はてなキーワード: 文化祭とは
ってかさ、
経団連も最近では教育方針にいろいろと口を出すけどさ、「文化祭や学校行事の充実」を要求したことがあるか?
と探してみた
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2006/018.html
一応、学校行事の満足度も評価基軸としてあるな
「何を行うか?」はあまり深く突っ込んでないけど
それが大企業でも事前にセミナー組んでやるんだぜ?うけるだろw
人事部のおっさんからするとそんなに向上心が足りないって事なんかね。
ニーズが多様化してきてる現代だからこそ、応用力のあるやつ取りたいっていうのはわかるが。
実際、変に物質的に恵まれているやつは努力する経験とか、現状打破する心とか薄い気がする。
これ文化祭の問題じゃないけどな。
まぁ、とにかく課外活動を重視する傾向は強いぜー。
「○○が目的なら××でいいじゃん」という考え方を持ちながら、学校教育というシステムの前提に疑いを持っていないあたりに言いようのないもの感じる。「勉強を教える為」が目的なら学校そのものからして要らんだろ。
各家庭に教師を派遣するより、一か所に集めたほうが効率がいいからだろ
あと集団でしか行えない教育ってのもあるしな
まず「勉強を教えること」が第一義ではあるだろうし、
そこから出発すれば、文化祭とか修学旅行って形としてはどうなのよ?とは思うのだよ
例えば、修学旅行でディズニーランド行くってのがあったとして、じゃあその経験が勉学に対してどのくらいプラスになるか?とかね
まずは嫌悪感を感じ、直後に哀れみを感じるエントリーだな。運動会、修学旅行、文化祭といったイベントを一度でも楽しんだ人間であれば、こんな事は思いも付かないはずなんだが。
「○○が目的なら××でいいじゃん」という考え方を持ちながら、学校教育というシステムの前提に疑いを持っていないあたりに言いようのないもの感じる。「勉強を教える為」が目的なら学校そのものからして要らんだろ。
学業以外の評価どころを与えましょう!って始まったのがゆとり教育だったけれど、効果上がってない・・・
土曜休みにすれば、課外活動とか地域ボランティアとか自分の趣味を通じて、他人と協力すること覚えるよね!って言う希望的観測は、
制度が甘いせいで
土曜にも塾行ったり、家に引きこもったりでgdgd。
教育って学業だけじゃなくて社会生活とか道徳心とか知ってなきゃいけないんだよね?
どうやってそれを評価するのか。
文化祭だけじゃ不十分だが、代替案の充実待ちってところかな?
大学の文化祭的なものって「やりたい奴がやっている」ってイメージだから、
中高の「決まった形の中で強制的に何かやる」とはだいぶ逸脱している気がするけどね。
企業で評価される為に何かやっているのであっても、もっと実利的なことのほうがよくないか?
文系限定じゃね?
ちゃんとした理系の人は学業以外に力を入れる時間なんて無いと思うけど。
俺も文系だけど、ツレの工学部の奴とか学業以外に力を入れる暇なんて全く無さそうな学生生活送ってたよ。
「文化祭みたいなノリの仕事」って評価は、他人からの評価をほとんど意識せず、
気分と勢いだけでやりたいようにやったってことだと思うんだけど。
勉強も含めて、運動会とか文化祭やると集団における自分のポジションをみんな自覚する。
情報格差の面はちょっと心配だけど、
自分の経験上そういう「他人との齟齬」もいい経験だったと思うよ。
高校生のとき、参加しない人へ説得にあたらされて「他人とはこうも相容れないときがあるのか!」という学びを得た気がする。
我を通すことのエゴとかね。
文化祭に対して疑問に思う生徒は生徒で何か学びがあればいいなと思うけれど・・・
文化祭などの行事がなくなり、それでも学業以外の活動を評価しなければならないとしたら、
確かに、「それ、別に祭りじゃなくても・・・」「誰もがそういう風な経験するわけじゃない」って思う人もいるだろうけれど、
学校がそういう機会を与えてそういう力のある子を喚起させるにはいいとおもうよ。
それ別に祭りじゃなくても、って思うのだよね
3か月とか半年のロングスパンの課題を設定して、やらせればいいんじゃないの
ってかさ、勉学から分離した行事にしなくてもいいんじゃないの、とは思う
そもそも企業社会においては、「文化祭みたいなノリの仕事」って評価は皮肉の裏返しなんだよね
自己満足しか得られないような活動ってそういう評価を受けたりするよ
帰属意識を強めるのは同意なんだけど、
学校なんて所詮社会へ出るための1ステップにしか過ぎないし、しかも社会性の乏しい閉塞した空間だし、
そんなところで帰属意識強めてどうすんの?
文化祭の準備の経験で何かに目覚めてそのままイベント企画会社に入っちゃう人とか中には居るらしいね。
別にそういうキャリアパスとして用意されているわけじゃないだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20081109215449を読んで思ったこと。
私は文化祭大好き人間で、「みんなー!最後の文化祭はりきってこーぜ!!」というくらい暑苦しい人間でした。
文化祭なんて何年もまえに終わってしまったけれど、教育的効果は(自分に関して言えば)かなりあったと思う。
就活に使いやすいエピソードではあったとも思うな。
・一つのものを他人と協力して創り上げました!
・タイムマネジメントを学びました!
・仲間同士の意見のすれ違いの背景を分析する力がつきました!
・他人を感動させるにはどうしたら良いか考え自分なりに働きました!
確かに、「それ、別に祭りじゃなくても・・・」「誰もがそういう風な経験するわけじゃない」って思う人もいるだろうけれど、
学校がそういう機会を与えてそういう力のある子を喚起させるにはいいとおもうよ。
日本教育の根本は「機会均等」だからね。合わない子がいても仕方ないよ。(残念ながら)
それが肌に合わない子は部活や学問、課外活動など別のフィールドで活躍すればいいんだけど・・・そこが整備されないのが問題なのかなぁ?
話は変わるけれど、大学のゼミでナショナリズムについて話していたときに、
(文献はベネティクト・アンダーソンの『創造の共同体』だったと思います)
『文化祭って、小さなナショナリズムだよね』という意見が出てかなりショッキングだった経験があります。
(あと、「文化祭実行委員とか大っ嫌いだった!」と面と向かって言われましたw)
確かに「祭り」という行事の背景に「クラスの仲間」「学年」「母校」という共同体の姿を連想させやすくするし、
結果、結束や帰属意識を高めるには効果の高い装置ではあると思う。
考えがまとまってないので、だらだらしちゃうと思うけど。
時代の空気みたいのを考えるのが好きで、ニートやら、ほかの人とうまくいかないやら、
そういう悩みがなぜ現代に多いのかをよく考える。
自分なりの結論としては、「現代人は他人との共通体験をする場が少ない」ということ。
恋愛もそうだと思ってるけど、「一緒に何かをした」記憶とか、思い出とかが人間関係の基本だと思うわけです。一緒に苦労したからチームメイトが団結する、文化祭で一緒に徹夜して仲良くなる、恋人同士がデートやメール交換を繰り返してより親密になる、そういう経験の繰り返しが親密さを生むんだろうと。
ただ現代は、会社の行事も基本不参加、部署ごとの飲み会も行かない人が多い。
さらに大学でサークルに入る人も減ってきていて、学校行事も当然不参加率高い。
そうやって「共通体験」が経ることで、各自の孤立した体験をすることが増えてくるわけです。1人でニコニコなんかの動画を見たり、チャットやってみたり、テレビ見たり、音楽聴いたり。で、そういう体験におけるエモーショナルな感情の動き(意味ダブってるけど)を、誰かに話せれば共通体験化できるんだけど(感想を話し合ったという体験+趣味が合う、とかね)、今は2ちゃんやら増田やら、匿名の誰かと話すことができちゃう。
それはそれでいいことなんだけど、匿名のコミュニケーションというのは基本使い捨て、継続的な付き合いではないから、「共通体験」を積み重ねることができないわけです。
本来は友達を作る過程として作用する共通体験が、つど使い捨てアイテムになっちゃってるわけ。だから現代は、「友達がうまくできない」とか「話題がない」なんて人が増えている。
前後するけど、話題がない人はほかの人と共通しやすい体験というのをあまり行っていないんだと思っている。もちろん好みだから、人と共通しやすい体験を無理してする必要はないんだけど、たとえばテレビ番組の話はニコニコ動画の話よりも多くの人に通じやすい。通じにくい体験しか手持ちの札がない場合は、当然ながら他人と「共通体験」を作るのが難しくなる。だから、手持ち札に一般受けする話題が多い人は「共通体験」を作りやすくなって、結果リアル充実といわれる状態になれるのかなあと。
かといって、手持ち札がマニアックな場合は「共通体験」が作れないかといえばそうではなく、手持ち札が似ている人のところへ行き、話題を使い捨てないように気をつければいいということになる(友達が作りたい人の場合。誰でもそうしろというのではなく)。
そこでハンドルなりを付けて、同じようにハンドルなりがあるその場限りじゃない付き合いを構築していけば、どんどん「共通体験」を積み上げられるようになる。
で、何がいいたいかといえば。
自分自身を含めて、「生きにくい」と思う人が多いと思うんだけど、できるだけ「使い捨て」ないように気をつけると、多分生きやすくなる。
匿名のコミュニケーションは楽。発言に責任を持たなくてもいい、過去に責任を持たなくてもいい。
でも、そういう使い捨てを行った分、積み重ならない体験が増えて、「共通体験」をすることで得られたはずの「(友達としても恋人としても)好きな人といる楽しさ」やら「困ったときに相談できる存在の頼もしさ」みたいなものを少しづつなくしているんだと思う。
「共通体験」を作ることは、ある種の面倒くささも伴う。だからといって共通体験を作ることを怠ってしまうと、一見独立した存在になれて満ち足りているつもりが、なぜか物足りなさ(人によって違うかも。さびしさとか、むなしさとかいろいろ)を感じることになってしまう。
だから「共通体験」を作りなさいと、えらそうにいうつもりはない。だって面倒だし。でも人間関係を使い捨てている分、なにかを失っていることは知っておくべきかなと思う。事前に覚悟しておくべき、というか。
無自覚な人が多いから、体験を使い捨ててしまっていることに気づいてなくて、ネットで使い捨ててきて、現実でなにも手札がないって人が多いんじゃないだろうか。手札がないのはその人が原因というのではなくて、誰も「体験は匿名環境で使い捨てるとなくなっちゃうから注意してください!」と言わなかったのが原因じゃないのかと。
人間の時間は有限だから、「体験」できることはリアルであれネットであれ限られている。「体験」を有効に使いましょうというお話。
>「告白されて、断ってその結果として今も童貞」である事と、
「告白もされず、ましてや告白しても断られ続けて今も童貞」である事が一緒だと思ってんの?
まったく違うと思います。
ただし論点は、付き合えるか付き合えないかを決める要因が2つあり、
その2つを満たすことで付き合えるようになるかも知れないということです。
ご指摘の通り、私は中学校や高校では文化祭やホームルームなどがあったので、異性と話したりすることは日常的でした。
ですから、告白されることもあったわけです。
大学に入ってからは、学部から女性との交流はまったくといっていいほどありません。
なので、私が今誰かに告白しても断られる公算が非常に大きいです。
そうした経験から、「モテたこと」と「モテないこと」を両方経験した私の意見は青春時代の10代、20代には気付くべき点があると思ったわけです。
http://anond.hatelabo.jp/20080911020523
↑の元増田だけど
やっぱり暇だったから公式サイトの作成した。ただ、やっぱりヘッダ部分の画像を文化祭と関連性の薄いものにするとか、そういうのは納得いかなかった。だから0からレイアウトを組みなおして、少し立体的っていうのかな、影とかつけて重なりを表現したりして、見やすく、かつそれなりに格好良いものを作って他パートおよび文化祭実行委員長に見せたら、「これならいいかも」と言って貰えた。
とりあえず、うちの高校がWikipediaに載っていたから、そのページの末尾の外部リンクの欄に2008年の文化祭の公式サイトとしてリンクを貼っておいた。また高校の公式サイトを作成している事務の担当に頼んで、公式サイトからリンクしてもらった。ヤフカテに申し込んだけどまだ登録されてないなぁ。
まぁ、積極的に行ったのはこの程度。アクセス状況を見て随時更新・宣伝していこうと思ってたわけだ。
すると、1ヶ月たったときにGoogle・Yahoo!どちらも高校名で検索したときに1ページ目に表示されたり、「都道府県名 文化祭」とかでも1ページ目に表示され、そのときにすでに15000PVを超えていた。
改めて、被リンクは量ではなく質なんだと実感した瞬間だった。そしてドメインの古さに対する評価も(高校の公式サイトの下層フォルダに作らせてもらった)。未だにGoogleで被リンク(link:URL)検索しても0件だし。
参考:http://www.seowalker.net/2008/03/post-689e.htmlによるとドメインの年齢は8年4ヶ月だった。
それなのにページランクが4になっていたことには驚いた。俺の2年間運営しているブログがページランク4だってのに、公式サイトはたった2ヶ月で同じ程度までにあがっていた。Googleの被リンクが0件なのにページランクが4ってのは少し不自然な気もするが…。
幼稚園→近所の人から「かわいい子ね」と、他の子よりチヤホヤされる。
小学校→同級生の男子にちょっとカラかわれつつ、いつでもクラスの人気者。
中学校→部活の先輩や同級生の不良っぽい男と付き合う。初体験は中2の夏休み。
高1の文化祭で大学生にナンパされ、金のある年上の男と遊びだす。
1回だけなのに妊娠してしまった→堕ろす。
周りの大学生には連れて行ってもらえないところにたくさん連れて行ってもらう。
社会人(20代前半)→最初は同期の男と付き合う。大学時代の彼氏は二股中。
だが半年以内に2人とも切る。ちょっとカッコいい中年のおじ様とベッドイン。
不倫も経験して、大人の女になる。「これで私も苦労を知ったイイ女!」
25までは男の方から無制限に寄って来て、自腹で物を買う機会が少なくなる。
だが25過ぎてから、男性の集まりに陰りが見え始める・・・。
20代後半→1度目の転職。若い娘がチヤホヤされるのが気に入らない。
「あんな子、大した事ないのに。ホント男って馬鹿ね」と男性批判に走る。
自分よりブスが先に決まっていくたびに「私はあんな妥協はしない」と自分に言い聞かせる。
年下男に手出したり、クラブに通ったり、資金力をバックに色々活動してみる。
30歳→ここが運命の分かれ道だった。
ここで男をGET出来なかったせいで、2ch男女板の常連に・・・。
何とか男をGET。相手は理系旧帝大のマジメ君。女性経験無し。
SEXが下手すぎる。
結婚後→旦那ともすぐセックスレスとなり、近所のイケメンと不倫関係に。
旦那にもうつってしまい、ばれる。
旦那はバカなのか優しいのか、離婚を切り出すことはなかった。
あぁ、そうか。ヤンキーと違って、理系男は理系男でバカなのね。
と思いつつ、その後も何人もの男と関係を持ちながら、うまく家庭は築いていってた。
これが私の一生。
私も私なら、理系の旦那も旦那で、うまくやっていけたと思う。
※愚痴です。
私は高3で、10月末に行われる文化祭の広報パートとしてウェブサイトを作ってくれと頼まれた。7月のことだ。
うちの高校は男子校で、それなりに名門の大学の付属校だ(系列校という場合もある)。ターゲットは女子高生か受験生、いずれにせよ普段はネットをあまり使わない層だと思われる。そして学校名はそれなりに目立たせたほうがいいと考えた。
はじめは特に何も指定されなかったから、一般的でわかりやすいと思われるヘッダ、左メニュー、右コンテンツ、フッターの4ブロック構成にし、ヘッダには文化祭のテーマ(英単語)のロゴを背景に「学校名 文化祭名 開催日」をh1要素として入れた。左には「インフォメーション」とか「オリジナルグッズ」とかそういう一単語の簡単なメニューを入れ、マウスオーバーで見た目が変わるような装飾を施した。右コンテンツには全ページにh2要素をはじめにいれ、そのページのタイトルとした。デザインは横幅850pxの中央寄せで背景はストライプ、中央の背景は白一色にし、テーマにそってやや濃いグレーと赤系で色づけた。
高校生の文化祭のサイトとしてはかなり良いほうなんじゃないかと自負していた。
なおGoogleAnalyticsによると8月の平均ページビュー(1人当たりのページビュー)は8ページで、数字的にも悪くないと私は考えていた。ちなみに8月の総PVは20000だった。「大学名 グッズ」で検索したときに、大学のページより上に本校の文化祭の大学グッズ紹介のページが表示されているのは感動的だった。
新学期が始まったから、総務パート、装飾パート、パンフパートに見せたわけだ。
するとなんだ、1分くらい沈黙が続いた後、第一声がこれだ。
“公式サイトなんて学校名で検索されてくるんだから、すべてのページのタイトル(たぶんh2要素のこと)やトップ画像(たぶんヘッダのこと)にわざわざ学校名を入れる必要はない。開催日だって「インフォメーション」のページに書いてある。開催日が気になったら「インフォメーション」のページを見るだろ普通。トップ画像にはパンフパートが用意したロゴ(英単語+イラスト)を入れるだけで、学校名や文化祭名や開催日は入れるな。”
(^ω^;)
文句は続いた。
“テーマに対してデザインが明るすぎる。背景は真っ黒にして文字は真っ白がいい。文字(%指定で14pxにしている)もでかすぎる。”
いったい、何のための公式サイト作成なんだ。勝手にやってくれ。私は降りる。
降りて専門学校を探さなければ。大学の推薦入学を得られるだけの成績がないのだ。