2007-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20070922120950

著作権が無ければ面白いコンテンツ生産性はあがるのか?

著作権はあくまで権利の話しであって、世間で問題視されるのはあくまでその権利の行使のやりかた。

今のような方向性で権利が行使がされつづけると面白いコンテンツを生み出すそもそもの土壌がなくなる。

既存の作品というのは製作者の成長の過程において基礎となり重大な影響を与えている。

一切の模倣なしにコンテンツクリエイターが育つことは無い。

もし漫画家の卵が著作権の切れた漫画しか模倣できなかったら。

もしミュージシャンの卵がクラシックしか模倣できなかったら。

もし小説家の卵が明治時代に活躍した文豪の作品しか模倣できなかったら。

模倣という練習の先に独自のスタイルを織り交ぜるのであって、

それなしに著作者権利を行使したのでは、すべてのクリエイター車輪の再発明を強いることになる。

想像してみてほしい。

作者没後70年というのは、1937年昭和12年に死亡した人ということだ。

1937年に死亡した人達をみてみよう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/1937%E5%B9%B4

1870-1890に生まれた人達。彼らが作品を生み出したのが20、30台だとしよう。

1900年、時は明治33年。

もし、厳格に著作権が管理されたら、

ポケモンの歌をくちずさみながらピカチューの絵を描く子供達は、

著作物使用料を支払わなければならない。

文化祭学生が演奏を披露する子達はラベルボレロ以前の作品をコピーすることになる。

フェアユースが認められていない以上、インターネットは脱法状態だし、ポケットはてななんてもっての他。

そんな状態で生産性が問えるだろうか?

著作権は主に二つに分解することができる。

著作者人格権と、著作財産権だ。

誰がどのような作をなしたのかは厳格に保護される必要がある。

しかし、財産権を過剰に保護するのは大反対だ。

すべての作り手はマルパクリから第一歩を踏み出すのだ。

第一歩ぐらい最近のものから模倣したいじゃないか。

っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。

どういうことやっちゅう話しじゃ。

プログラムにも人格権ぐらい認めろよ。

実行結果はほとんど同じでも書き方は千差万別。

もう、ほんとなんなんだよと思ってしまう。

記事への反応 -
  • 人の作品をベース(踏台)にして、新しい作品を築き上げる。その行為自体は芸術活動でも幾度となく行われ続けた伝統的な手法である。先人の作品を模倣しながら自分の表現を磨いていく...

    • 著作権が無ければ面白いコンテンツの生産性はあがるのか? 著作権はあくまで権利の話しであって、世間で問題視されるのはあくまでその権利の行使のやりかた。 今のような方向性で...

      • っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。 どういうことやっちゅう話しじゃ。 これ始めて聞いた。どこかでそんな判例が出たのだろうか。プログラムは著作...

    • http://anond.hatelabo.jp/20070922120950 そこにオープンソース入れるとややこしくなるからやめてくれ

    • オマエさんだってその意見の下敷きにした直近の益田のエントリーにすら参照TBも打たずに俺の考えたことを聞けってんだろ? 悪意は無いって?みんなその程度に自分が好きつう程度の話...

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