっと教えてもらったりした。

メールテスト前になるとちょくちょくしていた。お互い絵文字も顔文字も余り使わないため、結構今思うと高校生にしてはお堅いメールだった。内容も、有機化学いまいち整理できてないよーとか歴史覚える事多すぎ、とかそんなもんだった。

そんな事をしていると、友達がある時「○○君の事好きなの?」と聞いてきた。

「正直よくわからない。いい人だし尊敬してるけど別にそう言う意味で好きなわけじゃないと思う」といったものの

周りは「でも趣味も合ってるし、いい人だし、お似合いだと思うけど。付き合えばいいのに」と言ってきた。

そんな事を言われてるうちに自分でも本当は好きなんだろうか?という思いが芽生えてきた。

の反面、心の底では「いややっぱり、冷静に考えると別に恋ってわけじゃないんだろう」とやけに冷静な思いが常にあった。

そもそも、私が好きだったところで、彼はどうなのかわからないし、大体彼には彼女がいるのかもわからないのだ。

そして結局そのまま友人関係は続いていたのだが、文化祭終了後、ある噂を聞いた。

「A子が○○に告白したんだって」。

A子というのは頭もよく、人柄もよく、生徒会なんかにはいっていて、ほんわかした可愛い子だった。私にとっては、知り合い以上、友達未満、といった感じの子だったが、私は彼女が結構好きだったし尊敬していた。

「で、どうしたの?」「振られたらしいよ」

A子が振られた……

ショック、というほどでもないが、どこかガッカリする自分に気付いた。次の瞬間、なぜガッカリしたんだろう!?と自分でも戸惑い、じっくり「なぜか」を考えてみた。その結果、どうも私は「あのA子が振られたなら、私が告白したって振られるに決まっている」そう思ったから、ガッカリしたようだった。その結論に自分自身少しびっくりした。これではまるで彼の事が好きなようだ。

とりあえず私は彼が好きなのかもしれないという前提で、もし彼と付き合ったらキスできるのか?セックスできるのか?という事をシミュレーションし始めた。……微妙だった。別にしたいとは思わない。でも○○君ならもしかしたらいいかもしれない。という感じだった。しかし他の男子だったら絶対に嫌なところからすると、やっぱりこれは好きなんだろうか?しかし、別に彼にたいしてときめくわけでもドキドキするわけでもない。好きというより、単に私はもともとあんまり男子が好きじゃなくて、その中で彼は普通だというだけなんじゃないだろうかとも考えた。色々考えたが結論はでなかった。

どの道告白する気はあまりなかった。このままでいいと思っていたし、A子が断られたのなら私は断られるに決まっていると思っていたからだ。私は別に男子モテるわけでもなかったし、A子の方が断然可愛いのだ。一体なぜA子を断ったのか寧ろ疑問だった。

受験が近づいていた。

彼と私は志望校が別で、彼は関西方面の大学、私は東京大学を目指していた。

彼が目指している大学を知ったとき、そうか、このままだと4月になったら離れ離れになるんだなぁ、とふと思った。この関係も、多分、自然消滅するだろう。そう思うと寂しかった。

そんな時またもや噂を聞いた。A子が振られたのは、○○君に彼女がいるからだ、という噂である。

なんでも、友達によると、他校に後輩の可愛い彼女がいるのだという。

それを聞いてまた内心ガッカリした自分自身に戸惑った。やっぱり好きなのだろうか。分からない。

しかし好きだったら、こんな「ガッカリ」程度じゃなく、もっと泣くほど嫌なんじゃないだろうか?正直そこまででもなかったため、ますます自分は彼を好きなのかどうなのかわからなくなっていった。

どうせ自然消滅するならと、メールで一度聞いてみた。

「そういえば、○○君って彼女とかいるの?」と。

「えー!?いや、いないよ(笑)モテないし(照れ笑いのような絵文字)」

「あれっ、でも、○○校に後輩の彼女がいるって聞いたけど」

「え?!知らないよー。××と勘違いしてるんじゃないかな。あいつはしょっちゅう彼女変えてるから」

……。いないじゃんか。噂は当てにならない。

しかしA子の噂はガチだった。何せA子本人からも聞いていたのだから。

複雑な思いだった。正直、卒業する前に一度玉砕覚悟で告白してみようかとも思った。どうせ駄目元、これもいい経験なんじゃないかと。しかしそんな勇気はなく……とりあえず受験に専念した。

卒業前、バレンタインに、イーピンをかたどったチョコを作って彼に渡した。告白は特にしなかった。そのつもりで作ったわけでもなかった。彼は結構驚いていたが、チョコの中身を見てかなりウケてくれたため、私はそれで満足だった。

そしてそのまま結局何事もなくあっけなく私達は卒業して、大学に入学した。

案の定、5月くらいまではちらほらメールもしていたけれど、夏に入る前に自然になくなった。

私も大学で新しい人間関係を作るため忙しかったし、その時はもうほとんど彼の事を忘れていた。

けれど今、昔使っていた千点棒のストラップを見つけて、ふっとその時の思い出がよぎった。多分彼はもう彼女の一人もいるだろう。優しくて真面目で面白くて賢い人だ。きっと大学でも上手くやっているに違いない。麻雀サークルを作るともいっていた。きっと彼なら本当にやっているだろう。私もまだまだ麻雀は続けている。

あれは恋だったのだろうか。未だにわからない。あれを恋とカウントしないなら、私は生まれてこのかた一度も恋をしたことがない事になる。これからもしないのだろうか。なんとなく、彼のような人には二度と出会えない気がして、少しだけ寂しい気持ちになった。

2007-10-26

http://www.asahi.com/national/update/1025/TKY200710250419.html

淘汰圧。やはりバカは死ななきゃ治らない。

とはいえ、そのチャレンジ精神は大いに人類を飛躍させるだろう(ウソTM

まぁ工業高校だし、DQN文化祭で浮かれちゃったというのが正解だろうな。

2007-10-23

女子高生飲酒

少し前、電車の中で、女子高生が二人の会話が耳に入ってきた。

「今度、文化祭打ち上げ、どこでやんの?○○公園?」

打ち上げねー。一年生とかお酒に慣れてないから超うざいよね。」

「あいつらが暴れるせいで警察もきたっつーのね。」

「自分の限界とか知らないし、飲みすぎだっつーの。」

「面倒みるのどうせこっちなんだから、打ち上げとか超うざい。」

あんたら、どんだけ飲みなれてるんですか。

2007-10-20

初音ミク手芸

初音ミク音楽を変えるかどうかとか、一般人に認められるか、とかは

わたしにとっては正直どうでもいい。

初音ミクを歌わせることは、

趣味編み物お菓子を作ることに似ているのじゃないかと思う。

既製品のセーターやお店のお菓子のほうが、よっぽどセンスがあって品質も高いし

値段だって安いけれど、

趣味で作りたいという人は存在し続ける。(流行り廃りはあるけど)

作ることが楽しいから作るのだ。

だけど、作りたいという衝動を持っている人のすべてが

オリジナルのセーターをデザインしたりオリジナルレシピを開発したりできるわけはないので、

編み図を買ったり、見本を真似したり、レシピ本を買って、作って、楽しんでいる。

たまには地域の文化祭に出品したりするのもモチベーションの源になるだろう。

根がミーハーなわたしは、新しい手法が紹介されてちょっとしたブームになると、

それがやってみたくてたまらなくなってしまう。

(すこし前だけど、羊毛からフェルトを作るフェルティングには興奮した。

羊毛にお湯と洗剤をかけて摩擦するだけで、靴やら帽子やら人形やら、

ふんわりやわらかに自在に整形することができるのだ。

だたし、毛玉が猛烈にでやすいのであまり実用には向かない)

わたしは、初音ミクにも同じような興奮を覚えてしまい(わたしは女なので性的な意味ではない)

今日、買ってしまった。

うまくできるかどうかわからないけど

家にあるキーボードに久しぶりに電源をいれることになりそうで、

とてもわくわくする。

もしもまかりまちがって、気に入った曲ができたら、ニコニコ動画に投稿すればいい。

きっとだれかが見てくれて、ヘボいとか言ってくれるだろう。



ただ趣味で作ったものというものは、

手作り品を他人にプレゼントしたり、お菓子を配ったり、ということについては

冷静にならなければならないかなあと思う。

あまりにもセンスが違う手作り服とかもらうと途方にくれるし、

大量に洋菓子を作って配ってくれても食べきれないし、病気で食べれない人もいる。

時々、ご近所にそういったものを配りまくる人というのがいるが、

これは相当に脅威的だ。

しかも、善意だからこそ余計に手に負えない。

そんなわけで、初音ミクで作った音楽を一般人に広めることに性急になるのは、

あまり幸せな結果が期待できなさそうだと、個人的には思う。


とまあ、そんなことはおいといて、

当面の楽しみを与えてくれたこのブーム(?)とそれに関わる人たちに感謝したい。

2007-10-12

こんがらがった難しいを、ほどいて優しくする仕事だと思いました。

最近取締役になったということもあり、自分の中での仕事の取り組み方が、半年前と比べて激変しました。

デザイン制作会社と言えるような、言えないような仕事をしております。

企業再生機構みたいな。

なんか、ヤクザな商売だよなぁ、って思う時もしばしば。

まぁ、そんな中で先頭に立って毎日を過ごしております。

僕は高校生の時、なぜか生徒会長をやってました。

今考えると騙されて会長になったんですが…。

文化祭、僕は実行委員長的な感じで仕切っておりました。

体育館バンド用のPA業者との音のチェック。

音を出すから周辺の住民に謝りに行ったりとか。

クラスの催し者のチェックとか予算の管理とか。

O-157がブームだった頃だったので、食品衛生的なものの管理とか。

部活動とのやりとり先生間の派閥をうまくやりこめて協力を得たりしたり。

プログラムポスターを作って他校に売り込みに行ったり。(もちろん女子高には多めで)

準備オッケー。って思っても必ずトラブルが起きるんですよね。

ゲームを卸してくれる業者が当日持ってきたゲームが違っていて(あきらかにショボいゲームだった)、20人位で業者に殴りかかりそうになったり。(工業高校だったので)

まぁ、そんな中で先生か誰かに言われたことがあって、

会長は、自分が動けるとしても、なるべく下の子(部下)を動かして物事を進めろ。イベント中も動き回らないで、なるべく生徒会室にいろ。じゃないと連絡がつかないから。下の子がなんかミスった時の責任会長がとれ。」

そんなことを言われたのを覚えてますね。

振り返ってみると、今やってる仕事が、生徒会の時と対して変わらないのです。

なんだかんだで、高校生の時にやっていた事と同じ事してるんですわ。

そんな感じで、今日も色々と大人子供社会で頑張ろうと思います。

こういうのって基本は難しくないんですよね。

みんなが難しく考え過ぎて、みんなで難しくしてるだけ。

今の僕の仕事は、こんがらがった難しいを、ほどいて優しくする仕事だと思いました。

2007-10-07

全てにコツがある。コツを掴んで能力の差を埋めよ

http://anond.hatelabo.jp/20071007093510

そうそう

素人同士のスポーツで一番大事なのは、いかにそういったコツに気づき、掴むか。

100m走のオリンピック選手が記録を0.1秒縮めるのはむずかしいが、素人ならプロを真似たりコツを掴むだけで簡単に1、2秒縮まる。

南原が番組ピッチャーの真似事をしたとき、いくら自分で練習しても変わらなかったのに、プロの指導を数分受けただけで10キロ近く球速上げてた。

俺も中学綱引きで、「うちのクラスは練習でいつも最下位なんだよ」ってじーちゃんに言ったら

「みんなで綱を地面すれすれまで落として引け、綱引きなんてそれだけで勝てる」って言われて先生に相談し、「ではみんなで試してみましょう」ってことになった。

そしたら全勝。みんなびっくりで、うちのじーちゃんは神と呼ばれた。

学校スポーツなんて所詮素人の集まりなんだから、少しの違いで勝てる。

上手い奴はコツを自分で発見する能力があるだけ。わからない奴は圧倒的不利。つまり情報戦なんだ。

なぜなら、学校の授業ではなぜかそういうコツを教えてくれないことが多いから。

今は知らんけど、俺の中学サッカー授業はひたすらインサイドパスドリブルの練習しかさせてもらえなかった。

正しい蹴り方や簡単な戦術は教えてくれるけど、コツは教えてもらえなかった。

で俺は、ドリブラーをディフェンスで防いだことが一度もなかった。どうがんばっても抜かれる。

ある日、たまたまおはスタサッカー講座(小学生向け)をやってたんだけど、ディフェンスについてこう説明してた。

「ディフェンスで一番大事なのはボールを奪うことではなく、抜かれないことなんだ。

だからドリブラーと常に一定の距離を取る。相手が一歩前に出たら、自分は一歩下がれ。

そしていよいよ相手が我慢できなくなって、君を抜こうとボールを蹴りだした瞬間、ボールに向けて足をすっと出す」

頭にガツンと来た。俺はボールを奪おうと相手に突っ込んで行って、自分から先に足を出して行ってたんだ。

だから相手は俺の出す足を見て別方向に蹴りだし、簡単にかわしていくんだ。

サッカーやってる奴には超基本なのかもしれないけど、俺は中学卒業まで自力で気づくことができなかったため、圧倒的に人生を損してた。

(今はテレビでプロの試合見られるから観察力のある奴は気づくだろうけど、昔はサッカー情報なんて皆無だぜ)

学校スポーツが得意な人ってのは、そういうコツがいかに重要であるかを知ってる。

大学ではテニス部に入ったが、文化祭コンパの芸とかで俺の得意な手品包丁裁きを見せる機会があるたびに、

そのコツを聞きに来た奴がいた。他の奴はすげーとか、やり方教えてとは言いに来たけど、そいつは

やってるときの感覚とかイメージとか、どうすればよりうまく出来るかにこだわって聞いてきた。

テニス大会では無名プロ選手といい勝負しちゃうような、部内で断トツにうまい奴だったが、そういう考え方が身についているからかなと思った。

現在ネットワークSEになったけど、仕事もこれと同じだなぁとしみじみ感じる。

もしあなたが新入社員や初めてのアルバイトで、同期の連中から一気に差をつけたいと思ったら、意識してみるといいよ。

2007-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20070922120950

著作権が無ければ面白いコンテンツ生産性はあがるのか?

著作権はあくまで権利の話しであって、世間で問題視されるのはあくまでその権利の行使のやりかた。

今のような方向性で権利が行使がされつづけると面白いコンテンツを生み出すそもそもの土壌がなくなる。

既存の作品というのは製作者の成長の過程において基礎となり重大な影響を与えている。

一切の模倣なしにコンテンツクリエイターが育つことは無い。

もし漫画家の卵が著作権の切れた漫画しか模倣できなかったら。

もしミュージシャンの卵がクラシックしか模倣できなかったら。

もし小説家の卵が明治時代に活躍した文豪の作品しか模倣できなかったら。

模倣という練習の先に独自のスタイルを織り交ぜるのであって、

それなしに著作者権利を行使したのでは、すべてのクリエイター車輪の再発明を強いることになる。

想像してみてほしい。

作者没後70年というのは、1937年昭和12年に死亡した人ということだ。

1937年に死亡した人達をみてみよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1937%E5%B9%B4

1870-1890に生まれた人達。彼らが作品を生み出したのが20、30台だとしよう。

1900年、時は明治33年。

もし、厳格に著作権が管理されたら、

ポケモンの歌をくちずさみながらピカチューの絵を描く子供達は、

著作物使用料を支払わなければならない。

文化祭学生が演奏を披露する子達はラベルボレロ以前の作品をコピーすることになる。

フェアユースが認められていない以上、インターネットは脱法状態だし、ポケットはてななんてもっての他。

そんな状態で生産性が問えるだろうか?

著作権は主に二つに分解することができる。

著作者人格権と、著作財産権だ。

誰がどのような作をなしたのかは厳格に保護される必要がある。

しかし、財産権を過剰に保護するのは大反対だ。

すべての作り手はマルパクリから第一歩を踏み出すのだ。

第一歩ぐらい最近のものから模倣したいじゃないか。

っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。

どういうことやっちゅう話しじゃ。

プログラムにも人格権ぐらい認めろよ。

実行結果はほとんど同じでも書き方は千差万別。

もう、ほんとなんなんだよと思ってしまう。

2007-09-17

麻生たんかわいいよ

政治家萌えアニメ化したら、安倍さんは結構萌えキャラ」という言及が某所にあったが、その点で言えば麻生さんは直球ど真ん中だ。

2007-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20070902003512

そういう放任系進学校も昨今は近隣住民の眼が厳しくなって

管理体制が強化されているという傾向があるように思える。

文化祭とか体育祭の後に飲酒して打ち上げとかはまぁ、極端な例だけど、

休み外食とかがOKだったのが禁止されるようになるとかね。

本からきつい学校に居た人はそれくらい我慢しろと思うかもしれないけど。

2007-08-03

こ、こんなイカゲソに釣られてたまるか!

で、でも、挟んだあと物凄い勢いでバックすれば大丈夫かも!

ガシッ

http://anond.hatelabo.jp/20070802213024

そういうリスクを切り捨てて目先の利益に走ってるからこそ、今回のような穴が開く、それだけの話でしょ。

自社で部品から内製するのが経営的にリスクをヘッジする方法だと思っているのだったら製造業以前のレベルじゃ!

文化祭レベルの出し物でいいから一回でもいいから商売してみろよw


なんてねー

ビュビュビュビュビュ

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