著作権はあくまで権利の話しであって、世間で問題視されるのはあくまでその権利の行使のやりかた。
今のような方向性で権利が行使がされつづけると面白いコンテンツを生み出すそもそもの土壌がなくなる。
既存の作品というのは製作者の成長の過程において基礎となり重大な影響を与えている。
もし小説家の卵が明治時代に活躍した文豪の作品しか模倣できなかったら。
模倣という練習の先に独自のスタイルを織り交ぜるのであって、
それなしに著作者権利を行使したのでは、すべてのクリエイターが車輪の再発明を強いることになる。
想像してみてほしい。
作者没後70年というのは、1937年、昭和12年に死亡した人ということだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1937%E5%B9%B4
1870-1890に生まれた人達。彼らが作品を生み出したのが20、30台だとしよう。
もし、厳格に著作権が管理されたら、
ポケモンの歌をくちずさみながらピカチューの絵を描く子供達は、
著作物使用料を支払わなければならない。
文化祭で学生が演奏を披露する子達はラベルのボレロ以前の作品をコピーすることになる。
フェアユースが認められていない以上、インターネットは脱法状態だし、ポケットはてななんてもっての他。
そんな状態で生産性が問えるだろうか?
著作権は主に二つに分解することができる。
誰がどのような作をなしたのかは厳格に保護される必要がある。
すべての作り手はマルパクリから第一歩を踏み出すのだ。
第一歩ぐらい最近のものから模倣したいじゃないか。
っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。
どういうことやっちゅう話しじゃ。
実行結果はほとんど同じでも書き方は千差万別。
もう、ほんとなんなんだよと思ってしまう。
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っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。 どういうことやっちゅう話しじゃ。 これ始めて聞いた。どこかでそんな判例が出たのだろうか。プログラムは著作...
http://anond.hatelabo.jp/20070922120950 そこにオープンソース入れるとややこしくなるからやめてくれ
オマエさんだってその意見の下敷きにした直近の益田のエントリーにすら参照TBも打たずに俺の考えたことを聞けってんだろ? 悪意は無いって?みんなその程度に自分が好きつう程度の話...