人の作品をベース(踏台)にして、新しい作品を築き上げる。その行為自体は芸術活動でも幾度となく行われ続けた伝統的な手法である。先人の作品を模倣しながら自分の表現を磨いていくのである。
しかし、デジタル機器とそれらをつなぐネットワークの発達により、公開した作品は瞬く間にコピーが出回る。自分が書いた本も映画が売れることなくコピーだけが世界中にバラまかれるようになる。さらには自分の作品のパロディやインスパイヤと呼ばれる作品が、二次創作者たちの懐を温めていく。
(この記事はパクりや二次創作に対する怨念だけを取り集めているので、いささかバランスに欠けていますが、一種のバラエティとでも思って頂ければ幸いです。)
そうして没落していくプログラマ達を尻目に、次々と使えるものは使い、権利的に怪しいものはこっそりと使う人達。
「人のものは俺たちのもの。どんな作品も一度買ったらコピーしてネットに流出。俺たちは人類の役に立っている。店頭に並べても見向きもされないような商品を世間に認知させている。金の無い奴にも良質な作品に触れる機会を与えている。そして何よりも、良質なコンテンツを自由に利用することによって、さらに面白いコンテンツ作り(コンテンツ市場の発展)が一層加速する。」
確かに私の作品はつまらないかもしれない。私より優れた作品を作る人はゴマンと居るし、ジャスラックがいくら著作権料を取り立てても、著作権者に還元されていないという噂も聞いている。だからといって、ジャスラックが居なければ著作権者に喜んで金を払うのか?よく目に見える部分だけ作って浮かれている連中は、基盤となる作品群やライブラリ、システムを築いてきた人達に何をどれだけ還元したというのだ。結局はパクりを良とする連中のアフィリエイトが潤っているだけじゃないのか。
オープンソースだの、Web2.0だの、リンクフリーなどを謳う連中は結局のところ、作り手の意欲につけこんで、良質な作品を安く買い叩こうとする動きに加担しているのではないのか。
著作権延長したところで、売れない私の作品からの印税は増えないだろう。そもそも死んだ後にまで著作権があっても私はうれしくない。家族に印税が入るとも思わない。だからといって、あからさまなパクりで潤っている連中を私は妬む。
http://anond.hatelabo.jp/20070922120950 そこにオープンソース入れるとややこしくなるからやめてくれ
オマエさんだってその意見の下敷きにした直近の益田のエントリーにすら参照TBも打たずに俺の考えたことを聞けってんだろ? 悪意は無いって?みんなその程度に自分が好きつう程度の話...
著作権が無ければ面白いコンテンツの生産性はあがるのか? 著作権はあくまで権利の話しであって、世間で問題視されるのはあくまでその権利の行使のやりかた。 今のような方向性で...
っていうか、そもそもプログラムには著作権認められないという。 どういうことやっちゅう話しじゃ。 これ始めて聞いた。どこかでそんな判例が出たのだろうか。プログラムは著作...