私は男女関係とは何か、などと考え始めると大変困惑し、パニックに近い状態に。
巡回先の日記に「恋人が云々」とかでてくるとアンテナからはずしてしまう始末。
そういったものは、自分の意識からはずしていたい代物なのである。
自分が恋人を欲しくてひがんでいるのか?と一時期は思っていたこともあるのだが、どうやらそうではないと気がついた、というのも自分にいわゆる「恋人」がいることを想定しただけで具合が悪くなったからである。
たいていそういう妄想にあがってくる人物は、ワイシャツにネクタイ姿で頭をなでつけてぴかぴかしている感じの人であり、彼らとレストランで食事している風景などを想像して耐えられずに卒倒しそうになっていた。
というか想像をしなければいいのだが、なぜか強迫的にそういう関係を結ぶことを何かによって迫られているような気がしてやめられない。
最近は、職場の人間がたてつづけに結婚しており、そういった話題にふれるたびにひどいパニックに。
彼らから新婚旅行や結婚式の写真などをみせられたり話に加わらなければならないとなると、まさにそれは命がけの苦しい行為であり、しかし聞こえないふりして澄まして仕事していると『結婚できない女』のひがみといってつっこまれたりするのでなんとか話を聞いているが、終わったあとで精神的疲労に耐え切れず、安定剤をかじってデスクでつっぷして一眠りするんであった。
わたしが苦手なのは男女関係についての話だけではない。そのほかにも他のひとからみると他愛のない、たとえば家族の話とか夫婦の話とか親子の話とか、そういう話につきあったり自分の話を聞かれたりするのがあまりに苦痛で、会社を辞めたいと思ったことが幾度もある。相当ばかばかしいと頭ではわかっているのであるが、私に与えるダメージはかなり強力。それらのパンチを受けている間は冷静ではなくなっている。
友人関係もしいていえば苦手。
また親子関係や家族関係について再考せねばならない場面になるたびにおかしくなってしまう。何かと関係を結ぶことに脆弱性があり、たぶん今まで、他者とろくな関係を結んだことがないような気がする。
親友と呼べる人は、いないかもしれない。
私がそういう、自分と他者の関係性の認識を迫られる場面において具合の悪くなるという発作を繰り返すことというのは、本を読んで、「反復強迫」すなわち過去の苦痛であった経験を反復して繰り返す状態であることに気がついたのである。
巻き込まれている関係性によって圧倒的に振り回され、力が足らず何もできないままに苦しまされる、というかつての家族においてのパターンを、想像して再度味わっているのである。
「人間関係の起点は親子関係であり、親子関係で形成された人間関係の障害がのちになってもっとも典型的に露呈するのは、男女関係、恋愛関係である。
とその精神分析の人は書いていた。
これにはとても納得させられる。
節子かどうか知らんけどそれ自閉症や 医者池
なんというか、気の毒な。 増田の『人間関係』は大丈夫なん?