はてなキーワード: 反復強迫とは
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老害かどうかという意味で言うと彼は大学生の時からとっくに老害だった。立身出世のきっかけになったと豪語するルパンの記事を見てもらえばわかるはず。有名になる前だから彼にこの記事で触れた人が多いはずなのだが、何人もの初見のブックマーカーが書き手のことをおっさんだと思っている。そのくらいおっさんぽいし説教臭いし上から目線だし自分の知ってる部分だけが全てだと思う頭の固さがあるしつまり老害だ。これについては徐々にただの想像力の乏しいバカであるという評価に置き換えられていったが一般的評価で見て少なくとも22歳の時にすでにおっさんくさかったことは間違いない。26歳になったから22歳の人間が気に入らなくなるというのは普遍的な話であるが彼の場合は違う。彼は22歳の時からすでに自分が気に入らないものは年上であろうが年下であろうが自分を棚に上げて文句をいう嫌なおっさんであった。
老害であるかどうかは大した問題ではないがそんなことより問題なのは老害であることよりもすぐにヘイトを撒き散らしてしまうこと。彼はおっさんくさい語り口調と対照をなすように感情が未発達。そのため小学生のガキが思い通りにならなかったときにすぐ癇癪を起こすのと同じ要領で幼稚な感情制御のもとに無駄に凝った語彙で人に嫌がらせをする。数年間ほどチャンネル桜やアホなネトウヨ活動に傾倒していた時期のせいか、極めて下品な語彙を多数獲得している上また大学生の時にまともなリアルの友人関係を構築することができなかったようでノリがいつまで経っても中学生のガキのまま。
さらにいくつかの要素についてコンプレックスがあまりに強すぎてそれに反発できずむしろ積極的にトレースしてしまう。克服できないままいつまでも反復強迫を繰り返している。たとえばリア充を嫌うくせに、自分の語りの時はリア充と同じ「俺の行間つまりノリまで理解しろ」「俺のノリを理解しない奴はださい」という態度をトレースしてしまう。いくらオタクぶっていてもリア充に強いコンプレックスを抱いていることがそこにくっきりと出てしまう。リア充の縛りから抜け出せないからいつまで経ってもリア充にこだわり続ける。あるいは母親を猛烈に嫌っているくせに、人との接し方は彼が嫌う母親そのものである。人の話を聞かず、自分の思い込みで相手を傷つけ一方的に評価するだけ。そういう扱いを受け続けた上他のロールモデルを得ることができずに現在まで来てしまっているため、そういう行いを憎みつつも自分自身がその憎むべき行為をするようになってしまっている。
自分が嫌うものに立ち向かわずその憂さ晴らしを他でやっている限りいつまだたっても自分が嫌うリア充や母親を恨みながらそれに自分が支配され続けるという屈辱を味わいその屈辱を他人にぶつけては反動で傷つき永遠に自家中毒で苦しみ続ける。だがなまじそれで他人がかまってくれるものだから今の自分を捨てられずごまかしごまかし生きるしかない。
自分が憎むべきものに自分がなってしまうことはよくあることであるがそういう時人はどうするかというと分裂症になるか自分を正しく認識しなくなるかどちらかである。彼の場合は非常に分裂気質が強い。そこからほとんど必然的なつながりで双極性障害になっている。専門家による治療が必要であるがそれを拒んでいる以上彼が自分を守るための思い込みではなく正しく自分のコンプレックスと向き合ってそれを克服することは困難であるし、発達障害や分裂症的気質を無視して躁うつ病の対策の記事をいくら書いて気をつけようとも少しでも厳しい環境になればすぐに躁うつ病は悪化する。根本的な部分で何も解決していない。 このままネットでできるだけ躁状態のアウトプットを心がけ、鬱状態の時のアウトプットを引き受けてくれる友人や家族を見つけるしかないだろう。
私は男女関係とは何か、などと考え始めると大変困惑し、パニックに近い状態に。
巡回先の日記に「恋人が云々」とかでてくるとアンテナからはずしてしまう始末。
そういったものは、自分の意識からはずしていたい代物なのである。
自分が恋人を欲しくてひがんでいるのか?と一時期は思っていたこともあるのだが、どうやらそうではないと気がついた、というのも自分にいわゆる「恋人」がいることを想定しただけで具合が悪くなったからである。
たいていそういう妄想にあがってくる人物は、ワイシャツにネクタイ姿で頭をなでつけてぴかぴかしている感じの人であり、彼らとレストランで食事している風景などを想像して耐えられずに卒倒しそうになっていた。
というか想像をしなければいいのだが、なぜか強迫的にそういう関係を結ぶことを何かによって迫られているような気がしてやめられない。
最近は、職場の人間がたてつづけに結婚しており、そういった話題にふれるたびにひどいパニックに。
彼らから新婚旅行や結婚式の写真などをみせられたり話に加わらなければならないとなると、まさにそれは命がけの苦しい行為であり、しかし聞こえないふりして澄まして仕事していると『結婚できない女』のひがみといってつっこまれたりするのでなんとか話を聞いているが、終わったあとで精神的疲労に耐え切れず、安定剤をかじってデスクでつっぷして一眠りするんであった。
わたしが苦手なのは男女関係についての話だけではない。そのほかにも他のひとからみると他愛のない、たとえば家族の話とか夫婦の話とか親子の話とか、そういう話につきあったり自分の話を聞かれたりするのがあまりに苦痛で、会社を辞めたいと思ったことが幾度もある。相当ばかばかしいと頭ではわかっているのであるが、私に与えるダメージはかなり強力。それらのパンチを受けている間は冷静ではなくなっている。
友人関係もしいていえば苦手。
また親子関係や家族関係について再考せねばならない場面になるたびにおかしくなってしまう。何かと関係を結ぶことに脆弱性があり、たぶん今まで、他者とろくな関係を結んだことがないような気がする。
親友と呼べる人は、いないかもしれない。
私がそういう、自分と他者の関係性の認識を迫られる場面において具合の悪くなるという発作を繰り返すことというのは、本を読んで、「反復強迫」すなわち過去の苦痛であった経験を反復して繰り返す状態であることに気がついたのである。
巻き込まれている関係性によって圧倒的に振り回され、力が足らず何もできないままに苦しまされる、というかつての家族においてのパターンを、想像して再度味わっているのである。
「人間関係の起点は親子関係であり、親子関係で形成された人間関係の障害がのちになってもっとも典型的に露呈するのは、男女関係、恋愛関係である。
とその精神分析の人は書いていた。
これにはとても納得させられる。